海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
波の音を聞きながら…
ぼくは海辺に住んでいます。近くのビーチまで徒歩3分。家からは少し海が見えます。
海からの風には潮の匂いがしますし、海水浴場がオープンする時季になると、ライフセーバーの人のアナウンスが聞こえてきます。そのくらいの近さです。
掃除をしているとき、庭いじりをしているとき、お茶を飲んでいるときなど、日常の何気ないひとときに、海の気配が感じられるのは、ぼくにとっては嬉しいことです。それだけでなんとなく癒されている感覚があります。
特に好きなのは、波の高い日の潮騒。そんな日はいつもより大きく波の音が聞こえてきます。規則的に、通奏低音のように…
不思議なもので、波の音を聞いていると、なんとなく気持ちが落ち着きます。
家のリビングのソファに座って、開け放った窓から(うちは冬以外は、窓を開け放つことが多いんです)、波の音が聞こえてきて、うたた寝をする時間というのは、とても気持ちがいいんです。
あと、夜眠るときに、波の音を聞きながら、眠りに落ちるのも気持ちがいいものです。
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やっぱりデジタルとアナログは違いますね
ブログを書いたり、人の書いたブログを読んだりして、最近感じるようになったことがありまして…
別にたいしたことじゃないんですけど、海のことをwebで見るのと海で実際に過ごすことの差は、やっぱり、当然ながら、すごく隔たっているんだなあということを痛感するワケです。
うちの場合、PCのある部屋の窓からは海が見えるんです。んで、PCの画面で海の景色やテキストを長い時間読むと疲れるわけで、気分転換に窓越しの海を見ると、なぜか癒されます。
たまたまうちの場合、それが少しの視線移動でできるんですね。
それで気がついたのは、いったんデジタル変換された情報を画面を通して見るとの、自然の風景をガラス越しに見るのとでは、経験として全然異質なことなんですね。
似たようなことは別な状況でも起きます。ぼくはテレビはほとんど見なくて、見るとするとDVDでダイビングやサーフィンのコンテンツを見るんです。で、ぼくがテレビを見ている時というのは海に出たくても出られない時なんですが、それは風邪で体調が悪いみたいな、まあそういう時です。
DVDで海の映像を見ていると、無性に海に出たくなりまして、風邪ひいてても、ビーチに散歩に行っちゃったりするわけですね(良い子はマネしないでね。テレビを見るときはフラッシュにご注意ください)。そうするとすごく気分がスッキリするというか、充実するというか、気力がみなぎるというか、なんというか「ああやっぱり散歩してよかったなあ」「ぼくらはみんな生きているんだなあ」「人類皆兄弟」って思います。
何がいいたいかよくわかんないですけど、そういう感じなんで、よろしく。
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オヤジ達の海辺の呑み食い野営旅
海遊び仲間と、シーカヤックやスノーケリングや釣りをして、そのままビーチで野営をするということをかれこれ20年くらいやっています。
1泊のときもありますし、数泊することもあるんですが、一日中海辺にいて、海に入っては出て、海辺で食べ、海辺で寝泊まりするというのは、とても楽しいんです。
そして、町に出たりせず、他人と接しないでいるのって、結構ストレスが減るんだなって実感できます。
ビーチという空間で、気心の知れた男友達と、バカ話をしながら酒を酌み交わすというのも、想像できると思いますが楽しい時間です。こういう自由で楽しい時間を過ごすと、社会復帰できなくなりそうなくらい楽しいんですよ。
ただ、関東圏のビーチというのはたいていキャンプ禁止でして、シーカヤックで人が来ない小さなビーチや入江をしぶとく見つけるということをやっていました。
最近はキャンプブームらしくて、たぶんキャンプをする人のマナーが悪いからだと思うんですが、隠れたビーチなどもキャンプ禁止になったりして、場所を探すのもたいへんです。
だからといって経営されている有料の海辺のキャンプ場をわざわざ借りて、決められた区画で、決められたルールに従って、正しくキャンプをするというのは、ちょっと興ざめなんです。こっちはルールから自由になりたいから海に遊びに来てるんですから…
というわけで、地図を眺めながら、どっかキャンプできるところないかなーと探している時間が最近多くてモヤモヤしているのでした。
もし、あなたか海に癒されるタイプの人ならば…
このブログにも何度も書いているんですが、ぼくは日々、海に癒されています。
生きていれば、辛い時、悲しい時、キツい時、落ち込む時、忙しい時、疲れてしまう時が、誰だってあると思います。ぼくはそんな時には、必ず海に行っていました。ウォータースポーツをすることもありますし、散歩するときもありますし、ただ砂浜に座ってボーッと海を眺めていることもあります。
眼前に広がる青い海・広い空・潮風・太陽の光、それらの中にいることで、ぼくは安らげて、休息できます。ココロの奥の方にある疲れや、わだかまりのような塊が、ほぐれます。よく使われる言葉で表現するなら、海に癒されているんです。
だからぼくにとっては、歩いてすぐに海に行ける場所に住む必要がありました。もし海がそばになくて、海にすぐに行ける状況でなかったら、ぼくは体調を崩していたんじゃないかと想像します。
海のそばに住み、海を眺める日々をもう30年以上も続けています。海と接することは、ぼくにとって生活の一部というか体調管理の一部になっています。
もしこの文章を読んでくださっているあなたが、ぼくと似ていて、海に癒されるタイプだとしたら、ぜひ海のそばで暮らすことをオススメします。それは人生の質を高めるし、おそらくあなたを幸せにするし、ストレス解消にもなり、ひいては健康維持にも貢献するはずです。

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ビーチでうたた寝する気持ちよさ
休日には、ビーチでアウトドアテーブルとチェアを持ち出して、コーヒーを淹れながら、本を読むということをよくやります。真冬は寒いので、さすがにあまりやりませんが…それ以外の季節はよくやります。
そうすると時々ウトウトして、それがとても気持ちいいんです。太陽の光を浴びながら、波の音を聞きながらうたた寝するというのは、どうしてあんなに気持ちがいいんでしょう。不思議です。
うたた寝といえば今でもよく覚えているんですが、大学生の頃、午後の授業に向かう電車の中でうたた寝したときの気持ちよさです。
季節は春でした。電車はガラガラにすいていて、窓からは陽射しが差し込んでいました。そんな中うたた寝をしていたんですが、それがとても気持ちよかったんです。そのときの情景を、ぼくはなぜか今でもはっきり思い出すことができます。
大学生という気楽な立場、授業に出なければいけないけれど、別に大したことではない。なんなら休んじゃってもいい。そんな心理的な気楽さも、うたた寝が気持ちよかった遠因ではないかと思います。
休日のビーチのうたた寝の気持ちよさも、休みであること、海という自由で開けた空間であること、波の音が周期的に聞こえてきて、眠りを誘うこと、そんな環境で自分がリラックスしていること、などの状況が整っているから気持ちいいのかなと思います。
海という自然の中で憩う
休日に、海辺で一日中、ボーッとしていることが結構あります。
まあ、それで癒されるし、気持ちいいからやっているわけですが、妻からは「よく飽きないね」といわれます…
僕は海が好きで好きでしかたがなくて、海辺の田舎町に引っ越したわけでして、その海好きは今も衰えることなく続いています。
ぼくにとって海は、癒しの場であり、憩いの場であり、身体を動かす場であり、心をときめかせてくれる場なのです。ちょっと極端な言い方かもしれませんが、生きる上での楽しみの多くが海辺にあります。
海辺でボーッとする以外にも、散歩したり、ウォータースポーツをしたりします。どれもかれこれ30年以上続けてきたことで、ぼくの習慣になっています。おそらくこれからも病気とか怪我など、特別な理由がない限り、海に居続けるでしょう。

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暮らす環境と自分の変化
あぁ、海は今日も広くてゆったりしていていいですね。今週末も地元の海でシーカヤックをしていました。
ところでぼくは、自分でずっと欠点だと思っていることがあります。
それは他者の評価を気にする性格、チームとか組織の中で孤立したくないという性格、周囲に迷惑をかけないように、自分はちゃんとやらなければいけないと考える性格です。
そんなぼくが、日頃からこんな人になりたいなあ、と思いつつ、なかなかできないことがあります。それは、自分が他者から、いい人だとか、すごいとか、いわれたいと思わない人です。人の評価を気にしないで自分らしく生きていけたらいいなあ、と思うのです。そういう風に生きている人を見ると尊敬しちゃいます。
他者からの評価を気にすると、プレッシャーを感じたり、焦ったり、無理をしたり、ギクシャクしたりします。自分としては精一杯やっているのに、他者から評価されないから、不安を感じてしまうこともあります。
チームとか組織の中で孤立したくない、自分独りではやっていけないから、仲間に受け容れてもらって、その中で貢献しようと、頑張ってしまったり、自分を抑えてしまうのです。
そしてなんでも自分の責任であるかのように考えて、うまくいかないと自分を責めて、辛くなってしまうことがあります。
ところでぼくは大学生の頃から、スキューバダイビングやサーフィンなどのウォータースポーツしてきました。もちろん海が好きだというのがその理由ですが、どちらかというと普段の(都会での)生活でやってしまっている他者の評価を気にする自分から、離れるためです。
ウォータースポーツをしているとなぜか、他者の評価を気にする自分ではなくいられます。海という空間での自由さがそうさせているのかもしれません。
海にいると本来の自分らしくいられると気づいてから、紆余曲折があって、海辺の田舎町に引っ越すことにしました。そこから都会の会社に通勤しています。
海辺に引っ越してから早いもので30年が経ちました。海辺の田舎町で暮らすうちに、あまり他人の評価を気にせず自分らしく生きていけるように、少しは、なったと思います。でも元の自分が変わるわけではないので、ほんの少し変わった感じです。
ぼくの住んでいる海辺の田舎町は、自由業の人も、漁師さんも、自営業の人もいます。普段町を歩いている格好もT-shirtsにビーサンが定番だし、車も軽自動車に乗っている家が多いです。
そんな中で暮らしていると、どこに勤めているとか、子供がどこの学校に行っているみたいな世間体はあまり気にせずにいられます。それでもぼくのようなタイプは、周囲から変な人だと見られていないかということは気になりますけど…都会でのそれに比べたら微々たるものです。
環境がすべてではないと思いますが、ある程度は環境によって自分が少し変わったり、生きやすくなることはあると思います。
気分が下がっているときは、海で大きく深呼吸
気持ちが下がっている時期ってありませんか? なんとなく不安なとき、嫌なことがあったとき、イライラするときというのが、ぼくにはたまにあります。
そんなときぼくは、ビーサンをつっかけて、フラリと海へ行きます。
砂浜を散歩して、少し岬のようになっている高台に登り、そこで大きく深呼吸します。
目の前には海と空が広がっていて、潮風が頬を撫でます。空を見上げれば太陽が明るく世界を照らしています。
そんなに長い時間じゃありませんが、こんな時間を持つと気持ちがすっきり明るくなります。
世の中悪いことばかりじゃない、そのうちいいこともあるさ、なんとかなるさ、と楽天的に前向きになれます。
ぼくが海が好きだからこんな風になるのか、それとも海にはそういう効能があるたまなのかわかりません。すごく不思議です。
自然の気配を感じながら暮らす幸せ
今住んでいるところは、海辺で、ビーチまで歩いて3分くらいです。そして家の裏は丘のようになっていて、その斜面が森になっています。なので、南側の窓からは海が見え、家の裏側にあたる北側の窓からは緑が見えます。
冬以外の季節は、たいてい窓を開けっぱなしにしているんですが、南側の窓からは、波の音や潮の匂いが入ってきます。北側の窓からは、木々や土の匂い、木の葉の擦れる音、鳥のさえずり、リスの鳴き声が入ってきます。
日々自然を感じながら暮らせるのは、ぼくにとっては、とても幸せなことです。そういうことに価値を見出さない人もいるかもしれませんが、ぼくの場合は、自然の気配を感じることが大切なことですし、ありきたりな表現ですが、癒しになっています。

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離島旅でストレスについて考えたこと
島旅、特に小さな離島へ旅するのが好きです。理由はノンビリした雰囲気とゆったり流れる時間に癒されるからです。
普段、都会の会社で働いているぼくとしては、日々仕事に追われ、仕事の締切りに追われながら過ごしています。それが好きな人もいるんでしょうが、ぼくは苦手です。誰かに追い立てられて働くのは性に合わないので、苦痛なのです。
そんなわけですから、日々ストレスを感じて生きています。同じ会社で嬉々として働いている人を見ると、人によってずいぶん違うなーと思います。
小さな離島が好きなのは、それが旅という、仕事ではない非日常だからというのもありますが、島の人々がゆったり生きているのを見ると癒されるからです。そして1週間くらい滞在していると、自分もそのゆったりしたペースに馴染んで、ココロの中に溜まっていたストレスがほぐれていきます。
まるで肩こりのときにマッサージに行くと凝りがほぐれるのと似ています。
ココロがすっきりします。
小さな離島ならではの経験を挙げてみたいと思います。
まず印象に残っているのは、島の人たちというのは、鍵をかけません。車も家も鍵をかけているのを見たことがありません。たまたまなのかもしれませんけど…
ぼくが泊まった民宿では、自分の部屋に誰も鍵をかけていませんでした。加えて、ぼくは島での足としてレンタカーを借りていたんですが、そのレンタカーに鍵をかけるなと宿の人にいわれたことも印象に残っています。理由は、駐車場で移動させなければいかないときにすぐに動かせないから。
もうひとつ別な経験ですが、ぼくが行くような人口が3000人以下の離島では、スーパーのようなものがあっても1軒、たいていスーパーはなくて、何でもおいてある雑貨屋みたいな店が1、2軒というパターンが多いんです。その雑貨屋で買い物をするとき、店番のおばあさんが居るときもあるんですが、いないときの方が圧倒的に多くて(たいてい近所の知り合いの家でお茶を飲んでおしゃべりしている)、その間にお客は、欲しい品物を棚から取って、料金をレジに置いていくという方式なのです。金を払わず持って行く人は誰もいません。
もうひとつの経験談ですが、1週間以上も滞在していると、島の人もぼくの顔を覚えてくれて、たとえばよく行く雑貨屋のおばあさんが、家の裏手の縁側に呼んでくれて、お茶を飲んでけといってくれることがありました。話しは雑談ですが、そういう人と人との距離感にぼくは居心地のよさを感じました。
もうひとつの経験談ですが、島にある居酒屋(民宿の食堂が遅くまでやっていて、そこが居酒屋になっている)で飲んでいたときのことです。その晩は、いつもより酔っぱらっていたせいか、財布の入った荷物を置き忘れてしまたんです。もう結末はおわかりかもしれませんが、その日のうちに、ぼくが泊まっている別の民宿まで店の人が忘れ物を届けてくれました。
こうした小さな離島で経験することは、都会では経験できないことです。都会ではむしろすべて逆のことをしなければなりません。家や車や自転車には鍵をかけなければなりませんし、電車やバスでは手荷物から目を離せません。
スーパーでは、ちゃんとレジの人がいますし、店によっては万引き防止のための巡回ガードマンを雇っているところもあるようです。
街では変な人がいないか無意識に警戒して歩いていますし、誰かに声をかけられたら、キャッチセールスとか飲み屋の呼び込みとか、その類の人じゃないかと身構えます。たいてい無視して通り過ぎるでしょう。
落とし物や忘れ物をして、無事に手元に戻ってきたら超ラッキーで、たいていは戻ってきません。落とした自分がドジなだけです。
街で生活した場合、先述のように周囲や他者に対して、少なからず不信感や警戒心のようなものを心のどこかに持って暮らしているんじゃないでしょうか? そしてその不信感や警戒心は、その人に無自覚のうちにストレスを与えているんじゃないのかというのが、ぼくのかねてからの推測です。
便利な街での暮らし、不便な小さな離島での暮らし、どちらにも一長一短、好き嫌い、合う合わないがあると思いますが、街の暮らしには、意識できないストレスに曝されているかもしれないことには注意して日々過ごそうと思っています。

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