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海の塩っていろいろあって楽しい

 

 塩の話です。
 塩にこだわっている人っていますね。
 スーパーに行くと岩塩や昔ながらの塩田で作った塩やいろいろな塩が並んでいます。それぞれに味わいが違っていて、確かにおいしいし、こだわる人の気持ちはわかります。
 一方で、海好きなぼくとしては、別な見方で塩に注目しています。
 今、日本の各地の海に行くと、地元の海の塩がお土産になっていたりします。
 ぼくは塩自体にそれほどこだわっているわけではないんですが、海に行くのが好きなので、その土地土地の食べ物には興味があり、その流れで海の塩もお土産に買ったりします。もちろん干物や海藻なども好きですが…塩というのは腐らないし、小さなパックになっていて、1つの単価が数百円というものが多いので、お土産にちょうどいいんですよね。
 ぼくが最初に観光資源としての塩に気づかされたのは、宮古島に行ったときのことです。それってもう十数年前の話ですが、その頃すでにあの有名な「雪塩」がありました。雪塩をご存知の方は多いと思いますが、味わいが深いのと、マイルドなので、塩としてもおいしいし、お土産としても珍しいので、わりと注目されていたのを覚えています。
 もちろん伯方の塩みたいな、精製された塩でないものは、すでにスーパーで出回っていましたが、雪塩のおもしろいのは、明らかに地域の名産として打ち出そうとしていたところでした。
 ぼくはそれ以来、海に行って、そこで塩を売っていると買って、味の違いを味わうようになったのでした。
 今のところ一番おいしいと感じるのは小笠原の塩です。
 味わいが深いんですが、塩からさが舌に強めに感じられるので、サラダにコショウと共に振りかけたり、キャラメル系のケーキやお菓子に少し振りかけたり、おしるこに少し入れたり、お刺身に少しつけたりするのに適しています。
 塩のおいしさというのは人それぞれ好みがあると思いますが、ぼくはマイルドなだけだとちょっと物足りないので、ちょっとだけ塩からさの主張がある塩が好きなのです。















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海辺の温泉っていいですねぇ



 もう何度も書いていて枕詞みたいになってますけど、海が好きです。
 そしてこれはたまにしか書かないんですが、温泉が好きです。
 温泉は若い頃から好きで、高校生の頃、友達と旅行に行くのにわざわざ温泉地を選んだり、大学生の頃、ちょっと時間を見つけては立ち寄り温泉に入っていました。もともと寒がりで肩こりなので、温泉は相性がいいみたいです。若いくせにジジ臭かったんです。
 温泉も長湯で、結構熱い湯でも長く入っています。そして指のマッサージとかツボを押すとかしながら、来し方行く末を考えたりしてます。まあ、ジジ臭いといえますけど、もう実年齢がジジイになりつつあるので、やっと外見と行動が一致してきたみたいです。
 そんなぼくとしましては、海に行ったら温泉に入るのはセットです。海遊びで身体を動かして、その後温泉でくつろぐというのは、すごく楽しい時間です。
 当然のように海でも温泉があるところがうれしいわけで、しかも温泉もいろいろあって自分の好みに合う温泉がいいわけで、しかもしかも温泉も町営とか共同の浴場があるところが好きなわけです。
 なぜか?
 それは安いというのももちろんありますが、飾らない雰囲気と地元の人と話すのが楽しいんです。共同温泉にいるのはたいてい地元のオジイサンかオジサンですが、そういう人とどうでもいい話をするのって結構楽しいです。ぼくもオジサンなので、オジサン同士は打ち解け合いやすいのかもしれません。
 西伊豆とか中伊豆とか八丈島とかに行くとすごく安くて(場所によっては無料で)、ノンビリできる気持ちのいい温泉があってうれしいですね。それだけで行く価値があると思います。
 海があって、山があって、人々が暮らしていて、その日その日が無事暮らせればよくて、健康で、日々楽しく生きられたらいいわけで、そういう平和な世の中が続くといいなあ、なんて思いながら、温泉の窓の景色を眺めている今日この頃です。








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「そんなにマジになるなよ」な、ぼくらの世代の気分とウォータースポーツ



 ぼくらの世代は1990年代の前半で高校とか大学とかの多感な時期を過ごしました。
 時代はバブルからバブル崩壊に差しかかっているところで、世の中ってこんなに大きく変化をするんだなあって実感していたのを覚えています。
 小中高大と学生時代には、クラスでは、あまりマジになるのってかっこ悪いっていう雰囲気がありました。学生時代の同世代のそういう空気って結構影響力があったりします。
 この「あんまりマジになるな」というのは、今でも自分の中に残っているように思います。
 「あんまりマジになるな」というのを一応説明しますと、ガリガリ一生懸命やるのってかっこ悪いとか、どこかしら余裕があるのがいいとか、世の中の制度と体制にベッタリになると後々裏切られるかもしれないから信用するなとか、所詮人間は独りなんだから他人に頼るなとか、自分の価値観ややっていることを絶対だと思わず、客観的に見ている余裕があった方がいいとか、だいたいそういう意味を含んでいたと思います。
 どんなこともいい面と悪い面がありますが、「あんまりマジになるな」にも両面があります。
 悪い面では、なんとなく冷めているとか、泥まみれでもがいて必死になって何かをしないとか、少し孤独の陰があるといったことです。
 いい面では、何かに依存しないで独立的であるとか、ある価値観に盲従しないといったことです。
 先ほどぼくの中に「あんまりマジになるな」が今でも残っているといいましたが、それは仕事に取り組むときにも表れます。ぼくの場合は、仕事とプライベートの趣味であるウォータースポーツの関係で典型的に表れます。ぼくの親というのは団塊の世代前後ですが、会社人間とか過労死とかそういうのがよくありました。ぼくはそれを少し批判的に見ていたんです。
 そんなに会社とか組織とかに忠誠を尽くして、挙げ句の果てに自分は病気になったり、過労死したりして、それっておかしいよねって…組織~会社とか国とか~そういうものへの懐疑ってあったと思います。
 そういう懐疑が、ぼくの場合、自分のプライベートな生活を充実する方にいったんでしょう。自分の生活だけは確かだし、一生ついて回るものだろうと考えました。それは結構意識的にそうしてました。
 もちろん仕事はやりがいもあるし、大切だけど、なによりも生活や家族が一番大切で、そしてプライベートを充実させようとした場合たまたまウォータースポーツに表れたわけです。
 ここまで「あんまりマジになるな」ということを意識しながら、仕事とプライベートのバランスを少し引いた目で見る習慣がついた、ということを書きました。でも、自分がそれを意識して自分にいいきかせているということは、たぶんぼくも団塊の世代の人達と同じ気質を持っていることを自覚しているんだと思います。ともすれば仕事や組織に貢献することを優先しがちな自分がどこかにいる、それが極端にならないように歯止めをかけているというところがあります。
 いろいろややこしいことを書いてしまいました。
 こういう客観的で理屈っぽいことって、それだけが浮き上がってしまう傾向がありますよね。実際は、日々の暮らしって、平和で健康で安全であればそれがなによりも幸せなわけで、日々の小さな幸せを楽しみながら、生きていければそれでいいなあと思っています。








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ずっと海にいたい



 穏やかな日、海上にいることに何も心配がないような海況の日、船で海に出ると陸に戻ってきたくなくなります。ずっと海にいたいです。

 陸に戻ると、喧騒があり、渋滞があり、守らなければならないルールがあり、ぼくのようないい加減はオジサンなんかでも果たさなければならない責任があります。
 そういうのって結構うっとうしいと感じます。
 いい歳して子供みたいですけど、戻らずに済むなら戻りたくないです。
 船にいれば、大きく広がった海に抱かれて、静かで、穏やかで、すべてを自分が決められる世界があります。
 細かいルールもなく、社会的な役割もありません。そこは生きるか死ぬかが最低限大切な世界です。有名も無名もお金持ちも貧乏も関係なく、責任やしがらみもありません。ただ無事に生きていればよいという、そのシンプルさとわかりやすさがぼくは好きです。

 そういう価値がぼくにとっては、とても大切なことだと最近になって、もうオジサンで人生の大半を過ごしてしまってから気づきました。

 とはいいつつ、船で海に出ていれば、海が荒れたらそこは死と隣り合わせのひどい世界です。「あぁ、なんで自分はこんな日に海に出たんだろう。バカじゃないのか?今日こそは本当に死ぬかも…」と心細い状況になることもあります。命からがら陸に戻るということもしばしばあります。

 そういうときは陸の方がマシ、いやーやっぱり陸地があるってすばらしいなあって思います。陸地があって、家があって、お風呂に入って、ビールが飲めるってシアワセだなーって思います。

 とても身勝手なのですが…

 いったいこのワガママな心理状態というのはどこからくるんでしょう。そして、ぼくはやっぱり、ないものねだりの業の深いところがぜんぜん直らないですね。あー、今でも直らないと、このままずっと直らないかな…





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わたくしはテキトーな人なので、あのーどうかイロイロいわないでください



 ずっと大雑把にテキトーに生きてきました。たぶんそんなぼくだから、今住んでいる海辺の田舎の漁師町に居心地のよさを感じるんでしょう…って、海辺の田舎の漁師町に住んでいるちゃんとした人に申し訳ないですけど…
 それでですね、あのですね、いつもスゴークちゃんとしていて、服とかアイロンがかかっていてピッとしていて、髪も手入れされていて、言葉遣いもていねいで、仕事もテキパキできて、ミスがなくて、…みたいな人がたまにいますね。
 で、やっぱりそういう人から見ると、ぼくなんかすごいテキトーでマイペースだから気になるんだと思うんです。ぼくなんかそういう人を見ると「こういう人はHするときもキチンとしてるんだろうか」なんて下品なばかり考えてるわけですし…
 きっと先方からすれば、教育的に指導したほうがいいと思えるんでしょう。そう、だいたいちゃんとした人は自分が正しいと思っていらっしゃるわけで…で、いろいろ注意してくださるわけですよ。
 そりゃもう、すべてごもっともです。ぼくの方がイロイロできていないのは、火を見るよりも明らかなんですから。

 で、そういう人とぼくは住む世界が違うというか、たぶん人間でも微妙に種族が違ってるんじゃないかと思うんで、お互いに近づかない方がいいと思うんです。ぼくなんか近くにいるだけで息がつまりそうですもんね。

 幸いなことに地元とか海遊び仲間にはそういう人は少なくて、海で遊んでいる分にはとても平和な日々なのです。
 ぼくはとても楽チンでノビノビしてるんです。

 アウトドアスポーツをやる人は自分がやりたいことがはっきりしていて、他人がどうでもわりとほっとく感じが好きです。
 それから自分がやりたいことは、リスクを取ってでもガンガンやっていくのは、生き方としても共感できます。

 というわけで、キチンとした人には近づかない、あまり親しくならないで暮らしていきたいわけで、ちょっと偏屈かとは思いますが、まあ別にもうだいぶ人生も終わりかけだし、もう自分の好きなようにしちゃうもんねと思う今日このごろです。
 そんなわけなんで、どうかぼくのような人には、キチンとした人も近づかないでください。よろぴく!







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湘南国際村 めぐりの森がいい感じ



 うちの近所に湘南国際村という開発地域があります。元々は山で、里山があって、自然豊かなのどかなエリアでしたが、そこを切り開いて、研究所や企業の研修施設やコンベンションセンターや住宅を作ったのです。全国どこにでもありがちな、産官連携の施設です。
 ぼくは開発される前の豊かな自然が好きだったので、このありがちな開発にはかなりがっかりしました。
 湘南国際村がある横須賀市は、ぼくからすれば開発が好きな自治体のように見えます。湘南の海沿いにはいくつか自治体がありますが、開発に積極的な自治体とそうでもない自治体があって、それぞれのカラーがわりとハッキリしていておもしろいですね。
 工業団地やリサーチパークや学園都市を造るのなんて、もう飽和状態でニーズもないんじゃないかと思いますが、豊かな自然は、神奈川という東京から電車で1時間程度のエリアでは、とても貴重です。そのあたりの判断ができない自治体とか目先の利益を追わなければいけない住民(というか地元企業)がいる自治体というのは、センスがないんじゃないでしょうか?
 豊かな自然を残した方が観光客とか、自然が好きな住民が流入して来ると思うんですけど…
 その湘南国際村にめぐりの森というエリアがあるんです。まあ一帯を開発する代わりにそのエリアだけは自然を残して、遊歩道みたいになものを整備して、住民のために自然を親しむ場を作りました、というアリバイ的なエリアですが、そこが本当にいい加減にしか作り込まれていないので、見どころもなく、遊歩する魅力もないため、それが幸いして観光客も来ない感じになっているんです。
 結果として、近所の知ってる人だけが散歩したりするだけで、結果として自然が保全されていることになっています。おそらく尾瀬などの有名な自然豊かな場所と比べると、そのエリアに立ち入る人の数は、1000分の1とか10000分の1程度なんじゃないでしょうか? まったくおもしろいものです。
 本当に環境保全をして、人が入らないようにしたいなら、自然の魅力がわからない程度に、適当に、センスなく、やる気なく自然と親しむエリアを整備するとよいという例です。この一帯を計画した横須賀市の担当者とゼネコンはよほど自然に関心がないのでしょう。
 そのおかげで、休日にもかかわらず、観光客もおらず、森の中の小径をゆっくり散策できます。いや、すばらしい。





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オレは自由だ…という基本



 基本的に人というのは自由だと、学校で教わったような気がします。
 あれぇ、違ったかな? 勘違いかな?
 その前提自体が幻想とか嘘っぱちかもしれませんけど、一応建前としてそういうことになっています。
 実際は、いろいろな、しがらみやらなんやらでぜんぜん自由じゃないですけど…
 でも、そういうしがらみって、自分もそれに従うからしらがみ自体が増殖します。しがらみの方でも、「こいつはいうこと聞くやつだな」とわかると、なめてくるので要注意です。しがらみ自体を知らないことにして、勝手にやりたいことをやるのがコツです。
 こちらがいい子で何もいわないとわかると、しがらみってヤツは、どんどん求めてきますから…常識という言葉を盾にとって…
 こちらの人柄を見て、ガンガンのっけてくるようなヤツは、人でも組織でもしがらみでも、近づかないのが一番です。
 人で、そういうヤツっているけど、本当に下品でタチが悪いよね…

 自分にも悪いところがあります。いい子になろうとする、人から好かれようとするさもしい気持ちがあるから、しがらみとか、やなヤツや組織が足下を見てのっけてくるわけで、最初からいい子にならないのがポイントです。
 そう、自分は自由にやるし、独立して誰のいうことも聞くもんか、という姿勢を示すことが大切だと思います。

 こうやって自分にいいきかせているんですけどね…
 ぼくは自由なわけで、だから明日から、いや今日からでも、世界一周の旅に出かけることもできるんです。5年間くらい世界の美しい海辺巡りだってできるわけです。
 いや、そんな極端なことをいわなくても、今度2週間くらい休みをとって、前から行きたかった、ポリネシアの島々巡りだって、小笠原母島長期滞在だって、石垣島周辺離島巡りだって、それなら現実的にできるわけです。
 基本自由、そこを起点として、世界一周がしたいけれども、そこからさらに妥協して、ポリネシアの島々巡り、「あぁなんて自分は現実的に自由を謳歌しているんだ」とわりといい線で充実できるんじゃないかって思うんです。

 バカバカしいかもしれないですけど、こういうことを普段から周りにいうのといわないのとでは、これまでと同じ暮らしをしていても、周囲が自分を見る目は変わります。
 さっきのようなのっけてくるタチの悪いヤツは、もしかしたらのっけてこなくなるなるかもしれませんし、普通に接している人でも、こいついざとなったら好きなことするかもしれないという前提があるのとないのではだいぶ振る舞いが違ってくるんじゃないかと思うんです。

 基本、オレは自由。やりたくなったらやるし、行きたいところに行く。責任とかしがらみとかいざとなったらオレは知らん…オレはそういうヤツだ…と…






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自由な友だちと、自ら自由を捨てたぼく



 ぼくの友だちで大学時代からアウトドアをやっていて、なんだかんだいって、結婚せず、子供もいないヤツがいます。
 かっこよくてけっこうモテてたんだけど…
 ヤツはたぶん家族みたいなものに束縛されたくなかったんじゃないかと推測するんです。

 ぼくは自分の帰る場所として、家族がいて、家があって、イヤじゃないというかありがたいんですけど…
 でも贅沢で申し訳ないんですが、ときどき独りになりたくなります。
 自由に対する思いがときどきすごく強くなるときがあるんだと思います。
 もちろん独りで寂しいと感じることもあるので、まったく自分の身勝手なんですけど…

 自分の気が向いたときに、行きたいところへ行く…
 すぐに帰ってきても、どれだけ長くいても、そこからどこへ行こうと、自分の気分のまま…ぼくはそういうのが好きみたいです。そういえば物心ついたときから、気ままにどこかに行きたいという思いがありました。
 中学生のときは通学用の自転車で何泊かの旅に出たりしてました。
 学生時代もお金がないけど、なんとなく旅に出たくなって、ザックに寝袋とちょっとした着替えを入れて、青春18切符でフラッと電車に乗って適当なところで降りて野宿していました。
 今の相方と結婚してからも、ときどきというか定期的にスキューバーダイビングだったりシーカヤックだったりの海旅をしています。 

 そんなぼくのようなタイプの人間にとっては、先ほどの友だちが、家族もなく、何か特段の制約もなく、何ヶ月でもどこへでも行ける自由というのは、とても羨ましいものです。
 社会的地位よりも高級車よりも不動産よりもお金よりもぼくが欲しいものだから…

 おそらくヤツがその自由と引き換えに持っていないものをぼくは持っていると思いますが、それはぼくが欲して手に入れたものではなく、「一応ちゃんとした社会人として普通にしなければならないから」「せっかく育ててもらったんだから、子供を産んで、親に孫の顔を見せて、家系を引き継がなければ」という世間的な価値観や義務感に流されて、妥協してしまった結果です。なので、ぼくはたぶん自分の本来生きたい人生を生きるということについて、ウソをついているというか、不誠実といえるでしょう。
 ヤツの生き方を見るとその自由さに羨ましいと感じると共に、自分の自分に対する不誠実さに気持ちが痛くなるのです。






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ローカリズムはぼくの中にある…たぶん誰の中にも…



 長年海遊びしていて、おもしろいなと感じるのはローカリズムです。
 サーファーなんかは、世界中どこに行ってもローカル優先みたいな考え方があって、よそ者をかなり敵視するエリアがありますし、漁協のオッサンの中にも、港に入ると激怒する人もいます。
 ウォータースポーツをしているとわりとそういう場面に出くわすことが多いのです。
 海遊びをすると自然のある田舎に行くからでしょうか?
 ただ別に海遊びしなくても、国同士で対立があったり、栃木県と群馬県がお互いについていいあったり、隣同士の町内会の中が悪かったり、暮らすの中に仲のいいグループとそれと対立する別のグループがあったりと、ことほどさように、あるグループと他のグループが対立する構図というのは、すごくありふれたものです。
 排他主義とかローカリズムとか派閥とか仲よしグループとか、どれもこれも根っこは同じだと思うんです。
 で、おそらく世界中どこにいっても見かける、普遍的な人としての性質なんだろうってぼくは思います。
 っていうか、魚でも鳥でもそういうのってありますけど…
 人って、自分が管理する範囲というのを意識的にか無意識的にか、だいたい想定しているように思うのです。人の能力は有限で、すべてに注意を払うのが難しいからそうするんじゃないかなあ。管理する範囲というのは、空間的な広さだったり、人的な繋がりだったりといろいろな現れ方をしてそうです。
 そしてその管理する範囲を、安全に、自分がコントロールできるように、ちゃんとしておきたい気持ちが強い性質の人、というのは当然いるわけです。そういう人は、自分の意識の届く範囲は、安全で居心地がいいようにしておきたいんですよね。だから自分の居場所を作ったり、ルールを作ったり、整理整頓したり、掃除したり、仲良くしたり、優しくしたりするわけですね。そうするとその管理する範囲に影響を及ぼすものに対して警戒心に近いものが働くんじゃないでしょうか?
 そして外部に対する警戒心というのは、本能的なものなのでしょう。自分が生存したい、安全でいたいという欲求とセットなはずなので、かなり強い本能だと推測します。
 おそらくなんだかんだいっても、動物というのは弱肉強食です。外敵が存在します。外敵がいる以上、戦わなきゃいけなし、防衛しなきゃいけない。いくら自分が平和主義者だといったって、サバンナで丸腰でいれば、ライオンとかトラとかに喰われちゃいますしね。人間社会だって平和だとか法の下の秩序だとかいっても、戦争はなくなりませんし、いざ戦争になればどうなるかは、歴史に多すぎるほどの事例があります。これはどうしようもないですよね。
 つまりローカリズムって、かなり努めて意識して、なくそうとしないとなくならないだろうというのがぼくの考えです。どちらかというとローカリズムの発露ってすごく素直なことです。でも、一般的な社会ではそうした本能むき出しの行動ってみっともないとされますね。ちょっと気をつけてお上品に振る舞わないとね。気をつけよっと。








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いくら海好きでも、海の近く過ぎるのはちょっとー



 よく東京の友達に「海辺に住んでていいよねー。でも津波とか怖くない?」と訊かれます。
 そりゃ怖いです。
 でもー、アタシー、火山の噴火も怖いし、地震も怖いし、竜巻も怖いし、洪水も怖いし、河川の氾濫も怖いし、雷も怖いし、がけ崩れも怖いし、火事も怖いし、泥棒も怖いし、交通事故も怖いし、奥さんも怖いしー…
 そう!こういう人いますよね。
 でました!リスク嫌いな人!

 こういう人は、たぶんすごく安全で定評がある場所(日本にはないよね。ヨーロッパ?)にシェルターを設置して、そこに住むといいと思います。

 というわけで、これら全部の危険がない安全なところがどれだけあるのか、もしそこに住めなければ、あえてどこを選ぶかというのが現実的な悩みどころです。
 ぼくは危険を回避するために生きているわけじゃなくて、自分が楽しく暮らしたいがために生きているので、最初の質問「津波とか怖くない?」への答えは「怖いよ。でもそれがどうかした?」です。
 あのさー危険でもやりたいことはやりたんだよ、オレは。
 そんなに危険が怖いなら、家に閉じこもってろ。

 あぁ、取り乱してしまいました。
 海辺に住みたいから住むんです。海辺の暮らしにシアワセを感じられるから、海辺に住みたいんです。逆にいえば、たとえ安全でも自分がシアワセを感じられない暮らしをしなければいけない場所には住みたくないんです。
 といいつつ、海辺で暮らすとして、ぼくにとってベストな立地はどこか?というと、それは以前このブログでもまとめました。

 海辺ならどこでもいいかというと、ぼくにとってシアワセを最大化する立地というのがあるのです。
 逆に、これはちょっとなーという代表例は海っぺり過ぎる土地です。
 海に近いほうが海遊びはしやすいわけですが、それでも本当に海キワキワというのは、逆にデメリットもあるわけです。

 ぼくは30年くらい海遊びをしていて、友達や遊びに行った先で、かなり海キワに建っている家に入ったことがありますが、さすがにこれは海好きで、かつ大雑把なぼくでも暮らせないなって思ってしまいます。
 たとえば、風が強かったり、潮をかぶるので、ウォータースポーツの道具が傷んでしまったり、劣化が早まったりします。サーフボードやディンギーやシーカヤックなんかでも潮が当たるところに置いておくと痛みが早くなるのです。
 それからこれはみなさん想像がつくかもしれませんが、生活自体がけっこうしにくいということがあります。
 夏は湿気がひどいし、潮で家中がベタベタします。砂も入ってきます。洗濯物も潮っぽくなります。布団なんてとても干せたもんじゃありません。
 エアコンの室外機、ガス湯湯沸かし器の室外機、電気メーター、テレビのアンテナといったものがあっというまに錆びてしまいます。これらの傷み度合いを、町中の住宅地がまあざっくり20年もつとすると、海辺から30mくらい奥まっている家が10年程度、海っぺりの家だと多分5年程度じゃないでしょうか。
 屋外の物だけではありません。家の中のものも傷みます。コンピュータとかハードディスクの録画機とかテレビといった精密機器なんかは、けっこう早くダメになります。 
 それから台風などで波をかぶることもあります。ぼくの家のそばの海キワの家は、波でガラスが割れたり、シャッターが壊れたりしてます。それも数年に1度とかじゃなくて、年に1度とか、そういう頻度です。

 いやーこれはねえ、いくら海が好きなぼくでもね、海遊び道具は痛むし、生活もしにくいとなったら、海キワに住む意味なんてないつーの。

 というわけで、海が眺められるなら高台でもう少し海の遠くでもいいですし、ウォータースポーツの便利さでいえば、海まで歩いて3分~5分くらいの立地を選んだほうがずっと快適な海辺暮らしが楽しめます。

 でも、こういうノウハウって、海遊びを30年くらい続けてきて、海辺で暮らしているからわかるわけで、都会からいきなり引っ越してきてもわからないのはしょうがないです。







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