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旅先での友人との距離感



 ぼくはいろいろ海遊びをするのですが、多いのはスキューバーダイビングとシーカヤックです。
 その二つにはそれぞれおもしろいことがありまして、スキューバーダイビングは、チームで潜ることが多いので、みんなで行動する楽しさがあります。もちろん他の楽しさもありますけど…
 シーカヤックは、ぼくは独りで乗ることが多いのです。なので、自由にできる楽しさ、独りで自分に向き合うおもしろさがあります。
 ぼくは欲張りなのか、独りでいると仲間に会いたくなるし、仲間とずっといると独りでいたくなります。
 仲間と語り合い笑い合う楽しさというのも確かにありますし、独りで自由に行動し、自分に深く向き合う魅力もあります。
 長年、いろいろな仲間と海旅をしてきましたが、どのくらい一緒にいるのが適しているかというのは、人によって違うように思います。
 四六時中ベッタリ一緒にいたがる人もいますし、飯の時だけしか一緒にいなくて、あとは銘々勝手に行動したがる人もいます。
 ぼくは明らかに後者です。
 まあ、いい歳したオジサンが夫婦でも家族でもないのに、四六時中ベッタリいられる方が珍しいんじゃないでしょうか?
 旅行中の喧嘩というのは結構あるみたいですしね。
 これまでで一番快適だったのは、現地集合で、スキューバーダイビングの時と晩メシの時だけ一緒で、後は自由行動という旅でした。ぼくにはそのくらい距離感が快適なようです。
 なぜ、そうなのかという理由を考えてみると、ぼくは自分が話す方ではなくて、人の話を聞くことが多いタイプです。人の話を聞くというのはけっこう注意力とかエネルギーが必要でして、特に相手がおしゃべりな人だと、のべつ幕なしにエネルギーを奪い続けられる感じがします。感覚としては言葉の銃弾を浴びせられる感じに近いかもしれません。それで疲れてしまうんだと思います。
 もう少し正確に書いてみると、人の話を聴いて、相づちをうったり、リアクションしたりするのは、いったん人の話を理解して、自分の中に受け容れて、それでも自分が傷つかないように気をつけて、相手の気持ちを考えながら反応することなので、ちゃんとやろうとすると、けっこうたいへんなのです。
 なので、少し無口なくらいの人と旅をして、お互いがたまにポツリポツリと話すくらいがちょうどいいようです。
 ぼくが自然が好きなのも、そういうところがあるのかもしれません。自然はぼくに話しかけてきませんから…
 基本的に独りでいるのが好きなのかもしれませんね。








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海辺の男の生き方…こんな風になりたい



 ぼくの海遊び仲間は、無骨で、ぶっきらぼうで、タフな奴が多いです。
 もともとの性格は違っていたんでしょうが、海というフィールドで生き残るために必要な特性が身についていったのでしょう。
 慎重に考え、素早く行動する人が多いのです。理屈よりも結果、楽しんで生き残ることが善、自分の判断力と体力がすべて…
 そんな仲間に囲まれて過ごすことが多いので、仕事などで東京の大企業とか官庁とかの理屈っぽくて、細かくて、人のミスを誘い、自身の出世を考える、ヒョロッとした青白いヤツとやりとりするとストレスが溜まります。
 ぼくが仲良くなる男の友達というのは、小さい頃から一貫しているので、たぶんぼくの中にそういう特徴があるのか、育った環境によるものなのでしょう。
 そんなぼくが好きな男性像がそのまま出てくるのが、山本周五郎の『樅の木は残った』です。
 主人公である原田の意思が強くて、自分の使命や役割を全うしようと、価値観や好き嫌いや憎しみや苦しみを表に出しません。そのストイックさは痛々しいくらいです。
 自分の家柄が家老であり、自分がその家の主であり、主家を守るために果たさなければならない役割を果たすため、日々の言動、人付き合い、家族との接し方などすべての行動を制御していきます。そしてとうとう主家のため、自分の命を投げ出してしまいます。
 孤独な原田は樅の木を愛します。春夏秋冬、何年経っても、そこに凜として静かに立っている樅の木を愛します。そして自身も樅の木のように生きたいと考えます。
 原田は幼い頃に体験した自然の中の暮らしを愛します。山の中にこもり、猟をする生活は、武家に生まれ、家を担わなければならない義務から解放される場所なのでしょう。
『樅の木は残った』を読むたびに、人の一生とは何なんだろうと考えてしまいます。自分らしさとか、自分の意思とか、自由とかって何なんだろうと考えてしまうのです。それって究極の理想で、現実に存在しないものなのじゃないかなって思うのです。
 ぼくはといえば、現代に生まれ、普通の家に育ったので、江戸時代の武家の長男ほど重荷を負ってはいません。それでも男として生まれ、資本主義社会で競争し生き残るために、いつも他者に負けないようにしてきました。学校での勉強、スポーツ、受験…その競争は、終わりがありません。
 オジサンになった今も、職場でお荷物にならないように、社会人として恥ずかしくないように、家族に迷惑をかけないように、日々油断はできません。
 人は社会で生きるために、その社会のルールから逸脱しないよう、何かしら自制しないといけないのでしょう。完全に自由な人などおそらくいないはずです。
 ぼくは海遊びをしますが、それは社会的なルールや責任から一時的に解放される場所だからです。自然に安らぎを求めるところも『樅の木は残った』の原田に共感するところです。
 ぼくが『樅の木は残った』が好きなのは、男が生きる上での不自由さを、武家の男の心情に反映させているように読み取るからかもしれません。
 そして自然の中での時間を、一時の安らぎの場所としてする様子に共感するからかもしれません。
 男の負っている責任と誰にも本心を打ち明けられない孤独さと逃げ場のないプレッシャー。それと対比される自然の中での安らぎ。
 人というのは時代や場所が変わっても、生きていく大変さは変わらないのかもしれません。











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近くに海がある暮らし



 海辺で暮らす喜びはいろいろあります。
 だいたいが、なんてことないちょっとしたことです。
 それはたとえば…
 朝起きて、窓から見える海の色が、いつもより青くてキラキラ輝いていたとき。
 早朝に霧がかかって、少しひんやりして、海までの道が幻想的に見えるとき。
 ベランダに布団を干しているときに、気持ちいい潮風が吹いてきたとき。
 散歩の途中に家の庭にハイビスカスが咲き乱れているとき。
 砂浜の松並木をふと見上げるとき。
 スーパーの行き帰りに海が見えるとき。
 近所の漁港直売の店で、珍しい魚を安く買ったとき。
 ビーチでみんなが楽しそうに過ごしているのを見るとき。
 ちょっと今日は潜ろうかなって思い立って、スキューバーダイビングができるとき。
 スキューバーダイビングですごく透明度がよくて、珍しい魚が見られたとき。
 前の日飲み過ぎて、土曜日の朝遅く目が覚めても、そこからウォータースポーツができるとき。
 無人の野菜直売所に季節の野菜が並んでいるとき。
 休日に海を眺めながらコーヒーを飲むとき。
 海を眺めながら温泉に入るとき。
 シャワーを浴びた後、海を眺めながら、潮風に吹かれながら、ビールを飲むとき。
 春先に家族でワカメやヒジキを採るとき。
 冬に、不意にあたたかくて、風もなくて、ビーチにいるとほっこりするとき。
 海辺を散歩しているときに、晴れていて、温度も、湿度も、潮風もちょうどいいとき。
 夜、窓から見える海に、月の光が道のようにきらめいているとき。
 波の音を聞きながら眠りに就くとき。









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忙しいのは自分のせい



 何だか毎日忙しいですね。みなさんそんなことはないですか?
 大したことをやってるわけではなくて、コマゴマしたことでワサワサしているんです。
 もともとぼくはノンビリした時間を過ごしたくて、海辺に引っ越したのでした。
 で、引っ越してみると、家をいじってみたり、近くの店を片っ端から訪れたり、暇さえあればウォータースポーツをしていたりして、ぜんぜんノンビリしないのでした。
 今日もゆっくりコーヒーでも飲んだ後、海遊びする予定でしたが、シーカヤックの修理を始めてしまい、ついでにサーフボードも直しておこうとか、ロープの整理を始めたり、海の小物の断捨離をしてしまいました。
 オレってなんでこうなんだろう…
 これは自分の性格なんだなと思いました。
 ただ、都会の暮らしと違うのは、自分で忙しがっているところです。体調が悪かったり、ゆっくりしたければいつでもノンビリできるのです。
 都会の暮らしで覚えているのは、土日の大型スーパーは駐車場渋滞があるから、早起きして行かなきゃとか、駅が混むから早く行かなきゃとか、油断していると横入りされるから前の火とくっついてなきゃとか、なんだかそういう大勢の人がいる中で、自分が割を食わないように焦らされたり、急かされたりする状況が多くて、ぼくにとってはそれがイヤでした。
 今住んでいるあたりでは、何かを待つとか行列を作るという場面はあまりありません。電車に乗るとかバスに乗るとかは列はできますが、まあそれも列というほどではありません。ATMとか郵便局とか役所とかスーパーとかレストランとか、いろいろな生活の場面で列を作るとか待つという場面は、ほぼありません。焦らせられ系のストレスは激減しました。
 その代わりに目立ってきたのが、自分の性格としての「ボーッとしてられなくて何かしちゃう」という側面です。こればかりは自分を変えなきゃいけないのでたいへんです。
 ただ、なんとなく自分で編み出したのは、何かをしているときに他の何かをしない、つまり、今やっていることに集中していると、あまりワサワサしないという技(?)です。
 たとえばコーヒーを淹れて飲むときはそれだけをすると、ワサワサ感がなくなり、コーヒーを飲む時間が充実します。食事をするときもテレビなど見ないで食べるとその時間が充実するようです。
 一日の中にその行為に集中する時間をいくつか作ると、どうもワサワサ感が薄らぐようです。
 いい歳になって、やっとそのことに気づいたのでした。










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平凡ななんてことない毎日ですが…



 平凡な、なんてことない、月並みな、小市民的な日々を送っています。
 平日は普通に会社で働いて、週末は海で遊んでいます。
 平凡ですが、それでも毎週の休日が楽しみなのです。
 遠出をしない休日は、朝、5時頃起きて、妻と砂浜を散歩します。朝の砂浜は、まだ人もまばらで(うちの近所の人は、砂浜を散歩する人が多いので…)、空気も澄んでいるような気がします。
 歩きながら、海況のチェックとストレッチをします。そして今日は何をしようかな?って考えます。スノーケリング、スキューバーダイビング、シーカヤック、セイリング、サーフィン…
 散歩から帰ると、近所のパン屋で朝食を買います。近所といっても車で5分くらいかかります。
 パンを選ぶのが、また楽しいのです。家に戻ってコーヒーを淹れて、パンを食べます。平日は慌ただしく朝ごはんを済ましてしまうので、休日の朝食は、音楽を聴きながら、海を眺めながら、ゆっくり味わって食べます。これがなんてことないけど、けっこう嬉しいです。
 食事をとると海に出ます。
 海遊び道具はすぐに出せるようになっているので、ウェットスーツを着て、たとえばシーカヤックを用意して艤装して海に出るのに10分くらいでしょうか。
 なんでもそうですが、やっているうちに要領がよくなって、どんどん負担が減っていくものですね。
 ときどき人に訊かれることがあります。それは、海遊びをしていて、飽き足り、面倒くさくなったりしないかということ。
 自分でも不思議ですが、飽きませんし、面倒くさくもありません。海に出るのが気持ちいいし、身体を動かすとスッキリします。ぼくは海に出ることで頭の中のモヤモヤがリセットされるみたいです。なのでストレス解消にもなっています。
 大学生の頃からかれこれ30年も海遊びをしているので、自分でも本当に好きなんだなと思います。もしかしたら、ただ習慣になっているだけかもしれません。
 日中、海で過ごして、家に戻るとお風呂に入ります。
 風呂で小物の器材を洗って、水着を洗っちゃいます。風呂に入ると、固まった筋肉がほぐれて気持ちいいですね。温泉だったらもっといいのになあと思う今日この頃です。
 さてさて、いよいよ、とうとうお楽しみのビールです。
 海遊びをして、お風呂に入った後のビール。これがいいですね。
 ぼくの場合、デッキで海を眺めながら、潮風に吹かれながらビールを飲むのが大好きです。
 屋外で飲むのがうまいのです。
 平凡でなんてことなくても、海のそばで自然を感じながら、毎日元気に、おいしくご飯を食べられて、お酒を飲んで、一日を過ごすことができれば、それで幸せです。








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海旅をしてみて、地方の暮らしを取り巻く環境について考えてみました



 最近わけあって、海のある地方都市に行くことが多くなりました。地方都市でも県庁所在地とか、人口で2番目、3番目くらいの市です。

 もともと海が好きで、海辺の町や離島を旅することはずっと続けていましたが、最近、わりと大きな町にも行くようになりました。

 旅して思うのは、人の暮らしはどこも同じだなということです。

 常々「海が好きで、海辺に住むことで人生が変わる」ということをいい続けているぼくとしては、矛盾しているようでもありますし、もちろんその土地の風土や文化が違うので、暮らしがまったく同じということではありません。寒く雪深い地域は暮らしそのものが大変でしょうし、天災が多い地域もたいへんだと思います。

 とはいえ、人は、家族がいて、家があって、学校へ行って、働いて、(なぜか)男女が惹かれ合って結婚して、子どもを産んで、育てて、というのは、日本では、まあ同じです。そんなの当たり前かもしれません。

 旅の途中、見知らぬ町の目抜き通りに佇んで、人はどこでもそんな風に、生まれて、生きて、死んでいくんだな〜と考えたりします

 ポツンと一軒家とか離島などに住んでいるともう少し違った暮らしかもしれませんが、日本の大きな地方都市では暮らしぶりがそんなに違うようには思えないのです。

 そんな根本的なところは世界中どこでも同じかもしれませんが、もう少し細かいレベルのことでも似ていますね。

 電車が走っていて、車が走っていて、駅ビルがあって、駅前にはロータリーがあって、商店が並んでいます。道行く人は、ユニクロみたいな服を着ています。女性は喫茶店でおしゃべりをしています。メインの国道のロードサイドには、チェーン店が建ち並んでいて、それもどこも似ています。ガスト、マック、マックスバリュー、ユニクロ、眼鏡市場、オートバックス、ガソリンスタンド、ラーメン屋、医者…

 似ていることが悪いことではないと思いますし、暮らしの環境が似ているから不幸だとも思いません。気候や風土や文化や歴史はそれぞれ違いますし、県民性もあると思います。そして人の人生はすべて違うので、環境が同じだからといって、そこに住む人の人生までが同じだなんて考えていません。

 ただ日常の多くの部分を占める衣食住の店は似ているので、より一層自分らしく暮らしていくことが大事なんじゃないかな、と思うようになりました。その土地での暮らしをどう楽しむかとか、どんなふうに時間を過ごすかが大事だと思うようになりました。






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ぼくにとっての海辺の暮らしの意義…



 ぼくは3人兄弟の長男で、弟と妹がいる中で育ちました。父親は自分にも家族にも厳しい人で、かつ負けず嫌いな人でした。また、少々古くさい価値観~男らしさとか男は家族を守るべし~を持つ人でした。
 ぼくと弟は、なんでもかんでも競争に勝つことが求められる環境の中で育ちました。たとえば小学校の頃は、勉強やスポーツや習い事で一番じゃなければダメという感じでしたし、中学でも高校でも大学でもそうあることが求められました。
 さらに長男ですから、弟や妹の手本であるべきで、また年下の者を守りサポートすべきであるといわれて育ったのです。
 そんなワケで、ぼくは大学に入るまで、なんだかわからない息苦しい毎日を送っていたのです。
 その状態を息苦しいと感じるということは、ぼくの心のどこかに社会的競争とか望ましい人間として振る舞うという考えに、どこかしら抵抗感なりわだかまりに類する考えがあったのでしょう。そしてそうした価値観から離れたいという欲求があったのだと思います。その頃は自覚していませんでしたが…
 一方で、大学時代に独り暮らしすることになったことを好機と、サーフィンとスキューバーダイビングを始めました。ぼくにとって、海は社会的ルールとか社会的規範とか社会階層とか競争とか見栄とか、そういうものから自由になれる場だったんです。完全な自由ではないかもしれないけれど、当時のぼくにとってはかなり自由な状態でした。
 自由であることの喜びとサーフィンとスキューバーダイビングのおもしろさから、ぼくは海にはまっていったのです。
 一応仕事につき、一応社会人になり、一応結婚し、一応子どもも授かりました。一応いわゆる普通の社会人のように暮らしてきたのです。合格点とはいえないものの、一応父親の逆鱗に触れない程度に常識的な人として振る舞うようにしてきました。
 その一方で、ぼくは海遊びを続け、海辺に住むようになります。
 社会通念上の普通の生活を義務的に営むエネルギーを補うように、自然の中の海辺の暮らしにハマっていったのでした。
 おそらくそうしないとぼくの精神的なバランスはとれなかったんじゃないかと思うのです。
 その父は他界しましたが、ぼくの中に、いわゆる普通の社会人として生きること、常識的な暮らしをしなければならないという意識はあり続けています。
 海辺で暮らし、ウォータースポーツを楽しんでいますが、それは自分の中の普通の社会人として生きなければならないという義務感を相殺する意味を持ち続けています。









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風の音に耳をすませば…



 海にいると自然の現象に注意を払うようになります。
 それはおそらく危険を察知して、自分の身を守るためにそうなるのでしょう。
 これから天気が崩れるか、雨が降るか、風が強まるか、波が高まるんじゃないか、周囲に大きな船が近づいていないか、それらは海の上にいるととても大切なことだからです。

 ただ自然の様子に敏感になることは、いいこともあります。

 海を吹き渡る風の音や匂いに気づけたり、遠くの水面の動きで風の強さを察知できたりといった些細なことです。でも、それが喜びなのです。

 大きな低気圧が近づいているときの、雲の色や湿気は独特なんです。そういうときって空気自体が重くなったように感じます。
 船の揺れ方や波の音で水深がわかったりもします。
 人の感覚というのは、なかなかすごいものだなと思います。

 夕暮れに日が傾いて、海面に陽の光がきらめいているときに、サッと風が吹き抜けていく様子などは、身震いするほど美しいものです。感覚に意識を向けているから、きっとそうした美しさにも気づけるのでしょう。

 どんどん変わっていく自然の瞬間瞬間に意識を向けると、普段何気なくやり過ごしていることがたくさんあることに思い至ります。

 一方で、そんな瞬間の自然に意識を向けることに何の価値があるのかといわれてしまうと、まあ、ただシアワセを感じられるということなんですが…

 自然の様子に意識を向けるというのは、別の効用もあります。
 それは、その時その時に他のことを考えないということ。
 忙しいとついつい次のこと次のことを考えがちだったりしませんか?

 ぼくの場合、そんなペースで過ごす一日は、終わってみるとなんだかぐったりして、忙しかったけど何をやったのかハッキリしなかったりします。何かに追われて過ごしたような感覚があります。

 自然の様子に意識を向ける時間を、そうですね30分もとると、時間を自分でグリップしているような感覚があって、気持ちが満たされます。ぼくはそういう時間があるとシアワセを感じられます。

 自然の様子に意識を向けるというのは、また別の効用もあります。
 それは心が癒されるということ…
 よく自然に接することで癒されるとか、リフレッシュできるということを耳にします。科学的根拠がどうかは知りませんが、みなさん、当たり前のように、レジャーで自然の豊かなところに行ったりします。
 きっと自然に接することで、人の心が癒されるということを、実感している人も多いのでしょう。
 ぼくは、もちろん癒されます。自然に接することで安らかで、穏やかな気持ちになります。

 そういった自然の様子を感じながら暮らしていけるのって、やっぱりシアワセなんだろうなと思います。









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今度の休みは何をしよう?



 ぼくは働くのが嫌いでなんです。
 正確には、他人に小突き回されたり、あれこれ指示されて働かされるのが嫌いです。
 みんなそうかもしれませんが…
 朝の大手町とか新宿とかにいると、みなさん、ちゃんとバリバリ働いていてすごいですよね。尊敬しちゃいます。
 一応ぼくも働いていますけど…そんなにバリバリとか積極的とかではないんです。ぼくと似たような気持ちで働いている人も実はけっこういらっしゃるのかもね…
 そんなぼくは、次の休みは何しようかな?とか、今度はどこの海に行こうかな?とか、まあそんなことを考えつつ平日を乗り切っているのです。
 天気予報を見て、風と波と潮回りをチェックして、スキューバーダイビングにするか、シーカヤックにするか、セイリングにするか、サーフィンにするか考えて、じゃあどこ行こうかって迷ったりして、そういうのって楽しいですね。
 仮に海が荒れ荒れでも、海辺を散歩したり、サイクリングしたり、海を眺めながら庭の手入れをしたり、それだけでもとても楽しいのです。
 自分のペースで、自分のやりたいことができるシアワセを休みの日には、いっぱい味わうことにしています。
 あなたは次の休みは何をしますか?
 楽しみなことってありますか?








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おいしい魚を食べられる定番的な店 おか田 南伊豆弓ヶ浜


1.ロケーション ☆
2.こだわり ☆
3.店の雰囲気 ☆
4.味 ☆
5.値段 ☆
6.音楽 
7.手入れ&掃除 ☆☆
8.総合評価 ☆
9.コメント
 ぼくは南伊豆が好きで、年に何度かふと行きたくなります。
 のんびりしていて、南国の雰囲気があるからかな…
 そんな南伊豆でご飯を食べるところ、しかもおいしい魚料理を食べられるところは、何軒か押さえています。
 今回ご紹介する店はそのひとつ。
 このあたりでは大きな店で、座敷も個室もあり、たぶん地元の人の法事などで利用される店なのでしょう。味もオーソドックスなもの。
 このあたりの和食店では、定番メニューののキンキの煮付け、刺身定食、海鮮丼といったものもあり、値段も同程度、だいたい2000円〜3000円です。
 妻は全体に味付けが甘めだといいますが、ぼくは好きです。
 弓ヶ浜で遊んだ後に、立ち寄り湯で潮を流し、さっぱりしてから早い夕飯を食べるなんてときに入る店です。
 広い店内で、ゆったり座りながら、おいしい魚を食べる休日ってシアワセですね。








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