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シーカヤックを車に積むのにTHULEのThule SlideBarが便利そうです




 ウォータースポーツをする人は、車にキャリアを付けていることも多いのではないでしょうか?やはりサーフボードを積んだり、シーカヤックを積んだり、荷室に入りきらない荷物を積んだりとあればとても便利です。セイリングでもOPくらいならキャリアに載せられますもんね…

 カーキャリアを販売しているいろいろなメーカーがありますが、ぼくはTHULEを使っています。
 普段は外していて、シーズンになるとキャリアを付けています。

 THULEのキャリアに、横に伸び縮みするエクステンションアタッチメントを付けて、カヤックを積みやすくしています。
 エクステンションアタッチメントがどうしていいかというと、車幅よりも横にバーが出るので、シーカヤックのバウをバーに引っかけておいて、全体を持ち上げながらキャリアに載せられるのです。
 ただ、このエクステンションアタッチメントが結構重いのと、エクステンションアタッチメントを付けるとき他のアタッチメント(たとえばシーカヤック用のキャリアなど)をと干渉しないように注意しなければなりません。

 ここのところずっとこのスタイルで慣れたものなので、特に不自由は感じていないんですが、久し振りにTHULEのwebサイトを見ていたら、Thule SlideBar(891)というのが販売されているではないですか。これはなかなかいいなあと思いました。
 バーが左右どちらでも60cmスライドするというものです。
 これを使えば、車幅の外にスライドさせて、そこで荷物を積んで、それごとルーフに押し込めばいいというわけですね。

 いいんですけど、バー自体を買うことを考えるとちょっと考えちゃいますね。何しろキャリアを買うとき、その価格のほとんどはフットとバーなわけです。ですからバーを買うというのはキャリアを買い替えるのと同じなわけで、しかも、もし車を買い替えたらおそらくそれに合うバーをまた買い直さなければなりません。
 というわけで現在迷っています。






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シーカヤックで使うボトルはLAKENがいいと思います




 シーカヤックのときに水を持って行きます。ペットボトルでもいいんですが、LAKENのボトルを使っています。
 ペットボトルの場合は流されないように、ペットボトルホルダーにカラビナを付けて、デッキラインに引っかけておくのですが、以前大きなうねりに突っ込んだとに、ペットボトルホルダーのゴムごとちぎれてしまいました。
 それ以来、ボトルにロープを付けて、それにカラビナを引っかけるようにしています。
 そういう使い方を前提に、いろいろなボトルを試してみたんですが、一番使いやすいかったのがLAKENのClassicでした。


 LAKENのClassicのいいところを挙げてみましょう。

1.ガンガンぶつけてボコボコになっても使える。長く使える。
 これはプラスチックボトルではなかなか難しいと思います。それから真空ボトルでもこうはいきません。単純なつくりのアルミボトルだからこそだと思います。ぼくはシーカヤックの上に置いて使い、沈したり、岩にぶつけたりするので、この特徴は重要です。ボコボコになっても目立たないシルバーを使っています。

2.蓋の握りが大きいから開け閉めしやすい。
 アルミボトルはいくつも種類があります。同じアルミボトルでも蓋の部分の形状がメーカーによって違います。蓋が小さいものがありますが、それだとグローブをしている時、開け閉めしにくいです。LAKENはそれがちょうどいい大きさです。

3.広口で洗いやすい、氷が入れやすい、ドリップしやすい。
 アルミボトルの口が広いのがLAKENの特徴です。そのため水筒の中が洗いやすいです。さすがに手は入りませんが、コップ用のスポンジで、口のあたりから奥まで洗いやすいと思います。
 また、口の大きさは氷が楽に入れられることもメリットです。
 そして、コーヒーを淹れる際、ペーパードリッパーをLAKENに直置きしてドリップすることもできます。

 ちなみに、水分補給は大切ですから、こまめに水を飲むようにしています。特に暑い夏の時季は水をたくさん積んで、LAKENのボトルに詰め替えるようにしています。
 水は我が家で使っている浄水器を通した水ではなくて、一応腐りにくいように水道水を詰めています。















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HELLY HANSENのHP QD Shortsがとてもいいです




 以前からHELLY HANSENが以前よりもよくないんじゃないか?と感じていました。
 大雑把にいうとファッションラインと本当に海で使う人のラインがあるんですが、
「ファッションラインに寄り過ぎてるんじゃないの?」
「特にGOLDWINの方針なのか、日本でそういう傾向が顕著じゃないの?」
 というようなことを感じていました。

 これは同じようなマリングッズのメーカーであるGillやMUSTOやNORTH SAILSには見られない現象で、ぼくのココロの中では「HELLY HANSENは軟弱になったよな」という思いが満ちていたのでした。

 なので、ボクがHELLY HANSENを買うなら、ノルウェー本国やアメリカのサイトを見てそこで売っているものを日本で買うか、ネットで並行輸入するようにしています。円安が痛いですし、ノルウェークローネのレート感がいまいち身につかないのが難点ですが…

 セイリング用のジャケットでUSのサイトに載っている「いいな!」と思う製品が、日本のGOLDWINのサイトに載っていないということがあります。
 まあ、そういうこと自体は海外製品の場合よくあることですが、しかし納得いかないのは、日本のサイトには街着のファッションラインは結構充実していて、ウォータースポーツをする人向けのセイリングラインが少ないということです。
 これは輸入総代理店が、HELLY HANSENは日本ではファッションラインが売れるからそれでいい、と考えているということなのでしょう。そのあたりがオレは気に入らないね。

 まあ、そんなことを怒っていても無駄なので、今回も自分で並行輸入しようと思いました。ところがUSでノルウェーでも日本への配送はしていないんですね。なので、officialサイトでなくてUSのアウトドア量販店から買うことにしました。買ったのはウインドジャケットです。これも以前シンガポールにレースに行った時に現地のチームが着ていて、とてもいい感じでした。機能的にはHELLY HANSENのウインドジャケットの主要素が入っていて、しかもデザインがカラフルでいいのですね。

 あぁ、いかんいかん、ついつい、このところのHELLY HANSENが残念で、いつもの不満を書いてしまいました。
 そうはいいつつ、一方で、HELLY HANSENには今年いい買い物がありました。それはHP QD Shorts(HH21419)というショートパンツです。
 これはセイラー仲間が使っていて、道具へのこだわりの強い彼も一押しでしたし、HELLY HANSENらしい、いい製品だと思ったからです。で、毎年モデルチェンジすることが多いので、今年買っとかないと、また別なモデルになっちゃうかもしれませんし…
 この製品は国内でも買えて、為替レートやシッピングチャージを考えてもGOLDWINで買った方が安いようなので、普通に買いました。

 これは、今まで買ったショートパンツの中でもかなり高いランキングに入ります。

 1番いいところは、ウェストがベルクロで調節でき、多少伸縮するところです。海遊びの時、多少濡れた身体でも、サッと着て、サッと脱げるというのは、こういう服では大切だと思うんです。そういうときにベルトが必要だとか、伸縮しないとかだと実際使いにくいんですね。
 同じようにウェストが調節できる製品でMUSTOのエボリューションパフォーマンスショーツがありますが、これはウェスト側にボタン穴が複数あって調節するようになっているんですが、調節のしやすさからいえばHELLY HANSENの方が使いやすいといえます。
 ちなみに同じくHELLY HANSENのショートパンツであるイージーショーツ(HOE21403ZZ)は付属のベルトが付いていますが、脱ぎ着する度にバックルをぱっちんとはめないといけないのが意外と面倒だったりします。

 2番目にいいところは、生地とお尻の部分の補強です。かなり強力な撥水素材が使われていて、濡れにくく、濡れても乾きやすいです。生地の厚みと張りもちょうどいい感じ。お尻の部分も補強されているので、セイリングをするときに服のことを気にせずいられます。

 3番目にいいところは、メッシュのライナーが付いていないことです。この手の濡れることを前提としたショートパンツには、海パン的なメッシュのライナーというかサポーターが付いていることが多いんです。海水浴場で遊ぶような人には必要かもしれませんが、ウォータースポーツをやる人にとってはうっとおしいだけです。ウォータースポーツをやる人は、どうせ自分の好みの海パンとかアンダーとかがありますし、ぼくの場合はノーパンが好きですので、そのあたりは使う人に任せるよ、というような製品作りがいいと思います。

 値段は高いんですが、セイリングラインらしい品質、そして製品の作り、使いやすさ、丈夫そうな感じからいって、リーズナブルだと思います。

 1年のうちの2/3以上は短パンで過ごしていて、スーパー、飲み屋、役所、銀行とたいていのところは、短パン・ビーサンで過ごしているぼくとしては、まあ、いい買い物だったんじゃないかと思っています。





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一漕ぎ一漕ぎに意識を集中するとまるで瞑想をしているような気持ちになります




 シーカヤックをします。

 知らない海に出かけたり、何泊ものツーリングも楽しいんですが、地元の海で、穏やかな海況の日に、あまりいろいろなことを考えず、軽装で、気の向くままにパドリングするというのも楽しいですね。

 緊張ではなく緩和。
 高揚ではなく平穏。
 未知の好奇心ではなく既知の安心。

 ただただ、一漕ぎ一漕ぎに意識を集中していると、なんだか瞑想をしているような心持ちになるような気がします。

 そうなのでした。
 ぼくがシーカヤックにはまったのは、この一漕ぎ一漕ぎに意識を集中していると結果として遠いところに行けるからでした。そして、一漕ぎ一漕ぎに意識を集中して何時間も漕いでいると、瞑想しているような、自分がどこか違った世界の海にいるような、不思議な感覚に惹かれたからでした。
 それは一日一日を一生懸命、無事に過ごしていると、1年が経ち5年が経ち10年が経っていたことに気づく、人生の流れに似ているようでもあります。

 パドルが水をキャッチし、腕と肩と腰に力を加えながら、パドルを押していきます。
 そしてその分だけシーカヤックは前に進んでいきます。
 今の一漕ぎは、自分としては60点の出来でした。今度はもっとうまく身体を使ってみようと一漕ぎします。
 さっきよりもうまくいきました。
 ベタ凪の海をわずかに波立ててシーカヤックは進んでいきます。

 鏡のような海とその海と似たような色の空の間を進んでいくうちに、自分が空を飛んでいるような錯覚に陥ります。そして、自分の心が穏やかになっていることに気づきます。





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自然の圧倒的なパワーの前には、人間の営みなどささやかなものでしかないと思います



 海遊びを続けて20数年、海辺に住んで20年近く。
 わりと近いところで台風や高波や土砂崩れなどの被害が起きたのを見ました。
 葉山港が壊れたのも見ました。
 西湘バイパスが壊れたのも見ました。
 東日本大震災もありました。

 サーフィンやスキューバーダイビングやシーカヤックやセイリングは、自然を相手にします。そんなスポーツを20年以上も続けていると、自然の圧倒的な力の前には人間はいかに無力かが身に浸みています。
 自然が荒々しい姿を見せるようになったらできる限り近づかず、安全なところに移るに如くは無し。ああ、諸行無常の響きあり。
 人間が自信満々で作った構築物などあっという間に消え去ってしまうのです。

 ボクの会社の人とのふとした会話の中で、自然に接することが少ないその人が、東京の街が安全だと、特に防波堤や堤防やビルや地下鉄が安全だと、当たり前のように考えていることがわかってけっこう驚きました。

 津波なんかきたらお台場、東雲、豊洲あたりはひとたまりもないでしょうし、0m地帯と呼ばれているエリアも浸水するでしょうし、地下鉄にも水が入るでしょう。人工密度が高い時間帯だとかなりの混乱が生じるのではないでしょうか?
 災害に強いことを売りにしている、湾岸あたりの構想マンションも本当にそんなにうまくいくでしょうか?せっかくの億ションがあっという間に値下がりしてしまうかもしれません。

 ボクにとっては、家も今住んでいる場所も一時的なものだという認識があります。海と豊かな自然があって、ウォータースポーツができて、働く場があれば、まあどこでもいいやと思っています。
 ボクの祖父母や親戚などは、代々住んだ土地や地域があり、血縁があり、受け継いできた伝統があって、それを大切に、誇りとして生きているんですが、親くらいになると、それはだいぶ薄れていて「喰っていけるところで暮らせばいい」といっていました。
 ボクなどはそれを真に受けて、生きていければどこでもいいと考えています。
 違うのは、親が時代の変化の激しさや経済的に繁栄している場が変化する速さを念頭に置いているのに対し、ボクは、人間の活動の危うさや脆弱さを念頭に置いている点です。

 安全な場所で、永続的にしっかりした基盤を作って暮らすという発想は、少なくとも日本ではあまり現実的ではないような気がします。地震・台風・竜巻・突風・火山の噴火・崖崩れ・土石流・大雪・洪水・河川の氾濫・疫病の流行ということが、日本のどこかで数年単位で起きていますし、歴史を振り返ってみてもそうした自然災害は必ず起きていたのです。最近はそれに加えて、公害、廃棄物の最終処分場からの有害物質の漏洩、原発からの放射線漏洩、ゴルフ場の化学物質の流出、環境破壊といった人的災害も増えています。それに加えて、隣近所の騒音やゴミ屋敷みたいなことまでいれると、安全で平穏な暮らしを営むということはかなり難しい気がします。

 なので、とりあえず数年、安全な生活が営めればいいや、ヤバくなったらすぐに別の安全な場所で暮らそうと思っています。
 こんなボクの考えを知ったらご先祖様は嘆くでしょうかね?




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桟橋のある家に暮らしたいという憧れ



 最初に書きますが、この文章は特にぼくの偏見に満ちた意見がありますので、それはサラッと流して読んでいただけるとお互いハッピーなのではないかと思います。

 さてさて…
 セイリングやスキューバーダイビングの仲間と集まるとオジサンばかりなんですね。
 ぼくがそういう歳になったというのが一番の理由なんですが、もうひとつは、セイリングにしろ、スキューバーダイビングにしろ、ウインドサーフィンにしろ、やる人の人口が減っていて少子高齢化の波が押し寄せているというのも理由だと思います。
 20代~30代の人はしっかりしていて、車さえ買わないという人もけっこう見かけます。ましてやウォータースポーツなんて…という感じなのかな?って想像します。

 で、海遊び仲間のオジサンたちと飲んでると元気なのが、40代後半から50代くらいの人です。いわゆるバブル世代の人。
 この人達は遊ぶのに熱心ですね。

 そういう人達の話を聴くのはなかなか面白いものです。

 ぼくが好きな場所に三戸浜・油壺・諸磯があります。大学生の頃から馴染みがあって、それ以来よく行きます。
 いわゆる湘南の代表のようにいわれている茅ヶ崎とか藤沢よりも静かで落ち着いています。
 京急の三崎口からバスかタクシーか頑張って歩きというのも、学生が来なくて、落ち着いている理由かもしれません。
 海でも、山でも、秘湯でも、東京の遊び場でもそうですが、電車ですぐに行けるところの客層は、質が低いといわれているそうです。
 行くまでの手段が難しく価格が高いほど、来る人が限られてくるという理屈なんでしょうね。

 三戸浜・油壺・諸磯は、適度に田舎っぽくて、ノンビリしていて、いいなあと思います。
 茅ヶ崎から藤沢あたりは砂浜が広がって、平野で、明るくオープンな感じがしますが、それに対し三戸浜・油壺・諸磯は入江が連なって、山が海ギリギリまで迫っていて、陰影があり、湿度があるような、少し閉じた空間のような感じがします。
 その閉じた感が、ぼくの落ち着く感に繋がっているような気がしなくもありません。

 古くから文化人の別荘などがあり、おいしいレストランやベーカリーやマリーナも点在し、日々の暮らしは豊かな感じなのです。深く切れ込んだ入江の中は穏やかな海で天然の良港となっています。そのせいか昔からセイリングが盛んに行われています。
 いろいろな海を訪れて感じるのですが、セイリングやスキューバーダイビングやウインドサーフィンが盛んなエリアは、年齢層が比較的高めで、落ち着いていて、常識的で、暮らし向きもいい人達が多い気がします。
 一方サーフィンが盛んなエリアは、年齢層が若く、少しはしゃいでる感じがして、がさつでやんちゃな感じがします。

 ぼくは若いころ、藤沢の鵠沼、東海岸、外房の一宮に住んでいました。
 その頃はサーフィンを毎日のようにやっていましたね。
 住んでいる人も持ち家の人は比較的というか、かなり富裕な感じの人が多かったです。特に鵠沼と東海岸は…
 ですが賃貸の人(ぼくも含めて)にはいろいろな人がいて、中には定職を持っていなくて、サーフィンをやるためだけにその日暮らしをしている人もいました。
 そういうことが近所で起きるというのはあまりいい気がしないものです。
 サーフィンを本気でやろうとすると、いい波が来た日は仕事に行きたくないので、正社員でない仕事を選ぶようになる傾向があります。サーファーの中では、そういう本気サーファーを若干尊重する傾向がありまして、一方で、世田谷あたりに住んでいて、すごくメローな波のときだけ、メルセデスのステーションワゴンのキャリアにロングボードを積んでやってきて、パチャパチャとパドリングするサーファーは、なんちゃってサーファーとかオカサーファーなどと呼ばれて、こちらの人々は確実に蔑まれているのでした。

 それからこんな話もあります。
 夏になると観光客でごったがえしていました。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、鵠沼海岸駅というのは小田急でして、JRなどに比べると安く利用できるので、中高生や大学生が大勢来るのです。
 で、若いから仕方ないんですが、はしゃいで大騒ぎしたり、ゴミをポイ捨てしたり、喫煙したり、飲酒したり、ナンパしたりして、近隣住民の悩みの種だったわけです。どこの町内会でも毎年問題になっていました。

 ついでにこんな話もあります。
 駅にほど近い地元の方が駐車場を経営していたんですが、夏になると契約していないビジターが勝手に車を駐めてしまうということで、警察にたのんで、神奈川県警の文字の入ったカラーコーンを駐車場に置いて車が入れないようにしていたんですが、そのカラーコーンを踏みつぶして車を駐めた人がいたということです。で、その駐車場のオーナーはその車の持ち主を警察に連れて行こうとしたんですが、殴られて、通報したらもっとひどいことをすると脅されたそうです。そういうタチの悪い観光客も来るような土地柄になってしまっていたんですね。
 そういうタチの悪いというかスジの悪い人というのは、なんとなく集まる場所があるものでして、代官山よりも渋谷、広尾よりも六本木、吉祥寺よりも立川に不思議と居心地のよさを感じるらしいのです。
 そして海でいうと、藤沢、茅ヶ崎、片貝、東浪見、御宿、伊豆の白浜あたりに、そういう人達は集まります。
 一度そういう人達が居心地のいい雰囲気ができてしまうと、どんどんそういう人達が集まってきて、アッパーな人が離れていって、スラム化が進むのは、多くの町で見られている現象なのですね。

 このようにサーフィン活発エリアがなんとなく雰囲気が悪くて、セイリング活発エリアが雰囲気がよいということがいえるのでした。かなり荒っぽい考え方をしてますが…
 茅ヶ崎あたりに住んでいて、まっとうな人生を送っている方で、この文章を読んでムッとした方もいらっしゃるとは思いますが、そういう方は、一度大磯とか葉山とか秋谷とか油壺あたりに、住んだり、通ってみることをオススメしたいですね。静かで落ち着いていて暮らしやすいことがわかっていただけるような気がします。

 話がそれてしまいましたが、そんなこんなを見聞きするうちに、ぼくは引っ越したいなと思うようになったのでした。
 実際、その後、ぼくは三浦半島方面に引っ越してしまうのでした。

 それだけではなくて、ぼくも家庭を持ち、年齢を重ねたせいもあるんのでしょう。
 ぼくの海に対する好みは、サーフィン活発エリアからセイリング活発エリアに変わってきたような感じです。

 いつか雑誌で見たフロリダあたりの桟橋のある別荘地のような暮らし…
 そうでした。
 昔はアメリカ西海岸の南方の田舎っぽいサーフエリアに憧れていたのに、ぼくの憧れのイメージは東海岸のフロリダとかキーウエストあたりに変わりつつあるようなのです。

 入江の奥の山の斜面と海の間の狭いところに海際に家を建てて、山の斜面に庭と畑を持つ、家には桟橋がついていて、桟橋にヨットやボートを係留している。そんな雰囲気の土地で暮らしたいなあと思うようになりました。
 妄想をさらに続けると、ボートで近場のポイントに出て、スキューバーダイビングとフィッシング、家に帰ってきて風呂(できれば温泉)に入って、海に張り出したデッキでビールを飲む。
 夜は薪ストーブにあたりながら、海の夜景を眺めながら、ジャズを聴きながら、ウイスキーをすする。
 海が荒れている日は庭の手入れをする。
 畑でとれたベリーや裏山でとれたみかんでジャムを作る。
 みたいな、なんだか、田舎暮らしの雑誌に出てきそうな暮らしですが、そういうのをいいなあと感じるようになっていたんですね。
 
 そんなイメージに近いのは、ぼくの知っている範囲では、三浦半島の油壺・諸磯あたりと三重県の志摩のあたりです。ちょっと違うんですが近いのは、宮川湾、大磯、下田、西伊豆、伊豆高原あたりでしょうか。あとは行ったことないですけど、牛窓とかもそうかもしれません。もしかしたら長崎も地図を見ると入江があるから、ぼくの好みの地形かもしれません。いやいや瀬戸内海…

 海の近くって、桟橋があるくらいの海の近くって、実際住むといろいろたいへんだと思うんです。湿気はあるし、台風の時は潮をかぶるし、津波は心配だし、たぶんフナムシみたいなのも家に上がってくるだろうし…
 ただ、今の三浦半島の暮らしも似たようなデメリットはあって、ぼくはそれを楽しんでいるので、なんとかなるのではないかと思うのです。
 そして新しい土地での新しい暮らしへの思いは募っていくのでした。





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ウォータースポーツで危ない目に遭う度に自分の存在意義を考えるワタクシ




 この前数えたら、ぼくは海遊びを20年以上続けて来たんですね。大学生の頃からですから…あっという間にオジサンになっちゃいましたけど…
 で、数々の危ない目に遭ってきました。
 その度になんとか助かって、今こうして文章を書けているわけです。

 サーフィン、スキューバーダイビング、シーカヤック、セイリング、もちろんそれぞれにそれなりに危ないことがあって、それをなんとかしてきました。

 いつからか、そうした危ない状況-つまり自分の判断が間違うと自分が死んでしまう状況-に遭遇すると、「あっ、またやっちゃったな」とその危険度が直感的にわかるようになりました。

 もちろん事前に慎重に状況判断して、危なくなくすることが大前提ですし、基本的にそうしようといつも心掛けています。

 危ない状況だと判断すると、自分の中のモードが「緊急事態モード」に切り替わります。

 切り替わってからは、死なないことだけを最優先して行動するようになります。それは一例を挙げれば、ダイビング器材は最悪捨ててしまおうとか、よくわからない場所だけど、とにかく陸地にたどり着こうとか、そういうことです。平常時であれば余裕を持って海から上がって、要領よく片付けて、早くビールを飲もうということを予定していますが、そういう予定や計画など選択肢として捨ててしまうのです。
 これは書いてしまうと簡単なのですが、実際できるようになるのは、わりと高いハードルです。
 今だって毎回躊躇します。
 1台数十万円するシーカヤックを捨ててしまって、泳いで陸までたどり着いて、濡れた服でどうやって家に帰ろうなどと考えると判断が鈍ります。その度に自分が死なないことだけを考えようといいきかせます。

 そして海の状況(波、うねり、透明度、透視度、潮の流れ、干満のタイミングなど)、風(風速、風向)、天気(雨か晴れか雷の虞はないか)、自分の体力、自分の器材の状況(故障してないか、壊れてないか、スキューバーダイビングなら残圧があるか)、自分のいる位置(陸地まで何マイルか)などなどの情報が頭の中で駆け巡ります。
 そしてこれまでの経験も考慮して、自分が死なない最善の手順が頭の中にできあがります。
 この手順を判断するまでが、おそらくぼくが生きているうちで、一番頭が働いている時間だと思います。
 パニックになりそうな自分を抑えながら、努めて冷静に速く適切な判断をするのです。

 ここまでは、おそらく自然を相手に少し危険なスポーツをする方には共感いただけるのではないかと思います。

 さて、手順ができあがるまでは、昔も今も同じです。違っているのは行動部分なんですね。
 昔はすぐに行動していました。
 それが最近は手順ができた後で、ふと考えるんです。
「自分は本当に生きなくてはならないのだろうか?」と…
「死んでも別に構わないんじゃないか?」と…
「歳をとったオジサンなどいない方が世の中のためではないか?」と…
 ぼくが悩んでいるとか自殺願望があるとかそういうことではないです。

 おそらく、たぶん、なんとなく、自分が世の中でやらなければいけないことはたいていやってしまったんじゃないか?という気持ちがどこかにあるんじゃないんでしょうか。
「自分は本当に生きなくてはならないのだろうか?」という問いの後に、家族がいる、子供の教育費が…、仕事でもやりかけのことがある、キレイなオネエサンと仲良くなりたい(ウソです)などといった現実的な自分が必要とされる状況を思い浮かべて、「やはり自分は生きて還らなければならない」と判断し、行動し始めるのです。
 以前は生きて還ることは、無条件に本能的に善でした。やらなければならないことでした。考えるまでもないことでした。
 それがいつからか、本当にそうなのか?考えるようになったんです。

 こうした心持ちの変化がいいことなのか、悪いことなのか、またはもう自分は棺桶に片足突っ込んでいるのか、もう欲がなくなっているのか、そのあたりはよくわかりません。
 自分の心持ちの変化があったのは事実なんですけど…





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夏・夕陽・海の家・ビール・富士山・江の島




 相模湾に面した三浦半島西岸に住んでいます。
 西岸の良さというのは夕陽が見られること、悪いところは冬の西風が強いこと。大雑把にいうとそういうことになるような気がします。

 ぼくの住んでいるあたりでも夕陽がきれいです。
 時季によって違いますが、たいてい伊豆半島に日が沈みます。当然ですが富士山も見えます。そして江の島も見えます。
 夕陽、海、富士山、江の島の4点セットがなかなか美しいのですね。
 これは相模湾ならではの良さといえるのではないでしょうか。
 伊豆半島の西岸ですと、夕陽、海、富士山という3点セットなんですよね。これもいいものですが…

 夕陽の時刻になると犬の散歩がてら、ジョギングがてら、あるいは夕陽を見るために砂浜に来る人がいます。砂浜には誰が置いたのか古ぼけた椅子があって、そこにおじいさんが座って、缶ビールを飲みながら夕陽を眺めていたりします。
 ぼくも夕陽好きでして、海遊びが終わった後、しばらく砂浜に座って夕陽を眺めたりします。
 特にいいのは、夏でして、さんざん海で遊んだ後、海の家に入って、ビールを飲みながら夕陽を眺めることです。
 単純にシアワセだなと感じます。
 ビールが何本目かになる頃にはかなり暗くなって、伊豆半島の山際が微かに明るいというよりも紫っぽくなって、江の島の灯台の灯りが周期的にクルックルッっと辺りを照らします。
 今日も一日なんとか元気に暮らせて良かったなと思いながら、家に帰ります。





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KEENのYOGUIにハマってしまったワタクシ



 使っている人は多いと思いますが、海辺で濡れても構わないけどちゃんと歩けないといけない-ビーサンとかじゃダメ-な状況のとき、KEENのシューズはとても便利です。NEWPORTを初めて履いたのは10年以上前でしょうか。
 とても便利なんですが、一方でだんだん履かなくなったのも事実です。

 というのは水に濡れるときは、ぼくの場合、漁サンです。
 水の中に入ることがわかっているときは、スキューバーダイビング用のブーツです。
 濡れたくないときは、マリンブーツです。
 そしてラクに履きたくて濡れそうで濡れなさそうなときは、crocsです。
 そんなわけでKEENのNEWPORTを履くのは、海辺をハイキングするとか、夏に長い距離を歩くときになってしまいました。

 もちろん履き物としてのKEENは、履き心地がよく、滑らず、とてもいい物だと思います。
 ただ日常的にサンダルを履き、スーパーに行くのも、コンビニに行くのも、ちょっと電車に乗って横浜あたりまで行くのもビーサンかcrocsのぼくにとっては、KEENのNEWPORTでさえ煩わしくなってしまったのです。

 そんなぼくが考えたのが、KEENのサンダルを使うことです。一度店でKEENのYOGUIを試し履きしたことがあって、そのフィット感には好感を持っていました。
 YOGUIならやたらめったら履きそうな気がするので、思い切って買いました。

 サンダルで7000円は高いですね。crocsだと3000円くらいですから…
 でも履き心地はバッチリです、船のデッキや港のスロープでも滑りません。
 crocsよりも甲の上の方までカバーされるので、ホールド感があります。
 踏ん張るのも大丈夫。

 サンダルにも個性があって、いろいろ履いて見るもんですね。







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佐島や秋谷あたりの海から突き出ている棒の意味について若干の考察




 佐島や秋谷や小和田湾辺りの海に鉄の棒が立っています。
 突然という感じで、ところどころ何本か。
 直径50cm~80cmくらいで、海面からの高さが2mくらいでしょうか?
 黒く見えます。これはたぶん錆びているからです。

 自分でも恥ずかしいんですが、今までその意味がわかりませんでした。
 何のための棒かな?と考えなかったわけではないんです。
 海底のガスを抜く管かな?とか、船を係留するための棒かな?とか、漁業エリアを示す標識かな?とか、養殖棚を設置するための道具かな?とか、いろいろ考えました。ぼくも世界中の海に行っていますが、このエリアでしか見たことがないんです。

 で、先日シーカヤックで漕いで、何本かの棒を見て回ったんですね。すごくヒマ人ですね、我ながらそう思います…

 それで、やっと理由がわかりました。と、ぼくは思っていますけど、違っているかもしれません。
 あれは海が浅いことを船にわかるようにする目印なんですね。たぶん。
 すべての棒が隠れ根っぽい岩に立っていますので、おそらくそうだと思います。
 灯台のような役割を果たしているんでしょう。

 それで思うんですが、そのエリアと似たような地形というのは日本中にあるわけです。
 三浦半島に限っても似たような地形は珍しくありません。岬があって、入江があって、岩礁地帯で、だからところどころ隠れ根がある地形。
 葉山の名島や芝崎もそうですし、三戸浜あたりもそうですし、まあ挙げたらキリがありません。でも、あんな棒は立ってません。
 なぜあのエリアだけ棒を立てたのか?
 推測ですが、あのエリアは漁業が盛んです。
 もう少しいうと三浦半島では有数の漁協が強いエリアです。
 で、横須賀市というのは三浦半島でも公共工事が好きな自治体です。
 こうしたことが理由ではないか?と思います。

 もちろんあのエリアは漁港やマリーナや自衛隊の基地があり、やたらめったら船が行き来します。定置網も多いし、セイリングのブイも浮いてるし、遊漁船も停まっているわけです。笠島のあたりは自然保護エリアで船舶の進入は禁止されています。
 そんなわけであのエリアを航行するのはわりと神経を使うのですが、そんな海域は他にもたくさんありますから、決定的な理由ではないと思います。
 やはり勝手な想像ですが、漁協のおっちゃんたちが漁から帰ってきて大五郎のお湯割なんか飲みながら…
「ったくよう、こないだもよう、あそこの隠れ根に、ヨットが座礁しやがってよ。オレたち、漁が終わったばっかだってのに、救助にかり出されたじゃねえか」
「そうだよ。ったく。あれで今年に入って3回目だべ。シーマンシップだかなんだけ知らねえけど、遊びで事故ってるヤツの尻ぬぐいなんかやりたかねえての」
「んだよ。でもよ、放っておくと、海上保安庁の手前バツが悪いべ。だから、オレっち、ほら芦名の土木屋の健ちゃんに話したわけ。そうしたら健ちゃんさ、市に漁協から請願書だせっていうわけ」
「ふーん」
「んで、健ちゃんがいうには、市の予算でさあ、あの辺りの浅瀬に目印を立てさせろっていうんだな。その仕事は健ちゃんとこの会社が得意だから、すぐにやってやるてんだよ」
「おお。いいじゃねえか。そうしたらオレたちもいちいち救助にかり出されなくてもいいしよ」
「だろ」
「そうしたら青年部の矢崎に請願書書かせて、組合長に持ってってもうらうべ」
「おうそうしよう。んじゃ話がまとまったから、スナック愛子で祝杯といくか」
と、まあこんな会話の末に請願書が出され、健ちゃんは地元議員の後援会長も努めていて、議員の強力なプッシュがあり、横須賀市も海上での安全確保を無視できず、今年度予算から8千万円の支出が決定された、というようなことがあってもおかしくはないのではないかと思うわけであります。
 かなり一方的な妄想混じりの決めつけですが、こういうことがあってもおかしくないのではないか、日本の地方の海ではこんな感じで港や灯台が作られているんではないのか、と想像してしまうんですね。

 というわけで、今回のまとめとしては、えーっとなんだっけ?




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