海の贈りものを受けとる場所
都会では感覚を閉ざすようにしています
用があるので都会に行きます。そうすると地元の海辺の田舎町にいるときより、いろいろストレスに感じることがあります。
どれも地元では起きないことなんです。
デッキでビールが幸せ
屋外にいるのが好きです。身体を動かせれば、なおよし。

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水の音のストレス解消効果
先日、相方と街に出かける用がありました。
「あー、もー、いやーねー、疲れるわ」と意味なく女言葉になって、用事を済ますために一日都会にいました。
波の音・月の光・鳥の声・木々の緑
ベッドルームで、初夏や晩秋、エアコンをつけるほどでもないときは、窓を開けて寝ます。
都会で暮らしていた頃のちょっとしたストレスを思い出す
ぼくは若い頃東京で暮らしていて、ストレスフルだったので海辺の田舎町に引っ越しました。もうかれこれ20年くらい経つので、都会で暮らすストレスを忘れそうになるので、同じ過ちを繰り返さないようにもう一度思い出しておこうと思います。
ちなみにすべて今の田舎暮らしでは経験しません。
できれば一生都会に近づかずに生きていきたいです。

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ウォータースポーツのとき意識を五感に向ける
ぼくはかれこれ30年くらいウォータースポーツをしてきました。そしてあるときから海辺の田舎町に引っ越しました。
それまでは、いつものようにウォータースポーツをしていました。
こうした体験をストレス解消と呼んでいいのかわからないんですが、自分の気持ちが楽になるのは間違いありません。正確な表現を探すとすれば、気持ちが軽くなるとか、頭がスッキリするとか、頭の中のモヤが晴れるとか、そんな感じです。

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待つことが大切な時もある
ウォータースポーツをしていると、風待ち・波待ち・凪待ちはよくあることです。

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青春時代の海遍歴
ぼくが上京して関東近辺の海辺で遊び始めたのは大学生の頃。年代でいえば1990年代前半でした。
東京の街自体も興味深くておもしろかったんですが、それよりも油壺から伊豆にかけての海沿いが好きでした。ぼくの故郷にも海はありましたが、それは漁村。漁村ではない海辺というのを初めて見て、とても衝撃を受けたのを覚えています。たとえば逗子マリーナとか…
海は昔から好きでした。
中学生くらいからずっとダイビングをしてみたかったんですが、当時リクエーショナルダイビングのCカードを取るには講習費として、ン十万必要で、貧乏大学生のぼくには無理でした。なので、レンタルボードで鵠沼海岸でサーフィンをしていました。(その後バイトして、お金を貯めて、Cカードを取りましたけど…)
大学の友人でヨット部の奴がいて、そいつに合宿所に連れて行ってもらったり、三浦半島から大磯あたりまでいろいろな場所に連れて行ってもらったりして、だんだん神奈川県南岸の土地勘ができてきました。
休みの日に、そのヨット部の友人とクラスの仲間(女の子もいました)で、海辺をドライブしたこともありました。
わりと若い頃ありがちなことですね。
その中にいいなって思う子もいましたねえ。若い頃って身近にいる人の中で好きな人を探そうとするものですよねえ…
化粧っ気がなく、いつもジーンズにTシャツみたいなファッションの子でしたが、顔立ちは整っていました。清潔感があって、明るくて、みんなから愛されて育った感じが身についていました。
まあ、流れとしてベタですが、ぼくはその子と付き合うことになって、彼女も海が好きなので、よく海にデートに行きました。
伊豆から三浦半島にかけての店や観光スポットにどんどん詳しくなっていきました。
東京の街のことは全然詳しくないのに…
まだ、当時は三戸にサーフサイドヴィレッジがあったり、茅ヶ崎にパシフィックホテルがあったり、江ノ島にディスコがあったり、由比ヶ浜にライブハウスがあったり、夏の葉山のオアシスで一晩中飲めたりと、夜通し楽しめる場所がけっこうありました。
まだ、バブルの余韻があって、お金をかけたオシャレな施設があったんですね。
大学生の頃はそんな感じで過ごし、社会人になるとスキューバーダイビングベッタリになりました。ほぼ毎週東伊豆に通う日々。
そしてあるタイミングで相模湾沿いの田舎町に引っ越すことになります。
つまり20代から40代まで、ぼくはなんだかんだいって、相模湾から駿河湾あたりをウロウロする暮らしを続けてきたのです。
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都会では五感が鈍る気がします
ぼくは海辺の田舎町に住んでいます。
運が悪けりゃ死ぬだけさ…
ぼくはわりと荒れた海況でも海に出ていきます。

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