海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
ぼくが田舎に住みたいわけ
以前にもやたら書いていますが、ぼくは海好きが昂じて、海辺の田舎町に住んでいます。それだけでなく、島が好きで、年に1回以上は、島に行くようにしています。特に人口が少ない離島が好きです。
こうしたぼくの好みには、海が好きという要素と人口が少ないという要素があります。
今回は、なぜ人口が少ないところが好きかということについて書いてみたいと思います。
人口の多少によって、人は他者への関心やふるまいを変えるんじゃないかというのがぼくの考えです。
どういうことかというと、たとえば渋谷を歩いているときに、人はいちいちすれ違う人に関心をはらったりしません。よほど奇抜な格好をしているとか挙動不審であれば注意はするでしょうけど。
でも、人口が数百人という島へ観光に行って、道を歩いていて、向こうから人が歩いてくれば、挨拶くらいはするでしょう。場合によっては立ち話をするかもしれません。
これと似たようなことを椎名誠さんがエッセイで書いておられたような気がしますが、ぼくも同感です。
ちなみにぼくの住んでいるあたりは、夏の土日などのピーク時には観光客が結構来ます。地元の人とわかれば挨拶はしますが、観光客には挨拶しません。でも、冬の閑散期には、道ですれ違う人には、地元民、観光客にかかわらず、挨拶はします。
人が周囲にいる他者の多少で振る舞いを変えるということの理屈はわからないのですが、実際ぼくはそういう体験を何度もしています。
ざっくりまとめると、人は他者が多いと他者への扱いをぞんざいにするし、少ないと丁寧にします。より協力的に親切になることだってあります。
これが、ぼくが住む場所や旅先をできる限り人の少ないところにする理由です。人が少ないところにいると、他者との交流が密になり、それがぼくには心地いいのです。
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世の中のことは、たいてい、なんとかなるようです
海でウォータースポーツ(マリンスポーツ)をしていると、結構危ない目に遭います。もう30年以上ウォータースポーツをしてきましたが、「今度こそ死ぬかな」と思ったことは10回位あります。
死なずに陸地に戻ってきて、大きく深呼吸したときの喜びと安心感は、ぼくの五感に染みこんでいます。
世の中にはいろいろなことがあって、いろいろな仕事があって、それぞれみんながそれをやっているから社会は回っているのでしょう。
ぼくのような、しがないオジサンでも、仕事があって、家族があって、日々雑事が山積しています。大切なこともあるし、大切じゃないこともあります。
この大切さの基準を大まかに、本当に大切なことだけにできないかな?というのが、ぼくの思いです。
もう少し詳しく説明させてください。
あるとき駅の改札口で、駅員さんに文句をいっている年配の男性を見たことがあります。ぼくはSUICAの設定をリセットして欲しかったので、その男性の話が終わるのを待っているときに話の概要が聞こえてきました。かれこれ5分以上は待っていたのです。
その男性の不満というのは、ホームのアナウンスの音量が大きいというものでした。まあ、確かに音が大きいなと思うことは時々ありますが、それって5分以上のかけて一駅員の担当者(たぶんその人が大きな音でアナウンスしたわけではないと思うのですが…)にいうことなのかな、というのがぼくとしての感想です。
こうした、(ぼくからすれば)些末なことにクレームをいうパターン自体は、わりとよくあることじゃないかなって思うのです。
さて、ここでまた話が変わります。
故人となった政治家がいったと何かで読んだ記憶があるのですが、「この世のことは、この世でなんとかなる」という言葉があります。
解釈は人によって違ってくるでしょうが、ぼくは政治家という国家の方向を決めたり、国民の安全(命)を左右するような決定をする重責を担う仕事に就いている人が、どんな大きなことがあってもなんとかなるものだ、だから動じるんじゃない、という意味だと解釈しています。
そう、どんな仕事もそれぞれ大切ですが、その中でも人の命に関わることが大切なのでしょう。
海で「今度こそ死ぬかな」と思った恐怖感、パニックにならないように自分をコントロールする力、生きて帰ってきて、息ができて、メシが食えて、ビールが飲めたときの喜び。
それがあればまあいいかなと思ったりします。それ以外はあまり気にせず生きていこうと思ったりします。
三浦・長井のテイクアウト専門のおいしいシフォンケーキの店 Kipoint キーポイント
1.ロケーション ☆
2.こだわり ☆☆☆
3.店の雰囲気 ☆
4.味 ☆☆☆
5.値段 ☆☆
6.音楽
7.手入れ&掃除 ☆☆☆
8.総合評価 ☆
9.コメント
家の近くのシフォンケーキ屋さんです。ふっくらと程よい甘さで、とにかくおいしいケーキなのです。うちの妻も家でシフォンケーキを焼きますが、絶対にこのようには焼けないと、おいしいシフォンケーキが食べたいときはここに買いに行きます。
「今日はシフォンケーキが食べたいね」というと、買いに行き、生クリームを泡立てて添えて、コーヒーと合わせていただきます。このひとときがとてもシアワセ。
本店は134号線の荒崎の分岐を超えた少し先にあります。休日は午後になると売り切れていることが多いので要注意です。他にも「すかなっごっそ」「葉山ステーション」「うらり」という道の駅的な店にも卸しているので、見かけたら試しに召し上がってはいかがでしょうか。

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旅先の海辺でスーパーマーケットに行く楽しみ
みなさんA-COOPってご存知ですか?
Aコープって書いてあることもあるんですが「えーこーぷ」って読みます。何かというとスーパーマーケットです。
ぼくが行くような田舎の海辺の町や人口の少ない島でもA-COOPはあるので、昔から馴染んでいて、大好きです。JAがやっているので、品揃えがイオンとかヨーカードーなどのスーパーと少し違っていて、初めてみる商品に出会えたり、A-COOPのPBとか地元の野菜や魚なども並んでいたりして、見ていると楽しくなります。
ぼくがA-COOPが好きなのは、海への旅へ行く→滞在中の買い出しでA-COOPに行く→楽しいという、よい記憶が定着しているからなのでしょう。
旅先でゆったり地元のスーパーに行くのって、ぼくは好きです。友達と一緒に海旅をすることが多いんですが、たいてその晩の酒や肴を買いに行くというパターンです。
ぼくが行くような海辺の町にはコンビニなどなくて、A-COOPしかないというところも結構あります。場所によってはA-COOPすらなくて、よろず何でも売っている商店しかないというところだってあります。
地元のスーパーや商店へ行って、買い物をしている人がどんな人か、どんな物がどのくらいの値段で売っているかなどを見ながら、買い物をするのって旅の楽しみのひとつです。

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ゆっくり、のんびり、丁寧に、が最近のわが家のテーマになっています
思えば20代30代40代と仕事で忙しくて、プライベートも子供中心の生活で、日々何かに追われながら暮らしてきたような気がします。土日も遊びの予定をパンパンに詰めて、忙しくしていたような気がします。
たぶんぼくの性格によるところが大きいと思うんですが、自分で自分を追い立てていたのでしょう。
最近はもう少し、のんびりと丁寧に日々を過ごしてみたいなあと思うようになりました。
せっかく海辺に暮らしているんだから、日々の海の様子をよく観察したり、砂浜の散歩を楽しんだり、家の裏山の植物の生長を観察したり、鳥のさえずりに耳を傾けたりしてみようかと思ったりします。
これまで自分が気がついていないだけで、自分の周囲には、関心を向けさえすれば、興味深い、奥深い世界が広がっていたのでした。
それらを素通りして、前に進むことばかり考えていたのです。
日々の食べ物も、できる限り土地の旬のものをおいしく食べるように心掛けています。そうしたことで毎日が楽しく過ごせます。お金を使って贅沢をしなくても楽しく過ごせるんだな、と改めて気づきました。
毎日をゆっくり、のんびり、丁寧に、が最近のわが家のテーマになっています。
イライラしたときはピースオブマインド
□ 最近イライラしている
□ お酒の量が増えている
□ 些細なことで腹を立てる
というような、ストレスチェックの項目にすべてyesで答えてしまいそうな日々を最近過ごしています。
休日ともなれば海遊びをし、ビールを飲んで浮かれているぼくのことですから、他の人と比べれば、相当のんびりマイペースな人生を送っていると思いますが、そんなぼくでも、瑣事雑事が続き、コロナ禍で友人と酒を飲んだりもできず、海遊びをする時間もなくなったりすると、イライラしてしまいます。
いつもなら海に出て、スキューバダイビングとかシーカヤックなどをやれば気分がスッキリするんですが、そんな時間もとれません。
そんなときは、友人からもらったオリジンズのピースオブマインドというアロマを、うなじやこめかみに塗って丹田呼吸法を10分ほどすると、いくらか気分がスッキリします。
防水じゃないモノを持たなくなる弊害について
なんだかんだやっているうちに歳をとってしまい、気がつけばウォータースポーツを始めて30年以上経ってしまいました。
スキューバダイビング・シーカヤック・サーフィン・セイリングと時間さえあれば海に出ています。
普段使うもの、時計はもちろん、スマホやカメラもバッグも服も防水のモノを選ぶのが当たり前になっています。ちなみにkindleもpaperwhiteという防水のを使ってお風呂で本を読んでいます。
そのせいか日常生活の些細な場面で、モノが水に濡れるということを気にしなくなってしまいました。
手を洗うときとか、風呂に入るときとか、雨のときとか、もちろん海に出るときとか、そういう状況で、持っているモノは濡れても大丈夫だと思ってしまうというか、水に濡れないようにすることを忘れてしまいがちなのです。
ぼくはipadを使っているんですが、家のデッキでipadで雑誌を読んだり動画を見ながら、コーヒーを飲んだり、ビールを飲んだりしています。潮風に吹かれながら海を眺めながらリラックスできる時間が好きなのです。
ただ、生来おおざっぱなせいか、ipadをデッキのテーブルに置いたまま、トイレに行ったり、ちょっと他のことをしたりします。
先日、急に雨が降ってきて、気がついたらデッキのテーブルの上のipadがけっこう濡れてしまって壊れてしまいました。そういえばipadは防水じゃないんですよね。
いや、頭では理解しているんですが、普段モノを水に濡らさないように気をつけていないので、そういうことが起きてしまうんでしょう。
ウォータースポーツをする人が、楽観的・楽天的であることと慎重かつ綿密であることについて
ウォータースポーツを30年以上やっていて、時には危ない目に遭ったりします。死にそうになったこともあります。
なぜそんなことをするのかということは以前に何度か書いたのですが、まあざっくり早い話、それが魅力的だからです。
じゃあウォータースポーツをやる人が、リスク選好型の無謀な人が多いかというと、そうとはいえない気がします。
もしかしたら山登りをする人や冒険家も同じかもしれません。
そう、今回は自然を相手にする人の気質について書いてみたいと思うのです。
ぼくの周囲のウォータースポーツをする人を見てみると、無謀というよりもどちらかというと慎重で、事前準備を細かくきちんとする人が多いような気がします。
ただ、楽観的・楽天的な人が多いようにも思えます。自分がやりたいことがはっきりしていて、それが実現すると信じているところがあります。
それから、自然の脅威に対しては、事前に対策ができるのでそれほど怖くない、それよりの人間の振る舞いの方が怖いと思っているフシもあります。
自然を相手にしているからそういう性格的な傾向が身についたのか、それとも元々そういう性格のタイプの人が、ウォータースポーツをしたがる傾向にあるのかはわかりません。
でも、一面で楽観的・楽天的な人が、一面で慎重かつ綿密であるというのは、すごくおもしろいと、ぼくは思うのです。
踏み込んでいえば、充実した人生を送る上で、大切な素養だよなあ、と思うのです。
防波堤でビールを飲む夕べ
以前からよく書いていることですが、ぼくは海辺に住んでいて、休日ともなれば朝からウォータースポーツをして、夕方帰ってきて風呂に入って、デッキで海を眺めながらビールを飲むというのが、とても好きなんです。平日の仕事で溜まったストレスが解消されてすっきりする感じがします。
で、次によくやるのが、朝からウォータースポーツをして、夕方帰ってきて風呂に入るまでは同じなんですが、その後、近所の防波堤まで行って、そこでビールを飲むということです。
身体を動かしたあとに飲むビールはうまいわけですが、潮風を浴びながら飲むビールもうまいものです。
夏の夕方、昼間の暑さが収まり、西からの潮風が吹いてきて、少し高くなった波が防波堤にぶつかる音が響いてきます。
陽がだんだん傾いてきて、伊豆の山に近づいていきます。刻々と空の色が、青、オレンジ、紫色、墨色と変わっていきます。それにつれて山の陰の色と海の色もだんだん変わっていきます。よく黄昏の時間をマジックアワーといいますが、本当に不思議な美しさだと思のです。
そんな中でビールのプルトップをプシュっと開けて、ゴクゴクゴクと飲むビールのうまいこと…
現実逃避としての海
ぼくは若い頃から海が好きでした。
広くて、明るくて、楽しくて、自由で、ノビノビゆったりできるところ、それがぼくの海のイメージです。
ぼくが小さい頃は、若いお姉さん達が、南の島のリゾートに旅行に行くのが流行っていて、CMで流れている珊瑚礁の白い砂と、透明度の高い海と、白亜の豪華なホテルというステレオタイプなイメージが、夢の国のように思えました。
それが理由かわかりませんが、夢の国・楽園という言葉から、ぼくが連想するのは南の島の海辺です。
海好きが昂じて、海辺の田舎町に引っ越してしまいました。休みの日には、スキューバダイビング・シーカヤック・サーフィンなどを楽しんでいます。
そんなぼくですから、ときどき「なぜここまで海が好きなのか」って考えたりします。
理由は先ほどのように、海が楽しくて居心地がいいからですが、もっと先の理由を考えると、「現実逃避」「人嫌い」という言葉が頭をよぎるのです。
楽園の話しを先に書きましたが、古来、人は楽園の存在を夢見ていたようです。中国からは桃源郷のイメージが伝わってきましたし、昔話では竜宮城が出てきますし、沖縄ではニライカナイのイメージが共有されていますし、日本の仏教では補陀落渡海が行われていました。
これらの背後に感じられるのは、海の向こうに(あるいはどこか遠くに)、この場所の辛い暮らしとは違った、とても楽しく暮らせる場所があるのではないか?というメタファーです。
これって今の辛い暮らしを乗り切るための現実逃避、あるいは気休めなんじゃないのかなあ、とぼくは思うのです。ぼくがそう思うのは、ぼくが海に居たいのは、日々の責任や雑務や人付き合いからしばし開放される場所だからです。ぼくが海を現実逃避の場所としているから、楽園的なイメージをそのように解釈してしまうのかもしれません。
ぼくは大学生の頃に湘南でサーフィンを始め、東伊豆でスキューバダイビングを始めました。以後、今まで続いています。
大学卒業後サラリーマンになって、平日に忙しく辛い仕事をこなし、土日は、海でやっと自分らしくいられるという日々を送ってきました。
やがて結婚し、子供が生まれました。それは幸せなことでありながら、責任を負うことでもあります。人生のそんな時期にも、ときどき1人で海に行くことは、ぼくにとって大切な時間でした。
ぼくは自分の中で、社会人の大人としての役割を果たす一方で、そこから離れた本来の自分に戻る場所として海を希求していたのです。海にいる時間がなければ、ぼくはどこかで破綻していたんじゃないかと思うのです。ぼくが「海が好き」というときには、自分の存在のバランスを保つためになくてはならないものという意味が含まれています。
そういう自分らしくなれる趣味や場所や時間みたいなものを、誰でも持っているのかもしれません。
ちなみにぼくは山本周五郎の『樅ノ木は残った』が好きで何度も読み返してしまいます。主人公の原田は、普段は家老としての務めを果たし、自分の秘めた志を隠して、信頼されるバランスのとれた人を演じます。その原田が、ときどき山小屋に籠もって狩りに没頭するのですが、その2面性に共感してしまいます。
ここまでの話しには、社会で生きる上での役割を務めなければいけないということと、自分らしさをどこかで実現するという構造があるわけですが、仮にぼくに海という場がなければ、ぼくも楽園を日々夢見ていたかもしれません。あるいは今の解放される場所としての海以上に幸せに居られる場所としての楽園としての海が、もしかしたらあるかもしれない、いつかはそこに行けるかもしれない。そんな風にも思ったりします。
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