海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海を眺めながら考えること
休日は、海を眺めてボーッとしていることが多いんです。
家からも海が見えますから、家で海を眺めながらボーッとしていることもありますし、ビーチや防波堤に座ってボーッとしていることもあります。
特に疲れているときは、海をボーッと眺めています。
ボーッとしながら、いろいろなことを考えます。
最近よく考えるのは、昔、といってもすごく昔、古代くらいの頃、動力機関がないのに、人はよく海を渡ったなあということです。
ぼくは海の冒険本とか、漂流本とか、古代、人がどのように移動していたかなどという本を読むのが好きなんですが、そういう本の内容を思い出しつつ、海を眺めているわけです。
かなり昔にポリネシアやミクロネシアを、人は海上を行き来していたという話しを読んだことがあります。丸木舟と櫂と簡易なセイルで、何千キロもの距離を航海するなんてすごいと思うんです。当然難破したり遭難したりするんでしょうが、それでもまた漕ぎ出す…そうさせていた動機ってなんだったんだろう…なんてことも考えたりします。
もう一つよく考えることがありまして、それは鎌倉時代とか戦国時代のことです。ぼくの家のそばの海からは鎌倉や遠く小田原なども見えるのですが、その時代は武士や町人がこのあたりを徒歩や馬で行き来していたんだなあと想像したりするんです。その時代にも多くの人々が住んでいて、それぞれに喜び悲しんだりしながら生きて、そして死んでいったんだろうなあと想像します。
そうしたことを考えていると、目下の自分の置かれている状況が、各時代の人より恵まれていて、でも人生の喜びや悲しみはあまり変わっていないんじゃないか…と思えます。そう考えることで、ぼくは気持ち的に少しラクになるんです。「まあ、日々いろいろあるけど、なんとかなるよ。昔の人もそうしてたんだから。」と…
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自然の魅力の不思議さ
ぼくは海辺に住んでいます。何度も書いてますけど…
ご近所さんでシーカヤック仲間のHさんが、仕事の都合で大阪に単身赴任しなければならなくなって、1年くらい経ちます。
先日、自宅に帰ってきていたHさんとビーチで会いました。久しぶりに会ったのでいろいろ積もる話を話し込んでしまいました。
Hさんの話しで印象的だったのは、都会で暮らすのはストレスフルでつらい、日々海が近くにある町で暮らせるのは素晴らしいことだ、それに毎週末のように海で遊べることでストレスも解消できる、そんな生活の良さを、都会で暮らさなければならなくなって改めて実感した、というようなことでした。
たぶんぼくは、海がそばにある暮らしが当たり前になっていて、その素晴らしさに鈍感になってしまっているんでしょう。Hさんの話しを聞いて、そう感じました。
海が好きで、長年ウォータースポーツをしている人は、海がある生活が好きなんだと思います。海に出ないと寂しくて、落ち着かなくて、なんだかんだいって海に戻ってくるんです。そんな例をたくさん見てきました。
それほど海という自然は魅力的で、ある種の人達にとってかけがえのない存在なのでしょう。
台風や嵐の時には、あれほど怖く、人の暮らしをメチャクチャにしてしまう海。それなのに一部の人はそんな海が好きで、海に癒されているのです。人にとっての自然の魅力というのは不思議なものです。

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海にいる時間は、生きていくために必要不可欠な時間
休日はできる限り海にいるようにしています。
家の用事、それはたとえば法事とか、家族のイベント参加とか、家のメンテナンスとか、買い物とか、掃除とかそういう雑多なことを終わらせて、残りの時間は、海にいます。
スキューバダイビングやシーカヤックやサーフィンやセイリングといったウォータースポーツをやることもありますし、海辺を散歩したり、サイクリングしたりすることもあります。砂浜や防波堤に座っているだけの時もあります。
雨のときも海にいます。さすがに真冬の雨の日は家にいることもありますが、それでも防寒対策と雨対策をして、海に出ることが多いのです。
雨の日の海というのは、シーンとしていて、人も独りもいなくて、雨音と潮騒が心地よくて、ぼくの大好物です。
海にいると、心が安らぎ、気分転換ができ、大らかな自分になれます。妻にいわれますが、海に行ってきた後は、表情が明るくなっているそうです。そのくらいぼく自身、海にいい影響をうけているのでしょう。
そして海にいると、来し方行く末のいろいろなことを考えます。それも深く考えます。それが習慣になり、海にいると条件反射的に、思考が深まっていきます。何かについて深く考える時間も、ぼくがぼくらしくいるために大切です。
疲れたら、海へ遊びにいらっしゃい…
毎日仕事に追われて疲れていませんか?
職場に失礼な同僚が居てストレスがかかっていませんか?
上司が毎回、無理目な仕事を振ってきてうんざりしていませんか?
毎日毎日、通勤電車でモミクチャにされて、会社に着くまでに疲れていませんか?
そんなときは、海辺に遊びに来てはいかがでしょうか?
海は広く、空は青く、夏が過ぎた砂浜は、混雑していません。心地よい潮風に吹かれていると、日頃の嫌なことも忘れられます。波が打ち寄せる心地よいリズムで、ふと眠気をもよおしたりします。
広々した空間と心地よい自然に数時間も接していると、自分の気持ちがずいぶん変化していることに気づくはずです。
イライラとささくれ立ったココロが、穏やかに丸くなっているでしょう。
海でココロを洗浄する
毎日なんだかんだとやらなければならないことがありますね。心配事や不安もあります。嫌なこともあります。ストレスを感じることもあります。普通に生きているだけなのに、たいへんですよね。
ぼくは海が好きでして、休日はできる限り海に出るようにしています。海に出るというのは、シーカヤックしたり、スキューバダイビングしたり、サーフィンしたりするんですね。
どこまでも広がる海と、どこまでも広がる空を眺めながら、潮の香りがする海風を浴びながら、太陽の光に包まれていると、ホッとします。
ぼくにとって海にいる時間は、本当にホッとできる時間です。
何時間か海にいると、ココロの奥の方に凝り固まった、疲れとかストレスとかわだかまりのような負のものが、ほぐれて解けていくような感じがします。
肩や腰の凝りは、マッサージでほぐれますが、ココロの凝りは、ぼくの場合、海でほぐれるのです。
海にいると、日々の暮らしの由無し事、嫌なこと、悩み事、心配事を忘れることができます。小さなことに悩んでいた自分がバカらしく感じ、大らかな気持ちになって、明るい明日をイメージできるようになります。肩の力が抜けて、呼吸は深く大きくなり、体に余計な力が入っていない感じになります。
よくある言葉を使えばストレス解消とか癒されているということなのでしょう。ただそれを感じているぼく本人としては、ココロを洗浄されているような言葉の方がしっくりきます。
さあ今日も海でココロを洗おうかな…
海に癒されて暮らしてきました
ぼくは海が好きです。
海にいると癒されます。たぶん癒されているんだと思います。心の深いところまで、ほぐれて柔らかくなるような感じです。安らげて、ホッとできます。穏やかな気持ちになります。
これまで生きている中でいろいろありましたが、何かあると海に行って、海を眺めていました。海で過ごすときが、いわゆる癒しの時間というか、ストレス解消の時間というか、心を休める時間になっていたのです。
そんな海好きが昂じて、海辺に引っ越してしまいました。もう20年以上前のことになります。
日頃のストレスを、毎日、海を眺めることで解消できるわけで、ぼくとしては健康に暮らすための当然の選択だったんだろうと思います。
日々、デッキで海を眺めながら、朝はコーヒーを飲み、夜はビールを飲む時間が、そして休日は海に出てウォータースポーツをする時間が、ホッとできる時間です。
自分には海という場があって幸せだなと思います。もし海で安らげることを知らずにいたら、ぼくの人生はだいぶ変わっていたんじゃないかと想像します。ストレスの解消方法をどうしていたんだろうと思うのです。
海での時間は、日々を乗り切るための大切な時間
みなさんいかがお過ごしでしょうか?
ごくごく普通に、一般市民として暮らしていても、仕事でアレやコレやあり、結婚もし、子供をもうけ、育て、親の介護をし、持病のため定期的に通院し、家事のあれやこれやをこなし、友人とは定期的に飲みに行き、冠婚葬祭に出席し、町内会の役割も回ってきたりして、生活するということはなかなかにやることの多いものですね。
やることが多いということは、単にそれをやるための時間が必要というだけではなくて、それをやるために判断する時間が必要ということになります。ただでさえ優柔不断はぼくは、あれはどうしようかな、それはどうしようかな、なんて考えていると、意外に時間がかかります。ましてや判断に迷う微妙な、あるいは重大な問題だと、時間だけではなくて、心理的な負担もかかります。しかも自分が進んでやりたいことではなくて、生きるために仕方なくやらなければならないという後ろ向きの動機です。
生きるということは、雑用をすることなんじゃないかとさえ思ったりします。
そんな日々の中で、唯一ホッとできるのが海遊びの時間です。
スキューバダイビング・シーカヤック・サーフィン・セイリングをするときは、数少ない自分が進んで、好んで行うことでして、これが砂漠の中のオアシス的に、あるいは溺れかけているときの浮き輪的に、日々の暮らしの中で一息つける時間になっています。
おそらく趣味を持つのが大切といわれるのは、いろいろな理由があると思いますが、重要な理由として、日々の暮らしのよしなし事から抜け出して、人間らしく生きる時間を与えてくれるからなのではないかと思うのです。
ヨハン・ホイジンガが書いたように、人間は、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)であって、遊びこそが人間活動の本質であるというのは、自ら進んで行う、人間らしく生きる時間だからかな?ってぼくは解釈したりします。
ビジネスの上では、よく効率的に時間を使うとか、生産性を向上させるということが大切だといわれますが、それを会社でやった場合、効率的になった分、他の仕事が回ってくるわけで、いやいやそれを休みとか自由時間にしろやと、行き場のない不満を抱えています。
せめて日常生活の雑事を効率化して、生み出された時間は遊びの時間にしたいものです。
以前にもこのブログで書いていますが、ぼくの海好きは30年以上にわたるものでして、海での時間がなかったら、ぼくはどこかで破綻していたのではないかとさえ思います。好きという言葉では足りなくて、癒しの場、生きる上でなくてはならないものというのが、ぼくにとっての海の位置づけです。
だからこそ、慌ただしく、時には嫌なことも起きる日常を、なんとかやり過ごすために、海で遊ぶ時間は、なくてはならないないものになっています。先に書いた、砂漠の中のオアシス的に、あるいは溺れかけているときの浮き輪的に、という比喩は大げさな表現ではないのです。
やっぱり海が好き…
何度も書いていますが、やっぱり海が好き…です。
大きく広がった海、青い空、打ち寄せる波、潮の香りのする風…そういった環境に身を置くことで気分がスッキリします。
たぶん海という自然に癒されているんでしょう。
自然の中に身を置くことでリフレッシュしたり癒されたりする人は割りと多いと推測しますが、ぼくはその自然が海なんだと思います。
自然に癒されるとか、自然のパワーとかいうとちょっとオカルトっぽい雰囲気もありますが、ぼくは実感として、海で遊ぶと気分がスッキリしてリフレッシュできているので、それでいいんじゃないかと思うのです。
思い出せば、大学生の頃から、疲れたり気分がモヤモヤしたら、海に行っていました。そのうちサーフィンやスキューバダイビングをするようになって、毎週のように海に出て、気分転換していました。それが習慣になったのか、自分に合っていたのか、海に出ないとなんとなく気持ちが悪いというか、スッキリしないようになりました。悪天候など何かの事情で海に出られないと、ウズウズ、モヤモヤしてしまいます。
海には春夏秋冬、それぞれの季節ならではの良さがあります。季節の移ろいを感じながら海遊びをするのもいいものです。
年に何度か、空気が抜けていて、温度もちょうどよく、潮風も爽やかで、空もスコーンと抜けて、そこにいるだけで気持ちいい日があります。そんな日に出会えると、1週間くらいその気持ちよさを反芻しながらニヤニヤしてしまいます。
なんだか自分で書いていて、海を、ちょっと偏愛しているというか、オタク的というか、危ない感じがしなくもないですが、まあ誰にも迷惑をかけていないようだし、自分がシアワセなんだからそれでいいかなって思います。

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海にいる時間は、ホッとできる時間…
ぼくにとって海にいるときは、日々の暮らしの中で唯一ホッとできる時間です。
日々の暮らしといえば、仕事では、もちろんいろいろあって、家のことでも、細かいことがいろいろあります。将来のことを考えれば、不安なこともありますし、ふとしたときに過去の嫌なことを思い出したりもします。おそらく生きるということは、そうした雑事をこなしながら、日々の暮らしに喜び、悲しみながら過ごすということなのでしょう。
海でウォータースポーツをしているときは、それらのよしなし事から解放されて、自分の時間というか、ちょっと大げさですけど、自分の人生を生きている感覚があります。
どうしてそんな風に感じるのか考えたんですが、一つは、ウォータースポーツをするということは、自分が望んで、選んで、やっていることだからなのでしょう。
もう一つは、海という自然に接すること自体が好きで、好きな場にいるから充実感があるのでしょう。
もう一つは、大学生の頃からサーフィンやスキューバダイビングなどのウォータースポーツをやり続けていて、ウォータースポーツは、楽しかった青春を思い出させるということもあります。
もう一つは、海という自然と接しているときは、実は自分と向き合っていて、自分のことを内省しているからという面もあります。
ビーチにいるだけで幸せな日ーあるいはお金で買えないものについてー
海辺に住んでいると、年に何日かすごく気持ちいい日を経験することがあります。
本当はもっとあると思うんですが、仕事などの用事がない日に遭遇するいい日っつうのは、だいたい一桁台のような気がします。というわけでそういう日は貴重です。
サーフィンの場合などは、すごくいい波にあたる日はもっと貴重だと思うんです。だから本気のサーファーは、好きな時に休みが取れるような仕事を選んだりして、ポイントに近いところに住んでますよね。
その気持ちすごくわかります。
すごくいい波の日に次にいつ巡り会うかわかりませんから…
いい波の日の価値というのは、職業選択の重要なポイントっつうことですね。
で、サーファーは波中心で海を見ますが、海好きにとっては、普通に気持ちいい日も貴重です。
普通に気持ちいい日ってなんなのか? そんな漠然とした企画が通ると思ってるのか? データの裏付けをつけて、今週中に再提案しろ! とかって会社だといわれそうですけど、それは総合的に気持ちいいわけで、暑すぎず寒すぎず、風もほどよく、海も穏やか、空気は乾いていて爽やかなどなどの自然条件を兼ね備えた日のことなのです。
そんな日というのは海好きな人はわかっていて、ビーチに出てくるのです。そんな日は家の用事も後回しにして、海に出てくるのです。で、だいたい同じような顔ぶれが出てきているのです。
うちの辺りだとご近所さんはだいたい顔がわかっているわけですが、さらに海で会う人というのは、もっと限られていて、もう定番なんですね。んで、ビーチであいさつしたり、持ってきた弁当を交換したりして、ミニパーティーみたいになったりするわけです。
そういう日って、お金には換算できないけど、すごく大切です。

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