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ビーサンっていろんなメーカーがあるんですね



 1年中ビーサンを履いているオジサン、ぼくだけじゃないはず…

 ビーサン…なんてステキな言葉なんでしょう。
 ぼくにとって一番よく使うものであり、ラクチンで、バカチンなぼくをさらに加速させる、究極の癒やしグッズといっても過言ではないでしょう。いやどう考えても過言ですね。

 ビーサンについては過去に使った体験を書きました。

○海遊びにはこのビーサン!

○短パン・ビーサン市民権獲得委員会発足準備会設立のお知らせ


 それから海で使うシューズ関係でマリンブーツやマリンシューズについても書いています。

○マリンブーツ マリンシューズって使ってる?



 んで、ねえねえ、会社とかで仕事とかしてる人に訊きたいんだけど、革靴のビジネスシューズって、チョーつらくない? ありえなくなくない? といいますか、ぼくは革靴履くだけで、ちょっと気分が下がるんですけど…
 かたっくるしくてさあ、締め付けられるみたいで、足も蒸れるし、夏なんか最悪。
 よく男性向けオシャレ雑誌で、いい革靴は一生モノ!とか自分に合った革靴を履けば第2の足になる!みたいな事が書いてあるけど、広告じゃなくてマジでそんな風に感じる人は、ぼくからすれば「お友達になりたくない人今週のベスト3」にランクインしますね。

 ぼくは長年ビーサン自由民権主義というものを唱え、各方面に働きかけているわけですが、そのビーサン自由民権主義というのは、簡単にいっちゃうと…
 ビーサンを履く→解放感→人との差がつきにくい→自由→平等→真に人間らしい生き方
ということになるわけです。
 ビーサンを履くという簡単なことが、解放された人間らしい生き方につながるという、なんともすばらしい理論なのであります。

詳しくは前に書いたのをご覧ください。
○「短パン・ビーサン履こう会」発足準備会事前検討会賛同者募集中!


 そんなぼくなので、これまでいろいろなビーサンを履いてきたわけですが、周りのウォータースポーツをする友達とかが履いているビーサンも含めて、覚えているメーカーをまとめてみたいと思います。

KEEN Yogui 7500円くらい
まあ定番ですね。サンダルにしては高いって思うのはぼくだけ?

OKABASHI Flip Flop 2520円くらい
履きやすそうですね。これくらいならなんとか…

VIVA! ISLAND FLIP FLOP 2300円くらい
軽くて、足にフィットして、まあまあ丈夫で、履いている人が多いです。

Chaco Z/2 Unaweep Sandal 8925円くらい
よくあるヒモで足をホールドするタイプですが、親指もホールドするのがいいですね。

havaianas top 1785円くらい
これよく履いている人いますね。滑らないのなら履いてみたいです。

ccilu hero 5980円くらい
外側がチルセルという一体成形された構造で内側がメッシュになっているとのこと。これも履いてみたいです。

ccilu-atka atker 3900円くらい
かかとを踏んでももいいし、ちゃんと履いてもいいらしいッス。

TELIC(旧TEROX) FlipFlop 4725円くらい
いろいろなテクノロジーが使われているらしいッス。たとえば体温に反応して足にフィットしたりとか…

monbell ソックオンサンダル 2000円くらい
靴下のまま履けるというのがいいですね。

Teva Bomber Sandal 9450円くらい
よさそうだけど高いですね。でもこのメーカーの独自技術に定評があるんですよね。


 いやー、たくさんのメーカーがありますね。それぞれのメーカーがたいていいくつもの製品を出しているので、選択肢はかなり多いです。こんなにビーサンメーカーって必要なんだろうかっていう別な疑問も湧いてきます。

 ぼくは今、ギョサンとクロックスを使ってるんですけど、結構毎日のように使っていますが丈夫で、1回買うと2~3年は使えるんですよね。
 んで、新しいビーサンを紹介されても、そんなにやたら買えないよね。それにぼくなんかもうオジサンだから、ここに紹介したビーサン死ぬまでに全部使いきれないよね。





















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ずっと海に癒されて暮らしてきたような気がします



 海が好きで、海辺の田舎町に住んでいます。
 いつから海が好きになったんだろうって、ときどき考えるんです。
 小学生の時、家族旅行で海に連れてもらったのはとても楽しい思い出です。その頃は特別海辺に住んでいるとか、そういうわけではありませんでした。年に1回とか2回とか、海に旅行に行く感じでした。それってまあどこのご家庭でもよくあることじゃないでしょうか?
 中学生の頃、サイクリングをするようになって、近くの海に行くようになりました。近くといっても自転車で2時間くらいはかかりましたけど…そのくらいの自転車での移動は当たり前でしたね。若いね。
 高校生の頃は、休みの日に電車で30分くらいかけて海に行くようになりました。海辺を散歩するんです。
 大学生の頃からは、サーフィンにスキューバーダイビングと、どっぷりとウォータースポーツにハマっていくことになります。
 今も昔も共通しているのは、ぼくにとって海に接することが一番気分転換できる方法だ、ということです。気持ちがスッキリするし、大らかなノンビリした気分になれます。
  特に高校生の時に受験勉強で煮詰まったときなどは、海に行くとずいぶん気持ちがスッキリしたものです。
 ぼくの中では海に行くという行為が、気持ちのバランスをとる役割を果たしていたんでしょう。今は海辺に住んでいるので、海に行くという感覚ではなく、海を眺めるとか近所を散歩するという感じですが、海に接して気持ちのバランスをとるということは、それほど変わっていません。海を眺めて深呼吸するだけで、気持ちが、大らかに、緩やかに、穏やかに、柔らかく、晴れ晴れと、スッキリとします。
 若い頃も青年の頃もオジサンになってからも、悩んだり気持ちが落ち込んだときは、海と接することでなんとか立ち直ってきました。そうやって考えてみると、ぼくはなんと悩みを多く抱えて生きているんでしょう。そしてきっと死ぬまで続くんでしょう。やれやれ…









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一日中、ビーチで過ごす幸せ



 ぼくは海辺の田舎町でノタノタと暮らしています。
 ぼくにとって自宅で過ごす時間は、基本的に幸せです。
 そしてアウトドアで過ごす時間は、もっと幸せです。
 特に幸せなのは、一日中海のそばで波の音を聞き、潮風に吹かれながら過ごすことです。
 たとえば朝起きて、チェアとテーブルとピクニックセットを持って、家の前のビーチに行って、そこで本を読んだり、コーヒーを飲んだり、スノーケリングやシーカヤックなどのウォータースポーツをしたりして過ごします。
 海を眺め、波の様子を観察し、空を見上げ、遠くの島々に視線を移します。
 潮の香り、波の音、肌を撫でる潮風。
 日が東から、南中し、西へ傾いていきます。
 そして夕方クーラバッグから冷えたビールを取り出して夕陽を眺めながらマジックアワーを楽しみます。
 一日中、海の自然の中にいる、というか曝露している、さらされていると、気持ちが伸びやかに大らかになります。
 やっと自分らしい自分にもどれたなあと思うのです。
 平日に仕事に行っている自分、満員電車で息を潜め、上司のバカバカしい指示に従い、それが必要なのかどうかよくわからない仕事に取り組んでいた自分から離れて、本来の自分になれるのです。
 太陽の光を浴び、潮風に包まれ、波の音を一日中聞いていると、身体の中の不純物が洗い流されていく気がします。
 家に戻り、風呂に入り、音楽を聴きながらビールを飲むと、まだ身体がビーチにいるような感覚があります。そのまま波の音の残響を聞きながら眠りにつくのは、とても深く眠れて幸せなのでした。








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海と接することで自己肯定感が高まります



 海辺の田舎町で暮らしています。海況がよければウォータースポーツをし、荒れていれば海辺を散歩します。
 海にいると、ぼくはこれでいい、自分の生き方は間違っていないと思えます。
 それって理屈ではない、もっと身体の奥から感じる安心感のような感覚です。
 この気持ちはなんだろうと、ずっと考えてきたんですが、すっきりまとまりません。
 身体の奥から感じる安心感は、次のようなときにやってくるのです。
 ぼくの生き方が、根本的に間違っているんじゃないかと心配になったり、あるいはいろいろな人から批判されて、自分ってやっぱりダメなんじゃないかって思ったり、あのときの自分の判断は大きなミスなんじゃないかって考えてしまうような心持ちのときです。
 そんなときに海にいると、大昔から人って今の自分のようにこの海辺で暮らし、海を眺めていたはずだと考えます。
 そしてその人も悩みや不安を抱えていたはずだと考えます。
 おそらくこの海辺で魚や貝や海藻を獲りながら暮らしていたんだと想像します。
 大昔から人がやってきたことを自分もただやっているだけ、たぶん間違っていない、って考えます。
 海という変わらない自然と、そこで暮らしてきた人々への思いが、自分の不安のバランサーになっているのかもしれません。
 海を見てこんな風に考える人はあまりいないのかもしれませんが、ぼくはそう考えることで元気が出てきます。








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島旅で大らかな気持ちを取り戻す



 去年のことですが、大学の頃からの長い付き合いの友人と与論島に旅しました。5日という期間で、初日と最終日はほぼ移動時間なので、島に居られたのは3日間。サラリーマンとしては精一杯の休暇です。

 ぼくも友人も普段は仕事で忙しく、何も予定のない休日に一緒にスキューバーダイビング行きます。だいたい日りか一泊。

 今回は久しぶりの連泊です。

 ぼくも友人も、羽田から那覇まではなんとなく社会人のオジサンっぽい雰囲気です。うまくいえませんが、次の予定をどんどん確認して、どんどん計画を詰めていって、段取りよく動いてしまします。

 行動のスピードも街のモードです。

 RACのプロペラ機で与論島に降り立って、レンタカーを借りて宿に荷物を下ろして、近くのビーチの防波堤に座って、缶ビールを飲んだあたりから、行動のリズムがゆったりしてきて、心の芯がほぐれてくるようながします。友人との会話もだんだん学生時代のトーンにっていきます。

 持ちが大らかになるというか、雄大になるというか、あぁやっぱり仕事でセコセコしてたんだなぁと思います。

 島旅をする度に感じるんですが、街のサラリーマン生活で、知らず知らずのうちにセカセカしたり、周して警戒心を持ったりしていたことを、それがなくなってやっとづくことができます。無意識に心に課された重荷は、それを下ろさないとづくことができないんだと思います。

 ぼくは暇があれば海遊びしていて、比較的心の荷物を降ろしている方だと思いますが、ガチガチに真面目な人だと病んじゃうだろうな、きっと…

 島のリズム、広い海、広い空、島特有の隔離感…そういったものが合わさって、ぼくの心は癒されていったのだと思います。

 癒されるって手垢のついた言葉だけれど、他の言葉で言い替えれば、持ちがほぐれるとか、心にこびりついた垢が落ちるとか、失いつつあった心の大事な成分が補給されるとか、人間らしい持ちを取りせるとか、たぶんそういうことなんだと思います。

 島に3日間在するうちに、ぼくらオジサン二人は大らかにノンビリとゆったりと考え、行動できるリズムを取りしたのでした。











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人がいない海が好きです



 人がいない海辺が好きです。
 なんでなんだろう?自分って人嫌いなんだろうか?と思ったりします。
 確かに偏屈で人嫌いなのかもしれません。
 それについて少し考えてみました。
 ぼくが海が好きなのは以前にもいろいろ考えたので置いておくとして、なぜ人がいない方がいいのでしょうか?
 その理由は、たぶんぼくが人に気を遣うとか、人に嫌われたくないとか、人と揉めたくないと思っているからでしょう。で、人がいると気を遣って自分が疲れるから、人がいない方がいいと思っているんでしょう。
 もうひとつの理由としては、ぼくが人が密集しているところが嫌いだからです。
 って、みんなそうですよね? 満員電車とか混雑している店とか…もしかしたら好きな人いるのかなぁ?
 そんなに極端じゃなくても、独りでサーフィンしていて、近くに寄ってきて波待ちするサーファーがいますが、あれがよくわかりませんが、それはまた別の機会に書くことにします。
 もうひとつの理由としては、海を独占したいというのもあるかもしれません。
 ぼく的には、僻地のような海辺で、何日か人と会わずに暮らしていて、久しぶりに買い物に出て、「人に会えて懐かしい!」くらいの感じがちょうどいいです。
 離島などに旅をすると、港や島の中心地は人がいますが(あたりまえですけど)、ちょっと離れた海岸に行くと、人がいないことがあります。人がいないっていったら本当にいません。ちょっと心配になるくらいです。
 でもまあ、ぼくとしてはそういう状況は大歓迎なわけで、人がいないビーチでスノーケリングをしたり、泳いだり、砂浜を散歩したり、バーナーで昼メシを作ったりとノビノビと過ごすことができるのです。丸一日そんなことをして、宿に帰って、宿の人と話すのが妙に嬉しかったりするので、ぼくはそんな感じの人との距離感が好きなんだなーと思うのです。









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海でマジックアワーを楽しむ



 マジックアワーという言葉があります。日没(日の出も)の前の空の色が独特になる時間をいうんだそうです。
 ぼくは海好きで、今までいろいろな海辺の夕暮れを見てきました。自宅でもそうですし、旅先でもそうです。
 自宅では夕暮れの時間にデッキでビールを飲むことにしていて、空が刻々と色を変えていく様子を見ています。自宅からほど近い海岸で散歩がてらマジックアワーを楽しむこともあります。
 自宅のそばの海からは方角の関係で、夕陽が海に沈むところは見られません。太陽は伊豆半島か富士山か丹沢に沈みます。
 ただ夕暮れ時の空の色の変化と、海が青から漆黒に色を変えていく様子は見ていて飽きないもので、マジックアワーのすべてを見るとだいたい1時間半とか2時間くらいかかると思うんですが、ぜんぜん飽きません。だいたいぼくはボーッとする時間が好きなんです。
 空の色はその日の天気によっても違いますが、ピンクからオレンジ、青紫、紺色、黒と変化していきます。またそれぞれの色がグラデーションになっていて、こんな色がこの世に存在していたんだと気づかされます。
 特にぼくが好きなのは、海の色が変化するところです。太陽の光が当たっていると、海の色は青だったり紺色だったりします。そして夕陽が水面に反射するようになると、オレンジがかった色になります。太陽が沈む頃、陽の光が弱くなると、海の色は黒くなります。
 旅先では、できるのであれば、西側に開いた海辺の宿に泊まるようにしています。そうすると風呂に入っている時間や食事の時間にマジックアワーを楽しむことができます。
 ぼくは経験的に海辺のマジックアワーを楽しむようになりましたが、旅行業界に勤めている知り合いの話によると、リゾート地にホテルを建てるときに夕陽が見られるかどうかというのはとてもおおきなぽいんとだそうです。ぼくが知らなかっただけで、海を旅するのなら夕陽を楽しみたいというのは、常識なのかもしれませんね。
 マジックアワーと並んで魅力的なのは、グリーンフラッシュですね。ぼくは見たことがありません。ちなみにグリーンフラッシュとは、太陽が沈む直前、昇る直後に太陽の光が緑色に光る現象のことだそうです。
 船旅をする旅に見られないかなーとその時間にデッキにいるようにしているんですが、まだ見れていません。
 陽が沈むと漆黒の海が広がります。月が出ているときは、ムーンロードができることがあります。ムーンロードも幻想的で見ていて飽きません。
 ムーンロードについては以前少し書いてみました。
 漆黒の海を見ているのも楽しいもので、湘南あたりだと街明かりや灯台の光がキレイです。もっと田舎の海でも、いろいろな楽しみがあります。遠くの島の町明かり、船の漁り火、沖を横ぎる大型の長距離を行く船の光などを眺め、そこで暮らし、働いている人の思いを想像したりするのが好きです。
 そんなことをしていると、マジックアワーから深更まで海を眺めていたりします。忙しい日々の中で、そんなにボーッと海を眺めている時間もいいものです。








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楽しく時間を過ごすことに集中しよう



 日々いろいろなことがありますよね。
 楽しいこともあれば、イヤなことも悲しいこともあります。どちらかというと楽しいことの方が少ないかもしれません。
 「生きていれば仕方がないことだよな」なんて、ぼくは思います。
 イヤなことや悲しいことがあったら、ぼくは海で遊びます。スキューバーダイビングやシーカヤックやサーフィンをします。
 そうするとわりとスッキリして、前向きな現実的なことを考えられるようになるんです。
 科学的な根拠はわかりませんが、経験的には確かにそうなんです。
 先日、テレビのちょっとしたコーナーで、落ち込んだり鬱にならないためにどういうことをすればいいかというのをやっていて、太陽の光を浴びるたり、運動したりするといいとのことでした。
 そうすると、ぼくのやっていることは当てはまっているんだなと思いました。これを科学的な根拠とまで、いいきっていいかはわかりませんけど…
 大きな空と海。果てしなく打ち寄せる波。光り輝く太陽。そんな自然に包まれていると自分のつらい状況がちっぽけなことに思えてきます。
 つらいとか悲しい状況は、何かしらそういう外部環境があるからそうなることが多いと思います。そんなときに環境を変えようとしてもなかなかうまくいかないし、疲れるだけだったりします。
 結局自分が楽しく日々を送るとか、楽しい時間を過ごすことが何より大切なので、つらい状況を「つらい」とか「イヤだ」とか「悲しい」と思っていても仕方がないわけで、さっさと気分を切り替えて、楽しい自分に戻った方がお得です。
 I can’t change the direction of the wind, but I can adjust my sails to always reach my destination.










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人・社会・自由



 ぼくが海が好きな理由はいくつかありますが、そのうちの大きなものとして海の自由さがあります。
 自由というのは適切な言葉ではないかもしれません。
 海辺の暮らしは街の暮らしに比べると、比較的自由で平等で人間的だと思うのです。それがぼくが海辺で暮らす理由です。ちなみにここでいう海辺というのは、湘南みたいな市街化された海辺ではありません。
 そんな自由さに惹かれて、もう20年以上も前に東京から海辺の田舎町に引っ越しました。東京での暮らしが嫌になったからです。
 街の暮らしには、様々な面で社会的な上下関係があります。
 お金持ちの方がより自由で豊かな暮らしがおくれます。零細企業に勤めているより、有名な大企業に勤めている方が、ローンの審査が通りやすかったり、様々な面で信用されます。高価なオシャレな身なりをしている方が、店などでは丁寧に扱われます。高価な外車に乗っている方が、ホテルやガソリンスタンドなどでは丁寧に扱われます。
 これらはいわゆる階層的な格差だと思いますし、その人の本質とは少し離れた物差しで、その人を測っているような気がします。
 海辺の暮らしにもそういう尺度がまったくないわけではありませんが、ずいぶん少ないように思います。もちろんお金は必要です。でも、組織や企業に入らなくても、多額の資金がなくても、猟をしたり作物を育てて、家族が生きていくだけの食料を得ることができる選択肢があるというのは、すごく大きな違いだと思います。
 それに海辺では、お金があってもそれを使う先が街ほど多くはないでしょう。
 街の暮らしにはいろいろなルールやマナーがあります。
 右側を歩けとか、列に並べとか、エスカレーターは右側は急ぐ人のために空けておけとか、マンションの自室であっても階下の人を気にして大きな音を出さないとか、人気のある店に行きたいときは予約が必要とか、夜公園とかを歩いていると警察官に職務質問されるからやめておこうとか、細かいことをいいだすと切りがないわけですが、そういうのがたくさんあります。
 慣れてしまえばどうってことありませんけど、そういう細かなルールやマナーがない状態に身を置くとすごく解放された感じで、あの街での暮らしはストレスフルだったと気づくのです。
 おそらくそのルールやマナーは大勢の人が寄り集まって暮らさなければならず、お互いに嫌な思いをしないために発生したものではないかと、ぼくは推測しているんですが、まあ、要するにみんなが不快な思いをしないために、個人の自由を制限しているわけです。
 海辺の暮らしには、こうしたルールが少ないと思います。一部の人が多い海辺は違うかもしれませんが…
 街の暮らしは、ギスギスしているように感じるのはぼくだけでしょうか。
 みんな急いでいるし、満員電車や駅などでは、ちょっとした揉め事が起きているのを目にします。
 街を歩いていると、マスクをして、ヘッドホンをして、スマホを見ながら歩いている人がいて、あれは外部との接触を断とうとしているように見えてしまいます。
 家とか車とか自転車に鍵をかけなくてはいけないし、スリとか置き引きとかチンピラにからまれないように、なんとなく警戒してしまいます。
 混雑した道を車で走っていると、ちょっと車間が空いただけで、他の車が入ってきます。車線変更も頻繁で、せわしなく感じます。
 ぼくがたまに東京に行くと、そういうのって異常に感じます。
 そして、どうしてこんなにギスギスして暮らしにくいんだろうって思います。
 街の暮らしには自然が少ないですね。
 公園や街路樹といった人工的な自然はありますけど…
 以前、東京のある街に親水公園という人工的な川があるのを見て、ぼくは寂しくなりました。
 自然が多い方が、心が癒されると思うんですが、都会に住んでいる人は、そういうことを切実には感じていないんでしょう。
 街じゃないと仕事がないということはあるでしょう。それでも東京という選択肢ではなくて、地方の都市の方がもっと人間的な暮らし方ができるんじゃないかなって思うんです。
 ぼくは街の暮らしがイヤで、海辺の田舎町に引っ越して、そこでは快適な日々を過ごしています。だからどうっていうことはありません。ただそれだけです。








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離島の好きなところアレコレ



 海旅が好きです。
 島旅、特に離島の旅が好きです。
 なぜ好きなのか、離島の旅の魅力を表現するのが難しいのですが、離島に行くたびに湧き上がってくる思いがあるのは確かです。
 遠くまで来たなあという思いもあります。
 隔離されている感があります。
 安心感もあります。
 孤立感もあります。
 懐かしいような思いもあります。
 都会にいると、物資や水が不足して暮らし自体が立ち行かなくなるというのは、よほどの災害の時でしょう。離島は、嵐や台風で船が何日か来ないと、途端に店から物がなくなります。今ではだいぶ解消されましたが、水不足で困るのも多くの島の課題でした。
 何がいいたいかというと、自然が人の暮らしに及ぼす影響が、本土よりも都会よりもずっと大きいので、自ずと自然の様子に敏感になるし、自分たちの非力さを自覚するんだと思います。
 その謙虚になる気持ちが、ぼくの感性と合うような気がするんです。
 島に行くと、隣の島を眺めることがあります。八重山列島も南西諸島も伊豆諸島も瀬戸内の島々も、たいてい隣の島が見えます。
 島から島を眺めるのも感慨深いのです。
 島にいると孤立感がありますが、隣の島が見えると少し安心します。
 ぼくはシーカヤックをするんですが、あそこの島まで漕げるかな?なんて考えるのも楽しいです。晴れた日で肉眼で見えるのは、だいたい40km圏内の島。ぼくが1日に頑張って漕げるのは30kmくらいですから、見えればギリギリ漕げるかもなあ…なんて考えたりします。
 昔の人はエンジンもないのに、よく長い距離を航海したなあなんて想像を巡らしたりします。
 初めて島旅をしたのは、三宅島でした。その頃ぼくは、田舎から上京して大学に通っていて、いささか都会の暮らしに疲れていました。
 友達に誘われて、島旅をしたのです。1週間三宅島に滞在したのですが、島にいるとどんどん自分が解放されているのがわかりました。何から解放されたかというと、自分の気持ちの奥にある警戒感や緊張感です。
 都会の暮らしでは、家や自転車や車に鍵をかけなければなりませんでした。当たり前といえば当たり前ですが…
 道を歩くのも電車に乗るのも、まったく無防備というわけにはいきません。たまにヘンな人がいますから…
 家に居ても、新聞勧誘とかNHKの集金とか宗教の人とかが来ます。電話だってヘンなのがかかってきます。
 たぶんそういう諸々に対して、自分でも自覚しないうちに緊張していたんでしょう。
 それが島で1週間ほど過ごしたら、その緊張感がほぐれていきました。肩こりなどは、凝っているときは自覚しないけど、ほぐしてもらうと「あのときは肩が凝っていたんだ」とわかります。あのときの感覚に似ています。
 ストレスというのが、無自覚に体や心の奥に力が入ることだとすれば、都会で暮らしていたぼくはストレスがかかっていたんでしょう。そして無自覚なストレスは心身にとって危険だと思いました。
 また、ストレスというのは、ストレスがなくなってみて初めてその存在を自覚できるようなところがあるんだとも思いました。
 ぼくは島での1週間の滞在で、自分の身体や心に垢のようにこびりつくストレスの存在に気づくことができたのです。
 それからはできる限り年に一度は島旅に行くようにしています。








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