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海辺のお店は入れ替わりが激しい気がします…



 コロナ禍で飲食店をやっている方はたいへんそうですね。ぼくの住んでいる三浦半島の小さな町でも観光客のお客さんも地元のお客さんも減っているみたいで、何軒か閉店しました。
 今の土地に引っ越してきて、20年以上経ちましたが、茅ヶ崎・藤沢・鎌倉・逗子あたりのいわゆる湘南と呼ばれるエリアの134号線沿いの、主に観光客をターゲットとした店で、ずっと続いている店は案外少ないものです。いわゆる定番の有名店は潰れていませんが、それ以外の店は入れ替わりがけっこうあるようです。
 素人考えでは、海が見えるカフェとかレストランとかなんて、それだけで魅力的でお客さんが大勢来そうですが、そうでもないんですね。
 それを見るにつけ、客商売はたいへんなんだなと思います。
 一方で、134号線沿いではなく、町の中の地元の人に支持されている店の方が、まだ続いている割合は高いように思います。
 ぼくの実感覚としても、カフェ・定食屋・飲み屋・パン屋・ケーキ屋・雑貨屋は、地元の人の人気が定着している店は続いているような気がします。そういう店に一時的に観光客が増えて、混んでたり、予約が取りづらくなると、行かなくなってしまったり…ということもあります。
 長年通っていた店が閉店するというのは、何だか自分の居場所が減ったみたいで、寂しいものですね。早くコロナ禍が収束して、以前のように多くのお客さんで賑わうときが来て欲しいです。








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海と周囲のことはどうにもならないですね…



 海遊びをするようになって30年以上経ってしまいました。いやはや自分がそんな歳になるなんて、若い頃は頭に浮かびさえもしませんでしたが、なってしまえばアッという間でした。
 いつか海の事故で死ぬんだろうなと思っていましたが、今のところなんとか無事に生きています。
 海というのは穏やかなときは静水のようにベタ凪ですが、同じ海が数時間後には大荒れになったりします。ベタなときはとても優しいけれど、荒れるととても恐ろしいものです。
 そういう海のご機嫌に合わせて、こっちは海遊びを楽しんだり、陸で海を眺めたりして対応を変えます。海の状況によって、サーフィンをしたり、シーカヤックをしたり、スキューバダイビングをしたりするのですが、海に合わせて自分のやることを変えるというぼくの行動パターンは、どうやら癖になっているみたいで、海に限らず、仕事での振る舞いや、人付き合いなどでも現れているような気がします。
 基本的に、自分の周囲の環境や人なんて、どうせ自分の思い通りにならないと、ハナから諦めているのところがあります。
 それがいいことか悪いことかわかりませんけれど…
 もうひとつ気がついたことがありまして、海で遊んでいると、半島や岬の向こう側は荒れた海なのに、こちら側は穏やかということがあります。全体としては荒れた海なのですが、あるポイントだけはなんとか穏やかということは、結構あります。
 これも世の中や人間関係にも中はまるような気がします。社会全体がドタバタしていても、自分の周囲だけは穏やかとか、そういうことって割りとあります。
 海の経験を、生きることの例示にしてしまうというのも海遊びを続けてきたせいで、癖になっているのかもしれません。







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世界中の海をさすらいたいという夢



 ずっと思っていることがありまして、それは、世界各地の海を転々としながらさすらいたいなあ、そんな行き方ってかっこいいなあ、ということです。
 映画のThe Endless Summerみたいにサーフィンをしながら世界中を旅するなんて最高ですね。
 ぼくの場合は、サーフィンじゃなくて、スキューバダイビングしながら世界各地を巡りたいですね。いいなあ、そういうの。
 これはいわゆる夢というヤツで、ぼく自身も、そういうのいいなあといいつつも、どうせ叶わないだろうと心のどこかでわかっているパターンです。そういう実現する気のない夢って、いくつかありますよね?
 で、現実のぼくは日々会社に通勤し、家庭を持ち、瑣事に追い立てられて、休日に海で遊ぶのが精一杯。それでも健康で、趣味がやれるのだから、まだ恵まれているといえるでしょう。そういう平凡な日々のありがたさもわかっているつもりです。
 元気に生きているありがたさを感じつつも、もしやれるのならば…というのが夢の夢らしいところでしょうか…

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ぼくのノンビリゆったり過ごす方法



 ぼくはなんでこんな性格なんだろうと思うんですが、時間があると、いろいろやってしまうんです。
 あれれもやらなきゃ、これもやらなきゃって思って、ついついやってしまいます。
 例えば休日などは、ウォータースポーツなどの海遊びをするか、海に出られないときはウォーキングやサイクリングをします。それ以外にもちょっと空いた時間があると、掃除とか、庭いじりとか、洗車とか、断捨離とか、買い物とか、とにかく何かやってしまいます。
 ボーッとするとか、テレビをダラダラ見るとか、ネットサーフィンをずっとやるとかはできません。
 なんとなく慌ただしくて、何かに急かされているような感じがベースにあって、日々を暮らしてきました。
 なので、海遊びをしているときと、コーヒーを飲んでいるときと、晩酌をするときは、それ以外のことをしない時間にしています。すごく些末な例ですが、コーヒーを飲んでいて、トイレットペーパーを補充しなければならないことを思い出しても、コーヒーを飲み終わるまでは補充はしない、というようにしています。
 こんな性格のぼくですが、というかこういう性格だからこそ、ノンビリゆったり日々を暮らすことに憧れ、それもあって海辺の田舎町に引っ越したのでした。それで多少はノンビリゆったり過ごせるようになったのですが、性格は変わらないので、やっぱり日々セカセカしながら暮らしています。
 で、以前『日日是好日』という本を読んで、それから『しないことリスト』という本も読んだりして、何かをしながら次に何をしようか考えたり、何かをしながらそれに集中していなかったりするのが、慌ただしく、何かに急かされている心持ちの原因ではないかと思い至りました。それからは何かをやっているときは、そのことを丁寧に集中してやるようにしています。
 あと、ぼくはスマホのToDoリストを管理するアプリを使っているんですが、これにいろいろ入れないとか、今日一日でやることを限定してそれ以上増やさないということも試してみました。要はやらなければならないリストを増やすより、しないことリストを増やした方がいいのかもしれなくて、それを実践しているわけです。
 そんなこんなで、以前よりはだいぶノンビリゆったり過ごせるようになってきたのかな、と今日もデッキで海を眺めながら缶ビールを飲んでいて、この時間を過ごすことに集中しているのでした。

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ぼくが気をつけていることは、海を中心とした自然と寄り添いながら、ノンビリゆったりマイペースに過ごすこと…



 思えば社会人となって会社で働き始めてから、慌ただしくなかったことなどないような気がします。いつも忙しく、バタバタしていて、やらなければならないことが山積していて、それらをこなすことに精一杯で、いつも何かに追われるように急いでいました。

 これはぼくの性質によるものなのか、本当に忙しかったのか、自分ではよくわかりません。どちらかというと自分が、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと考えがちな性質なのが原因だと思います。

 特に若い頃の方がそうした性質の傾向が強くて、歳をとるにつれて性質は弱まっています。つまりあまり慌ただしくならなくなっているのです。

 自分がいつも気をつけていることを挙げるとするならば、慌てないで、ノンビリゆったりと、マイペースで過ごすということです。日々気をつけているためか、歳をとるにつれて、だんだん慌ただしくならなくなったのかもしれません。

  もうひとつ自分がいつも気をつけていることを挙げると、海を中心とした自然に寄り添いながら過ごすということです。

 これは、自然の中にいるときの方が、自分が穏やかで、安らげるからです。その理由はいくつかあります。

 ひとつは自然自体が人を癒す効果があるからではないかと思います。

 もうひとつは、ぼくが人口密度が高いところが苦手だということです。

 もうひとつは、ぼくが他者に気を遣いすぎて、気疲れしてしまう性質だということです。

 そんなわけでぼくは時間があれば海に出て遊んだり、野山を歩いています。そのせいか、割と穏やかに過ごせています。

 この駄文から教訓らしきものを得るとしたら…

・自分が好きなことを明確にした方がいい。

・自分の性質は日々の心がけで変えることができる。

・歳をとると自分の性質は変わる可能性がある。

・自分の好きな環境に身を置くようにした方がいい。

ということになるでしょうか。







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いろいろな海を訪れる楽しみ



 海が好きで好きで、海辺に引っ越して30年以上になります。海辺に住んでいるから旅行に行かないかというと、そんなことはなくて年に何度かは1週間くらいの旅行に行くことにしています。それもたいてい海です。国内外含めて…
 妻は文句もいいたいのでしょうが、ぼくの海好きは結婚前からわかっていたことなので、もう諦めて一緒についてきてくれます。
 外国の海はもちろん家の近所の海と違うわけですが、日本の海もその土地その土地でよさがあって、「あぁ、この海もいいなあ」なんて思いながら旅をしています。
 太平洋側の海もいいし、日本海側の海もいいし、南の海もいいし、北の海もいいと感じます。海に関しては、ぼくはえり好みをしません。
 たとえ工業地帯の近くのヘドロが浮かんだ海であっても「人間活動の犠牲になってスマン」と思いつつ、そんな環境でも強く生きる、海の動植物に感動してしまいます。
 特に好きなのが日本の離島でして、外部から隔絶した感じや、ノンビリした感じが、ぼくのココロに染みいる何かがあるようです。
 これまでいった中で特に強く思い出に残っているのは、小笠原の母島、父島、多良間島(宮古島と沖縄本島の間にある)、与論島です。
 小笠原は父島まで船で24時間くらいかかり、船でしか行けません。母島は父島から船でさらに2時間。人口が500人にも満たない島で、車で島を一周(というか道路は南北に横断する道)するのに1時間かかりません。そんな島には穏やかでゆったりした時間が流れていて、島の人も観光客も、島や海が好きな人しか来ていないので、不思議な一体感があるなあと感じました。
 観光客の身勝手な視点かもしれませんが、行くのに不便な島ほど、自然が豊かに残っていて、ノンビリしていて、人の気持ちが温かい気がします。
 世界中にはいろいろな海があって、きっとそれぞれに魅力的なのでしょう。死ぬまで旅を続けてもすべてを見ることはできないけれど、これからも多くの海を見てみたいなあと思っています。

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屋外が好きなことと、パーソナルスペースや他者との関係性について



 屋外が好きです。海辺で風に吹かれているようなときが居心地がいいんです。逆にダメなのはビルなどの窓が開かない建物に長時間いることです。何だか息苦しくなってきます。
 ぼくが海辺や海遊びが好きなのは、それが屋外だからというのも一因だと思うんです。
 レストランとかカフェで、屋内席と屋外のテラス席と選べる店がありますよね。そういうときはぼくは迷わず屋外です。冬の寒い時期でもわりと屋外を選びます。
 単に狭くて閉じたところが嫌いならば閉所恐怖ということなのでしょう。でも、ぼくの場合よく考えると、気心の知れない他者と狭くて閉じたところにいるのが嫌いなのです。こういう気持ちというのはなんなんでしょう? そして何が原因なんでしょう?
 ぼくは日頃、自分はパーソナルスペースが広い方が落ち着くなと感じています。なのでこの他者と狭いところに一緒にいるのが苦手問題も、自分のパーソナルスペースの広さと関係があるのかもしれません。
 で、さらに考えると、パーソナルスペースが広いのが好きなのも、他者と狭いところに一緒にいるのが苦手なのも、自分と他者との関係の問題かもしれません。そうやって考えてみると、ぼくは昔からわりと周りに気を遣ったり、その集団の雰囲気に合わせようとするところがありました。そうした他者や集団での自分の立ち位置とか他者との関係性の問題なのかもしれません。
 と、自分の内面に思いを巡らすのが面倒くさくなってしまったので別な切り口で話しを続けると、ぼくは海辺のデッキで酒を飲むのが好きです。たとえばスキューバダイビングをした後に、ひとっ風呂浴びて、海に落ちていく夕陽を眺めながら、デッキで生ビールのジョッキをゴクゴクやるのが好きです。海からは夕方の少し湿った潮風が吹いてきて、磯の香りがします。空は刻々と、青、紺、ベージュ、オレンジ、赤と微妙に色を変えていきます。こんなひとときがあると幸せだなあと感じます。
 あとどれくらい健康に海遊びができて、おいしくビールが飲めるのかなあ、なんて年寄り臭いことを考えたりします。

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ペンキ塗りに見る、田舎のコミュニティの価値観について



 毎年恒例にしていることはいくつもあって、そのひとつとしてデッキやテーブルやチェアなどの屋外木製品にペンキを塗るというのがあります。
 ぼくが海辺の今の家に引っ越してきてから近所の人にアドバイスしてもらったのが、屋外木製品には年に最低1回はペンキを塗ることというのがあります。
 ちなみにもうひとつアドバイスしてもらったのは、洗濯物はできれば午後2時までに取り込むことというのがあります(夕方になると海風が吹いて洗濯物が潮っぽくなってしまうから)。
 ちなみにもうひとつアドバイスしてもらったのは、春先には、家の外側の周囲に防虫剤の白い粉を撒くというのがあります(ムカデやヤスやゲジゲジが家の中に入ってこないように)。
 他にもいろいろアドバイスしてもらったんですが、横道に逸れすぎてしまうので、本題に戻りましょう。
 ペンキを塗るのは、木製品を長持ちさせるのとシロアリなどの害虫を発生させない効果があるのです。
 ぼくの近所では春から初夏にかけて、どこの家もペンキ塗りをします。ペンキを塗るのはたいていお父さんの仕事で、そこに家族が手伝うというパターンがあります。見ていると、なかなかに微笑ましい、小市民的な幸せを感じさせる情景です。
 ぼくの住んでいるあたりでは、お父さんがDIYなど家のメンテをやったり、趣味の一つや二つを持っているというのが当たり前で、お母さんもガーデニングとかヨガといった趣味や習い事をしているのが普通です。そういうのが良しとされる雰囲気があります。
 逆に軽蔑までいきませんが、あまり良しとされない、かっこくよくないこととして、お父さんが、仕事で忙しいとか、家周りの維持に興味がなくて、お金でプロに何でも頼んでしまうとか、家のことは全然構わないといったことがあります。
 なぜそういう価値観があるのか、ふと考えてみたんですが、お父さんや家族が家のことを自分たちの手で何かするというのは、一つは(仕事よりも)家庭を大切にしている象徴であるということ、もう一つは家や家周りになんらかのこだわりやポリシーがあること、もう一つは自分でなんとかできる生きる力があることの表れであるということ、もう一つは家族がバラバラではない幸せの象徴であること、もう一つはお金を持っている持っていないに関わらず、自分たちの手で何かを作ることはいいことだと考えられているといった理由が思い浮かびました。
 実際、家にデッキがある家というのは結構ありますが、手入れをしていなくて腐らせてしまう家のお父さんというのは、近所の人から若干軽蔑さげすみ残念的な目で見られている感じです。一方、お金があるからといって何でもかんでもプロの大工さんにまかせて、豪華なしつらえをする家のお父さんも、嫌味傲岸あまり友達がいない人なのね的な目で見られがちな感じがするのです。
 たかだかデッキのペンキ塗りですが、そこに古き良き日本の家族像を求めるコミュニティの価値観が垣間見えるようで面白いし、一戸建てが多い住宅地のハイコンテキストなコミュニティの雰囲気があるようです。それを心地いいと感じるか煩わしいと感じるかで、郊外のちょっと田舎暮らしを住み心地は違ってくるかもしれません。







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海辺の暮らしのメモ 海辺で暮らしたいなと思っている方に…



 これから海辺に引っ越そうと考えている方の役に立てばと思い、日常のちょっとしたことを書いてみます。


【洗濯物は午後早いうちに取り込む】
 細かい話ですが、太平洋側の海辺では午後、オンショア(海から陸に吹く風)が吹きます。この風が湿っていますので、洗濯物を夕方まで干していると湿っちゃいますよ。


【洗濯物は風に飛ばされないように工夫する】
 わが家では、ハンガー自体を洗濯ばさみで固定したり、ハンガーが物干し竿を挟む機構になっているのを使っています。いやいや、本当にマジで風が強いので、けっこう挟む力が強いヤツを選んで買うようになりました。


【錆びるのを前提で買う】
 屋外のものは、たとえステンレスでも錆びます。自転車、エアコンの室外機、物干し竿、柵、サッシ、車などなど、錆びるっていったら錆びます。
 わが家では高価な物は買わないようにしています。(もともと豊かでない!)自転車もエアコンも消耗品だと割り切っています。
 近所の自転車が趣味な人は、自転車は屋内に入れてるみたいです。
 また、木や石で代替きる物は金属を使わないのも方法です。たとえばわが家では塀とかは木製にしています。


【ペンキ塗りを習慣にする】
 屋外のデッキなどの木製品は、陽射しと潮風にやられてしまいます。なので、作るときには、ちょっと値段が高くなっても傷みにくい木(たとえばセランガンバツー材とか)で作るようにします。そして年に1回はペンキを塗ることを習慣にします。
 ぼくの近所では、雨の降らない気候がいいときにペンキ塗りする人が多いので、おそらくみなさん考えることは同じで年中行事になっているんじゃないかと思われます。


【庭は塩害を考えて造る】
 塩に弱い植物は簡単にやられてしまいます。近所の庭造りに興味がある人にアドバイスを受けたり、地元の花屋さんやホームセンターで買うようにすると、塩に弱い種はもともと置いてなかったりするので、オススメです。


【観光地は要注意】
 ぼくの友人は鎌倉の観光客が多いあたりに住んでいます。休日は歩く人や車が多く、庭掃除も植物の剪定もできないほどとのこと。
 他にも、車を車庫から出すのもたいへん、日常の買い物も混雑の中、ままならないんだとか
 夏休みは深夜まで若者が大騒ぎしたり、ときにはケンカなんかもあるそうです。
 あなたが住もうとしている場所がすごい観光地だったりするのなら覚悟が必要です。


【窓ガラス掃除のことを考えて家を建てる】
 風の強い日や台風の日があると翌日は、家の外壁を水洗いするのがぼくの仕事です。窓ガラスも網戸も塩だらけになりますからただそれ以外の外壁もシオシオなので、外壁も窓も網戸も全部水をかけて流してしまいます。これを一週間くらい放置してからやると、塩がガビガビになって落とすのがたいへんですので早めにやってしまうのがコツです。
 そんなわけですから、窓ガラスは掃除がしやすいものを選んだ方がいいのです。背が高い窓や桟が細かく入っている窓など掃除がしにくいものはたいへんですよ。


【虫・動物はいかが?】
 海辺でも自然が豊かなところだったり、近くに山や森があったりすると、虫や動物が出ます。
 ぼくの住んでいるあたりは、蚊(たくさん)、蟻(しょっちゅう)、ゲジゲジ(しばしば)、ムカデ(たまに)、フナムシ、ヘビ、リス、タヌキ、クモ(むしろかわいい)が出ます。伊豆に住んでいる友人に訊くと、これにプラスしてイノシシとマムシとキツネが出るそうです。
 ぼくは昔から虫の類は平気でしたが、相方は苦手。引っ越した当初はいちいち大騒ぎしてました。不思議なもので5年もすると慣れてました。
 あなたも慣れるかも無理だと思う方は、海辺への引っ越しは諦めた方がいいかもしれません。


【海ならではの趣味があった方がいい】
 海を眺めるのも楽しいんですが、やはりせっかく海辺に住んでいるんだから、ウォータースポーツを趣味にすると、暮らしがもっと楽しくなります。ウォータースポーツまでやらなくても、海辺のサイクリングや散歩でも気持ちいいですよ。
 ちなみにうちの家族は、スキューバーダイビング、シュノーケリング、シーカヤック、セイリング、SUP、サーフィンをやります。


【初夏と秋は地元で過ごす】
 海辺の一番気持ちがいい季節は、46月、1011月です。その時期の天気のいい休日は貴重なので、旅行には出かけないで、地元にいるようにしています。その時期に家にいないなんてもったいないという感じ…
 日によっては、晴れて、気温もちょうどよく、湿度も低く、海は青く、空気は抜けていて、とても気持ちがいいのです。そんな日は、海にいてもいいし、庭で過ごしても気持ちがいいですよ。









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自然の豊かさと人口密度の低さで、人やコミュニティの雰囲気は変わる



 大学入学時に上京して、就職して、結婚して子供が生まれるまで、東京のわりと都心に住んでいました。
 一方で、ぼくは海好きで、しかも離島好きでもあって、年に何度か離島の旅をしていました。もちろん毎週末には海に出かけて、ウォータースポーツをしていました。
 東京での暮らしぶりと、離島旅で感じたことが、自分の中で、ある考えにまとまって今に至っています。そしてその考えに自分としては、わりとこだわりがあるんです。
 その考えというのは、自然が豊かであることと人口密度が低いことは、暮らしやすさやそのコミュニティの性質を特徴付ける大きな要因である、というものです。
 もう少し詳しく書くと、人は日々暮らす中で自然に癒されているし、自然がそばにあると安らかになると思うのです。
 そして人口密度高いと、人は他人に対して、イライラしたり、厳しくなったり、競争的になったりすると思うのです。
 どんな町でも住めばその町のよさがあっていいものです。慣れるということもあるでしょう。
 とはいえ、これはぼくだけかもしれませんが、自然が豊かであることと人口密度が低いことは、住みやすさの面で大切だと思うのです。
 自然がそばにある暮らしが、人に癒しを与えるというのは、わりと多くの人に共感してもらえるのではないかと思います。毎日の暮らしにはそんなに自然が必要ないという人でも、たまに旅行に行って自然のよさを実感したことがある方は多いでしょう。ましてや自然のよさを知っている人なら、自然が暮らしのそばにあることで、日々の暮らしが安らかになることに頷いていただけるでしょう。
 日々安らかに暮らしている人が多いコミュニティなら、おそらくコミュニティ全体のストレス量は少ないんじゃないかなあと思います。
 では、人口密度というのはどうでしょうか?
 東京の繁華街で、道行く人に挨拶する人など、ほぼいないと思います。っていうか、そういう人がいたら変な人じゃないかって疑いさえするでしょう。
 でも、離島や田舎を旅したときに道行く人に挨拶されたことはあるのではないでしょうか? 1泊ではそうならないかもしれませんが、何泊かしているときっと挨拶しあう場面が出てくると思います。ぼくの旅の経験では、たいていそうなります。ましてや暮らしていると必ずそうなるでしょう。
 東京の混雑したお店の特売日でみんなが我先にと列を作って商品を取り合うのはあり得ますが、田舎の商店だとそういうことは起きないと思います。だいたい列ができるということがないし、どちらかというと譲り合うことの方が多いかもしれません。
 人口密度が高い(人が多い)と、個人の匿名性が高まり、ぼくらは他者を認識する感度を自動的に鈍くするのではないかと思います。それは、そんなに大勢の人を覚えられないし、たぶんいちいち他人に反応していると疲れてしまうからじゃないかと、ぼくは勝手に想像しています。
 自分の周りに人が少ないと、他者の一人ひとりを認識するし、それがコミュニティのメンバーなのかそうじゃないのか、外部の人間なら安全な人なのか、危険人物なのか推し量ろうとするでしょう。もっとその人のことを知ろうとしたり、憶えたりするかもしれません。あるいはその人の心情を察したりするかもしれません。
 こんな考えがもとになって、ぼくは首都圏でもわりと人口が少ない、自然の豊かなところに引っ越しました。東京に住んでいた頃に比べて生活する上でのストレスは、肌感覚で100分の1くらいになっていると思います。
 おそらくぼくは、自然の豊かさと人口密度の低さに、影響を受けやすい性質なのでしょう。それに気づいて自分が暮らしやすい環境を選べたのはラッキーだったなあと思います。







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