海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
最近、海遊びの計画を立てるのが面倒くさくなってしまいました
以前は週末となると、海で何をして遊ぼうか、どこか遠くの海に行こうか、などと考えて、予定をパンパンに入れてました。
でも、最近といっても今年になってからですが、歳のせいか、それとも体調のせいか、あまり予定を入れず、なんとなく海でノンビリすることが多くなりました。
気が向いたら、ふらりとビーチを散歩したり、軽くシーカヤックをしてみたり、デッキで海を眺めながらコーヒーを飲んだりと、そんな感じでフニャフニャと週末を過ごしています。
ぼくとしてはもっとアクティブに海遊びを満喫しているのが、本調子のときの自分なんですが、ちょっと疲れてるのかな?
これは一体どうしたものか、自分でもよくわからないんですが、たぶん計画を立てるのが面倒くさくなったんだと思うんです。計画を立てて、そのとおりにことを進めなければならないというのが、面倒くさくなったんでしょう。
まあ、そのうち以前のように海遊びを満喫できるようになるだろうし、まあ、なんとなく予定を立てないで、海をブラブラするのもそれはそれでノンビリできて楽しいし、まあいいやあ、と全体に「まあまあ」気分なわけです。
いつか以前のように戻るのかなーなんて、海を眺めながら考えている今日この頃です。
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休日に海でのんびりマイペースに過ごす喜び
ぼくの大好物は、海辺でのんびりマイペースに過ごすことです。
ただ、会社で仕事をしていると、のんびりマイペースでいることは、なかなか難しいものです(中にはそうしている人もいますが…)。
仕事には期限がありますし、最近はダラダラと残業をしていると、上司や同僚の厳しい目が向けられます。できる限り短時間により効率よく、より多くの仕事をすることが求められるので、自ずと忙しく働くことになります。ふとしたときにぼくは、仕事って締切りの連続のことだなと思ったりします。
ぼくはその締切りと慌ただしさが苦手で、こんな性格でよく会社員を長年やってきたなあと、自分でも感心してしまいます。誰かに何かを強制されるのがすごく苦手なんですが…
平日はそんな感じで慌ただしく過ぎていくわけですが、だからこそ休日はのんびりマイペースに過ごしたいなあと思うんです。誰かに強制されず、一日の時間を全部自分で決めていい自由って、なんて素晴らしいんでしょう。
ぼくにとって、のんびりマイペースに過ごすことは、何もせずダラダラすることではなくて、一日の時間を自由に自分で決められることを意味します。それがとても嬉しくて、自分の人生を生きているなあと感じます。少し大袈裟ですかね…
で、何をやるかというと、海で遊ぶというのが一番多いパターン。
海にいると、単純に癒されるし、ノビノビできるし、大らかになれるからです。
そんな休日が楽しみで、平日を乗り切っているという感じです。
僕と同じように休日を楽しみにして、平日を乗り切っている勤め人って多いんでしょうね?
オジサン達のおバカダイビング旅
ぼくは年に1、2回、家族とは別に、ぼく独りか、ダイビング仲間と1週間くらいのダイビング旅に出ます。最近はコロナのせいで行けてませんが…
同行するダイビング仲間は、そのときどきで1人から3人と、それぞれのスケジュールの具合で変わりますが、かれこれ20年くらいそのメンバーでダイブトリップをしているので、気心も知れていて、各自のダイブスキルレベルもわかっていて、安心で楽しい旅です。
メンバーのNさんは、最年長なので、その人がリーダーっぽくて、ぼくやそれ以外の人が事務的な雑用をやるというのが旅運営の多いパターンです。予定を組んだり、チケットをとったり、宿を予約したり、飯屋を予約したり、そういう雑用ですね。ぼくが海のことやダイビングのことに詳しいので、なんとなく世話人的な役をやることが多いです。
この役は、自分の好みで旅を仕立てられるという役得もありますが、予約した宿やダイブサービスがいまいちだったりすると、メンバーの悪し様な非難を受けるという、損な役でもあります(こっちはボランティアでやってるんだから文句いうなといいたいですけど)。
行き先は離島が多くて、伊豆七島の場合もありますが、できれば小笠原、それが無理なら沖縄の離島を目指す! 時には海外へ、ミクロネシアかポリネシアも目指したいけど、休みの日数が足りないぜ、沖縄本島や伊豆大島じゃ物足りないぜ的な共通認識がメンバーの中に共有されています。いつの頃からこうなったんだろう…
こういうメンバーでダイビングをすると、ダイビング自体ももちろん楽しいんですが、ダイビングが終わった後の夕食+飲み会が楽しいわけです。
その日見た魚の話しから始まり、最近、各々の職場で起きた笑い話、日々の愚痴、過去のダイビングのズッコケドジ話など、どんどんバカ話が展開されて、いつしか、時、深更に及ぶ、という呑んだくれの旅程が続きます。
何度も話題にあがるのは、メンバーのH君が御蔵島ドルフィンダイブで、三宅島から出た船内で、重度の船酔いになって、行き帰り、ずっと船内の長椅子に横たわっていて、起きたと思ったら吐く、そしてまた横たわる繰り返していて、イルカの背びれさえ一度も見なかったという話しです。タフなダイビングを好むメンバーからは、この船酔いの軟弱ぶりが笑いのタネになります。
もうひとつよく話題にのぼるのが、ぼくのマーライオン嘔吐事件です。どういう事件かというと、野外でBBQや焚き火をしていたときに、かなり深夜まで呑んでいて、各自がかなり酔っぱらって、ホールディングチェアにグッタリして、ウトウトしているような頃合いに、ぼくが突然、ホールディングチェアに座ったまま、横を向いて吐いたのです。そして次の瞬間には、何もなかったように焚き火に薪をくべ、さらに酒を飲んでいたという話しです。メンバーの間では、嘔吐の唐突さと、地面以外のどこも汚さなかったことと、立ち直りの速さが素晴らしいとの評価を受け、それ以来ぼくは、マーライオンとかゲロロ軍曹と呼ばれるようになりました。
海辺の田舎町における人と人との物理的な距離感について
人と人との距離感。といっても、物理的な距離感って何だろうって思います。いわゆるパーソナルスペース。
ぼくは海辺の田舎町に住んでいて、平日は街に働きに行き、休日は海でシーカヤックをしたり、スキューバダイビングをしたりしています。
休日は、スーパーマーケットやコンビニなどのお店に行かないと、人と近く接することはほとんどありません。海辺の田舎町の通りは、人とすれ違うのもたまにあるくらいで、それも近所の知り合いです。ましてや海の上では、たまにウォータースポーツをしている人とすれ違いますが、遠くですれ違うくらいです。
一方で、平日は、ラッシュの電車に乗りますし、会社ではオフィスに大勢の同僚が一緒に働いています。昼食に行けばお店は混んでます。
平日と休日で極端にパーソナルスペースが違う環境に身を置いてみて、パーソナルスペースが少ない(人と人との物理的な距離が近い)と、気持ちの疲れ方が激しいということを実感します。なんだかグッタリする感じです。
ぼくは海が好きで、海辺の田舎町に引っ越しましたが、海が好きな理由のひとつに人口密度が低いことを挙げるくらい、パーソナルスペースについては気になります。
20代の頃、東京23区内で独り暮らしを10年くらいしていて、人が多いことに慣れるかと思いましたが、結局慣れませんでした。人混みがストレスで、海辺の田舎町に引っ越しを決めたくらいです。
平日に、満員電車に乗っている人や、混み合ったデパートにいる人、混み合ったカフェでお茶している人などは、慣れているのか、それとも我慢しているのか、よくやるよなあと思います。推測するに満員電車はさすがにイヤだけど、混んでるカフェくらいならokという人もいらっしゃるのでしょう。本当に平気なのかな? ぼくは混んでる店とかデパ地下とか苦手なんですけど…
そんなわけで、海辺のわが家に帰ってくると、ホッとできます。すごくノビノビして、自由を感じます。この前の休日もビーチにテーブルとチェアを持って行って、お茶しました。波の音を聞きながら、雑誌を読みながら、コーヒーを楽しみました。ビーチには誰もいません。いいなあーこういうの。

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ぼくは、なぜ癒しを求めるんだろう?
ぼくは海が好きです。それは海にいると癒されるからです。ぼくは癒されるのが好きなんですが、なぜなんでしょうか?
みなさん、やはり癒しを求めていらっしゃるのでしょうか?
人って癒されることが必要なんでしょうか?
ぼくは癒されることに特別に執着しているんでしょうか?
webとか売れている本を見ると、癒しをテーマにしたものが目につくので、おそらく多くの人が癒しを求めてるのかもしれない、とは思います。
ただ、すごく大きなテーマなので、とてもぼくの頭では答えが出そうにありませんが、ぼく自身の心理状態を考えることはできそうです。
ぼくが癒されるのが好きなのは、それが心地よかったり、ストレス解消になったり、疲れがとれるからであったり、安らげるからだと思うんです。癒しがないと、疲れたり、イライラしたり、人生が楽しくなくなったりします。
ぼくは特別軟弱なんでしょうか?
仮にそうだとしても、ぼくとしては人生を楽しみたいので、より癒される時間を多く取ろうとします。一日の中で癒される時間を多く取りたいのです。
でも、毎日が癒しの時間ばかりになったら、癒し自体に飽きちゃうかもしれないと思ったりもします。
ときどき聞く言説に「適度なストレスは必要」ということがありますが、癒しもバランスの問題なのかなと思います。あるいは、ぼくはストレスが少ない毎日になったら、その環境の中で自分の気に入らないことを探して、自らストレスを作り出しそうな気がします。
そうするとぼくは日々の暮らしの中で、自分で大変な状況やストレスを作り出して、それで自ら疲れて、自分で癒しを求めているのかもしれません。そういう循環から抜け出す方法はないんでしょうか?
なんとなく解決できそうだなと思うのは、不満だとか苦痛だとかイヤだと思うことを減らす、というかそう感じないようにすれば、なんとかなりそうな気がします。
海の気配が感じられると、ホッとします
海辺に住んで、はや30年くらい経ちます。そのせいか分かりませんが、海のそばに行くとホッとします。たとえば車で旅行をしているとき、海の気配が感じられるとホッとします。電車の旅でも、海のそばに来るとホッとします。
普段は東京へ通勤しているんですが、帰宅の電車が、だんだん家に近づいてきて、車窓の風景が田舎っぽくなってくるとホッとします。
なぜこんな気持ちになるのかはよくわかりません。
海の見える風景、広い空と海、海辺独特のノンビリした雰囲気、田舎のゆるやかな時間の流れ…それらがぼくの心を和ませるのでしょう。きっと、たぶん、おそらく…
ぼくは幼少の頃から海辺で育ったわけではありません。地方都市の街の中で育ちました。
夏休みに家族旅行で海に行く時は、すごくうれしかったことを覚えています。
また、ぼくの母方の祖父・祖母は、田舎の山の中に住んでいて、小学生の時の夏休みは、かなり長く祖父の家に遊びに行っていました。そこで野山を駆けまわっていました。
そんな経緯で、自分の家のある街の中の暮らしよりも、自然が近くにあるところの暮らしに憧れがあったと思います。
損なことをツラツラと考えていると、ぼくが海辺に接するとホッとする理由が少しわかったような、でもそれほど大してわかっていないようなモヤモヤした感じです。ぼくはなぜこんなに海が好きなんだろう?
南十字星という言葉への憧れ
南十字星に憧れがあります。南十字星が見える場所に憧れているといってもいいかもしれません。
日本だと、確実にきちんと見えるのは沖縄とか奄美諸島以南だと聞いたことがあります。
そういう南の土地に憧れます。
ぼくの場合、南十字星が見える海のある土地に憧れているんだと思います。
ぼくが小中学生の頃、テレビや雑誌などのメディアで、トロピカルとかリゾートという言葉をよく耳にしました。暖かくて、海が綺麗で、ノンビリしていて、自由で、くつろげる、誰もが幸せな楽園…そういうイメージを伴って、トロピカルとかリゾートという言葉が使われていた気がします。その言葉の仲間として、南十字星とかサザンクロスとか南回帰線とかもあったような気がします。
ぼくはたぶんそういう時代の雰囲気に影響を受けていたのでしょう。そしてその影響を、大人になった今でも、自分の好きなものとして引きずっているのでしょう。
以前、与論島に旅行したときに、南十字星が見える島というフレーズが書いてあったように記憶しています。それを見て、ぼくは「いいな。ずいぶん南に来たんだな」と思いました。確かに与論島は、海が綺麗で、珊瑚が豊富にあり、穏やかで、ノンビリしていて、短期滞在の旅行者にとっては、とても魅力的な場所でした。
海でノンビリすることの効用
ぼくは海でノンビリ過ごすのが好きです。
人混みとか、狭い空間で人が大勢いるところとか、慌ただしく何かしなければならないとか、人に合わせて急いで何かをやるとか、すごく多くのやらなければいけないことが山積みというのが、昔から苦手でした。たぶんもともと怠け者なのでしょう。そういえば動物のナマケモノって可愛いなって思ってますしね。
一応、社会人なので、仕事の時はそれなりにやっていますが、本当は無理してます。
その反動というか、その無理を癒すかのように、休日はボーッとノンビリ過ごしています(典型的なオヤジの休日の過ごし方ですね)。
休日は、朝起きて、デッキで海を眺めながらコーヒーを飲んで、なんとなく気が向いたらビーチを散歩して、防波堤で日向ぼっこして…みたいな一日が大好きです。
でも、そうやって丸々ノンビリできる休日ってそんなになくて、買い物にいくとか、家の修繕をするとか、庭の草取りをするとか、車のメンテをするとか、町内会の寄り合いがあるとか、親戚のところへいかなきゃいけないとか、知り合いに飲みに誘われるとか、なんだかんだいって用事が入ることが多いですね。まぁ、そんなもんかなと思って暮らしていますが、それだけに丸々一日、海でノンビリできる日は貴重です! なのでそういう日は力一杯、全力でノンビリしてます。
海でノンビリしていると、ぼくの本性である怠け者の性格が出てきて、思う存分怠けて、日頃のガス抜きになっているのが自分でもわかります。
あと、やっぱり普段の平日というのは、刺激が多すぎるんだと思います。仕事でも通勤でもそうですが、音や風景ややらなければならないことなど、ぼくにとっては刺激が多いんでしょう。麻痺しちゃって感じなくなっているんですが、でも多すぎる刺激に曝されて少しずつ弱っているんだと思うのです。なので、休日の海辺の田舎町(自分の家です)でダラダラしていると、刺激の量がちょうどよくて、それで心地いいんだと思います。あと、平日で受けた刺激によるダメージを回復している感じもします。
春先のワカメ採り
ぼくの住んでいるあたりでは、春先というか冬の終わり頃にワカメを採る人が多いです。我が家でも2月頃から3月にかけて、ワカメとヒジキを採ります。
磯に行くと、やたら生えているので、あまり硬くないところを選って採ります。ワカメって根っこのあたりは硬くて食べにくいんですよね。
そして家に持って帰ると、外の水道でよく洗って、その後キッチンで大鍋に湯を沸かし、ザッと茹でます。茹で終わったら、よく水洗いして、小分けにして冷凍します。
自分で採る以外にも、町のあちこちで無人のワカメ販売小屋みたいなのがあって、何百円かでかなりの量のワカメが手に入ります。
ワカメが販売小屋に並び始めると春が近いんだな、と感じます。いわゆる季節の訪れを感じる風物というところでしょうか…
ワカメの食べ方ですが、味噌汁に入れるのはもちろんですが、ぼくが好きなのは、ワカメの穂先のお刺身です。ワカメの先端の部分が柔らかいんですが、そこだけを切って集めて、サッと湯がいて、冷水でしめて、生姜醤油で食べます。噛んでいるうちに潮の香りとワカメの香りが口の中に広がっておいしいですよ。おいしいんですが、ぼくの場合、食べ過ぎるとお腹を下すので気をつけています。
目の前の海は、世界につながっている
日々、海を眺めて、海で遊んでいます。
海を眺めているといろいろ考えるんですが、そのひとつに目の前の海は、世界につながっているんだなあ、ということがあります。
目の前の海へ漕ぎ出せば、沖縄にも小笠原諸島にもハワイにもカリフォルニアにも行けるんだ、と考えると何だかワクワクしてきます。
そしてそこには、ぼくと同じように海を眺めている人がたぶんいて、ぼくと似たような日々の生活を営んでいるんだなあ、なんて考えます。そこには喜びや悲しみや希望や不安があり、生の誕生があり、病があり、死があるのでしょう。
たぶん貧富による暮らし向きの差はあるでしょうが、生きて、子どもが生まれて、病にかかり、死んでいくというのは、世界中の人がだいたい同じだと思うんです。
そういうことを考えていると、今の自分の悩みがちっぽけに思えてきます。
ぼくが海が好きなのは、海という自然に癒されるからというのが第一の理由ですが、こんな風に考えが少し大きくなって、視点が変わるというのも、もうひとつの理由です。
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