海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
風・波予報が結構使えるサイト windguru
ウォータースポーツをやる人にとって、天気はかなりの関心事。中でも波と風というのは重要な要素ですよね。
風が強ければ波が高くなる可能性がありますから、サーファー、ウインドサーファー、セイラー、シーカヤッカー、ダイバーとかなりのウォータースポーツパーソン(スポーツマンって言葉、やっぱり使ったらいけないんですかね?)に影響があります。
そんなわけでぼくは、海に出る前に天気予報の風予報を見るようにしていますが、気象庁の予報がいまいちです。予測がでている地点が大雑把なのと、ワリと外れていることが多いんです。
これはまあしょうがなくて、風というのは地形にかなり影響されるので、1km場所が違えば風の強さも違います。それを正確に予測するのは大変でしょう。
例えば湘南ですと、茅ヶ崎から藤沢くらいまでは風向・風速は安定していますが、鎌倉から三浦半島の先までは岬や山の谷間の関係で、ちょっと場所が変わると急に風が強くなったり弱くなったりします。
ちなみに台風や気象情報全般についての情報源については以前にまとめましたのでよろしければご覧ください。
そこで台風については、アメリカのJoint Typhoon Warning Center (JTWC)のサイトがいいですよと書きました。
で、海外サイトものということで、風予報についていいサイトがあるのでご紹介します、というかウォータースポーツをする人の多くが使っているようなので改めて記録しておきます。
それはwindguruというサイトです。
世界中のポイントの風や波の予報が出ていて、日本もかなり細かく載っています。で、これがどういう仕組みなのかわかりませんが、けっこう正確なんです。不思議ですね。
理屈がわからないのは少し不安ですが、ともかく風・波予報がかなりのピンポイントで無料で手に入るというのはなかなかいいはなしではないかなーと思います。
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危ない目に遭っても海遊びを続けている理由
30年くらいウォータースポーツをしてきて、何度も死にそうな危ない目に遭ったりしましたが、懲りずに続けています。
どうせ一度しかない人生ですし、事故や天災や病気などでいつ死ぬかもわかりません。だったら好きなウォータースポーツで死んだ方がましだし、何よりも日々を楽しんで過ごしたい…そんな気持ちがあったから、危ない目に遭ってもウォータースポーツを続けてきたんだと思います。
ぼくはどちらかというと慎重で奥手な性格です。そのせいか、若い頃やりたいと思ったことを、あれこれ考え過ぎてやらなかったことがあります。それで後悔したので、それからは迷ったらやることにしています。それがたとえ危険であっても…
もうひとつの思いとして、どうせ人は死んでしまうんだし、寝たきりになって長生きするよりは、短命であっても、好きなことをしながら死んでいく方が、自分としては幸せだ、という気持ちもあります。
もうひとつ別の思いとして、人生を生きるのは時として辛く悲しいこともあるし、重荷を負って生き続けなければならないわけですが、海で好きなことをしながら死んでいけたら、それはそれでハッピーだよなという気持ちもあります。
慎重なぼくが普段から自分にいい聞かせている言葉に、なんとかなるさ、運が悪けりゃ死ぬだけさ、それがどうした、この世のことはこの世でなんとかなる、自分なんて世界でちっぽけな存在、というものがあります。そんな言葉を頭に浮かべているうちに、危険な状況でもパニックにならずにウォータースポーツをすることができるようになりました。
たとえばそれは、シーカヤックで海に出て、しばらくしてから急に海が荒れてきて、グシャグシャの大きな波の中をなんとか陸まで辿り着くとか、スキューバダイビングですごく流れの速い海域に入ってしまい、海上に浮上して、ダイビングボートに見つけてもらうまで、30分くらい海の上を流されたときとか、今までトライしたことがない1.5m〜2mくらいの波でサーフィンしたときとか、そういういくつかの危ない状況のことです。
ウォータースポーツをする人が、楽観的・楽天的であることと慎重かつ綿密であることについて
ウォータースポーツを30年以上やっていて、時には危ない目に遭ったりします。死にそうになったこともあります。
なぜそんなことをするのかということは以前に何度か書いたのですが、まあざっくり早い話、それが魅力的だからです。
じゃあウォータースポーツをやる人が、リスク選好型の無謀な人が多いかというと、そうとはいえない気がします。
もしかしたら山登りをする人や冒険家も同じかもしれません。
そう、今回は自然を相手にする人の気質について書いてみたいと思うのです。
ぼくの周囲のウォータースポーツをする人を見てみると、無謀というよりもどちらかというと慎重で、事前準備を細かくきちんとする人が多いような気がします。
ただ、楽観的・楽天的な人が多いようにも思えます。自分がやりたいことがはっきりしていて、それが実現すると信じているところがあります。
それから、自然の脅威に対しては、事前に対策ができるのでそれほど怖くない、それよりの人間の振る舞いの方が怖いと思っているフシもあります。
自然を相手にしているからそういう性格的な傾向が身についたのか、それとも元々そういう性格のタイプの人が、ウォータースポーツをしたがる傾向にあるのかはわかりません。
でも、一面で楽観的・楽天的な人が、一面で慎重かつ綿密であるというのは、すごくおもしろいと、ぼくは思うのです。
踏み込んでいえば、充実した人生を送る上で、大切な素養だよなあ、と思うのです。
サーフィンとシーカヤックの瞑想時間が癒しをもたらす
ぼくはウォータースポーツをいくつかやります。大学時代にサーフィンを始め、やはり大学時代にスキューバダイビングを始め、30代の頃にシーカヤックとセイリングを始めました。どれもいまだに続けています。
ぼくの特徴として、新しいことを始めて、それが自分に合わないとわかるのは、すぐです。
なので、続けられないことはまったく続けられないし、2回、3回とやることはその後ずっと続けます。他のことも似たような経緯をたどることが多い~それはたとえば女の子と付き合うとか、バイトを始めるとかでも同じ~ので、これはぼくの特性なのかもしれません。
サーフィンとスキューバダイビングとシーカヤックとセイリングではそれぞれ面白さが違いますが、最も大きな違いだとぼくが考えるのは、サーフィンとシーカヤックは一人でできることで、スキューバダイビングとセイリングは仲間と一緒にやるという点です。
そしてどちらにもそれぞれの面白さがあります。ぼくは自分の気分と海況によって、それら4つのウォータースポーツを選んで楽しんでいるわけです。
一人でできるサーフィンとシーカヤックのよさは、思いついたときにすぐできるし、ずっと一人の時間を過ごせるし、やっている過程のすべてを自分の判断でできるところです。
そしてそれらは、ぼくの性格に合っていると思います。
サーフィンで波待ちをする、シーカヤックでパドリングをする時というのは、何だか大げさな物言いになりますが、瞑想に近いと感じます。これはぼくがそう感じているだけかもしれません。
何かを考えることもありますが、何も考えていない時もあります。歌を口ずさんでいることもありますし、独り言をいっている時もあります。無心になっている時もあります。その時間がぼくは好きです。
ぼくは軽くジョギングをすることもあります。それは適当・不定期な運動不足解消のためのジョギングなので、本格的なランナーではありません。でもジョギングのときの何かを考えているような考えていないような時間と、サーフィンとシーカヤックの瞑想時間とは似ていると思います。
日々の生活の中でまとまって何も考えない、あるいは何を考えてもいい時間をとることは難しいので、サーフィンとシーカヤックの瞑想時間がより貴重に感じられるという面はあるかもしれません。
サーフィンで波に乗る、シーカヤックで海を旅する、その二つはそれぞれに面白いし、海に出ること自体が気持ちいいんですが、とりわけ瞑想的な時間を過ごせるのも、ぼくにとっては、結構重要度の高い面白さです。時々波もないのに波待ちをしているサーファーを見かけることがあると思いますが、あれはあれで、やっている本人は楽しいし気持ちいいのです。
小雨が降って、太陽の光が届かず、海は暗く鈍色の日、海に出てもあまり爽快ではない日であっても、あえて海に出てサーフィンとシーカヤックをするのは、瞑想的な時間を過ごせるのが気持ちいいからです。
いささかストイックで偏屈な面白味かもしれませんが、ぼくという人間はそういうのが好きだし、そういう面白味に癒されていると思います。
海遊び界あたりのマイペースな人達
ダイバー、サーファー、セイラー、パドラー。
そんなぼくの周りの海遊び人というのは、割りとマイペースな人が多いんです。いい意味でも悪い意味でもマイペースです。
そういうマイペースな人達を見ていると、羨ましいなと思うのです。ぼくには、なかなかできないし、その人達自身はとてもシアワセそうだから…
たとえば企業など勤め先の組織によっては、自分の個性を抑えて機械の歯車のように働かなければならないところもあるでしょう。
ぼくの周囲のマイペースな人達は、そういう組織ではたぶんうまくやっていけないだろうと思います。でもそれはそれでいいんじゃないかなあ。無理してもどうせ本人も周囲も組織もシアワセではないでしょうから…
人はその個性に合った居場所というのがあるような気がして、それをうまく見つけられるか、周囲の環境を自分が居心地がいいように変えていけるかというのは、シアワセな人生を送る上でけっこう大切な能力?技術?な気がします。自分に合った場所で、なんとか食べていけるだけの収入を得ていくというのは、そんなに簡単なことではないし、学校では教えてくれませんけど…

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パドリングとマインドフルネス
ウォータースポーツを30年以上やってきました。
最初はサーフィン、そしてスキューバダイビング、シーカヤック、セイリング。こうして書くとまったく道楽者だなと思います。
それぞれに楽しみがあるんですが、シーカヤックというのはつくづく楽しいなあと思うのです。何が楽しいかというと、パドリングです。他にももちろん楽しい面はあるんですが、今回はパドリングの楽しさについて書いてみます。
シーカヤックのパドリングはマインドフルネスになっているんじゃないかなって、最近思うんです。
パドリングをしているときは、コース取り、波、風、潮流、周りの景色、近くの船舶などに注意しているわけですが、ぼくの場合、そんな注意をしつつ、好きな歌を口ずさみながらパドリングをします。
それにも飽きてしまうと、一漕ぎ一漕ぎに意識を向けながら自分の使っている筋肉や波の手応えなどを感じながらパドリングします。
そのときの感覚がマインドフルネスとか瞑想に近いように感じるのです。無心になれるというか、気分がスッキリします。
もちろん大海原を自分の力だけで漕いでいくのも楽しいですし、筋力トレーニングもできます。それにマインドフルネスもできるわけですから、なんというかお得というか、メリットの多いスポーツだと思います。別にメリットでウォータースポーツをしているわけではありませんけど…
頭と体をフルに働かせるウォータースポーツという遊び
ウォータースポーツは、海という自然の中で遊ばせてもらうものです。結構危ない目にも遭います。
都会で暮らす知り合いによくいわれるのは、なんでそんな危ないことを自分で進んでするのか?ということです。それについては、これまでもいくつか書いてきました。
→運が悪けりゃ死ぬだけさ…
→海遊びの危険とかリスクについて思うこと…
→リスクゼロ?
自然なので、気象や海況などは刻々と変化します。天気予報の精度が高まっているとはいえ、先のことはなかなか見通せません。
よく不確実性の時代をどう生きるかというテーマのビジネス書が書店に並んでたりしますけど、海遊びをしていると、なんでそんな当たり前のことを本にしてるの?不確実じゃない時代なんてあったの?と本屋の通路でブツブツいっている自分がいたりします。海ってそれだけ変化するので、それに自分が慣れちゃってるんだなーと気づかされる瞬間です。
気象や海況の変化を表す例でよくあるのは、スキューバーダイビングをするときのことです。スキューバーダイビングって圧縮空気の入ったタンクを背負って(見たことあるでしょ?)潜るんですけど、潜ってる時間は、まあざっくり40分とか50分くらいです。
エントリー(潜り始める)のときは、なんてことない海況だったのに、エキジット(海から上がる)のときには海が大荒れだったなんてことは、ざらにあることです。
シーカヤックやセイリングでも、午前中に海に出て、午後に急に荒れる(海はたいてい午後の方が風が吹く)ということもよくあることです。風が吹いて波がたって海が荒れ出すとしばらく続きますから、われわれ人間にはどうしようもありません。陸に上がってビールを飲むのが最善の策です。
これもビジネスの現場でよく聞く言葉ですが、自己効力感が高い(低い)という表現があります。この言葉を分かりやすくいうと、いかに自分が役立たずじゃないって思えるかということだと思いますが、自己効力感というのも海遊びの場面では、あまり使いません。前提として自然の中で人間は無力だからです。それを踏まえて海遊びをしているのです。基本無力なんだけど、なんとかうまくやって生き延びるというのが、海遊びの基本姿勢です。
ビジネスで使う自己効力感は、基本起きる現象に対して、自分がなんとかできるというのが前提になっている語感があります。そんなにハードル上げられちゃうとビジネスマンとしてはたいへんツラいところでしょう。いやいや基本どうしようもないんだけど、まあなんとか被害を最小限にできたという風に考えるといくらか気が楽になるんじゃないでしょうか?
そういうわけでウォータースポーツにおいては、自己効力感は、いかに自然の状況に合わせて自分がいい思いをできるかとほぼイコールです。
ぼくのように、その日の海の様子を見てスキューバーダイビングができるならやり、できないならシーカヤックをやり、それもできないならサーフィンをやり、それもできないなら陸でビールを飲むというのは、たいへん自己効力感が高いといえますし、不確実性にうまく対応しているといえるでしょう。
そんな不確実で圧倒的な力を持つ自然の中で、危険を顧みず、なぜ海遊びをするのかということですが、ぼくの場合は、それが楽しいからです。正確にいうと、わからなくて自分の力でどうしようもない状況で、海遊びをして、無事生きて帰ることが楽しいんです。最近はこの楽しさはかなり本能に訴えかけるものじゃないかと考えるようになりました。もしかしたら祖先が、危険な自然の中で狩りや漁をして、それを人間の本能として楽しんでいた記憶が自分のどこかにまだ残っているんじゃないかとさえ思うほどです。そんなの検証しようもないですけど、それほど強い楽しさです。
その楽しさを伝えるのは難しいので、かなりまわりくどく説明します。
ぼくはゲーム(ってほらソニーとか任天堂とかが売ってるヤツです)ってあまり好きじゃありません。たいていパターンが決まっているからです。ゲームよりもボードゲームの方が好きです。それは参加者によって展開が違うからです。で、ボードゲームよりも将棋や碁の方が好きです。相手のタイプや戦法を前提に、先々まで考えて、こちらも打ち手を変えていけるのが楽しいからです。将棋や碁よりも、かくれんぼや鬼ごっこの方が好きです。それは空間や屋外の要素が加わるからです。
何がいいたいかというと、ぼくが何かを楽しく感じる状況というのは、自分がどうしようもないことを考えてなんとかするプロセスが自体だということです。で、そのプロセスが複雑で、多要素で、不確実で、予測不可能であるほど楽しく感じるんだと最近気づきました。
その点で、海遊びはすべての要素を満たしているから、だから楽しいんです。そういう意味では、山登りもぼくは楽しむでしょう。ウォータースポーツは、ぼくにとっては、頭と体をフルに働かして生き残りをかける遊びです。
そんな話しを飲みの席で海遊び仲間と話すと、割と共感してもらえて盛り上がります。みんな同じようなことを喜びとして感じているんじゃないかな?って思います。

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嵐の中に出ていこう
少し荒れた海に出ていきます…たまにですが、少しムリをしたくなります。
以前に、これよりは穏やかな海に出て、そのときは無事帰ってこられた。今回はどうだろう? 無事に帰ってこられるだろうか?
自分の限界を見極めたくなってしまいます。
もちろんそんなことを続けていたら、最後にあるのは死だというのはわかっています。
なのでムリはしませんが、もっと荒れた海に出てみたいなという思いはあります。
不思議なものです。みんなそうなのかな?
似たようなケースをもうひとつ。
ぼくは、雨の中、海に出たりジョギングしたりするのが好きです。
濡れるのは平気だし、海遊びをするならどうせ濡れるし…
強い雨に打たれながら、夢中でパドリングしたり、ダイビングしたり、走ったりするのって、なんだか気持ちがスッキリします。自分に酔ってるわけじゃなくて…
よく妻にあきれられます。
なんでそんなことをするんだろうって自分でも不思議に思います。イヤなことをムリしてやっているわけじゃなくて、やると達成感があるし、自分の気持ちがスッキリするからやるんですが、どうしてそんな精神構造なのかはよくわかりません。

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運が悪けりゃ死ぬだけさ…
ぼくはわりと荒れた海況でも海に出ていきます。
というのは、海遊び仲間からそういわれることが多いから、そうかなって思うようになりました。
中には、ぼくよりずっと慎重な人もいますし、ぼくよりもずっとハードな状況でも大丈夫な人もいます。
ウォータースポーツを30年近く続けていて、こういう危険な状況に対する認識の差ってどこからくるのかなあ、と考えることがあります。
経験と結びついていることは間違いありませんが、経験が豊富だとかえって慎重になることもあります。なので要素は経験だけではないようです。
ウォータースポーツから得られる喜びとリスクのバランスの問題かもしれません。
それだけでもなくて、自分の力(生きて帰ってこられるという力)に自信があるからかもしれません。
あるいは、自分の命への価値の置き方の問題かもしれません。
または、極限の状況が好きということもあるかもしれません。
性差というのはないように思いますが、気持ち男性の方が多い気がします。
家庭の状況(家族がいるかとか、養わなければならない子供がいるかとか)にもよるのかなあとも思います。
すごく経験豊富なダイビング仲間は、すごく荒れた海況でも「こんなのたいしたことないよ」と海に出ていきます。
冒険家と呼ばれるような知り合いは、やばい海況でもシーカヤックを漕ぎ出します。彼は「生きるか死ぬかのヒリヒリするような状況でこそ、生きている気がする」といいます。
ぼくの場合は、海遊びが好きで、海遊びをすると心身共に元気になれるので、多少のことがあっても海に出ます。
まだあって、死ぬか生きるかは、所詮、運だと思っているため、やりたいことをやらないで死ぬよりはやって死んだ方がお得でしょう、と考えています。ぼくの好きな言葉は「運が悪けりゃ死ぬだけさ」ですから…
そしてどうせ一度の人生なので、やらないよりはやる方を選択したいと思っています。
それから知り合いと一緒ですが、ぎりぎりの状況で全力を出す、ある知恵を全部振り絞って生き残ろうとする、その瞬間に生きている充実感があるから、多少ヤバい海況でも海に出ます。
こんな話を読んだ方は、まったく共感できないという方も多いでしょう。でも、アウトドアスポーツをやる人の間ではそれほど外れた考えでもないような気がしています。もし、共感してくださっている方がいらしたら、一度の人生、充実した時間を過ごしましょう。周りに迷惑をかけない程度に…

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歳をとったらウェットスーツを着ると痒くなるようになったんですけど…
自分のことをわりとタフで、細かいことを気にせず、どこでも暮らせる人間だと思って生きてきました。
不便な土地の旅行やキャンプなども平気というかむしろ好きです。
電波が来なくてスマホが使えないのはうれしいくらいです。
洗浄便座がないと用が足せないということもありません。
水もとりあえず汚れてなければ飲めます。
ぼくの友人で海遊びが好きで、山登りをするヤツで、たいていのことは大丈夫なんですが、唯一、ウェットスーツで肌がかぶれる人がいます。
見た目かなりワイルドな人なので、その彼がウェットスーツを脱いだ後、全身にかゆみ止めを塗ってうっすらと白くなっている様子は気の毒だなと思う一方で、どこか滑稽だったりします。
そんな風に敏感肌の友人のことを他人事だぜ、オレは関係ないぜ、オレはタフだぜと思って見ていたら、ぼく自身が、40代になってから敏感肌になってきたのです。
最初は夏場に汗をかくと痒くなりました。それまで汗疹とか痒みとは縁遠い暮らしをしてきたのです。蚊に刺されても気にもしませんでした。それが自分の汗で痒い…なかなか納得できません。だって自分の身体から出たものでしょう。それが痒いってどうゆうことだよと思ったものです。
次はシャツやパンツの、タグっていうんでしょうか、サイズとか洗い方が書いてあるピロピロのあいつ。あれが痒くなってきました。それまでなんてことなかったのに…
その次がウェットスーツです。ウェットスーツの汗がたまる背中〜腰のあたりに汗疹ができるようになりました。汗疹って痒いですね。アトピーの方の辛さが少しだけ想像できるような気がします。
今のところの対処法は、汗をかいたら流すこと。ぼくの場合海水でもokみたいです。それからラッシュガード(finetrackのスキンメッシュが汗を発散していいような気がします)を着て腰のあたりがウェットスーツに直に触れるのを防ぐこと、ドライスーツを着る時用のパウダー(最近はベビーパウダーを使ってます)を使うこと、痒みの塗り薬を塗ることです。
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