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熱海に対する複雑な思い



 熱海について思うことを書きたいと思います。
 ぼくは東伊豆にスキューバダイビングに行くことが多いので、熱海はよく通ります。
 ぼくはたいていの海辺は好きなんですが、熱海については複雑な思いを抱いています。
 熱海って、ぼくからすると都会です。ホテルやリゾートマンションや別荘が建て込んでいて、ぼくの住んでいる海辺の田舎町と比べると大都会です。
 これが横浜だと海辺ではありますが、元々都会なので、ぼくもそういう所だと認識しています。
 ところが熱海は観光地であり、リゾートです。主に首都圏の人が訪れる保養地です。だけどビルが建て込んでいる都会…このあたりがぼくがモヤモヤするポイントなのかなって思っています。
 温泉があり、風光明媚で温暖、東京から新幹線を使えば1時間もかかりませんし、海から急な斜面が続いていますから、海から離れた土地でもオーシャンビューが楽しめます。リゾートとしての魅力を備えているから、今のように発展したのでしょう。
 でも、ぼくがもし熱海の行政に携わっているとしたら、もっと自然を残すような制限を設けて開発させたと思います。
 そうなんです。熱海は開発されすぎてしまってリゾート感が薄らいでしまったんじゃないかと思うんです。
 ぼくの場合、伊豆方面に旅行をするとしたら、熱海は避けて、伊豆高原から先、できれば下田や南伊豆まで行きます。そこまで行くとのんびりした牧歌的な雰囲気と、豊かな自然があるため、リゾートに来たな、という実感が持てます。
 これと似た状態にあるのが、沖縄本島の那覇です。沖縄本島も、那覇から離れればリゾート感が体験できますが、那覇市街は都会です。
 逆にリゾート地として開発がうまくいっているのは、黒川温泉とか湯布院でしょう。おそらく開発されすぎないように制限をしているんじゃないかと想像します。
 人気のリゾート地というのは開発の仕方を注意しないと、本来の魅力を失ってしまうのかもしれません。







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島旅へ行く時の飛行機や船が好き



 ぼくは海へ行く旅が好きです。特に国内外の島旅が好き。
 島って、独特の隔絶感があって、違う世界に来たなという感覚があります。特に小さめの、人口が少ない島が好きです。
 島に渡るには、飛行機と船がありますが、どちらも好きです。飛行機や船に乗り込むときにはワクワクします。
 普段それほどテンションが高くないタイプのぼくが、島へ渡る飛行機や船に乗り込むとかなりテンションが高くなるので、同行する仲間や妻がいたりすると驚かれたりします。
 島へ渡る感覚というのは、なんというか、ぼくの中では、別世界のパラダイスへの旅立ちという感覚があって、それでワクワクするんだと思います。もちろん楽しみにしていた旅の始まりだからというのもあるでしょう。でもぼくの中では、いつもの旅とは別格のワクワク感です。
 ぼくが好きな小さめの島というのは、空港や港の施設(ターミナルという感じではないんですよね…)も、小さくて素朴な田舎の駅のような佇まいで、それも小さな島に来たなーという感覚になります。飛行機を降りるのもタラップで、その階段を降りているときも、なんだかしみじみ懐かしく感じます。空港や港の施設を出るときには、「あぁ、遠くの離れ島に着いた。これから何日間はこの島の中だけで暮らすんだ」と思います。
 旅自体が楽しいんですが、小さな離島への旅というのはぼくの中では特別なものなんです。

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短パン大好き!



 ぼくはいい歳したおじさんですが、短パンが大好きです。
 短パンってなんてステキなんでしょう。
 ちなみに幼稚園に行っている甥っ子は、アンパンマンが大好きです…
 海遊び仲間と飲んでいるときに、短パンで日常生活どこまで暮らせるか?という話しをしたことがあります。近所の病院はok。最寄りのターミナル(たとえば小田原とか大船渡か)までは行ける。東京は行けない。飲み会はok。法事はNG。みたいなくだらない話しです。
 短パンはとにかくラクチンででいいですよね。できればずっと短パンで暮らしたいと思うんです。
 1年中履いていいたいわけですが、さすがにいい歳したオジサンが冬に短パン履いているのも世間的に若干懸念がありますし、もしかすると「ぼっ、ぼくはよくわかんないんだな…困ったらおにぎりくださいっていってたんだな…」のヒトになってしまう可能性があります。
 だいたい長ズボンちゅうのが、足にまとわりついて動きにくくて苦手です。
 さらに革靴なんていうものは、苦痛以外の何ものでもないですね、ええ。
 締め付けられるし、蒸れるし、堅っ苦しいし、なんかいいことあるの?てな感じです。
 革靴が好きなヒトとは、きっとワタシお友達になれない…
 ぼくは長年短パン・ビーサン自由民権主義というものを唱え、各方面に働きかけているわけです(ウソです。今思いつきました)。
 その短パン・ビーサン自由民権主義というのは、簡単にいっちゃうと…
 短パン・ビーサンを履く→解放感
 短パン・ビーサンはだいたい安価である→人との差がつきにくい
 この2点から→自由→平等→近代自我からの脱却→現代の他者との差の認識による自己肯定からの脱却→真に人間らしい生き方
 ということになるわけです。
 短パン・ビーサンを履くことが、21世紀の閉塞したグローバル資本主義から脱却し、新しい民主的な社会を作っていく第一歩なのです…たぶんね…
 とにかく短パン・ビーサンを履くという簡単なことが、人間らしい生き方につながるという、なんともすばらしい理論なのであります。
 さあ、みんなで短パン・ビーサンを履いて、自由に、平等に、人間らしく暮らそうじゃないか!




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ずっと海辺にいたいんです



 海辺に暮らしていると、季節によって海にいるのがとても気持ちがいいときがあります。というか、ぼくのような海バカは、年がら年中海に出ているわけですが…
 気持ちがいい時季というのは、春と初夏と秋なんですが、気温が暑くも寒くもなく、湿度も高くなく、爽やかな潮風が吹いて、海にいるのが気持ちいいんです。
 休日で、そんな天気のいい日にあたれば、ぼくは(ときには妻も)アウトドア用のチェアとテーブルとタープ(主に妻が同行するときに持っていきます)とバーナーとカップとちょっとしたお菓子やサンドイッチを持って、海に行きます。といっても家から歩いて3分ほどですが…
 目の前には広い海と青い空が広がっていて、潮風が吹いて、なんだかとても気持ちがいいんです。ありきたりな表現ですが、癒されます。なので、午前中からビーチに行って、午後3時、4時頃まで居たりします。
 で、家に帰ったらお風呂に入って、デッキでビールを飲むというのが、ぼくの休日の過ごし方ゴールデンパターンということになります。
 ちなみに気持ちがいい季節に入っていなかったんですが、夏も夜なら気持ちがいいんです。なので、夏は、夕方から夜にかけて、近所のビーチにある海の家に行ってビールを飲んでから、家に帰って夕食を食べたりします。夕暮れになって、空の色がグラデーションがかかって、様々な色に変わっていきます。海からの潮風も暑さを紛らわしてくれて気持ちがいいんです。だんだん暗くなってきて、波の音だけが響く時間になると、酔いもちょうどよく回っているので、家に帰ります。
 ぼくもだいぶオジサンになってきたので、あと何回くらい元気に、気持ちがいい海辺の時間を過ごせるんだろうと考えたりします。たぶん3桁にはいかなくて、2桁台だと思うんですが、そう考えると、海辺にいる時間がとても貴重な時間に思えてきます。







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観光客をどう考えるか問題



 海辺の町に住んでいます。
 ときどき観光客をどう考えるかということが、同じ地域に住んでいる仲間の間(たいてい海遊び仲間ですけど)で話題になることがあります。これが京都とか沖縄とか、観光が昔からその町の主要産業である場合は、あまり議論にはならないでしょう。どちらかといえば、観光客が少なくなる方が問題ですもんね。
 ただぼくが住んでいるところは、そのあたりが微妙なんです。というのも場所が、いわゆる湘南というエリアでして、観光客目当ての店もありますが、普通に横浜や東京などの企業などで働いている通勤者も結構住んでいます。
 自治体の税収がどうなっているか詳しく知りませんが、たぶん結構な割合がサラリーマンからの税収なんだと思います。おそらく観光客向けのお店は個人商店が多く、そこまで売上は高くないので、そんなに税金は納めてないんじゃないかって思うんですが、ちゃんと調べてないですから、これはぼくの勝手な推測です。
 それで観光客が来れば、道も電車も混みますし、マナーの悪い人がいるとゴミをポイ捨てしていったりします。夏は夜遅くまで花火をしたり、大騒ぎする人もいます。ビーチで飲み過ぎて救急車で病院に運ばれる人もいますが、こういう人の対応のために税金が使われていると思うと、ちょっとモヤモヤします。
 ぼくは東京に通勤するサラリーマンで、土日が休みなんですが、せっかくの休みの日に道が渋滞していたり、海が混雑するのは正直なところ迷惑でしかありません。
 元々、ゆったりした静かな暮らしを求めて海辺の田舎町へ移住してきたので、偏狭なようですが、観光客が来るのは嫌なのです。
 地元の知り合いにこういう考え方について意見を訊いてみると、当たり前ですが観光客向けの商売をしている人は、観光客ウェルカムです。ぼくの考え方は排他的すぎるといわれます。それはそうでしょうね。
 一方、サラリーマンや、仕事をリタイアしてゆっくり過ごしたいために移住してきた人は、ぼくと同意見です。
 立地がもともと観光地ならば、ぼくも納得がいくんですが、そうでもないわけです。たぶん首都圏近郊でベッドタウンでもあり、首都圏の人の観光地でもあるという微妙さが、このモヤモヤの原因なんだと思いますし、似たような立地に住む人は、たぶん同じようなモヤモヤを抱えているのでしょう。
 今回は全体に愚痴に終始してしまいました。もっと大らかでウェルカムな性格になれればいいなあと、若干自己嫌悪です。







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社会と自我の狭間で…



 以前このブログに、ぼくが海が好きなのは、幼い頃から、社会的なものとの接し方が独特で、生きにくさを感じているため、海にいると人と接しなくて楽だというような主旨の記事をかいたことがあります。
 それって海という自然に逃げ込んで、対人関係から距離を置くことで、自分を守りたいという意識が働いているからだと思うんです。
 でも、たとえばシーカヤックの単独ツーリングで、3日間、人にまったく会わなかったら、すごく寂しいし、久しぶりにあった人にやたら話しかけると思うんです。
 誰でもそうだと思うんですが、人は独りで生きていけないし、他者や社会との関係を結び、そこで自分の存在意義を確認したいんじゃないでしょうか?
 で、ふと思うのは、SNSでバーチャルに他者とつながっていて満足できるかというと、ぼくの場合そうじゃないんです。
 やっぱり面と向かって話したいし、共にスキューバダイビングやシーカヤックをして、それについていろいろ語り合うことで、ココロの充実感を得ているところがあります。
 ぼくもSNSをやっていますが、やっぱりリアルにスキューバダイビングで仲間と潜るのでは、気持ちの充実感が全然違います。
 なぜなのかわからないんですが、ぼくは、というかぼくの脳は、他者の生の人間独特の存在感というものに、何かしら反応しているんじゃないでしょうか…
 それってバーチャルでは感じられない力ー何か引力というか、圧力というかーが働いているような気がします。
 まとめていってしまえば、自我と他者との共生という2つの間のバランスなんだと思うんですが、それは人それぞれバランスの重心が違うんだろうな、って推測します。それからリアルで他者と関係を結ばないと嫌な人もいれば、バーチャルだけでokという人もいるのかもしれないと思います。バーチャルだけでokっていう人の気持ちに対して、ぼくは共感はできないですけど、でもそれだって人それぞれかなって…
 ぼくの場合は、他者や組織や社会から離れっぱなしでは生きていけないんですけど、でも時々疲れてしまって、海という自然の中で独りでいることでココロを休めて、また社会に戻っていくという感じなのです。

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ぼくが海辺に住むのは、自分の弱さを癒してくれるから



 ぼくは海が好きで、海辺の田舎町に移住してしまいました。
 ぼくが海が好きなのは、海にいると楽で、癒されるからです。

 ぼくは、幼い頃から、社会的なものとの接し方が、独特だったような気がします。すごく人見知りだし、グループやクラスのような集団にいると、集団にできる限り貢献しようとして自分が我慢するようなところがあったと思います。なので集団の中にいると、自分で勝手に頑張って、自分で勝手に疲れてしまうようなタイプでした。というか今もそうです。
 人にはそれぞれ長所と短所があると思いますが、ぼくの性格は、周囲の人に気を遣うという点で長所として表れますが、周囲に気を遣いすぎて自分が疲れてしまうという点で短所となります。
 それはたぶん中学生の頃から自覚していて、自分でも直そうと努力してきましたが、性分というか性格というものは、そんなに簡単に直らないものですね。
 なので、人のいない、対人関係を結ばなくてもいい、海という自然のある場所はすごく居心地がいいんです。日頃の対人関係で疲れた心が、海辺にいると癒される実感があります。
 ぼくが海辺に移住しないで、自然の少ない都市部に住んでいたら、今ほど精神的に健康でいられたか怪しいなと思います。
 それほど海という自然が近くにあるというのは、ぼくにとって大切なことなのです。

 もし、ぼくと同じようなタイプの方がいて、ぼくと似たような境遇だとしたら、できる範囲で自然と接する時間を増やすことをオススメします。

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Tシャツ・短パン・ビーサンで過ごせる町が好きです



 先日大学時代の友人に会うために、久しぶりに自由が丘に行きました。Tシャツ・短パン・ビーサンで…
 ぼくは春から秋までは、毎日この服装で過ごしているので…
 そうしたら、街を歩いていたらぼくの服装が浮くこと浮くこと…
 いやはや、ぼくはこういう街には住みたくないなと思いました。
 地元の海辺の田舎町だと、どこに行くにもTシャツ・短パン・ビーサンで違和感ないし、周りの大人も子供もそんな格好です。なんとも気楽でラフな暮らしが営めますからねー。余談ですが、ぼくの子供が小学生だった頃、父兄参観で学校に行くと、お父さんはみんなTシャツ・短パンでした。
 靴って、革靴はもちろんスニーカーだって、足を締め付けるからうっとうしいと、ぼくなんかは感じてしまうんですよね。長ズボンも足にまとわりついて、うっとうしいと思います。
 楽な方がよくないですか?
 とか、いいつつぼくの大学生時代はバブルの頃で、大学生でも結構高い服を着て、ディスコ(まだクラブとは呼んでいませんでした)に行ったりしてたので、たぶんぼくの中で価値観が変わったんだと思います。もっと楽に自然に伸び伸びと暮らせるのがいいなあ、と思うようになったんでしょう。時代の雰囲気も変わったかもしれません。
 というわけで、今日もTシャツ・短パン・ビーサンでスーパーに行く予定です。







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「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」に憧れます



 「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」という言葉に魅力を感じてしまいます。
 そんなふうに感じてしまうのは、ぼくがもともと怠惰な性格であることもありますし、変化に対応するのが苦手な性格という自覚がありますし、社会的に不適合な性格だということもあります。
 もうひとつ大きな理由は、会社勤めのせいではないかという推測です。
 組織で働いた方ならおわかりいただけるかもしれませんが、会社で働くということは、キツ目のノルマとか、日々増えていくタスクとか、絶えず迫り来る締切りとか、突然起きるアクシデントとか、手強い相手との交渉とかの連続なわけです。そんなことに対応して給料をもらうのが会社勤めの大部分だと思っているんですが、そんな暮らしを何十年も続けていると、そうした日々起きることに対応するのにウンザリしてしまうのです。というか、ぼくの場合はそんな感じです。ちなみにぼくは50代のオジサンです。年齢的にも疲れてきているのかもしれません。
 そういう前提があるオジサンのぼくの場合、少なくとも休日くらいは「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」といった環境に身を置きたくなるでしょう、そりゃ、なんて思うわけです。
 「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」という言葉に憧れるぼくがした選択が、海辺の田舎町に住むということです。
 平日は東京とかいうところにある会社というところで働いて、片道2時間弱かけて、海辺の我が家に帰ってきます。家に帰ると暗くなっているわけですが、潮騒が聞こえたり、潮の香りがしたりします。それがなんとも心に浸みるんですね。ちょっとだけ心にゆとりができる瞬間です。
 休日は朝5時くらいに起きて、家の近くの砂浜を散歩します。そして家に帰ってから朝食をとって、デッキで、海を眺めながらコーヒーを飲みます。穏やかな暮らしをしていると実感できる瞬間です。
 家のある海辺の田舎町での暮らしは、ほとんどストレスフリーでして、「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」を実感しながら暮らせます。そこから東京の会社に行くと別世界です。







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のんびりマイペースに過ごせる休日は、宝物



 休日は海辺の田舎町にある自宅で、海辺を散歩したり、ウォータースポーツをしたり、デッキで海を眺めながらコーヒーを飲んだりして、のんびり過ごしています。
 というのも、ぼくがしたいことは、のんびり暮らすことだからです。最近このブログでもやたらのんびりしたいというテーマで記事を投稿しています。
 今一番欲しいものは何かと訊かれたら、時間や締切りに追われず、過大なタスクに追われず、自分のペースでゆったりと暮らしたいと答えます。
 そういう点では、何の用事もない休日は、ぼくにとっては宝物のような日です。
 今回は自分がなぜそこまでのんびり暮らしたいと思うのか考えてみることにします。
 ぼくはせっかちというか、焦るタイプの性格です。そして人からは真面目だといわれます。たまに責任感が強いね、なんていわれたりもします。
 たとえば待ち合わせの時間などは、たいてい10分くらい前には着いていたりするような人間です。
 そういうタイプのぼくが会社という組織で働くと、多くのタスクや締切りに追われて、絶えず焦ったり、締切りの心配をしていることになります。これって割と疲れます。
 こういう性格を、もう少しルーズでいい加減な方向に変えていけたらいいなと思って努力してみましたが、自分の性格というのはそう簡単に変わるものではありません。
 そんなわけでタスクや締切りに追われないような暮らしというのに憧れます。やることは全部自分のペースで決められる暮らし…ってそれって老後みたいですが、ちょっと憧れます。
 そしてのんびりマイペースに暮らしてみたいと思うのです。







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