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防水じゃないモノを持たなくなる弊害について



 なんだかんだやっているうちに歳をとってしまい、気がつけばウォータースポーツを始めて30年以上経ってしまいました。
 スキューバダイビング・シーカヤック・サーフィン・セイリングと時間さえあれば海に出ています。
 普段使うもの、時計はもちろん、スマホやカメラもバッグも服も防水のモノを選ぶのが当たり前になっています。ちなみにkindleもpaperwhiteという防水のを使ってお風呂で本を読んでいます。
 そのせいか日常生活の些細な場面で、モノが水に濡れるということを気にしなくなってしまいました。
 手を洗うときとか、風呂に入るときとか、雨のときとか、もちろん海に出るときとか、そういう状況で、持っているモノは濡れても大丈夫だと思ってしまうというか、水に濡れないようにすることを忘れてしまいがちなのです。
 ぼくはipadを使っているんですが、家のデッキでipadで雑誌を読んだり動画を見ながら、コーヒーを飲んだり、ビールを飲んだりしています。潮風に吹かれながら海を眺めながらリラックスできる時間が好きなのです。
 ただ、生来おおざっぱなせいか、ipadをデッキのテーブルに置いたまま、トイレに行ったり、ちょっと他のことをしたりします。
 先日、急に雨が降ってきて、気がついたらデッキのテーブルの上のipadがけっこう濡れてしまって壊れてしまいました。そういえばipadは防水じゃないんですよね。
 いや、頭では理解しているんですが、普段モノを水に濡らさないように気をつけていないので、そういうことが起きてしまうんでしょう。
 これはウォータースポーツをすることの副作用というか弊害といえるかもしれません。






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防波堤でビールを飲む夕べ



 以前からよく書いていることですが、ぼくは海辺に住んでいて、休日ともなれば朝からウォータースポーツをして、夕方帰ってきて風呂に入って、デッキで海を眺めながらビールを飲むというのが、とても好きなんです。平日の仕事で溜まったストレスが解消されてすっきりする感じがします。
 で、次によくやるのが、朝からウォータースポーツをして、夕方帰ってきて風呂に入るまでは同じなんですが、その後、近所の防波堤まで行って、そこでビールを飲むということです。
 身体を動かしたあとに飲むビールはうまいわけですが、潮風を浴びながら飲むビールもうまいものです。
 夏の夕方、昼間の暑さが収まり、西からの潮風が吹いてきて、少し高くなった波が防波堤にぶつかる音が響いてきます。
 陽がだんだん傾いてきて、伊豆の山に近づいていきます。刻々と空の色が、青、オレンジ、紫色、墨色と変わっていきます。それにつれて山の陰の色と海の色もだんだん変わっていきます。よく黄昏の時間をマジックアワーといいますが、本当に不思議な美しさだと思のです。
 そんな中でビールのプルトップをプシュっと開けて、ゴクゴクゴクと飲むビールのうまいこと…
 あぁ、今日もいい一日だったなあ、なんて思いながら過ごすひとときは、小さいけれど確かな幸せの時間です。







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現実逃避としての海



 ぼくは若い頃から海が好きでした。
 広くて、明るくて、楽しくて、自由で、ノビノビゆったりできるところ、それがぼくの海のイメージです。
 ぼくが小さい頃は、若いお姉さん達が、南の島のリゾートに旅行に行くのが流行っていて、CMで流れている珊瑚礁の白い砂と、透明度の高い海と、白亜の豪華なホテルというステレオタイプなイメージが、夢の国のように思えました。
 それが理由かわかりませんが、夢の国・楽園という言葉から、ぼくが連想するのは南の島の海辺です。
 海好きが昂じて、海辺の田舎町に引っ越してしまいました。休みの日には、スキューバダイビング・シーカヤック・サーフィンなどを楽しんでいます。
 そんなぼくですから、ときどき「なぜここまで海が好きなのか」って考えたりします。
 理由は先ほどのように、海が楽しくて居心地がいいからですが、もっと先の理由を考えると、「現実逃避」「人嫌い」という言葉が頭をよぎるのです。
 楽園の話しを先に書きましたが、古来、人は楽園の存在を夢見ていたようです。中国からは桃源郷のイメージが伝わってきましたし、昔話では竜宮城が出てきますし、沖縄ではニライカナイのイメージが共有されていますし、日本の仏教では補陀落渡海が行われていました。
 これらの背後に感じられるのは、海の向こうに(あるいはどこか遠くに)、この場所の辛い暮らしとは違った、とても楽しく暮らせる場所があるのではないか?というメタファーです。
 これって今の辛い暮らしを乗り切るための現実逃避、あるいは気休めなんじゃないのかなあ、とぼくは思うのです。ぼくがそう思うのは、ぼくが海に居たいのは、日々の責任や雑務や人付き合いからしばし開放される場所だからです。ぼくが海を現実逃避の場所としているから、楽園的なイメージをそのように解釈してしまうのかもしれません。
 ぼくは大学生の頃に湘南でサーフィンを始め、東伊豆でスキューバダイビングを始めました。以後、今まで続いています。
 大学卒業後サラリーマンになって、平日に忙しく辛い仕事をこなし、土日は、海でやっと自分らしくいられるという日々を送ってきました。
 やがて結婚し、子供が生まれました。それは幸せなことでありながら、責任を負うことでもあります。人生のそんな時期にも、ときどき1人で海に行くことは、ぼくにとって大切な時間でした。
 ぼくは自分の中で、社会人の大人としての役割を果たす一方で、そこから離れた本来の自分に戻る場所として海を希求していたのです。海にいる時間がなければ、ぼくはどこかで破綻していたんじゃないかと思うのです。ぼくが「海が好き」というときには、自分の存在のバランスを保つためになくてはならないものという意味が含まれています。
 そういう自分らしくなれる趣味や場所や時間みたいなものを、誰でも持っているのかもしれません。
 ちなみにぼくは山本周五郎の『樅ノ木は残った』が好きで何度も読み返してしまいます。主人公の原田は、普段は家老としての務めを果たし、自分の秘めた志を隠して、信頼されるバランスのとれた人を演じます。その原田が、ときどき山小屋に籠もって狩りに没頭するのですが、その2面性に共感してしまいます。
 ここまでの話しには、社会で生きる上での役割を務めなければいけないということと、自分らしさをどこかで実現するという構造があるわけですが、仮にぼくに海という場がなければ、ぼくも楽園を日々夢見ていたかもしれません。あるいは今の解放される場所としての海以上に幸せに居られる場所としての楽園としての海が、もしかしたらあるかもしれない、いつかはそこに行けるかもしれない。そんな風にも思ったりします。








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海水浴に来る方にお願いしたいこと



 今回はあまり書きたくないことなのですが、地元のウォータースポーツ(ぼくはマリンスポーツのことをウォータースポーツというようにしています)をする友人達とよく話題になることなので、ちょっと書いてみようかと思います。
 コロナの状況で例年と違うこともありますが、海水浴に来る観光客の方に対して、一人の海辺に住む地元民・ウォータースポーツをする者としてお願いがあります。
 観光客向けの注意事項は、たいてい海岸入口に掲示してありますし、ライフセーバーが定期的に放送するので、それを見たり聞いたりして守ってください。
 全国どこでもよくある注意事項は…
・適度に休憩・水分をとって熱中症にならないように注意する。
・酒を飲んで海に入らない。
・ゴミは持ち帰る。
・防波堤から飛び込まない。
・子供から目を離さない。
・海水浴エリア内で泳ぐ。
・あまり沖に行かないなど注意して泳ぐ(特に黄色い旗(遊泳注意)の時)。
・夜遅くに花火をしない。
というようなことでしょうか。
 特にぼくがお願いしたいのは、「海水浴エリア内で泳ぐ」ということです。観光客の中には、海水浴エリアを、泳ぎに自信がない、ライフセーバーの監視が必要な人が遊ぶエリアだと勘違いしている人がいます。
 それは誤解です。海水浴エリアは、ウォータースポーツや漁業をする人と海水浴客を分けるためにあります。海岸すべてが海水浴客になると、ウォータースポーツのボードやボートなどや、漁業関係者の船が出入りできないからです。
 ウォータースポーツをしない方はご存知ないかもしれませんが、海の事故で一定数あるのが、サーフィンやSUPやシーカヤックなどがぶつかっての怪我です。サーフボードに触るとわかりますが、あれは結構固いものでして、当たり所が悪いと脳しんとうや失明になったりします。最悪、死んでしまうこともあります。
 ウォータースポーツをする側としては、ぶつからないようにいつも気をつけていますが、波が高いときなどは微妙なコントロールができないこともあります。
 
 海水浴客とウォータースポーツをする人が多い、鎌倉の由比ヶ浜などのエリアでは、細かく海水浴客のエリアとウォータースポーツをする人のエリアが決められているところもありますが、そのルールがあるのは先述の理由のためです。海水浴客にエリアを守ってもらわないと、ウォータースポーツをする側としては、気をつけていても事故を防げないのです。
 ちなみに海辺に住む、ウォータースポーツを嗜む、地元民としての感覚としては、海水浴場ができる7月~8月までは、ちょっとうんざりする時期です。
 それは、今まで自由に全面的に使えていた海岸が、海水浴場の設置で、限られたエリアしか使えなくて不便だということもあります。
 他にも観光客で道が混む、駐車禁止のエリアに路上駐車をして危険、ゴミをポイ捨てしていく片づけをしなければならない、夜遅くまで花火や音楽がうるさいなどと、いつもの自分たちの穏やかな暮らしが邪魔されるからです。
 観光客の立場からすれば、遊びに来てやって、金を落としているんだという気持ちもあるでしょう。自治体としても海水浴の観光客を歓迎しているところもあります。
 ただ、湘南あたり(首都圏に近い住宅地の海辺もたぶん同じ)というのは、環境客向けの商売で生計を立てている人は一部で、東京や横浜などの市街地に働きに行くサラリーマンが多いのです。自治体の税収としても小売店の納税額よりも住民税の方が多いのです。嫌な言い方ですが、海の家やコンビニや駐車場に落としていく数千円の金(人によってはコンビニくらいしか行かない人もいるでしょう)ぐらいで環境客ヅラされて自分たちの生活を乱されたくないと、ぼくは思っています。たぶん、おそらくそう考えている地元民は他にもいるでしょう。
 なので、湘南のような市民構成のエリア(東京近郊の市街化された海はたいてい似たような市民構成だと思いますが)に海水浴に行く場合は、観光客は地元のすべての人に歓迎されているわけではないことを知っていただきたいと思います。歓迎されたいのであれば、観光でもっているような、観光客歓迎のエリア(比較的田舎が多いと思います)に行くといいと気持ちよく遊べると思います。

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海辺はパーソナルスペースが広いから居心地がいい



 パーソナルスペースという言葉がありますね。人が他者との間にとる物理的距離のことをいうようです。ぼくは他人にあまり近くによって欲しくないので、パーソナルスペースが広いタイプなのでしょう。
 ぼくは平日は町に仕事に行って、それ以外は海辺の田舎町で過ごしていますが、都会と田舎だと周囲の人の標準的なパーソナルスペースが違うなと感じます。当たり前ですが、都会の方が人と人との距離が近いと思います。
 というわけで、ぼくとしては町での仕事の際に、ストレスを感じてしまうわけです。というか働くのも好きではないし、町も好きではないので、パーソナルスペースが狭いからストレスというわけではないかもしれません。平日がとにかくストレスフルです。
 とはいえ一方で、電車の中や混雑した市街地の歩道などは、人との距離が近くて嫌だなと感じますし、海辺にいるとそういう嫌な感覚がないので、やっぱり自分にとってパーソナルスペースって大事なんだなと思います。
 ぼくが海辺や海遊びが好きなのは、広々していて人口密度が低いというのも一因かもしれません。







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初夏の夕方の気持ちよさ



 海辺の暮らしの四季の中で、それぞれの季節にそれぞれのよさがあるわけですが、ぼくがとりわけ好きなのが初夏の夕方から夜にかけての時間帯です。少し強めの海風が吹いていたりすると、なおさらいい感じです。
 いえいえもっと細かく設定がありまして、それは、こんな感じです。
 日中は陽射しが強く、結構暑くて、そんな中でシーカヤックとかスキューバダイビングなどをして、身体は程よく疲れている。
 家に戻るとぬるめの風呂に入って、潮と疲れを洗い流し、風呂から上がると、開け放した窓から潮の香りを含んだ海風が吹いてくる。
 海風には、少し夏の気配がある。
 さっきまで強かった太陽は、山の陰に入りつつあり、空は茜色からブルーグレーのような色に変わりつつある。
 夕方になって波が高くなったのか、遠くに波が打ち寄せる音がする。
 そんな中、風呂上がりの火照った体を、夕風で冷ましながら、ビールをングングと飲み干す。
 長くなりましたが、ぼくはそんな初夏の夕方から夜にかけての時間が好きなのです。







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HELLY HANSEN SEA LIFEの思い出



 ぼくは大学生の頃からサーフィンやスキューバダイビングをしていました。
 その頃、海遊びをする人が着るウェアというのは、今とそんなに変わっていなくて、やっぱりHELLY HANSENがメジャーでした。あとはMUSTOとかGillとかもありましたが、少しタウンファッション寄りのHELLY HANSENは人気がありました。
 ぼくもHELLY HANSENのウインドブレーカーを愛用していました。確かHELLY HANSENのラインナップの中で一番安い物だったと思います。
 貧乏な大学生だったので、やたらHELLY HANSENの服を買うことはできませんでした。バイトをたくさんしてお金に余裕があるときに頑張って買うという感じでした。
 なので、HELLY HANSENを買ったときはとても嬉しかったのを覚えています。
 当時のHELLY HANSENにはSEA LIFEというラインナップがあって、ロゴマークの下にSEA LIFEと印字されていました。
 SEA LIFEって言葉の響きがいいなと思ったことを覚えています。何だか海辺の暮らしに密着した感じ。海辺に住んでいる人、漁師さん、海遊びをする人、そんな人達が日常的に着ている感じに共感しました。
 実はその頃のウインドブレーカーは今も捨てられずに着ています。
 何の不具合もなく普通に着られるので、あの時代のHELLY HANSENの服というのは結構丈夫に作られていたんだと思います。
 そのウインドブレーカーを着ると、自分が大学生の頃に戻ったような気持ちになれます。

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海遊びで手に入れる自由



 自由っていいですよね。でも、世の中に完全な自由なんてないといっていいでしょう。

 この文章では自由の制限について、力により自由が制限されているというよりは、社会でみんなが不愉快な思いをしないように生きていくためには、法律やルールやマナーが必要で、結果として自由が制限されているという文脈で語ってみたいと思います。

 強的な誰かが力を行使することもあると思いますが、それよりはみんながヤイノヤイノ言っているうちに、法律やルールやマナーがえていくことも結構あるよな、ってぼくは思うんです。

 まったくのりで生きていくことが現実的でないですから、他者と関わりながら生きていかなければならないので、法律やルールやマナーは発生します。

 ぼくだって、電車の中が、足を組んで座り、酒を飲みながら、大声で話す人ばかりになったら、「もうちょっとマナーを守れよな」と思ってしまうでしょうから、ぼくのいっている自由の制限はお互いなのでしょう。

 ただ、自由か不自由かの0か1かではなくて、比較的、ルールやマナーが少ない生き方がある、あるいはそういう場所があるんじゃないかとも思います。

 ぼくが見つけたポイントは、次の2つです。

 ひとつは人口密度。人口密度が低い方が他者への配慮が少なくてむので、ルールやマナーが少ない傾向があるように思います。

 もうひとつは組織やチームに属さないこと。組織の中に自分の居場所を作るとすれば、他者への配慮が必要なため、ルールやマナーにをつけなければなりません。

 ぼくが海遊びが好きなのは、この2つをたしながら過ごせるからです。そこでは少しだけ自由になれます。念ながら仕事では組織に属しているので、休日だけは、組織やチームから離れて自由でいたいと思っています。

 人がいない海を1人でシーカヤックで進んでいく、他人のいない入江でキャンプをする、たとえばそんな過ごし方です。

 週末の休日に手に入れるいつもよりも少しだけ自由な時間。それをしみに日々暮らしています。







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今年は台風の被害がないといいですね…



 毎年のことですが、また台風が発生する季節になりました。
 海辺に住んで20年以上経ちますが、だいたい3年に一度ぐらいのペースで、台風の大きな被害があるような感じです。そのペースが最近はもっと早くなっているような気がします。
 記憶にあるのは、2007年9月7日の台風9号、2017年10月23日の台風21号、2018年7月28日の台風12号、2019年9月9日の台風15号です。
 2007年の台風9号のときは、葉山港の防波堤や駐車場がグチャグチャになっていたのを思い出します。グチャグチャというのは、波でコンクリートが破壊されて防波堤は一部がなくなり、駐車場は地面が地震の後のように凸凹になっていました。また、西湘バイパスの防波堤も壊れてしばらく通行止になりました。しばらくといっても1日とかではなくて数か月だったような記憶があります。
 2017年の台風では、秋谷の防波堤が壊れたり、海沿いのマンションのエントランスの自動ドアが丸ごと流出してしまったり、1階の部屋の窓ガラスがバリバリに割れてしまったり、地下駐車場が冠水したりしました。
 2018年の台風では、小田原港付近の防波堤や道路が波で持っていかれました。熱海のホテルのレストランの窓ガラスが割れたのは、ニュースでも報道されていたので覚えていらっしゃる方もおられるでしょう。
 2019年の台風では、千葉の停電が話題になりましたが、神奈川県も2日ぐらいは停電しました。また、近所の家々の屋根瓦が飛ばされたのも目にしました。
 こうしてみると最近は、ほぼ毎年のように台風被害があるような感じですね。沖縄出身の友人などは、台風は進路によって被害があるのが当たり前だといっていましたが、以前はそれは南国沖縄だけの話しだと思っていましたが、最近は沖縄に限らず本州のどこでも同じような被害があり得ると考えてもいいのかもしれません。
 それが地球温暖化のせいなのか、たまたま台風被害の多い周期にあたっているのか、ぼくにはよくわかりません。ただ経験的にいえるのは、台風の被害は進路のちょっとした違いで格段の差があるということと、一度被害があると台風の力というのはすごいということです。なにせ長さが何十メートルもある大きな防波堤が丸ごと無くなってしまうくらいですから…
 幸い2020年は、うちの近所はそれほど大きな被害はありませんでしたが、2021年はどなることやら…

 台風の進路予想など気象情報の収集については以前書いた駄文がありますので、よろしければご覧ください。

気象情報の収集の仕方と情報源についてのまとめっぽいもの

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晴漕雨読の日々を送っています



 海辺に暮らし始めて30年以上経ちました。
 その間、海況によってスキューバダイビングとシーカヤックとサーフィンをし、海が荒れてどうしてもウォータースポーツができない日は、庭いじりをしたり、マリングッズのメンテをしたり、本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごしています。
 特にシーカヤックについては、始めてからかれこれ20年くらい経ちますが、一番やりやすいので、自ずと回数も多くなります。やりやすいという意味を詳しく書くと、海況がある程度穏やかで(サーフィンができるほど波がなくて)、朝起きて、思いついたらすぐできる(スキューバダイビングのように事前にダイブサービスに予約する必要がない)ということです。
 まさにぼくの海辺暮らしは、晴耕雨読ではなくて晴漕雨読という感じになっています。
 でもウォータースポーツができない日がつまらないかというとそうでもなくて、音楽を聴きながら、窓から海を眺めつつ、昼ならコーヒーを、夜ならビールを飲んだりして、そんな時間もなかなか楽しいものです。

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