海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海辺の冬は底冷えしないような…
海辺に住んでいて、いつも不思議なのは、夏冬の気温です。
夏の場合、日中は暑いんですが、それでも都心のような嫌な蒸し暑さではないんです。そして朝晩は意外に涼しいんです。あと日陰に入れば風のある日は涼しいです。
冬の場合、やはり寒いんですが、都心や内陸のように「キーン」と張りつめたような、刺すような寒さではありません。寒いんですが、どことなくフワッとした寒さです。
もちろん気象的には理由があって、ぼくの住んでるあたりの海の水温は、夏は25℃くらい、冬は15℃くらいです。夏の気温が30℃なら、海から吹いてくる風は少し涼しめですし、冬の気温が8℃だとしたら、海から吹いてくる風は暖かめです。
海が温度の緩衝材的な役割をしているといっても大きな間違いでなはいでしょう。
これは海辺に住んでいるメリットだと思います。もちろん日本国中どこの海も同じではありません。おそらく厳しい海辺もあると思いますし、もっと暖かな海辺もあると思います。
島などで遮るものがないところでは、冬の西風・北風はツラいほどだというのも見聞きしたことがあります。
ぼくの話しは相模湾沿岸のことなのでご了承ください。
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カモミールってぼくには合わない
我が家ではいろいろなハーブを植えて楽しんでいます。さすがに今の季節だと、元気なのはミントとレモンバームくらいですが…
いろいろな種類があるハーブの中にカモミールっていうのがありますね。
定番中の定番です。
よくハーブティになっていたりします。
ティーバッグなども出ていて気軽に楽しめるハーブです。
ぼくの家でも庭で育てていて、収穫して干して、お茶にして飲んでいます。
一般的には気分を落ち着ける作用があるとされています。
ただ最近気づいたんですが、ぼくにはカモミールが合わないような気がするんですね。カモミールを飲むと寒くなります。身体が冷えるんですね。
それから少し気分が落ち込みます。
気分が落ち着くというのではなく、落ち込む感じです。
これがラベンダーだと気分が落ち着くんですね。
不思議なものです。
というわけで、カモミールはあまり飲まなくなりました。
逆によく飲むのが、エルダーフラワー、ショウガ(ショウガはハーブじゃないかもしれません)です。これは身体が暖まって元気になります。
人それぞれ相性があるんでしょうね。
海のカレンダーを眺めて
去年の暮れに、海のカレンダーをいただきました。
年に1回くらいお世話になっている三宅島のアンバージャックというダイブサービスさんから送られてきました。
各月の写真が、ダイバーには堪らないけっこうレアな魚だったり景色だったりして、ペラペラめくってはニヤニヤしてます。
アンバージャックさんは、アットホームでノンビリ、マイペースで過ごせるのですごく好きです。
以前、沖縄本島の某ダイブサービスを使いましたが、ワサワサしてお客を流れ作業みたいにさばいていて、ウンザリした記憶がありますが、それとは正反対。
ぼくはそういう居心地のいいダイブサービスをそこここで探して、定期的に通っています。
ちょっと親戚の家に遊びに行く感じ。
地元の素材を使った料理が食べられたり、オジサンの体力に合わせたダイブスケジュールに対応してくれたり、そういうのが嬉しいです。
こういうダイビングの楽しみ方もあるので、ブランクダイバーの方は、もう一度戻ってみてはいかがでしょうか?
チャレンジングでイノベーティブな行為を受け入れるということ
マスコミでは若者の就職先がないというニュースが流れます。就活も激しさを増しているといったニュースが流れます。
ぼくは、海遊びばかりしているオジサンですから、できれば働かずに生きていきたい、自分の好きなことをして生きていきたい、と常々思っています。
海辺に住む周囲の人々を見回せば、なんとなくそんな感じで暮らしている人が結構います。
ウォータースポーツのショップをやっている人、ダイビングのインストラクター、子供向けに海遊びスクールをやっている人、海関係の写真家、ウォータースポーツのグッズを輸入販売している人などなど。
それぞれ自分の好きなことをしていたら、それで食べていけるようになったというような感じです。
「なぜ働くのか?」ということをテーマにした本は多く出版されていますが、現実問題として、大きな会社でいい給料をもらいたいというのが、多くの人の本音でしょう。
これって生活がかかった話しなので、無責任なことはいえませんが、あえてマクロに一般論として、考えたことを書いてみたいと思います。
ぼくはいい歳して海遊びばかりしていて、周囲の「まっとうな」社会人から、しばしば「まったくいい歳して遊んでばかりいて」といわれています。
そのたびに感じていることがありまして、遊びの中から生まれることもあるのではないか?ということです。もうちょっというと、現状で無価値なものを無価値としてみなして、そこから何が生まれるのかということです。
一方で大きな会社である一部の仕事を割り当てられて、それを日々こなすことは、仕事はしているかもしれないけれど、何かを生みだしているのかということを問いかけたいのです。
さて、冒頭の大きな会社へ就職したいために一生懸命になるという話しですが、マクロ的に一般論的にいうと、多くの人がより多くの新しい可能性にチャレンジして、新しい価値を生み、それがビジネスになることが、長期的には社会のためであり、結果的に個人に恩恵がもたらされ、その個人の子供や孫に恩恵が及んでいくんではないかと、ぼくは考えています。
それが特定の大きな会社に優秀な人が集中して、その会社の目標のために努力すると、当面は会社として価値を生むので、社会的にも個人的にもプラスですが、長期的にイノベーティブなことができるかというと、わりと疑問です。もちろん組織の体質にもよりますが、大きな組織ほど、一般的にイノベーションを拒む傾向があると思われるからです。
そのため長期的にイノベーティブなビジネスが生まれなくなり、経済は衰退していくのではないか、そして社会も個人も豊かさを失っていくのではないかという仮説を持っています。
ちょっと違う話になりますが、戦後は多くの夫婦が、5人とか7人とか子供を産んでいました。これは子供に与える教育の水準をを今ほど高く設定していなかったからできたことだと思います。それにみんな今ほど豊かでなくて、それが当たり前だったから、貧しくても子供を産むことに躊躇しなかったんだと思います。
結果的に生産年齢人口は増えて、それが経済成長に繋がりました。おそらく多くの子供の中で激しい競争が起きて、新しいビジネスが生まれたことでしょう。社会も豊かになりました。
現在は、子供を生まない夫婦が多く、日本の人口は減少しています。子供ひとりに与える教育水準は高くなりましたが、一方で子供同士の競争は激しくありません。推測ですが、数十年前、大学受験人口が多かった時代の東大入学者の学力レベルと、現在の東大入学者の学力レベルは、現在の方が落ちているのではないでしょうか?
そして、子供が少なくなったために、親世代は年金の心配をしなくてはなりません。
もちろん子供が欲しいのにできない夫婦もいるでしょうから、そういう方には心から同情しますが、当面自分達の生活水準を維持したいがために子供を産まないとか、子供に一定水準以上の教育を与えたいと考えるあまりに子供を産まないという行為は、結果的に社会を衰退させ、自分達の老後の年金の不安を呼び、子供世代にツケを残してしまいます。
さて、だいぶ話しがまわりくどくなりましたが、短期的に損得を考えるのってどうなんだろうって思うわけです。もちろん個人的には安定した高収入が欲しいわけですが…
みんなが同じような行動をしたときに、社会全体ではよい結果でなく、それが回りまわって個人に戻ってくるということは、経済学の初歩で習った気がします。
だから遊んでいる人を見ても「あの人はイノベーティブなことをしているんだ。すごい人だ」ってあたたかい目で見てください。
強引な終わり方…
いい加減のいい加減さ
海辺に住んで、海遊びをしていると、マイペースでアバウトな人が結構います。いい意味で大らか、冒険的、挑戦的、瑣事にこだわらない人達です。
ぼくもどちらかというと、そっち寄りの人間だと思います。
そういうタイプの人達は、より楽しい海遊びができるかとか命に関わるかということには、とても敏感で、創造力豊かで、慎重です。でも、それに関係ないことには、まったく頓着しないという面もあります。
一方で、どうでもいいことにすごく細かい人もいたりします。わりと仕事がらみで多いですね。こだわりともちょっと違う感じです。
そういうタイプの人を見ていると、いい加減さって大事だなと思います。
何でも完璧にやって失敗しないようにという考え方は、新しい事へ挑戦する機会を奪ってしまいます。
組織の上層部の人が、少しくらい失敗したっていいからガンガン行くぞっていうところと、リスクをできる限り減らして守り重視で行くぞっていうところでは、自ずとその後の成長余力は変わってきます。
で、これはマネジメントサイドの話でして、もう少しミクロなところに視点を移すと、実際の仕事の現場では、10人に1人くらいは、自分の仕事を進めるよりは、他人のミスの批判をすることに熱心な人がいるものです。
こういう人がいると、そのチームはやっぱりミスを意識してしまい、全体の勢いがなくなってしまいます。
ぼくはこういう傾向のことを「重箱病」と呼んでいます。重箱の隅をつついてばかりいるから、そう名付けました。
話がずれますが、最近マスコミがやたらやるのが、内閣の政治家のちょっとしたミスや不祥事をことさらに騒ぎ立てて、野党もそこに加わって、問責決議を出す、辞任に追い込む、みたいなパターンです。
これも構造としては同じだと思います。
些末なミスに目くじらを立てて、もっと大事なこと、将来のことに意識が向かわず、チャレンジする意欲を削ぐ結果になっています。
マスコミは政治に対するチェック機能を持つべきだと思いますが、それはもっと大きなことに対して向けられるべきで、大臣のちょっとした失言を取り上げて辞任に追い込むことではないはずです。
ぼくの勝手な想像ですが、今の日本が元気がないのは、こうした「重箱病」が社会のいたるところにあるからではないでしょうか?
そこから脱するには、いい加減のいい加減さを許容することだと思います。
日本のような成熟した社会においては、現在顕在化している問題点に対して、何の非もない完璧な解決策がある可能生は低いでしょう。もしそんな案があれば、おそらくすでに実施されていたはずです。
それに人々の価値観が多様化しているので、ある人々には良い解決策でも、ある人々には好ましくないということもありえるでしょう。
一長一短がある解決策から何かを選択しないと、現状の問題点は解決できません。
そこではある程度の欠点は許容して、新しい解決策を試してみるという姿勢が大切だと考えます。
ちょっといい加減になることです。いい加減のいい加減さを大切にするといいんではないでしょうか。
人混みや列に並ぶのがちょっと…
歳をとったせいか、渋谷とか新宿とかの人混みが苦手です。そして列に並ぶのも苦手です。
幸い列に並ばなきゃいけない暮らしをしていないので、めったにありませんが…
ただ東日本大震災の際に、一時、スーパーで買いだめ騒ぎになったことがありました。確か数週間で収まったんですが、物資がなくなるというので、食料品を買いだめするためにスーパーに人が殺到するということが、ぼくの住んでいる田舎あたりでも起きました。
このときはいろいろなスーパーを巡り、その都度何時間も駐車場待ちやレジ待ちの列に並びました。
すごくイヤでしたが、とりあえず食べるものを確保しなきゃいけないんで、我慢しました。
そんなことは住み始めてから初めてでしたが…
よくテレビで、名所がオープンしたときとか、デパートの物産展とか、福袋販売とかで前日から並んでいるみたいなニュースが流れますが、あの映像を見るだけでアタマがクラクラしてきます。
すごいですね。ぼくにはとてもできません。
たまに行く沖縄の離島や伊豆七島。雑貨屋のような店が島に1・2軒だけということがよくあります。そんな店ではあまりにもお客がいなさすぎて、店番のオバアさえ奥にひっこんでたりして、大声で呼ばなきゃならないということもままあります。
どうしても店の人が出てこないときには、必要なものを棚から取って、代金をレジに置いていくということもあります。
そんなノンビリした雰囲気を体験してしまうと、街中の買い物の行列というのは耐えがたいものがあります。
甲田式健康法を試しています
オジサンとしては体重の増加と筋力の低下は気になることです。
海遊びをするうえでは、体重が増えると、身体が重くなって、俊敏な動きがしにくくなります。たとえばサーフィンだと、単純にこれまで軽々と乗れていたショートボードなのに、テイクオフがなかなかできなくなってきます。
そんなわけで、体重を昔みたいにしたいなあーと常々思っていました。
それから歳をとってから花粉やモロモロのアレルギーがでてきました。体質の変化なのかわかりませんけど、とにかく、それまでなんともなかった身体がいうことをきかなくなってきたんですね。
そんなあるとき甲田式健康法というのを教えてもらいました。
まあいろいろルールがあるんですが、断食をするのもそのひとつです。
いろいろ実践している人がいて、元々の甲田式健康法を少しマイルドなものにしたやり方をしている人もいます。
ぼくは正統派甲田式で指定されている断食はちょっときついので、その亜流のマイルドバージョンをやっています。
そのひとつがプチ断食。
それは休日の朝と昼の食事を抜くというもの。
それが本当に身体にいいのかどうかわかりませんが、日頃の暴飲暴食で疲れた内臓が多少はスッキリするような気がします。
内臓が疲れると、腹や背中あたりが重くなります。そんなときプチ断食をすると重さがとれます。
身体が軽くなって、頭が冴える気がします。
たぶん甲田式健康法の主旨も、内臓というのは、絶えず働いているので、少し休ませてあげた方がいい。そして少し飢餓状態にあった方が、人間本来の免疫力がよく働くというところにあると思うので、ぼくの勝手なプチ断食も主旨からは外れていないと思います。
もし興味がおありの方は、『長生きしたければ朝食は抜きなさい』『甲田式健康道 決定版』という本が出ているので、それをご覧ください。
シーカヤックで人のいないビーチや島へ
シーカヤックの楽しみはいろいろありますが、そのひとつに無人の浜や島に行けることがあります。
三浦半島や伊豆半島のように、どこへ行ってもたいてい人がいるようなエリアでも、シーカヤックで入江の先端や離れた島に行けば、ほとんど人に会うことありません。
「人に会わないことがそんなに価値があるのか?」と基本的に疑問に思われる方もおられるでしょう。逆に「心細い」「寂しい」と感じる方もいるでしょう。
こればっかりは好みなのでなんともいえませんが、ぼくの場合、人に会わないとわかっていることで、ずいぶん心持ちが違います。なんというか気持ちの奥の方の緊張感が少ない気がするのです。
この気持ちを初めて味わったのは、沖縄の離島を旅したときです。
その島は無人ではなく、ちゃんと住民の方がいましたが、ぼくがうろついている浜には、ほとんど人気がありませんでした。
荷物を盗られる心配もなく、レンタカーの窓は開けっ放し、キーはさしっぱなし、海からあがって着替えるときも人目を気にしません。ビーサンも履かず、Tシャツも着ないでダラダラしていました。しまいにはパンツも穿くのが面倒くさいなって、フル○○でいたほどです。
そのときの解放感は、なんといったらいいんでしょうか…
いかに普段、無意識に細かなことを気づかっていたか、そのとき自覚しました。そしてその気づかいが、積もり積もって意外に負担であることにも気がつきました。
体験した方は実感として伝わると思うんですが、体験していない方には…そうですね…肩凝りの人が初めてマッサージや鍼灸をしてもらって凝りがすっかりとれた時の感じに近いかもしれません。
凝りがとれてスッキリした感じと、それまでの自分が凝りを当然として受け入れていたことを自覚して愕然とする、その感じです。
だとすると、さらにいえば、もっと多くの、無意識に自分を縛りつけている制約を受け入れて、無自覚に暮らしているのかもしれません。
話しがそれましたが、ぼくにとっては、人に会わないとわかっていることは、精神的にモロモロの制約から解放される楽しい状況なのです。
それが味わいたいがために、シーカヤックでしか行けないようなこぢんまりとした無人の浜に行っては、ノビノビと寛ぐわけですね。
それは肩の凝りをほぐすような、あるいはたまった垢を落とすような、ぼくの中での定期的なメンテナンス時期になっています。
海辺系脱力人間ですが、何か?
突然ですが、みなさん、ちゃんと働いてますか?
いやー、それにしてもなんで働かなきゃいけないんでしょうか?
海に張り出したデッキで、昼間からビールを、かっ喰らっているといつも思います。
たとえば、夏休みで、今年はラッキー! 1週間もまとまって休みがとれたぞー」なんていう幸せな状況があるとしてですね、海でたっぷり遊んだと。
そしてその1週間の休みも終わってしまって、また、明日から田園都市線の満員電車で、仕事に行かなきゃいけないという状況があったとします。
それで、満員電車で痴漢に間違われないかなあとか、ああ仕事で大きなプロジェクトが動き始めて、あと半年はメチャメチャ忙しいぞとか、今度の上司はイヤな奴なんだよな、本当はいうことききたくないけどしょうがねえよなとか、いろいろあると思うんですよね。
そんなときにですね、ああやだなあ。なんで働かなきゃいけないのかな?と思ったことは誰でもあるんじゃないでしょうか?
一方でですねー、この不景気のおり、元気に働けて幸せだなという考え方もあるわけですね。仕事もせずに1日をどう過ごしたらいいんだ?という人も多いと思います。
そういう人は、そういう人でまあよろしいのではないかと…
あとですね、ちゃんとした人、キチンとした人という方が世の中にはいらっしゃるんですね。なんでもキチンとしてないとイヤだという人。こういう人はダラダラしていい加減な人間を見ると許せないらしいんですね。
そういう方はですね、ぼくのようなダラダラした人間を見ても、責めないでいただきたい、放っておいていただきたい。
それからですね、キャリアアップとか、もっと金を稼ぐぞ系の人もいるんですね。こういう人は、とにかくいつも何かを目指していて、今は将来へのステップでしかないという感じなんですね。それで自分の価値軸で人の上下を位置づけようとします。
うーんと逆かな?
そういう人は他人に比べて自分が優れていることを自分の存在理由にしたくて、何かの価値観にすがっているという感じでしょうか?
さて、どうでもいい話が長々と続いてしまいましたが、ぼくの場合は、次の週末遊ぶ計画を立ててそれを楽しみに平日を乗り切るというタイプです。
週末は、Tシャツ、短パン、ビーサンの脱力3点セットで、朝からダイビングです。
昼も水着で海風に吹かれながら、ビーチでうだうだゴロゴロ。
夕方には海に落ちる太陽を眺めながらビーチでビール。その後風呂にたっぷり浸かって、遠くの波の音を聴きながら、またビール。あー極楽です。
力を抜いて、ダラダラと過ごすと、体中の細胞が元気になってくるような気がします。
こういうタイプの人間がいてもいいと思うんですよね。
ぼくが魚釣りをやめたわけ ~あるいは魚食や水産資源について~
ぼくが小学生の頃、ちょっとした釣りブームがありました。小学生の高学年になるとみんな釣りをやるんです。ぼくもよくやりました。
それからはたまーに釣りに行く日々が続きました。
そんな状況が変わったのは、大学生になってスキューバーダイビング始めたときです。
スキューバーダイビングというのはご存知のとおり、魚を見ることがメインの楽しみなわけですが、水中に入って魚を眺めると「魚というのは有限なんだ」ということが一目でわかるんです。
海の中のどこにでも、やたらめったら魚がいるわけではなくて、岩場や藻場などにかたまって数えられるくらいの魚がいるということです。
そしてそれぞれの魚が生き残りのためにいろいろな工夫をしているということも知りました。
もちろんこれは1990年代前半の伊豆の話しでして、海外などの他の場所に行けばもっと魚がいる場所はあったと思います。
ただ、相模湾とか駿河湾の水深30m程度のところではそんな状況でした。
そんな経験をして、ぼくは魚釣りをきっぱりやめました。
とても釣りをする気にはなれませんでした。
それはたとえば、釣りで70cmくらいの石鯛を釣れば、これは大喜びするような釣果なんでしょうが、石鯛が70cmまで育つのって結構たいへんなことなんだということを知ったからです。
海に潜ると、そのサイズの石鯛をそんなに見ることはあまりありません。
つまりその鯛はかなり貴重で、過酷な生存競争を生き残った鯛なんですね。
それを釣り上げて喜んでいるというのはどういうものなのか?と思いました。
それからおよそ20年くらい経ち、海の中の魚の数は間違いなく減っています。
ぼくはよく伊豆で潜るのですが、昔はけっこう魚がいたポイントであっても、今はかなり少なくなっています。いたとしても型が小さくなっています。
原因はいろいろな説があって、水質汚染だとか、海の環境が荒れているとか(これはダイバーのせい?)、森や川が劣化していて海に養分が注ぎ込まないからだとか、乱獲だとかです。
その中でも最も有力な説が乱獲です。
これは伊豆や日本の海に限ったことではなくて世界的な問題になっているようです。人間が増えすぎて、その食料として魚を獲り過ぎて、魚がいなくなりつつあるということです。
そのためいろいろな団体が、どのような魚を食べるべきで、どのような魚を食べるべきでないかの指針を出しています。
●MSC認証
MSC認証ラベルがついた魚を選ぶと海の環境保全に貢献することができます。
●Seafood WATCH
欧米の情報が中心ですが、どの魚が稀少なのかわかります。iPhoneアプリも出ています。
●おさかなガイドブック
CBD市民ネット 沿岸・海洋作業部会が作成したリーフレットで日本の魚食の現状や問題点がわかりやすくまとめられています。
●魚食スペシャリスト検定
日本人の伝統である魚食と漁業資源のバランスを考える基礎知識を得ることができます。
これらが示しているのは、養殖が可能な魚や比較的数の多い魚を食べるようにして、絶滅危惧のある魚を守ろうということです。
話しは変わりますが、魚の減少は漁業の問題も大きいのです。
日本では水産庁が魚種毎に漁獲量制限を設けています。これをTACといいますが、この制度ではTACの制限値に達したところで捕獲抑制が発動されますが、そうなると漁業に携わる人としては、早いうちにたくさん獲っておこうという動機づけがなされてしまいます。これをオリンピック制度というそうです。
水産庁『我が国における資源管理の現状と課題』
水産庁『TAC制度の現状と課題』
大規模な船で早くたくさん魚を獲ってしまおうという状況が世界的に起きているようです。
また、漁法によっても魚へのダメージが違っていて、たとえばダイナマイト漁、延縄漁、底引き網漁などはダメージが大きいとされています。
おおまかにいえば、増える人口に対して水産資源をどうやって長持ちさせるかが国際的な課題となっているということだと思います。
ぼくは海が好きです。魚を見るのも好きですし、魚を食べるのも好きです。かつては魚釣りも好きでした。
たぶん海や魚に思い入れのある人ほど、これからは海や魚との付合い方を考えなければいけない時代になりつつあると思います。
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