海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
忙しい休日でも海を眺めてフーっと一息
海辺に住んでいます。休日はスキューバダイビング、シーカヤック、サーフィンなどのウォータースポーツをするようにしています。でも、せっかくの休日なのに家の雑用が多くて海に出られない日は、とても残念です。そんな日にかぎっていい波が来てたりして。海辺に住んでいるのが却ってストレスになったりします。
そんな忙しい休日でも諦めずに、5分でも10分でも時間をとって、ビーチを散歩するようにしています。
目の前に広がる大きな海を眺めていると「フー」っとため息のようなものがもれて、身体の力が抜けていくのが分かります。
深呼吸をして潮風を胸いっぱいに吸い込んで、空を仰いで、太陽の光を浴びます。それがとても気持ちいいんです。気持ちが変わるのがわかります。それまでのイライラモードからノンビリゆったりモードに気持ちのスイッチが切り替わります。
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離島の旅でリフレッシュ! でもその後…
一応会社員として働いています。働いていれば、いろいろ嫌なことがあります。それはしょうがないことだと思いますし、もうたいていのことには慣れました。
自分として嫌なのは、器の小さい人とチマチマしたことをやりとりしていると、こっちまで思考のスケールが小さくなってしまいそうなことです。
そんな悲劇的な自分らしさの失い方があるでしょうか…
そんなときぼくは海へ旅することにしています。特に離島…沖縄や奄美群島や小笠原や伊豆諸島といった、どちらかというと南の方面の離島を旅することにしています。
離島は、海の上にポツンとありますし、たいてい人口密度が低くてゆったりしています。島の人はたいていのんびりしています。とはいえ、島の暮らしというのは自然環境の面でも経済的な面でもそんなに楽ではないと思うんですが、みんな明るく過ごしています。
そうした明るさやのんびりさの中にいると、自分が日々、いかにつまらないことに頭を悩ませていたかに気づき、そんな自分をバカらしく思います。もっと大らかに明るく暮らせばいいんだと自分に言い聞かせます。
そんな気づきを得て離島旅から戻り、日々の暮らしに巻き込まれていると、また知らず知らずにセコセココマゴマしたことに追われている自分になってしまいます。

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ウォータースポーツの醍醐味のひとつは、頭と身体をフルに使うこと
このブログにはやたら書いていますが、もうかれこれ30年以上ウォータースポーツを飽きずに続けています。
ぼくがやっているウォータースポーツは、スキューバダイビング、シーカヤック、サーフィン、セイリングです。
ウォータースポーツの面白さというか醍醐味のひとつは、自然を相手に楽しんで、しかも自分の頭と身体を使って、死なないで戻ってくることにあると、ぼくは考えています。
荒れた海況や難しい海域で、自分の限界まで、考え抜いて、肉体を酷使するというのが、ぼくとしては快感なのです。ちょっと変なのかもしれませんけど…
仕事などでも、難しい課題に挑戦して、それが成功したときというのは、やりがいもあるし嬉しいものですが、たいていがチームワークですし、ほとんどの場合、所詮死にはしません。
自分だけの力で自分の命をかけて、自然という、圧倒的な力を持つ、予測できない、同じ状況が二度とない、そんな対象に対峙するという点で、ウォータースポーツはぼくを惹きつけて止みません。
もちろんすごく荒れた海況で、無謀に海に入っていくというのはいいことだとは思いませんが、自分の力量の範囲ギリギリのところにチャレンジしていくときに見えてくる、自分の弱さとか自分らしさを知るのが面白いのです。
つまるところぼくは、海という自然に、自分らしさを投影して、それを見つめているような気がします。
抽象的な話しばかりでは、わかりにくいかもしれませんね。
具体的な一例を挙げると、スキューバダイビングをしていて、途中で予想よりも流れが速い海域があったとします。そこで引き返してもいいし、予定どおりのコースへ進んでいくのもいい状況です。
そこで自分のこれまでの経験を思い浮かべ、似たようなケースがあったかを思い出し、海の様子を克明にチェックし、行った場合、その先で見えるかもしれない魚や風景の魅力を見積もり、現在の深度と潜水時間と残圧とを考慮し、自分の体力がその流れを乗り越えられるかを考え、流れに対する自分の恐怖心を見つめ、戻るか行くか判断するのです。判断に時間がかかってはいけません。できる限り早く判断しなければなりません。やってはいけないのは死ぬこと、ゴールは無事に戻ることです。
こういうときにぼくは、自分の頭がフルに働いていることを実感します。普段使っていない脳さえも総動員して考えているのがわかります。そして自分の体力を冷静に見つめていることもわかります。
これまで海で数々のギリギリの状況を経験してきました。結果的にぼくは今無事に生きているんですが、少し間違えば死んでいたかもしれません。事実としてぼくはギリギリ状況を乗り越えて、今ここにいるのです。それ自体が誇りであり、海という自然がそれを与えてくれたのです。
海も場所によって雰囲気が違いますね
ぼくは海辺の田舎町に住んでいますが、ウォータースポーツをするために、他の海に旅することがあります。いつも感じることは、海といっても場所によって雰囲気や空気感やそこに暮らしている人のテンポが違うなあ、ということです。
ぼくの好みとしては、ノンビリした鄙びた田舎の漁師町という場所が好きで、そこで暮らしている人もノンビリしていて、もろローカルな人達だとうれしいんですけどね。
たとえば湘南といわれる茅ヶ崎や辻堂や藤沢などは、東京よりはノンビリしていますが、まあそこそこ大きな町だし、とても海辺の鄙びた漁師町とはいえないわけです。
それが大磯とか国府津とかになると、もう少しノンビリした感じになって、田舎感が漂ってきます。ただ大磯は町全体になんとなく文化的な雰囲気が漂っているのが、なかなか味があります。
千葉でいうと一宮はだいぶノンビリしてますが、千倉の方がもっとノンビリ度が高まるように思います。千葉の外房というのはビーチが多く平野なせいか、町全体が明るくて抜けている感じがします。
ぼくが好んでよく行く海に、志摩半島があります。ここはリアス式海岸が複雑な地形を作っているんですが、このあたりの中心地といってもいい賢島の駅前あたりでも、ノンビリした海辺の田舎町の雰囲気が漂っています。リアス式海岸なので、森と海が近くにあって、海は穏やかで、なんというんでしょうか隠れ家にこもっているような安心感があるように感じます。
これが島になると状況はもっと変わってきます。割と人口の多くて、都会からのアクセスもいい、伊豆大島などは、グッとノンビリ度が増します。やはり島というのは独特の雰囲気があって、それがぼくは大好きです。
島に行くときの船に乗ると、普段あまり気分の抑揚のないぼくが、けっこうテンションが高くなって、はしゃいじゃったりして、同行している妻を呆れさせたりするくらい島旅が好きです。
ぼくが旅した島の中で好きなのは、多良間島と母島です。どちらもポカンとしたノンビリさがあって、島の人もノンビリしていて優しくて、できれば移住したいくらいです。やっぱり離島は、人口が3000人以下だとノンビリした雰囲気が強くなりますね。緯度が低いせいか、陽射しが強くて、南国に来たんだなという感じがします。母島などは、日本にいるというよりも、ポリネシアやミクロネシアにいるんじゃないかと、ふと錯覚してしまうくらいです。
と、いろいろ書いてきましたが、海辺によって雰囲気や空気感が違うということは語れるんですが、じゃあそれがなぜそうなっているのかということは、ぼくにはなかなか分からないんです。いえるのは、人口密度と気候と地形は多少影響していそうだなということくらいです。

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ビーチでうたた寝する気持ちよさ
休日には、ビーチでアウトドアテーブルとチェアを持ち出して、コーヒーを淹れながら、本を読むということをよくやります。真冬は寒いので、さすがにあまりやりませんが…それ以外の季節はよくやります。
そうすると時々ウトウトして、それがとても気持ちいいんです。太陽の光を浴びながら、波の音を聞きながらうたた寝するというのは、どうしてあんなに気持ちがいいんでしょう。不思議です。
うたた寝といえば今でもよく覚えているんですが、大学生の頃、午後の授業に向かう電車の中でうたた寝したときの気持ちよさです。
季節は春でした。電車はガラガラにすいていて、窓からは陽射しが差し込んでいました。そんな中うたた寝をしていたんですが、それがとても気持ちよかったんです。そのときの情景を、ぼくはなぜか今でもはっきり思い出すことができます。
大学生という気楽な立場、授業に出なければいけないけれど、別に大したことではない。なんなら休んじゃってもいい。そんな心理的な気楽さも、うたた寝が気持ちよかった遠因ではないかと思います。
休日のビーチのうたた寝の気持ちよさも、休みであること、海という自由で開けた空間であること、波の音が周期的に聞こえてきて、眠りを誘うこと、そんな環境で自分がリラックスしていること、などの状況が整っているから気持ちいいのかなと思います。
海という自然の中で憩う
休日に、海辺で一日中、ボーッとしていることが結構あります。
まあ、それで癒されるし、気持ちいいからやっているわけですが、妻からは「よく飽きないね」といわれます…
僕は海が好きで好きでしかたがなくて、海辺の田舎町に引っ越したわけでして、その海好きは今も衰えることなく続いています。
ぼくにとって海は、癒しの場であり、憩いの場であり、身体を動かす場であり、心をときめかせてくれる場なのです。ちょっと極端な言い方かもしれませんが、生きる上での楽しみの多くが海辺にあります。
海辺でボーッとする以外にも、散歩したり、ウォータースポーツをしたりします。どれもかれこれ30年以上続けてきたことで、ぼくの習慣になっています。おそらくこれからも病気とか怪我など、特別な理由がない限り、海に居続けるでしょう。

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スキューバダイビングに出発するときのワクワク感
スキューバダイビングを始めてもう30年以上経ちますが、スキューバダイビングに出発するときのワクワク感というのは、すごいものがあります。
たぶんゴルフ好きな人が、嬉々として雨の日の早朝から出発するのと、似ているのかもしれません。
自分でもよく飽きないなあと不思議に思います。
スキューバダイビングに行くといっても、パターンとしては、海外に行くときと、国内の離れた場所〜ぼくの場合圧倒的に沖縄方面が多いわけですが〜に行くときと、国内の割と近場の島〜早い話伊豆七島のどこかです〜に行くときと、国内の近場に〜ぼくの場合伊豆半島ですが〜行くときで、どのパターンでもワクワクしてしまいます。
海外に行くときは成田空港へ向かうあたりからワクワクしますし、沖縄方面に行くときは羽田空港に向かうあたりからワクワクしますし、伊豆七島の場合、竹芝桟橋へ向かう途上で、というか浜松町駅を降りたあたりワクワクしますし、伊豆半島の場合、車を運転していてワクワクします。
どれがよりワクワクするということではなく、それぞれ別のよいワクワク感があります。
といいつつ、実はダイビングの出発日が近づいて、荷造りしているあたりからワクワクしているんです。
暮らす環境と自分の変化
あぁ、海は今日も広くてゆったりしていていいですね。今週末も地元の海でシーカヤックをしていました。
ところでぼくは、自分でずっと欠点だと思っていることがあります。
それは他者の評価を気にする性格、チームとか組織の中で孤立したくないという性格、周囲に迷惑をかけないように、自分はちゃんとやらなければいけないと考える性格です。
そんなぼくが、日頃からこんな人になりたいなあ、と思いつつ、なかなかできないことがあります。それは、自分が他者から、いい人だとか、すごいとか、いわれたいと思わない人です。人の評価を気にしないで自分らしく生きていけたらいいなあ、と思うのです。そういう風に生きている人を見ると尊敬しちゃいます。
他者からの評価を気にすると、プレッシャーを感じたり、焦ったり、無理をしたり、ギクシャクしたりします。自分としては精一杯やっているのに、他者から評価されないから、不安を感じてしまうこともあります。
チームとか組織の中で孤立したくない、自分独りではやっていけないから、仲間に受け容れてもらって、その中で貢献しようと、頑張ってしまったり、自分を抑えてしまうのです。
そしてなんでも自分の責任であるかのように考えて、うまくいかないと自分を責めて、辛くなってしまうことがあります。
ところでぼくは大学生の頃から、スキューバダイビングやサーフィンなどのウォータースポーツしてきました。もちろん海が好きだというのがその理由ですが、どちらかというと普段の(都会での)生活でやってしまっている他者の評価を気にする自分から、離れるためです。
ウォータースポーツをしているとなぜか、他者の評価を気にする自分ではなくいられます。海という空間での自由さがそうさせているのかもしれません。
海にいると本来の自分らしくいられると気づいてから、紆余曲折があって、海辺の田舎町に引っ越すことにしました。そこから都会の会社に通勤しています。
海辺に引っ越してから早いもので30年が経ちました。海辺の田舎町で暮らすうちに、あまり他人の評価を気にせず自分らしく生きていけるように、少しは、なったと思います。でも元の自分が変わるわけではないので、ほんの少し変わった感じです。
ぼくの住んでいる海辺の田舎町は、自由業の人も、漁師さんも、自営業の人もいます。普段町を歩いている格好もT-shirtsにビーサンが定番だし、車も軽自動車に乗っている家が多いです。
そんな中で暮らしていると、どこに勤めているとか、子供がどこの学校に行っているみたいな世間体はあまり気にせずにいられます。それでもぼくのようなタイプは、周囲から変な人だと見られていないかということは気になりますけど…都会でのそれに比べたら微々たるものです。
環境がすべてではないと思いますが、ある程度は環境によって自分が少し変わったり、生きやすくなることはあると思います。
気分が下がっているときは、海で大きく深呼吸
気持ちが下がっている時期ってありませんか? なんとなく不安なとき、嫌なことがあったとき、イライラするときというのが、ぼくにはたまにあります。
そんなときぼくは、ビーサンをつっかけて、フラリと海へ行きます。
砂浜を散歩して、少し岬のようになっている高台に登り、そこで大きく深呼吸します。
目の前には海と空が広がっていて、潮風が頬を撫でます。空を見上げれば太陽が明るく世界を照らしています。
そんなに長い時間じゃありませんが、こんな時間を持つと気持ちがすっきり明るくなります。
世の中悪いことばかりじゃない、そのうちいいこともあるさ、なんとかなるさ、と楽天的に前向きになれます。
ぼくが海が好きだからこんな風になるのか、それとも海にはそういう効能があるたまなのかわかりません。すごく不思議です。
自然の気配を感じながら暮らす幸せ
今住んでいるところは、海辺で、ビーチまで歩いて3分くらいです。そして家の裏は丘のようになっていて、その斜面が森になっています。なので、南側の窓からは海が見え、家の裏側にあたる北側の窓からは緑が見えます。
冬以外の季節は、たいてい窓を開けっぱなしにしているんですが、南側の窓からは、波の音や潮の匂いが入ってきます。北側の窓からは、木々や土の匂い、木の葉の擦れる音、鳥のさえずり、リスの鳴き声が入ってきます。
日々自然を感じながら暮らせるのは、ぼくにとっては、とても幸せなことです。そういうことに価値を見出さない人もいるかもしれませんが、ぼくの場合は、自然の気配を感じることが大切なことですし、ありきたりな表現ですが、癒しになっています。

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