海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海はリアルに体験しないとね
リア充という言葉が一時期使われてましたね。
ぼくには意味がよくわかりませんけど…たぶん勝手に想像すると、ネットの世界を中心に活動している人達に対比して、普通に?生活しているけどネットも使うみたいな人達のことをいうんだろうかなあーなんて思っています。そういう人達はネットだけでなくリアルな生活も充実していると…違うかなあ?
ネットでいろいろなことができて、ぼく自身買い物とか調べ物とかやたらネットを使います。ちょっと検索してクリックすれば、いろいろできるって便利です。
行きたい海を調べるのもネットで調べたりします。
ただ行ってみないとわからないというのが海のおもしろさですね。
海のでかさを感じて、光の強さに目を細め、湿気を含んだ潮風を肌に感じる。それがシアワセです。
海のでかさを感じて、光の強さに目を細め、湿気を含んだ潮風を肌に感じる。それがシアワセです。
以前から感じているんですが、ネットやテレビという画面を通した情報というのは、やっぱり平面的で情報量が圧倒的に少ないですね。しかもネットの情報は、よくいわれますが、玉石混淆です。
ネットで海の画像とか見てもフラストレーションが溜まるだけですが、実際の海に行けば気分がスッキリします。
これに似たことって、多かれ少なかれみなさん体験されたことがあるのではないでしょうか…
たぶんおそらくですが、バーチャルリアリティ(VR)がすごく高度になっても現実を再現するのは難しいんじゃないでしょうか。
海でいえば、潮騒がありますし、潮の香りがありますし、風景の広がりがあります。太陽の光を肌で浴び、潮風の湿り気を肌で感じます。
そういう諸々が、海に遊びに来て「やっぱり海っていいなあ」という気持ちに繋がっているんだろうと思うんです。
そういうのってやっぱり仮想と現実では隔たりが、どこまでもあるんじゃないかと思ったりします。
ただ、あんまりこむつかしいことを考えるとめんどくさくなるので、やめて、泡盛飲んで、三線ひいて、踊りましょう、テケテケ…
そういうのってやっぱり仮想と現実では隔たりが、どこまでもあるんじゃないかと思ったりします。
ただ、あんまりこむつかしいことを考えるとめんどくさくなるので、やめて、泡盛飲んで、三線ひいて、踊りましょう、テケテケ…
この極私的ブログを読んでくださっている奇特な方は、たいてい海好きでリアルに充実した海辺生活を営まれていると想像しますが、もし万が一、海に行ったことがなくて、ネットだけで海の情報に触れているような方がいらっしゃったら、それはもう、そういうのってやめた方がいいんじゃないかと思います。かえってフラストレーションが溜まるだけでしょうから…
今度の休日に海に来てください。
そして海辺の空気を思い切り吸い込んでください。そして、五感を総動員して海を感じてください。
たぶん海はそんなあなたに数え切れない把握不可能なくらい多くの情報を与えてくれるんじゃないでしょうか…
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風が流れている場所へ~海辺・潮風・生きていくこと~
ぼくが幸せを感じる状況は、ウォータースポーツをし終わって、砂浜で夕陽を見ながら潮風に吹かれているときです。
流れる風を肌に感じ、その中に身を置いていると不思議と安心するようなのです。
格好つけるワケじゃなくて、本当に、海を前にお外でボーっとしているのが好きです。
格好つけるワケじゃなくて、本当に、海を前にお外でボーっとしているのが好きです。
都会のビルだと窓がはめ殺しになっていて、全館空調というのが今は当たり前ですね。この窓が開かないというのは、ぼくにとってはかなりツライというか、息苦しいというか、すごく不自然な感じがする状況です。
というか、もうちょっと本音をいうと頭がおかしくなりそうなくらい閉塞感を感じるのです。
全館空調だと、すべて中央のコントロールで外気の導入割合とか、温度設定とか細やかにやって省エネで、1年中快適ですよ、飛び降り自殺の心配もなくて安全ですしね、というのが設計会社・ゼネコン・空調設備会社側の言い分だと思うんですが、ぼくの実感ではそんなことはありません。たとえ全館空調であっても、陽が当たる側と廊下側だと温度が違って、そこまで細やかに空調のコントロールができている建物って経験したことがありません。全館空調の建物は冬は暑すぎて、夏は寒すぎるというのがぼくの全般的な感想です。それにダクトだって機械だって汚れたりホコリが溜まったりするでしょうし、導入する外気だって都会の空気をどこから吸っているかによって清浄さの度合いは違うでしょう。いくらフィルターで綺麗にするといっても、そのフィルターをどの程度いい物を使っているかわかりません。
何がいいたいかというと、全館空調ってそもそも不自然だし、綺麗な外気を窓を開けっ放しにして、風が通るようにするのが一番だということです。
そうすればホコリだって抜けていくし、カビだって生えないし、結露もしないし…
頼むからそういう建物建てないで欲しいけど、ぼくの頼みなんか誰も関心ないでしょうから、ぼくの方からゴメンだい!
さらにさらに問題なのは外気がそこまで綺麗か?ということですが、これはかなり深刻な問題です。ぼくは外気が綺麗なところに移住します。
さらにさらに問題なのは外気がそこまで綺麗か?ということですが、これはかなり深刻な問題です。ぼくは外気が綺麗なところに移住します。
我が家は年中エアコンはつけません。夏も外気と扇風機です。それでなんとか過ごせます。汗をかきますが、日に何度かシャワーを浴びて着替えます。逆に夏にエアコンの効いた部屋に1日中いると体調が悪くなります。たぶん汗をかかないからだと思います。
冬はさすがに窓は閉めていますが、日中の暖かい時間は窓を開けます。それに換気扇やシーリングファンがどこかで必ず回っていますから、空気が流れている感じがあります。たぶん省エネという点では良くないでしょうが、それよりも新鮮な外気で家中を満たして、それを呼吸する方が大切だと思うんです。気分が落ち着きます。
風が通って、空気が流れている感じが心地よさを生むのかなって思います。
沖縄の離島に遊びに行って、そいで、夕方、民宿の縁側で扇風機にあたってたりするととても幸せです。眼下に海が見渡せたりしてね。海風が吹いてきて、オリオンビールなんか飲んじゃったりして…いいなあ、そういうの。
沖縄の離島に遊びに行って、そいで、夕方、民宿の縁側で扇風機にあたってたりするととても幸せです。眼下に海が見渡せたりしてね。海風が吹いてきて、オリオンビールなんか飲んじゃったりして…いいなあ、そういうの。
おそらくこういう生活って都会では難しいかもしれません。都会は外気自体が排気熱やヒートアイランド現象で暑くなっていますし、近隣への騒音にも気を配らないといけません。
なので、やはり長い目で見ると、自分はそういう場所に住んではいけないんだろうな、と思います。そういうところに住んでいるとストレスが澱のように溜まって、結果としていいことは起きないだろうなという直感があります。
そういう場合は、自分が快適に暮らせる土地に移り住むのがいいのでしょう。
すべての人が自由に住まいを選べるわけではないでしょう。職があるかが大切ですし、それに地縁・血縁というのがあります。お墓や先祖の土地を大切にすることも重要です。
でも、やはり人は生き延びるのが大切で、外部環境が変化する以上、それに合わせて生きられる土地へ移っていくというのも、生き残りの大切な選択なのではないでしょうか?
話がだいぶ大きくなり、そして逸れましたが、ぼくは空気が動いて風が抜けている場所が好きです。
シーカヤックで数泊の旅に出ますが、1日中外にいて、食事も外、テントも風の動きを感じられる、そんな時間を過ごすことができるとぼくはとても幸せなのです。
年に1度か2度くらいですがおよそ1週間くらいの海旅に出ます。スキューバーダイビングかシーカヤックをするんですが、1週間くらい南の海辺にいると、自分の中の毒が抜けて、さっきいったような澱のようなものが身体の外へ流れていく気がします。まあそんな気がするだけのことですが…でも、それでも日々自分がどれほど自分にタガをはめて暮らしているか自覚させられます。
伊豆海洋公園 静岡県伊東市富戸 ☆
伊豆海洋公園 静岡県伊東市富戸841-1
【コメント】
伊豆海洋公園はIOP(Izu Ocean Park)とも呼ばれ、ダイバーなら知らない人はいないという、東日本のダイビングの有名な場所でございます。日本でスキューバーダイビングが始まった頃の中心的な場所でしたそうな。
スキューバーダイビングの中心的な場所になったのは、益田一(故人)さんという方が伊豆海洋公園に伊豆海洋公園ダイビングセンターを設置し、スキューバーダイビングの講習を行ったためです。
今でも60代のダイバーに話を聴くと、たいていIOPでオープンウォーターのCカードを取った話が出てきます。
その頃はスキューバーダイビングという言葉が一般的ではなくアクアラングというブランド名で呼ばれることがあったようです。ああ懐かしい。なんて思う方は、だいぶお歳の方ですね。
ファッション関係者にとって中心的な場所が表参道や原宿エリアであったり、往年の六本木の知識人の溜まり場がキャンティであったりするように、ダイバーにとっての中心的な場所が伊豆海洋公園だったりするようです。自信がありませんが…
日本にスキューバーダイビングが入ってきた時代の玄関口的な伊豆海洋公園だったわけですが、東京から近い伊豆という場所で、西伊豆の大瀬崎と並んで、今でもダイバーの定番ポイントであり続けるのは、やはり地形と魚影の濃さのためではないかと思います。
日本にスキューバーダイビングが入ってきた時代の玄関口的な伊豆海洋公園だったわけですが、東京から近い伊豆という場所で、西伊豆の大瀬崎と並んで、今でもダイバーの定番ポイントであり続けるのは、やはり地形と魚影の濃さのためではないかと思います。
伊豆海洋公園内には他にも伊豆四季の花公園があり「城ヶ崎みはらしガーデン」と「城ヶ崎シーサイドガーデン」があります。ちょっと行けば、城ヶ崎海岸、吊り橋、門脇灯台、ぼら納屋があります。この一帯は、大室山噴火の溶岩が流れたところで、溶岩による海岸線が特徴的です。
伊豆海洋公園は、伊豆急伊豆高原駅からほど近く、川奈があり、富戸があり、周辺には多くの別荘分譲地やリゾートホテルがあります。そんな環境で、この周辺にはリゾートっぽい雰囲気が漂っていると、もっぱらの評判だそうです。知らんけど…
大学生の頃からスキューバーダイビングを始め、東京駅から伊豆高原駅まで電車で来ていたぼくは、何百回(うーん、たしか百回は超えていると思うんですけど…数えるのめんどくさいやい)と東京とこの付近を往復したので、今でもこの辺りに行くととても懐かしい気持ちになります。
熱海や伊東が温泉地として、ちょっと古くさい、俗なイメージになってしまったのに比べ、伊豆高原周辺はまだリゾートっぽい雰囲気を保っています。
ただですねえ、田舎っぽい海辺が好きなぼくとしては、リゾートホテルが建ち並び、なんちゃら美術館(あれは会社がやっているんでしょうか?個人がやっているんでしょうか?公的機関がやっているんでしょうか?)が乱立し、ロードサイド型チェーン店が軒を連ねるようになってしまったこの辺りは、少し開発されすぎた感じがして、古き良き昔のノンビリとした伊豆高原を思い出しつつ、通り過ぎることが多くなってきたのでした。
【評価】
■水の美しさ ☆
■砂浜の美しさ 砂浜はありません
■景色 ☆
■アクティビティ スキューバーダイビング、プール
■自然の豊かさ ☆
■ノンビリ度 ☆
■トイレ 有
■駐車場 有 有料
■総合評価 ☆
ストレスになるルール、ならないルール ~海は広いな大きいな~
以前にも海はルールがないから(あるいは少ないから)自由で好きだ、というようなことを書きました。と、のっけから見て欲しいアピールをしてしまいます。
都会や職場に比べると、確かに海は、より自由で、だからこそストレスが少ないといえるような気がします。そのことをあれからなんとなく考えてきて、ひとつ思いついたことがあるので書き留めたいと思います。
海にもルールがありますが、町で暮らすルールに比べれば少ないですし、より自由だ!というのがぼくの実感です。
気にすることが少ない状態を、「自由だ」と表現するのではないかと、最近のぼくは考えます。ということは今の世の中では、自由は絶対的な状態ではなくて、「より自由」とか「昔より自由」といった程度の状態を表すのではないかな、そんな気がするな、どうかな、違うかも知れないけど…と思ったりします。
そしてルールが少なければ少ないほど、より自由であればあるほど、生きていく上でのストレスは少ないんではないだろうか?違いますか?ねえ、そう思わない?というのが、ぼくのいいたいことなわけです。
気にすることが少ない状態を、「自由だ」と表現するのではないかと、最近のぼくは考えます。ということは今の世の中では、自由は絶対的な状態ではなくて、「より自由」とか「昔より自由」といった程度の状態を表すのではないかな、そんな気がするな、どうかな、違うかも知れないけど…と思ったりします。
そしてルールが少なければ少ないほど、より自由であればあるほど、生きていく上でのストレスは少ないんではないだろうか?違いますか?ねえ、そう思わない?というのが、ぼくのいいたいことなわけです。
で、さらに最近は、そのルールってヤツにも内容があるんじゃないの?というようなことを考えていたりするのです。
ぼくが思春期の頃はヤンキー(今となっては懐かしい言葉ですねえ)というか不良というのが社会現象になっていました。校舎の窓ガラスを割ったり、校庭に他の学校の不良がバイクで入ってきたりということもありました。尾崎豊の歌詞そのまんまです。
この不良達はルールを守ることに対しても反発していたんですが、このルールというのは、靴下は白で、10cmくらいで、三つ折りにすること、とか髪の毛は黒で、パーマは禁止とか、そういうまあどうでもいいようなルールでした。確かに不良でなくてもみんなバカバカしいと思っていましたが、逆らうのも面倒くさいので、なんとなく言うことを聞いていたというのが、その頃のクラスのみんなの総合的な思いであったような気がします。そりゃもうぼくだってそんなルールうっとうしかったです。
だから学校というのは、友達と遊ぶ以外は楽しいものではなくて、なんだか四六時中窮屈な感じがするところなのでした。
そして社会に出ると、学校とは別にいろいろなルールや法律があり、中にはとても大切な法律とザル法というようなあってもなくても誰も困らないような法律もあったりします。
大学の授業で六法全書を買わされましたが(ここでも受け身の表現)、「世の中に主だった法律でもこんなに数があるんだー。誰が作ったの?誰が守るの?たいがいにしといたらええんちゃうん?」とため息が出たものでした。
たとえば人を殺してはいけないという法律は、道徳的にも宗教的にも人の歴史からいっても社会で多くの人々が最大公約数的に求めるもので、法律としての「太さ」「強さ」があります。
一方で青年向けの書籍を販売してはいけないという条例がある都市がありますが、これは人間が、特に男性が強く性的衝動を持っていることとを、本性と認識するのならば、現実離れしたやや理想的な条例といわざるを得ないでしょう。そういう意味では、法律として「細く」て「弱い」ように思います。
法律までいかないルールやマナーとなるともっと細かくなって、たとえば朝の電車の何両目は女性車両とか、携帯電話はマナーモードにするか電源を切るとかそういうこといわれちゃうと、ぼくなんか、もうグッタリして、それだけで東南アジアのどこかの国に移住したくなります。
とか書いているうちに気がついちゃったんですけど、法律とかルールには、危険を防止するためにあるものと、社会を成り立たせるためにあるもがあるみたいです。
で、不良が反発したり、ぼくがグッタリするのは、社会を成り立たせるための法律とかルールの方で、これは結局、われわれのひいじたんとか、じいちゃんとかオヤジあたりの世代が作ったもので、ぼくは全然賛成してないのに、その法律が運用されているわけです。だから今ある法律をもう一度国会で審議しなおしてくれるなら、かなり真剣に選挙に行くと思いますが、昔できた法律を、世代を超えて、再審議もなく当然のように守らなければならないのは、それは法学的に正しいんでしょうか?
それから社会を成り立たせるためのルールというのは「太く」て「強い」ものは、まあたいていみんな賛成でしょうけど、「細く」て「弱い」ものは賛否両論があっただろうけど、法律として成立してしまったものもあるはずで、その場合、反対意見の人は、法治国家だから従いますけど、日常生活的な実感としては守りたくないわけです。
その主に2点に不良が窓ガラスを割って反発する原因とぼくがグッタリしたあげく海へエスケープする原因が隠されているような気がしてますが、だいたいここまで読んでくださっている方というのはいらっしゃるのでしょうか?
読んでくださっている方はたいへん奇特な方といってもよく、きっといいことがあるでしょう。ラッキーカラーはオレンジ。
いや、読んでくれなくてもいいんだい。どんどん書いちゃおう。
で、海遊びをするうえで関係する法律やルールというのは、たいがい命を守るためのものです。その意味も納得できますし、守らなければ自分が危険な目に遭うので、守るわけです。そういうルールはそんなにストレスを生まないんじゃないかなーと思いますが、どうでしょうか?というか逆に「ああそんな法律があって命が助かった。ありがとう」となるんではないでしょうか。というか法律とかルールというのは本来そういうものばかりでなければならないんではないのか、と考える今日この頃です。みなさんいかがお過ごしでしょうか?黒柳徹子です。
ぼくは、というか自然を相手に何かすることが好きな人は、社会で何かすることにストレスを感じる人が比較的多い気がします。だから自然という場所だと生き生きするという方もいるんではないでしょうか。で、その根っこの辺りにあるのは…
自然を相手にして生きる=死なないで生きればok
社会でうまくやる=人間関係的にうまくやらなければいけない
ということで、さっきのルールとか法律の話でいえば…
自然を相手にして生きる=命を守るルールを守る
社会でうまくやる=社会を成り立たせるためのルールを守る
ということになるのだろうと思います。
そいでね、あたしそれぞれに適応できる人とそうでない人がいるだろうと思うのね。で、だんだん考えるの面倒くさくなってきたので、まとめていってしまうと、ぼくは海にいるとすごくリラックスしてストレスが少なくて楽しく過ごせるので、これ以上海に関するルールとか法律とか作らないでください、ということなのです。

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海辺に住んでいると休みの日に遠くに出かける気がしなくなる…かなー?
会社の同僚とかで、都市部、あるいは都市近郊に住んでいる人に、「海辺の田舎暮らしっていいね、うらやましいね」っていわれます。
あの、大人ですから、この言葉の真意は人によってニュアンスがいろいろで、イヤミ80%くらいの揶揄、時候の挨拶程度、話題がないから、昨日テレビで田舎暮らしをやっていて「ちょっといいなあ」と思った、わりと田舎暮らしに憧れている、マジで海が好きで、海辺の田舎に移住することを検討している、などなどに分けられるかなあと思います。
ああ、大人ってめんどくせえ。って思ってもそれが世間というもの、そんなものです。
ぼくも社会人を長年やっているオジサンなので、相手の真意をくみ取りつつ、適切な返しを、随時うまいことやるわけです。
で、わりと田舎暮らしに憧れているとか、マジで海が好きという、同好の士のニオイがする人だった場合、こちらもちゃんと答えるようにしています。
そうすると先方もだいたい興味があるわけですから、質問が続いていくわけで、そうすると話が盛り上がるという、「話が盛り上がる法則その1」が成り立つわけでございますね。
そうするとだんだんディープな質問になっていきます。まあよくあるケースとしてはこんな感じでしょうか。
→海辺に住んでるんですね。いいなあ。
→どのあたりですか?
→あの辺って砂浜が多いですけど、マリンスポーツとかやるんですか?
→サーフィンってアサイチとかやります?
→ロングですか?ショートですか?SUPとかもやりますか?
→やっぱ土日って、道、混みます?
→暮らしてて大変なこととかあります?
→いいなあ、自分も引っ越したいなあ。
→家賃とかの相場ってどれくらいですか?
→東京までどれくらいかかります?
そんな感じです。
海好きな人に海辺の暮らしを訊かれたときにぼくが必ず答えることがあります。
それは…
→海辺の田舎は、住民が優しいというかノンビリ、おっとりしている。
→こだわりを持った人が住んでいておもしろい。
→海まで徒歩で5分以内じゃないと、だんだん海に行かなくなる。
→毎日海が見られるのはやっぱりいい。
→海のコンディションがいいときとか、すぐに海に出られるのがいい。
→休みの日に寝坊してからでも海に行けるのがいい。
→雨の日の海もアンニュイでグルーミーでステキ。
→渋滞はするときもあるけど、時間を選んだり、抜け道をすればまあ大丈夫。
→スーパーやドラッグストアやコンビニがあるし、通販もあるから、買い物関係は、そんなに不便じゃない。
→自然が多い場所は、虫とかもやっぱり出る。
→自転車は錆びる。
→エアコンの室外機も錆びる。
→物干し竿とかもとにかく錆びる。
→土日とか長期の休みとか、旅行に出かける気がしなくなる(自分の家で十分楽しい)。
→家庭菜園とかガーデニングとかDIYとか好きな人は、近所にたいてい詳しい人がいるから、いろいろ教えてもらえる。
まあ、そんな感じで何十年も海辺に住んでいると、日常会話のパターンというかマニュアルみたいなものは、まあなんとなくできてきてしまうのでした。
なかでも、歳をとって特に強くなってきたのは、土日とか長期の休みとか、旅行に出かける気がしなくなる、ということです。出かけるパワーが若い頃ほど強くなくなるというのもあるんでしょう。
わざわざ混雑しているリゾートに、混雑している乗り物とかで何時間もかけて移動するのはかったるいし、よく考えたら自分の家もリゾートじゃん、ということなのです。
それよりも、朝は砂浜を散歩して、朝ご飯は近所のパン屋さんでおいしいパンを食べて、日中は海遊びして、昼ご飯は砂浜でテーブルとチェアを出して、波音を聴きながら食べて、家に帰ったらゆっくり風呂に入って、夕食は新鮮な魚貝類を使った凝ったものを作って、夕陽を眺めながら晩酌した方が楽しいじゃんじゃん、という風に考えてしまうようになったのです。
年寄りくさいといえばそうもいえるかもしれません。いやいや物事はポジティブに考えた方がいいって、アメリカ人がいっていたような気がしますので、スローライフというか、LOHASというか、ノンビリした海辺の田舎暮らしというか、すてきなナチュラルライフというか、トータルに女性雑誌的なおっしゃれーなイメージでまとめてみたいものです。
最近、海でzhikをよく見ますね
主にセイリング関係の人が使っているようです。調べてみるとオーストラリア発祥のブランドみたいですね。数年前から葉山のSAILFAST(セイルファスト)というお店が扱っているのは知っていましたが、これほど普及するとは予想していませんでした。
マリンウェアのブランドは流行廃りが激しいように思いますが、ここ数年、定番中の定番であるHELLY HANSENが商品のラインナップを街着のオシャレ路線に振ったせいか、ディープで本気でウォータースポーツをやっている人は、実用的でタフなブランドに流れた傾向があるような気がします。
その流れの中でZhikも台頭してきたのかもしれません。
ひとつで4役?で便利なFourPlay Paddle Float
シーカヤック仲間の様子を見ていると、シーカヤックやカヌーなんかの大物をカートップに積む手法は、人それぞれ工夫があるようです。車種にもよるし、どの程度の艇を積むかにもよりますね。
サーフボードをカートップに積むときとの違いは、その重さと大きさでしょう。サーフボードだとロングでもそんなに大変ではありません。
それがシーカヤックだと軽いものでも20kg以上、長さはだいたい4m以上です。
ぼくはシーカヤックを積むことを考えて、1boxみたいな背の高い車は乗ってきませんでした。人や荷物の積載能力や車中泊のことを考えるとその手の車は魅力的ですが、あの高さにシーカヤックを持ち上げるのって結構手間だなーと思い、ステーションワゴンタイプの車を選んできました。
実際知り合いで1boxタイプの車にシーカヤックを積む人はそれぞれ工夫をしています。ラダーをつけて、カートップに登れるようにするとか、シーカヤックをリフトアップするための滑車のついたオプションを付けるとか、まあいろいろやっていらっしゃるようです。
ぼくのシーカヤックを積むときのカーキャリア関係の思いは以前にもかきました。
我が家はステーションワゴンなので、THULEのカーキャリアに横に少し伸びるバーのオプションをつけて、それに引っかけるようにしてシーカヤックをキャリアに載せます。
なくても、まあ積めるんですが、やっぱりあると楽なのと、シーカヤックを持ったときにつるんと滑って落とすのを防ぐために、一度引っかけるようになりました。
以前濡れたシーカヤックを積もうとしたときに手が滑ってしまい、車にあたり地面に落ちることがありました。シーカヤックも車も傷ついてしまったのです。
ぼくは車のちょっとした傷は気にしないんですが、凹んで修理が必要なダメージはさすがにイヤです。
で、その後、さらに考えて、ウェットスーツの生地を1m×1m買ってきて、シーカヤックを積むときには車のルーフからサイドにかけるようにしました。この生地は、ちょっと濡れた状態で、運転席に座るときにシートに敷くのにも使っていて、まあ安くてかさばらない割りに重宝しています。
そのシートがヘタってきたので、FourPlay Paddle Floatというのを買いました。
これが使ってみるとなかなか便利でして、カヤックをカートップに積むときのシートにもなるし、パドルフロートにもなるし、クレイジークリーク的な座椅子にもなるし、テント泊のときのマットレスにもなるというモノなんです。値段は少し高いですが、まあそれに見合った機能だと思います。
海遊びのいいのはヘンな人に会わないこと
この間、電車に乗って東京に行く用があったんですが、刺青というかタトゥーといって欲しいんだろうけどやっぱり刺青だよなと思うんですけど、刺青を入れたオニイチャンが車内のある人をジッと見つめたまま、ブツブツ独り言をいっていました。瞳孔も開いていたんで、ぼくは車両を移りました。
で、恵比寿に用があったんですが、20代前半くらいの女の子4人が駅の構内を横に広がってゆっくりノンビリLOHASな感じで歩いていて、後ろから来たサラリーマンっぽいお兄さんに怒鳴られていました。
で、用が終わってスタバで休憩しようと席に着いて、コーヒーの香りなどを楽しんでいたら、隣の席の2人連れの話が聞こえてきてしまいました。なんだか1人が宗教の人らしく、もう一人の人を勧誘しようとしているらしい感じでした。
たった半日ほど久しぶりに都会に行ったら、かなり濃い光景が目に飛び込んできて、海辺の我が家に帰ったらドッと疲れて、ビールを飲んで、寝てしまいましたとさ。めでたしめでたし。
って、めでたく終わっている場合じゃありません。
東京っていろんな人がいて、お金持ちも貧乏人も、著名人も凡人も、常識的な人も非常識な人も、東京生まれ東京育ちの人も田舎から来た人も、本当にいろいろな人がいます。まあ、さしずめ人間のワンダーランドやなー、と思ったりするわけです。
しかもそれぞれの人が気を張って生きている感じがして、それがボケーっと歩いているぼくにも伝わってきて疲れるんですね。
ぼくもオジサンになりました。怠慢かも知れませんが、あんまり疲れることはしたくないんです。
若い頃はいろいろな人からいろいろ吸収しようと思っていました。中にはどうしても好きになれない価値観の人もいましたが、無理して合わせていました。
自分の価値観という殻に閉じ籠もっちゃ成長しない!頑張ろう!って思っていたんです。ああ青春!
ぼくもオジサンになりました。怠慢かも知れませんが、あんまり疲れることはしたくないんです。
若い頃はいろいろな人からいろいろ吸収しようと思っていました。中にはどうしても好きになれない価値観の人もいましたが、無理して合わせていました。
自分の価値観という殻に閉じ籠もっちゃ成長しない!頑張ろう!って思っていたんです。ああ青春!
です、いい歳になってからは、無理してまで価値観の合わない人と付き合わないようにしようと思っています。
仕事なんかで一緒に行動しなきゃいけなときはしょーがないですが、それも最低限でいいやと思っています。
このあたりの感じは人生の折り返し点を過ぎて、残りの人生を数えることができるようなお年頃になると、わかっていただけるのではないかなーと思います。
このあたりの感じは人生の折り返し点を過ぎて、残りの人生を数えることができるようなお年頃になると、わかっていただけるのではないかなーと思います。
数年前、下流社会とか日本人は階層が2極化しているなんて話がありました。
それを思い出しながら、この間の東京での出来事とかがノーリに浮かびつつ、自分のまわりの人々を眺めていると、興味関心とか暮らし向きとかで、いくつかの層が何層にもあるような気がします。あるいはいろいろな塊がたくさんあるといってもいいかもしれません。
海辺に住んで、海遊びをしていると、長年付き合っている仲間はだいたい似たような価値観の人になってきます。これは発展性がなくて凝り固まっているといえばそうですが、そうやって暮らしているぼくとしてはとても心地いいものです。
だいたい海遊びを長年続けている人というのは、やはり一定の範囲内の価値観の人ですし、ましてや流行っているわけでもないスキューバーダイビングとかシーカヤックとかセイリングをわざわざやっている人というのも、一定の範囲内の価値観の人です。
それからコンスタントにそれらのウォータースポーツを続けている人というのは生活が安定している人でもあります。
類は友を呼んだりして、同好の士は似たようなところに集まるようです。
ザックリまとめてしまうと、そういう付き合いのいい点は「ヘンな人に合わなくていい」ところです。
たとえばこういうことがありました。
以前知り合いが、海辺の我が家に遊びに来ました。「家から海が見えるなんていいね。一度行ってみたい」ということで遊びに来ました。まあ我が家に遊びに来ると、だいたいウォータースポーツがオマケでついてくるわけですが、「シーカヤックとかサーフィンとかやる?」と訊いたら「危ないじゃん。サメとか出たらどうするの?」だそうで、砂浜を散歩することにしました。そうしたら「○○で買った靴が砂まみれになっちゃった。家に戻ろう。あーあ高い靴だったのに」とのこと。我が家は森の中に建っているので、鳥や蝉の声がします。しかも我が家はエアコン嫌いなので、窓を開け放してあります。一応網戸はあります。そうしたら「なんか蝉とかうるさいね」だそうです。
こういうこともありました。
職場の仲間に連れられて異業種交流会なるものに参加したことがあります。やたら名刺交換して、話をしていると、ビッグデータとかIoTとか「○○さん(有名な経営者らしい)が融資の時に口をきいてくれて…」とか「××の経営戦略は…」とかそういう話で、よくわからないし、興味もないし、ぜんぜん面白くなかったのです。
そういえばこういうこともありました。
近所の友達の住んでいる家に遊びに行ったときのことです。その家の隣の敷地が古いアパートになっていて、古いからか賃料があまり高くないそうです。そのためか知りませんが、ある部屋がヤンキーの溜まり場になっているらしく、夜中も騒いでうるさいし、バイクなんかをアパートの前に路駐して、友達の車が出入りできないし、ゴミはルールどおり出さないからカラスが荒らして散らかるし、いくら苦情をいっても聞かないそうです。
こうした類のことは、まあ、暮らしていれば誰の身にも多かれ少なかれ起きることですが、海遊びをしていていいのは、そういう自分の価値観とは違う人達と接することが大幅に減ることです。それはすなわちストレスを受けることが少なくなるということです。
先ほども書きましたが、こういう考え方って狭量で偏屈な年寄りにありがちで、意固地で頑固な印象もありますが、ぼく自身は、そういう批判を受けても、もういいかなと思うようになりました。やはり世の中は自分の思うどおりにはなりませんし、思うどおりにならないことを受け入れて人間の度量を増やそうという努力も、もう若くないので、することもないな、と思います。
それよりも日々楽しく暮らしたいのです。
気心の知れた友達とワイワイ騒ぎながら、今日もうまい酒が飲めたなあといいつつ暮らしたいのです。
気心の知れた友達とワイワイ騒ぎながら、今日もうまい酒が飲めたなあといいつつ暮らしたいのです。
わざわざイヤなことや汚いことを見ることはありません。できる限り自分の好きなことや、綺麗なものや、いいことを見て暮らしたいなと思うのです。
沖出しの風とウォータースポーツ
沖出しの風というのがあります。別な言葉でいえば、オフショアの風。陸から沖に吹く風のことです。赤出汁とか昆布出汁とかだとおいしそうですが、ウォータースポーツをする者にとっては、あんまりいい言葉ではありません。地方によっては、「だし」とか「陸風」といわれたりします。
陸から沖に吹く風というわけで、風向は海岸の向きによって違います。たとえば東伊豆と西伊豆では単純にいえば沖出しの風は逆向きになるはずです。ただ、実際の海岸線は西伊豆であっても南に向いていたり北に向いていたりするので、単純にはいえません。
この沖出しの風、漁師さんや船乗りにとっては要注意の風といわれています。一方サーファーにとっては、オンショアよりはマシな風と受けとめられていると思います。セイラーにとっても風が強すぎなければ、いい風でしょう。
理由は、船乗りにとって沖出しの風は、外洋に流されていく可能性のある風なので要注意というわけです。サーファーにとっては、オンショアだと波の頭が潰れて乗りにくくなるんですが、オフショアだと波が掘れて乗りやすくなるためです。ただそれは波がある程度以上高いことが前提なわけですが…そしてセイラーにとっては、風がないのが一番ツラいわけで、だったら沖出しの風の方がいいとなるわけです。
具体的には沖出しの風って、どのようなものなのでしょうか?
ぼくは関東の三浦半島の西岸に住んでいますが、北東の風が吹く日があります。そういう日が沖出しの風です。冬とか春先とかに多く見られます。
一方、夏の終わりから秋にかけては西風が吹きますが、これはぼくの住んでいるエリアだとオンショアの風になります。
沖出しの風は、気象条件ももちろんですが、それと合わせて地形の影響が大きいと思います。たとえば逗子から佐島あたりを例にすると、このエリアは大楠山やその他小さな山が続いています。ただ、連峰になっているわけではなくて、それぞれが別の山です。そうすると山と山の間に谷間ができるわけですが、この谷間で沖出しの風が強く吹きます。
地名でいうと逗子湾は、陸に向かって左側に大崎があり、披露山があります。右側に桜山があります。その谷間の逗子の町は狭い平野になっているわけですが、ここを風が通ります。それが北寄りの風であれば沖出しの風になります。逗子湾は大きくえぐれた湾ですから、湾内は風が吹いても波が入ってこず、穏やかです。この地でヨットが盛んになったのはこうした地形的な理由があるんじゃないかなあと想像します。いやたぶんそうです。わかんないけど…
葉山に大浜という浜があります。御用邸の南側の砂浜です。ここは陸に向かって左側が三ヶ岡山、右側が長者ヶ崎で、その内陸は、湘南国際村のある大楠山があるんですが、この大楠山が大浜の背後で標高が低く、少し谷間になっています。この谷間を風が抜けるので大浜も沖出しの風が強く吹きます。北東の風が吹いているときは要注意です。
佐島方面からやって来て、長者ヶ崎を越えたら急に風が強く吹いていた、なんてことがあったりします。
佐島方面からやって来て、長者ヶ崎を越えたら急に風が強く吹いていた、なんてことがあったりします。
佐島の先の小和田湾も大きくえぐれた湾ですが、ここもちょうど山の谷間になっています。なので風は吹きますが、湾の懐が深いので、海は穏やかです。やはりセイリングに適した土地といえるでしょう。
大ざっぱにいうと(ぼくは大ざっぱにいうのが大好きです。うふふ)風向きに対して、風上に山があれば風が遮られますが、山がなければ風が吹きます。山と山の谷間だと、風が集中してそこを通るので強く吹きます。船で航行するとき、地形を見れば、風が抜けそうかどうか、ある程度の心積もりはできます。
三浦半島西岸で沖出しの風がやっかいなのは、北東の風で、それがたいてい冬から春の気圧配置の不安定な時期に吹くわけで、ときに突風といってもいいほど強く吹きます。
というわけで、ウォータースポーツをやる方は、その日の潮回りとか、気圧配置とか、風向とか、波高とかをチェックして海に出ると思いますが、だいたいの風向がわかったところで、こんどはその土地ごとの地形をイメージして、このあたりは風が強そうだと予想しながらその日の計画を立てるのがいいのではないかと思います。

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仕事帰り、森と海を眺めると、ホッとします…
仕事が終わると会社から電車に揺られて我が家に帰ります。
我が家に帰る途中で気持ちが、仕事モードからいつもの自分モードに切り替わります。
帰る間に、車窓から緑が見え始め、我が家に近づくにつれて海が見え始めます。
ぼくはこの時間がとても好きです。
若い頃は木々の緑がこれほど自分の心をホッとさせるものとは知らずにいました。そして自分がこれほどまでに海を求めているかを知らずにいました。
若い頃に都会で働いて、都会に住む生活を何年か続けるうちに、ある時、自分のジンセイがこうした灰色のコンクリートジャングルの中でほぼ終わってしまうのは結構ツライなと考えるようになりました。それを取り戻すかのように、週末は朝から海に遊びに行ってましたが…
たとえば仕事をしている時間が10時間、寝る時間が8時間、モロモロの家事・雑用をやる時間が2時間。1日のほとんどが都会の中で完結してしまいます。せっかくの週末も仕事で疲れていると、海に出かける元気がない時があります。
そんなこんなで多少通勤時間がかかっても、自然が豊かなところで暮らしたいと思ったのです。
今は、だから通勤の帰りに、次第に緑が増え、海が見えるようになるとホッとします。ココロの中心のコリがほぐれるようなそんな気持ちになります。
我が家は窓から海が見えます。そして家は小高い丘の中腹にたっており、ちょっとした森というか林の中です。
我が家に着けば、潮騒が聞こえ、木の葉が擦れる音が聞こえ、鳥の声が聞こえます。
そうした自然の気配を感じながらビールを飲みます。
眠りにつくときも自然の音が遠くに聞こえます。
朝は波の音と、鳥の鳴き声で目を覚まします。窓から朝陽を浴びる森が見えます。そしてきらめく海が見えます。起きたままの格好でサンダルをつっかけて、砂浜を散歩します。気持ちが穏やかになります。
そういう日々のちょっとした瞬間がとても幸せに感じられます。
今思えば、たぶんぼくは遅かれ早かれ、自然のそばで暮らすことを選んでいたでしょう。それが大切な価値だと気づいたわけですから…
そしておそらく同じような価値観を持つ自然の中で暮らしている方には、きっとこのような気持ちはわかってもらえるのではないかと思います。そういう価値観の人はどうしても自然のそばに惹きつけられてしまうし、都会のようなところでは暮らしていけないでしょう。

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