海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
ダラダラ・グズグズ・フニャフニャと過ごしていきたいですう
ぼくは小さい頃から性格がダラダラ・グズグズ・フニャフニャしていると、ご近所でも評判だったそうです。自分でもそう思いますし、成長しても人の性格ってそんなに変わらないものです。
いい歳したオッサンになっても、基本、ダラダラ・グズグズ・フニャフニャなわけです。
そんなぼくでも一応生きていて、税金を納めたり、家族がいたりしているわけで、世の中なんとかなるものというか、頑張った自分にご褒美をあげたいというか、えーっとなんでしたっけ?
それで一応社会人として働いているワケですが、すごくキレッキレのビジネスマンなんかと接すると、ワリとひいちゃいます。
ひくというか、見ていて小っ恥ずかしくなるという方が近いですかねえ。
いや、もう、そういう人って優秀で仕事ができて、日本経済とか引っ張ったり、グローバルに活躍したりしてるんでしょうけど、そんなもん全面に出されたら、フツーひくっつーの。
ぼくはできればダラダラ・グズグズ・フニャフニャと日々を過ごしたいんです。
というわけで、そういうキレッキレのビジネスマンが近くにいると、何か無理な仕事を振られるんじゃないかと警戒して、できれば近寄らないようにして、これまで過ごしてきました。
これからも海に出て遊んだり、ビーチを散歩したり、ビールを飲んだり、カトレアの鉢に水をやったり、アフタヌーンティを楽しんだり、ちょっとアンニュイにため息ついたりして、それから少し仕事をしてもいいかなという感じで、日々乗り切っていきたいですねえ。

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海辺に移住したい人に役に立つかな?と思われる情報提供みたいなこと
海辺の小さな田舎町に引っ越してもう20年くらいたとうとしています。それ以前も海辺の町を転々としていました。その経験を書いてみたいと思います。海辺の町に住みたいと思っている方に参考になるかなあと…
以前に似たような記事を書いたことがあるのでそちらもご参考まで…
海辺に住む際の土地探しでポイントになるのが、海が見える眺めを重視した立地を選ぶか、海に行きやすい立地を選ぶかということです。この2つを満たす土地もあり得ます。
詳しく説明しますと、たとえばセイリングやシーカヤックやウインドサーフィンといったウォータースポーツをする方の場合、海が自分のやりたいウォータースポーツに適しているか、海まで近いか、階段などの段差なしで海まで行けるルートがあるか、砂浜などの海へ入りやすい場所があるかがとても大切です。なのでウォータースポーツのやりやすさを重視する方は、このあたりにとてもこだわります。そうした場合、たいてい海の眺めは優先順位が下がるので、往々にして自宅からの眺めはたいしたことないことが多いんです。
一方、ウォータースポーツをしなくて、たまに砂浜を散歩するというような方の場合、海がいかに美しく見えるかにこだわります。住宅雑誌によく出てくるような、リビングの大きなガラス越しに全面ガラス張りで、その向こうに海ということにこだわるわけです。そうした方の場合、海の眺め、灯台があるかどうか、富士山や大島や江ノ島といったアクセントになる風景があるか、窓からの海の眺めに電線や道路が入らないか、リビングからもダイニングからも寝室からも浴室からも海が見えるかといったことにこだわります。
この2点は両立もできますが、どちらかへのこだわりが強ければ強いほど両立しづらくなります。どちらを選ぶかはとても大切です。
ぼくの経験では、海までの距離が歩いて3分より遠くなると、ボードやシーカヤックを運ぶのが結構しんどいです。
また、海に近すぎると風や潮や砂の影響を受けて、日々の暮らしに影響があるので、できれば防風林などがあった方がいいです。
そして海からの眺めを重視して納得した立地を得ても、日頃の暮らしの中で、いつも海を眺めているかというとそうでもありません。海の眺めが当たり前になってしまって、5年もすれば海なんて見もしなくなるということはよくあります。
海を見ておもしろいとか海を見て飽きない人というのは、潮目がわかるとか、海に出られるか海況が気になるとか、気象や海況に関心が高い人で、そういう人は、たいていウォータースポーツをやるわけで、そうするとそういう人は海の眺めよりは海へのアクセスのよさを選ぶのです。
というわけで眺めだけがウリの立地というのは、意外に住人の移り変わりが激しくて、つまり眺めがよくて引っ越して来たけど、飽きてまた引っ越して行ったということが繰り返されているのです。もう少しいうと、そんなに海が好きでもなくて、たまのドライブで海に来て「ああー海。やっぱりいいね」なんていいつつ、なんとなく海の眺めがいいところでの生活に憧れていた程度の人が、眺めがいいだけの立地を選ぶ傾向があるわけです。
このあたり少し悪意のあるような表現になっているかもしれませんが、悪意はありません。ぼくの近所でもそうやって短い期間で引っ越して行く人を結構見てきたので、結構そういう人っているんだなー、割りと深く考えないで行動する層もいるんだなーということを感じたのです。
ぼくの海関係の知り合いはほとんど海好きで、海遊びがライフワークになっているような人とか海のある部分にこだわりがある人ばかりなので、そういうぼくらから見れば、海の眺めが好き=移住ってよくわからないのです。旅行とか別荘でいいんじゃないかと思えるわけです。
海辺の暮らしとペンキとわたし
海辺の暮らしをしていて感じるのは、ぼくはやたらとペンキを塗るようになったなーということです。
なぜかなーと考えてみたんですが、やっぱり海辺の家は木造がいいし、木造だとどうしても木材を長持ちさせるために、ペンキ塗りが必要だし、海辺だからこそ、夏のギラギラした陽射し、潮風、台風などにさらされてペンキの持ちが悪いからだと思い当たりました。
なんとなくそれが頭にあったせいでしょうか、そういえば周りの人もペンキを塗っている人が多いのですね。気候の穏やかな晴れが続く季節は、そこここでペンキを塗っている姿を目にします。
海バカ・海道楽を続けていきたい
人からもいわれ、自分でもつくづく思いますが、自分は海バカだな、道楽者だなと感じる今日この頃です。
物心つく頃から海が好きで、中学くらいには独りで電車に乗って、海に遊びに行っていました。音楽も好きでしたが、海っぽい音楽をなんとなくいつも探しているようなところがありました。NHKの番組で海中の映像を見て、スキューバーダイビングというものの存在を知り、いつかやってみたい、自分で海中を動き回って魚を観察したいと思いました。
大学生になってからは、レンタルボード・レンタルウェットスーツでサーフィンを始め、そして念願のスキューバーダイビングの講習を受けたのです。そしてセイリングをやっている同級生からクルーを探しているといわれ、セイリングを始めたのも大学生の頃でした。
社会人となり独身のうちは、仕事が休みの時はたいてい前日夜から海に遊びに行き、月曜の朝、海からそのまま出勤するということ何年も続けていました。給料の多くを海遊びに消費し、貯金はほとんどありませんでした。でも、お金よりもやりたいことを優先するという自分の直感的な信念は今でも正しかったと思っています。
結婚してからも海遊びの頻度は減りましたが、それでも月の休みの半分以上は海にいたと思います。
子供が生まれてからはさすがに、子育てを優先していました。ただそれも子供の手が離れてしまってからは、昔のように休みの多くを海遊びして過ごしています。
これを道楽といわずしてなんといいましょうか。道楽というと日本人としてはマイナスなイメージを感じますので、自分としては、レトリックを駆使して、道楽といわずにライフワークというようにしています。
何といおうと、何といわれようと、好きなことはなかなかやめられるものではありません。そしてもうだいぶ歳をとってきましたので、たぶんこのまま海バカを続けていくのだと思います。
波と風は日々違い、同じコンディションはありません。そんな違いを楽しみながらウォータースポーツをしていきたいのです。世界にも日本にも行きたい海、潜りたい海は無数にあり、死ぬまでに全部行きたいものだなあと漠然と考えています。

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桃源郷と竜宮城への憧れ
桃源郷の物語を知ったのはたぶん小学生の頃でした。
頭の中に浮かんだその風景にぼくはすごく惹かれたのです。
隠れ里で、食べるものに困らずみんなが幸せに暮らしている楽園を想像すると、なんだかワクワクしてきました。
当然ながら、それ以前に浦島太郎の昔話は知っていたわけですが、浦島太郎の物語はハッピーエンドではないので、その当時のぼくにとってはあまりいい印象でなく、桃源郷の物語と結びつかなかったのです。
でも、今なら、竜宮城だってすごくいいんじゃないか、綺麗な乙姫様がいて、おいしい酒と食べ物があれば、それで年月が経っても別にいいじゃん、ハッピーじゃん、贅沢いうなよ、と思えるわけです。
なので、いい歳してもぼくの中では桃源郷と竜宮城は憧れの地なのでした。ウォータースポーツをしているときに、亀が来ないかなあ、竜宮城に連れて行ってくれないかなあ、なんて思うわけです。ホイチョイプロの方に「わたしを竜宮城につれてって」という映画を作って欲しいと思います。
空想の楽園に憧れる気持ちは誰しもあると思いますが、ぼくの場合はその憧れが海好きという嗜好になって、今も続いている気がします。
キーワードは…
知る人のみが辿り着ける
人里離れて隠れている
みんないい人、いい人しか住めない
みんながハッピー
衣食住に困らない
ということです。
海辺の田舎暮らしのよさは、おそらく旅行者ではわからないのでしょう
旅行ではわからないこと、海辺に移住して、田舎の海辺で暮らしてみて初めてわかること、というのがあります。それはそうです。短期間ではわからないこと。旅行者では体験できないことというのがあります。
自分が旅行しているときにも、旅先でうすうす感じているわけですが、地元の生活者と旅行者というのは見えない壁で画されています。それはどうしようもありません。地元の人はその土地のその共同体の一員であり、いろいろな責任やしがらみの中で生きているわけですから。旅行者は来訪者であり、よそ者であり、お金を落としてくれる人であり、責任を負わない人であり、いつかいなくなる人です。
両者がまったく同じということはないでしょう。
海辺に暮らしてみて初めてわかることには、いいことと悪いことがあります。それをまとめてみたいと思います。
●いいこと
・気が向いたときにすぐに海に行ける(たとえば金曜日の夜に飲み会があって遅く帰ってきた次の土曜日に昼まで寝ていたりしても、起きてから海に行ける)
・波の音が聞こえる
・潮の匂いがする
・住民がのんびりしている
・買い物や移動は車である
・行政サービスや郵便局やバスや電車や道路(夏は除く)などが混雑していない
・建て込んでいない(空いている空間が多い)ので、町が抜けていたり、空が広い感じがする
・自然が豊か(森が多い、鳥やリスやタヌキなどの生き物が多い)である
・気候が穏やか(夏は暑すぎず、冬は寒すぎない)である
・静か
・地物の魚や野菜が新鮮で安く手に入る
・ウォータースポーツをする仲間ができる
・町内会とか祭りとかの地域の催しが楽しい
・近所の人と親しく付き合える、近所の人の人となりがだいたいわかっている
・海を眺められる
・海を眺めながらビールが飲める(車を運転して帰る必要がない)
・ビーチで過ごせる
・ビーチを散歩できる
・自然の移り変わりを味わい、楽しむことができる
・治安がいいので、家の鍵とか車のロックとかしなくてもいい
●悪いこと
・物が錆びる
・夏は道路が混雑する
・ムカデやモグラやヘビやハチなどの害虫が多い
・潮風が強いときは洗濯物が塩っぽくなる
・大きな病院が遠い
・たとえば進学校みたいな学校が遠いか、ない
・デパートとかアウトレットとか専門店のような東京にあるような店がない
・町内会のような地域の役割があって、忙しいときはちょっと負担
どんな土地でもいいところと悪いところがあると思います。
ぼくはもともと海が好きで、そしてウォータースポーツをやっていました。だから他の人よりは、海辺の田舎暮らしに価値観が寄っていると思います。
加えて、家族ができて、子供を都会で育てるのはちょっとイヤだな、伸び伸び大らかに育てたいなと思うようになりました。
しかも、30代半ばあたりから、街ではなく、自然の豊かなところでノンビリ暮らしたいという気持ちがとても強くなりました。
そんな価値観の人間は遅かれ早かれ海辺の田舎にたどり着いていたんだろうな、と今では、自分のことを思うことができるのです。
ぼくは海辺の田舎に移住して、そろそろ十数年になろうとしています。今ではすっかり馴染んでしまって、日々の暮らしが、海などの自然と共に、そしてそれらの四季の移り変わりと共に、成り立っています。
思えば都会から移住した人で、本当に海辺の田舎暮らしが適していない人は、早くて1年、そしてだいたい2年くらいすると、また都会に戻ってしまいました。残る人は、先述のいいことのいずれかが、自分にとって優先度の高い価値であるようです。
そういう事例を参考にするならば、海辺の田舎暮らしに興味がある方は、ためしに賃貸物件でも借りて、1年とか2年くらいの想定で、試し移住してみるのもいいのではないかなあと思ったりします。
人生は一度きりですし、どんな人生を送るかはひとつしか選べません。ただ、どんな人生を選ぶかは、原則として自由であるはずです。そこでやりたいことをやって生きるか、なんらかの事情やしがらみを踏まえて生きるか、そこは人それぞれなんでしょう。

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離島にみる共同体の在り方
ぼくは離島が好きで、これまで国内外のいろいろな島に行ってきました。
特に人口が少なくて、便利のいいターミナル的なところから遠い(不便な)、小さな島が好きです。便利のいいターミナル的なところから遠いというのは、たとえば横須賀の猿島とか熱海の初島とか伊豆大島とかは当てはまらないわけです。石垣島も宮古島も当てはまりません。
そういう人口が少なくて、不便な、小さな離島が好きなのは、外との隔絶感があって、安心感があって、島の人達が優しいからです。
それで今回はなぜ島の人が優しいのかなあって、日頃考えていることを書いてみます。ぼくが勝手に考えていることで、特に根拠とかないので、さらーっと読み流してくだされば幸甚でございます。益々のご健勝とご多幸をお祈りしております。いえいえそんなめっそうもございません。
離島の人と対比したいのが、たとえば東京の渋谷とか池袋にいる人です。渋谷を歩いていると緊張感があります(ぼくだけっすか?)。基本的に誰がどんな人だか関心がありません。今すれ違った人がどんな人だか記憶にありません。人は速く歩き、前の人を追い越そうとしています。あるいは、明らかに裕福であることがわかる服や車などで、他の人より自分がすごいということを誇示しようとする人もいます。
一方で人口が500人程度の小笠原諸島の母島を例として見てみましょう。500人の島民は誰がどんな人なのか把握しています。どんな年齢・家族構成・仕事・好き嫌い・性格なんかもだいたい把握しています。だから○○さんをこの2日見なくて心配だから様子を見に行こうなんて感じになります。それから観光客も来ますが、船でしか来ないし、どんな人が来たかだいたい把握しているものです。
ここで両者の違いは、人数と匿名性です。
前から感じてたんだけどさー、人って数が多いものは雑に扱って、数が少ないものは大切にするとこってなくない?人も同じで、人が大勢いると、うっとおしいなあって感じてしまって、何日も人に会わない場所で、久しぶりに一人の人と会ったら、やっぱり少し話がしたくなったり、同士とか仲間みたいな気持ちが湧き上がると思うんだよねー。
というわけで都会で人が多いところだと、人は人を大切にしない傾向があるかもしれないです。逆に島ではみんなで助け合おうとする傾向があるかもしれません。
あとね、思うんだけど、これはよくいわれていることだけど、自分だとわかるような状態だと人ってちゃんとしようとするよね。ぼくもそうだけど、人が見てるとゴミを捨てたり、ツバを吐いたりしないもんね。でも、渋谷の街中で、自分が誰だかわからない状態だと、ちょっと羽目を外すようなことを少しやっちゃったりして、神様・お父様・お母様ごめんなさいということを心では思いながら、ついやってしまうことってありますね。
さすがに母島だと誰かが見ているよいうな気がしてあんまりヘンなことしないから、で、みんながちゃんとしようとするから、島全体の秩序は保たれているというわけではないでしょうか?
というわけで、匿名な状態だと秩序は乱れ、誰が何をやっているかわかる状態だと、秩序は維持されやすいということがいえるかもしれません。
そしてこの文脈の延長上に匿名性がない、人口の少ない共同体が助け合うために町内会があり、青年団があり、職業組合があり、祭りがあったりするのでしょう。
離島が安心感があって、島の人が優しくて、トータルで暮らしやすかったり、居心地が良かったりするのは、そういう共同体の在り方が関係しているんじゃないかなあと、ぼくは以前から考えていたのでした。
ここから今回は話が一般的な方向に展開していくのですが、すべからく人の共同体というのは少人数で構成した方が、居心地がいいし、その単位を維持するコストが少なくて済むんではないかというのがぼくの考えです。隣組の発想に近くてイヤな感じをもたれる方もいらっしゃるかもしれませんが、独居老人の孤独死とか若者の引きこもりなんていうのは、おそらく都市化した共同体に見られる現象ではないでしょうか?
過度の共同体による個人の束縛はイヤなものですが、適度だったらいいのではないかというのがぼくの現時点での思いです。
といいつつ今度はぼく個人のリアルな体験に話が戻るんですが、そういえばぼくは思春期の頃は、町内会の集まりとか祭りとかが好きでない時期がありました。正確にいうと子供の頃はそういう集まりが楽しい時期があって、思春期の頃はそういう集まりがうっとおしくて、オジサンになるとまたそういう集まりが楽しくなってきたのです。
それはおそらく思春期の頃が、いろいろと多感で不安定であるのと、構成員の立派な一員となるべく共同体からいろいろと目に見えない圧力を受けるのがイヤだったんじゃないかと思います。そしてオジサンになると、今度は自分が社会を維持する責任を担わなければならないので、そういう共同体を好ましく思うようになったのではないかと、自分で自分の気持ちの変化を分析してみたりするのでした。
すごく大まかにいって、若者が都会や都会的な暮らしに憧れ、ある程度歳をとると田舎暮らしをしてみたくなる人が増えるのも、そういった成長によって、自分が社会に果たす役割とか地位などと関係しているのかもしれません。
話がだいぶ右往左往してますが、離島というのは、そうした共同体の在り方がすごく先鋭的に現れるような気がするんです。
離島を旅していると、その共同体を維持する選択肢はいろいろあることを見ることができます。まず、他の地域からの移住者を積極的に受け入れる島(仮にAタイプとしましょう)と、他の地域からの移住者を受け入れない島(Bタイプ)があります。
Aタイプの中に、移住者を積極的に受け入れて都市的な匿名性社会になっていく島(仮に1タイプとしましょう)があり、一方で、移住者を積極的に受け入れつつ共同体の儀礼を厳格に課す島(2タイプ)もあります。
Bタイプの島はその選択の結果として、若い世代がその島に定着し、子孫を増やさないと、島の人口が減ってやがて無人島になってしまうところもあります。日本全体に少子高齢化している昨今では、移住者の受け入れをしない島は、人口減少に直面し、限界集落となっていくパターンが多いのです。ただ、想像するにBタイプの島で暮らすと、島の人口が増える方向にいくにしろ、限界集落の方向にいくにしろ、その共同体を維持するための責任や束縛がすごく重そうで、ちょっと暮らしにくいかもしれないなあなんて思ったりします。
これも想像ですが、人口が極端に少なくなると、共同体を維持するために一人が担わなければならない役割や仕事が多くなるので、快適な人口構成の下限というのはありそうです。ぼくが訪れた島の様子からいって、ざっくりいって3000人程度が下限ではないかなあと思います。そして匿名性が生じてしまうのは、たぶん10000人程度からではないでしょうか。
なので、ぼくが島に移住するのであれば、Aの1タイプで、人口が3000人に近い島を選ぶか、Aの2タイプで10000人に近い島を選ぶことでしょう。ぼくの好みとしては前者を選びたい気がします。
おお、長々といろいろ書いてきましたが、一応結論らしいものが出て、よかったよかった。ではではみなさんまた来週。
海辺の日常生活~買い物編~
海辺に暮らし、海辺を旅していて見聞きしたことをまとめてみようかなと、なんとなく考えている今日この頃です。
ぼくが海辺に暮らしているからかもしれませんが、旅して気になるのは、その土地の人が日常生活を送るうえで大切な、買い物とか医者とか学校のことです。
たとえば八丈島とか三宅島とか行くと、スーパーというか雑貨屋さんは島に数軒、学校も2~3校、医者も一応あるけれど、複雑な病気になったら東京に行くという感じです。沖縄の離島の場合、もっと店が少なかったり、複雑な病気になったら沖縄本島に行くという暮らしです。本島や石垣島や宮古島の中心地に住んでいれば、生活はほとんど日本の町で暮らすのと変わらないくらい便利だと思います。
ぼくは地方の日常生活のある面での不便さを当たり前、どちらかというと自然の豊かさの裏返しだと思っていますが、ずっと都会で暮らしてきた人は、その状況を不便と感じるようです。
ちなみにぼくは三浦半島の西岸の田舎町に住んでいますが、日常生活に不自由はありません。
スーパーやドラッグストアやコンビニには車で行きます。歩いて行けなくはないですが、帰りに荷物を持って来るのはキツいかなという感じ。もちろん自転車でも行けます。まあ、だいたいみんな車で行動することが多いです。
多くの店の値段や品揃えを比べて選ぶというワケにはいきませんが、一通りのものが手に入ります。それに今は生鮮品でなければ、通販で買えるので、まあ何かに困るということはありません。通販でまかなえない肉野菜類は、生協や大地の会みたいな宅配を使えば週に1回届けてくれます。こういう宅配は余程田舎に行かなければ、たいていのところまで届けてくれるので、そういう点では、ぼくの今の暮らしは、どこに引っ越しても変わらないんじゃないかと思います。
学校は歩いて20分とか30分とかかかる子が多いです。遠い家の子は、車で送り迎えしてもらってます。
医者は個人病院が内科、外科、小児科など一通りあります。大きな病院は車で何十分かかけて、鎌倉とか横須賀に行きます。もっと複雑な病気になると電車で横浜まで行く人がいます。
だいたいそんな感じで日々は回っています。
今の暮らしで不自由はないというのはウソではないんですが、100%正直に不自由でないかというとそうではなくて、ごめんない。正確にいうとひとつだけ不便だと感じることがあります。それは最寄りのホームセンターまで車で30分くらいかかることです。
田舎の暮らしというのは、庭の手入れや、害虫予防や、畑仕事(うちは家庭菜園をやっています)や、家の修理みたいなことがあって、割りとホームセンターが必要です。ネット通販でも手に入りますが、どうしても現物を見てからじゃないと買えないこともあります。なのでホームセンターに行く時は、用事を全部書き出して、二度手間三度手間にならないように注意します。野菜や花の肥料や土、家を補修するための接着剤とか塗料とかシーリング材とかネジなどは、1年分くらいまとめ買いします。
以前、浄化槽のブロア(浄化槽には空気を入れるための電動ポンプが必要なんです。ちなみに田舎はたいて浄化槽だと思います。でも今の浄化槽は改良されていて、ニオイはないし、排水も町の下水道並みかそれよりもキレイだといわれています)が壊れてしまって、分解してみたら、部品を交換すれば直りそうだったので、その部品を買うためにホームセンターに行ったことがありました。部品は数百円で、無事交換終了、ブロアは復活しましたが、数百円の部品のために往復1時間移動するというようなことがありました。まあそんなことは何年かに1度のことですが、そんな類のことがちょくちょく起きたりはします。
だいたい海辺の日常生活はそんな感じなのです。
田舎だから不便だとか、そういうことを気にする方はその時点で、田舎に引っ越さない方がいいのではないかなーと思います。田舎暮らしは、都会的な便利さはなくても、豊かな自然、ノンビリした暮らし、大らかで広々とした土地の使い方、その地域の人との交流があって、それは何ものにも代えがたいものだからです。
それにだいたいどんな田舎に行っても何千人規模の住人がいれば、基本的な社会インフラは整っているわけで、それで暮らしている人がいるんだから自分が暮らせないわけはないのだと、ぼくは考えるようにしています。

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海辺の日常生活~季節の境目編~
都会に住む知り合いによく訊かれることがあります。
それは「観光地だから混雑してたいへんでしょう?」ということ。
そういう問いに対しては、その場で適当な答え方をしていますが、そのあたりの実際を、自分の記憶の整理も兼ねて振り返ってまとめてみたいと思うのです。
夏の間は確かに他の季節よりも混雑するような気がします。それはたとえば冬などに比べれば、ビーチは人がいなかったりまばらなんですが、それに比べれば混雑しています。よくよく思い出してみると、ああ人がいるなあと感じるのは5月のゴールデンウィークあたりからでしょうか。でも、遠くの方でバーベキューしていたり、ウォータースポーツをする人がいたりです。
「混雑している!すごい!」と感じるのは、で、海水浴場がオープンする7月上旬以降の学校が夏休みに入ってから…しかもピークはお盆の1週間くらいです。
ざっくりまとめると「8月が混雑。お盆はかなり混雑。」です。
海辺の町も、まあだいたいビーチの混雑に比例して、混みます。なので道が混雑するのはお盆の1週間くらい。9月になると土日でも夜の町は閑散として寂しいくらいです。こんなに人がいなくてお店は経営が成り立つのかと心配になったりします。
これは自分が観光地に行っても感じることですが、8月が終わると結構空いているんですよね。で、またシルバーウィークとか紅葉の時期に混むと…まあだいたいそんなのが世間多くの人の動きな気がします。
ぼくは物心ついた頃から人混みが苦手なので、当然ながら空いているビーチが好きです。不思議ですね。ウォータースポーツをする友人の中には混雑しているのはイヤだけど、あんまり寂しいのもイヤという人がいるんですが、ぼくは誰もいなくても平気。というか自分独りの方が好きです。広ーいビーチに自分独りだと「これぞプライベートビーチだ」と嬉しくなります。
そんなぼくですから、ビーチは秋から春が好きです。夏は季節としては好きですが、混雑したビーチは苦手なので、なかなか切ないところです。夏の真っ只中は、わざと早朝海に出たり、人がいない海に遠征したり、シーカヤックで誰も来ない入江にエスケープします。夏のお盆と8月はエスケープ強化期間に指定しています、個人的に…
流行にのらない海遊び
ぼくは学生時代をバブルとバブル崩壊で過ごしました。
その頃、大学生であるぼくの周りの友人は、独り暮らしだけど車を持っていたり、株式投資をしていたりしました。大人も大人で、多くの人が、株式投資をしたり、投資用ワンルームマンション買ったりしていました。そこまでいかなくても、多くの人が疑問も持たず、1着数万とか数十万位する服を買って、ワンシーズンしか着ないみたいなことをやっていました。ユニクロのような服(当時はまだユニクロは普及していませんでしたけど…)を着ていると、周囲の人にバカにされました。
機能を満たしたリーズナブルな服が普通に着られるようになった今は、昔に比べれば暮らしやすい気がします。特にぼくなどのような無頓着でお金がない人には、デフレの世の中は暮らしやすいです。いやーめでたしめでたし。
あれっ?何を書こうとしてたんだっけ?
機能を満たしたリーズナブルな服が普通に着られるようになった今は、昔に比べれば暮らしやすい気がします。特にぼくなどのような無頓着でお金がない人には、デフレの世の中は暮らしやすいです。いやーめでたしめでたし。
あれっ?何を書こうとしてたんだっけ?
こうした現象は経済を成り立たせるという面では、別に悪いことではなくて、むしろたくさんお金を使うことで経済が活性化するという面では良いことともいえます。その後ロスト・ディケイドを経験した今では、経済学的には、お金を使えば使うほど活性化するというのは、理論的に正しいようだなと思えます。
ただ、人の暮らし方という面で考えると、無理があったり、ともすると気持ちが荒んでしまうという面もあったと思います。
そんな時世の影響か、サーフィンを趣味としていた大学生であるぼくの周りにもバブルの影響がありました。お金がかかる遊びがいいこととされ、船をチャーターしての海上パーティーとか、豪華客船でのクルーズというのが流行っていました。お金がかかる遊びに人が集中するという面では、サーフィンは見向きもされず、ウインドサーフィンとかクルージングとかスキューバーダイビングに人が集まっていました。
そのためスキューバーダイビングの講習費は跳ね上がって、ポピュラーな講習先である大島とか八丈島は宿や飛行機が予約できないという状況が起きていたのです。いずれCカードを取りたいと思っていたぼくとしては、バイトで貯めたお金では到底足りず、諦めかけていたのです。でもその後、バブルがはじけて、スキューバーダイビングの講習費は値下がりし、ぼくはスキューバーダイビングを始めることができたのです。いやーめでたしめでたし。
ぼくは、高校から大学という、人として、もう少し踏み込んでいうと男として、多感で成長する時期に、そうした世の中の動きを見て過ごしたのです。
そこから得た教訓を少し挙げますと…
お金は大切だけど、それは手段に過ぎない
経済に振りまわされてはいけない
流行っていることをやるとロクなことがない
時代は変わる 世の中は変わる 正しい基準も微妙に変わる
ということです。他にもいろいろなことを学びましたが、経済と自分の距離感に関係することとしては、だいたいそんなことを学んじゃいました。できればバブルの恩恵を受けて浮かれてから学びたかったのですが、ぼくはバブルブレーク世代なのです。
先ほども書きましたが青年期の影響というのはその後の人生に大きな影響を与えるものかもしれません。
その後ぼくは、多くの人がやろうとしていること、やっていること、つまり流行っていることを努めてやらないようになりました。妻いわく「少し意固地なんじゃない?」というくらいに…「普通は流行っているみたいだからちょっとやってみようかなって思うでしょ」…「それが違うんだよね」…「みんながやっているとやりやすくなったり、みんなと話が合ったりするじゃない」…「人と話を合わすためにやるわけじゃない」…以下いつものやりとりが繰り返される…、という感じで、バブルの影響は夫婦関係にも微妙な影響を及ぼしたりして、えらい迷惑なのでした。
なぜ流行っているのをやらないのかというと、理由がふたつあって、ひとつは勘違いした人が入ってくるのでその場が荒れるということと、サービスが下がって価格が上がるからです。
以下はぼくの想像ですが、おそらくメカニズムとしてはこういうことが起きたんではないかと思うのです。たとえば屋久島とか小笠原諸島が自然遺産に登録されて、観光客が増えたときがありました。そのときその2つの島の自然の貴重さを理解して訪れる人の割合は、おそらくそれまでよりも下がったと思うんです。自然遺産に登録されたからという理由で観光に来る人が増えたわけです。それによって現地の自然ガイドの人はわからない人に貴重な種のことについて話したりするわけですが、そこがちゃんと伝わらなくて虚しい思いをしたんじゃないかと思うのです。あるいは本来入っちゃいけないところに入っていったり、自然を粗雑に扱ったりして、自然を壊したりしたこともあったと思うのです。ざっくりいうと猫に小判、豚に真珠で、価値がわからない人に、貴重な自然を見せても無駄というわけです。
ガイドの人だって価値を本当に理解してくれる人に説明した方がやりがいがあるんじゃないかなーと思うのです。
それからやはりガイドひとりが受け持てる観光客の人数は上限があって、いくら頑張っても何百人も増やせないでしょう。そこに何千人単位で観光客が増えれば、予約は取りづらくなるでしょうし、価格も上がると思うのです。これもざっくりいうと、自然を対象にするようなサービスなんかでは特に、流行で千とか万単位で需要が増えたとき、受け皿はそんなにすぐに増やせないということです。
それからやはりガイドひとりが受け持てる観光客の人数は上限があって、いくら頑張っても何百人も増やせないでしょう。そこに何千人単位で観光客が増えれば、予約は取りづらくなるでしょうし、価格も上がると思うのです。これもざっくりいうと、自然を対象にするようなサービスなんかでは特に、流行で千とか万単位で需要が増えたとき、受け皿はそんなにすぐに増やせないということです。
観光客が増えて地域が経済的に潤うのはいいことですが、それは瞬間的なことでして、長期的にいいかどうかは、よくよく状況を調べてみたほうがいいでしょう。
それにねー、だいたい人というのは、人で混雑するとイライラしたり焦ったりするものです。それに仕事が忙しくなれば、いくら好きな仕事でもやっぱり疲れたりイライラしたりするものです。そういうガイドさんに案内してもらうよりは、ゆとりを持って丁寧に案内してくれるガイドさんに着いた方がいいように思うのです。
そんなわけで、ぼくの流行にのらない方針は、その後存分に発揮され、10年くらい前にサーフィンがまた流行り始めたら、ポイントが混んでうっとおしいのであまりやらなくなりました(すごく波があってポイントが空いているときは出ます)し、シーカヤックが少し流行り始めたら、その間控えていました(その後流行りが過ぎたので今はよくやります)。スキューバーダイビングもセイリングも流行が来ないので、悠々自適に楽しんでいます。
そこには本当に潜りが好きな人や風などの自然を相手に頭を使いながら走るのが好きな人(ばかり?)がいます。そんな仲間と混雑していない環境で遊べるというのは、とても快適で楽しいのでした。

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