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海という自然・小さなコミュニティ・幸せ…



 海でのんびりするといいですよ、自然の中で過ごすといいですよ、てなことをこのブログでは何度か書いてきました。いつもはバラバラと散発的に書いているので。今回はまとめてみたいと思います。
 ぼくは地方出身で大学から東京に来ました。大学時代に友人でサーフィンをしているヤツがいて、誘われてサーフィンを始めました。当時は小田急で鵠沼に行って波乗りしていました。小田急はJRよりも電車賃が安いですから…
 大学を出ると、東京の会社に就職して、職場に近く、通いやすいところを選んで住んでいました。これはすごくよくあることなんだろうと思います。
 そしてこれもよくあることなんですが、毎日終電くらいまで仕事をして、家で寝て、数時間後にはまた電車にのって会社に行くという生活をしていました。当時は今ほど残業についてもうるさくいわれなくて、まあ、若手として仕事をどんどんして、そうすると周囲から評価されて、また仕事を任されてというサイクルでした。
 昨今のライフワークバランスが尊重されるご時世に時代錯誤なことを書いてしまいますが、仕事というのはハマるとおもしろいものですし、自分なりにいろいろ調べたり工夫したりすると、どんどんおもしろくなります。そういった意味で、ぼくは仕事を遅くまでやるのが苦痛ではありませんでした。こんな感じで20代を過ごしていました。
 その代わり土日は朝から(というか3時とか4時から)家を出て、海に行き、土日まるまる海で遊んで月曜日の朝、自宅に帰ってシャワーを浴びて、スーツに着替えて会社に行くということをやっていました。その頃にはスキューバーダイビングやセイリングもやっていました。自然の中で海遊び仲間とワイワイやるのが楽しかったのです。行くのは、伊豆半島や八丈島や三宅島が多かったですね。
 そして年に何回かは、石垣島や宮古島や沖縄の離島、それから海外にもダイブトリップに出かけていました。
 離島にもはまっていたのです。
 離島好きな方はおわかりになっていただけると思うのですが、島の人というのはノンビリゆったり暮らしていて、金銭的に富裕というわけではないですけど、毎日楽しく過ごしています。そういう暮らし方に接していると自分の東京での生活ってどうなんだろうと考えることがありました。
 土日の海遊びと年に数回のダイブトリップでの自然と近い暮らし…それと比べて東京は人が多くて、ビルが建て込んで、空が小さくて、緑が少なくて…そういう雰囲気に息苦しさを感じるようになったのです。
 年代的にも30代になろうとしていました。結婚もし、そろそろ子供を…ということを考え始めたときに、もう少し自然のあるところ、そしてもちろん海のそばで暮らしたいし、そういうところで子供を育てたいなと本気で考えるようになりました。
 前置きが長くなりましたが、そのときのぼくの心の状態というのは、都会の暮らし×、自然の中での暮らし○となっていたのです。そしてぼくのそういう価値観を構成しているのは、離島など海辺の人達の暮らしぶりを見聞していたのとウォータースポーツでの自然と接する経験からなりたっていました。
~心のゆとり~
 人は忙しくなるとイライラしたり、怒りっぽくなったりします。東京ではたまに電車で男の人同士がもめたりしてますが、それなども忙しさのせいかもしれません。もともと働き盛りの男性というのは闘争心があるものです。それが仕事という社会的な場で発散されるといいんですが、ケンカとかに向かってしまうと犯罪になってしまいます。
 ぼくは、ウォータースポーツで、時に激しく厳しい自然の中で、なんとか生きて陸に帰ってくることを目指して格闘することで、そうした闘争心みたいなものを発散していたんだと思います。
 年に何度か離島に行くのが恒例になっているんですが、1週間も離島で暮らしていると、自分のリズムが変わってくるのがわかります。歩くのがゆっくりになり、呼吸が深く大きくゆっくりになり、ノビノビと胸をはって歩くようになります。空は広く、海は青くで、木々は緑です。
 呼吸する空気も飲む水も食べ物も、島の物です。身体全体が内側から島に馴染むような気がします。
 島の人との会話もノンビリしたやさしいものです。
 今でも強く印象に残っている経験があります。ぼくが東京で暮らしていたとき、先島諸島の多良間島に10日間ほどダイブトリップに行ったことがありました。島の人はたいてい家に鍵をかけません。車のロックもしません。ぼくは滞在中レンタカーを借りていたんですが、当たり前のように車をロックしていました。あるとき宿の駐車場で車の出し入れするときに、ぼくの車を動かさなきゃいけない状況になったらしいのですが、ぼくはそのときダイビングに行っていたのです。それで、宿の人から車にロックしないでくれ、どうせ誰も何も盗らないからといわれたことがあります。
 それってぼくにはけっこう衝撃的な経験で、東京だと近所のコンビニに買い物に行くときも家の鍵はかけてましたから…
 この経験が意味することは、単に鍵をかける手間が少なくてラクということだけではありません。鍵をかけるという行為は、その前提に外敵に自分の財産や暮らしを脅かされるかもしれないという警戒心があります。それがあるとないとでは、いかに自分の気持ちにかかるストレスが違うかということです。多良間島滞在の10日間で、ぼくはこの普段意識しないストレスから解放されてました。長年身体に張りついていた錘が剥がれたような爽やかさを感じたのです。
 おそらく都会での暮らしには、満員電車に乗るとか、スリに遭うとか、何かを盗られるとか、変な人に突然何かされるとか、そういう意識的だったり無意識的だったりするストレスというか緊張感があると思うのです。それが何年も何十年も人の心にあり続ける事って、心に負担をかけるし、価値観にも影響を与えるだろうし、対人関係も変わってくるだろうし、ひいては人生の全体に大きな影響を与えるんじゃないでしょうか?
 ここまで長々とぼくの経験を書きましたが、何がいいたいかというと心のゆとりって大切だということです。で、その心のゆとりって、生活する場の状態によるんだということです。
~自然と接すると人は癒されるのではないか~
 ぼくは今海辺の田舎町で暮らしています。東京で暮らしていて、東京で家族と過ごすのってイヤだな、ここで子育てするのはイヤだなと感じました。それはかなり直感的かつ本能的な感覚でした。相方も同じように感じていたようです。それで、かろうじて通勤できる海辺に引っ越したわけです。引っ越し先を選ぶときもできる限り海や山といった自然がそばにある家を探しました。そんなわけで、家に帰れば、そこは目の前は海で、背後は森です。
 ぼくが大学時代からずっとウォータースポーツをしていたのは先ほど書いたとおりです。社会人になってからは、平日は東京のビルの中で仕事、土日は海で過ごしていました。ぼくにとって土日に海にいる時間はとても大切なものだったのです。すごくありきたりないい方をすると海に接することで癒されていたんだと思います。
 それではあまりにも平板な物言いなので、詳しく書きましょう。
 海にいると、まず服装からして違います。短パン・Tシャツ・ビーサンです。冬は長袖長ズボンをはきますが、足下はビーサンです。これでだいぶリラックスできます。
 肩の力は抜けますし、歩くスピードはゆっくりになります。呼吸も深く大きくゆっくりになります。ぼくは10年ほど前から瞑想をするようにしていますが、海辺にいると短時間で瞑想に入ることができます。
 波の音を聴き、潮風に吹かれ、太陽の光をあび、海の水に浸かる。海が荒れているときは森の中を歩き、鳥の声や木々の葉や枝の擦れる音を聴き、木漏れ日を仰ぎます。こうした時間がぼくにとってはとても大切なのです。そしてこうした時間を過ごすことでぼくは満たされます。
 東京にいたときはアトピーと、軽い喘息と、ときどき眠れない日がありましたが、それも海辺に引っ越してからはすっかりなくなりました。
 ぼくの周りだけかもしれませんが、こうした自然を愛する人はぼくだけでなく、一定数はいるように見えます。
 おそらくある種の人は、自然と接することが好きで、自然の近くで過ごすことで、癒されるのではないでしょうか?
 そしてそうした暮らしをするからこそ、心にもゆとりが生まれるのではないでしょうか?
 
~自然と共に生きることは人間にとって大きな意味があるのではないか~
 自然のそばで暮らすことは癒される面もありますが、他の面もあります。
 自然は時に穏やかですが、時に激しく荒れ狂います。それは地震や火山の噴火や洪水を年に何度か目にするわれわれ日本人には頷けることだと思います。
 そんな自然に対して、人間は技術的な進歩である程度対応できるようになりました。人にとって暮らしやすいようにダムを造り、防波堤を造り、道を通しました。日本で暮らす上で、普段は自然の脅威を感じる場面はほとんどありません。それでも何年かに1度は自然の強大な力を思い知ることになります。
 ぼくの推測ですが、人にとって、自分達の力が及ばないことがたくさんあることを思い知ることで、用心深さや謙虚さや向上心が備わるのではないでしょうか?
 自然が好きで、自然のそばで暮らす人々にとっては、それがなおさら心に大きな影響を与えるのではないでしょうか?
 もうひとつあります。
 日本の都会で暮らしている分には、飢えるとか自分の生命が脅かされるということはほぼありません。でもそれって限られたエリアの限られた状況のことで、普遍的なことではありません。いつ何時自分が死ぬかもしれないとメタな部分で認識することは、おそらく普段の考え方や行動に影響を与えるのではないでしょうか?
 さらにもうひとつ。
 人間はこれまで自然の恩恵を利用しながら、自然の力に対応しながら生存してきました。それは歴史をとおしていえることでしょう。そして人間の力が大きくなるにつれて、人間社会が大きくなり、整備され、システマチックになり、その環境の中で生きることだけを考えるようになってきたのではないかと思います。
 ざっくりした喩えをすると、500年前のAさんと現代のBさんでは、一生のうちで自然と接し、自然のことを考える時間は、だいぶ違うのではないかということです。そして人間社会のシステムが仮に人間性を抑圧する部分があるとすれば(って、ぼくはあると思いますけど…社会というのは強者や多数派の人に合わせてルールを作るので、それに該当しない人は抑圧されると思います…)、現代のBさんはよりその抑圧にさらされる可能性が高くなっているのではないか、というのがぼくの考えです。そして人間の及ぶ範囲が広くなる、つまり手つかずの自然の範囲が狭くなることで、抑圧されている人の逃げて生きる場所も狭くなっているとも考えています。
~小さなコミュニティで暮らすことのメリット~
 最近ネットのショップとかオークションとかSNSとかwebサービスで、その人や店の評価が表示されるようになってきました。評価が高い人や店は信頼できるということになっています。信頼度が高いほど、取引や交渉時のリスクは低くなり、それに伴い、リスク回避のためのコストが低下します。
 その人が信頼できるか、どういう人か、あるいはどういうときにどういう行動をする人かという情報は、共同体として生活する上で重要な情報なのでしょう。
 先ほど、離島では車や家に鍵をかけないというエピソードを書きました。島の中に誰がいて、誰がどういう人かわかっているから、鍵をかけなくてもいいのだと思います。
 そうした心理的な警戒心の不要さが、個人に対しても安心感を与えますし、コミュニティを維持するコストを低下させます。
 たとえば東京の23区のある区のマンションが立ち並ぶエリアで、自分の住むマンションの前に定期的に粗大ごみが不法投棄されていたとします。これは誰が住んでいるかわからず、誰が通りかかるかもわからず、その粗大ごみを不法投棄した人が誰かすぐに特定できないから、そういうことが起きるのでしょう。捨てる人もわからないだろうと思って捨てるわけです。
 で、その不法投棄されたごみはマンションの管理組合が処理するかもしれませんし、区の清掃事務所の人が処理するかもしれません。いずれにせよ、捨てた人以外の誰かが処理費用を負担することになります。
 そういうことが続けば、たぶんマンションには監視カメラをつけたりするでしょうし、区でもどこかに監視カメラをつけるかもしれません。あるいはゴミが捨てられないように柵を作るとか鍵をかけるとかするかもしれません。これって、誰かの不法投棄により手間やコストが増えたことになります。で、そのゴミを捨てる行為を助長しているのは多分に匿名性だったりします。
 おそらく想像ですが、離島ではこういうことは起きないでしょう。
 これはゴミの不法投棄を例に出しましたが、犯罪とか高齢者の孤独死とか児童虐待とかいろいろなことがありますから、23区のある区のコミュニティ維持のコストはたぶん高いはずです。それは結局マンションの維持管理費とか税金とかなんらかの支出で、みんなが負担しなければなりません。
 もうひとつの視点を提示してみたいと思います。
 ぼくは行政機関というのは、というか組織というのは、なにかしら無駄があるものだと思います。ただ、民間企業は存続するために利益を上げなければなりませんから、無駄を排除する動機が組織に組み込まれています。行政機関はその動機がかなり薄いため(夕張市のように破綻することもあるため、ないとはいえません)にどうしても無駄が生じるんだと思います。
 行政機関でも働いている職員は、その人もプライベートは個人であり家庭もある労働者ですから、自身の生計を成り立たせるために、仕事を作らなければならない動機が存在します。こうして往々にして行政機関はその存続が目的化してしまいます。過去に行政改革など無駄を除く努力がされましたが、うまくいきませんでした。それは仕方がないことで、組織に無駄をなくさなければならない動機が存在しないからです。唯一あるのは納税者である住民のチェックですが、これは住民にも百人百様の考え方があり、納税者でもありサービスの受益者でもありますから、何を無駄と考え何を有効かと考えるかについては議論が必要で、簡単にはいきません。そして、住民の数が増えれば増えるほどこの考え方は広がる可能性があるわけです。
 また、行政機関は日本の場合、国・都道府県・市区町村の階層になっていますが、階層が上がるにつれ、住民から離れていきます。それが無駄だとはいえませんが、国際社会で交渉する際に、日本という単位で交渉すれば有利な場合など、国としてまとまるメリットが明確である場合は、国の存在意義が住民から支持されるのでしょうが、国が最初にありきという必然ではありません。いつかどこかの県や市が独立したいといいだしてもおかしくはありません。
 住民から離れれば離れるほど、住民の直接のチェックが働きにくくなりますから無駄が生じる可能性が増えるでしょう。それに行政機関の規模が大きくなればなるほど、無駄が生じる可能性が増えるというのは、組織というのはだいたいそういうものだからです。
 つまり、大きなコミュニティというのは、住民も行政も両方で責任が曖昧になって、コミュニティの維持にコストがかかりやすいんじゃないかとぼくは思うのです。
 極端な例ですが、日本が、小学校ひとつくらいの規模であったら、誰が何をやっていて、どういう人かわかるし、お金が何にいくら使われているかもわかります。生徒会役員(公務員)が何をやっているかもわかります。この規模感って、自分がコミュニティの一員であり、コミュニティを支えなければならない感覚に影響を及ぼすとぼくは思うし、自身が市民である意識って大切だと思うのです。
 次にもう一度、離島のコミュニティに視点を戻してみます。ぼくがこれまで行ったことのある島で、人口が少なかったのは小笠原の母島で約500人。次が父島で2000人。沖縄の多良間島で1300人。八丈島だと10000人で、ちょっと多い感じです。想定しているのはだいたい3000人くらい。それくらいだと先ほど書いたようなイメージのコミュニティです。誰がどんな人で、どこにいて、何をやっているかだいたいわかる感じです。
 何度も書きますが、誰がどれくらい信用できる人で、どういうときにどんなことをするのかわかっているということは大切なことです。
 なので、たとえばいつも酔っぱらうと大声を出す佐藤さんちのおじいちゃんが、大きな声を出していてもみんなはそんなに気にしないでしょう。また、いつも元気で、毎朝散歩を欠かさない木村さんちのおばあちゃんの姿が見えないと、心配するでしょう。きっと誰かが様子を見に行くんじゃないでしょうか。こういうことって細かいですけどコミュニティにおいては重要なことだと思うのです。
 もし先ほど例に出した23区のある区で同じことがおきたら、佐藤さんちのおじいちゃんの場合、警察に通報する人がいるでしょうし、警察官は現場に行くでしょうし、その警察官の人件費はみんなの税金で賄われています。木村さんちのおばあちゃんの場合、民生委員の人が見に行くかもしれません。あるいは誰も気づかず、あるときおばあちゃんが死んでいたというニュースで見るようなことが起きるかもしれません。
 以上は小さなコミュニティのよさです。
 もちろん小さなコミュニティのデメリットもあって、それは水道とか電気とか行政のインフラを3000人のために整備しなければいけないということです。
 どちらもなんらかのコストはかかるわけですが、計算すればどちらが安いかは比べられると思います、たぶん、ぼくはめんどくさいからやりませんけど。
 そしてそれに加えて、暮らす人々の安心感とか暮らしやすさとかストレスというお金に換算しにくいことも含める必要があります。毎朝自分のマンションの前にゴミが不法投棄されているのはストレスだと思いますが、そのストレスがいくらに相当するかはちょっとわかりません。
~暮らし方を見直したらもっと幸せな社会ができるんじゃないか?~
 これまで「心のゆとりの大切さ」「自然のそばにいると人は癒される」「自然と共に生きることで人は何かを学べる」「小さなコミュニティで暮らすことの大切さ」ということを書いてきたのですが、この4つが揃った暮らし方ができる社会って、ぼくの理想です。そして多くの人がもっと幸せになれるんじゃないかとも想像するのです。もちろん好みがあるでしょうけど…
 でも、生まれてある程度の年齢になって自分で自分のことを決められるようになったら、自分に合ったコミュニティを選べばいいと思うのです。もちろん日本国内ではそれはできますけど、でも、なんだかんだいってそんなに自由ではなくて、生まれた場所にとどまったり、あるいは生計を立てるために、都会で暮らさなくてはなりません。年齢と共に自分にあったコミュニティを移っていくのが当たり前のようなったらいいんじゃないかな?って思います。











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えー、またハート! そんなに好き?ハート!



 ぼくがよく行く南伊豆に田牛というところがあります。ノンビリしていてサーフィンやシーカヤックやスキューバーダイビングが楽しめていいところです。
 田舎の漁師町にはよくあることですが、道が狭くて駐車場が少ないのです。でも、他に足はないし、車で行くしかないわけで…いやもちろん下田までは伊豆急が通っているし、下田からはバスがあるけどね。
 田牛とか碁石が浜あたりに行ったことがある人はわかると思うんですが、本当に道が狭くて駐車場が少ないんです。車がすれ違うのに結構気を遣うくらい。ぼくがこのあたりの代官様で、勝手にルールを決めていいなら、一日にこのあたりに入ることができる車の台数は50台…いや多すぎますね、30台を上限とする、というようなおふれを出したいくらいなのです(なら、もっと道を広くしたり駐車場を広くしたりしろよ!っていわれそう)。
 でも、それも以前はそんなに人が来なかったので、別にノンビリした海辺の漁師町だったわけですが、最近なんとなく竜宮窟がパワースポットというか縁結びスポットというか、そういうのよくありますよねえ、そんな感じで、人が増えているんです。何がどうしてそんなにナンチャラスポットなのかというと、竜宮窟って波で浸食されて穴になっているわけです。それ自体は伊豆にも全国にもたくさんありますが、その穴が上にも抜けているんですね。西伊豆の堂ヶ島にもありますけど…それも珍しいことは珍しいですけど、まあよくある岩です。
 で、ここは上から見るとその穴がハート型なんですよ、だからカップルがいっぱい来るの…

 そういえば小笠原の父島にもハートロックってあったなあ…
 パワースポットってぼくは別に嫌いなわけじゃなくて、確かに伊勢神宮とか出雲大社とかって参道を歩くだけでなんとなく凜として気が引き締まるような感じがしますし、熊野古道だって雰囲気がいいですよね。そういうのってパワースポットって呼んでもいいと思うんです。それに出雲大社を縁結びの神様というのも、その伝統や格式の高さから何の文句もないんです。
 でもよー、っというか、でもさー、岩の形がハートだとか、木の根っこの形がハートだとか、コンクリートブロックの壁のシミがハートだとか、隠れ●ッキーがどこにいるかな?とか、そういうのって、そこに何かすごい根拠があるわけー?だから何?っていう気がするんですけど…
 しかもそういう所をカップルが訪れて、だから何なのー、デートネタに困って来てるだけちゃうんかい、とも思ってしまったりするんです。
 まあ、人が来るのはいいんですけど、お代官さまー、細い道を対向車を気にしながら走るのってめんどくさいです。








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独善的な人からは遠ざかれ!



 海遊びを中心に暮らしています。
 っていうか、昼間は海で遊び、夜は酒を飲んで寝る、晴耕雨読ならぬ昼遊夜酒な日々です。
 それはそれではっきりした価値観ですから、自分の価値観とそりが合わない人というのはもちろんいます。
 まあ、他人のことはどうにもならないので、ぼくはどうでもいいんですが、向こうがこちら側を指導しようとしてくる場合は、なかなか対応がたいへんです。
 だいたいぼくなどは、日々楽しく海で遊べればいいと思っているので、できる限りテキトーにやりたいのです。
 で、世の中にはとてもちゃんとした人がいて、自分がちゃんとしていると自覚していて、そういう自分に自信を持っているので、ぼくのようなテキトーで遊ぶことしか考えていない人を、「指導してちゃんとした一人前の人間にしなくては…」とお考えになっているらしいのです。
 いや、世の中で何がタチが悪いかって、自分が正しいと信じている人の存在です。いわゆる独善的というやつで、これが行き過ぎるとファシズムになります。
 海遊び仲間にはそういう人は少なくて、海で遊んでいるときはシアワセです。
 価値観が近い人と物理的に近くで暮らすというのは大切なことだなあと思います。いやあ思想の問題とか国境の問題とかで人が争うのも無理はないなと思ったりします。
 それで、ちゃんとした独善的な人に絡まれたり、ロックオンされると、不愉快だしろくなことがないので、ぼくとしては、できる限りそういう人には近づかないで暮らしていきたいと思っている今日このごろです。










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旨味醤油を作ってみようかな



 ぼくは魚を見るのも食べるのも好きで、特に刺身が好きです。
 話は変わりますが、スーパーに刺身だまりとかだし醤油とか白だしとか並んでいますね。
 クックパッドにも旨味醤油の作り方が載っています。
 ぼくの近所の定食屋では、大きめの醤油差しがあって、その瓶の中に昆布や鰹節や干し椎茸が入っていて、そこに醤油を加えると旨味醤油ができるようになっています。
 それが結構旨いんです。それで刺身を食べると、醤油の強さがやわらいで、だしの旨味が出て、魚のおいしさが引き立ちます。
 これなら家でできそうだなって思って、今度やろう今度やろうと思いつつ、やらずにいるので、今度やってみようかな、やっぱりやめよかな…













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秋谷の防波堤、次の台風までに直るかな



 ぼくの家のそばに秋谷という海があって、そこには漁港があります。
 都心にお住まいの方にはマーロウのレストランがあるところというと分かってもらえやすいんです。
 ぼくはあまり人がいないノンビリしたビーチが好きなので、秋谷はあまり好きではありません。観光客が多いのと、マリンジェットというか水上オートバイがやたら走っていてうるさいからです。ただ魚が釣れるのと、通り道なのでちょくちょく行きます。
 秋谷といえば2017年の台風21号でけっこう大きな被害がありました。ただあのときは三浦半島のあちこちで大きな被害がありました。
 江ノ島のハーバー(正式な名称は湘南港だったかな?よく眺めるとヘンな名前!)も秋谷港も佐島港も葉山港も被害があったんですが、秋谷港の防波堤が壊れたのは、あの界隈では結構話題になりました。
 あの時は北寄りの西から波が来ていたので、三浦半島の西海岸は被害が大きかったですね。どちらかというと三浦半島の西海岸の港は南寄りの西からの波に強いように作られているように思います。その理由はその方向から大きな波が来ることが多いからなわけですが…
 秋谷港の防波堤の20mくらい(かな?)が壊れてしまいました。その規模で防波堤が壊れると防波堤としての機能は果たせないので、現在も立ち入り禁止です。ちなみに江ノ島の駐車場もまだ修復されていませんね。そうこうするうちに2018年はすでに台風が3つ発生しています。防波堤が壊れた状態で台風が来たら被害は大きそうで怖いなあと思っています。
 自分の記憶を整理するためにメモしておくと、ここ何年かの間に神奈川で大きな台風被害があったのは2007年9月7日の台風9号、そして2017年10月23日の台風21号です。2007年の台風9号のときは、葉山港の防波堤や駐車場がグチャグチャになっていたのを思い出します。西湘バイパスの防波堤も壊れてしばらく通行止になりました。
 話があちこちにいってしまいましたが、いいたいことは防波堤は結構壊れるものだということ、だからいくら頑丈な防波堤があるといっても、海のキワキワに住むといくらなんでもヤバいということ、そして一度壊れた防波堤を修復するには1年以上はかかるので、その間にまた大きめの台風が来たらかなりヤバいということです。







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概念とかマクロなことで、自分の暮らしを考えない



 休みごとに海に出ています。
 海で遊ぶことしか考えていないといっても過言ではありません。
 一方、テレビを見ているとにはいろいろなことが起きています。北朝鮮がどうとか、アメリカの大統領がどうとか、高齢化対策がどうとか、日本経済を再生させなければとか…なんて情報が流れています。
 まあそうかもしれません。
 時代の移り変わりは速いもので、その時々のムードというのは2、3年単位で変わっているような気がします。ぼくが大学生になった1990年前半はバブルの絶頂期でした。街もメディアも周囲も世の中全体が異様に浮かれていました。ハイテンションでした。
 それからしばらくしてバブルがはじけて一気に沈滞したムードになりました。
 そして失われた10年とか20年といわれるように、日本経済は構造的に抱えている問題を解決できずにいました。
 そしてリーマンショックでさらに深い沈み込みがありました。
 最近では国境問題にからんで世の中が右傾化しているという見方もあります。
 ざっくりいうとぼくは社会に出てから、右肩下がりの中で暮らしてきたのです。
 世の中の動きにアンテナを張るのは大切だと思いますし、職業上それが不可欠な方もいると思います。
 たまたまぼくは、そんな世の中の動きを、わりと冷静に眺めていられる状況でした。そんなわけで、2、3年という、ぼくとしては短い単位で価値観やライフスタイルを変えていく必要はなかったですし、それが結果的に良かったと思います。
 世の中の動きはもちろん大事ですが、ぼくらの目の前にあるのは日々の暮らしで、毎日何を食べ、何を飲み、何をするかということで構成されています。ぼく的には、そのひとつひとつを大切にしていきたいのです。
 海で遊び、ビールを飲み、よく寝る。
 それだけです。
 一方でぼくが考えてしまうのは、20年とか50年先に世の中がどうなっていて、そのために自分は今、何ができるのかということです。 ぼくはたまたまこの世に生を受けました。それは間違いなく連綿と続いてきた生命の営みの結果です。ぼくの先祖の誰か1人でもいなければ、ぼくという人間は今ここに存在していないわけですから…
 なので、その生命の営みの連続性を次にバトンタッチしていくというのが、第一に重要なことだろうと考えています。
 そして、その生命が生きる場としての社会というかコミュニティというか、そんな大げさなことではなく、自分が暮らす、小規模の人々の集団が、楽しいものであったらいいなあとは思います。
 もっと自分の目に見える小さなコミュニティの範囲で考えて、それが集積したのが、市だったり県だったりという風にならないものでしょうか?日本というのは単位としては大きすぎると思いますし、肥大化硬直化した行政組織は無駄も多いような気がします。
 ぼくの信念として、組織や集団は個人を犠牲にすることが多くて、助けてくれません。所詮自分独りで生き延びていかなくてはならないのです。ならば自分が過ごしやすいコミュニティを作った方がいいではないか、というのがぼくの思いです。
 海辺で、その日その日を食べていけるものがあって、自分の気の合う人が近くにいて暮らす…あまりに都合がよすぎるかもしれませんが、それがぼくにとっての理想の暮らしです。








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理想のウッドデッキとは



 ウッドデッキっていいですよね。
 ぼくは家の中よりも屋外にいることが好きなので(冬でも…)、ウッドデッキってあるとすごく嬉しいんです。
 うちにもありますけど狭いとかいろいろ不満があります。
 で、ぼくが次に家を建てるとしたら、理想のウッドデッキはこんな風だというのをまとめてみたいと思います。
・海に張り出している
 なにせ海好きですから、ウッドデッキで海を見ながらビールを飲みたいわけです。なので海に向かって張り出してるウッドデッキがいいなあと思います。
・遮るものがない
 隣家が迫っているとか、電線が横切っているとか、そういうものがないのが理想です。しかもデッキの向こうは海というロケーションがいいと思います。
・プライバシーが保てる
 あんまり建て込んでいたり、デッキのそばをやたら知らない人が行き来するようだと落ち着かないので、周囲に何もないようなところがいいですね。
・リビングと続きになっている
 リビングと面一で、窓を開ければ、スムーズに行き来できるのがいいですね。リビングからの景色もいいですし、広く感じますし、内と外が曖昧なのもいいです。
・南西に向いている
 家を建てるとき、居住空間が、南向きとか東向きになるように間取りをとることが多いと思います。それは日当たりのよさを考えれば当たり前ですもんね。確かに冬でも、日当たりがいいと家はわりと温かく保てます。屋外も日当たりがいいと、そんなに寒くありません。なのでデッキが南に張り出しているのがいいのは当たり前なんです。
 ただぼくの希望は、南も西も見渡せること。西が見えるのは、夕陽がみたいからです。海に夕陽が沈んでいく様子を見ながら一日を終わりたいんです。
・ある程度広い
 ある程度というのがどの程度なのかは微妙ですが、ぼくの感覚として8畳もあればいいんじゃないかと思います。あまり広すぎるのも間延びしてしまうという例を見たことがあります。というのは、ぼくの知り合いの家なんですが、リビングからの続きでウッドデッキが張ってあるんですが、それがざっくり20畳くらいはあると思うんです。
 何かのお店とかならいいと思うんですが、家族4人の個人宅です。ウッドデッキで3on3は余裕でできます。
 知人を招いてのバーベキューパーティとかも当然できます。
 そういうイベントの時はいいんですが、普段はガランとしていて、ちょっと殺風景な感じなのです。住まいというのは広ければいいというものじゃなくて、落ち着くサイズ感ってあるんだなあと思いました。
・蚊がこない
 ぼくの家のウッドデッキで不満があると最初に書きましたが、そのひとつが蚊がやたら来ることです。ぼくの家は周囲が森になっていて、ウッドデッキはその森に張り出すように張ってあります。その森からヤブ蚊が発生するんです。その数や蚊のタフさはおそらく、普通の方は想像できないと思います。田舎暮らし30年の経験からヘビ・ムカデ・ゲジゲジ・ゴキブリ・タヌキ・リスなどたいていの虫や動物は気にしないぼくであっても、ちょっとたじろぐほどなのです。
 というわけで夏場はほとんど使えません。蚊取り線香を使ったり、蚊がこない防虫剤をつけたりしてもぜんぜん効き目がないほどです。11月から5月までが使える期間。つまり1年の半分の期間は使えない残念さ。デッキでビールを飲むのが大好きなのに…ビールはやっぱり夏がおいしいのに…
・ウォータースポーツの器材置き場が併設されている
 ウォータースポーツをする方ならわかると思いますが、海に出た後は器材を必ず使いますよね。それはたとえばウェットスーツだったり、リーシュコードだったり、PFDだったりします。で、海に入ったら、必ず水洗いして、陰干しします。ぼくはこの干すのがウッドデッキなんです。ちなみにメンテもウッドデッキでやってしまいます。潮風を浴びながら、スキューバーダイビングの器材のメンテをしつつビールを飲むなんて、ぼくにとってはとても幸せな時間なんです。
・メンテがしやすい
 ウッドデッキって傷むものです。なので、定期的なメンテはやって当然です。ペンキ塗りがしやすいとか、傷んだ材を交換できる構造であるとか、そういうのって大切です。
 まあ、そんなこんなで、ぼくは家にいるときは、ウッドデッキにいることが多いし、天候が悪いとき以外は、ビールはウッドデッキで飲むので、それだけ快適であることは大切です。














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ぼくが惹かれる海のパターン



 ぼくは海好きで世界や日本のいろいろな海に行ってみたいと思っていますし、機会があれば行くようにしてます。
 もちろん世界や日本は広く、たぶん死ぬまでに行きたい海の半分も行けないと思います。
 いろいろな海を旅していて、自分が好きだなーという土地というか環境があるのに気がつきました。
 それはだいたい鄙びた漁村です。少なくとも茅ヶ崎とか辻堂のような街ではありません。あと開発された熱海のようなところでもありません。鄙びた漁村で、しかも集落から離れた人気のない海が好きです。
 そしてだいたい道が狭くて、こんな道を入っていいんだろうか、私道じゃないかなくらいの細い道を通って行くのです。国道に面しているとか、観光客がガンガン通るような場所は好きじゃありません。
 道のどん詰まりに、そんなに広くない入江か砂浜があって、その両端は磯になっているところが好きです。だだっ広い砂浜ってあまり好きじゃありません。道のどん詰まりって、知ってる人しか来ない安心感がありますよね。
 海としては、入江の穏やかな場所といい感じで波が立つ場所があるところが好きです。って、そんなところってあまりありませんけど…だからガンガン波が来るサーフスポットみたいなところは好きじゃありません。なんというかな、変化というか、メリハリというか、和の細やかさというか、そういうのがある海が好きです。
 しかもできれば海の背後は、山なところが好きです。内陸まで平野が続いているところって好きじゃありません。
 うーん、なんかこうして書いていると自分の好みが若干暗めというかおじいちゃんぽい感じがしてきましたけど、まあ好きだからしょうがありませんね。







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「人がやっていることと同じことをしたがる人と同じことをするな」



 スキューバーダイビングやシーカヤックやサーフィンを毎週のようにやっています。
 ぼくはマイペースかつワガママなので、どちらかというと独りでやる方が好きです。
 もちろん気心の知れた仲間と一緒にウォータースポーツをやるのも好きですが、たいていぼくの方が経験があるので、事故がないように心配したり、旅などがスムーズにいくように気を遣ったりするので、自分が気疲れします。それでもみんなと一緒に遊ぶのは楽しいので、なんともいえません。
 一方、独りでウォータースポーツをやるのは、自由に行きたいところへ行けるし、多少危ないことをしても、自分の判断と体力の限界に挑戦する面があるので、それもすごく楽しいのです。もともと幼い頃からそういう面が自分にはありました。
 たまに、必ず誰かと一緒にウォータースポーツをしたがる人がいて、そいういう人の気持ちって、ぼくにはよくわかりません。寂しいのか、不安なのか、みんなと楽しむのが好きなのか、まあその人が楽しいならそれでいいんですけど、ぼくとしては、あまりベッタリされるとうっとうしいんです。
 経験的に、寂しがり屋で依存心の強い人には要注意という法則があるので、自分からはあまり近づかないようにしています。
 また、少し違った話ですが、ぼくは、誰もいないポイントを探してサーフィンをするのが好きですが、そいういうところで乗っていると、必ず別のサーファーが後から入ってきます。これもうっとうしいなあと思います。たぶん後から来るサーファーの気持ちとしては、行列ができている店に並ぶのと心理的には同じだと思いますが、サーファーなら自分で判断して、自分でポイント探せよと思うんです。そういうサーファーって、同じサーファーでもぼくとはかなりメンタリティが違うのでしょう。
 だいたいにおいて、人がやっていることと同じことをする人とは親しくならない方が無難なので、適当に距離をとるのがぼくの信条です。まとめると「人がやっていることと同じことをしたがる人と同じことをするな」ということになります。
 逆に共感するのは、山登りでもロングトレイルでも、本来のコースではないところを地図を頼りにかき分けていくような人です。そういうメンタリティで、ぼくは海遊びをしたいなあと思っています。
 地球上で人が入っていない自然は、ほぼなくなりつつあるといわれていますが、それでも探せば、人が通ったことのない山、人が通ったことのない海、人が訪れたことがない入江はあるはずで、もしかしたらそこに得もいわれね楽園のような場所があるかもしれない…なんて考えるとワクワクしてきませんか?







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海辺の小屋とかツリーハウスに憧れます…



 一時期ツリーハウスが話題というかブームというかちょっと流行になっていたことがありました。
 っていう書き出しで、「?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、アウトドアとかナチュラルとか田舎暮らしとか、そういうのに興味がある人の間では…ということです。
 いいですよね。
 男の子なら一度は憧れたことがあるんじゃないでしょうか?
 ツリーハウスの延長線上で、小屋もいいですよね。
 海辺の小屋、小さなボートハウス、なんて憧れます。
 水道も電気もトイレもなくて、2、3日分の水と食料と酒(これ大事!)を持ち込んで、週末を過ごす。
 そういうのが好きな人は好きですよね。
 これを併せて海辺のツリーハウスなんていいなあ、なんて空想しています。ちょっと高い木の上から海が眺められて夕陽を浴びながらビール飲むなんてどうでしょう?
 ぼくは、シーカヤックにキャンプ道具を積んで、誰も来ない入江に行って、キャンプをするのが好きですが、そういうのって独りか、親友二人の少人数で行きます。
 女の人とか連れて行きたくないですね。うちの相方なんかは、なかなか信じてくれなくて、ぼくが良からぬことをしてるんじゃないかって疑ってたことありますけど、独りで焚き火をしながら海辺で酒を飲んで一晩を過ごす楽しさって、理解できないみたいでした。
 わざわざ嬉々として不便なところに行って、不便な思いをするのか、家なら暖かいし、柔らかいベッドもあるし、冷蔵庫もあるし、テレビもあるし…
 そういうことじゃないんだよね。
 最小限の道具で、簡素な食事をして、焚き火を見つめながら酒を飲む…
 潮騒と月の明かり…
 友達と行っても、ときどきボソボソと話すだけ…
 いろいろな考えが頭をよぎる…
 テントでウイスキーをすすりつつ、本を読みながら、潮騒をBGMに眠りにつく…
 朝起きたら海と太陽がある、その素晴らしさ…
 その場に女の人がいてベチャクチャしゃべられるとちょっと興ざめですね。
 黙って海と焚き火を見ていたいです。







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