海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
からっぽの時間って大切ですね
毎日忙しくすごしていらっしゃる方が多いんではないかなーと思います。
特に大きな用事がなくても、細々したことをやっているうちに一日が過ぎてしまった、なんていう経験は誰しもお持ちのことでしょう。
ああなんだか忙しいですね、というのはもう日常会話の時候のあいさつみたいな感じです。
そう、やることというのは、際限がないですね。さらに家事などの細部にこだわっていくと、やることは尽きません。
休日に、今日はちょっとノンビリしようかなと思っていて、掃除を始めたら、結構大掃除になってしまって、一日が終わってしまったなんてこともあります。
そうなんです、何かをやるとキリがないんです。
それはそれでいいんですけど、それだけだと疲れてしまうこともあります。
そういう日々からエスケープするために、ぼくは海で遊ぶ時間は、それしかやらないことにしてます。
たとえばビーチでお茶するとき、海辺を散歩するとき、スキューバーダイビングをするとき、シーカヤックをするとき、セイリングをするときは、ぼくはそれだけしかしないようにして、頭の中も他のことは考えないようにしています。そういう風に努力しているといえるかもしれません。海にいるときに、ぼくは、意識のある回路のスイッチをオフにしてしまうのです。
というわけで、ぼくが海にいるときは基本的にからっぽの時間なんです。もちろん何かをやっているんですが、それだけに集中しているので、頭は結構休んでいる気がします。シーカヤックなんていい例ですが、ひたすらパドリングをするわけです。自分のペースを守って、自分の身体の使い方に集中してパドリングします。そうすると頭の中がからっぽになります。
この感覚は、座禅をしているときと似ている感じです。そう、ぼくは年に何回か建長寺で座禅を体験します。そのときの感覚に似ているのです。
そして座禅や瞑想の効用としていわれることですが、頭をからっぽにすると、気持ちがとてもラクになりますし、頭からくる疲れ(自律神経系のなどの疲れ)がとれるような気がします。
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自然に囲まれた暮らしを丁寧に楽しみたい
ずいぶん前のことですが、伊豆を旅行したときのことです。こぢんまりとした旅館に泊まったのですが、山の斜面にあり、宿全体が緑に囲まれて、でも高台にあるので海が望めるという宿でした。当時東京の街中のビルに囲まれたマンションに暮らしていたので、緑に囲まれた安らぎ、海が目の前に開けている解放感が印象的でした。夜には虫の声を聴きながら眠りにつき、朝は鳥の声で目が覚めます。朝、カーテンを開けると海の青と森の緑が朝陽に照らされて目に飛び込んできました。そのとき自然に囲まれて過ごす素晴らしさを実感したのでした。それ以来、緑に囲まれて、かつ海を眺めながら暮らすことに憧れていました。
ぼくが今の家を探すまで、いろいろな土地や家を見て回ったのですが、求めていたイメージは、このときの伊豆の宿の立地でした。森の中にあって、海が望めるという条件です。
幸い巡り合わせがあって、イメージどおりの土地に出会いました。
夏は蝉の声がうるさいくらいに聞こえ、夏が終わりに近づくにつれ、夜には虫の声が混じるようになります。朝もいろいろな鳥の声が聞こえます。ぼくは虫や鳥の種類がわからないので、そういう点ではすごくもったいない暮らしをしていると思います。
夜、目をとじると虫の声と波の音が聞こえます。それを聞きながら眠りにつくのはとても幸せなことだと思っています。
ときどき出張で街中のホテルに泊まることがありますが、ビルに囲まれて全体に灰色の閉塞感のある空間にいると、ちょっと息苦しささえ感じます。早く家に帰りたいなと思います。
いつの頃から自分がこんなに自然を求めるようになったのかわかりません。もしかしたら年齢を重ねるごとに、自分の嗜好も都会的なものからナチュラルなものへと変化したのかもしれません。
よくテレビや雑誌などで定年後に田舎暮らしをする人の事例が出てきますが、あの気持ちはよくわかります。人の加齢による変化というのは不思議ですね。
桃源郷と竜宮城への憧れ
桃源郷の物語を知ったのはたぶん小学生の頃でした。
頭の中に浮かんだその風景にぼくはすごく惹かれたのです。
隠れ里で、食べるものに困らずみんなが幸せに暮らしている楽園を想像すると、なんだかワクワクしてきました。
当然ながら、それ以前に浦島太郎の昔話は知っていたわけですが、浦島太郎の物語はハッピーエンドではないので、その当時のぼくにとってはあまりいい印象でなく、桃源郷の物語と結びつかなかったのです。
でも、今なら、竜宮城だってすごくいいんじゃないか、綺麗な乙姫様がいて、おいしい酒と食べ物があれば、それで年月が経っても別にいいじゃん、ハッピーじゃん、贅沢いうなよ、と思えるわけです。
なので、いい歳してもぼくの中では桃源郷と竜宮城は憧れの地なのでした。ウォータースポーツをしているときに、亀が来ないかなあ、竜宮城に連れて行ってくれないかなあ、なんて思うわけです。ホイチョイプロの方に「わたしを竜宮城につれてって」という映画を作って欲しいと思います。
空想の楽園に憧れる気持ちは誰しもあると思いますが、ぼくの場合はその憧れが海好きという嗜好になって、今も続いている気がします。
キーワードは…
知る人のみが辿り着ける
人里離れて隠れている
みんないい人、いい人しか住めない
みんながハッピー
衣食住に困らない
ということです。
マリンブーツの種類など…そして、KEENのゴージャス ウォーターブーツを買ったこと…
マリンブーツっていろいろあります。いわゆる長靴みたいな釣り人や漁師さんが使うのもマリンブーツって呼びますし、スキューバーダイビングで使うのもブーツっていいます。セイリングで使うのもブーツです。シーカヤックで使うのもブーツっていいます。サーフィンで冬に使うのもブーツっていいますね。あとは海遊びで使うリーフランナーというようなブーツの長さでなくて、短靴タイプのものもありますが、これは別なカテゴリーなのでしょう。
ぼくの経験ではブーツっていっても、スキューバーダイビングではフィンを履くのでスキューバーダイビング用のブーツっていうのが確立されています。特徴は岩場や港のスロープで滑らないようなソールであることと、フィンを履きやすいように、足の甲の締め付け具合を調節する紐とかベルクロという余計なモノがついていないことと、ファスナーが付いていて、履いたり脱いだりしやすいようになっていることです。
一方、セイリングのブーツは、甲の部分が締め付けが調節できて脱げにくくなっていたり、足首のところにベルクロか何かでやはり締め付け具合が調節できるようになっていて、ソールが滑りにくくなっているのが特徴です。
というわけで、マリンブーツには大きく分けて3種類あると感じています。
1.長靴タイプ
2.足の甲の締め付け具合を調節する機構がついているタイプ
3.足の甲の締め付け具合を調節する機構がついていないタイプ
すべてに共通しているのは滑りにくくなっているのと、素材が濡れてもいい、あるいは速乾性がある、あるいは保温性があるということです。
スキューバーダイビングでは3を使います。セイリングでは2を使います。シーカヤックでは2か3を使います。
まあ、少し頭の中を整理したいなと思ってマリンブーツについて考えてみたんですが、とにかくいろいろな種類があるんです。ウォータースポーツの種類によって発売しているブランドもいろいろですし、それぞれ少しずつ違いがあります。値段もいろいろです。
ぼくはスキューバーダイビング用の安いのを使っていますが、というかそれしか使っていませんでしたが、靴と同じでマリンブーツも消耗品です。ソールがすり減って平らになったら買い替えますし、素材(ウェットスーツと同じ生地)が伸びたりヤレてきたら買い替えます。
ぼくの場合、あいかわらずスキューバーダイビング用の定番品を買い替えています。海遊びをするときは、そのブーツだけを使います。
が、先日行きつけのシーカヤック屋さんで、シーカヤック用のマリンブーツが在庫処分でかなり安くなっていました。もう投げ売りという値段。サイズがちょうどよかったので、まあいいかなと思い、買ってしまいました。
KEENのゴージャス ウォーターブーツというものです。
いいところは、フィット感が高いことと、靴の底が厚めなので、岩場のゴツゴツしたところとか、フジツボの上なんかを歩いても痛くありません。それから、クッションがいいのか歩き心地がいいです。それはぼくがいつも安いスキューバーダイビング用のマリンブーツを履いているから余計に感じるのかもしれません。
悪いところは、甲のあたりに締め付けるためのヒモやバックルがついていて、そういう細かいところに砂が入っているので、洗うときに入念にしないと砂が流れないところくらいでしょうか。
母島 前浜 東京都小笠原村母島 ☆☆☆
母島 前浜 東京都小笠原村母島字元地
【コメント】
ぼくは以前から離島が好きでした。そして長い間小笠原諸島に行ってみたいと思っていたのです。
できれば母島に行ってみたいと思っていたのです。
なので母島に対する評価というのは、やっぱりちょっとよくなり気味なのかもしれません。
母島は人口だいたい500人。集落のほとんどは元地地区に集中しています。島の集落というのはだいたいそういうものです。その集落に一番近い海が前浜です。港、客船ターミナル、漁協、郵便局、役場、警察、JAなどがだいたいこのエリアにあります。宿泊施設もここにあります。世帯数はざっとかぞえることができるくらい。メインの通りを端から端まで歩くのにざっと5分とか10分くらいでしょうか。
そんなこぢんまりとした集落が好きです。
とてもノンビリしています。
ノンビリ好きのぼくとしては、最高の土地です。
そんな前浜もノンビリしています。
ぼくは旅行中、ダイビングが終わって夕食までの間とか、夕食後とか、朝食前の散歩時間に、やたら前浜の防波堤に座っていました。そこでボーッとしたり、コーヒーを飲んだり、ビールを飲んだりしていたのです。
ダイビングをして、宿でシャワーを浴びます。そして島に2~3軒しかないスーパーで発泡酒を買って、夕暮れの前浜に行く、この間だいたい2、3分。海好きのぼくとしては何よりの立地。自宅でも、海まで3分くらいですが、道路が走っています。その違いはなかなか大きいものです。
スーパーでは、だいたい毎日買い物に来るオジサン旅行者(ぼくのこと)が何を買うか、憶えてしまっているらしく、「○○(発泡酒の銘柄)は売り切れだよ」と教えてくれます。
さらに面白いことに、島の人達も夕方になると、酒を持ち寄って、前浜にある東屋に集まって酒盛りをするんです。で、なんとなく、ぼくがいつもいるので、声をかけてくださって、酒盛りの仲間に入れてもらったりしたことも。
夕暮れの浜で海を眺めます。ここは絶海の孤島なんです。でも、おそらく何百年という昔から人々はどこからか移り住み、ここで暮らしを営んできたんわけで…。それがぼくには信じられなくて、人間というのはスゴイなと思うのです。
そして島の一日は終わろうとしています。人間の暮らしやそこに暮らす人々の喜怒哀楽などまるで関係ないことのように、淡々と一日一日が過ぎ去っていきます。
ぼくはそんなことを考えながら、海を眺めている時間がとても好きです。
【評価】
水の美しさ ☆☆☆
砂浜の美しさ ☆☆
景色 ☆☆☆
アクティビティ 釣り
自然の豊かさ ☆☆☆
ノンビリ度 ☆☆☆
トイレ 有
駐車場 有
総合評価 ☆☆☆
潜水前 ダイビング器材安全チェックリスト
スキューバーダイビングを長いことやってきて、器材のトラブルにあったこともありますし、バディやチームの誰かが器材トラブルに直面した様子を見たこともあります。
その経験は以前まとめました。
今回は潜水前に器材のどのポイントをチェックすれば、そうした器材トラブルを避けられるかを考え、チェックリストにしてみました。
□ フィンストラップが切れるおそれがないか
□ フィンはへたっていないか
□ レギュレーターは呼吸できるか
□ レギュレーターはフリーフローしないか
□ オクトパスは呼吸できるか
□ オクトパスはフリーフローしないか
□ ゲージと高圧ホースからエア漏れはないか
□ ゲージのガラス面にひびなど割れる兆候はないか
□ 1stステージからエア漏れがないか
□ BCにエアを入れて、エア漏れがないか
□ BCの排気バルブは締まっているか
□ BCのエアインボタンは戻るか
□ BCのエアエキジットボタンは戻るか
□ BCにキズや裂け目がないか
□ BCのバルブのネジにゆるみがないか
□ BCの浮き袋部分に亀裂などないか
□ マスクストラップに切れる虞はないか
□ マスクフレームにひび割れがないか
□ ダイブコンピューターは作動するか
□ ウエイトは適正か
□ 高圧ホース、低圧ホースにキズや裂け目がないか
□ 高圧ホース、低圧ホースの接続部分からエア漏れがないか
□ タンクのOリングが劣化していないか
海辺の田舎暮らしのよさは、おそらく旅行者ではわからないのでしょう
旅行ではわからないこと、海辺に移住して、田舎の海辺で暮らしてみて初めてわかること、というのがあります。それはそうです。短期間ではわからないこと。旅行者では体験できないことというのがあります。
自分が旅行しているときにも、旅先でうすうす感じているわけですが、地元の生活者と旅行者というのは見えない壁で画されています。それはどうしようもありません。地元の人はその土地のその共同体の一員であり、いろいろな責任やしがらみの中で生きているわけですから。旅行者は来訪者であり、よそ者であり、お金を落としてくれる人であり、責任を負わない人であり、いつかいなくなる人です。
両者がまったく同じということはないでしょう。
海辺に暮らしてみて初めてわかることには、いいことと悪いことがあります。それをまとめてみたいと思います。
●いいこと
・気が向いたときにすぐに海に行ける(たとえば金曜日の夜に飲み会があって遅く帰ってきた次の土曜日に昼まで寝ていたりしても、起きてから海に行ける)
・波の音が聞こえる
・潮の匂いがする
・住民がのんびりしている
・買い物や移動は車である
・行政サービスや郵便局やバスや電車や道路(夏は除く)などが混雑していない
・建て込んでいない(空いている空間が多い)ので、町が抜けていたり、空が広い感じがする
・自然が豊か(森が多い、鳥やリスやタヌキなどの生き物が多い)である
・気候が穏やか(夏は暑すぎず、冬は寒すぎない)である
・静か
・地物の魚や野菜が新鮮で安く手に入る
・ウォータースポーツをする仲間ができる
・町内会とか祭りとかの地域の催しが楽しい
・近所の人と親しく付き合える、近所の人の人となりがだいたいわかっている
・海を眺められる
・海を眺めながらビールが飲める(車を運転して帰る必要がない)
・ビーチで過ごせる
・ビーチを散歩できる
・自然の移り変わりを味わい、楽しむことができる
・治安がいいので、家の鍵とか車のロックとかしなくてもいい
●悪いこと
・物が錆びる
・夏は道路が混雑する
・ムカデやモグラやヘビやハチなどの害虫が多い
・潮風が強いときは洗濯物が塩っぽくなる
・大きな病院が遠い
・たとえば進学校みたいな学校が遠いか、ない
・デパートとかアウトレットとか専門店のような東京にあるような店がない
・町内会のような地域の役割があって、忙しいときはちょっと負担
どんな土地でもいいところと悪いところがあると思います。
ぼくはもともと海が好きで、そしてウォータースポーツをやっていました。だから他の人よりは、海辺の田舎暮らしに価値観が寄っていると思います。
加えて、家族ができて、子供を都会で育てるのはちょっとイヤだな、伸び伸び大らかに育てたいなと思うようになりました。
しかも、30代半ばあたりから、街ではなく、自然の豊かなところでノンビリ暮らしたいという気持ちがとても強くなりました。
そんな価値観の人間は遅かれ早かれ海辺の田舎にたどり着いていたんだろうな、と今では、自分のことを思うことができるのです。
ぼくは海辺の田舎に移住して、そろそろ十数年になろうとしています。今ではすっかり馴染んでしまって、日々の暮らしが、海などの自然と共に、そしてそれらの四季の移り変わりと共に、成り立っています。
思えば都会から移住した人で、本当に海辺の田舎暮らしが適していない人は、早くて1年、そしてだいたい2年くらいすると、また都会に戻ってしまいました。残る人は、先述のいいことのいずれかが、自分にとって優先度の高い価値であるようです。
そういう事例を参考にするならば、海辺の田舎暮らしに興味がある方は、ためしに賃貸物件でも借りて、1年とか2年くらいの想定で、試し移住してみるのもいいのではないかなあと思ったりします。
人生は一度きりですし、どんな人生を送るかはひとつしか選べません。ただ、どんな人生を選ぶかは、原則として自由であるはずです。そこでやりたいことをやって生きるか、なんらかの事情やしがらみを踏まえて生きるか、そこは人それぞれなんでしょう。

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自分の身の丈に合わせて生きていきたい
偏屈なのかもしれない話ですが、自分が苦手な人達がいまして、それは、映画とかテレビドラマで必死に働いて目標を達成したりする人達だったり、東京のビジネス街とかで仕事ができるビジネスマン的に早足で歩く人だったり、黒塗りの車の後部座席に座って、自分が日本を動かしているみたいにふんぞり返っている人だったり、高速道路の追越し車線を前の車をやたら煽って急いでいる人だったり、まあそういうタイプの人というのが苦手で、友達にはなりませんし、そういう人がそばにいると離れるようにしています。
そういうタイプの人にはその人の価値観があって、やりたいことがあって、一生懸命やっているので、それはそれで勝手にやればいいわけですが、自分はそういう風に生きないし、そういう人に近づかないということです。
ましてやそういうタイプの人が自分の価値観ややり方を押しつけてきたり、こちらを軽蔑してきたりすると、それはキッチリ反抗します。
もう少し正確に言うと、夢や目標があるのは別にいいと思うんですが、そのやり方の不自然さに違和感があるんです。
そんなにカリカリ、自分は一生懸命やってるぞどうだ的にやらなくてもいいんじゃないの?って思うんです。別に誰も一生懸命やってくれって頼んでいないと思うんですけど…
それに経験的にいって世の中のことって、そんなに自分がカリカリしなくても、まあたいていなんとかなるわけです。その人がいなくても回っていくわけです。もっといえば、その人がどんなにスゴいことをやっても50年か100年すれば、たいてい跡形もなく消えてしまうものです。
ぼくだって、やはりこだわりやどうしてもやりたいことは一生懸命やってしまいますし、やることがなければ、やらなくてもいいことまで一生懸命やったりします。それでうまくいかないとイライラしたりしまうんです。そんな自分に気がつくと、「オレは何をやっているんだろう」って思ってしまいます。
これを徹底してしまうと、虚無的な、世捨て人的な生き方になるのかもしれませんが、そういう考え方自体が昔からあったということは、やはりぼくと同じように考える人がいるということでしょう。
世捨て人的に諦めるんじゃなくて生涯を全うすればいいと思うんですが、それがライバル心だったり、他者と比べて自分が幸せだと認識するのはちょっと違うんじゃないかなと思うんです。
まるで「アリとキリギリス」の話みたいになっちゃいますが、実際、本物の蟻が自分よりも大きな荷物を背負って運んでいるのを見ると、自分を見ているようで身につまされます。
もし宇宙人とか神様みたいな存在がいて、その人が地球を遠くから眺めていたら、人間はその蟻そっくりに見えるだろうなーと想像します。
責任感を持って、一生懸命やろうと頑張って、そして疲れてしまう。ましてや人によっては追い詰められて鬱病を発症したり自殺してしまう。そういうのって本末転倒じゃないでしょうか?
童話ではキリギリスは冬に飢えてしまって蟻に助けを求めるんですが、ぼく的には、たぶん蟻の中には働き過ぎて疲弊して寿命が短くなったり、病気になったりしている蟻(さすがに蟻は自殺しないような気がしますが…)がいるんじゃないかと思います。
いろいろ想像してみるとキリギリスだって蟻だって所詮は儚い人生ではないですか。
ぼくにはぼくの生まれつきがありますし、身の丈があります。それに合わせて暮らしていきたいなと思うわけです。あまりこだわらず囚われず日々の暮らしを楽しんで過ごしたいと思います。

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スキューバーダイビングを趣味として、若い頃からこれまでのこと
いやーこの間まで大学生で、会社でも若手で、飲み会のセッティングしたり、飲み会後の送りのために上司やお客様のタクシーの配車とかしていたんですが、あっという間にオジサンになってしまい、自分がされる側になってきました。
たぶんオジサンが自分のことをオジサンと自覚していないのは、この間の忙しさと時間の経つのの速さのせいだと思います。
まず仕事が忙しくて時間の経つのが速いですね。それから結婚して、子供ができるとさらに時間の経つのが速くなります。
ぼくの会社でワリとというかかなりみんなに嫌われている管理職がいるんですが、この人は趣味もなく、独り者で、親しい仲間もいなくて、部下のプライベートをネットやSNSを検索して、その行動をこまめにチェックして上司にチクっているという、もうなんというか、ぼくが会った人のなかで最も不可解な性格の人なんですが、この人などは暇だからこういうことをするんではないかなーと思います。
そんなに暇なら趣味を持ったり、ボランティア活動をしたりすればいいと思うんですが、そういう外向きの性格なら、そもそもこういう人生にはならなかったでしょう。
自分の子供がこんな風に育ったら、ぼくは子育て失敗宣言をして、頭丸めて高野山で修行してご先祖様に懺悔しなければならないでしょう。
さてさて話が横道に逸れました。元に戻しましょうね。
ぼくはスキューバーダイビングを大学生の頃から続けているんですが、ダイビングってだいたい5人以内のチームで潜るんですよね。で、しかも相方としてのバディがいるという状態です。本当はバディ同士で潜ればいいんですが、今の日本(海外のリゾートも)では、ガイドがいて道案内をしてくれて、その後をみんながゾロゾロついていくダイビングスタイルが普通になっているので、数人のチームになるわけです。
このチームは、その日ダイビングサービスに集まった人をサービス側のガイドが適当に振り分けるんです。たとえば2人できている女子なんかが離ればなれのチームになることはありませんし、なんとなく若い子は若い子同士でチームになることが多いわけです。
まあ、それはガイド側の心理からすれば、お客様にできる限り盛り上がってもらいたいわけで、当然そうするでしょう。ぼくもたまにお手伝いでガイドをしますが、やっぱりそうします。
1990年代にスキューバーダイビングが若い人の間で流行ったのは、やっぱりそういう出会いの場としての機能があったからという面はあると思います。
ぼくも若い頃は、若いグループに混ぜてもらえたんですが、今や絶対にオジサングループに振り分けられます。
そういう時にも、自分の年齢を感じてしまいます。別にオジサン同士は気楽でいいんですが、若いグループが「キャッキャッ」っていいながら、独特の楽しい盛り上がりをしていると、オレも混ぜて欲しいなあと思います。
これはぼくの人格に関わることなので、きちんと書いておきたいんですが、この混ぜて欲しいというのは、自分が若い子にもてたいという邪な思いやタテシマな思いがあるわけでなくて、若い雰囲気の中に混じって、自分も若い頃のノリを取り戻したいという気持ちなのです。
そこはキチンと表明しておかなければなりますまい。
ぼくがスキューバーダイビングを始めたとき、オープンウォーター講習のインストラクターは、かわいいちょっと年上の女性でした。陽に焼けて健康そうで明るくて痩せていて長い髪がサラサラでって、長くなるのでやめましょう。まあ早い話、ぼくのタイプ(ぼくは運動神経のいい、活発な女性がタイプみたいです。最近自覚しましたけど…)だったわけです。ぼくはその後、ダイビングにはまり、PADIの講習をダイブマスターまで取ることになるんですが、その理由の一部には、この女性インストラクターの影響があるノではないか、とアメリカの有力シンクタンクは分析しているらしいです。
ダイビングがうまくなって、女性インストラクターに褒められたり、他のゲストのケアを頼まれたり、アイコンタクトができるようになったりするのが、疑似恋愛的に嬉しかったのを憶えています。
社会人になって、休みがあると、あちこちの海で潜っていたんですが、やっぱり若い頃は、旅先で出会って、たまたま一緒に潜ることになった女の子と仲良くなったり、それがきっかけで付き合ったりするようになりました。
そればぼくが特別スケベだとか女好きというわけでは、たぶん…なくて、まあ、そういうことってあります。なんてったって20代というのは、そういう年頃ですから…
そういう甘酸っぱい思い出が、スキューバーダイビングと海とセットになって、ぼくの中にはあるわけです。
オジサンとなった今は、そういう甘酸っぱい経験はできなくなりましたが、それでつまらないかというと、そうでもないんです。
オジサンというのは、それだけで何やってもあまり突っ込まれないというか、諦めてもらえるところがあります。それからダイブサービスのオーナーと同年代かこっちの方が年上だったりするので、なんとなく年齢的に下には置かれないところがあります。ぼくもダイブマスターとしてダイビング業界を20年も見ているので、商売的なことも理解できますから、そういう面でも話が合います。
ダイビング後に宿でたいてい飲み会(アフターダイブといったりします)をやりますが、そういうところでもオジサンだから、あまり格好つけずに気楽に酔っ払えるというメリットもあります。
若い頃は年頃の女の子が飲み会の席にいると、やっぱりちょっと格好つけてしまうようなところがあって、素の自分を隠して酔っていた気がしますが、今は、女性がいようとお構いなしで、マイペースで酔っ払えるのがすごく楽しいです。格好つけないってこんなにラクで楽しいんだなって、オジサンになってわかりました。
そんなこんなで、ぼくは若い頃からオジサンになるまで、海と絡んで、特にスキューバーダイビングを中心に生きてきたわけですが、今思えばそれはすごくいい選択だったなあと感じます。スキューバーダイビングを趣味として選択して、ぼくの人生はかなり充実したものになったと思います。
離島にみる共同体の在り方
ぼくは離島が好きで、これまで国内外のいろいろな島に行ってきました。
特に人口が少なくて、便利のいいターミナル的なところから遠い(不便な)、小さな島が好きです。便利のいいターミナル的なところから遠いというのは、たとえば横須賀の猿島とか熱海の初島とか伊豆大島とかは当てはまらないわけです。石垣島も宮古島も当てはまりません。
そういう人口が少なくて、不便な、小さな離島が好きなのは、外との隔絶感があって、安心感があって、島の人達が優しいからです。
それで今回はなぜ島の人が優しいのかなあって、日頃考えていることを書いてみます。ぼくが勝手に考えていることで、特に根拠とかないので、さらーっと読み流してくだされば幸甚でございます。益々のご健勝とご多幸をお祈りしております。いえいえそんなめっそうもございません。
離島の人と対比したいのが、たとえば東京の渋谷とか池袋にいる人です。渋谷を歩いていると緊張感があります(ぼくだけっすか?)。基本的に誰がどんな人だか関心がありません。今すれ違った人がどんな人だか記憶にありません。人は速く歩き、前の人を追い越そうとしています。あるいは、明らかに裕福であることがわかる服や車などで、他の人より自分がすごいということを誇示しようとする人もいます。
一方で人口が500人程度の小笠原諸島の母島を例として見てみましょう。500人の島民は誰がどんな人なのか把握しています。どんな年齢・家族構成・仕事・好き嫌い・性格なんかもだいたい把握しています。だから○○さんをこの2日見なくて心配だから様子を見に行こうなんて感じになります。それから観光客も来ますが、船でしか来ないし、どんな人が来たかだいたい把握しているものです。
ここで両者の違いは、人数と匿名性です。
前から感じてたんだけどさー、人って数が多いものは雑に扱って、数が少ないものは大切にするとこってなくない?人も同じで、人が大勢いると、うっとおしいなあって感じてしまって、何日も人に会わない場所で、久しぶりに一人の人と会ったら、やっぱり少し話がしたくなったり、同士とか仲間みたいな気持ちが湧き上がると思うんだよねー。
というわけで都会で人が多いところだと、人は人を大切にしない傾向があるかもしれないです。逆に島ではみんなで助け合おうとする傾向があるかもしれません。
あとね、思うんだけど、これはよくいわれていることだけど、自分だとわかるような状態だと人ってちゃんとしようとするよね。ぼくもそうだけど、人が見てるとゴミを捨てたり、ツバを吐いたりしないもんね。でも、渋谷の街中で、自分が誰だかわからない状態だと、ちょっと羽目を外すようなことを少しやっちゃったりして、神様・お父様・お母様ごめんなさいということを心では思いながら、ついやってしまうことってありますね。
さすがに母島だと誰かが見ているよいうな気がしてあんまりヘンなことしないから、で、みんながちゃんとしようとするから、島全体の秩序は保たれているというわけではないでしょうか?
というわけで、匿名な状態だと秩序は乱れ、誰が何をやっているかわかる状態だと、秩序は維持されやすいということがいえるかもしれません。
そしてこの文脈の延長上に匿名性がない、人口の少ない共同体が助け合うために町内会があり、青年団があり、職業組合があり、祭りがあったりするのでしょう。
離島が安心感があって、島の人が優しくて、トータルで暮らしやすかったり、居心地が良かったりするのは、そういう共同体の在り方が関係しているんじゃないかなあと、ぼくは以前から考えていたのでした。
ここから今回は話が一般的な方向に展開していくのですが、すべからく人の共同体というのは少人数で構成した方が、居心地がいいし、その単位を維持するコストが少なくて済むんではないかというのがぼくの考えです。隣組の発想に近くてイヤな感じをもたれる方もいらっしゃるかもしれませんが、独居老人の孤独死とか若者の引きこもりなんていうのは、おそらく都市化した共同体に見られる現象ではないでしょうか?
過度の共同体による個人の束縛はイヤなものですが、適度だったらいいのではないかというのがぼくの現時点での思いです。
といいつつ今度はぼく個人のリアルな体験に話が戻るんですが、そういえばぼくは思春期の頃は、町内会の集まりとか祭りとかが好きでない時期がありました。正確にいうと子供の頃はそういう集まりが楽しい時期があって、思春期の頃はそういう集まりがうっとおしくて、オジサンになるとまたそういう集まりが楽しくなってきたのです。
それはおそらく思春期の頃が、いろいろと多感で不安定であるのと、構成員の立派な一員となるべく共同体からいろいろと目に見えない圧力を受けるのがイヤだったんじゃないかと思います。そしてオジサンになると、今度は自分が社会を維持する責任を担わなければならないので、そういう共同体を好ましく思うようになったのではないかと、自分で自分の気持ちの変化を分析してみたりするのでした。
すごく大まかにいって、若者が都会や都会的な暮らしに憧れ、ある程度歳をとると田舎暮らしをしてみたくなる人が増えるのも、そういった成長によって、自分が社会に果たす役割とか地位などと関係しているのかもしれません。
話がだいぶ右往左往してますが、離島というのは、そうした共同体の在り方がすごく先鋭的に現れるような気がするんです。
離島を旅していると、その共同体を維持する選択肢はいろいろあることを見ることができます。まず、他の地域からの移住者を積極的に受け入れる島(仮にAタイプとしましょう)と、他の地域からの移住者を受け入れない島(Bタイプ)があります。
Aタイプの中に、移住者を積極的に受け入れて都市的な匿名性社会になっていく島(仮に1タイプとしましょう)があり、一方で、移住者を積極的に受け入れつつ共同体の儀礼を厳格に課す島(2タイプ)もあります。
Bタイプの島はその選択の結果として、若い世代がその島に定着し、子孫を増やさないと、島の人口が減ってやがて無人島になってしまうところもあります。日本全体に少子高齢化している昨今では、移住者の受け入れをしない島は、人口減少に直面し、限界集落となっていくパターンが多いのです。ただ、想像するにBタイプの島で暮らすと、島の人口が増える方向にいくにしろ、限界集落の方向にいくにしろ、その共同体を維持するための責任や束縛がすごく重そうで、ちょっと暮らしにくいかもしれないなあなんて思ったりします。
これも想像ですが、人口が極端に少なくなると、共同体を維持するために一人が担わなければならない役割や仕事が多くなるので、快適な人口構成の下限というのはありそうです。ぼくが訪れた島の様子からいって、ざっくりいって3000人程度が下限ではないかなあと思います。そして匿名性が生じてしまうのは、たぶん10000人程度からではないでしょうか。
なので、ぼくが島に移住するのであれば、Aの1タイプで、人口が3000人に近い島を選ぶか、Aの2タイプで10000人に近い島を選ぶことでしょう。ぼくの好みとしては前者を選びたい気がします。
おお、長々といろいろ書いてきましたが、一応結論らしいものが出て、よかったよかった。ではではみなさんまた来週。
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