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竹林のトンネルを抜けて…

























 寒くて風が強くて海に出られな日は、海辺を散歩する海気浴をしています。これをぼくはブルー・エクササイズと呼んでいます。
 それだけでとても気持ちがよくて、仕事の事など忘れて気分転換できるのです。

 さてそんな散歩コースのひとつに、海辺の山の中を回るのがあります。
 海辺を歩いていって、坂道を登って山の中に入り、グルリと回り、また海辺に降りてくるというコース。

 これがまた気持ちいいんです。
 気持ちいいのは、まず、人がほとんど通らない森の中を歩けるところ。
 そして、ときどき木々の間だから海が眺められるところ。
 それから、とても感じのいい竹林のトンネルがあるところ。
 最後に、山菜がわりと採れるところ。

 特に好きなのが竹林のトンネル。
 キレイに竹林が生えていて、きっと誰かが手入れしてるんだと思います。
 そしてそれが伸びてトンネルのようになっています。
 静かで、シンとして、神秘的ですらあります。
 竹林というのは、一種独特の風情があるものですね。






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だんだん朝明るくなるのが早くなってきましたね


 毎朝4時半には起きているワタクシでございます。
「えっ、異常?」
 ほっといてください。日本は自由な国じゃなかったのかよー。

 朝早く起きて、ジョギングしたり、コーヒー飲んだりしてゆっくり過ごすのが好きなんです。

 さてさて、これまでは朝といってもまだ外は真っ暗。
 でも最近は少しずつ明るくなるのが早くなってきました。
 なんとなく春が感じられて嬉しいですね。
 朝の光を浴びながらビーチを散歩&ジョギングするというのは、海辺の暮らしの楽しみの…えーっと…トップ5に入ります。
 いいですねえ…海辺の朝。




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世の中の出来事と離れているお気楽なワタクシ










 朝起きてテレビでニュースを見て、海に出て思いっきり遊んでいます。
 そこにはギャップがあります。

 震災復興やら原発問題やら少子高齢化問題やら国債残高のことやらいろいろな問題が山積ですね。
 で、そういう問題について眉間に皺を寄せて、難しく考えるのもいいんです。ただ、ぼくは問題は問題として認識して、ぼくとして進むべき方向は頭の中にあるんですが、そこは民主主義の日本。いろいろな立場の人のいろいろな考え方があるんですね。

 で、あんまり性急に結果を求めたくもないなーと思っています。
 無関心というわけでもないんですが、マクロな問題とミクロな問題をごちゃごちゃにすると、自分の生活のペースが乱れるという感じでしょうか。

 ていうか、ぼくの日々の生活にも問題はいっぱいありますし、やらなければならないことはたくさんあります。
 ぼくはそういう身近なことをひとつひとつやっていきたいなーと思っています。
 で、天気のいい日は海に出て、うーんと背伸びをして、生きている喜びを味わいたいと思います。
 海に出ると、世間で起きていることは、時間の流れの中では瞬間的なことだと感じます。以前はオウム事件がありましたし、秋葉原の殺人事件もありました。民主党の政権交代もありました。いろいろなことが起きて、そして過ぎていきます。
 でも、目の前に広がる海は変わることなく、生きている自分も日々暮らすことに変りはありません。
 ぼくの身の回りのことをひとつひとつやって、必要であれば見直して、変えるべきものは変えるし、正しいことはやっていきたいです。それだけです。





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海遊びをしているとつくづく思う「組織は個人を救わない」と…











 海遊びをしているときが一番気が休まります。
 気心の知れた友達と海遊びをするのも楽しいんですが、独りで海に出るのも好きです。

 生計のために会社勤めをしていますが、そこでつくづく感じるのは、自分は組織みたいなところに向かない人間だということです。人が集まって組織の体をとった時点から、物事が変質していきます。組織が存続するのが第一義的な目標となり、一人ひとりはそのために何らかの歪みの中で仕事をすることを求められます。それがどうも性に合わないんですね。
 一方、個人でできることには限りがあって、組織だからこそできることというのもあるわけです。
 組織というのはつくづく化け物みたいな存在だと感じます。

 別に仕事だからというわけじゃないんです。たとえばダイビングで大勢で何かするというときに、役割分担ができて、責任ができて、その団体としての目標ができた時点で、やっぱりつまんなくなっちゃう。
 元々はダイビングが好きな人が寄り集まって始まったはずなのに、だんだん変質して、つまらなくなってしまうなんてこと、何度も経験しました。

 って、ぼくはオジサンで、これまでさんざん組織にどっぷり浸かってきておいていうのもヘンですね。でも、その反動で、独りでの海遊びで癒されているのでしょう。





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海を見ると思う・大らかな人でありたい








 いろいろな人がいますね。
 当然ですけど…
 ぼくは海遊びをしていて、日々、ワリと大らかな人と接することが多いので、仕事関係で接する人でたまに驚くことがあります。

 さてさて、話が変わりますが、世の中なんとかなっていくわけで、そんなにあくせくしてもしかたがないなあと思います。マイペースで自分のやりたいこと、自分でしかできないこと、なんかをやっていこうと思う今日この頃です。
 海遊びの友人はもっと大らかで、その日食べていければそれでいいんじゃんという人も決して少なくありません。

 そういうことをいっていると、必ず現れるのが…
 他人より多い年収を稼いで、社会的地位も上にいかなければという人…
 そんなことでは競争によって強い社会が実現できず、ひいては日本の国際的競争力が低下して、うんぬんかんぬん、という人…
 男子たるもの天下国家のことを考え、そのために自分の命さえも捧げる覚悟がなければならない、という人…

 まったくみなさん社会的に主流派なわけで、まあ一応ごもっともなわけです。

 でもですねえ、視点をゴチャゴチャにすると話がこんがらがるわけで、個人の人生の意義と社会的評価は別だということと、個人のジンセイと国という共同体の話も別だということです。

 ぼくは、個人のジンセイの主観的な充実度の話をしているわけです。いつもそういう実態のある視点で物事を考えたいと心掛けています。個人的には「中国は…」「韓国は…」「アメリカは…」という人は要注意だと思います。ぼくの中では「○○さんは…」です。

 個人のジンセイということを考えれば、国だとかそういうのって大切じゃなくて、自分がやりたいことができて、それで食べていけて、それがちっとでも人の役に立てば、もう御の字なのであります、と思うわけです。

 海を眺めながら、ぼくもまだまだ小さいなあと思ったりします。









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白い大島を初めて見ました


 ちょっとタイミングを逃した記事になりますが、先日の大雪で世間はたいへんなことになっていました。もちろんぼくの周りも…

 で、バタバタしていてもっと味わえばよかったと思ったことがあります。
 それは大島が冠雪している風景。
 ぼくは初めて見ました。
 写真を撮り忘れたので、こちらにリンクを張らせていただきます。


 この間の日曜日、だから2月16日。家の雪かきをしていたら、いつもの海の風景。波があるなー、北寄りの風だなーなんて思っていたら、遠くに白いものが…
 よーく見ると確かに大島。
 三原山の頂上付近が白いから、あれ、大島?って思いましたけど、やっぱり大島。

 わー、オレ初めて見ました。

 いや本当はもっとよくあることなのかもしれませんが、三浦半島から大島がくっきり見えることが、まあそんなに多くないのと、それが白いというのはさらに多くないわけで、ぼくは初めてです。






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潮風に吹かれて…Blowin' In The Sea Breeze










 ぼくもだいぶ歳を取りました。
 この間まで若かったつもりなんですが、あっという間に中年になってしまいました。

 ずっと海遊びを続けてきて、穏やかな海、荒れた海に出ては、その都度充実した気持ちを感じていました。

 海遊びをしているとだんだん周りは自分よりも若い人達が多くなってきて、敬語で話されることがあったりして、すごく違和感があります。
 ぼくは20歳の頃と変わらない気持ちで海遊びしてるだけなんですが…

 それほど長く歩き続けたつもりもないし、相変わらず生活に追われ、心の平穏も、自由も手に入れてもいません。20年前も今も相変わらず世界のどこかで戦争をしています。

 そう、昔から、そして今日も明日も海辺で潮風に吹かれているだけです。





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大雪・JR・京急…そして寒そうな鴨のように頑張ろうっと






 

 すごい雪でいろいろあったわけです。
 JR東日本の毎度の不親切-JRの言い分としては安全配慮-には怒りを通り越してあきれに変わりました。
 今度引っ越すときにはJR関係でないところに(ついでに東京電力管内でないところに)引っ越したいと思います。
 でもいつも頑張ってくれている京急に神奈川新町で強制的に下ろされたときには、途方に暮れました。あぁ、これ8日土曜日の夜の話です。2014年2月8日の夜の大雪で京浜急行の神奈川新町の駅で降ろされ、駅からも追い出されました。

 乗客のみなさん吹雪の中、雪の積もる歩道を歩いて東神奈川か横浜に向けて歩いていました。お年寄りや小さいお子さん2人を連れたお母さん、その後どうしたんでしょう。マジで人によっては死にますよ。
 自分のことで精一杯で何もできずにごめんなさい。
 途中寒さに耐えきれず立ち寄ったファミマの店員さん「暖まるまでいてください」といってくださってありがとうございます。本当に助かりました。


 そんな愚痴をいっていると、こっちまで器量が下がるので放っておきましょう。

 さて、先日散歩してましたら、寒いのに頑張っている鴨さんを見かけました。
 やっぱり鳥も寒いんですよね。
 ぼくらも頑張りましょう。

 でもまあ、2月上旬も終わろうとしています。3月になれば春の訪れを実感できるはず。もう少しで、この寒さも峠を越すでしょう。






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「短パン・ビーサン履こう会」発足準備会事前検討会賛同者募集中!










 冬ですが、短パン・ビーサンの話題です。
 短パンってなんてステキなんでしょう。
 ビーサン…あぁたまりません。

 以前、短パン・ビーサン市民権獲得委員会発足準備会設立について書きました。

 で、いっただけでなんもしなかったんですが、今回もう一度提唱しちゃおうと思います。

 短パン・ビーサンはとにかくラクチンででいいですよね。
 1年中履いていいたいわけですが、さすがにいい歳したオジサンが冬に短パン履いているのも世間的に若干懸念がありますし、もしかすると「ぼっ、ぼくはよくわかんないんだな…困ったらおにぎりくださいっていってたんだな…」のヒトになってしまう可能性があるので、たまにしか履きませんが(履くんだ!)ビーサンはいつも履いてるんだな…

 だいたいオレは長ズボンちゅうのが、足にまとわりついて動きにくくて苦手です。
 さらに革靴なんていうものは、苦痛以外の何ものでもないですね、ええ。
 締め付けられるし、蒸れるし、堅っ苦しいし、なんかいいことあるの?てな感じです。
 革靴が好きなヒトとは、きっとワタシお友達になれないかも…ウルウル…

 ぼくは長年短パン・ビーサン自由民権主義というものを唱え、各方面に働きかけているわけです(ウソです。今思いつきました)。
 その短パン・ビーサン自由民権主義というのは、簡単にいっちゃうと…

 短パン・ビーサンを履く→解放感
 短パン・ビーサンはだいたい安価である→人との差がつきにくい
 この2点から→自由→平等→近代自我からの脱却→現代の他者との差の認識による自己肯定からの脱却→真に人間らしい生き方

 ということになるわけです。
 短パン・ビーサンを履くことが、21世紀の閉塞したグローバル資本主義から脱却し、新しい民主的な社会を作っていく第一歩なのです…たぶんね…
 なんかよくわかんないけどさ、とにかく短パン・ビーサンを履くという簡単なことが、人間らしい生き方につながるという、なんともすばらしい理論なのであります。

 で…

 オジサンは短パン・ビーサンを履こう!
 会社に短パン・ビーサンを履いていこう!
 高級レストランに短パン・ビーサンを履いていこう!
 短パン・ビーサンを履いているオジサンをヘンな目で見ないで、もっと優しくして欲しい!

ということを活動の中心にしていきたいと思うわけであります。

「短パン・ビーサン履こう会」発足準備会事前検討会を開催してみてもいいかなーって思ったりしないでもないわけです。

 んじゃあねー。



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海遊びをする人にKYな人が多いというのは本当かな?で、それが何か?










 KYという言葉が普通に使われるようになってずいぶん経ちますが、これはたぶん「あいつはKYだ」という風に使われて、要は周りの空気を読んで適した行動をせよという意味だとぼくは理解しています。
 いわゆるひとつのハイコンテキストなジャパニーズというんですかー、ボールが飛んできたときにバットを振ってミートするというんですかー、うーんいわゆるひとつのナイスですねー、と、まあ、とにかく我々の社会を象徴している言葉な気がします。

 そいでねー、海遊びとか冒険っぽいことやっている人って、KYな人が多い気がするんですよ。つーか、もしかしたらKYだから一般社会に適応できない結果で、そういう世界で生きているのかもしれないし、逆に自由な世界で暮らしているから、細かい空気を読む必要が無くて、そういう力が衰えていったのか、まあどちらが先かはよくわかりまへん。
 とにかく自分がこれがしたいというのがハッキリあって、それをするために何をすればいいか、ダメならどうすれば自分のやりたいことができるか考えるという発想の人が多いような気がしますが、あくまでも傾向の話で、みんながみんなそうというわけではないんですけどね。

 で、KYで何が悪い! KYでいいじゃないか! とぼくはいいたいわけです。
 周りの人ととか関係なく、自分の願望を叶えようとするから、新しい発想とか、新しい行動が起きて、それが少しずつ暮らしを変えていくんじゃないかしら…って、2丁目の今日子さんもいってたけど…ねぇどう思うどう思う…そうよねー…

 だいたいね、会社というところは、空気を読むとか、雰囲気を壊さないとか、自重しろとか、人脈がどうのとか、派閥がどうのとか、そういうのが多すぎるつーの。そんな風だからうつの人が増えるんじゃないの?と思ってしまいます。
 みんなが最大限自分のいいたこといって、それがダメなら、ダメっていえばいいじゃん。で、改めればいいだけのことじゃん。

 KYよりもマイペースであること、空気に鈍感であること、鈍感力が大切ではないかと思う今日この頃です。
 まあ、自分が楽しければ、他人がなんといおうといいわけで…でもあんまり激しい人のそばにいると疲れそうだけど…




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