海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
ダイバーも普通の人も海の生き物に興味が持てるかも…宮田 珠己『無脊椎水族館』
『無脊椎水族館』 宮田 珠己 (本の雑誌社)
ぼくは宮田さんの本が好きなんですが、それは軽妙な語り口ももちろんですが、この人の働くとか会社とかに対する考え方に共感するのと、宮田さんがスノーケラーであり、けっこう海の生物好きで、その知識も豊富だからです。
その宮田さんから『ウはウミウシのウ―シュノーケル偏愛旅行記』についで、久しぶりに海の生物関連の本が出ていて、それを読んだ感想を書いてなかったので、書いちゃおっかなあと思いました。どちらかというと自分の備忘のためです。
ぼくは、何十年もスキューバーダイビングをやっていて、魚については普通の人よりは知っていると思いますが、宮田さんも知識が豊富だなあと思います。まずその点で勉強になります。
宮田さんは、一般の人の魚の好みと違っているのもおもしろいです。アザラシとかラッコとかの一般に人気のある動物にはあまり興味がなくて、エイは好きだけど、サメには興味がないとかそういうのです。
そんな宮田さんはウミウシとかエビとかカニとかイカとかの無脊椎動物に興味があるそうです。そんな宮田さんの目から見た、全国の水族館巡りの紀行本が本書です。
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海を眺めていると、自分のちっぽけさを痛感します
会社の上司で、社内のライバルを敵視する人がいました。飲みに行っても、ライバルの悪口ばかり。
ぼくはそういう感情を強く持ったりしないタイプなので、その人の執拗さに驚いたものでした。世の中には、いろいろな人がいるんだなって思いました。
だいたい人の嫉妬心を感じながら酒を飲むのは旨くないので、うんざりでした。
そこまでいかなくても、誰でも他人のことが気になったり、人が自分のことを悪く言っているんじゃないかと疑心暗鬼になったり、気に入らないヤツがいたりといったことはありますよね。
ぼくはそんなとき、海のことを考えるようにしています。そして家に帰るとすぐに海辺を散歩します。
「海は何百年も何千年もそこに広がっていて、その間に陸地の地形は変わったり、人の世は移り変わったりしてるんだな。以前、このあたりに暮らしていた人も、やっぱり喜んだり、悲しんだり、怒ったり、泣いたりしたんだろうな、いや絶対そうして人は生きてきたはずだ」なんて、想像を巡らしたりします。
そんなことを考えているとたいていのことはどうでもよくなってきます。人のことなんて、どうでもいいし、それに対して怒る自分も、イライラする自分も、ちっぽけな者に感じてしまいます。というか、そんな細かいことをいろいろ考えることさえもくだらないことのように思えてきます。
「目の前には圧倒的に大きな自然が広がっていて、自分はちっぽけな存在、さらに日々の瑣事にばかり頭をいっぱいにしている自分、なんてバカバカしいことをしてるんだろう」と、そんな風に思えるんです。
せっかくこの世に生まれてきて、こうして生きているんだから、つまらないことに時間を使うのはやめようって思えるんです。
なぜ人は自然に癒されるのでしょう?
よく旅番組などで「自然に癒されるね」という感想を聞くことがありますね。人と話すときも、自然に癒されるというのは、普通に聞きます。文学や絵画などの芸術作品でも、古来から自然のよさを表現したものが見られるのは、やっぱり人には自然を好むところがあるんでしょうか…
一方で、自然の脅威ということもいわれます。自然災害を考えればそう考えるのも頷けます。
ぼくは海が好きで、海辺に暮らし、暇さえあればウォータースポーツをしています。そんな暮らしはかれこれ30年くらいになりますから、自然が好きで、自然に癒されるというのは、ぼく的にはいうまでもないことなのです。
東京で暮らしている知人は、自然が好きじゃないそうです。彼は虫とか雨とか風とか暑さ寒さが好きじゃないとハッキリいいます。空調が効いた清潔な現代的な暮らしが快適に決まっているじゃないかといいます。
まあ、そうかもしれません。
ぼくが自然が好きだといっても、家には空調はあるし、トイレも温水暖房便座だし、wi-fiを飛ばしているし、暮らし自体は現代的です。
それでもやっぱり自然の近くで暮らすのがいいなあと思うのは正直なところです。
実際、今の海辺の暮らしから離れて、2週間ほど東京で暮らしたときには、だんだん気持ちがグッタリしていくのが、自分でもわかりました。朝起きたときに、いつものように砂浜を散歩したいなと思いました。
ときどき人が自然に癒されるのはなぜなんだろうって思うんです。たぶんそういうことを研究している人でも、まだわかっていないんじゃないかなって推測します。
森の緑、海の青さ、空の広がり、流れる雲
波の音、風の音、木々が風で揺れる音
土の匂い、森の匂い、潮の匂い
そんな五感に入ってくる様々なことで癒されているのでしょう。
なんとなく調子が出ないときもあるさ
なんとなく調子が出ないときってありませんか?
ぼくはときどきあるんですよねー。
別に身体の調子が悪いわけでもなく、すごく大変なことが起きているわけでもなくて、なんとなく気持ちに張りがない感じ…
なんなんでしょう、あの感じ…
ぼくは、そんなときもあるのかなー、なんて思いつつ過ごしています。
経験的にそういうときは、ジタバタすることなく、次の調子のいい波が来るときまで待つのがいいような気がします。無理に新しいことを始めたり、引っ越しをしたり、お医者さんに行って治そうとするんじゃなくて、いつものように規則正しい生活を送り、できれば適度に運動して過ごすのがいいような気がするんです。ぼくの場合、運動=ウォータースポーツなので、太陽の光を浴びて自然と接するのも効果があるのかもしれません。
ぼくのようなせっかちなタイプにとって、待つということは、なかなか難しいことです。それでもそういうときもあるのでしょう。そういう我慢のしかたもあるのでしょう。
ボーッと海を眺めながら、また調子がいいときが来るのかなあ、なんて思いつつその日を過ごす、そんな時期があってもいいのかもしれません。
ワサワサしない暮らしの作り方
ノンビリした暮らしがしたくて、海辺の田舎町に引っ越したのでした。
以前よりはノンビリ、ゆったりした日々を送っているんですが、それでもときどき忙しいなあと思うことがあります。それで、なぜなんだろうって考えたんです。
環境のせいもあるかもしれませんが、やっぱり自分がいろいろやってしまう性格で、かつちゃんとやらなきゃと考える性格だからなんだって、最近やっと気がつきました。
あれもやらなきゃ、これもやらなきゃって考えるタイプの人は、やっぱり忙しくなりがちなんでしょう。しかもやるならちゃんとやらなきゃと考えるので、なおさら忙しくなってしまうんでしょう。
なぜ忙しくなるのがイヤかというと、ワサワサするからです。慌ただしくなるからです。それが自分のペースを乱してイヤなんだと思います。
ぼくはスマホのアプリでToDoリストを作成するヤツを使っているんです。それでやらなきゃいけないことを忘れないようにするわけですが、そのリストの中には、やらなきゃいけないことと、まあ、やっておいた方がいいことと、できればやった方がいいことが混ざっています。早い話、やらなきゃいけない度合いが違うものが混ざっているわけですね。
しかもそういうアプリって便利なので、ちょっとでもやらなきゃいけないことをどんどん追加していってしまいます。
その結果やらなければいけない(かのように見えること)が山のようになっているんです。それが忙しさの原因じゃないかと思い、最近はそのリストから、「やらなくてもいいじゃん」みたいなことを削除しています。
これは表面的なやらければならないことを減らしていく作業ですが、そもそもの原因は自分の性格にありそうなので、そちらの方の対策として、あまりいろいろのことに気づかないようにしています。あるいは気づいてもまあいいかとか、まだいいかとか、考えるようにしています。
それから最近流行のミニマリストの方達のやり方も参考にしています。そもそも持ち物が少なかったり家が狭かったら、それらをメンテする手間は少なくなるはずだというのは、なんとなく正しい気がするから、試しにやってみています。
ノンビリゆったり穏やかに暮らしたいというぼくの思いは変わりません。すぐにでもノンビリしたいときは、何もしない時間を作るようにしています。何もしないというのはけっこう難しいので、あることだけしかしない時間を作るようにしています。といっても簡単なことで、コーヒーを飲むときはコーヒーを飲むことしかしないようにしています。テレビも音楽も聴かず、デッキでコーヒーを飲むことだけしています。そうすると気持ちがゆったり穏やかになるようです。ぼくにとっては、マルチタスクというのはよくないみたいです。
デッキでコーヒーだけを飲んでいると、いつもより五感が鋭敏になるようです。波の音がハッキリ聞こえますし、鳥の声も聞こえてきます。木々の葉の擦れ合う音も聞こえてきます。雲の流れにも気づくようになりますし、海の波の様子にも気づくことができます。これほど豊かな環境に、普段は自分が気づかないだけだったんだと思うのです。

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田舎と都会での人の距離感の違い
休みの日に時間があると、海辺を散歩して、ときどき海を眺めながらボーッとするということをします。そういう時間がとても好きなのです。
そんな時間が取りたくて、都会から海辺の田舎町に引っ越しました。
海といっても、ぼくが住んでいるのは、湘南のようなオシャレな海ではなく、熱海のような観光地の海でもありません。地元の漁師のおっちゃんが歩いているような静かな、少し寂れているといってもいい漁村です。
ぼくは好んでそういう漁村に引っ越しました。
もう何百年も前から人々がそのように暮らしている、人の暮らしがむき出しの土地が好きなのです。
そんな海辺の田舎町では、通りで見かける人やすれ違う人の顔を必ず見ます。そして知っている人なら挨拶はもちろん、たいてい立ち話をします。話すことはちょっとしたことです。
都会でそんなことをしていたら頭がクラクラしちゃうでしょうけど…
町の人はなんとなくおおよそその人の暮らしぶりを知っています。たとえば誰々の家に子どもが生まれたとか、どこそこの子どもは大学進学で大阪で独り暮らししているとか、どこそこの娘が離婚して戻ってきているとか、誰々さんの病気が重いなどなど、ぼくはあまりそういうことに興味はないのですが、そんなぼくの耳にも入ってくるのです。それ以外にも、あの人は気さくでいい人だとか、気難しい人だとか、怒りっぽいとかそういうこともなんとなくわかっています。
そんな状況が息苦しい、嫌だと思う人もいると思います。ぼくも若い頃はそう思ったかもしれません。
でも、今は別になんとも思いません。
逆に人の顔が見えて、その人がどういう人かもわかっているので、わきまえて付き合えば暮らしやすいともいえます。少なくともマンションの隣の住人がどんな人かわからないとか、同じフロアの人と会ったことがないみたいな状態の方が、ぼくには怖く感じられます。
小さな田舎町だと、見知らぬヘンな人が入って来るとわかりますし、みんななんとなく警戒します。子ども達は、町の大人を把握しているので、見知らぬ人には近づきません。
以前ぼくの妻が入院したことがありました。そんなに重い病気ではなかったのですが、退院後は近所の人やママ友がお見舞いに来てくれたり、何かと気にかけてくれました。
ぼくからすれば、老人が独り衰弱死するような、そんな都会の匿名性の高い暮らしの方が、普通ではないように思えます。
ぼくは町の人から、普通のサラリーマンで、海遊びが好きで移り住んだオジサンだと、たぶん思われているでしょう。
海辺を散歩して、ボーッと海を眺めていると、通りかかった人が声をかけてきます。「今日は仕事が休みなの?」とか「カサゴ釣りをしたらいい。誰々さんが昨日大きなカサゴを釣ってた。」とか「今日の夜空いてる?●●(飲み屋の名前)で飲もうよ。」とか…
海で癒される「ブルー・ヒーリング」
グリーン·エクササイズというものがあるんだそうです。自然の中で活動することで健康になるというもの。特に精神面の安定に効果があるようです。科学的な裏付けもあるようです。
エクササイズというとたいへんそうですが、森の中を散歩するとかガーデニングをするだけでも効果があるとのこと。
その言葉を聞いたときに、海遊びばかりしているぼくの場合「ブルー·エクササイズ」だなと思ったものです。
小学生の頃、海に連れて行ってもらって、とても楽しかったことを覚えています。そのときにただ楽しいだけでなく、気分がスッキリしたことも覚えています。
大学生の頃、慣れない都会暮らしと忙しいバイトでイライラしていたとき、湘南の海を見に行って「癒された」ことを覚えています。そのときハッキリ癒されたと感じました。パサパサに乾いた紙が水を吸収するかのように、ぼくのココロは潤っていきました。
その後社会人になっても暇ができれば海へ行き、リフレッシュしてきました。
そしてついに海辺に引っ越し、何十年も海を眺め、ツラい時、悲しい時を乗り越えてきました。
ぼくの経験を思い出してみると「ブルー·エクササイズ」というよりは「ブルー·ヒーリング」といってもいいかもしれないと思います。
海遊びというのは五感で自然を感じます。
視界に入ってくるのは海の青さ、山の緑、空間の広がり。
耳に入ってくるのは、波の音、木々の葉音、鳥の鳴き声。
匂いは、潮の香り。
味は…ないかな? 海に入ると当然のように海水が口の中に入ってきますけど…
皮膚から伝わるのは、潮風の感覚や海水の感覚。ただそれだけじゃなくて、サーフィンをすれば波の揺れを体中で感じますし、バランス感覚も使います。スキューバーダイビングでは、海水の圧力や浮力を感じます。
海に出るだけで多くの刺激にさらされるわけで、たぶんこれが、家の中でテレビを見たり、ゲームをやったりするのと大きく違うんだと思うんですね。
海好きな人は、海の中で遊ぶ効果を実感しているんじゃないでしょうか?
多くのウォータースポーツをやる人が、嬉々として海に向かうのはそれが楽しくて気持ちいいからでしょう。
いえいえ、だからといって「あなたもウォータースポーツをしましょう」なんていいません。やりたい人はやるし、やらない人はたぶんずっとやらないんだと思います。

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海を眺めながらデッキでビールを飲むのが好きです…
海を眺めながら、ビールを飲む気持ちよさは、わりといろいろな人に共感してもらえます。
「あぁ、いいよねー」っていう感じです。
海辺に住んでいるとこれが毎日できます。
というか、それがしたいために海辺に住んでいるといってもいいくらいです。
これだけじゃあつまらないので、ぼくはもっとこだわるようにしています。
まず身体を動かします。
ぼくはサーフィンとかスキューバーダイビングとかシーカヤックをします。
海を存分に楽しんだら、次は潮を流してさっぱりしたいですね。どうせ流すなら温泉の方がうれしいです。
どうせ温泉に入るなら海が眺められる温泉がいいですよね。そこにゆっくりつかります。温泉に入ると筋肉がほぐれてフニャフニャになって、それもいいですね。
それで、もう後は寝るだけにしておいて、いよいよビールです。
海が見えるデッキがいいですね。やっぱり外がいいんです。
潮風が当たって、波の音が近くに聞こえて、夕陽を浴びる、そんな中で飲むビールがうまいんです。
海を眺めると、夕陽が山の端にかかろうとしています。海には少し波が立っていて、赤・黄・オレンジにきらめいています。
そんなビールが飲める日々ってシアワセですね。
海辺でボーッとするのが好きです…
自分のことをわりとボーッとしているタイプだと思っているのですが、やっぱり社会人としてなんだかんだやらなきゃいけないことはあります。
やらなきゃいけないことが集中してしまうと、気持ちがワサワサします。同時にいろんなことを考えられないんです。
そんなワサワサした日々が続くと、なんとなく気持ちがグッタリしてくるので、ボーッとする時間を取るようにしています。
ぼくがボーッとしていられるのは、やっぱり海にいるときです。
広くて、人があまりいなくて、風が流れていて、波の音が聞こえる、そんな状況がボーッとするのに適しているようです。
海だと他にやることがないというのも、ボーッとしていられる理由かもしれません。
特にシーカヤックでパドリングするとか、砂浜を歩くとか、ジョギングするとか、単調な動作が加わるとさらにボーッとできます。
ボーッとするのは、よくないことだと感じる方もいるかもしれませんが、ぼくはそうは思わなくて、ボーッとする時間があることあるで、頭が休まって、次に作業に取りかかるときに集中力が増すようなのです。
他にもいいことがあって、ボーッとしているときには、普段考えないような大事なことや大きなことを考えることができるのです。ぼくの場合は、自分の生きている意味(本当に考えます)とか、これからやるべきこととか、これまでやってきたことがズレていないかとか、まあ、そんなことを考えることも時に大切じゃないかなあと思ったりします。
でも考えごとしてるんだからボーッとしてるとはいわないのかな?
世の中のビジネスパーソンとか、会社の社長とかきっとすごく忙しく働いている人もいるんだと思いますが、そんなことは関係なくぼくにはぼくの時間が流れているのでした。

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旅先での友人との距離感
ぼくはいろいろ海遊びをするのですが、多いのはスキューバーダイビングとシーカヤックです。
その二つにはそれぞれおもしろいことがありまして、スキューバーダイビングは、チームで潜ることが多いので、みんなで行動する楽しさがあります。もちろん他の楽しさもありますけど…
シーカヤックは、ぼくは独りで乗ることが多いのです。なので、自由にできる楽しさ、独りで自分に向き合うおもしろさがあります。
ぼくは欲張りなのか、独りでいると仲間に会いたくなるし、仲間とずっといると独りでいたくなります。
仲間と語り合い笑い合う楽しさというのも確かにありますし、独りで自由に行動し、自分に深く向き合う魅力もあります。
長年、いろいろな仲間と海旅をしてきましたが、どのくらい一緒にいるのが適しているかというのは、人によって違うように思います。
四六時中ベッタリ一緒にいたがる人もいますし、飯の時だけしか一緒にいなくて、あとは銘々勝手に行動したがる人もいます。
ぼくは明らかに後者です。
まあ、いい歳したオジサンが夫婦でも家族でもないのに、四六時中ベッタリいられる方が珍しいんじゃないでしょうか?
旅行中の喧嘩というのは結構あるみたいですしね。
これまでで一番快適だったのは、現地集合で、スキューバーダイビングの時と晩メシの時だけ一緒で、後は自由行動という旅でした。ぼくにはそのくらい距離感が快適なようです。
なぜ、そうなのかという理由を考えてみると、ぼくは自分が話す方ではなくて、人の話を聞くことが多いタイプです。人の話を聞くというのはけっこう注意力とかエネルギーが必要でして、特に相手がおしゃべりな人だと、のべつ幕なしにエネルギーを奪い続けられる感じがします。感覚としては言葉の銃弾を浴びせられる感じに近いかもしれません。それで疲れてしまうんだと思います。
もう少し正確に書いてみると、人の話を聴いて、相づちをうったり、リアクションしたりするのは、いったん人の話を理解して、自分の中に受け容れて、それでも自分が傷つかないように気をつけて、相手の気持ちを考えながら反応することなので、ちゃんとやろうとすると、けっこうたいへんなのです。
なので、少し無口なくらいの人と旅をして、お互いがたまにポツリポツリと話すくらいがちょうどいいようです。
ぼくが自然が好きなのも、そういうところがあるのかもしれません。自然はぼくに話しかけてきませんから…
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