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海での時間は、日々を乗り切るための大切な時間



 みなさんいかがお過ごしでしょうか?
 ごくごく普通に、一般市民として暮らしていても、仕事でアレやコレやあり、結婚もし、子供をもうけ、育て、親の介護をし、持病のため定期的に通院し、家事のあれやこれやをこなし、友人とは定期的に飲みに行き、冠婚葬祭に出席し、町内会の役割も回ってきたりして、生活するということはなかなかにやることの多いものですね。
 やることが多いということは、単にそれをやるための時間が必要というだけではなくて、それをやるために判断する時間が必要ということになります。ただでさえ優柔不断はぼくは、あれはどうしようかな、それはどうしようかな、なんて考えていると、意外に時間がかかります。ましてや判断に迷う微妙な、あるいは重大な問題だと、時間だけではなくて、心理的な負担もかかります。しかも自分が進んでやりたいことではなくて、生きるために仕方なくやらなければならないという後ろ向きの動機です。
 生きるということは、雑用をすることなんじゃないかとさえ思ったりします。
 そんな日々の中で、唯一ホッとできるのが海遊びの時間です。
 スキューバダイビング・シーカヤック・サーフィン・セイリングをするときは、数少ない自分が進んで、好んで行うことでして、これが砂漠の中のオアシス的に、あるいは溺れかけているときの浮き輪的に、日々の暮らしの中で一息つける時間になっています。
 おそらく趣味を持つのが大切といわれるのは、いろいろな理由があると思いますが、重要な理由として、日々の暮らしのよしなし事から抜け出して、人間らしく生きる時間を与えてくれるからなのではないかと思うのです。
 ヨハン・ホイジンガが書いたように、人間は、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)であって、遊びこそが人間活動の本質であるというのは、自ら進んで行う、人間らしく生きる時間だからかな?ってぼくは解釈したりします。
 ビジネスの上では、よく効率的に時間を使うとか、生産性を向上させるということが大切だといわれますが、それを会社でやった場合、効率的になった分、他の仕事が回ってくるわけで、いやいやそれを休みとか自由時間にしろやと、行き場のない不満を抱えています。
 せめて日常生活の雑事を効率化して、生み出された時間は遊びの時間にしたいものです。
 以前にもこのブログで書いていますが、ぼくの海好きは30年以上にわたるものでして、海での時間がなかったら、ぼくはどこかで破綻していたのではないかとさえ思います。好きという言葉では足りなくて、癒しの場、生きる上でなくてはならないものというのが、ぼくにとっての海の位置づけです。
 だからこそ、慌ただしく、時には嫌なことも起きる日常を、なんとかやり過ごすために、海で遊ぶ時間は、なくてはならないないものになっています。先に書いた、砂漠の中のオアシス的に、あるいは溺れかけているときの浮き輪的に、という比喩は大げさな表現ではないのです。
 これからもぼくは海遊びを続けていくでしょうし、願わくば海遊びをしながら死んでいけたら幸せだとさえ思います。








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