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海はぼくにとって価値観転換装置



 お気楽にテキトーに日々を送りたいと頑張っています。
 自分でいうのもなんですが…、いえいえそんなめっそうもない、それじゃ失礼して…
 若い頃のぼくというのは、せっかちで目標を定めると脇目も振らずに進んでいくタイプでした。体育会系なもので…
 しかも、細部にこだわるタイプでもあったのです。
 で、ある頃からそういうのって疲れるなあと思ったんです。なので、それから努めて、お気楽にテキトーに、目標とかいうものを敵視?して生きてきました。
 その努力の甲斐があって、今では毎日ビールが飲めればまあいいかあ的な暮らしをしております。
 目標とか自分のこだわりというのは、大雑把にいえばエゴです。社会の中で自分の我を通そうという行為なので、周囲と摩擦が起きて疲れるわけです。しかも目標に向かって自分を律するわけですから疲れるはずですよ、そりゃ。
 目標をもってそれを成し遂げる人生が尊いのか、それともただその場限りが楽しい人生がいいのか、それはわかりません。それはその人の価値観によるのでしょう。
 でも、自分が疲れるほどやるのはやりすぎで、もう少し楽に生きてもいいんじゃないかと思うのです。楽に生きるのは、周囲との摩擦を避けて、適当に流されるのがひとつの方法です。
 なので、最近疲れるなーとか生きにくいなーと感じたら、それは自分が自分の価値観に固執しているか、目標を達成しなければなどと思い込んでいることが多いわけです。
 そういうときは、「本当にそれってそんなに大切なの?」とか「自分が思ってるだけじゃない?」とか「他の見方もあるんじゃない?」とか「自分が一番正しいと思ってない?」とか「自分がいなけりゃ何も回らないと思ってない?」などと、少し引いた目で自分を眺めるのが効果的です。
 ぼくはかれこれ30年くらいウォータースポーツをやってきました。ぼくと海遊びの相性がいいのは、海という自由な場は、ぼくのお気楽テキトー路線を支援してくれるようなところがあるからだと思います。海って、とにかく広くてルールがなくて人もいないので、そういう自分のこだわりみたいなものがちっぽけに感じられるのです。
 以前も書きましたが、ぼくは海でボーッとしていると、どうでもいいことをいろいろ考えるのです。どうでもいいことって「伊豆半島は、何百万年前かしらないけど、本州にぶつかったんだよなー」とか「昔はこのあたりにも武士がいて、戦を繰り広げていたんだよなあ」とか「昔の人はエンジンもないのに、風と手漕ぎだけで、この大海原に漕ぎ出して、世界中を移動していたんだからすごいよなあ」とかそういう、本当にどうでもいいことです。
 そうするとまあ自分のことがどうでもよくなるんです。もう少しちゃんというと、自分の価値観がちっぽけなものに思えてくるんです。
 そういう意味で、海というのはぼくにとって価値観転換装置なんだよなあとしみじみ思うのです。チェンジ・オブ・ペースできる最高の場なんです。そういう場がぼくにはあってよかったと、それは誰に対してだかわかりませんが、感謝してます。







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