海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海・大らかさ・幸せ…
ぼくの友人でとても大らかなヤツがいます。瑣事にこだわらず、いつもマイペースで、人当たりもよく、楽しそうにしています。ぼくはヤツのことが好きで、よく海で遊んだり、飲んだりしています。
そうすると自分があまりに小さいことにこだわる小者な気がして、自己嫌悪になったりもしますが…
人によっては、大らかな友人のことを、大雑把で、あてにならない人と悪くいうこともありますが、まあそれはその人の価値観ですから、まあそういう見方もあるのかなあという感じです。
確かに細かな事務的な作業とかは向いていないかもしれないなとは思いますが、それを補ってあまりあるほど、ヤツは気がいいし、敵を作らないし、大物な感じがします。ヤツがいるだけで、場が和んで、楽しい雰囲気になります。
そしてその大らかな友人と一緒にいると、ぼくもこういう大らかな人でありたいなーと思います。
もうひとつ自分が大らかでありたいと思うことがありまして、それは海に出ることです。海に出る度に、自分がいかに小さい存在か、身にしみます。
海は広く、時に穏やかで、時に荒々しいわけですが、その存在は地球の歴史という長い期間で変わることがありません。
そんな海を目の当たりにすると、自分がいかに小さくつまらないことにこだわって汲々としている人間なんだろうと感じます。
大らかな友人のように、あるいは海のように、広くて、大きくて、いろいろなものを受け止められて、妬みや嫉みの心がなくて、マイペースで、泰然自若としていて、周囲の人々を幸せする、そんな人になりたいなあと思います。

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三宅島でアカコッコ
年に何度か三宅島と八丈島に行きます。というか知り合いがいるので、行くようにしています。
ぼくが三宅島へ行く時は、知り合いと一緒に、何とかのひとつ覚えみたいにダイビングばかりをするのです。とにかく連日朝から晩までダイビング。
ですが、この間行った時は、海が荒れていてダイビングができませんでした。
というわけで、その日は、陸で遊びました。
望遠鏡で鳥を見ているとそれぞれに個性があって、かわいいんですね。
海の塩っていろいろあって楽しい
塩の話です。
塩にこだわっている人っていますね。
スーパーに行くと岩塩や昔ながらの塩田で作った塩やいろいろな塩が並んでいます。それぞれに味わいが違っていて、確かにおいしいし、こだわる人の気持ちはわかります。
一方で、海好きなぼくとしては、別な見方で塩に注目しています。
今、日本の各地の海に行くと、地元の海の塩がお土産になっていたりします。
ぼくは塩自体にそれほどこだわっているわけではないんですが、海に行くのが好きなので、その土地土地の食べ物には興味があり、その流れで海の塩もお土産に買ったりします。もちろん干物や海藻なども好きですが…塩というのは腐らないし、小さなパックになっていて、1つの単価が数百円というものが多いので、お土産にちょうどいいんですよね。
ぼくが最初に観光資源としての塩に気づかされたのは、宮古島に行ったときのことです。それってもう十数年前の話ですが、その頃すでにあの有名な「雪塩」がありました。雪塩をご存知の方は多いと思いますが、味わいが深いのと、マイルドなので、塩としてもおいしいし、お土産としても珍しいので、わりと注目されていたのを覚えています。
もちろん伯方の塩みたいな、精製された塩でないものは、すでにスーパーで出回っていましたが、雪塩のおもしろいのは、明らかに地域の名産として打ち出そうとしていたところでした。
ぼくはそれ以来、海に行って、そこで塩を売っていると買って、味の違いを味わうようになったのでした。
今のところ一番おいしいと感じるのは小笠原の塩です。
味わいが深いんですが、塩からさが舌に強めに感じられるので、サラダにコショウと共に振りかけたり、キャラメル系のケーキやお菓子に少し振りかけたり、おしるこに少し入れたり、お刺身に少しつけたりするのに適しています。
塩のおいしさというのは人それぞれ好みがあると思いますが、ぼくはマイルドなだけだとちょっと物足りないので、ちょっとだけ塩からさの主張がある塩が好きなのです。

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海に来て写真を撮るだけの人とマインドフルネスと幸せ
休日はできる限り海遊びをしたり、海遊びができなければビーチでノンビリするようにしています。冬でも…
波の音を聴き、潮風を浴び、太陽に照らされていると、とても幸せな気分になるのです。
不思議なもので、冬でも太陽の光を浴びているとだんだん身体の芯から温かくなるのです。
そして一日中海にいると、時間によって、太陽の強さや潮の満ち引きや風向きなどが変わっていくのがわかります。ぼくが住んでいるのは、三浦半島の西岸ですので、ビーチは西に向かって開いています。なので、午後から夕方に太陽が海の上にあることになり、その時間帯には、光が波に反射してキラキラとアルミホイルを散りばめたように輝きます。きらめく太陽光と海からの潮風に吹かれる夕方の時間帯が、ぼくは特に好きなのです。
マインドフルネスとか瞑想に少し興味があって、我流ですがときどきやっています。今の時間、自分という存在に意識を向けることだと思うのですが、そうするとココロが穏やかになります。
海で、海の様子にじっと意識を向けていても、同じようにココロが穏やかになります。どうやらぼくは、そういうココロの穏やかさが好きなようです。
一方で、ぼくの住んでいるあたりには東京から観光客の人が来ます。
この人達の多くは、ビーチに立って、わあーきれいといって、スマホで写真を撮って、帰ってしまうのです。その間だいたい5分から10分。こうした行動って、ぼくもたまにレストランとか雑貨屋さんとかでやります。これを仮に「SNSのための行動」とか「記録が目的の行動」と呼ぶことにしましょう。
「記録が目的の行動」の実態は、その行動をしながら、心ここにあらずな状態なんではないかな?と思うのです。記録したことで、その体験をしたことにしてしまって、次の体験することに気持ちは移っていく。時代はモノ消費からコト消費に変化しているといいますが、まさに行動や体験を次から次に消費しているわけです。
でも、体験というのは数も大切ですが、どれだけ深く濃くその体験の本質に触れ合うか、あるいは体験をとおして考えを深めるかが大切なのではないかと思うのです。
そして極端にいえば、「記録が目的の行動」は、マインドフルネスでやることと正反対のことをやっているのだと、ぼくは解釈しています。
もし、今、日本で、いや世界中で「記録が目的の行動」を多くの人がしているとしたら、体験を深く濃く味っている少数派の人はとても貴重なことをしていると思いますし、そのよさを、「記録が目的の行動」の多くの人に伝えると、その人達ももっとハッピーになれるんじゃないかと思ったりするのです。
いやその理屈の前提にあるのは、幸せな人生ってその人の主観だし、自分が、「ああ、今、幸せだな」と感じられる時間の濃さと深さがあれば幸せな人生だろうし、それは決して他者から評価してもらったり、「いいね」をしてもらった数ではない、という思い込みなんですけど…

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海辺の温泉っていいですねぇ
もう何度も書いていて枕詞みたいになってますけど、海が好きです。
そしてこれはたまにしか書かないんですが、温泉が好きです。
温泉は若い頃から好きで、高校生の頃、友達と旅行に行くのにわざわざ温泉地を選んだり、大学生の頃、ちょっと時間を見つけては立ち寄り温泉に入っていました。もともと寒がりで肩こりなので、温泉は相性がいいみたいです。若いくせにジジ臭かったんです。
温泉も長湯で、結構熱い湯でも長く入っています。そして指のマッサージとかツボを押すとかしながら、来し方行く末を考えたりしてます。まあ、ジジ臭いといえますけど、もう実年齢がジジイになりつつあるので、やっと外見と行動が一致してきたみたいです。
そんなぼくとしましては、海に行ったら温泉に入るのはセットです。海遊びで身体を動かして、その後温泉でくつろぐというのは、すごく楽しい時間です。
当然のように海でも温泉があるところがうれしいわけで、しかも温泉もいろいろあって自分の好みに合う温泉がいいわけで、しかもしかも温泉も町営とか共同の浴場があるところが好きなわけです。
なぜか?
それは安いというのももちろんありますが、飾らない雰囲気と地元の人と話すのが楽しいんです。共同温泉にいるのはたいてい地元のオジイサンかオジサンですが、そういう人とどうでもいい話をするのって結構楽しいです。ぼくもオジサンなので、オジサン同士は打ち解け合いやすいのかもしれません。
西伊豆とか中伊豆とか八丈島とかに行くとすごく安くて(場所によっては無料で)、ノンビリできる気持ちのいい温泉があってうれしいですね。それだけで行く価値があると思います。
海があって、山があって、人々が暮らしていて、その日その日が無事暮らせればよくて、健康で、日々楽しく生きられたらいいわけで、そういう平和な世の中が続くといいなあ、なんて思いながら、温泉の窓の景色を眺めている今日この頃です。

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頭の中にあるモヤモヤは海で忘れる
ぼくは海が好きで、海遊びが好きで、海遊びをする仲間が好きです。
海と接している時間が大切で、そういう暮らしを作り上げてきました。
一方で、普通に生活していると、公私で、雑事や瑣事など、面倒なことやイヤなことがいろいろありますよね。海で遊ぶと、そういうことを頭から一掃できます。
自分の身の回りに起きることをイヤだと感じるか、そうでないかは、自分自身の問題で、自分の頭の中だけの問題です。実態はないのです。で、そういうネガティブな考えを頭の中に残さないのが、日々楽しく暮らすコツなわけで、ぼくが海と接する時間を取ることで、頭の中がスッキリするなら、それは積極的に定期的にやるべきだと思っています。
ぼくの相方も、ぼくが勝手に海遊びしている道楽を容認しているのは、そういういわゆるストレス解消になっているって認めているところもあるんでしょう。
この自分の頭の中にあるモヤモヤというのは、放っておくと自己増殖したり、勝手に同じことを何回も考えたり、自分を否定したり、他者を恨んだりして、いいことはありません。できるだけ早く、このモヤモヤを頭の中から追い出して、頭のスイッチを切り替えるのが良策です。
海遊びのいいところは、海がとにかく広くて、都会や会社のような細かいルールがなくて、自由でノビノビできるところです。いわば都会や会社と正反対の環境なので、頭の中のモヤモヤを打ち消しやすいんじゃないでしょうか?
実際、海遊びをすると気分がスッキリします。
そして、大きな自然の中に身を置くと、自分がちっぽけな存在だと自覚しますし、そんなちっぽけな自分の頭の中のさらにちっぽけなモヤモヤなんて、まったく存在しないも同然なくらいだと思えます。
何億年という地球の歳月のスケールからいけば、ぼくが生きている時期なんてほんの一瞬の点みたいなものです。ぼくがどうしようとどうなろうと、おそらくほとんど関係ないでしょう。だからいろいろあるけれど、気にしない気にしない、なんとかなるし、なんとかならなくても、いずれ自分も周囲もいなくなります。
海では、ぼくはそうやって考える癖がついているので、日常生活で起こるモヤモヤってどうでもよくなっちゃうんです。
そして、ぼくの存在なんて、地球にとってはほとんど関係しないも同然なので、どうせなら楽しく生きた方がいいし、やりたいことをやった方がいいなって、そんな風に今日も海で遊ぶワタクシなのでした。

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「そんなにマジになるなよ」な、ぼくらの世代の気分とウォータースポーツ
ぼくらの世代は1990年代の前半で高校とか大学とかの多感な時期を過ごしました。
時代はバブルからバブル崩壊に差しかかっているところで、世の中ってこんなに大きく変化をするんだなあって実感していたのを覚えています。
小中高大と学生時代には、クラスでは、あまりマジになるのってかっこ悪いっていう雰囲気がありました。学生時代の同世代のそういう空気って結構影響力があったりします。
この「あんまりマジになるな」というのは、今でも自分の中に残っているように思います。
「あんまりマジになるな」というのを一応説明しますと、ガリガリ一生懸命やるのってかっこ悪いとか、どこかしら余裕があるのがいいとか、世の中の制度と体制にベッタリになると後々裏切られるかもしれないから信用するなとか、所詮人間は独りなんだから他人に頼るなとか、自分の価値観ややっていることを絶対だと思わず、客観的に見ている余裕があった方がいいとか、だいたいそういう意味を含んでいたと思います。
どんなこともいい面と悪い面がありますが、「あんまりマジになるな」にも両面があります。
悪い面では、なんとなく冷めているとか、泥まみれでもがいて必死になって何かをしないとか、少し孤独の陰があるといったことです。
いい面では、何かに依存しないで独立的であるとか、ある価値観に盲従しないといったことです。
先ほどぼくの中に「あんまりマジになるな」が今でも残っているといいましたが、それは仕事に取り組むときにも表れます。ぼくの場合は、仕事とプライベートの趣味であるウォータースポーツの関係で典型的に表れます。ぼくの親というのは団塊の世代前後ですが、会社人間とか過労死とかそういうのがよくありました。ぼくはそれを少し批判的に見ていたんです。
そんなに会社とか組織とかに忠誠を尽くして、挙げ句の果てに自分は病気になったり、過労死したりして、それっておかしいよねって…組織~会社とか国とか~そういうものへの懐疑ってあったと思います。
そういう懐疑が、ぼくの場合、自分のプライベートな生活を充実する方にいったんでしょう。自分の生活だけは確かだし、一生ついて回るものだろうと考えました。それは結構意識的にそうしてました。
もちろん仕事はやりがいもあるし、大切だけど、なによりも生活や家族が一番大切で、そしてプライベートを充実させようとした場合たまたまウォータースポーツに表れたわけです。
ここまで「あんまりマジになるな」ということを意識しながら、仕事とプライベートのバランスを少し引いた目で見る習慣がついた、ということを書きました。でも、自分がそれを意識して自分にいいきかせているということは、たぶんぼくも団塊の世代の人達と同じ気質を持っていることを自覚しているんだと思います。ともすれば仕事や組織に貢献することを優先しがちな自分がどこかにいる、それが極端にならないように歯止めをかけているというところがあります。
いろいろややこしいことを書いてしまいました。
こういう客観的で理屈っぽいことって、それだけが浮き上がってしまう傾向がありますよね。実際は、日々の暮らしって、平和で健康で安全であればそれがなによりも幸せなわけで、日々の小さな幸せを楽しみながら、生きていければそれでいいなあと思っています。

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海ではみんなが楽しそう…
海っていいなあ、と思いながら海辺で暮らし、海遊びをしているうちに何十年も経ってしまいました。
海っていいなあと思う理由はいくつもありますが、そのひとつについて今日は書きたいと思います。
特に夏休みですが、海に遊びに来ている人はみんな楽しそうです。子供なんて、はしゃぎすぎて、大丈夫かな?って心配になるほど…
大人だって街では見せない生き生きとした、くつろいだ表情をしています。
デートにやってきている恋人同士も幸せそうです。
ぼくはみんなが幸せそうになる海ってすごいな、いいなって思うんです。
やはりそこには確かに何かがあるのでしょう。海に来るとみんなが楽しそうでくつろげるような何かがあるんだろうと思うんです。
それがぼくが海が好きな理由のひとつです。
海の人を幸せにする力が、仮にあるとして、それは今のところ科学的には証明できていないようです。でも、やはり経験的にそれはあると思います。海のそうした力を活用して元気に健康になることを、ぼくは勝手に「ブルーエクササイズ」と呼んでいます。
「ブルーエクササイズ」って別に難しいルールやお作法があるわけじゃありません。ただ、海や海辺で身体を動かすということです。だから既存のウォータースポーツも「ブルーエクササイズ」に含まれます。
ペリカンケースとの20年
ペリカンケースといえば、ウォータースポーツをする人はたいてい知っている防水ケースです。
ぼくがスキューバーダイビングを始めた1990年代前半には、今ほどデジカメ全盛時代ではなくて、水中カメラをやる人は一眼レフのフィルムカメラをハウジングに入れて撮影していました。そういう人達はカメラをペリカンケースに入れて、ダイビングサイトまで移動していました。ペリカンケースというのはそういう使われ方をするとき、その能力を発揮するケースです。
ぼくは2つ持っていて、ひとつは10年くらい、もうひとつは20年くらい使っています。ひとつは小型で、車のキーを入れて、さらにそれを防水バッグに入れます。今の車のキーは電気製品みたいなものなので、丁寧に扱うようにしています。
もうひとつはペリカンケースのシリーズでいうと小さい方から3番目の製品で、メガネ・サングラス・スマホ・カメラといった壊れやすいものを入れるのに使っています。内張に薄いクッション材を張って、揺れても中の物が壊れないようにしています。
ぼくの場合、シーカヤック、スキューバーダイビング、キャンプの時に使うことが多いです。
防水バッグでも防水はできますが、ペリカンケースを使う理由はやはり衝撃から守ることができるからです。
これまで何度も経験したのですが、スキューバーダイビングでボートダイブというとき、船の上は揺れるし、ダイバーが行ったり来たりするので、メガネやサングラスを踏まれて割れたことは2度や3度ではありません。ペリカンケースに入れておけばそういう事態は避けられます。
シーカヤックでも精密機器は荷室に入れて置きますが、長時間漕いでいると結構揺れますし、上陸地点がゴロタだと、衝撃があります。それからぼくはシーカヤックでキャンプということがあるんですが、砂浜でキャンプすると夜に暗くて、貴重品を踏んづけたりすることもありえます。そういう揺れたりぶつけたりが多い状況ではペリカンケースは役立ちます。
車で行くキャンプでは、荷物が多少かさばってもいいときにはペリカンケースを持っていきます。キャンプの時はいろいろな物を持っていって、しかも乱雑になってたり、散らかっていたりして、貴重品の上に重いものを載せてしまったり、蹴飛ばしたり、踏んづけたりすることがありえるので、いわば貴重品入れとして使っています。
だいたいキャンプのときは、友人も交えて、夜は宴会になることが多くて、そんなみんながベロベロでしかも暗闇という状況で、スマホとかメガネとかを踏んづけないと期待する方が間違ってます。大事な物は丈夫なケースに入れて守らなくてはなりません。
そんなわけで、ペリカンケースと共にぼくは20年のウォータースポーツライフを過ごしてきたワケで、ペリカンケースが傍らにあるとか視界に入ると、無意識にそこは貴重品があるところだから注意しようと振る舞うようになっています。
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ずっと海にいたい
穏やかな日、海上にいることに何も心配がないような海況の日、船で海に出ると陸に戻ってきたくなくなります。ずっと海にいたいです。
陸に戻ると、喧騒があり、渋滞があり、守らなければならないルールがあり、ぼくのようないい加減はオジサンなんかでも果たさなければならない責任があります。
そういうのって結構うっとうしいと感じます。
いい歳して子供みたいですけど、戻らずに済むなら戻りたくないです。
船にいれば、大きく広がった海に抱かれて、静かで、穏やかで、すべてを自分が決められる世界があります。
細かいルールもなく、社会的な役割もありません。そこは生きるか死ぬかが最低限大切な世界です。有名も無名もお金持ちも貧乏も関係なく、責任やしがらみもありません。ただ無事に生きていればよいという、そのシンプルさとわかりやすさがぼくは好きです。
そういう価値がぼくにとっては、とても大切なことだと最近になって、もうオジサンで人生の大半を過ごしてしまってから気づきました。
とはいいつつ、船で海に出ていれば、海が荒れたらそこは死と隣り合わせのひどい世界です。「あぁ、なんで自分はこんな日に海に出たんだろう。バカじゃないのか?今日こそは本当に死ぬかも…」と心細い状況になることもあります。命からがら陸に戻るということもしばしばあります。
そういうときは陸の方がマシ、いやーやっぱり陸地があるってすばらしいなあって思います。陸地があって、家があって、お風呂に入って、ビールが飲めるってシアワセだなーって思います。
とても身勝手なのですが…
いったいこのワガママな心理状態というのはどこからくるんでしょう。そして、ぼくはやっぱり、ないものねだりの業の深いところがぜんぜん直らないですね。あー、今でも直らないと、このままずっと直らないかな…
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