海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
「人がやっていることと同じことをしたがる人と同じことをするな」
スキューバーダイビングやシーカヤックやサーフィンを毎週のようにやっています。
ぼくはマイペースかつワガママなので、どちらかというと独りでやる方が好きです。
もちろん気心の知れた仲間と一緒にウォータースポーツをやるのも好きですが、たいていぼくの方が経験があるので、事故がないように心配したり、旅などがスムーズにいくように気を遣ったりするので、自分が気疲れします。それでもみんなと一緒に遊ぶのは楽しいので、なんともいえません。
一方、独りでウォータースポーツをやるのは、自由に行きたいところへ行けるし、多少危ないことをしても、自分の判断と体力の限界に挑戦する面があるので、それもすごく楽しいのです。もともと幼い頃からそういう面が自分にはありました。
たまに、必ず誰かと一緒にウォータースポーツをしたがる人がいて、そいういう人の気持ちって、ぼくにはよくわかりません。寂しいのか、不安なのか、みんなと楽しむのが好きなのか、まあその人が楽しいならそれでいいんですけど、ぼくとしては、あまりベッタリされるとうっとうしいんです。
経験的に、寂しがり屋で依存心の強い人には要注意という法則があるので、自分からはあまり近づかないようにしています。
また、少し違った話ですが、ぼくは、誰もいないポイントを探してサーフィンをするのが好きですが、そいういうところで乗っていると、必ず別のサーファーが後から入ってきます。これもうっとうしいなあと思います。たぶん後から来るサーファーの気持ちとしては、行列ができている店に並ぶのと心理的には同じだと思いますが、サーファーなら自分で判断して、自分でポイント探せよと思うんです。そういうサーファーって、同じサーファーでもぼくとはかなりメンタリティが違うのでしょう。
だいたいにおいて、人がやっていることと同じことをする人とは親しくならない方が無難なので、適当に距離をとるのがぼくの信条です。まとめると「人がやっていることと同じことをしたがる人と同じことをするな」ということになります。
逆に共感するのは、山登りでもロングトレイルでも、本来のコースではないところを地図を頼りにかき分けていくような人です。そういうメンタリティで、ぼくは海遊びをしたいなあと思っています。
地球上で人が入っていない自然は、ほぼなくなりつつあるといわれていますが、それでも探せば、人が通ったことのない山、人が通ったことのない海、人が訪れたことがない入江はあるはずで、もしかしたらそこに得もいわれね楽園のような場所があるかもしれない…なんて考えるとワクワクしてきませんか?

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海辺の小屋とかツリーハウスに憧れます…
一時期ツリーハウスが話題というかブームというかちょっと流行になっていたことがありました。
っていう書き出しで、「?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、アウトドアとかナチュラルとか田舎暮らしとか、そういうのに興味がある人の間では…ということです。
いいですよね。
男の子なら一度は憧れたことがあるんじゃないでしょうか?
ツリーハウスの延長線上で、小屋もいいですよね。
海辺の小屋、小さなボートハウス、なんて憧れます。
水道も電気もトイレもなくて、2、3日分の水と食料と酒(これ大事!)を持ち込んで、週末を過ごす。
そういうのが好きな人は好きですよね。
これを併せて海辺のツリーハウスなんていいなあ、なんて空想しています。ちょっと高い木の上から海が眺められて夕陽を浴びながらビール飲むなんてどうでしょう?
ぼくは、シーカヤックにキャンプ道具を積んで、誰も来ない入江に行って、キャンプをするのが好きですが、そういうのって独りか、親友二人の少人数で行きます。
女の人とか連れて行きたくないですね。うちの相方なんかは、なかなか信じてくれなくて、ぼくが良からぬことをしてるんじゃないかって疑ってたことありますけど、独りで焚き火をしながら海辺で酒を飲んで一晩を過ごす楽しさって、理解できないみたいでした。
わざわざ嬉々として不便なところに行って、不便な思いをするのか、家なら暖かいし、柔らかいベッドもあるし、冷蔵庫もあるし、テレビもあるし…
そういうことじゃないんだよね。
最小限の道具で、簡素な食事をして、焚き火を見つめながら酒を飲む…
潮騒と月の明かり…
友達と行っても、ときどきボソボソと話すだけ…
いろいろな考えが頭をよぎる…
テントでウイスキーをすすりつつ、本を読みながら、潮騒をBGMに眠りにつく…
朝起きたら海と太陽がある、その素晴らしさ…
その場に女の人がいてベチャクチャしゃべられるとちょっと興ざめですね。
三宅島でアカコッコ
年に何度か三宅島と八丈島に行きます。というか知り合いがいるので、行くようにしています。
ぼくが三宅島へ行く時は、知り合いと一緒に、何とかのひとつ覚えみたいにダイビングばかりをするのです。とにかく連日朝から晩までダイビング。
ですが、この間行った時は、海が荒れていてダイビングができませんでした。
というわけで、その日は、陸で遊びました。
望遠鏡で鳥を見ているとそれぞれに個性があって、かわいいんですね。
海の塩っていろいろあって楽しい
塩の話です。
塩にこだわっている人っていますね。
スーパーに行くと岩塩や昔ながらの塩田で作った塩やいろいろな塩が並んでいます。それぞれに味わいが違っていて、確かにおいしいし、こだわる人の気持ちはわかります。
一方で、海好きなぼくとしては、別な見方で塩に注目しています。
今、日本の各地の海に行くと、地元の海の塩がお土産になっていたりします。
ぼくは塩自体にそれほどこだわっているわけではないんですが、海に行くのが好きなので、その土地土地の食べ物には興味があり、その流れで海の塩もお土産に買ったりします。もちろん干物や海藻なども好きですが…塩というのは腐らないし、小さなパックになっていて、1つの単価が数百円というものが多いので、お土産にちょうどいいんですよね。
ぼくが最初に観光資源としての塩に気づかされたのは、宮古島に行ったときのことです。それってもう十数年前の話ですが、その頃すでにあの有名な「雪塩」がありました。雪塩をご存知の方は多いと思いますが、味わいが深いのと、マイルドなので、塩としてもおいしいし、お土産としても珍しいので、わりと注目されていたのを覚えています。
もちろん伯方の塩みたいな、精製された塩でないものは、すでにスーパーで出回っていましたが、雪塩のおもしろいのは、明らかに地域の名産として打ち出そうとしていたところでした。
ぼくはそれ以来、海に行って、そこで塩を売っていると買って、味の違いを味わうようになったのでした。
今のところ一番おいしいと感じるのは小笠原の塩です。
味わいが深いんですが、塩からさが舌に強めに感じられるので、サラダにコショウと共に振りかけたり、キャラメル系のケーキやお菓子に少し振りかけたり、おしるこに少し入れたり、お刺身に少しつけたりするのに適しています。
塩のおいしさというのは人それぞれ好みがあると思いますが、ぼくはマイルドなだけだとちょっと物足りないので、ちょっとだけ塩からさの主張がある塩が好きなのです。

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海辺の温泉っていいですねぇ
もう何度も書いていて枕詞みたいになってますけど、海が好きです。
そしてこれはたまにしか書かないんですが、温泉が好きです。
温泉は若い頃から好きで、高校生の頃、友達と旅行に行くのにわざわざ温泉地を選んだり、大学生の頃、ちょっと時間を見つけては立ち寄り温泉に入っていました。もともと寒がりで肩こりなので、温泉は相性がいいみたいです。若いくせにジジ臭かったんです。
温泉も長湯で、結構熱い湯でも長く入っています。そして指のマッサージとかツボを押すとかしながら、来し方行く末を考えたりしてます。まあ、ジジ臭いといえますけど、もう実年齢がジジイになりつつあるので、やっと外見と行動が一致してきたみたいです。
そんなぼくとしましては、海に行ったら温泉に入るのはセットです。海遊びで身体を動かして、その後温泉でくつろぐというのは、すごく楽しい時間です。
当然のように海でも温泉があるところがうれしいわけで、しかも温泉もいろいろあって自分の好みに合う温泉がいいわけで、しかもしかも温泉も町営とか共同の浴場があるところが好きなわけです。
なぜか?
それは安いというのももちろんありますが、飾らない雰囲気と地元の人と話すのが楽しいんです。共同温泉にいるのはたいてい地元のオジイサンかオジサンですが、そういう人とどうでもいい話をするのって結構楽しいです。ぼくもオジサンなので、オジサン同士は打ち解け合いやすいのかもしれません。
西伊豆とか中伊豆とか八丈島とかに行くとすごく安くて(場所によっては無料で)、ノンビリできる気持ちのいい温泉があってうれしいですね。それだけで行く価値があると思います。
海があって、山があって、人々が暮らしていて、その日その日が無事暮らせればよくて、健康で、日々楽しく生きられたらいいわけで、そういう平和な世の中が続くといいなあ、なんて思いながら、温泉の窓の景色を眺めている今日この頃です。

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「そんなにマジになるなよ」な、ぼくらの世代の気分とウォータースポーツ
ぼくらの世代は1990年代の前半で高校とか大学とかの多感な時期を過ごしました。
時代はバブルからバブル崩壊に差しかかっているところで、世の中ってこんなに大きく変化をするんだなあって実感していたのを覚えています。
小中高大と学生時代には、クラスでは、あまりマジになるのってかっこ悪いっていう雰囲気がありました。学生時代の同世代のそういう空気って結構影響力があったりします。
この「あんまりマジになるな」というのは、今でも自分の中に残っているように思います。
「あんまりマジになるな」というのを一応説明しますと、ガリガリ一生懸命やるのってかっこ悪いとか、どこかしら余裕があるのがいいとか、世の中の制度と体制にベッタリになると後々裏切られるかもしれないから信用するなとか、所詮人間は独りなんだから他人に頼るなとか、自分の価値観ややっていることを絶対だと思わず、客観的に見ている余裕があった方がいいとか、だいたいそういう意味を含んでいたと思います。
どんなこともいい面と悪い面がありますが、「あんまりマジになるな」にも両面があります。
悪い面では、なんとなく冷めているとか、泥まみれでもがいて必死になって何かをしないとか、少し孤独の陰があるといったことです。
いい面では、何かに依存しないで独立的であるとか、ある価値観に盲従しないといったことです。
先ほどぼくの中に「あんまりマジになるな」が今でも残っているといいましたが、それは仕事に取り組むときにも表れます。ぼくの場合は、仕事とプライベートの趣味であるウォータースポーツの関係で典型的に表れます。ぼくの親というのは団塊の世代前後ですが、会社人間とか過労死とかそういうのがよくありました。ぼくはそれを少し批判的に見ていたんです。
そんなに会社とか組織とかに忠誠を尽くして、挙げ句の果てに自分は病気になったり、過労死したりして、それっておかしいよねって…組織~会社とか国とか~そういうものへの懐疑ってあったと思います。
そういう懐疑が、ぼくの場合、自分のプライベートな生活を充実する方にいったんでしょう。自分の生活だけは確かだし、一生ついて回るものだろうと考えました。それは結構意識的にそうしてました。
もちろん仕事はやりがいもあるし、大切だけど、なによりも生活や家族が一番大切で、そしてプライベートを充実させようとした場合たまたまウォータースポーツに表れたわけです。
ここまで「あんまりマジになるな」ということを意識しながら、仕事とプライベートのバランスを少し引いた目で見る習慣がついた、ということを書きました。でも、自分がそれを意識して自分にいいきかせているということは、たぶんぼくも団塊の世代の人達と同じ気質を持っていることを自覚しているんだと思います。ともすれば仕事や組織に貢献することを優先しがちな自分がどこかにいる、それが極端にならないように歯止めをかけているというところがあります。
いろいろややこしいことを書いてしまいました。
こういう客観的で理屈っぽいことって、それだけが浮き上がってしまう傾向がありますよね。実際は、日々の暮らしって、平和で健康で安全であればそれがなによりも幸せなわけで、日々の小さな幸せを楽しみながら、生きていければそれでいいなあと思っています。

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ずっと海にいたい
穏やかな日、海上にいることに何も心配がないような海況の日、船で海に出ると陸に戻ってきたくなくなります。ずっと海にいたいです。
陸に戻ると、喧騒があり、渋滞があり、守らなければならないルールがあり、ぼくのようないい加減はオジサンなんかでも果たさなければならない責任があります。
そういうのって結構うっとうしいと感じます。
いい歳して子供みたいですけど、戻らずに済むなら戻りたくないです。
船にいれば、大きく広がった海に抱かれて、静かで、穏やかで、すべてを自分が決められる世界があります。
細かいルールもなく、社会的な役割もありません。そこは生きるか死ぬかが最低限大切な世界です。有名も無名もお金持ちも貧乏も関係なく、責任やしがらみもありません。ただ無事に生きていればよいという、そのシンプルさとわかりやすさがぼくは好きです。
そういう価値がぼくにとっては、とても大切なことだと最近になって、もうオジサンで人生の大半を過ごしてしまってから気づきました。
とはいいつつ、船で海に出ていれば、海が荒れたらそこは死と隣り合わせのひどい世界です。「あぁ、なんで自分はこんな日に海に出たんだろう。バカじゃないのか?今日こそは本当に死ぬかも…」と心細い状況になることもあります。命からがら陸に戻るということもしばしばあります。
そういうときは陸の方がマシ、いやーやっぱり陸地があるってすばらしいなあって思います。陸地があって、家があって、お風呂に入って、ビールが飲めるってシアワセだなーって思います。
とても身勝手なのですが…
いったいこのワガママな心理状態というのはどこからくるんでしょう。そして、ぼくはやっぱり、ないものねだりの業の深いところがぜんぜん直らないですね。あー、今でも直らないと、このままずっと直らないかな…

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わたくしはテキトーな人なので、あのーどうかイロイロいわないでください
ずっと大雑把にテキトーに生きてきました。たぶんそんなぼくだから、今住んでいる海辺の田舎の漁師町に居心地のよさを感じるんでしょう…って、海辺の田舎の漁師町に住んでいるちゃんとした人に申し訳ないですけど…
それでですね、あのですね、いつもスゴークちゃんとしていて、服とかアイロンがかかっていてピッとしていて、髪も手入れされていて、言葉遣いもていねいで、仕事もテキパキできて、ミスがなくて、…みたいな人がたまにいますね。
で、やっぱりそういう人から見ると、ぼくなんかすごいテキトーでマイペースだから気になるんだと思うんです。ぼくなんかそういう人を見ると「こういう人はHするときもキチンとしてるんだろうか」なんて下品なばかり考えてるわけですし…
きっと先方からすれば、教育的に指導したほうがいいと思えるんでしょう。そう、だいたいちゃんとした人は自分が正しいと思っていらっしゃるわけで…で、いろいろ注意してくださるわけですよ。
そりゃもう、すべてごもっともです。ぼくの方がイロイロできていないのは、火を見るよりも明らかなんですから。
そりゃもう、すべてごもっともです。ぼくの方がイロイロできていないのは、火を見るよりも明らかなんですから。
で、そういう人とぼくは住む世界が違うというか、たぶん人間でも微妙に種族が違ってるんじゃないかと思うんで、お互いに近づかない方がいいと思うんです。ぼくなんか近くにいるだけで息がつまりそうですもんね。
幸いなことに地元とか海遊び仲間にはそういう人は少なくて、海で遊んでいる分にはとても平和な日々なのです。
ぼくはとても楽チンでノビノビしてるんです。
アウトドアスポーツをやる人は自分がやりたいことがはっきりしていて、他人がどうでもわりとほっとく感じが好きです。
それから自分がやりたいことは、リスクを取ってでもガンガンやっていくのは、生き方としても共感できます。
というわけで、キチンとした人には近づかない、あまり親しくならないで暮らしていきたいわけで、ちょっと偏屈かとは思いますが、まあ別にもうだいぶ人生も終わりかけだし、もう自分の好きなようにしちゃうもんねと思う今日このごろです。
湘南国際村 めぐりの森がいい感じ
うちの近所に湘南国際村という開発地域があります。元々は山で、里山があって、自然豊かなのどかなエリアでしたが、そこを切り開いて、研究所や企業の研修施設やコンベンションセンターや住宅を作ったのです。全国どこにでもありがちな、産官連携の施設です。
ぼくは開発される前の豊かな自然が好きだったので、このありがちな開発にはかなりがっかりしました。
湘南国際村がある横須賀市は、ぼくからすれば開発が好きな自治体のように見えます。湘南の海沿いにはいくつか自治体がありますが、開発に積極的な自治体とそうでもない自治体があって、それぞれのカラーがわりとハッキリしていておもしろいですね。
工業団地やリサーチパークや学園都市を造るのなんて、もう飽和状態でニーズもないんじゃないかと思いますが、豊かな自然は、神奈川という東京から電車で1時間程度のエリアでは、とても貴重です。そのあたりの判断ができない自治体とか目先の利益を追わなければいけない住民(というか地元企業)がいる自治体というのは、センスがないんじゃないでしょうか?
豊かな自然を残した方が観光客とか、自然が好きな住民が流入して来ると思うんですけど…
その湘南国際村にめぐりの森というエリアがあるんです。まあ一帯を開発する代わりにそのエリアだけは自然を残して、遊歩道みたいになものを整備して、住民のために自然を親しむ場を作りました、というアリバイ的なエリアですが、そこが本当にいい加減にしか作り込まれていないので、見どころもなく、遊歩する魅力もないため、それが幸いして観光客も来ない感じになっているんです。
結果として、近所の知ってる人だけが散歩したりするだけで、結果として自然が保全されていることになっています。おそらく尾瀬などの有名な自然豊かな場所と比べると、そのエリアに立ち入る人の数は、1000分の1とか10000分の1程度なんじゃないでしょうか? まったくおもしろいものです。
本当に環境保全をして、人が入らないようにしたいなら、自然の魅力がわからない程度に、適当に、センスなく、やる気なく自然と親しむエリアを整備するとよいという例です。この一帯を計画した横須賀市の担当者とゼネコンはよほど自然に関心がないのでしょう。
オレは自由だ…という基本
基本的に人というのは自由だと、学校で教わったような気がします。
あれぇ、違ったかな? 勘違いかな?
その前提自体が幻想とか嘘っぱちかもしれませんけど、一応建前としてそういうことになっています。
実際は、いろいろな、しがらみやらなんやらでぜんぜん自由じゃないですけど…
でも、そういうしがらみって、自分もそれに従うからしらがみ自体が増殖します。しがらみの方でも、「こいつはいうこと聞くやつだな」とわかると、なめてくるので要注意です。しがらみ自体を知らないことにして、勝手にやりたいことをやるのがコツです。
こちらがいい子で何もいわないとわかると、しがらみってヤツは、どんどん求めてきますから…常識という言葉を盾にとって…
こちらの人柄を見て、ガンガンのっけてくるようなヤツは、人でも組織でもしがらみでも、近づかないのが一番です。
人で、そういうヤツっているけど、本当に下品でタチが悪いよね…
自分にも悪いところがあります。いい子になろうとする、人から好かれようとするさもしい気持ちがあるから、しがらみとか、やなヤツや組織が足下を見てのっけてくるわけで、最初からいい子にならないのがポイントです。
そう、自分は自由にやるし、独立して誰のいうことも聞くもんか、という姿勢を示すことが大切だと思います。
こうやって自分にいいきかせているんですけどね…
ぼくは自由なわけで、だから明日から、いや今日からでも、世界一周の旅に出かけることもできるんです。5年間くらい世界の美しい海辺巡りだってできるわけです。
いや、そんな極端なことをいわなくても、今度2週間くらい休みをとって、前から行きたかった、ポリネシアの島々巡りだって、小笠原母島長期滞在だって、石垣島周辺離島巡りだって、それなら現実的にできるわけです。
基本自由、そこを起点として、世界一周がしたいけれども、そこからさらに妥協して、ポリネシアの島々巡り、「あぁなんて自分は現実的に自由を謳歌しているんだ」とわりといい線で充実できるんじゃないかって思うんです。
バカバカしいかもしれないですけど、こういうことを普段から周りにいうのといわないのとでは、これまでと同じ暮らしをしていても、周囲が自分を見る目は変わります。
さっきのようなのっけてくるタチの悪いヤツは、もしかしたらのっけてこなくなるなるかもしれませんし、普通に接している人でも、こいついざとなったら好きなことするかもしれないという前提があるのとないのではだいぶ振る舞いが違ってくるんじゃないかと思うんです。
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