海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海は心や体を癒してくれる、たぶん…
科学的根拠があるのか?と問われるとわかりませんが、ぼくの実感としては確かにあるんです。
何の話かというと、休みの日に海に行くと気分がスッキリするということです。
たとえば仕事が忙しいとか、いろいろ雑用が重なったとかで「あー疲れた」というときの休みの日ってなんとなくダラダラとテレビを見ちゃったりするんです。でもそういうときこそ、シーカヤックするとかスキューバーダイビングするとか、それが億劫だったら海辺を散歩するようにしています。
疲れているときこそ海に行くと、疲れがとれて気分がスッキリします。経験的にほぼ100%そうなります。
理屈はわかりませんが、たぶんそれと似たようなことはみなさん経験したことがあるのではないでしょうか?ゴルフとかテニスとか旅行とか…
ぼくにとってはそれが海という自然と接することなんです。
気分転換といってしまえば、まあそうなんですが、もう少し自分の中で起きていることを詳しく思い出してみます。
疲れているときというのは、身体が疲れているときと、気持ちが疲れているときがあるような気がします。気持ちが疲れているときというのをさらに詳しく見てみると、忙しい日々が続いているとか、自分のキャパ以上の仕事が来ているとか、先が見通せない仕事であるとか、板挟みに遭うとか、かなり気を遣うことがあるとか、あと仕事以外だと家族の健康のことととか家計のことととか、自分の場合だいたいそんな感じです。
で、身体の疲れと気持ちの疲れだと、2:8くらいじゃないかと思うんです。で、その2つは相互に影響し合っているようです。つまり気持ちが疲れていると身体の疲れを増幅させるし、身体が疲れていると気持ちも上がらないのです。
休みの日に海で遊ぶと気持ちの疲れの部分を一時的に頭から追い出すことができるんです。海にいるときはそれを楽しむことしか考えていませんから、仕事関係のことや家の心配事など気にかかっていることを、意識のほとんどから、一時的にクリアできているようです。
しかも最近特に思うんですが、気持ちの疲れの要因となっているいろいろなことや心配事は、頭にあるだけで、けっこう心身に負担をかけているんじゃないかな?ということです。人を機械にたとえるのもどうかと思うんですけど、パソコンのメモリを不要なことに使っている感じと近いかもしれません。
なのでこのあいだ試しに、海遊びに行く前に、自分が気になっていることをノートに書き出してみました。これは確か心理学的な効果があると巷でいわれているらしい手法です。頭の中にあることをどんどんどんどん書き出していくと、自分の意識していなかったことも出てきて、とてもスッキリするというのを本で読んだ気がします。科学的根拠はどうなのか知りません。
その作業の後海遊びをすると気分がさらにスッキリするんです。海遊びに集中できます。
先ほど身体の疲れと気持ちの疲れは2:8の比率で、その2つは相互に影響し合っていると書きましたが、身体を動かすとさらに気分がスッキリします。これも多くの方が実感したことがあるでしょう。
これもぼくの感覚なのですが、ぼくのような物心ついた頃から運動が好きで、学校でも運動部に入って、授業よりも体育の授業が好きだったという「カラダでっかち」タイプにとっては、たとえ受験とか資格試験のために勉強しなければいけない状況であっても、机にかじりついて勉強だけするというのは、耐えられないし、かえって効率が悪かったりするのです。一日のうちでも身体を動かす時間をとった方が勉強に集中できるんだということを大学受験のときに実感しました。
えーと何の話かというと、なんだか難しい課題を抱えていたり、いいアイデアが出なくて行き詰まっていたり、忙しくて気持ちが疲れていたりするときほど、身体を動かした方がいいというのが経験的なぼくの持論です。そしてそれはぼくの場合、海でウォータースポーツすることが一番いいのです。
次の話として、なぜ自然の中で遊ぶと気分転換できるのかということなんですが、これって理由が難しいなと思うんです。ぼくの場合、海が好きなので海で遊ぶことがいいというのはわかりやすいと思うんです。
でも、そんなに海が好きじゃない人でもたまに海に来ると、大はしゃぎしてテンションが上がったりするのをよく目にします。
海という存在に魅力があるんだといえば、まあそうなのかもしれません。
あるいは人間というのは自然の中で癒されるのかもしれません。
参考になるかわかりませんが、ぼくが海が好きな理由をまとめてみます。
①広いし、開けている。
②自由である。
③人口密度が低い。
④危険と隣り合わせで、死なないために頼りになるのは自分だけだ。
⑤一度として同じ状況がない。
⑥ぼくはアレルギー体質なんだけど、潮風や海水に接するとアレルギーが少しよくなる。
⑦太陽の光を浴びるのは気持ちがいい
特に④がぼくにとっては大切で、ウォータースポーツをするときには危険や死と隣り合わせなんですが、無事に生きて帰ってくるために自分で考え、適切に判断して、行動することが必要なんです。ぼくはこのプロセスがすごく好きで、それでウォータースポーツををやっているような面があります。
それが海で遊ぶことで心身共に疲れが癒されるのと、すごく強く関係していることを自覚しています。
というのも仕事とか家庭のこととか、社会で暮らすために必要だとされていることって、社会的なルールなのです。それって大切なんですけど、次元として高度で、複雑で、ときとしてそのルールが何のためにあるのかわからなくなったりすることもあります。あるいはルールができた本来的な意味がだんだん忘れられて、ルールを守ること自体が重要視されたりします。要は生死や安全に直接関係のないルールを守らなければならないということです。
例を挙げますと、歩行者として信号を守るというルールがありますが、これは、安全のためです。ぼくが住んでいる人口の少ない町で、たとえば深夜に信号が赤でもそれに従う意味って、まあ、ほぼありません。車はほとんど走りませんし、出歩いている人もいないんです。でも、もしかしたら車が来るかもしれないし、他の歩行者がいるかもしれませんが、経験的に確率が低いし、ザッと見回せば車や人がいる気配はないなのです。それでも赤信号を無視して渡れば法律違反でしょう。
たとえば中学とか高校の校則で靴下の色とか髪の長さとかが決められていて従わなければならないわけですが、それ自体守っても守らなくても、人の生死や安全や健康には全然関係ありません。それに影響があるルールなら多くの人が納得して守るでしょう。
今のは一例ですが、人が集団で行動するときに、お互いにできる限り快適に暮らすために、あるいは組織を維持するために、法律やマナーといったルールが存在するんだと思いますが、それが形式化していても、それを守ることに対して、あまり気にならずに従える人もいれば、すごく違和感を持つ人もいるんだと思います。
ぼくは、意味のないルールを守のはバカバカしいと思う質です。でも一応社会人のいい歳した大人として、ルールは守るわけですが、それは自分を抑えているわけで、そこにストレスがたまる原因があります。
海で遊ぶというのは、そういう社会的かつ形式化したルールから解放されることでして、それがぼくは嬉しいんです。
海にもルールはありますが、ほとんどが生死や安全に関係することです。それを守らないと自分や他人が死んでしまうということですから、納得して守ることができます。しかも死なないことというのがルールの大元ですから、シンプルでわかりやすいのです。要は人が死ななければいいんです。
次にまた別の話をします。
自然を相手にするスポーツはたいていそうだと思いますが、自然の懐に入って、自分の力だけで、前に進んで、最終的には無事に戻ってくるという仕組みになっています。その内容もシンプルでわかりやすいですよね。
死なないことが善であり、それを実現するのは自分の判断と行動だけです。バカな上司とか、無責任な同僚とか、ワガママな後輩とか、無理をいう取引先とか、社内政治とかそういう自分がコントロールできない面倒なものがないのです。ああステキ。そして会社で実績が出るかどうかというのは、自分の能力ももちろん大切なんでしょうけど、景気の状況、自分のいる部署の状況、一緒に働くチームのメンバーの力などといった偶然の要素が割りと大きいようにぼくには思えます。一方、自然を相手にするスポーツでは、まあそんなことはなくて、自分の力が最大の要素です。
それって自己効力感に影響を与えると思います。
なので、会社みたいな組織生活ですり減った自己効力感を、自然の中でするウォータースポーツで補充しているというのが、ぼくの現状です。
これが自然の中で遊ぶと元気になる要素のひとつだと考えています。
それ以外に自然の中で遊ぶことで気分転換できる理由として考えられるのは、マイナスイオンが多いとか、フィトンチッドが空気に含まれているとか(これは森だっけ?)、海水に含まれている成分がいいんだとかいろいろいわれていますが、これは科学的に分析できそうなことなので、専門家のデータを調べなければならないでしょう。自分の感覚では、そういうこともあるかもしれないなあ、くらいに受けとめています。
ここまで書いてきたことは、自然の中で遊ぶことが好きな方には、少しはわかってもらえるんじゃないかと思うんです。やっぱり自然の中で遊ぶことって楽しいよね、というところは変わらないでしょう。
可能性としてあるのは、都会で暮らしていて、休みの日は一日中家に居て、テレビを見てるみたいな人が、その内側に溜め込んだストレスを変な形で発散している(もしかしたら大なり小なり他人に迷惑をかけている)というような場合があるとしたら、そうした人が自然の中でストレスを解消したり気分転換したりすることで、変な形で発散されているものがなくなる分だけ、世の中がよくなるかもしれないということでしょう。それがどの程度なのか見当もつきませんけど…
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