海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海辺の風に吹かれて…
海辺の町の匂いってありますね。ぼくはアレが好きです。
海藻が陽に照らされた匂い。
漁船の匂い。
魚の匂い。
潮の匂い。
海辺にいるとそんな匂いがして、なんだか懐かしいような感じがします。ぼくはそんな匂いを嗅ぐと気持ちが落ち着くようです。ゆったり、ノンビリします。
海の匂いがいっぱいの風に吹かれながら、ぼくはいつからそんなに海が好きになったんだろうと、昔のことを思い出そうとしますが、よくわかりません。
G-SHOCKのGULFMASTERがいいですね
海遊びをする仲間の中には、腕時計に凝る人もいます。特にダイバーは、たいていダイブコンピューターを身につけていて、それが今は腕時計型なのです。
よくある話ですが、毎年各社から新型が発売されて、新しい物が好きな人は買い替えてます。
それはそれで楽しいのならいいんじゃないかと思います。
ぼくは10年以上同じ腕時計、同じダイブコンピューターを使っていますけど…
で、先日、海仲間がG-SHOCKのGULFMASTERというのを着けていて、これはパッと見てカッコイイなと思いました。ネイビーブルーで海っぽいのです。
G-SHOCKの丈夫さは有名ですし、値段もまあまあです。
ぼくはたぶん買いませんが、なかなかいいなあと思いました。
あと、スマートウォッチのアウトドア版を使っている友人もいます。これもやっぱりcasioの製品のようで、Smart Outdoor Watchというみたいです。ぼくは機械に疎いので、何ができるのかわかりませんが、よくある都会的なスマートウォッチよりは、タフな外観で魅力的です。
今や海でも山でもアウトドアをする人は、スマートフォンはみんな持ってきていますし、人によってはタブレットを持っていたりもします。スマホやタブレットを1台持っていれば、カメラも気象情報も地図も音楽も本も全部入るので荷物が軽くなるというメリットがあるのです。ぼくが若い頃のように、音楽はウォークマンで、MDをいくつか、本は文庫を何冊も持って…となると荷物がすごく重くなります。
ナチュラルでアウトドアなライフスタイルだからスマホやタブレットを使うのは邪道というのは、ちょっと単純すぎる考え方でしょう。
海で養われる生きる力
都会に暮らしていると、自然の脅威から、ほぼ隔絶されています。たまに台風や激しい気象などで混乱することがありますが、それで人が死ぬということはほとんどありません。地震などで災害になったりして、想定外の災害なんていいますが、それほど都会の暮らしは整備されている、と思うのです。
ぼくの友人に、住んでいるマンションが駅直結で、職場も地下街からオフィスビルに入れるという人がいますが、この人は雨や台風などの気象を前ほど意識しなくなったといいます。
こういうのって都会で暮らしていることの典型的な例じゃないかなんて思うんですねー。
一方でぼくは離島を旅するのが好きでして、そこで見聞きする島の人の暮らしは、気象を意識しないではいられないものです。島の人は誰でも、風の音や風向き、波の音でだいたいの天気がわかりますし、天気がわかると、その日やる行動が決まります。台風が近づけば、船が欠航するかもしれないので、食料を買いだめしたりします。
人々の暮らしは、自然の大きな力に翻弄される前提で成り立っていて、それをみんなが自覚しています。そこにある共通の前提は、人間の技術や力は限界があり、今の暮らしや人生は、自然の力の前で、かりそめの状態で成り立っているという意識ではないかと思うのです。
そういう暮らしをしていると、生きる、あるいは死なないということが、都会ほど当たり前ではなくなります。
食べる、暑さ寒さをしのぐ、雨風をよける、病気にならない、といった生きるために、最低限のこと~都会では当たり前のこと~が、当たり前でない環境で暮らしているとき、日々の暮らしに生きる力が必要となり、それがやがて生きていることの実感とか、生きていることへの感謝の気持ちに繋がるのかもしれないなーと思ったりするのです。
まあぼくが勝手に思っているだけで全然違うかもしれません。
突然話が飛びますが、青少年で無気力になっている人や非行にはしっている人の中には、ぼくの勝手な想像では、生きるのが当たり前でない環境、先ほどの例でいうところの離島で暮らすと、おそらく無気力や非行といった態度が消える人が多少はいるのではないかなーと思います。そういう実例を見たわけではないので、あくまでも想像です。それに無気力とか非行という状態になっているのもいろいろな理由があると思うので、一概にはいえないでしょう。ただ、そうした状態の中には、自然環境で生きる力を取り戻せるケースもなくはなかろうとぼくは想像しているということをいいたいわけです。それは、自然の状態というのは無気力や非行をやっていると生きていけない、死ぬわけで、その本能的恐怖はなかなか乗り越えられないだろうと思うのです。
また、一方で、無気力とか非行という状態の青少年が都市で暮らすと、社会的なダークサイドの力に引きずり込まれて抜け出すことができなくなるおそれの方が多いわけで、それであれば自然の豊かな環境で自給自足していくというのもひとつの可能性ではないかとも思います。
都会という人が暮らす環境が整備されたところで生きていると、だんだん生きている実感が薄れ、一方で都会という場で、人間のつくる社会の構造は複雑で、弱者や貧困者は何かしら搾取されたりします。そういう都会で暮らすよりは、よりシンプルに生きることに向き合える場所で暮らした方がいいんじゃないかとも考えたりします。
そしてさらに話は飛ぶんですが、食べる、暑さ寒さをしのぐ、雨風をよける、病気にならない、といった生きるために、最低限のことが当たり前でない環境に身を置くということは、アウトドアスポーツやウォータースポーツである程度再現可能ではないかと思うのです。なので、たとえば冬山登山とか太平洋横断とか、そこまでいかなくてもボーイスカウト・ガールスカウトとか、テント暮らしを1週間くらいするとか、そういうことでも、生きる力は湧いてくるのではないかと思うのです。
枯れる草花の美しさしたたかさ
相方が花が好きで、ぼくもだんだん興味を持つようになりました。
知識はぜんぜんありませんが、鉢植えを買ったり、庭に木や花を植えたりしています。
うちは海辺で潮風があたりますし、夏は陽射しが強いので、そんな環境に合う植物と合わない植物があっておもしろいなあと思います。
冬になるといつも思うんですが、草花や木々はなぜ枯れるんでしょうか?
一旦は枯れて、次の年にまた花咲く多年草もありますが、1年だけで枯れてしまう草花もあります。木々も生きてはいても、冬の間、葉を落とす種類があります。
それってなぜなんだろうと…
ダーウィン的な種の保存からいえば、いつも元気で花を咲かせ、実をつけ、種を出した方が、その草花としてはいいんではないかと考えるんですが、割りと多くの草花が枯れます。夏と冬ではそんなに太陽のパワーが違うんでしょうか?
これは植物学的な面から考えればいろいろ答えがあると思うんですが、人から見た人生訓としての面から考えてみるとおもしろいなあと思うんです。
人も生まれて死ぬので、それはわかります。生命というのはそういうものです。ぼくが勝手に想像しているだけですが、物質は消耗したり劣化したりするので、永遠ということはありえないのでしょう。また、種としては、代替わりをすることで、変化に適応しやすくしているのでしょう。
そして同じ人の一生でも盛りの時期と耐える時期があるのかなあと思ったりします。花を咲かせ、実を結ぶ時期と、耐えて、生き抜くことに集中する時期があるのでしょう。
生き延びるために、なんとかする力をウォータースポーツから学んだ気がします
日々いろいろあって、たいへんなこともあれば、悲しいこと、ツラいこともあったりしますね。
たまたま運が悪いということもあるでしょうし、自分の思慮が浅いために招いたこともあるでしょう。はたまた、理由のない他者の悪意によることもあるかもしれません。
世の中、自分でコントロールできないことの方が圧倒的に多いですから、なぜ自分がこんな目に遭うんだ、ということが起きてもしかたがない、と考えるようにしています。理不尽といえば理不尽、運命の不思議といえば運命の不思議。
まあ、生きてるんだからしかたがありません。生きていなければそもそもツラさなど感じないでしょうから…と、ぼくは考える人間なんですが、むかーし昔、若い頃に付き合った女性に「そんな投げやりな考え方はよくない」といわれたことがありました。
なるほど、確かにそんな考え方もありますね。いろいろなことをしかたがないと考え始めると、ほとんどすべてのことを運命のせいにしてしまい、努力をしなくなるだろうと、彼女はそういいたかったんだと思います。
ぼくは暇さえあれば海に出ていますが、自然というのも、人間から見ればとても理不尽だと思います。そもそも自然に意図はありません。たとえば地震が東北や熊本で起きなくて別な場所で起きてもいいですし、あの時起きなくても別な時でもよかったわけです。でも、人間側から見れば、それで犠牲になった人がいるわけで、なぜあの時あの場所なんだと考えざるを得ません。
海では天候が急変して荒れたりすることはしょっちゅうですし、いろいろな要素が絡み合って深刻な状況になることもあります。想定外のこと、理由のわからないことばかり…それでも「なぜなんだ」とか「なんでオレがこんな目に遭わなきゃいけないんだ」愚痴ってもしかたがないわけで…とにかくその状況を切り抜けて生き延びるしかありません。
「事前によく考える。一旦海に出たら、生き延びるために、その場その場の状況に対処しながら、できる限りのことをする」というのが、ぼくがウォータースポーツから学んだことです。
一例ですが、スキューバーダイビングをするときは、その日の潮回り、海水温、潜るポイントの典型的な潮の流れ、天候、海の様子、風の様子、自分の体調、一緒に潜る人の体調やスキルレベルなどをすべて考え合わせてダイビングプランを作ります。そして器材のチェックをして、そしてなお、万が一起きうるトラブルを想定して、その対処策を頭に思い浮かべながら潜り始めるのです。
水中でも、潮の流れ、透明度、水温、残圧、体内窒素量、器材の状態、一緒に潜っている人の様子などをウォッチしながら潜ります。何かしら予兆を感じたらすぐに最善の策を考え判断し行動します。1分でも判断が速ければ、それだけ生き延びる可能性が高まるから。
ぼくがスキューバーダイビングにハマったのは、ダイビングのプロセスで頭を使うからです。スキューバーダイビングを含めたウォータースポーツは、身体を動かすのはもちろん、かなり知的な作業なのです。そこがおもしろい、とぼくは思います。
それでもなお自然の中ではいろいろなことが起きます。また自然の力は圧倒的に強くて、いくら人間が頑張ってもどうしようもないときもあります。
その場合は、しようがないのです。ただただ生き延びるために最善の行動をとるだけです。結果、ぼくは今無事で、こうして文章を書いていますが、もしかしたら次に海出るときには死んでしまうかもしれません。
「なぜそんな思いまでして海に出るのか?」と尋ねられることがありますが、ぼくにとってその質問の意味がよくわからないんです。ぼくからすれば、日々生活することも海に出ることと、ほとんど同じだと思うから。アクシデントやトラブルが起きる密度は違うかもしれませんが、自分がコントロールできないことで満ちている点は同じです。いや、ぼくからすれば、家庭や会社などでの人間社会での活動の方が、自然よりも読みにくい点で、難しいとさえ思います。
ニュースを見ていると、ビルの工事現場で物が落ちてきて、たまたま下を歩いていた人に当たって亡くなったり、老人の運転する車にひかれて亡くなったり、精神的な病の人に刺されて亡くなったり、というような事件・事故が起きます。
ぼくにとっては自然よりもそういう事件・事故の方が予想しにくくて怖いように思えます。
ぼくは、ぼくのコントロールできない状態で生きなくてはいけなくて、だからどうしようもないことが起きてもなんとかしていくしかないし、なんとかする力をウォータースポーツから教わったと思います。

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田舎の海辺暮らしの自給自足の気風
ぼくの住んでいるところの男衆は、たいていDIYをします。暮らしに必要なものがあったら、まず自分で作ったり修理したりできないか考えます。
それが当たり前になっているので気にもしませんでしたが、1年くらい前に同じ町内に東京から引っ越してきた家族がいまして、そこの旦那さんがびっくりしていました。みんなDIYするんですね、と。
で、その旦那さんもだんだんDIYするようになってきたんですが、庭で何かやっていると、通りがかった近所のオッサンがいろいろアドバイスをするんですね。木材には必ずペンキを塗れとか、廃材はどこどこでただでもらえるとか、ネジを打つ向きはそっちじゃないとか、いろいろと。
おせっかいな気もしますが、ぼくはそういうのに慣れてしまったのでなんとも思いませんし、そんな押しつけがましい好意もあたたかさだなあなどとポジティブに受けとめています。
それがきっかけで気づいたんですが、ぼくの住んでいる田舎の海辺で、少なくともぼくの知り合いは、暮らしで何か足りないものや壊れたものがあったら、買うとかプロに修理を頼むことが頭に浮かぶんではなくて、まず自分でなんとかならないか考えるようなんですねえ。しかもなるべく安くあげようとする感じです。
で、どうしてもプロに頼まなきゃいけない、家の基礎とか、ガスの配管とか、そういうのも知り合いのツテをたどって、自分も手伝うから安くやってもらうということが多いんです。
もちろんぼくの知り合いがあまり裕福でないのもあるかもしれませんが、というより、やはり自分の身の回りのことは自分でやるという意思が強いのと、自分の住んでいる家の構造とかは自分で知っておきたいという気持ちが強いような気がするんです。
そういう目で見てみると、自分ちで食べる野菜を自分の庭で育てるのも、なるべく医者にかからないように食生活に気をつけるのも、同じ心持ちから出た行為といえるかもしれません。
海辺の田舎がどこもそうだとはいえませんが、田舎暮らしには往々にしてそういう気風があるのかもしれないので、移住を考えている方で、DIYが苦手だとか、人付き合いがイヤだとか、そういう人は移住先を選ぶときに注意した方がいいんじゃないでしょうか。

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母島旅情
離島が好きで、いろいろな島を旅してきました。
離島というのは到着してしまうと、隔絶感というのか、なんというのか、えーっと「おこもり感」というか「隠れ家にいる感」というか、うまくいえませんがそういう安心感があります。
なのでぼくは島旅が好きでして、しかも大きな島よりも小さな島の方が好きです。
人口は1000人以下だと、かなり好ましいですが、3000人以下でも好ましいです。
人口が少ないと何がいいかというと、島の人が優しいというのと、隔絶感がより強く、安心感が高いからです。おそらく誰が何をやっていて、どんな旅行者が入ってきているか把握できているというのと、人が少ないと競争よりは調和や助け合いの気持ちが強くなるからではないかなあと思ったりしますが根拠はありません。たぶん東京のような都会がギスギスしている感じがするのは、競争が激しくて、人は自分の序列をより上に上げようとしているからではないかと思います。
上といっても所詮、相対的な、あるいは主観的なものであって、それは幸せ感とは異なります。都会の人が経済的に豊かだけれどどことなく幸せに暮らしている印象が薄いのは、そういう面があるのかもしれないですね。
そして、より不便な島が好きです。最寄りの便利な場所から遠ければ遠いほどぼくにとっては魅力的です。
なので、ずっと小笠原に行ってみたかったんです。しかも母島に行ってみたかったんです。母島は小さな島で、不便(たぶん)です。
人口は約450人。島には、なんでも扱う雑貨屋が1軒、農協と郵便局と小学校と警察と役場が徒歩2~3分のエリアにあります。
そしてぼくがこれまでしてきた島旅の中で最高にいいところでした。
1週間滞在しました。スキューバーダイビングして、山をトレッキングして、その後風呂に入って、堤防でビールを飲む日々。だんだん島の人に顔を覚えられて、あいさつしたり、飲みの席に誘ってもらったりして、なんともいい居心地でした。
沖縄の離島との大きな違いは、古くから住んでいる人が少なくて移住者が多いところ。沖縄がローカルと外来者を峻別して、しかも外来者を温かく迎え入れる感じなのに対し、小笠原の島は、よそ者に開かれているというか、ローカルと外来者が同列な感じがしました。それが居心地のよさの一番の理由でした。
俗っぽい人に近寄らないようにします
海辺の小さな田舎町で暮らしています。
近所の人や海遊び仲間は気のいい人が多くて、毎日楽しく暮らしています。
そんな海辺の田舎が暮らしで脅威といっていいことを発見しました。
それは何か?
津波。それはそうです。
塩害。それもそうです。
今回発見した脅威は俗っぽい人です。
俗っぽい人はどこにでもいて、どんなことも世俗的な利害に引き寄せて考える人です。俗っぽい人との距離は、かなり遠くて埋めようとしても時間の無駄です。お互いに違うのはしょうがないので、適当な距離を保つに限ります。といってもわかりにくいでしょうから、ぼくと海仲間の会話と俗っぽい人との会話を再現して、その違いを具体的にできればいいなあと思います。
海仲間との会話
ぼく>今度さあ、知床半島をシーカヤックで回るツアーに行きたいと思ってるんだ。
海仲間>あっ、いいね。すごくいいらしいね。
ぼく>そうらしいね。野生生物がまだまだ多いらしいから、今のうちに行ってこようかなと思ってね。
海仲間>そうだね。だいぶ観光地化してるらしいから、今のうちに行っといた方がいいかも…。エゾシカとかヒグマとか見たいよね。行くなら夏かな?
ぼく>うん。やっぱりベストシーズンは夏みたい…
俗っぽい人との会話
ぼく>今度さあ、知床半島をシーカヤックで回るツアーに行きたいと思ってるんだ。
俗っぽい人>シーカヤックって?いくらかかるの?
ぼく>シーカヤックって自分で漕ぐ小さい船だよ。だいたいツアー費だけで13万円くらいらしいよ。
俗っぽい人>えー。自分で漕いで疲れるじゃん。それに高いわ。それだったらいい宿に泊まっておいしいもの食べられるよ。ていうかアウトレットでブランド物買った方がいいなあ。
ぼく>でも、野生動物が間近で見られるし、知床の自然の中にずっといられるんだぜ。
俗っぽい人>野生動物みたってしょーがないし、危ないじゃん。
俗っぽい人とどんな会話をしてもロマンティックにならないし、ワクワクした楽しさにつながりません。
寒いからこそ、ビーチを散歩&深呼吸
寒いからといって家の中にずっといると、身体を動かさないから、さらに寒くなって、身体も縮こまってしまいます、たぶん。
寒い日こそ厚着して砂浜を散歩したり、ジョギングしたり、がっちり暖かい装備をしてウォータースポーツをするのが、オレ流の冬の休日の過ごし方だぜ。
って、急に文体が変わってしまいました。
「冬の海=寒い」というのは、昭和の時代の話。今は着心地のいいドライスーツやら暖かい高機能インナーなどが出ているので、装備をきちんとすれば、「冬の海=そんなに寒くない」となるのです。いやいや日によっては「冬の海=汗ダラダラ」ということもあります。
身体を動かすと、代謝がよくなり、体温が上がり、筋肉もほぐれ、気分もすっきりします。そういういい循環をつくりたいですね。
ぼく的には、寒いなーという日こそ、エイヤッと海に出ることにしています。
ちなみにビーチを散歩したりジョギングするだけでも気持ちいいんですが、そのとき深呼吸&伸び(ストレッチというんですかね)をすると、もっと気持ちいいです。
ぼくの場合、深呼吸から瞑想に移っていくこともよくあります。数分でいいので、気持ちを静めると、気分のすっきり度合いがずいぶん違います。
ダラダラ・グズグズ・フニャフニャと過ごしていきたいですう
ぼくは小さい頃から性格がダラダラ・グズグズ・フニャフニャしていると、ご近所でも評判だったそうです。自分でもそう思いますし、成長しても人の性格ってそんなに変わらないものです。
いい歳したオッサンになっても、基本、ダラダラ・グズグズ・フニャフニャなわけです。
そんなぼくでも一応生きていて、税金を納めたり、家族がいたりしているわけで、世の中なんとかなるものというか、頑張った自分にご褒美をあげたいというか、えーっとなんでしたっけ?
それで一応社会人として働いているワケですが、すごくキレッキレのビジネスマンなんかと接すると、ワリとひいちゃいます。
ひくというか、見ていて小っ恥ずかしくなるという方が近いですかねえ。
いや、もう、そういう人って優秀で仕事ができて、日本経済とか引っ張ったり、グローバルに活躍したりしてるんでしょうけど、そんなもん全面に出されたら、フツーひくっつーの。
ぼくはできればダラダラ・グズグズ・フニャフニャと日々を過ごしたいんです。
というわけで、そういうキレッキレのビジネスマンが近くにいると、何か無理な仕事を振られるんじゃないかと警戒して、できれば近寄らないようにして、これまで過ごしてきました。
これからも海に出て遊んだり、ビーチを散歩したり、ビールを飲んだり、カトレアの鉢に水をやったり、アフタヌーンティを楽しんだり、ちょっとアンニュイにため息ついたりして、それから少し仕事をしてもいいかなという感じで、日々乗り切っていきたいですねえ。

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