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人・社会・自由



 ぼくが海が好きな理由はいくつかありますが、そのうちの大きなものとして海の自由さがあります。
 自由というのは適切な言葉ではないかもしれません。
 海辺の暮らしは街の暮らしに比べると、比較的自由で平等で人間的だと思うのです。それがぼくが海辺で暮らす理由です。ちなみにここでいう海辺というのは、湘南みたいな市街化された海辺ではありません。
 そんな自由さに惹かれて、もう20年以上も前に東京から海辺の田舎町に引っ越しました。東京での暮らしが嫌になったからです。
 街の暮らしには、様々な面で社会的な上下関係があります。
 お金持ちの方がより自由で豊かな暮らしがおくれます。零細企業に勤めているより、有名な大企業に勤めている方が、ローンの審査が通りやすかったり、様々な面で信用されます。高価なオシャレな身なりをしている方が、店などでは丁寧に扱われます。高価な外車に乗っている方が、ホテルやガソリンスタンドなどでは丁寧に扱われます。
 これらはいわゆる階層的な格差だと思いますし、その人の本質とは少し離れた物差しで、その人を測っているような気がします。
 海辺の暮らしにもそういう尺度がまったくないわけではありませんが、ずいぶん少ないように思います。もちろんお金は必要です。でも、組織や企業に入らなくても、多額の資金がなくても、猟をしたり作物を育てて、家族が生きていくだけの食料を得ることができる選択肢があるというのは、すごく大きな違いだと思います。
 それに海辺では、お金があってもそれを使う先が街ほど多くはないでしょう。
 街の暮らしにはいろいろなルールやマナーがあります。
 右側を歩けとか、列に並べとか、エスカレーターは右側は急ぐ人のために空けておけとか、マンションの自室であっても階下の人を気にして大きな音を出さないとか、人気のある店に行きたいときは予約が必要とか、夜公園とかを歩いていると警察官に職務質問されるからやめておこうとか、細かいことをいいだすと切りがないわけですが、そういうのがたくさんあります。
 慣れてしまえばどうってことありませんけど、そういう細かなルールやマナーがない状態に身を置くとすごく解放された感じで、あの街での暮らしはストレスフルだったと気づくのです。
 おそらくそのルールやマナーは大勢の人が寄り集まって暮らさなければならず、お互いに嫌な思いをしないために発生したものではないかと、ぼくは推測しているんですが、まあ、要するにみんなが不快な思いをしないために、個人の自由を制限しているわけです。
 海辺の暮らしには、こうしたルールが少ないと思います。一部の人が多い海辺は違うかもしれませんが…
 街の暮らしは、ギスギスしているように感じるのはぼくだけでしょうか。
 みんな急いでいるし、満員電車や駅などでは、ちょっとした揉め事が起きているのを目にします。
 街を歩いていると、マスクをして、ヘッドホンをして、スマホを見ながら歩いている人がいて、あれは外部との接触を断とうとしているように見えてしまいます。
 家とか車とか自転車に鍵をかけなくてはいけないし、スリとか置き引きとかチンピラにからまれないように、なんとなく警戒してしまいます。
 混雑した道を車で走っていると、ちょっと車間が空いただけで、他の車が入ってきます。車線変更も頻繁で、せわしなく感じます。
 ぼくがたまに東京に行くと、そういうのって異常に感じます。
 そして、どうしてこんなにギスギスして暮らしにくいんだろうって思います。
 街の暮らしには自然が少ないですね。
 公園や街路樹といった人工的な自然はありますけど…
 以前、東京のある街に親水公園という人工的な川があるのを見て、ぼくは寂しくなりました。
 自然が多い方が、心が癒されると思うんですが、都会に住んでいる人は、そういうことを切実には感じていないんでしょう。
 街じゃないと仕事がないということはあるでしょう。それでも東京という選択肢ではなくて、地方の都市の方がもっと人間的な暮らし方ができるんじゃないかなって思うんです。
 ぼくは街の暮らしがイヤで、海辺の田舎町に引っ越して、そこでは快適な日々を過ごしています。だからどうっていうことはありません。ただそれだけです。








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離島の好きなところアレコレ



 海旅が好きです。
 島旅、特に離島の旅が好きです。
 なぜ好きなのか、離島の旅の魅力を表現するのが難しいのですが、離島に行くたびに湧き上がってくる思いがあるのは確かです。
 遠くまで来たなあという思いもあります。
 隔離されている感があります。
 安心感もあります。
 孤立感もあります。
 懐かしいような思いもあります。
 都会にいると、物資や水が不足して暮らし自体が立ち行かなくなるというのは、よほどの災害の時でしょう。離島は、嵐や台風で船が何日か来ないと、途端に店から物がなくなります。今ではだいぶ解消されましたが、水不足で困るのも多くの島の課題でした。
 何がいいたいかというと、自然が人の暮らしに及ぼす影響が、本土よりも都会よりもずっと大きいので、自ずと自然の様子に敏感になるし、自分たちの非力さを自覚するんだと思います。
 その謙虚になる気持ちが、ぼくの感性と合うような気がするんです。
 島に行くと、隣の島を眺めることがあります。八重山列島も南西諸島も伊豆諸島も瀬戸内の島々も、たいてい隣の島が見えます。
 島から島を眺めるのも感慨深いのです。
 島にいると孤立感がありますが、隣の島が見えると少し安心します。
 ぼくはシーカヤックをするんですが、あそこの島まで漕げるかな?なんて考えるのも楽しいです。晴れた日で肉眼で見えるのは、だいたい40km圏内の島。ぼくが1日に頑張って漕げるのは30kmくらいですから、見えればギリギリ漕げるかもなあ…なんて考えたりします。
 昔の人はエンジンもないのに、よく長い距離を航海したなあなんて想像を巡らしたりします。
 初めて島旅をしたのは、三宅島でした。その頃ぼくは、田舎から上京して大学に通っていて、いささか都会の暮らしに疲れていました。
 友達に誘われて、島旅をしたのです。1週間三宅島に滞在したのですが、島にいるとどんどん自分が解放されているのがわかりました。何から解放されたかというと、自分の気持ちの奥にある警戒感や緊張感です。
 都会の暮らしでは、家や自転車や車に鍵をかけなければなりませんでした。当たり前といえば当たり前ですが…
 道を歩くのも電車に乗るのも、まったく無防備というわけにはいきません。たまにヘンな人がいますから…
 家に居ても、新聞勧誘とかNHKの集金とか宗教の人とかが来ます。電話だってヘンなのがかかってきます。
 たぶんそういう諸々に対して、自分でも自覚しないうちに緊張していたんでしょう。
 それが島で1週間ほど過ごしたら、その緊張感がほぐれていきました。肩こりなどは、凝っているときは自覚しないけど、ほぐしてもらうと「あのときは肩が凝っていたんだ」とわかります。あのときの感覚に似ています。
 ストレスというのが、無自覚に体や心の奥に力が入ることだとすれば、都会で暮らしていたぼくはストレスがかかっていたんでしょう。そして無自覚なストレスは心身にとって危険だと思いました。
 また、ストレスというのは、ストレスがなくなってみて初めてその存在を自覚できるようなところがあるんだとも思いました。
 ぼくは島での1週間の滞在で、自分の身体や心に垢のようにこびりつくストレスの存在に気づくことができたのです。
 それからはできる限り年に一度は島旅に行くようにしています。








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なぜ人は自然に癒されるのでしょう?



 よく旅番組などで「自然に癒されるね」という感想を聞くことがありますね。人と話すときも、自然に癒されるというのは、普通に聞きます。文学や絵画などの芸術作品でも、古来から自然のよさを表現したものが見られるのは、やっぱり人には自然を好むところがあるんでしょうか…
 一方で、自然の脅威ということもいわれます。自然災害を考えればそう考えるのも頷けます。
 ぼくは海が好きで、海辺に暮らし、暇さえあればウォータースポーツをしています。そんな暮らしはかれこれ30年くらいになりますから、自然が好きで、自然に癒されるというのは、ぼく的にはいうまでもないことなのです。
 東京で暮らしている知人は、自然が好きじゃないそうです。彼は虫とか雨とか風とか暑さ寒さが好きじゃないとハッキリいいます。空調が効いた清潔な現代的な暮らしが快適に決まっているじゃないかといいます。
 まあ、そうかもしれません。
 ぼくが自然が好きだといっても、家には空調はあるし、トイレも温水暖房便座だし、wi-fiを飛ばしているし、暮らし自体は現代的です。
 それでもやっぱり自然の近くで暮らすのがいいなあと思うのは正直なところです。
 実際、今の海辺の暮らしから離れて、2週間ほど東京で暮らしたときには、だんだん気持ちがグッタリしていくのが、自分でもわかりました。朝起きたときに、いつものように砂浜を散歩したいなと思いました。
 ときどき人が自然に癒されるのはなぜなんだろうって思うんです。たぶんそういうことを研究している人でも、まだわかっていないんじゃないかなって推測します。
 森の緑、海の青さ、空の広がり、流れる雲
 波の音、風の音、木々が風で揺れる音
 土の匂い、森の匂い、潮の匂い
 そんな五感に入ってくる様々なことで癒されているのでしょう。







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海で癒される「ブルー・ヒーリング」



 グリーン·エクササイズというものがあるんだそうです。自然の中で活動することで健康になるというもの。特に精神面の安定に効果があるようです。科学的な裏付けもあるようです。
 エクササイズというとたいへんそうですが、森の中を散歩するとかガーデニングをするだけでも効果があるとのこと。
 その言葉を聞いたときに、海遊びばかりしているぼくの場合「ブルー·エクササイズ」だなと思ったものです。
 小学生の頃、海に連れて行ってもらって、とても楽しかったことを覚えています。そのときにただ楽しいだけでなく、気分がスッキリしたことも覚えています。
 大学生の頃、慣れない都会暮らしと忙しいバイトでイライラしていたとき、湘南の海を見に行って「癒された」ことを覚えています。そのときハッキリ癒されたと感じました。パサパサに乾いた紙が水を吸収するかのように、ぼくのココロは潤っていきました。
 その後社会人になっても暇ができれば海へ行き、リフレッシュしてきました。
 そしてついに海辺に引っ越し、何十年も海を眺め、ツラい時、悲しい時を乗り越えてきました。
 ぼくの経験を思い出してみると「ブルー·エクササイズ」というよりは「ブルー·ヒーリング」といってもいいかもしれないと思います。
 海遊びというのは五感で自然を感じます。
 視界に入ってくるのは海の青さ、山の緑、空間の広がり。
 耳に入ってくるのは、波の音、木々の葉音、鳥の鳴き声。
 匂いは、潮の香り。
 味は…ないかな? 海に入ると当然のように海水が口の中に入ってきますけど…
 皮膚から伝わるのは、潮風の感覚や海水の感覚。ただそれだけじゃなくて、サーフィンをすれば波の揺れを体中で感じますし、バランス感覚も使います。スキューバーダイビングでは、海水の圧力や浮力を感じます。
 海に出るだけで多くの刺激にさらされるわけで、たぶんこれが、家の中でテレビを見たり、ゲームをやったりするのと大きく違うんだと思うんですね。
 海好きな人は、海の中で遊ぶ効果を実感しているんじゃないでしょうか?
 多くのウォータースポーツをやる人が、嬉々として海に向かうのはそれが楽しくて気持ちいいからでしょう。
 いえいえ、だからといって「あなたもウォータースポーツをしましょう」なんていいません。やりたい人はやるし、やらない人はたぶんずっとやらないんだと思います。








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海辺でボーッとするのが好きです…



 自分のことをわりとボーッとしているタイプだと思っているのですが、やっぱり社会人としてなんだかんだやらなきゃいけないことはあります。
 やらなきゃいけないことが集中してしまうと、気持ちがワサワサします。同時にいろんなことを考えられないんです。
 そんなワサワサした日々が続くと、なんとなく気持ちがグッタリしてくるので、ボーッとする時間を取るようにしています。
 ぼくがボーッとしていられるのは、やっぱり海にいるときです。
 広くて、人があまりいなくて、風が流れていて、波の音が聞こえる、そんな状況がボーッとするのに適しているようです。
 海だと他にやることがないというのも、ボーッとしていられる理由かもしれません。
 特にシーカヤックでパドリングするとか、砂浜を歩くとか、ジョギングするとか、単調な動作が加わるとさらにボーッとできます。
 ボーッとするのは、よくないことだと感じる方もいるかもしれませんが、ぼくはそうは思わなくて、ボーッとする時間があることあるで、頭が休まって、次に作業に取りかかるときに集中力が増すようなのです。
 他にもいいことがあって、ボーッとしているときには、普段考えないような大事なことや大きなことを考えることができるのです。ぼくの場合は、自分の生きている意味(本当に考えます)とか、これからやるべきこととか、これまでやってきたことがズレていないかとか、まあ、そんなことを考えることも時に大切じゃないかなあと思ったりします。
 でも考えごとしてるんだからボーッとしてるとはいわないのかな?
 世の中のビジネスパーソンとか、会社の社長とかきっとすごく忙しく働いている人もいるんだと思いますが、そんなことは関係なくぼくにはぼくの時間が流れているのでした。








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近くに海がある暮らし



 海辺で暮らす喜びはいろいろあります。
 だいたいが、なんてことないちょっとしたことです。
 それはたとえば…
 朝起きて、窓から見える海の色が、いつもより青くてキラキラ輝いていたとき。
 早朝に霧がかかって、少しひんやりして、海までの道が幻想的に見えるとき。
 ベランダに布団を干しているときに、気持ちいい潮風が吹いてきたとき。
 散歩の途中に家の庭にハイビスカスが咲き乱れているとき。
 砂浜の松並木をふと見上げるとき。
 スーパーの行き帰りに海が見えるとき。
 近所の漁港直売の店で、珍しい魚を安く買ったとき。
 ビーチでみんなが楽しそうに過ごしているのを見るとき。
 ちょっと今日は潜ろうかなって思い立って、スキューバーダイビングができるとき。
 スキューバーダイビングですごく透明度がよくて、珍しい魚が見られたとき。
 前の日飲み過ぎて、土曜日の朝遅く目が覚めても、そこからウォータースポーツができるとき。
 無人の野菜直売所に季節の野菜が並んでいるとき。
 休日に海を眺めながらコーヒーを飲むとき。
 海を眺めながら温泉に入るとき。
 シャワーを浴びた後、海を眺めながら、潮風に吹かれながら、ビールを飲むとき。
 春先に家族でワカメやヒジキを採るとき。
 冬に、不意にあたたかくて、風もなくて、ビーチにいるとほっこりするとき。
 海辺を散歩しているときに、晴れていて、温度も、湿度も、潮風もちょうどいいとき。
 夜、窓から見える海に、月の光が道のようにきらめいているとき。
 波の音を聞きながら眠りに就くとき。









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ぼくにとっての海辺の暮らしの意義…



 ぼくは3人兄弟の長男で、弟と妹がいる中で育ちました。父親は自分にも家族にも厳しい人で、かつ負けず嫌いな人でした。また、少々古くさい価値観~男らしさとか男は家族を守るべし~を持つ人でした。
 ぼくと弟は、なんでもかんでも競争に勝つことが求められる環境の中で育ちました。たとえば小学校の頃は、勉強やスポーツや習い事で一番じゃなければダメという感じでしたし、中学でも高校でも大学でもそうあることが求められました。
 さらに長男ですから、弟や妹の手本であるべきで、また年下の者を守りサポートすべきであるといわれて育ったのです。
 そんなワケで、ぼくは大学に入るまで、なんだかわからない息苦しい毎日を送っていたのです。
 その状態を息苦しいと感じるということは、ぼくの心のどこかに社会的競争とか望ましい人間として振る舞うという考えに、どこかしら抵抗感なりわだかまりに類する考えがあったのでしょう。そしてそうした価値観から離れたいという欲求があったのだと思います。その頃は自覚していませんでしたが…
 一方で、大学時代に独り暮らしすることになったことを好機と、サーフィンとスキューバーダイビングを始めました。ぼくにとって、海は社会的ルールとか社会的規範とか社会階層とか競争とか見栄とか、そういうものから自由になれる場だったんです。完全な自由ではないかもしれないけれど、当時のぼくにとってはかなり自由な状態でした。
 自由であることの喜びとサーフィンとスキューバーダイビングのおもしろさから、ぼくは海にはまっていったのです。
 一応仕事につき、一応社会人になり、一応結婚し、一応子どもも授かりました。一応いわゆる普通の社会人のように暮らしてきたのです。合格点とはいえないものの、一応父親の逆鱗に触れない程度に常識的な人として振る舞うようにしてきました。
 その一方で、ぼくは海遊びを続け、海辺に住むようになります。
 社会通念上の普通の生活を義務的に営むエネルギーを補うように、自然の中の海辺の暮らしにハマっていったのでした。
 おそらくそうしないとぼくの精神的なバランスはとれなかったんじゃないかと思うのです。
 その父は他界しましたが、ぼくの中に、いわゆる普通の社会人として生きること、常識的な暮らしをしなければならないという意識はあり続けています。
 海辺で暮らし、ウォータースポーツを楽しんでいますが、それは自分の中の普通の社会人として生きなければならないという義務感を相殺する意味を持ち続けています。









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風の音に耳をすませば…



 海にいると自然の現象に注意を払うようになります。
 それはおそらく危険を察知して、自分の身を守るためにそうなるのでしょう。
 これから天気が崩れるか、雨が降るか、風が強まるか、波が高まるんじゃないか、周囲に大きな船が近づいていないか、それらは海の上にいるととても大切なことだからです。

 ただ自然の様子に敏感になることは、いいこともあります。

 海を吹き渡る風の音や匂いに気づけたり、遠くの水面の動きで風の強さを察知できたりといった些細なことです。でも、それが喜びなのです。

 大きな低気圧が近づいているときの、雲の色や湿気は独特なんです。そういうときって空気自体が重くなったように感じます。
 船の揺れ方や波の音で水深がわかったりもします。
 人の感覚というのは、なかなかすごいものだなと思います。

 夕暮れに日が傾いて、海面に陽の光がきらめいているときに、サッと風が吹き抜けていく様子などは、身震いするほど美しいものです。感覚に意識を向けているから、きっとそうした美しさにも気づけるのでしょう。

 どんどん変わっていく自然の瞬間瞬間に意識を向けると、普段何気なくやり過ごしていることがたくさんあることに思い至ります。

 一方で、そんな瞬間の自然に意識を向けることに何の価値があるのかといわれてしまうと、まあ、ただシアワセを感じられるということなんですが…

 自然の様子に意識を向けるというのは、別の効用もあります。
 それは、その時その時に他のことを考えないということ。
 忙しいとついつい次のこと次のことを考えがちだったりしませんか?

 ぼくの場合、そんなペースで過ごす一日は、終わってみるとなんだかぐったりして、忙しかったけど何をやったのかハッキリしなかったりします。何かに追われて過ごしたような感覚があります。

 自然の様子に意識を向ける時間を、そうですね30分もとると、時間を自分でグリップしているような感覚があって、気持ちが満たされます。ぼくはそういう時間があるとシアワセを感じられます。

 自然の様子に意識を向けるというのは、また別の効用もあります。
 それは心が癒されるということ…
 よく自然に接することで癒されるとか、リフレッシュできるということを耳にします。科学的根拠がどうかは知りませんが、みなさん、当たり前のように、レジャーで自然の豊かなところに行ったりします。
 きっと自然に接することで、人の心が癒されるということを、実感している人も多いのでしょう。
 ぼくは、もちろん癒されます。自然に接することで安らかで、穏やかな気持ちになります。

 そういった自然の様子を感じながら暮らしていけるのって、やっぱりシアワセなんだろうなと思います。









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自由をつかみ取らないのは、自分の意思でしょうか?



 自由でありたいと思っているような気がしているんですが、本当にそうなんでしょうか?
 って、ぼくは誰に尋ねてるんでしょうか?
 いや、ぼくの場合、実はけっこう疑わしいんじゃないかと思います。
 ぼくは海が好きです。若い頃からずっと海遊びをしながら自由に生きたいと思ってきました。
 でも、実際は違います。
 結婚したり、子どもを設けたり、ローンで家を買ったり、仕事で頑張ったり、町内会の役割を引き受けたり…
 嫌だ嫌だといいながら、実は人に頼られると嬉しくて、つい良い格好してしまいます。
 本当に自由になりたいのなら、何も持たずに海遊びに徹すればいいのに…ぼくはそうしません。思っていることとやっていることが違うから、気持ちがモヤモヤするんでしょう。
 やっぱり最低限世の中の常識の範囲内に収まっていたいというところがあるんだと思います。
 世の中の常識からはみ出すのが怖い臆病者なんでしょう。
 夢を夢のまま遠ざけていたのは、自分自身なんじゃないでしょうか?
 本当に自由になろうとしたら、今日からでも、今からでもできるはず…









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夏の夜の空の色の美しさ



 ぼくは海辺に住んでいて、春夏秋冬、自然の近くで暮らす喜びを感じています。
 どの季節もそれぞれに良さがあるんですが、今回は夏の夕暮れについて書いてみたいと思います。
 ぼくの夏の休日は朝から海遊びです。
 スキューバーダイビングだったり、シーカヤックだったりすることが多いんですが、いずれにしても、家の前の海に出ていきます。
 終日海遊びをして疲れた後、海遊び道具を片付けて、シャワーを浴びます。
 さっぱりしたところで、音楽をかけて、デッキに出て、ビール。
 音楽はBossa NovaとかJazzとかAORとかが多いです。
 そのころには陽は傾きかけて、夕方特有のオンショアの風が吹いてきます。
 弱くなった陽射しと緩い海風で少し涼しくなって快適。
 ビールの後は冷えたワイン。
 そんなこんなをしているうちに陽が沈みはじめ、空の色が刻々と変わっていきます。オレンジだったり、紫だったり、濃いブルーだったり、灰色だったり…そのときの天気によっても違います。
 潮の香りが漂ってきて、森の木々の匂いと、夜の匂いが混ざっています。
 色も匂いも混ざり合って、グラデーションのようになるのが特徴。その混ざり合いの変化を楽しむのです。
 やがて真っ暗な夜になっていきます。
 いつまでも平和で元気に、こんな夏の夜が楽しめるといいなあと思います。








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