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ぼくが気をつけていることは、海を中心とした自然と寄り添いながら、ノンビリゆったりマイペースに過ごすこと…



 思えば社会人となって会社で働き始めてから、慌ただしくなかったことなどないような気がします。いつも忙しく、バタバタしていて、やらなければならないことが山積していて、それらをこなすことに精一杯で、いつも何かに追われるように急いでいました。

 これはぼくの性質によるものなのか、本当に忙しかったのか、自分ではよくわかりません。どちらかというと自分が、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと考えがちな性質なのが原因だと思います。

 特に若い頃の方がそうした性質の傾向が強くて、歳をとるにつれて性質は弱まっています。つまりあまり慌ただしくならなくなっているのです。

 自分がいつも気をつけていることを挙げるとするならば、慌てないで、ノンビリゆったりと、マイペースで過ごすということです。日々気をつけているためか、歳をとるにつれて、だんだん慌ただしくならなくなったのかもしれません。

  もうひとつ自分がいつも気をつけていることを挙げると、海を中心とした自然に寄り添いながら過ごすということです。

 これは、自然の中にいるときの方が、自分が穏やかで、安らげるからです。その理由はいくつかあります。

 ひとつは自然自体が人を癒す効果があるからではないかと思います。

 もうひとつは、ぼくが人口密度が高いところが苦手だということです。

 もうひとつは、ぼくが他者に気を遣いすぎて、気疲れしてしまう性質だということです。

 そんなわけでぼくは時間があれば海に出て遊んだり、野山を歩いています。そのせいか、割と穏やかに過ごせています。

 この駄文から教訓らしきものを得るとしたら…

・自分が好きなことを明確にした方がいい。

・自分の性質は日々の心がけで変えることができる。

・歳をとると自分の性質は変わる可能性がある。

・自分の好きな環境に身を置くようにした方がいい。

ということになるでしょうか。







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いろいろな海を訪れる楽しみ



 海が好きで好きで、海辺に引っ越して30年以上になります。海辺に住んでいるから旅行に行かないかというと、そんなことはなくて年に何度かは1週間くらいの旅行に行くことにしています。それもたいてい海です。国内外含めて…
 妻は文句もいいたいのでしょうが、ぼくの海好きは結婚前からわかっていたことなので、もう諦めて一緒についてきてくれます。
 外国の海はもちろん家の近所の海と違うわけですが、日本の海もその土地その土地でよさがあって、「あぁ、この海もいいなあ」なんて思いながら旅をしています。
 太平洋側の海もいいし、日本海側の海もいいし、南の海もいいし、北の海もいいと感じます。海に関しては、ぼくはえり好みをしません。
 たとえ工業地帯の近くのヘドロが浮かんだ海であっても「人間活動の犠牲になってスマン」と思いつつ、そんな環境でも強く生きる、海の動植物に感動してしまいます。
 特に好きなのが日本の離島でして、外部から隔絶した感じや、ノンビリした感じが、ぼくのココロに染みいる何かがあるようです。
 これまでいった中で特に強く思い出に残っているのは、小笠原の母島、父島、多良間島(宮古島と沖縄本島の間にある)、与論島です。
 小笠原は父島まで船で24時間くらいかかり、船でしか行けません。母島は父島から船でさらに2時間。人口が500人にも満たない島で、車で島を一周(というか道路は南北に横断する道)するのに1時間かかりません。そんな島には穏やかでゆったりした時間が流れていて、島の人も観光客も、島や海が好きな人しか来ていないので、不思議な一体感があるなあと感じました。
 観光客の身勝手な視点かもしれませんが、行くのに不便な島ほど、自然が豊かに残っていて、ノンビリしていて、人の気持ちが温かい気がします。
 世界中にはいろいろな海があって、きっとそれぞれに魅力的なのでしょう。死ぬまで旅を続けてもすべてを見ることはできないけれど、これからも多くの海を見てみたいなあと思っています。

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屋外が好きなことと、パーソナルスペースや他者との関係性について



 屋外が好きです。海辺で風に吹かれているようなときが居心地がいいんです。逆にダメなのはビルなどの窓が開かない建物に長時間いることです。何だか息苦しくなってきます。
 ぼくが海辺や海遊びが好きなのは、それが屋外だからというのも一因だと思うんです。
 レストランとかカフェで、屋内席と屋外のテラス席と選べる店がありますよね。そういうときはぼくは迷わず屋外です。冬の寒い時期でもわりと屋外を選びます。
 単に狭くて閉じたところが嫌いならば閉所恐怖ということなのでしょう。でも、ぼくの場合よく考えると、気心の知れない他者と狭くて閉じたところにいるのが嫌いなのです。こういう気持ちというのはなんなんでしょう? そして何が原因なんでしょう?
 ぼくは日頃、自分はパーソナルスペースが広い方が落ち着くなと感じています。なのでこの他者と狭いところに一緒にいるのが苦手問題も、自分のパーソナルスペースの広さと関係があるのかもしれません。
 で、さらに考えると、パーソナルスペースが広いのが好きなのも、他者と狭いところに一緒にいるのが苦手なのも、自分と他者との関係の問題かもしれません。そうやって考えてみると、ぼくは昔からわりと周りに気を遣ったり、その集団の雰囲気に合わせようとするところがありました。そうした他者や集団での自分の立ち位置とか他者との関係性の問題なのかもしれません。
 と、自分の内面に思いを巡らすのが面倒くさくなってしまったので別な切り口で話しを続けると、ぼくは海辺のデッキで酒を飲むのが好きです。たとえばスキューバダイビングをした後に、ひとっ風呂浴びて、海に落ちていく夕陽を眺めながら、デッキで生ビールのジョッキをゴクゴクやるのが好きです。海からは夕方の少し湿った潮風が吹いてきて、磯の香りがします。空は刻々と、青、紺、ベージュ、オレンジ、赤と微妙に色を変えていきます。こんなひとときがあると幸せだなあと感じます。
 あとどれくらい健康に海遊びができて、おいしくビールが飲めるのかなあ、なんて年寄り臭いことを考えたりします。

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ペンキ塗りに見る、田舎のコミュニティの価値観について



 毎年恒例にしていることはいくつもあって、そのひとつとしてデッキやテーブルやチェアなどの屋外木製品にペンキを塗るというのがあります。
 ぼくが海辺の今の家に引っ越してきてから近所の人にアドバイスしてもらったのが、屋外木製品には年に最低1回はペンキを塗ることというのがあります。
 ちなみにもうひとつアドバイスしてもらったのは、洗濯物はできれば午後2時までに取り込むことというのがあります(夕方になると海風が吹いて洗濯物が潮っぽくなってしまうから)。
 ちなみにもうひとつアドバイスしてもらったのは、春先には、家の外側の周囲に防虫剤の白い粉を撒くというのがあります(ムカデやヤスやゲジゲジが家の中に入ってこないように)。
 他にもいろいろアドバイスしてもらったんですが、横道に逸れすぎてしまうので、本題に戻りましょう。
 ペンキを塗るのは、木製品を長持ちさせるのとシロアリなどの害虫を発生させない効果があるのです。
 ぼくの近所では春から初夏にかけて、どこの家もペンキ塗りをします。ペンキを塗るのはたいていお父さんの仕事で、そこに家族が手伝うというパターンがあります。見ていると、なかなかに微笑ましい、小市民的な幸せを感じさせる情景です。
 ぼくの住んでいるあたりでは、お父さんがDIYなど家のメンテをやったり、趣味の一つや二つを持っているというのが当たり前で、お母さんもガーデニングとかヨガといった趣味や習い事をしているのが普通です。そういうのが良しとされる雰囲気があります。
 逆に軽蔑までいきませんが、あまり良しとされない、かっこくよくないこととして、お父さんが、仕事で忙しいとか、家周りの維持に興味がなくて、お金でプロに何でも頼んでしまうとか、家のことは全然構わないといったことがあります。
 なぜそういう価値観があるのか、ふと考えてみたんですが、お父さんや家族が家のことを自分たちの手で何かするというのは、一つは(仕事よりも)家庭を大切にしている象徴であるということ、もう一つは家や家周りになんらかのこだわりやポリシーがあること、もう一つは自分でなんとかできる生きる力があることの表れであるということ、もう一つは家族がバラバラではない幸せの象徴であること、もう一つはお金を持っている持っていないに関わらず、自分たちの手で何かを作ることはいいことだと考えられているといった理由が思い浮かびました。
 実際、家にデッキがある家というのは結構ありますが、手入れをしていなくて腐らせてしまう家のお父さんというのは、近所の人から若干軽蔑さげすみ残念的な目で見られている感じです。一方、お金があるからといって何でもかんでもプロの大工さんにまかせて、豪華なしつらえをする家のお父さんも、嫌味傲岸あまり友達がいない人なのね的な目で見られがちな感じがするのです。
 たかだかデッキのペンキ塗りですが、そこに古き良き日本の家族像を求めるコミュニティの価値観が垣間見えるようで面白いし、一戸建てが多い住宅地のハイコンテキストなコミュニティの雰囲気があるようです。それを心地いいと感じるか煩わしいと感じるかで、郊外のちょっと田舎暮らしを住み心地は違ってくるかもしれません。







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海辺の暮らしのメモ 海辺で暮らしたいなと思っている方に…



 これから海辺に引っ越そうと考えている方の役に立てばと思い、日常のちょっとしたことを書いてみます。


【洗濯物は午後早いうちに取り込む】
 細かい話ですが、太平洋側の海辺では午後、オンショア(海から陸に吹く風)が吹きます。この風が湿っていますので、洗濯物を夕方まで干していると湿っちゃいますよ。


【洗濯物は風に飛ばされないように工夫する】
 わが家では、ハンガー自体を洗濯ばさみで固定したり、ハンガーが物干し竿を挟む機構になっているのを使っています。いやいや、本当にマジで風が強いので、けっこう挟む力が強いヤツを選んで買うようになりました。


【錆びるのを前提で買う】
 屋外のものは、たとえステンレスでも錆びます。自転車、エアコンの室外機、物干し竿、柵、サッシ、車などなど、錆びるっていったら錆びます。
 わが家では高価な物は買わないようにしています。(もともと豊かでない!)自転車もエアコンも消耗品だと割り切っています。
 近所の自転車が趣味な人は、自転車は屋内に入れてるみたいです。
 また、木や石で代替きる物は金属を使わないのも方法です。たとえばわが家では塀とかは木製にしています。


【ペンキ塗りを習慣にする】
 屋外のデッキなどの木製品は、陽射しと潮風にやられてしまいます。なので、作るときには、ちょっと値段が高くなっても傷みにくい木(たとえばセランガンバツー材とか)で作るようにします。そして年に1回はペンキを塗ることを習慣にします。
 ぼくの近所では、雨の降らない気候がいいときにペンキ塗りする人が多いので、おそらくみなさん考えることは同じで年中行事になっているんじゃないかと思われます。


【庭は塩害を考えて造る】
 塩に弱い植物は簡単にやられてしまいます。近所の庭造りに興味がある人にアドバイスを受けたり、地元の花屋さんやホームセンターで買うようにすると、塩に弱い種はもともと置いてなかったりするので、オススメです。


【観光地は要注意】
 ぼくの友人は鎌倉の観光客が多いあたりに住んでいます。休日は歩く人や車が多く、庭掃除も植物の剪定もできないほどとのこと。
 他にも、車を車庫から出すのもたいへん、日常の買い物も混雑の中、ままならないんだとか
 夏休みは深夜まで若者が大騒ぎしたり、ときにはケンカなんかもあるそうです。
 あなたが住もうとしている場所がすごい観光地だったりするのなら覚悟が必要です。


【窓ガラス掃除のことを考えて家を建てる】
 風の強い日や台風の日があると翌日は、家の外壁を水洗いするのがぼくの仕事です。窓ガラスも網戸も塩だらけになりますからただそれ以外の外壁もシオシオなので、外壁も窓も網戸も全部水をかけて流してしまいます。これを一週間くらい放置してからやると、塩がガビガビになって落とすのがたいへんですので早めにやってしまうのがコツです。
 そんなわけですから、窓ガラスは掃除がしやすいものを選んだ方がいいのです。背が高い窓や桟が細かく入っている窓など掃除がしにくいものはたいへんですよ。


【虫・動物はいかが?】
 海辺でも自然が豊かなところだったり、近くに山や森があったりすると、虫や動物が出ます。
 ぼくの住んでいるあたりは、蚊(たくさん)、蟻(しょっちゅう)、ゲジゲジ(しばしば)、ムカデ(たまに)、フナムシ、ヘビ、リス、タヌキ、クモ(むしろかわいい)が出ます。伊豆に住んでいる友人に訊くと、これにプラスしてイノシシとマムシとキツネが出るそうです。
 ぼくは昔から虫の類は平気でしたが、相方は苦手。引っ越した当初はいちいち大騒ぎしてました。不思議なもので5年もすると慣れてました。
 あなたも慣れるかも無理だと思う方は、海辺への引っ越しは諦めた方がいいかもしれません。


【海ならではの趣味があった方がいい】
 海を眺めるのも楽しいんですが、やはりせっかく海辺に住んでいるんだから、ウォータースポーツを趣味にすると、暮らしがもっと楽しくなります。ウォータースポーツまでやらなくても、海辺のサイクリングや散歩でも気持ちいいですよ。
 ちなみにうちの家族は、スキューバーダイビング、シュノーケリング、シーカヤック、セイリング、SUP、サーフィンをやります。


【初夏と秋は地元で過ごす】
 海辺の一番気持ちがいい季節は、46月、1011月です。その時期の天気のいい休日は貴重なので、旅行には出かけないで、地元にいるようにしています。その時期に家にいないなんてもったいないという感じ…
 日によっては、晴れて、気温もちょうどよく、湿度も低く、海は青く、空気は抜けていて、とても気持ちがいいのです。そんな日は、海にいてもいいし、庭で過ごしても気持ちがいいですよ。









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自然の豊かさと人口密度の低さで、人やコミュニティの雰囲気は変わる



 大学入学時に上京して、就職して、結婚して子供が生まれるまで、東京のわりと都心に住んでいました。
 一方で、ぼくは海好きで、しかも離島好きでもあって、年に何度か離島の旅をしていました。もちろん毎週末には海に出かけて、ウォータースポーツをしていました。
 東京での暮らしぶりと、離島旅で感じたことが、自分の中で、ある考えにまとまって今に至っています。そしてその考えに自分としては、わりとこだわりがあるんです。
 その考えというのは、自然が豊かであることと人口密度が低いことは、暮らしやすさやそのコミュニティの性質を特徴付ける大きな要因である、というものです。
 もう少し詳しく書くと、人は日々暮らす中で自然に癒されているし、自然がそばにあると安らかになると思うのです。
 そして人口密度高いと、人は他人に対して、イライラしたり、厳しくなったり、競争的になったりすると思うのです。
 どんな町でも住めばその町のよさがあっていいものです。慣れるということもあるでしょう。
 とはいえ、これはぼくだけかもしれませんが、自然が豊かであることと人口密度が低いことは、住みやすさの面で大切だと思うのです。
 自然がそばにある暮らしが、人に癒しを与えるというのは、わりと多くの人に共感してもらえるのではないかと思います。毎日の暮らしにはそんなに自然が必要ないという人でも、たまに旅行に行って自然のよさを実感したことがある方は多いでしょう。ましてや自然のよさを知っている人なら、自然が暮らしのそばにあることで、日々の暮らしが安らかになることに頷いていただけるでしょう。
 日々安らかに暮らしている人が多いコミュニティなら、おそらくコミュニティ全体のストレス量は少ないんじゃないかなあと思います。
 では、人口密度というのはどうでしょうか?
 東京の繁華街で、道行く人に挨拶する人など、ほぼいないと思います。っていうか、そういう人がいたら変な人じゃないかって疑いさえするでしょう。
 でも、離島や田舎を旅したときに道行く人に挨拶されたことはあるのではないでしょうか? 1泊ではそうならないかもしれませんが、何泊かしているときっと挨拶しあう場面が出てくると思います。ぼくの旅の経験では、たいていそうなります。ましてや暮らしていると必ずそうなるでしょう。
 東京の混雑したお店の特売日でみんなが我先にと列を作って商品を取り合うのはあり得ますが、田舎の商店だとそういうことは起きないと思います。だいたい列ができるということがないし、どちらかというと譲り合うことの方が多いかもしれません。
 人口密度が高い(人が多い)と、個人の匿名性が高まり、ぼくらは他者を認識する感度を自動的に鈍くするのではないかと思います。それは、そんなに大勢の人を覚えられないし、たぶんいちいち他人に反応していると疲れてしまうからじゃないかと、ぼくは勝手に想像しています。
 自分の周りに人が少ないと、他者の一人ひとりを認識するし、それがコミュニティのメンバーなのかそうじゃないのか、外部の人間なら安全な人なのか、危険人物なのか推し量ろうとするでしょう。もっとその人のことを知ろうとしたり、憶えたりするかもしれません。あるいはその人の心情を察したりするかもしれません。
 こんな考えがもとになって、ぼくは首都圏でもわりと人口が少ない、自然の豊かなところに引っ越しました。東京に住んでいた頃に比べて生活する上でのストレスは、肌感覚で100分の1くらいになっていると思います。
 おそらくぼくは、自然の豊かさと人口密度の低さに、影響を受けやすい性質なのでしょう。それに気づいて自分が暮らしやすい環境を選べたのはラッキーだったなあと思います。







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ぼくの場合、海辺に住むのが大切でした。旅行ではダメなんです。



 ぼくは海辺に移住して30年くらいになります。
 ときどき知り合いから、海辺に住まなくても、旅行とか長期滞在すればいいんじゃない、といわれることがあるんですが、やっぱりぼくは海辺に住むことが大切だと思うのです。その理由を以下に書いてみたいと思います。
 海辺に移住する前は東京の町に住んでいて、毎週末に伊豆や千葉にスキューバダイビングやサーフィンに行っていたのでした。毎週末といっても細かく記せば、金曜日の夜に会社から帰宅すると、すぐに車を海に走らせて、土・日と海辺で泊まって、月曜日の朝、東京に戻ってきてシャワーを浴びて、スーツに着替えて会社に行くというようなことをやっていました。
 よほどの用事がない限り、そんな週末を過ごしていました。やがてなんとなく物足りなさが出てきたのです。端的にいえば、もっと長く海に接していたかったのです。そして海辺に移住しようと思うようになりました。
 海辺に移住すると、毎日海辺から東京の会社に通う生活に変わりました。海辺に住んで何が変わったかというと、以下の4つです。
・ゆるいのんびりした空気感の中で暮らせる。
・いい瞬間はいつ来るかわからない。それを逃すことが少なくなった。
・海遊び仲間達と一緒にいられる。
・土曜日の朝にゆっくりしていられる。日曜日もゆっくり海にいられる。
 それぞれについて説明したいと思います。
・ゆるいのんびりした空気感の中で暮らせる。
 これが一番の変化でした。東京では日々の暮らしが、混雑と、先に先に急ぐ雰囲気と、他者からの防衛とがつきまとっていました。
 それはスーパーでの買い物だったり、郵便局に行くとかだったり、レストランに行くとかだったり、すべての面で、人が多く、たいてい行列ができていて、道は渋滞していました。人は他人よりも先に行こうとしているようでした。いつも何かに急かされているような気がしていたものです。
 市街地に住んでいる人にとっては当たり前かもしれませんが、家や車に鍵をかけなければなりませんし、道行く人に変なことをされないかも気をつけなければなりません。変な人がいたら、距離をとって警戒したりしていました。
 当時ぼくはすでに結婚していたのですが、妻が、住んでいたマンションのエレベーターで見知らぬ男性にしつこく話しかけられて、自分のフロアに着いても降りられないということがありました。オートロックのマンションですが、多くの世帯が入っていたので、誰が住んでいるかわからず、怖い目に遭ったのです。
 また、マンションの同じフロアの家でDVみたいなことがあったみたいで、そこに警察が来たこともありました。うちにもその家の普段の様子について、警察が聞き込みに来ました。
 誰が住んでいるかわからない匿名性って怖いなと思ったものです。
 今住んでいるのは首都圏の海辺ですが、東京の暮らしで起きたことは、ひとつも起きていません。列に並ぶということはほぼありません(年に1回くらいあるかもしれないけど)し、列ができていたとしても譲り合いますし、車で合流するときもすんなり入れてくれます。常にノンビリした空気感に包まれて生活できています。
 鍵をかけるということも、ぼくの家やぼくの知り合いの家では、あまり行われていません。といっても長時間、家を空けるときは鍵をかけます。本当は田舎だからといって油断してはいけないと思うんですが、ほぼ犯罪は起こりえないので、家にいるときに鍵はかけません。車も家に置いてあるときは鍵をかけません。
 家は奥まったところにあって、数軒の家が集落を形成していますが、その一帯に入ってくる人は、その土地がわかっている人だけです。ほとんど宅配便とか新聞配達とか郵便局の人です。それ以外の人が入ってくると、集落の誰かが見ていて、事によると声をかけたりします。
 集落の誰が何をやっているのかというのもなんとなくわかっている(たとえばぼくの家なら、週末は旦那さんが家にいて、サーフィンやらシーカヤックやらスキューバダイビングやらの道楽をやっている、みたいに…)ので、高齢の方だけの家については、みんなが気をつけている雰囲気があります。何日か姿を見ないと家に訪ねていったりします。
 物をもらったりあげたりというのもよくあります。
 以前あったのは、ある家のお父さんが家のエントランスの階段から滑り落ちて、骨折したようで動けないので、それを発見した近所の人が救急車を呼んだというのがありました。ちょうど奥さんなど家族の方が出かけていて一人で庭の手入れをしていたときの出来事だったようです。
 スーパーもドラッグストアも限られているので、レジの人は顔なじみで会話を交わしたりします。
 ぼくには土地のそういう雰囲気が合っているみたいで、ストレスなく過ごせています。
・いい瞬間はいつ来るかわからない。それを逃すことが少なくなった。
 海が好きな人はご存知だと思いますが、海にいると年に何回か(たぶん一桁)、すごく気持ちのいい日があります。天気が良くて、暑すぎず寒すぎず、湿度が低くて、潮風が心地よく吹いていて、空気の透明度が高い日。ウォータースポーツでいうと、サーフィンに適した絶好の波がある日。今日は絶対いい日だというのがあるのです。
 そういう日があると会社に行く前にビーチを散歩したり、サーフィンしたりすることがあります。気持ちのいい日を逃さなくなったのも、海辺に住んでよかったところです。
・海遊び仲間達と一緒にいられる。
 ぼくは近所のビーチで、シーカヤックやサーフィンやスノーケリングをしたりします。よほどの用事がない限り、週末は海に出ています。そうすると、真夏でない限りビーチにいる人というのは多くありませんから、自然にウォータースポーツをする人同士あいさつをするようになります。いつも顔を合わせる近所の人ならなおさらです。なので、ビーチにいると海遊び仲間に会えて、たわいもないことを話したり、最近の海遊び事情について情報交換したり、海遊びが終わった後に飲んだりといったことになります。そういう地元の海遊び人と接していられるのも、海辺に住んでいるからだと思います。
・土曜日の朝にゆっくりしていられる。日曜日もゆっくり海にいられる。
 これは多分に気分的な問題だと思いますが、東京に住んでいるときは、海に行く時は前のめりというか、ガツガツしていたように思うんです。金曜日の夜は、なるべく早く海に行こうとしていましたし、海にいれば、できる限りウォータースポーツをしようとしていました。
 海辺に住んでからは、そこまでガツガツとしなくなったような気がします。たとえば土曜日の朝、ぼくは5時頃起きますが、そこから朝ごはんを食べて、ゆっくりコーヒーを飲んでから、その日の海のコンディションにあったウォータースポーツをします。日曜日も夕方まで海遊びをして、お風呂に入って、晩酌をして寝ます。
 ウォータースポーツを余裕を持って、ゆったり楽しむことができるようになりました。
 以上が、海辺に住んでよかったことです。つくづく思うのは住環境って大切だなということです。それも建物内部だけではなくて、住む町の雰囲気も含めて大切だと思います。








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ぼくが田舎に住みたいわけ



 以前にもやたら書いていますが、ぼくは海好きが昂じて、海辺の田舎町に住んでいます。それだけでなく、島が好きで、年に1回以上は、島に行くようにしています。特に人口が少ない離島が好きです。
 こうしたぼくの好みには、海が好きという要素と人口が少ないという要素があります。
 今回は、なぜ人口が少ないところが好きかということについて書いてみたいと思います。
 人口の多少によって、人は他者への関心やふるまいを変えるんじゃないかというのがぼくの考えです。
 どういうことかというと、たとえば渋谷を歩いているときに、人はいちいちすれ違う人に関心をはらったりしません。よほど奇抜な格好をしているとか挙動不審であれば注意はするでしょうけど。
 でも、人口が数百人という島へ観光に行って、道を歩いていて、向こうから人が歩いてくれば、挨拶くらいはするでしょう。場合によっては立ち話をするかもしれません。
 これと似たようなことを椎名誠さんがエッセイで書いておられたような気がしますが、ぼくも同感です。
 ちなみにぼくの住んでいるあたりは、夏の土日などのピーク時には観光客が結構来ます。地元の人とわかれば挨拶はしますが、観光客には挨拶しません。でも、冬の閑散期には、道ですれ違う人には、地元民、観光客にかかわらず、挨拶はします。
 人が周囲にいる他者の多少で振る舞いを変えるということの理屈はわからないのですが、実際ぼくはそういう体験を何度もしています。
 ざっくりまとめると、人は他者が多いと他者への扱いをぞんざいにするし、少ないと丁寧にします。より協力的に親切になることだってあります。
 これが、ぼくが住む場所や旅先をできる限り人の少ないところにする理由です。人が少ないところにいると、他者との交流が密になり、それがぼくには心地いいのです。

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世の中のことは、たいてい、なんとかなるようです



 海でウォータースポーツ(マリンスポーツ)をしていると、結構危ない目に遭います。もう30年以上ウォータースポーツをしてきましたが、「今度こそ死ぬかな」と思ったことは10回位あります。
 死なずに陸地に戻ってきて、大きく深呼吸したときの喜びと安心感は、ぼくの五感に染みこんでいます。
 世の中にはいろいろなことがあって、いろいろな仕事があって、それぞれみんながそれをやっているから社会は回っているのでしょう。
 ぼくのような、しがないオジサンでも、仕事があって、家族があって、日々雑事が山積しています。大切なこともあるし、大切じゃないこともあります。
 この大切さの基準を大まかに、本当に大切なことだけにできないかな?というのが、ぼくの思いです。
 もう少し詳しく説明させてください。
 あるとき駅の改札口で、駅員さんに文句をいっている年配の男性を見たことがあります。ぼくはSUICAの設定をリセットして欲しかったので、その男性の話が終わるのを待っているときに話の概要が聞こえてきました。かれこれ5分以上は待っていたのです。
 その男性の不満というのは、ホームのアナウンスの音量が大きいというものでした。まあ、確かに音が大きいなと思うことは時々ありますが、それって5分以上のかけて一駅員の担当者(たぶんその人が大きな音でアナウンスしたわけではないと思うのですが…)にいうことなのかな、というのがぼくとしての感想です。
 こうした、(ぼくからすれば)些末なことにクレームをいうパターン自体は、わりとよくあることじゃないかなって思うのです。
 さて、ここでまた話が変わります。
 故人となった政治家がいったと何かで読んだ記憶があるのですが、「この世のことは、この世でなんとかなる」という言葉があります。
 解釈は人によって違ってくるでしょうが、ぼくは政治家という国家の方向を決めたり、国民の安全(命)を左右するような決定をする重責を担う仕事に就いている人が、どんな大きなことがあってもなんとかなるものだ、だから動じるんじゃない、という意味だと解釈しています。
 そう、どんな仕事もそれぞれ大切ですが、その中でも人の命に関わることが大切なのでしょう。
 海で「今度こそ死ぬかな」と思った恐怖感、パニックにならないように自分をコントロールする力、生きて帰ってきて、息ができて、メシが食えて、ビールが飲めたときの喜び。
 それがあればまあいいかなと思ったりします。それ以外はあまり気にせず生きていこうと思ったりします。







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旅先の海辺でスーパーマーケットに行く楽しみ



 みなさんA-COOPってご存知ですか?
 Aコープって書いてあることもあるんですが「えーこーぷ」って読みます。何かというとスーパーマーケットです。
 ぼくが行くような田舎の海辺の町や人口の少ない島でもA-COOPはあるので、昔から馴染んでいて、大好きです。JAがやっているので、品揃えがイオンとかヨーカードーなどのスーパーと少し違っていて、初めてみる商品に出会えたり、A-COOPのPBとか地元の野菜や魚なども並んでいたりして、見ていると楽しくなります。
 ぼくがA-COOPが好きなのは、海への旅へ行く→滞在中の買い出しでA-COOPに行く→楽しいという、よい記憶が定着しているからなのでしょう。

 旅先でゆったり地元のスーパーに行くのって、ぼくは好きです。友達と一緒に海旅をすることが多いんですが、たいてその晩の酒や肴を買いに行くというパターンです。
 ぼくが行くような海辺の町にはコンビニなどなくて、A-COOPしかないというところも結構あります。場所によってはA-COOPすらなくて、よろず何でも売っている商店しかないというところだってあります。
 地元のスーパーや商店へ行って、買い物をしている人がどんな人か、どんな物がどのくらいの値段で売っているかなどを見ながら、買い物をするのって旅の楽しみのひとつです。







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