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癒しの場としての海



 ぼくは海でウォータースポーツをして遊びますが、一番安らげるのは、人のいない海でのんびりしている時間です。その時間が作りたいがために、海のそばに引っ越しました。
 なぜそうなのかはよくわかりません。
 開けている空間・青い海と空・打ち寄せる波・潮風…そういう要素が心地いいんだと思います。そういう空間に身を置くことで「今、自分は自由だな」「今、自分は安らげているな」「今、自分は幸せだな」って実感できます。
 たぶん多くの方が気分転換のための趣味などをお持ちでしょうが、ぼくの場合それが海で遊ぶとか、海で過ごすということです。
 もうかれこれ30年以上もそんなことを続けていて、でも飽きないので、本当に好きなんでしょう。
 海を眺めながら、ボーッとしたり考えごとをしたりするわけですが、これまでの人生とか、これからどう生きていこうか、なんてことも考えたりします。
 気持ちがゆったり落ち着いているせいか、わりと中長期的なことを考えたりできます。
 ぼくはだいぶオジサンですが、将来への心配とか不安とか日々起きるイヤなことや腹立たしいことなどはたくさんあって、それはなくならないことがやっとわかってきました。それらを感じているのは、ぼくの脳なので、ぼくが生きている以上なくならないんじゃないかと思います。
 一方で、日々楽しく過ごしたいわけですが、その楽しい方向に気持ちを切り替えるきっかけが、海なのです。そうやって気持ちを切り替えると、中長期的で大きなことに思考が向かうのかもしれません。
 逆の書き方をすると、海という気分切り替え装置がなければ、ぼくは、ストレスでずいぶん悩んでいたんじゃないかなあと思うのです。
 人それぞれ、気分転換の方法やストレス解消法をお持ちだと思いますが、もし、そういうのがないとか、海が好きという方は、ぼくのようなタイプがいるということも、多少は参考になるかもしれません。







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海遊び界あたりのマイペースな人達



 ダイバー、サーファー、セイラー、パドラー。
 そんなぼくの周りの海遊び人というのは、割りとマイペースな人が多いんです。いい意味でも悪い意味でもマイペースです。
 そういうマイペースな人達を見ていると、羨ましいなと思うのです。ぼくには、なかなかできないし、その人達自身はとてもシアワセそうだから…
 たとえば企業など勤め先の組織によっては、自分の個性を抑えて機械の歯車のように働かなければならないところもあるでしょう。
 ぼくの周囲のマイペースな人達は、そういう組織ではたぶんうまくやっていけないだろうと思います。でもそれはそれでいいんじゃないかなあ。無理してもどうせ本人も周囲も組織もシアワセではないでしょうから…
 人はその個性に合った居場所というのがあるような気がして、それをうまく見つけられるか、周囲の環境を自分が居心地がいいように変えていけるかというのは、シアワセな人生を送る上でけっこう大切な能力?技術?な気がします。自分に合った場所で、なんとか食べていけるだけの収入を得ていくというのは、そんなに簡単なことではないし、学校では教えてくれませんけど…







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晴漕雨読の日々を送っています



 海辺に暮らし始めて30年以上経ちました。
 その間、海況によってスキューバダイビングとシーカヤックとサーフィンをし、海が荒れてどうしてもウォータースポーツができない日は、庭いじりをしたり、マリングッズのメンテをしたり、本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごしています。
 特にシーカヤックについては、始めてからかれこれ20年くらい経ちますが、一番やりやすいので、自ずと回数も多くなります。やりやすいという意味を詳しく書くと、海況がある程度穏やかで(サーフィンができるほど波がなくて)、朝起きて、思いついたらすぐできる(スキューバダイビングのように事前にダイブサービスに予約する必要がない)ということです。
 まさにぼくの海辺暮らしは、晴耕雨読ではなくて晴漕雨読という感じになっています。
 でもウォータースポーツができない日がつまらないかというとそうでもなくて、音楽を聴きながら、窓から海を眺めつつ、昼ならコーヒーを、夜ならビールを飲んだりして、そんな時間もなかなか楽しいものです。

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ちょっとお昼においしい魚でも食べようかと思ったら行く店 あらさき亭

1.ロケーション ☆☆
2.こだわり ☆☆
3.店の雰囲気 ☆☆☆
4.味 ☆☆
5.値段 ☆☆
6.音楽 
7.手入れ&掃除 ☆☆☆
8.総合評価 ☆☆
9.コメント
 うちの近所のお店です。休みの日のお昼に「ちょっとおいしい魚が食べたいね」みたいなに時に行くお店です。
 長井のノンビリした漁港のそばにあって、お店の窓からは海が見えます。
 出てくる料理はたいてい地魚を使ったメニュー。鮮度もよくておいしいです。
 お店の女将さんが親しみやすくて、丁寧で、いろいろ世話を焼いてくれるのも嬉しいです。小さな子供連れでも嫌がられません。
 常日頃、湘南によくある、小洒落たわりに料理がたいしてうまくもない店にはうんざりしていますが、鄙びた漁港のそばで地に足をつけてやっているこういう店がもっと増えるといいのになあと思います。







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海を眺めながら、心配や不安について思うこと…



 海にいることが好きで、休みの日に特に用がなければ、海で遊んでいます。
 広く青い海、流れる雲、吹き抜ける潮風、まぶしい太陽、潮の香りに包まれながら過ごす時間がとても好きなんです。
 海を眺めながら、昔のことや将来のことを考えます。
 アラフィフのオジサンとしては、これまでなんとかやってきたじゃないかという自信というか実績に対する思いと、一方で、これから先、体力も落ちるし、健康も心配だし、老後も含めて大丈夫かなあという心配とか不安のことを考えます。
 先のことは考えたってわからないし、どうしようもないんだよなあーなんて思ったりします。まあ、これまでもやってこれたし、なんとかなるさ、などとも考えます。
 ぼくの家の近くの海からは、海岸線がずっと見渡せて、江の島や富士山が見えます。海岸線には家やマンションが建て込んでいて、結構な町が続いているのが見えます。夜になるとそれらが街明かりとなって、海沿いをなぞるように続くのです。
 そうした家々を眺めながら、それぞれの家に人がいて、暮らしがあって、喜びや悲しみや希望や悩みがあるんだろうなあ、などと思ったりします。
 そして、それらの人々は生まれては死んでいくわけで、それはもう自然なことで、過去に生きた人もいろいろな喜びや悲しみや希望や悩みの中で、人生を過ごしたんだろうなと想像したりするんです。
 たぶん人というのは、というかぼくは、どんな環境にいても、悩んだり心配したりするんだろうなあと思うのです。
 そんなことを考えながら、砂浜に座って海を何時間も眺めていたりします。でも、この海も富士山も江の島も潮風も波も、何千年何百年とほぼ変わらず、今のような形であり続けているんだよなと思うと、人のはかなさや、自分のちっぽけさを改めて認識してしまいます。








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海辺で、のんびり、マイペースに過ごす時間の大切さ



 海辺でのんびり一日を過ごすのが好きです。
 自分が心地よく感じることとか、求めている環境というのは、「のんびり」と「マイペース」がキーワードなのかな?と最近思うようになりました。
 休みの日などはのんびり過ごしたいなーと思うのです。
 のんびり過ごしたいというと、一日中テレビを見ながらゴロゴロしているようなイメージがあるかもしれません。ぼくが望んでいるのはそういうんじゃなくて、スキューバダイビングをしたり、ガーデニングをしたり、海辺を散歩したり、読書をしたりしながら、予定を詰め込みすぎず自分のペースで一日を過ごしたいということです。
 親しい友人と一緒に過ごしたいときもありますし、家族と一緒に何かをすることもありますし、自分独りでいることもあります。ただ完全に自分のペースで過ごせるのって、やはり独りの時なので、単独行動が多いかもしれません。
 なので、正反対の状態というのは、誰かから与えられた目標に対して、急かされたり、達成のプレッシャーを受けたりすることです。会社勤めでは必ずこうした場面があると思いますが、ぼくは会社勤めに向いていないのかもしれません。あるいは会社勤めを長年続けるうちにそういう環境がイヤになっちゃったのかもしれません。あるいはみんなそうなのかもしれません。
 のんびり・マイペースといっても、自分が一番ホッとできる環境がありまして、それは海辺で、人が少ないところです。というかぼくしかいない海辺がとても好きです。読書も海辺の人が来ないビーチで、タープとチェアとテーブルをセットして、ゆっくり読書するのが好きです。
 いつからそんな風になったんだろうと思うんですが、大学生として上京して一人暮らしを始めた頃からときどきそんな感じで休みの日を過ごしていました。その頃はなんとなく人付き合いに疲れると、小田急線に乗って、鵠沼海岸あたりに行って一日ボーッとするという感じでした。小田急線を使うのはJRよりも乗車賃が安いから…
 でも今思えば、それが出発点ではあるけれど、自分のやりたいことはそれであって、今も基本的には変わっていないのです。
 ぼくは他者と一緒に何かをすると気疲れするということがあります。
 幼稚園にも行きたくなかったし、小学生の時も新しいクラスに馴染むのに時間がかかりました。たぶんその集団のルールがどういうもので、自分がそれに反しないか見極めて、自分を抑えていたんじゃないかって思います。
 一例では、みんなでお遊戯をするから、あなたもみんなと同じようにしなさいって急かされたり、強制されたりする場面です。本当はそんなことしたくないけど、しないと変な人だし、みんなにも迷惑をかけるからやらなきゃ、みたいな状況です。
 その頃から集団で何かをすることと、個人の自由というか個人のその人らしさをどこまで損なわずにいられるのかということについて、考えるようになりました。というかぼくの生きる上のでのテーマといっていいと思います。まあ、多くの人がそれを難なくやって社会に適応しているんでしょうが、ぼくにとっては、どこまで自分を抑制しなければならないかがわりと大切なことだったのです。
 そうしたことを悶々とした気持ちを抱えながらアラフィフになりました。平日は集団の中での自分らしさをバランスをなんとかとりながら過ごし、休日は海辺で、自分らしい時間を過ごすことにできる限り時間をとる、というのはもう何十年も変わっていません。
 今度の週末はどこの海で、どんな風に遊んで、のんびり過ごそうかな…







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スキューバダイビングでココロの垢を洗い流す



 日々生活していると大なり小なりストレスってありますよね。
 ぼくは、ストレスを感じていないと自分で思っていても、意外に少しずつストレスが溜まっていたことに気づくタイプです。
 喩えるなら、洗面所のパイプに汚れが少しずつこびりついていき、気がつくと水が流れにくくなっていた様子に似ています。
 特に40歳を過ぎたあたりから、そうしたストレスを自覚するようになり、日々の小さなストレスをこびりつかせないように、気分転換をするように意識しています。
 やっていることといえば、朝、海辺をジョギングすること、仕事の帰りに海辺を散歩すること、週末に海遊びをすることです。これで日々のストレスを溜めるのを防ぐことができているように思います。
 特に週末の海遊びの中で気に入っているのは、長年続けているスキューバーダイビング。大学生の頃に始めたので、かれこれ30年続けていることになります。
 スキューバダイビングの魅力はたくさんあって、一例として、魚が見られたり、異世界のような水中景観が楽しめるなどの他に、水中での無重力感自体が気分をリフレッシュさせてくれるということがあります。
 生きていると重力から解放されることはありません、当たり前ですけど…
 でも、スキューバダイビングをするとこの重力からも解放されるのです。重力を感じないと人の身体ってこんな風になるんだって、スキューバダイビングをして初めて気づけました。
 日々当たり前のようにさらされている重力から、一時的にでも解放されることと、日々感じずにはいられないストレスを解消できることに、何かしら共通したものを感じてしまいます。

 先ほど、スキューバダイビングでリフレッシュできるという表現を使いましたが、リフレッシュという言葉では正確でない気がしています。スキューバダイビングをした後に「あースッキリした!」と独り言をつぶやいていますから、溜まっていたココロの襞の垢を洗い流すような感覚です。

 こんな風に同じ趣味を30年以上続けてこられて、それでストレスを解消できて、それはそれで人生の小さな幸せだな、と感じています。

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海が荒れているときは、カフェで海を眺めてノンビリする



 休みの日に海で遊んだり、海辺を散歩したりすると、スッキリ気分転換できます。
 でも海が荒れていたり、大雨だったりすると、それもできません(小雨だったら海に出ちゃいます)。
 そんなときは海の見えるカフェに行きます。そこはわりといつも空いているので、ゆったりできて気に入っています。
 自分でも不思議なんですが、海を眺めていると気分転換できます。かれこれ30年近く休日ごとに海で気分転換をしているので、習慣になっているのかもしれません。とにかく自分にとって心地いいことは確かです。
 カフェの窓越しに海を眺めながら、コーヒーを味わう、ただそれだけなんですが、そうした時間をとるだけで、気分がスッキリします。
 窓を流れる雨、白波が立つ海、遠くにかすむ漁船、港の防波堤、そんな風景を眺めながら、何をするわけでもなくのんびりした時間を過ごします。
 海を眺めていると、自然ってすごいなあと思ったりします。台風のときなどは恐ろしいほどに荒れるし、ベタ凪のときは池のように穏やかです。人はずっとそんな海からいろいろな恵みを受けて生きてきたんだろうな、なんて考えたりします。
 ぼくと同じように海を眺めながら、海に癒されて生きている人もいるんだろうな、なんて考えたりもします。
 そんなどうでもいいことをいろいろ考えながら、海を眺めている時間が、ぼくにとっては結構大切なんだと思います。
 ずいぶん長い時間、海を眺めていたような気がします。さて、雨もそのうち上がって、太陽が照り、海も穏やかになるでしょう。そうしたら、また海に出ましょう。







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南国への憧れ



 以前、与論島を旅したときに「南十字星が見える島」というフレーズを見たことがあります。南十字星という響き、いいですよね。
 南の地への憧れがあります。南の地といってもわかりにくいですね。たとえば沖縄とかハワイとかモルディブとかそんなイメージで使っています。
 珊瑚礁・まぶしい陽射し・青い空・薄いブルーの海・ゆったり流れる時間…
 なぜなんでしょう。日本の本州の海も好きなんですが、それでも、もっと南の海に憧れてしまいます。ぼくのなかでは楽園のイメージとつながっている気がします。
 そう…楽園、実在はしないとわかっていながら、憧れてしまう存在…その楽園に少しでも近い場所が、もしかしたら南国にはあるかもしれない、いや、ありそうだなあとぼくは思ってしまうから憧れてしまうのでしょう。
 でも桃源郷とかパラダイス、ユートピア、極楽浄土、補陀落と楽園に近いイメージは、昔から世界中に見られるようですから、人々は厳しい現実を生きながら、楽園を夢見ていたのかもしれません。






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パドリングとマインドフルネス



 ウォータースポーツを30年以上やってきました。
 最初はサーフィン、そしてスキューバダイビング、シーカヤック、セイリング。こうして書くとまったく道楽者だなと思います。
 それぞれに楽しみがあるんですが、シーカヤックというのはつくづく楽しいなあと思うのです。何が楽しいかというと、パドリングです。他にももちろん楽しい面はあるんですが、今回はパドリングの楽しさについて書いてみます。
 シーカヤックのパドリングはマインドフルネスになっているんじゃないかなって、最近思うんです。
 パドリングをしているときは、コース取り、波、風、潮流、周りの景色、近くの船舶などに注意しているわけですが、ぼくの場合、そんな注意をしつつ、好きな歌を口ずさみながらパドリングをします。
 それにも飽きてしまうと、一漕ぎ一漕ぎに意識を向けながら自分の使っている筋肉や波の手応えなどを感じながらパドリングします。
 そのときの感覚がマインドフルネスとか瞑想に近いように感じるのです。無心になれるというか、気分がスッキリします。
 もちろん大海原を自分の力だけで漕いでいくのも楽しいですし、筋力トレーニングもできます。それにマインドフルネスもできるわけですから、なんというかお得というか、メリットの多いスポーツだと思います。別にメリットでウォータースポーツをしているわけではありませんけど…







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