海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
50代になって海遊びの心境が変わったこと
ぼくは50代のまごうかたなき、押しも押されもせぬオジサンです。オジサンど真ん中。って、そんな話しはいいんです。
ぼくはオジサンですが、休日はスキューバダイビングやシーカヤックやサーフィンをして、かろうじて大病もせず、怪我もせず、元気に遊んでいます。
ぼくには妻が1人と子供が2人いるんですが、子供は2人共、就職して独立しています。
なので、妻と2人きりの生活です。
ぼくは大学卒業してすぐに、今働いている会社に新卒で入社して、ずっと同じ会社で働いてきました。定期的に人事異動があるので、仕事はいろいろなことをやりましたし、忙しいときもありましたし、ツラいときもありました。そんなザ・昭和なサラリーマン人生を歩んできたわけです。
ただ、子供が自立してからは働くときの気持ちがずいぶん変わった気がします。それまでは、子供達を大学卒業させるまでは、仕事はしなければならないという責任感がありました。なんとか家族の生計とと教育費を稼がなければならない。その責任感で働いていたといっても過言ではありません。
それが今は純粋に働きたいから働いているという感覚です。最悪、ツラくなったら辞めちゃってもいいも〜んと思っているところがあります。
その心境の変化で、働くときの気持ちがずいぶん楽になったんです。自分でも驚くほどです。
ウォータースポーツをするときの気持ちも変わりました。それまでは、死ぬようなことはできないと心のどこかで思っていて、慎重に遊んでいました。
今は、いざとなったら死んでもいいや、というか、海で遊んでいて死ねるなら本望だ、くらいのロケンロールな気持ちでウォータースポーツをしています。それがウォータースポーツをする際の心掛けとしていいのか悪いのかはわかりませんが、以前よりも自由に、心理的に身軽になったのは間違いありません。
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波をずっと見ています
ぼくは海が好きなんですが、海中も好きだし海上も好きです。でもなにより好きなのは波です。なので時間があると我が家から数分の海に行って波を見ています。それもわりと長い時間、最低でも1時間くらい、長いときは半日くらい、波を眺めています。
このあたりでなんとなく波フェチ変態オジサンの気配が漂いますが、なんのなんのまだまだ話しはこれからです。
波が好きなポイントはいくつかあるんです。
一つ目は波自体の形です。ここで説明が必要だと思うんですが、波には大きく分けて、波とうねりがあります。波はその海域に風が吹いていて起きるバシャバシャしたものです。うねりは日本から離れたところに大きな低気圧があってそこから吹く風が伝わって、日本に到達したもので、文字どうり海がうねっているように見えるものです。
で、波とうねりそれぞれに形が違って、たぶん同じ形の波はないと思うんです。それを見ているのが好きなんです。特にうねりというのは沖から海が盛り上がるようにやってきて、岸に近づくにつれて緩やかに高くなっていって、砂浜のところでブレイクします。このうねりの描くカーブがとても美しいんです。美しい女性の身体の線に、ぼくは惹かれますが、それと同じくらいうねりのカーブに惹かれます。
どうですヘンタイっぽいでしょう。って威張るような話しの流れではありません。
二つ目は波の強弱です。さざ波も綺麗ですし、台風のときの激しい波は圧倒的な迫力があります。台風が来ると、よくテレビのライブ中継で波の高い様子を映しながら「危険ですので海に近づかないでください」とアナウンスが入りますが、そんなこといわれると、ぼくは海に波を見に行かずにはおれません。身体がウズウズして、ついつい海方面に向かって、波を見にいってしまいます。そのうち高波にさらわれて死んでしまうでしょう。それも望むところです。って開き直ってどうするんでしょう。
三つ目は波に反射する太陽や月明かりのきらめきです。
朝昼夕方に限らず、また月夜の晩も、太陽や月の光が波に当たってキラキラ輝く様子を見るのが好きです。あれはなんと美しい光景でしょうか。万華鏡を見るような、あるいは宝石を見るような感覚に似ていると思います。
その時々の波やうねりの状態と太陽の当たり具合で、きらめきがその都度変わるのです。おそらく同じきらめきはないと思います。
四つ目は波の色です。珊瑚礁の海の波は透明に近いか、薄いブルーです。ぼくの住んでいる相模湾の波は日によって違いますが、少し濁った濃い青か黒に近い紺色です。小笠原諸島の波は群青色です。東京湾の波は黒い色です。
場所や陽射しのあたり方や海中の砂の巻き上がり方によって、美しい青のこともありますし、濁った青のこともあります。
こんな感じで海を眺めていると、飽きないし、波の違いを楽しむことができます。
夏の海って基本的には好きなんですが、微妙です…
以前このブログに、ぼくは海辺の田舎町に住んでいて、春と初夏と秋の海が好きだと書きました。今回はその続きです。
夏という季節は、幼い頃から基本的に好きなんですが、大人になって海辺に引っ越してから少し変わってきました。というのも夏になると、海辺に海水浴場ができて、観光客が来て、道や町が混雑するから、住みにくいんです。
住んでいて心地よくないことは他にもあります。
観光客がビーチで夜遅くまで花火などをしてうるさいし、心ない観光客がゴミをポイ捨てしていくし、コンビニやスーパーに水着で、砂だらけのビーサンで入ってくるし、ちょっとヤンキーっぽい人達が昼間から泥酔して、ときに喧嘩などのトラブルを起こしたりするんです。
人の醜い面を見るのは、なんともやるせないんです。
そして海水浴場。
海水浴場って、今まで何もなかった海にロープを張って区切って、その中で海水浴をしてくださいという仕組みなんです。
で、ぼくらウォータースポーツをする人達は海水浴場以外のエリアから、海にエントリーとエキジットをすることになるんです。要は今まで自由に使えていた海に制限がかかるわけです。もちろん不便です。
それはそれで我慢するとして、海水浴客が海水浴場以外のエリアで海に入っているんです。
そうすると、ウォータースポーツをする人達は、海水浴客にぶつからないように注意しないといけなくて、それもかなりうっとうしいんです。
混雑している海水浴場では、毎年何件かは、海水浴客とウォータースポーツをする人、最近はSUPが多いですが、その人達の衝突事故が起きています。
ただ、そうした嫌なことを除けば、夏の海というのはいいものです。特に夏の早朝や、夕暮れから夜にかけての海はいいものです。
夏の夕暮れに、海に沈む夕陽を見ながらビーチを散歩するのは気持ちいいんですよね。もちろん缶ビールを飲みながら…
日中の暑さが少し和らいで、潮風に夏特有の濃い磯の香りがして、小さい頃、夏休みに家族旅行で海に行ったことを思い出します。
夕陽が沈むにつれて、空の色がグラデーションに変わってきて、いわゆるマジックアワーになります。そんな空と海を眺めているのが好きです。
陽が沈んでビーチが暗くなると、海も黒くなって、波の音だけが響きます。なんともロマンチックなんです。
船で海上をガンガン進む感じが好きです
スキューバダイビングでは、ボートダイブとビーチダイブに大きく分けられるんですが、ぼくはどちらも好きです。
ボートダイブはポイントまで運んでもらえるので楽なのと、たいてい大物が見れることが多いので好きです。
何よりも好きなのは、船が波をガンガン乗り越えながら進んでいく爽快感です。舳先の方に座って、風を受けながら、船がドンドン進んでいくのを感じるのが好きです。
ぼくは2級船舶免許を持っていて、たまにボートを借りてクルージングをするんですが、やはり、海の上をスピードを出しながら走っていくのは爽快です。
ぼくは船酔いをしたことがないので、爽快感だけがあるというわけです。
それとは別に、ぼくはシーカヤックをやっていて、これは手漕ぎでのんびりと膿の上を散歩するという感じなんですが、これはこれでマッタリとして楽しいものですが、動力を使った船で海上を疾走するのも楽しいです。
ウォータースポーツの魅力
海遊びが好きで、サーフィンやスキューバダイビングやシーカヤックを30年以上続けてきました。ぼくはそれらの海遊びをウォータースポーツと呼ぶことにしていますが、ウォータースポーツの魅力というのはいくつもあります。
ぼくが一番の魅力だと感じるのは、海という広い場所で、低い人口密度で活動できるという点です。広々とした場所で好きなことをやっていると、それだけで気分がスッキリします。同じアウトドアスポーツでも、登山などは有名な山はずいぶん混雑していて、山頂付近は大渋滞なんて話しを聞いたりすると、海遊びの良さを改めて感じます。
次は、海がとても自由な場だということです。もちろん海には海のルールがありますが、地上でのスポーツやアクティビティに比べれば、ルールの数は少なく、それだけ自由な場だといえると思います。比較的自由だというのは、この何もかもが管理されたご時世で、とても貴重なことだとぼくには思えます。
次は、自然は同じ状況がなくて、何度同じフィールドで同じ遊びをしても飽きることがないということです。波や風、潮回り、潮の流れ、気温、湿度、陽射しなどの条件は、まったく同じ状況というのはありません。自然という相手の状態が違うし、ぼく自身のコンディションも違うので、同じウォータースポーツをしても経験することは違ってきます。そのため飽きないのだと思います。
次は、自分に向き合えるということだと思います。どういうことかというと、海という、時として厳しい自然の中で、危険を避け、死なないように帰ってこなければならないわけですが、そのプロセスの中で自分と向き合わなければならないんです。自然の状況や自分の力を冷静に考え合わせて、行くか戻るか決断しなければなりません。そして恐怖やパニックに陥りそうな自分の気持ちを乗り越えなければなりません。その過程には、自分と向き合うということが入ってきます。
おそらく自然を相手にしない趣味を持っている人や、普通に暮らしている人には、死と隣り合わせで、自分と向き合う機会はあまりないと思います。
自分と向き合うとことで、自分の弱さや自分の力を受け入れざるを得ないんですが、それが多少なりとも人としての成長に貢献しているように感じます。
次は、自然の魅力です。海に出るとき、自然環境はさまざまなんですが、ときどきとても素晴らしい景色に出逢うことがあります。それは綺麗な海の色だったり、遠くにくっきり見える富士山だったり、魚が水面を跳ねていく様子であったり、夕陽とそれできらめく水面だったり、いろいろ素晴らしい景色があります。その素晴らしさを経験してしまうと、またあの景色を見てみたいと思うんです。
次は、自然の力のすごさを実感して、謙虚になれたり、慎重になれたりできるところです。自然を相手にするスポーツをした方ならおわかりいただけると思いますが、自然が荒れたときの力のすごさというのは圧倒的です。とても人の力ではどうしようもないことがあります。現代の人間の知識や技術によって作られた物が壊れたりします。たとえば、ぼくの住んでいる海辺の町にある港の防波堤が、台風で一夜にして、すべて流されてなくなってしまったことがありました。
そういう自然のすごさを目の当たりにすると、自分の力なんてなってちっぽけなんだろうと実感します。自然に対しても、周囲の様々なものに対しても、畏怖の気持ちと舐めてかかからない気持ちを持つことができるようになります。
次は、共通の趣味を通じて仲間ができて、仲間と共にウォータースポーツやそれに伴う旅が楽しめることです。学生時代の友人や職場での友人との付き合いも楽しいものですが、共通の趣味のもとに出逢った友人と屈託なく楽しめるのは、楽しい時間ですし、そんな時間を持てる人生って豊かだなって思います。
次は、急に身近な話題になりますが、ウォータースポーツをした後に飲むビールがうまいことです。あれは、他のスポーツをした後とはまた違ったおいしさだと思います。たとえばぼくはたまにジョギングをするんですが、走った後に風呂に入ってから飲むビールもうまいんですが、ウォータースポーツをした後に風呂に入ってから飲むビールの方がうまく感じます。ぼくの単なる先入観かもしれません。ただなんとなく思うんですが、海水を多少飲んでしまって、普段より喉が渇いているとか、浸透圧の関係で身体の水分が抜けてしまっているとか、なんだかそんなような特別な渇きがあるために、ビールがうまいんじゃないかと思います。
ウォータースポーツの魅力を列記しましたが、ぼくは20代の頃からウォータースポーツを始めて、ずっと続けてきました。それはそれだけウォータースポーツに魅力があったからだと思います。そしてウォータースポーツと共に過ごしてきたこの30年以上の人生はとても充実した豊かなものになったと思います。
これからもオジサンを通り越してオジイサンになっても、ウォータースポーツをできる限り続けて生きたいな、と思っています。
海辺をただただ歩く日
休みの日は、たいてい近所の海で海遊びをしています。
波がないときは、スキューバダイビングかシーカヤックをしますし、波があればサーフィンをします。ただ、海がすごく荒れていたりして、どうしても海に出られないときもあります(海に出ると死ぬなというときですね)。
そういう日には、海伝いにずっと歩くということをします。途中に岩場や岬があれば、陸側に戻って道路を歩きますが、また海に降りられる所に来たら、海辺を歩きます。
疲れたりお腹がすいたら、コンビニで弁当とコーヒーを買って、海辺で食事をします。
こんなマッタリした海歩きですが、海辺を歩いて、潮風を浴びているだけでずいぶん気分転換になります。
広い海、青い空、周期的に押し寄せる波、肌を撫でる潮風、そのすべてが心地いいんです。
ぼくは海のそばにいられるだけでシアワセを感じられます。
そんなぼくを、妻は呆れて見ていますが…
ぼくにとって海辺での休日は、街で会社という組織で働いている平日と比べて、対称的な存在です。タスクからも、締切りからも、ストレスからも、複雑な人間関係からも解放される時間なんです。
近所のスーパーでは、ビキニの女性が買い物をしています
ぼくは海辺の田舎町に住んでいますが、初夏から夏にかけての風物詩的な光景が見られますので、そのことについて書きたいと思います。
近所のスーパーは海に近いんですが、夏になると、水着の男女が水着のまま買い物をしているのに遭遇します。水着の上にTシャツを着ている人もいますが、ただただ水着のままの人もいます。若い人もいますが、わりと年配の人も水着のままで、普通に買い物をしています。
観光客らしい人もいますし、地元っぽい人もいます。
引っ越してきた頃は、この光景にあ然としましたが、今はもう慣れてしまいました。
ぼくはそれを批判的に見ているわけではなくて、自由でラフな土地柄でいいなあと思っています。ぼくはそういうラフな雰囲気の中で気楽に暮らせるのが好きです。
中年の女性がビキニ姿で、買い物カゴに鶏胸肉を入れている光景って、なかなかシュールです。生活感のないビキニという衣装と生活感の塊であるスーパーの買い物カゴの組み合わせが、ギャップがあってすごいなあと思います。
カリフォルニアかハワイかマイアミにいるような気分になります(行ったこともないし、そういう光景が繰り広げられているかどうかも知りませんが…)。
というかムリヤリいい感じに考えようとしています。
似たような経験が他にもありまして、ぼくの子供が小学生だった頃、小学校の父兄参観がありました。パパとママが教室の後ろに並んで授業を見るわけですが、パパはたいていTシャツ・短パン、ママはタンクトップに短パンかミニスカートなんです。中には、ちゃんとスーツを着ているパパもいましたが、浮きまくっていました。
こういう気楽な授業参観っていいなあと思います。
これが日本全国の海辺の町で、あまねく繰り広げられている光景なのか、単にぼくの住んでいるあたりだけなのかはわかりませんが、ちょっと調べてみたい気もします。

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夏の朝の海辺の匂いは夏休みの匂い
朝、少し早起きして海辺を散歩するのがぼくの習慣です。
冬は寒いですが、広い砂浜を散歩すると気持ちがいいので、厚着して頑張って散歩します。
散歩していると季節によって、海の匂いが違う気がするんです。春は海藻の匂いがしますし、初夏は新緑の匂いがします。夏はちょっと濃い磯の香りがします。
ぼくは、夏の朝の海辺の匂いが好きで、その匂いを嗅ぐと、小学生の頃の夏休みのことを思い出します。なんだか懐かしくて、ウキウキした気持ちになります。
熱海に対する複雑な思い
熱海について思うことを書きたいと思います。
ぼくは東伊豆にスキューバダイビングに行くことが多いので、熱海はよく通ります。
ぼくはたいていの海辺は好きなんですが、熱海については複雑な思いを抱いています。
熱海って、ぼくからすると都会です。ホテルやリゾートマンションや別荘が建て込んでいて、ぼくの住んでいる海辺の田舎町と比べると大都会です。
これが横浜だと海辺ではありますが、元々都会なので、ぼくもそういう所だと認識しています。
ところが熱海は観光地であり、リゾートです。主に首都圏の人が訪れる保養地です。だけどビルが建て込んでいる都会…このあたりがぼくがモヤモヤするポイントなのかなって思っています。
温泉があり、風光明媚で温暖、東京から新幹線を使えば1時間もかかりませんし、海から急な斜面が続いていますから、海から離れた土地でもオーシャンビューが楽しめます。リゾートとしての魅力を備えているから、今のように発展したのでしょう。
でも、ぼくがもし熱海の行政に携わっているとしたら、もっと自然を残すような制限を設けて開発させたと思います。
そうなんです。熱海は開発されすぎてしまってリゾート感が薄らいでしまったんじゃないかと思うんです。
ぼくの場合、伊豆方面に旅行をするとしたら、熱海は避けて、伊豆高原から先、できれば下田や南伊豆まで行きます。そこまで行くとのんびりした牧歌的な雰囲気と、豊かな自然があるため、リゾートに来たな、という実感が持てます。
これと似た状態にあるのが、沖縄本島の那覇です。沖縄本島も、那覇から離れればリゾート感が体験できますが、那覇市街は都会です。
逆にリゾート地として開発がうまくいっているのは、黒川温泉とか湯布院でしょう。おそらく開発されすぎないように制限をしているんじゃないかと想像します。
島旅へ行く時の飛行機や船が好き
ぼくは海へ行く旅が好きです。特に国内外の島旅が好き。
島って、独特の隔絶感があって、違う世界に来たなという感覚があります。特に小さめの、人口が少ない島が好きです。
島に渡るには、飛行機と船がありますが、どちらも好きです。飛行機や船に乗り込むときにはワクワクします。
普段それほどテンションが高くないタイプのぼくが、島へ渡る飛行機や船に乗り込むとかなりテンションが高くなるので、同行する仲間や妻がいたりすると驚かれたりします。
島へ渡る感覚というのは、なんというか、ぼくの中では、別世界のパラダイスへの旅立ちという感覚があって、それでワクワクするんだと思います。もちろん楽しみにしていた旅の始まりだからというのもあるでしょう。でもぼくの中では、いつもの旅とは別格のワクワク感です。
ぼくが好きな小さめの島というのは、空港や港の施設(ターミナルという感じではないんですよね…)も、小さくて素朴な田舎の駅のような佇まいで、それも小さな島に来たなーという感覚になります。飛行機を降りるのもタラップで、その階段を降りているときも、なんだかしみじみ懐かしく感じます。空港や港の施設を出るときには、「あぁ、遠くの離れ島に着いた。これから何日間はこの島の中だけで暮らすんだ」と思います。
旅自体が楽しいんですが、小さな離島への旅というのはぼくの中では特別なものなんです。
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