海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
一意専心、無責任道に精進してまいります
常日頃「ボクはだらしない人間です」「いい加減な人です」「テキトーな人です」「無責任な人です」「道楽者です」といい続けています。
思い出せば、小学生の高学年くらいから大学に入る頃までは、人並みにはちゃんとしようと努力していたのでした。大学でいろいろな友達と遊ぶうちに、ぼくよりも優秀で、しっかりしていて、マジメな人はこんなに大勢いるんだから、まあ自分はそこまでしなくてもいいんじゃないか、と気づいたのでした。それからは自分が選択できるんであれば、できるだけ役割とか責任みたいなことを背負わないでいこうと暮らしてきました。
さらに思い出せば、大学の頃にサーフィンを始め、スキューバーダイビングを始め、ぼくの交友関係はウォータースポーツやアウトドアスポーツ関連に広がっていくわけですが、そうした仲間はみんな自由に見えました。もちろん彼らはいわないだけでそれぞれいろいろあったんでしょうが、少なくとも、ぼくからはぼくより自由に見えたのです。
ぼくにとって大学時代というのは、生き方とか集団でのポジションの取り方の転機だったんだなあと思います。
もちろんぼくもまったく責任を果たさないわけではなくて、約束の時間を守ったり、冠婚葬祭には参列したり、税金を納めたり、運転免許証の更新をしたり、カードの支払いはちゃんとしたり、一応家族がいたりして、役所の住民票には世帯主(それを見るたび違和感を感じます。いえいえそんな世帯主なんてオソレ多い。そんなそんな、まあまあ…)なんて書いてあったりします。
これはフツーで当たり前だという見方もありますが、いやいや、ぼくの友人には約束の時間どおりに来たことがないヤツは大勢いますし、世界や日本の津々浦々を転々として、住所がほぼ不定なヤツもいますし、付き合っている女性がいて子供もいるけれども籍は入っていないというヤツもいます。冠婚葬祭は面倒くさいからと肉親のにも出席しないヤツもいます。
いや、彼らを褒める気はないんですが、人間ってけっこう自由になれるっていうことをいいたいんです。
そんな彼らに共通しているのは「他人にどう思われるかを気にしない」ということです。これができれば人はかなり自由になれるんだなって、ぼくは大学時代に気づいたのでした。それは遅いともいえるし早いともいえるでしょう。
ただぼくの未熟なのは、それに気づいたのに、徹底して実行できず、まあまあフツーの社会人であろうとしたことです。思えばそのあたりがぼくのミスでした。もう少しで「夢を追いかける自由人」になれたのに…あぁ一度の人生を取り返しのつかないことをしてしまいました。
ただぼくの未熟なのは、それに気づいたのに、徹底して実行できず、まあまあフツーの社会人であろうとしたことです。思えばそのあたりがぼくのミスでした。もう少しで「夢を追いかける自由人」になれたのに…あぁ一度の人生を取り返しのつかないことをしてしまいました。
ただ何事もやってできないことはありません。ぼくも今からでも日々の稽古で「他人にどう思われるかを気にしない」ことを徹底して「夢を追いかける自由人なオジサン」になれるよう一意専心、無責任道に精進してまいります、と思うのです。

ランキングに参加しています。クリックお願いします!

ランキングに参加しています。クリックお願いします!
PR
もう少し自由に大らかに暮らしたい
幼い頃学校で「人間は独りでは生きられない社会的動物です」と教わったのです。
まあ、それはそうですね。
みんなで集まって暮らすために法律ができルールができマナーがあるんだと、ぼくは思っています。だから、おそらく、そうした法律とかルールとかマナーって、社会の多くの人がよい・大切・公平・快適であると考える基準でできているはずだとも思っています。ということは多数派ではない人にとってはよくなかったり、大切でなかったり、公平でなかったり、快適でなかったりすることがあるということです。
もし仮に、価値観や生活のあらゆる面で標準的で多数派な人がいたとしたら、そうした人は暮らしやすいでしょう。
ぼくはわりと少数派な生き方をしてきたと思っているので、いろいろルールとかマナーがあってツライなと感じることがあります。もうオジサンなのでだいぶ慣れてしまいましたけど…
いえ、ほら、ちゃんと法律やルールは守りますけど、マナーみたいなレベルまでくると、今でもけっこう息苦しさを感じます。
細かいんですけど、たとえば、それはスーパーなんかに行って駐車場で白線に沿ってちゃんと車を停めるとか、道を歩いているときに右側(左側?)通行するだとか、家や車や自転車に鍵をかけるとか、ホームで電車を待つときは線に沿って並べとか、ズボンの下にパンツを履くとか、大人の男がちょっとしたレストランに行くのに、ビーサン・短パン・Tシャツでは行ってはいけないとか、朝からビールを飲んではいけないとか、寝るときは家でベッドや布団で寝なければならないとか、盆暮れにはお中元やお歳暮を贈るとか、年賀状を12月何日までに投函せよとか、ホテルのビュッフェ形式の食事で皿に自分の好きな物を取り分けるのに順番に並ばなければいけないとか、好きな肉ばかりたくさん取っちゃダメだとか…えーっとオレってだいじょうぶかな…
ねえそんな細かいこと誰が決めたの? 別になくたって誰も死なないし、誰にも迷惑かけないでしょう。いやそれぐらいはいいことにしようよ。などと思うことがときどきあります。
細かいマナーにうるさい人を見ると、そういうこといってる時間があったら、世界の紛争地帯に行って平和貢献活動でもしてこいと、筋の通らない憤りを感じたりもします。あんた平和でハイコンテクストな文化の日本で暮らしてるからそういうこというんだよ!とも思ったりします。
要するにもう少し自由に大らかにできないかなーというのがぼくの思いです。
でもそれってあんまりやると少数派や弱者にしわ寄せがいきますし、難しいところです。自由さと大勢の人の快適さとは裏表ですから…
そんなに自由に暮らしたいんだったら人がいない辺境に住めばいいわけですが、たぶんそれってぼくにはムリです。
ぼくが現実的にあり得ると考えているのは、あまり人が多くない田舎に住んで、個人の自由と社会的ルールのバランスをとるということぐらいです。
それのひとつとして海辺の田舎町に住んでるわけです。海は陸よりはルールがユルいですから…
みんなが知っている歌で、みんなそれぞれ個性があって、一人ひとりが世界でひとつだけの花なんだから尊重し合いましょう、みたいな内容のがありますけど、それならルールやマナーを緩和してもらわないと、少数派は生きづらいんですけどーとも思ったりします。

ランキングに参加しています。クリックお願いします!

ランキングに参加しています。クリックお願いします!
海辺の田舎町の友達たち
海辺に引っ越して、かれこれ30年近くになりました。
その間に近所の海遊びをする人達と知り合いもできましたし、もともとウォータースポーツで知り合った人達とも付き合いが続いています。
そんなわけで、周囲もぼくもだいぶ歳をとってきたんで、しばらく海で見かけないと、スマホに「大丈夫か?」と連絡が来たりします。近所のスーパーで会っても相手が日焼けしてないと「体調、大丈夫?」と心配し合うような感じです。高齢化社会のウォータースポーツマン同士に付き合い方はこんな感じになっていくのかもしれません。
海辺の町に住んで、ウォータースポーツをする人というのは、それなりに自分の考えやライフスタイルを持っている人が多くて、そういう人達との人間関係というのがぼくはわりと好きです。
自我がハッキリしているのと、付き合い方の距離感と、力の抜け具合が、自分と合うみたいです。
わかりやすくするために、逆に苦手な人を挙げてみます。
都会のタワマンなんかに住んでいて、有名な企業に勤めて、ベンツを乗っているような人というのは、経験的にぼくは話が合いません。そりゃあたりまえですね。ぼくは海辺の小屋みたいなところに住んで、会社でイヤイヤ働いて、軽トラってサイコーって考えている人間ですから…
いや、それだけでなくて、もっと深いところの価値観が一致していないというか、生き方が好きじゃないという感じがします。例に挙げたような人って、幸せの価値観が他者目線なんじゃないかって感じます。自分がいいか悪いかじゃなくて、他者が自分の生き方を評価してくれるかどうかを大切にしているということです。たぶんそういうところがぼくは合わないんだと思います。
少し考えればわかりますけど、他者の評価で自分の幸不幸を判断するのって無理があります。いい歳して、そういうことを考えていないのか、考えているけどそこから抜けられないのかわかりません。前者なら思慮が浅すぎますし(強いいい方ですが、それ以外に言葉が浮かびません。敢えて別な言葉にするとバカでしょうか。)、後者なら弱すぎでしょう。
そうじゃない人の割合が比較的高い海辺の田舎町の暮らしは、つまらない人と付き合わなくてよくて、なかなか快適なのです。
やっぱり夏が好き…
夏になると暑かったり、ぼくの住んでいる海辺の町は観光客で混雑したり、虫が出たり、アレやコレやあるわけですけど、ぼくは夏が好きで、夏の海が好きです。シーカヤッカーの友人は夏の間は海に出ないという人もいますが、ぼくは時間があれば海に出ます。
夏の好きなところを挙げてみましょう。
・夏の匂い
夏の匂いが好きです。海の潮の匂いが濃くなるのでしょうか? あるいは森の草いきれが強くなるんでしょうか? 夏特有の匂いってあります。あれが好きです。特に夏の朝の匂いが好きです。
・夏の波
暑いといってもビーチで日影を作っておけば実はそんなに暑くありません。海は風が吹きますから…
そして風が吹くと波も立ちます。特に我が家のあたりは、午後はたいていオンショアの風が吹くので、それに伴って午後から夕方の夏の波は少し高めになります。
火照った身体を鎮めるように、夕方サーフィンして、家に戻ってシャワーを浴びて、ビールを飲むのは、なかなかシアワセです。
・暑さ
人が死んでしまうほどの猛暑ですが、ぼくは暑いのはわりと平気です。寒いのはすごく苦手ですけど…
なので、引っ越すとしたら、今は関東地方に住んでいますが、今のところよりも温暖なところがいいです。
暑いと頭がボッーとして難しいことを考えられなくなるのがいいですね。Tシャツ・短パン・ビーサンで身軽に過ごして、暑い暑いといいながら汗をかいて、汗をかいたらシャワーで流して…
そういう新陳代謝の速い感じが好きです。
・夏祭り
ぼくの住んでいるあたりでは、お盆と9月頃に夏祭りがあります。盆踊りもあります。
大人になっても夏祭りっていいですね。
提灯の灯りってちょっと幻想的な感じがして好きです。
・窓を開け放しておける
閉じた空間が苦手です。閉所恐怖症かもしれません。でも、怖いワケではないんです。窓が開いていて、空気が動いていて、ほこりとかカビとかがたまらなそうな感じが好きなのかなあ。
・台風
台風で被害に遭われた方には申し訳なくて、不謹慎かもしれませんが、子供の頃から台風が近づいてくるとなんとなくソワソワ(実はワクワク)してしまいます。わざわざサーフィンしたり、波を見に行ったりします。
お盆の時期の海は混雑するんですけど、地元の人しか知らないちょっとした入江に行けば、ほとんど人はいません。そんな入江で日がな一日ボーッとしているのは、間違いなく夏の楽しみです。

ランキングに参加しています。クリックお願いします!

ランキングに参加しています。クリックお願いします!
海で使うサングラスの水滴防止は、撥水剤? 親水剤?
ウォータースポーツをするときにサングラスが必需品というのは、みなさん当たり前ですよね。
ちなみに目が日焼けすると、紫外線の影響で、白内障や黄斑変性症を発症したり、水晶体が硬くなるため老眼にもなりやすいそうです。
紫外線の身体への影響は以前まとめたことがあるので、よろしければご覧ください。
で、思うんだけどさあ(って、いきなりカジュアルなものいいですけど…)、セイリングとかシーカヤックとかしているときにスプレーがかかるじゃないっすか。そのときサングラがスプレーで曇るというか見えづらくなったりしますよね。アレってうっとーしーね。こっちは手が離せないし、だけど進路はウォッチしておかなければならないし、みたいなときってありますよね。
最悪、他の艇にぶつかったり、隠れ根にこすったり、レースの勝敗に影響したり、とけっこう大ごとになったりもします。
買ったばかりの海用のサングラスはたいてい撥水加工がしてあるので、スプレーを弾いて前が見えなくなるほどにはならないんですが、1年くらい使っているとだんだん撥水効果がさがってきます。そうしたら撥水スプレーを塗るといいですよ、ということを以前に書いたので、よろしければご覧ください。
ちなみにスキューバーダイビングのマスクの曇り止めというのはダイバーにとっては必需品です。みなさん潜る前には塗りますよね。
ぼくも何年も使い込んでいるサングラスを使っているので、年に何度かは撥水剤を塗るようにしています。でも、でも、スプレーがサングラスにかかったときに水玉ができて、それが乾いて塩分が白くガラス面に残って邪魔という問題があるのです。これってなんとかならないっすかね。
調べてみると、ガラスとかレンズとか鏡の水滴をなんとかするための薬剤はいろいろあるんですよね。ぼくは化学とかぜんぜんわからないので、見当違いのことを書いてしまうかもしれませんけど、こうした薬剤は、撥水と親水の2つの系統があるんだなあということに最近気がつきました。
よくあるのは車のフロントガラスに塗るヤツがありますけど、あれは撥水剤ですね。あとウインドブレーカーとかに塗るのも撥水剤ですね。
最近の車のボディコーティングは親水系のものですね。あと風呂の鏡の曇り止めは親水系のものです。
車に詳しい方のブログなどを読んでみるとフロントガラスのように風が当たる部分は、撥水剤を塗るそうです。で、水をはじいて、水玉みたいなのができて、それが風圧でコロコロと塗布面を転がっていくことで視界を確保するということなのだそうです。で、風が当たらないリアウインドウとかサイドインドウはどうするかというと親水剤を塗るといいそうです。
ということはサングラスには撥水剤ではなくて親水剤をぬったほうがいいかもしれないということに気がついたんです。ただ以前メガネ専用じゃない薬剤を塗ったら、ガラス面に接着されたフィルムが溶けてしまったことがあるので、メガネ専用の親水剤がないか探し中です。あるいは、古くなったサングラスでやってみるかな? あっ、友達ので…イヤイヤ…

ランキングに参加しています。クリックお願いします!

ランキングに参加しています。クリックお願いします!
海辺の町に住むことの良さのひとつは、だらしない格好で出歩けること…ぼくの場合
ぼくは家にいるときは、短パン・Tシャツ・ビーサンです。
買い物もそんな感じです。近所の人はだいたい顔見知りですし、まあ田舎の漁師町なので、気取っているわけでも、華やかな感じでもありません。
ぼくは昔から短パン・Tシャツ・ビーサンが好きで、できる限りその格好でいるようにしてます。さすがに冬は暖かい格好をしますけど、でも下は短パンだったりします。裸足だし…
そういう点では、ぼくのような格好をしているオジサンは結構見かけますから、今の土地に引っ越してきてよかったなと思います。さすがに東京の街中だとこうはいかないでしょう。
若い頃、最初にぼくのこの短パン・Tシャツ・ビーサン的生態を知った相方は、唖然としていました。
「なぜ?」「寒くない?」といわれても、ぼくとしては「ズボンが足にまとわりつくのうっとおしくない?」って疑問形で返すわけですが、「えっ…ぜんぜん…」と若干引き気味の答え。だいぶすれ違ってますね。思えば、よくこれまで離婚もせず、もったものです。夫婦というか共同生活というのは、こうした価値観の違いを理解しながら進んでいくんでしょう。
ちなみにその後、我が家の息子も大きくなり、ぼくと同じことをいっていたと相方はため息交じりにぼくに教えてくれました。長ズボンはうっとおしいと…遺伝でしょうか、生活習慣でしょうか?
最近ミニマムに暮らすとか断捨離とか余計な物を持たない暮らし方という言葉を目にしますが、年中、短パン・Tシャツ・ビーサンで暮らすぼくもミニマムなライフスタイルといってもいいんじゃないでしょうか? ミニマリストと呼んでくださっても苦しゅうない、です。
それからこれは以前からサラリーマンのみなさんと共に闘いたいと強く思っているんですが、ビジネスで履く革靴というかビジネスシューズ、あれ、みんなでやめにしませんか?
不自然でしょ。無理があるでしょ。せめてスニーカーでしょ。
できるならビーサンか、百歩譲って(誰に?)クロックスみたいなサンダルでokにしませんか?
湿気の多い夏とか梅雨時とかの日本で革靴ってどう考えても無理してませんか?
お得意様に営業に行くときもビーサンでokにしましょう。もちろん受ける側もビーサン。
来年の春闘はぜひメインの要求項目にしていただきたいと思うのです。
えーっとなんだっけ、だから家では、人類としてギリギリレベルのだらしない格好をしています。
夏なんか、できればスッポンポンでいたいわけですけど、そうするとスーパーとかに買い物に行くときに何かはかなきゃいけないわけで、それがもう我慢できなくなる自分が怖くて、一応かろうじてユルユルの短パンをはいています。最近は短パンのゴムの締め付けがうっとおしいんで、タイパンツというブカっとしたヤツを穿いてます。短パンの下は下着は穿いてません。イヤ~ン、ノーパンなの…
で、夏になると一応観光客の方が来るわけです。で、海に近いスーパーなんかだと、観光客の人もいるわけ。タイパンツにTシャツ・ビーサンなオジサンは、なんとなく浮いちゃうわけですね。あれ、なんとかなんないかな? 地元の人ばかりだと全然違和感ないんだけどな。

ランキングに参加しています。クリックお願いします!

ランキングに参加しています。クリックお願いします!
ちょっとしたゆとりで暮らしやすくなるのかな?
海辺の田舎町のユルーい暮らしが性に合ってます。
ぼくのウォータースポーツ友達はわりといい加減なヤツが多いです。いや、ちゃんとしてるんですけど、あれ?ちゃんとしてたかな?、いや、そんなにメチャクチャじゃないだけで、フツーですよ。なにがいいたいかというとそんなに堅くない人が多いっていうことです。
海辺に住んでいる人がみんなそうではないですが…
わかりやすくするために例をあげてみます。
ぼくの相方の実家は東京の区内にあります。年に何回か泊まりに行くんですが、ある日の早朝、家のピンポンが鳴って、近所のオジサンが、義理のお母さんにすごい剣幕で文句をいいに来たことがありました。内容はゴミを出す時間が早かったということなのです。いや、一瞬何か事件が起きたのかと思って緊張しましたよ。
たとえばですけど、ぼくの住んでいるところにこういうオジサンはいません。同じことがうちの町内で起きたら、あるとき家の前でたまたまあったときに「あっ、そうそう。ちょっと気をつけてね」みたいな感じでいわれるだけでしょう。
こういうヘンな堅さ・マジメさ・神経質さって、人が大勢暮らしているところだから起きるのか、たまたまあのオジサンがヘンだったのかわかりませんけど、何だか余裕がない感じは確かです。
そう、余裕とかゆとりとかアソビとか、そんな言葉がしっくりきます。
海辺の田舎町にはそんな余裕とかゆとりとかアソビがあって、そんなユルさが暮らしやすいんじゃないかなあって思います。
一口にゆとりっていっても別にたいしたことがないようですけど、町内の人みんなが少しずつゆとりがあって、そのゆとりで、他人や町のことに少しずつ気配りできるとそれはだいぶ暮らしやすさに差が出てくるんではないでしょうか?
東京の暮らしにくさって、ギスギスした感じとか、他者に無関心な感じとか、常に他人を追い抜こうとしている感じとか、他人に負けまいとしている感じから来ているんじゃないでしょうか。
ぼくは小さな島を旅するのが好きですが、そのよさって、島の人のノンビリした暮らしに接することだったりするんですけど、ぼくの東京嫌いはそこからも来てるかもしれません。いやー早めに海辺の田舎に引っ越してよかったなあと思います。
ランキングに参加しています。クリックお願いします!
波とうねりについて、アレコレ思うこと…
海で遊んでいるといろいろなことに敏感になるわけで、それはいくらいろいろといっても最近流行のスイーツとか奥渋谷のお店情報とか…ではなくて、風とか波とか雲とかそういうことに敏感になるわけです。
今回は波について書いてみたいような気がしてきました。できれば日頃感じていることを、ダラダラと先々を考えず行き当たりばったりに書いてみたい、そんな気持ちです。
サーファーであり、ダイバーであり、シーカヤッカーであり、セイラーであるぼくとしては、これまでの海遊び経験は波とのお付き合いの歴史といっても過言ではないでしょう。海といえば波…といってもいいんじゃないでしょうか。そして波が立つのは風のせいで、波といえば風…といってもいいでしょう。
ぼくの方で波といい関係を築きたい、穏やかで大人な関係を維持したいと思っても、波の方は気ままです。ときに荒く、ときに穏やかです。そんな気ままな波の様子に合わせて、海遊びをしてきました。
波というのは、じっくりお付き合いしてみるとなかなかいいヤツでして、ぼくは割りと好きです。
今のところおおざっぱに波といっていますが、波にはうねりと波があります。気象用語では、波のことを風浪といい、風浪とうねりをまとめて波浪といいます。
小難しいことは、気象庁のこちらのホームページに詳しいのでご覧くださいませ。いやあ気象庁ってすごいなあ。こういうのを利用して少しは税金の元をとりましょう。
まず、海に出る前に、波や風や潮汐をチェックするわけですが、波というのは、ぼくの場合次のような感じで判断しているみたいです。
波
↓
ベタ
↓no
うねり
↓yes ↓no
高さ・波長がどうか? 波
↓
高さ・波長・波の形・頭がどうか?
うねりと波の判断はどちらが先でもいいんですが、ぼくの場合うねりの方が遊びの選択肢が増えるので、うねりかどうかの方が大切です。
うねりがあるときにできるウォータースポーツは、サーフィン、シーカヤック、スキューバーダイビング、SUPが主なものでしょう。一方、波があるときにできるのは、セイリング、ウインドサーフィン、サーフィンという感じでしょうか? 波というよりは風によっているわけです。
うねりにも大小と波長がありまして、うねりの高さが高いか低いかと波長が長いか短いかによってコンディションが違います。高さが低くて波長が長いとかなりベタに近くなりますし、高さが高くて波長が短いとほとんど波っぽくなります。
うねりの違いでウォータースポーツのときどういう影響があるかというと、たとえばスキューバーダイビングでいうと、高くて長いうねりでは、水中でユラユラ揺れるようになります。うねりに押されるときにフィンキックをして距離を延ばすというようなコツを知っていると体力を消耗せずダイビングできます。
他の例では、シーカヤックをやる際に、うねりの高さがわりとあって、波長が長いと、一見それほど荒れていないように見えるんですが、実際は岩や浜に叩きつける波しぶきは結構強かったりして、出航や上陸のとき、あるいは岸近くを漕ぐときは要注意だったりします。
これはうねりというものが(波もですけど)、水深が浅くなると極端にそのパワーが目に見えるようになるためです。水深が深い海で、高くて波長が長いうねりだと、一見穏やかそうに見えるんですが、水深の浅いところだとかなり高い波になっていて、そういうときにブーマーと呼ばれる現象が表れます。ぼくがシーカヤックをやるときに一番嫌いなヤツです。
ちなみに漁船のような小さめの船に乗っていると、うねりの強さは変わっていないのに妙に突き上げられるような感じがするときがありますが、それはそのあたりの水深が浅くなっていることが多いのです。
これは一般に水面下に根(岩礁)があることが多くて、いわゆる隠れ根と呼ばれるヤツです。
根には、魚がついていることが多いので、釣りのポイントの候補になります。
うねりの見極めは、こだわると難しいので、その日ウォータースポーツをするかどうか迷ったりして、いっそ高い波で荒れていたら諦めもつくのになあと思うこともしばしばです。
サーフィンをするときも波とうねりとどちらがいいかといわれれば、多くのサーファーがうねりと答えると思います。波はたいてい風を伴うので、波の頭が潰れたりして乗りにくいのです。ちなみにサーフィンに向いている波というのは、うねりの強さにもよりますし、ビーチの水底の地形にもよります。ビーチの地形によって乗りやすい波になったり、(崩れるのが)速すぎる波になったり、ダンパーといってバシャンと一気に崩れる波になったりします。水底の地形というのは同じポイントでも台風などが来ると変わってしまうことがあるので、サーフィンで気持ちよくいい波に乗ろうとするのはなかなかたいへんなのです。
ちなみに、ぼくが波を喩えるのにいつも使うんですが、いいうねりというのは、その曲線が、とても美しくて、美しい女性の体のラインのように美しいのです。
ウォータースポーツをやる友達には「いや、オレ、その喩えよくわかんないけど」って引かれてますけど…

ランキングに参加しています。クリックお願いします!

ちなみに、ぼくが波を喩えるのにいつも使うんですが、いいうねりというのは、その曲線が、とても美しくて、美しい女性の体のラインのように美しいのです。
ウォータースポーツをやる友達には「いや、オレ、その喩えよくわかんないけど」って引かれてますけど…
ランキングに参加しています。クリックお願いします!
変えられない状況で楽しく過ごすぼくの方法
ずっとウォータースポーツをしてきました。
サーフィンにしろ、スキューバーダイビングにしろ、セイリングにしろ、海のコンディションが整わないと遊べません。
一方でベストなコンディションでなくても、うまくやると楽しく遊べます。
もともとぼくのウォータースポーツ遍歴は、お手軽体験コースみたいなのでサーフィンをやり、その後スキューバーダイビングでCカードをとり、その後自分のボードを買って本格的にサーフィンをするようになり、次にセイリングとシーカヤックをやるようになりました。
それはスキューバーダイビングができないような波があるときはサーフィンをすればいいし、風が強い海がバシャバシャのときはセイリングをすれば楽しめる…みたいな感じで、その時その時の海のコンディションで楽しめるウォータースポーツをやってきたんです。で、だんだん嗜むウォータースポーツが増えてきたんです。
そのベースにあるのは、とりあえず海の状況が変えられないから、その時に楽しめることをやればいいや、という考えです。
さて、ここから話は人生訓っぽくなるんですが、ぼくは仕事で会社で働いて、その時々でなんとなく楽しくやればいいやって考えてるんですけど、そういう考えは、ウォータースポーツの経験から来ているような気がします。
ご存知のように組織で働くと自分の思うようにならないことばかりです。もちろん頑張れば、ある程度自分の思いを反映することもできますが、それはごくごく一部のことです。他人の考えは変えられないし、組織の方針はトップダウンだし、上司も部下も自分の思うとおりになんてなりません。
それでいちいち悩んでいてもしょうがないわけで、そんなこと考えるより、その日一日を楽しく過ごした方がいいや、っていうのがぼくの基本方針です。
短期的にはその状況を楽しみながら、ジワジワと自分のやりたいことをやっていく感じ…それはセイリングで風上に上っていくのに似ています。
あるいは向かい潮のときは無理せず岩の陰にじっとして、潮が止まったり、追い潮になったときにサッと移動するスキューバーダイビングの状況にも似ています。
"I can't change the direction of the wind, but I can adjust my sails to always reach my destination."という諺がありますが、まさにそんな感じの心持ちをぼくはウォータースポーツで身につけたように気がします。
それが正しいのかどうかなんてわかりませんが、無理せず楽しくジワジワと自分の行きたい方向に行くという面では、なかなかいい方法だと自分では思っています。
海にいるとわりと漠然としたことを考えてしまうワタクシ…
あー、海は広いな大きいな…
今日も海や空を眺めながら一日ボーッとしていました(いつもたいていボーッとしてるんだな、ボク…)。
そういうときに、人の一生ってなんて儚いんだろうと思ってしまいます。
家のそばの海からは、鎌倉の稲村ヶ崎が遠くに見えますが、それで思い出すのは新田義貞であり源頼朝であり鎌倉幕府でありその後の日本の歴史です(オレってヘンですかね?)。
ざっくり1000年くらい前には、事実としてここにそうした人々がいて、斬ったり斬られたりをしていたんですもんね。そうした人々の喜びや悲しみは、今はどこにも存在していません。いくら頑張っても、いくらその時代に栄華を極めても、死んでしまえばすべては無かったかのようです。
ちなみに稲村ヶ崎の岸壁は、崖崩れ防止工事でコンクリートで固められているので、一面白く見えます。なので、ボートなどで海を走っているときの目標にすることが多いんですね。
話はさらに変わりますけど、会社や組織で上の人に尻尾振って出世する人もいますし、力ずくで他人を押さえ込む人もいます。頭はいいんだけどなんとなく他人から信用されていないとか、人望がないという人もいます。別に出世なんかしたくないんだけど、人柄や能力で大きな責任を担うことを求められる人もいます。得意なこと、長所短所、能力、個性は人それぞれですね。同じ人って一人もいませんもんね。なんとなくその人の持っている器に合わせた役割が来るように思えます。総理大臣とか社長とかやって、すぐ代わっちゃう人がいますけど、それは器じゃないのに役割が来てしまったのかもしれません。
もちろん成長することにより、人はどんどん変わっていけるわけですけど、その人の地みたいなものはありますね。それはやっぱり個性とか器みたいなもんだと思います。その地がもとにあって、志や信念があれば、成長によっていい方向に伸びるということはあるかもしれません。
一方で、人は多かれ少なかれ競争心やプライドがあります。欲もあるし、他人を妬む心や嫉む心もあります。それが志や信念を邪魔しちゃうというのもよく見かけますね。
なかなか正しい道を歩むのは難しい感じがします。
でも、正しかろうと正しくなかろうと人生は人生。すべては100年もすれば、この世に存在せず、誰も憶えてはいないでしょう。
カテゴリー
最新記事
(10/14)
(10/11)
(10/08)
(10/06)
(10/06)
(10/05)
(10/04)
(10/02)
(09/27)
(09/25)
(09/22)
(09/18)
(09/17)
(09/16)
(09/13)
(09/11)
(09/08)
(09/06)
(09/02)
(08/30)
(08/28)
(08/27)
(08/26)
(08/25)
(08/24)
最古記事
(07/01)
(07/01)
(07/01)
(07/01)
(07/01)
(07/01)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/02)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
(07/03)
アーカイブ
ブログ内検索
PR
カレンダー
PR
google


