海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
ぼくの好きな海辺の産地直売所・道の駅
今さらですが、道の駅などにある産地直売の店っていいですね。
その土地の新鮮な物が比較的安く売られていて、行くとついつい買っちゃいます。
ぼくのパターンとしては、伊豆あたりに車でダイビングに行った帰り、産地直売の店に行くというのが多いです。
次に多いのは、家のそばの産地直売所に行くというもの…
今回はぼくがよく行く産地直売所をまとめてみたいと思います。
伊豆エリア
品揃えも豊富で、お値打ちです。地元の野菜が中心ですが、魚も少しだけ売っています。ここ特有なのは、植木が売っていること。しかも少しお安いです。
この店は川奈と伊東の間にあり、東伊豆のIOPとか富戸あたりで潜ると、東京方面の帰りに立ち寄りやすいというのもよく行く理由です。
下田や弓ヶ浜の先、下賀茂にある道の駅です。
ここも地元の野菜が豊富です。先ほど書いたいで湯っこ市場が観光客が多くて値段が少し高めなのに比べて、ここは地元の人が多く、値段がさらにお安くなっています。
ここならではなのは、猪肉や鹿肉です。地元で獲れたものをブロックに切って、冷凍して売っています。
松崎にあります。
道の駅や産地直売所自体が観光地化して混雑し、値段が高くなっている今日この頃ですが、こちらは牧歌的な雰囲気の産地直売所です。
地元の野菜が中心です。
ここはよくテレビで取り上げられるところです。地の魚が買えて、しかもその場でBBQができるというのがウリ。ぼくはここでしか買えない干物や珍味を物色するのが好きです。
小田原の国道から近くて、立ち寄りやすいのも魅力。
毎週日曜日の8時からやっています。なんというか、まだ観光地化されていない朝市らしい朝市です。地元のおじちゃん・おばちゃんが、自分家で採れたものを並べている感じがいいなあと思います。そんなこんなでいろいろなものがお安く手に入ります。
三浦エリア
初声にあります。
地元の野菜が中心です。品揃えが多い方だと思います。あと、地元の方が作った梅干し、味噌、ところてんなどもあります。
ここならではなのは、葉山牛です(高いのでぼくは買いません)。
そして今や人気の観光スポットになった佐島にある関口牧場のソフトクリームが、並ばず食べられるのもここのいいところですね。
松輪漁港にある地物の魚が食べられる食堂です。
何といっても松輪サバがおすすめですが、炙り、刺身、干物とそれぞれおいしさが違って食べ比べてみることをおすすめします。それぞれに違ったサバの脂のおいしさが味わえます。
もちろんキンメ、アジ、カサゴ、ホウボウなどそのときに揚がったおいしい魚を食べられます。
食堂の雰囲気が気取ってなくて、いかにも漁港の食堂という感じもぼくは好きです。
三崎にある直売所です。三崎といえばマグロということで、マグロの品揃えが充実しています。干物や珍味もあります。2階は野菜の直売所もあります。
全体に値段が高いかな、っていう気がしないでもないです。
佐島の向こう、荒崎の手前に長井漁港がありますが、そこの水産会社である長井水産がやっている直売所です。
ここの特徴は地物の獲れたての魚。種類も多く、スーパーよりも安い値段で買えます。マグロの冷凍も三崎より安いんじゃないかな。
あと種類は少ないですが、地元の農家の方の野菜も並びます。これはスゴく安いです。
首都圏の観光客の方々は、佐島の道沿いの地魚を売る店に行きがちですが、あちらはすでに観光客値段で、けっこう高いです。
道の駅・産地直売所というにはおしゃれな建物です。地元の野菜、葉山の有名店のスイーツやパンなどが買えます。
毎朝早く行くと、採れたての野菜が少しお値打ちに買えます。休日の朝、野菜を買って、緑を眺めながらカフェでコーヒーを飲んだりするのは、けっこう楽しいです。
葉山港で毎週日曜日の8時30分からやっている朝市。魚や野菜も売っていますが、ラ・マーレ・ド・茶屋のスイーツの半端物やオリジナルのケーキが安く売っているのが、ここならでは。
いつも列ができているお店があったりして人気のある朝市です。
いつも列ができているお店があったりして人気のある朝市です。
さてさて、情報をまとめてみたわけですが、わが家が産地直売所の利用するのは、もちろん新鮮な地の物を安く買うためです。
でもそれだけじゃなくて、そこでしか手に入らないレアな物に出会えるということもあります。野菜や魚は、スーパーマーケットで売っていないものに出会えたりして嬉しかったりします。これまでおもしろいなと思ったレアものは、採りたてのもずく、猟友会の人が獲った鹿の肉、巨大な島おくら、島らっきょ、見たことがない品種のにんにく、規格外のわさびなどです。
加えて、地元の人が作ったその土地の味に出会えるのも魅力です。梅干しといった漬物類・味噌・醤油・豆腐などは作り手によって味が違って、スーパーなどで流通するものとは違った良さがあります。ぼくは梅干しが好きなのですが、スーパーで売っている大手メーカーが作っている梅干しは、少し甘すぎてあまり好きではありません。直売所で売っている梅干しは、家で作っている味がします。
概して大量生産品にはない手作りの味のものが多くある、そういうところが魅力だと思うのです。
一方で、道の駅や産地直売所のデメリットというか、残念なところもあります。それは、最近、そこ自体が観光スポットになってしまい、売っている物の値段が高くなりつつあるところです。中間マージンを省いた安さが魅力だったはずなのにね。
あと、混雑してるのもちょっと苦手。
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自由をつかみ取らないのは、自分の意思でしょうか?
自由でありたいと思っているような気がしているんですが、本当にそうなんでしょうか?
って、ぼくは誰に尋ねてるんでしょうか?
いや、ぼくの場合、実はけっこう疑わしいんじゃないかと思います。
ぼくは海が好きです。若い頃からずっと海遊びをしながら自由に生きたいと思ってきました。
でも、実際は違います。
結婚したり、子どもを設けたり、ローンで家を買ったり、仕事で頑張ったり、町内会の役割を引き受けたり…
嫌だ嫌だといいながら、実は人に頼られると嬉しくて、つい良い格好してしまいます。
本当に自由になりたいのなら、何も持たずに海遊びに徹すればいいのに…ぼくはそうしません。思っていることとやっていることが違うから、気持ちがモヤモヤするんでしょう。
やっぱり最低限世の中の常識の範囲内に収まっていたいというところがあるんだと思います。
世の中の常識からはみ出すのが怖い臆病者なんでしょう。
夢を夢のまま遠ざけていたのは、自分自身なんじゃないでしょうか?
海辺に住むなら、海まで歩いて5分以内にした方がいいですよ
海辺に住むなら歩いて5分以内のところに住んだ方がいいです。
いきなりですが…
ぼくの経験的に、あるいは周囲の知り合いの様子を見ていてそう思います。
この話の前提に、海辺に住みたい人に向けて書いているというのはありますので、ご了承ください。
海辺に住みたい人にもいろいろな考えがありまして、たとえば津波が怖いとか、塩害がイヤとか、土地が高いとか、そういう様々な理由で海から少し離れたところに住居を構える人がいるのです。
その考え自体は全然いいんですが、ぼくの経験からいって、海まで歩いて10分くらいかかるとだんだん海に行かなくなりますね。
そりゃね、引っ越して最初の頃は行くと思います。時間があれば海に行く…やっぱり嬉しいんだと思うんですよね。
それが5年経ち10年経つと、土日の休みのどちらかに海に行くとか、月に1、2回くらい海に行くとか、そういう感じになってしまう…そんな人が割りと多いんです。
もちろん海の魅力というのはあるわけで、海に行ったら行ったで「やっぱりいいなあ」とリフレッシュできるのです。
ポイントとなるのは、海に行くまでのちょっとした手間がだんだん面倒くさくなるので、その面倒くささを抑えつつ、海でリフレッシュするメリットを享受することでしょうか。
ぼくの現状はというと海まで徒歩2分くらい。散歩とかジョギングとか買い物に行くときとかにビーチを通ります。通ると近道なので…
そういう日常的な行為の途中に海があるというのが、海辺に住んで、長く海に親しみ、海のよさを享受するポイントではないかと思のです。
ここで改めてぼくの経験を説明させていただくと、海辺に住み始めた最初は神奈川県藤沢の鵠沼海岸というところでした。
海まで徒歩15分。
鵠沼はいい波が立つので、ロングボードを担いで、土日に海に行っていました。ただロングを担いでの徒歩15分というのは、わりと負担があるもので、だんだん海に行く頻度は減っていったのです。
それでも海が好きなので、土日のどちらかは海、波がないときは海辺をサイクリングかジョギング…を自分に課していました。少し無理していたんだと思います。「せっかく海辺に住んでいるんだから海に行かなくちゃ」みたいな気持ち…
そのときに感じていたのは、「海辺に住むなら、もっと近い方がいい。徒歩10分でも遠いな…」ということでした。
一方で、ぼくの海遊びの知り合いで、海辺の本当に海のキワに家を建てた人がいました。防波堤の後ろという立地です。その人の暮らしぶりを聞くに、あまり近すぎるとヤバいということです。
なにせ家中カビが生えるし、洗濯物は潮くさいし、電化製品は寿命が短くなるし、車だって錆びる、波が高いときは窓が潮で白くなるし、台風のときはハンパじゃなく怖いし、家にフナムシが上がってくるし、窓のサッシが砂で開きが悪くなるしっていうんで、極端に近すぎるのも、ぼくが望んだ暮らしではないなって思いました。
なので、海から少し離れたくらいがぼくとしてはちょうどいいようなのです。徒歩1分~5分がベストな距離じゃないかな…
もし海辺に移住しようとお考えの方が、これをお読みでしたら、ご参考まで…
やらないなんてあり得ない
ぼくは海辺に住んでいて、ウォータースポーツをします。スキューバーダイビングやシーカヤックやセイリングやサーフィンをします。雨でも多少荒れていても海に出ていきます。
まったく海に縁のない都会住まいの知り合いには、なぜそんな危ないことをするのかと尋ねられますが、ぼく自身は危ないことをしているつもりはありません。
自分の体力や能力と相談して、生きて帰ってこられる可能性が高いと判断しているから海に出ます。
ぼくは、普通に友人もいて、普通に人付き合いをしている人間だと思います(自分が普通だと思っている人ほど危ないという意見もあるかもしれませんが…)。
普段あまり表には出さないんですが、若い頃から嫌いな人のタイプがひとつだけあって、それはやらないうちからできないという人です。そういうタイプの人とは友達になったことはありません。まったく気が合わないから…
すごく身近なことでいえば、遊園地に行って、怖い目のアトラクションに乗らないとか、旅先でステキなお店があるのに入らないとかです。
バンジーも、行った先にあればやってみますし、ボルダリングも友人に誘われたらやってみました。とにかくなんでもそうです。
やってみたら、すごくおもしろいかもしれないのに、やらないという選択肢は、ぼくにはありません。
もちろん大変な目に遭うこともありますが、たいていの場合そこまで大変でもないですし、なによりぼくがまだここに生きているわけだから、大したことはないわけです。逆に、やってみたらすごくおもしろかったとか、達成感があったということは多々あります。
何かをやらないということはそのチャンスを捨てているわけでしょう。人生は一度きりで、しかもいつ死ぬかは予測できないんです。
これはやるしかないでしょう。
といいつつ、ぼくだって勇気がなくて、自分の生活が大きな進路転換になるような場合は、やれません。
大学生のとき友人に誘われてアフリカを半年くらい旅しないかと誘われたことがあったんですが、就職も卒業もほぼできる予定だったので、さすがに断りました。
今も仕事を辞めて、リゾートでダイビングの仕事をしたいと思いますが、家族に迷惑をかけるので、我慢してます。
うん、まだまだかもしれない…

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夏の夜の空の色の美しさ
ぼくは海辺に住んでいて、春夏秋冬、自然の近くで暮らす喜びを感じています。
どの季節もそれぞれに良さがあるんですが、今回は夏の夕暮れについて書いてみたいと思います。
ぼくの夏の休日は朝から海遊びです。
スキューバーダイビングだったり、シーカヤックだったりすることが多いんですが、いずれにしても、家の前の海に出ていきます。
終日海遊びをして疲れた後、海遊び道具を片付けて、シャワーを浴びます。
さっぱりしたところで、音楽をかけて、デッキに出て、ビール。
音楽はBossa NovaとかJazzとかAORとかが多いです。
そのころには陽は傾きかけて、夕方特有のオンショアの風が吹いてきます。
弱くなった陽射しと緩い海風で少し涼しくなって快適。
ビールの後は冷えたワイン。
そんなこんなをしているうちに陽が沈みはじめ、空の色が刻々と変わっていきます。オレンジだったり、紫だったり、濃いブルーだったり、灰色だったり…そのときの天気によっても違います。
潮の香りが漂ってきて、森の木々の匂いと、夜の匂いが混ざっています。
色も匂いも混ざり合って、グラデーションのようになるのが特徴。その混ざり合いの変化を楽しむのです。
やがて真っ暗な夜になっていきます。
自然の様子に少し意識を向ける時間を大切にしたいな
古今東西、自然に寄り添って暮らすことを選ぶ人達がいました。
ぼくも都会はダメで、周囲が自然で囲まれたところで暮らすのが好きです。
いえいえ、都会だって、多くの家に庭があり、街路樹があり、公園があります。東京の自然が豊かな公園で癒されている人もいるんじゃないでしょうか?
自然に近いところで暮らすって、人にとってどんな意味があるんでしょうか?
なぜ自然は人に癒やしを与えてくれるんでしょう?
そしてその癒やしとはどのようなものなんでしょう?
ぼくの場合、それは些細なことです。
たとえば朝、鳥の声で目を覚まし、窓の向こうに木々の緑が見えると、なんだか柔らかい気持ちになります。
庭の手入れをしているときに、潮の香りがして、波音が聞こえてくると、なんとなく微笑んでしまいます。
木漏れ日の中、緑の道を散歩しているときに、深呼吸すると、ふんわりした気持ちになります。
理由はわからないんですが、気持ちが変わるのは間違いありません。
落ち着いたり、和んだり、満たされたり、ホッとしたり、余計な力が抜けたり、ペースがゆっくりになったり…そんな気持ちになります。
一つひとつは些細なことですが、それが一日に何度かある生活としばらくない生活では、心の状態はだいぶ違ってくるんじゃないでしょうか?
特に、ツラいことがあったとき、自分の心が弱っているときなどは、ちょっと心を満たしてくれる瞬間があるだけで、気持ちが楽になります。
うれしいときも悲しいときも海と共に…
ぼくは、妻があきれるほど、暇があれば海に出ています。
やることはそのときの海況によって違うんですが、スキューバーダイビング、シーカヤック、サーフィン、セイリングが多いのです。
よほど海が荒れていない限り、雨でも寒くても海に出ます。
それはそれだけの効用があるからで、身体を動かすと気持ちがスッキリしますし、海にいるといろいろなことを考えるし、一方でいろいろなことを忘れられるからです。
何十年も生きていれば、そのときどきで、うれしいこと・楽しいこと・悲しいこと・腹立たしいことなどがあります。
それらの感情が、海に出ている間にサッパリ流れていくのです。
こうした日々の感情は、後から振り返ってみればどれも取るに足りないことです。どちらかというとその瞬間の感情に振りまわされて、自分が自分らしくないことをしがちで、瞬間的にはマイナスなことの方が多いような気がします。もちろん自己嫌悪に陥ることも多々あります。
海に出ると、不思議なんですが、そういう瞬間的な感情がどうでもよくなるんです、ぼくの場合…
ぼくがこだわったり怒ったり悲しんでいたりすることは、コップの中の嵐でもなくコップの中のさざ波のように思えてくるんです。
そしてそれは経験的に正しいことが多かった。そんな感情は一時的なさざ波でしかなかったのです。
一時的にやり過ごしてしまえばなんてことないことです。
もし感情に捕らわれて、自暴自棄になったり他人に当たり散らしたりしたら、事態はもっと悪くなっていたでしょう。
想像するに多くの人が、様々な感情を抱きながら生き死んでいったのでしょう。でも、それは現実としては何も残っていないし、世の中はたぶん何も変わっていないのです。
ならばそんな感情に捕らわれず、淡々と日々過ごしていけばいいのです。
このように海で遊ぶことは、ぼくの感情的なブレを抑制してくれるスタビライザーのような役割を果たしています。
これからも身体の動く限り海に出ていくのだろうと思います。
そのときどきの感情を海に流すために…

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海辺のおいしいビールの思い出
ぼくはウォータースポーツをした後に、シャワーを浴びてさっぱりしてから、海を眺めながらビールを飲むのが、とても好きです。
今までも多くのおいしい海辺ビールを飲んできました。
一番よかったのは、母島でスキューバーダイビングをした後、ペンションでシャワーを浴びて、港の防波堤で缶ビールを飲んだときです。
あれはノンビリした時間の流れと、かなり南国の空気感がビールをおいしくしていたんだろうと思います。
2番目はモルジブのリゾートアイランドで、やっぱりスキューバーダイビングした後、シャワーを浴びて、水上コテージのデッキでビールを飲んだときです。
海はキレイだし、自分はほとんど海の上にいるような状態だし、潮風は心地いいし、リゾートだし、やっぱりモルジブだし…
3番目は、先島諸島の多良間島で、やっぱりスキューバーダイビングをした後に、宿でシャワーを浴びて、浜辺まで行って缶ビールを飲んだときです。
時間がゆっくり流れていて、人はそんなにいないし、沖縄の潮風はなんだかやっぱり独特のよさがるような気がするし…
4番目はよく行く三宅島で、やっぱりスキューバーダイビングした後、島の温泉に入って、温泉に併設された店のテラス席(そんなオシャレじゃないけど)で海を眺めながら生ビールを飲んだときです。
温泉だし、生ビールだし…
5番目は、年に何度かやるカヤック&キャンプで、カヤックで漕ぎついた入江にテントを張って、焚き火をしながら、缶ビールを飲んだときです。
シャワーは浴びられなかったけど、キャンプだし、焚き火だし…
いつもそうなんですけど、今度はいつ海遊びに行こうか考えていて、そこでいかに旨いビールを飲むかを考えていて、ちょっとあまりにはしたないんじゃないかと思わないでもないけど、まあ、そんなの気にしてないで、楽しい方がいいわけです。
夏の霧の朝の気持ちよさ
何度も書いていてアレなんですが、ぼくは海辺の霧が好きです。
夏の朝、ぼくの住んでいるあたりでは、霧が出ることが多いんです。
特にぼくの家は、小高い丘の半ばにあって、前が海、後ろが森という立地。霧がかかると森の緑がうっすらと白くなって、そのしろ靄が海まで続いています。そういう幻想的なところが好きなんだと…ずっと思っていました。
今回は、なぜそんなに好きなんだろう、って改めて考えてみました。
霧が出るのは朝ということで、朝の海辺は、夏なのにまだ涼しくて過ごしやすいんです。爽やかといってもいいかもしれない。
それに霧が出るっていうことは、陸は涼しいということ、なので、すごく暑い日よりは過ごしやすいです。
あと、基本的に湿度が高い日なわけですが、暑いとうっとうしいけど、少し涼しめでなんとかなるし、しかも雰囲気としては夏っぽい感じがします。
そんな日は海から陸へ向かう風が吹いていて、その適度な風が心地いいっていうのがあります。
ぼくの家もそうですが、霧が出るところは、少し高台・岡・山だったりします。そういうところって自然が豊かでちょっと高原っぽくてリゾートっぽい感じがして、霧を見るとぼくは、あぁリゾートにいるみたいだ、って満足したりします。
霧というのは、ちょっと神秘的で幻想的だな…ってぼくは思っています。霧に包まれて、どこを歩いているかわからない、どこにいるかわからない、気がついたら全然違う世界だったりして…なんて空想するのも楽しいです。
月の道、光の中に佇む…
伊豆の北川は月の道をウリにしている観光地です。ムーンロードといってPRしています。
月がある方向に沈むときに、海に月明かりが映って光の道のようになるのです。
あなたがご想像のとおりきれいです。
月の道がきれいなのは北川に限ったことではありませんけど…
ただ、海に面した温泉宿では、もともと海の水面と温泉の水面が面一になるように作ってあるところがあって、その温泉に入ると月の道があたかも自分に向かって延びているように見えるそうです。
それは確かにいい眺めでしょう。
そんな温泉ならいつもより長めに浸かっていたいような気がします。
ぼくの家の前の海でもときどき月の道ができます。
海が銀色に輝いて、神秘的な感じがします。もともと月明かりというのはそういうものかもしれません。なんだか胸がザワつく感じがします。月の道ができるということは海が穏やかな日なわけで、ですからあたりは静かです。いつもならする波の音が小さかったりします。
シンとした海、夜、月明かりに青白く光る海、そこに延びる月の道、月の道を横切る漁船…
そんな風景を小一時間も眺めていると、自分が風景の一部になってしまったように錯覚します。自分が海の上にいるんじゃないかって思えてきます。あぁずっとこうして海の上に浮かんでいられたらいいなぁ、なんて思います。
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