海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
船で海上をガンガン進む感じが好きです
スキューバダイビングでは、ボートダイブとビーチダイブに大きく分けられるんですが、ぼくはどちらも好きです。
ボートダイブはポイントまで運んでもらえるので楽なのと、たいてい大物が見れることが多いので好きです。
何よりも好きなのは、船が波をガンガン乗り越えながら進んでいく爽快感です。舳先の方に座って、風を受けながら、船がドンドン進んでいくのを感じるのが好きです。
ぼくは2級船舶免許を持っていて、たまにボートを借りてクルージングをするんですが、やはり、海の上をスピードを出しながら走っていくのは爽快です。
ぼくは船酔いをしたことがないので、爽快感だけがあるというわけです。
それとは別に、ぼくはシーカヤックをやっていて、これは手漕ぎでのんびりと膿の上を散歩するという感じなんですが、これはこれでマッタリとして楽しいものですが、動力を使った船で海上を疾走するのも楽しいです。
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ウォータースポーツの魅力
海遊びが好きで、サーフィンやスキューバダイビングやシーカヤックを30年以上続けてきました。ぼくはそれらの海遊びをウォータースポーツと呼ぶことにしていますが、ウォータースポーツの魅力というのはいくつもあります。
ぼくが一番の魅力だと感じるのは、海という広い場所で、低い人口密度で活動できるという点です。広々とした場所で好きなことをやっていると、それだけで気分がスッキリします。同じアウトドアスポーツでも、登山などは有名な山はずいぶん混雑していて、山頂付近は大渋滞なんて話しを聞いたりすると、海遊びの良さを改めて感じます。
次は、海がとても自由な場だということです。もちろん海には海のルールがありますが、地上でのスポーツやアクティビティに比べれば、ルールの数は少なく、それだけ自由な場だといえると思います。比較的自由だというのは、この何もかもが管理されたご時世で、とても貴重なことだとぼくには思えます。
次は、自然は同じ状況がなくて、何度同じフィールドで同じ遊びをしても飽きることがないということです。波や風、潮回り、潮の流れ、気温、湿度、陽射しなどの条件は、まったく同じ状況というのはありません。自然という相手の状態が違うし、ぼく自身のコンディションも違うので、同じウォータースポーツをしても経験することは違ってきます。そのため飽きないのだと思います。
次は、自分に向き合えるということだと思います。どういうことかというと、海という、時として厳しい自然の中で、危険を避け、死なないように帰ってこなければならないわけですが、そのプロセスの中で自分と向き合わなければならないんです。自然の状況や自分の力を冷静に考え合わせて、行くか戻るか決断しなければなりません。そして恐怖やパニックに陥りそうな自分の気持ちを乗り越えなければなりません。その過程には、自分と向き合うということが入ってきます。
おそらく自然を相手にしない趣味を持っている人や、普通に暮らしている人には、死と隣り合わせで、自分と向き合う機会はあまりないと思います。
自分と向き合うとことで、自分の弱さや自分の力を受け入れざるを得ないんですが、それが多少なりとも人としての成長に貢献しているように感じます。
次は、自然の魅力です。海に出るとき、自然環境はさまざまなんですが、ときどきとても素晴らしい景色に出逢うことがあります。それは綺麗な海の色だったり、遠くにくっきり見える富士山だったり、魚が水面を跳ねていく様子であったり、夕陽とそれできらめく水面だったり、いろいろ素晴らしい景色があります。その素晴らしさを経験してしまうと、またあの景色を見てみたいと思うんです。
次は、自然の力のすごさを実感して、謙虚になれたり、慎重になれたりできるところです。自然を相手にするスポーツをした方ならおわかりいただけると思いますが、自然が荒れたときの力のすごさというのは圧倒的です。とても人の力ではどうしようもないことがあります。現代の人間の知識や技術によって作られた物が壊れたりします。たとえば、ぼくの住んでいる海辺の町にある港の防波堤が、台風で一夜にして、すべて流されてなくなってしまったことがありました。
そういう自然のすごさを目の当たりにすると、自分の力なんてなってちっぽけなんだろうと実感します。自然に対しても、周囲の様々なものに対しても、畏怖の気持ちと舐めてかかからない気持ちを持つことができるようになります。
次は、共通の趣味を通じて仲間ができて、仲間と共にウォータースポーツやそれに伴う旅が楽しめることです。学生時代の友人や職場での友人との付き合いも楽しいものですが、共通の趣味のもとに出逢った友人と屈託なく楽しめるのは、楽しい時間ですし、そんな時間を持てる人生って豊かだなって思います。
次は、急に身近な話題になりますが、ウォータースポーツをした後に飲むビールがうまいことです。あれは、他のスポーツをした後とはまた違ったおいしさだと思います。たとえばぼくはたまにジョギングをするんですが、走った後に風呂に入ってから飲むビールもうまいんですが、ウォータースポーツをした後に風呂に入ってから飲むビールの方がうまく感じます。ぼくの単なる先入観かもしれません。ただなんとなく思うんですが、海水を多少飲んでしまって、普段より喉が渇いているとか、浸透圧の関係で身体の水分が抜けてしまっているとか、なんだかそんなような特別な渇きがあるために、ビールがうまいんじゃないかと思います。
ウォータースポーツの魅力を列記しましたが、ぼくは20代の頃からウォータースポーツを始めて、ずっと続けてきました。それはそれだけウォータースポーツに魅力があったからだと思います。そしてウォータースポーツと共に過ごしてきたこの30年以上の人生はとても充実した豊かなものになったと思います。
これからもオジサンを通り越してオジイサンになっても、ウォータースポーツをできる限り続けて生きたいな、と思っています。
「今が一番若いんだよ」という先輩の一言
ぼくも50代になってしまいました。ついこの間、大学を出て社会人になった気がしていたのに、あっという間に、結婚して、子どもができて、仕事と子育てに忙殺されて、ここまで来てしまいました。
とはいいつつも、たぶん他のお父さんに比べれば、海遊びなんかして、自分の趣味もしっかり楽しんできたと思います。
最近はスキューバダイビングに行くと、かなり念入りに足や腰のストレッチをしないと、途中で足がつるようになってしまいました。シーカヤックでも、肩から足まで念入りにストレッチしないと、途中で肩や背中や太ももあたりが痛みます。
そんな感じで、どうしても加齢を感じるお年頃なんですが、60代になっても70代になっても、ウォータースポーツをバリバリやっているおじいちゃんになりたいなあと思っています。
先日、スキューバダイビング仲間のちょっと年上の先輩に、そんな老化の話しをしていたら、その方が「とはいえ今が一番若いんだよ。今の自分のことを若いと思って、やりたいことをやった方がいいよ」とアドバイスをもらいました。
「うーん、確かに…」自分が歳を取ったなと思っても、今が若いという考え方で、なんだか気持ちがポジティブになってきました。
熟年世代の休日の大切さ
我が家では、子供達も成長し、それぞれ部活なんかもあったりして、土日に家族旅行に行くことがめっきり減りました。なので妻と二人で旅行することもありますし、妻とぼくがそれぞれの友人達と別々に旅行に行くこともあります。それに加えて、ぼくの場合、独りで行動することも多いんです。
だいたい土曜日の早朝に、ダイビング器材とシーカヤック器材を車に積んで、予約してあったダイビングショップに向かうというパターン。ダイビングの後は、気分と海況次第で、土曜日どこかに泊まって、日曜日にシーカヤックをしたり、ダイビングをしたりします。土曜日だけダイビングして帰ってくることもあります。土曜日の夜に車中泊することもあります。
そのあたりの自由さや気ままに動ける感じ、同行者に気遣いをしないでいいところが気に入っています。
ぼくは50代で、まだ老人というには早い年代です。体力的にも、ちょっと無理目なアクティビティもできますから、今のうちにできることはやっておきたいと思うのです。そういう点で休日は値千金の貴重さです。よほど天気が荒れない限り、海遊びの予定を入れてしまいます。
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海の環境を保全する取り組みの盛衰
ぼくがスキューバダイビングを始めて、かれこれ30年以上経ちますが、定期的に海関係の環境保全の取り組みがクローズアップされます。今だとSDGsですね。10年くらい前は地球温暖化防止でした。その前は廃棄物の削減、その前はサンゴを守れという取り組みがありました。
ぼくも海遊びをする者として、海はきれいであって欲しいし、人間の活動が自然環境に与える影響が少ない暮らしをすべきだと思っています。
でも、正直になってみると、環境保全のために、今の便利な暮らしを諦めることは、ぼくとしてはどこまでできるんだろうと思います。できる範囲からやりましょう、でいいならやれそうなんですけど…
今、ダイバーに関係するSDGsの取り組みは、海岸や海中のクリーンアップやGreen Fins(グリーン・フィンズ)やPeak Performance Buoyancy(ピーク・パフォーマンス・ボイヤンシー)でしょう。
海中のクリーンアップはダイバーにしかできないことですし、場所によっては、海面以上に海中にはゴミが多かったりします。
Green FinsとはUNEP(国連環境計画)とイギリスのReef World財団によるサンゴ礁保全の取組み。環境に配慮したダイビングやシュノーケリングのガイドラインの作成と、それを遵守しているダイビングショップの評価・認定を行なっています。
確かにあまりスキルの上手くないダイバーのフィンが、サンゴを傷つけているという事実はあると思います。
Peak Performance Buoyancyは、ダイバーが適切に中性浮力をとれるようにして、快適なダイビングをすることがメインの目的ですが、器材の引きずりなどによってサンゴなどの水中生物を傷つけないという効果もあります。
ぼくが何十年かの単位で環境保全の取り組みを見ていると、その取り組みのテーマも移り変わるし、社会的盛り上がりには波があるということです。すごく盛り上がる時期もあれば、低調になる時期もあります。ただ人類の人口が増加傾向にあって、それに伴って、環境負荷が増え、また、社会が文化的に成熟していくことが不可逆的なことだとすれば、それに伴って、なんらかの環境負荷が増える可能性(減る可能性もありますが)があります。そういう大きな流れの中では、環境保全をしていこうという声は、高まることはあるでしょうが、低まることはないでしょう。
海遊び仲間と楽しく過ごすひととき
ぼくは友達が多くはいませんが、一度友達になると長く付き合う傾向があります。
海遊び仲間も同じでして、常時遊ぶ友達は3人しかいませんが、その3人とはかれこれ20年以上の付き合いになります。
そのうち2人は共通の友人で、1人は別の友人です。
何か海遊びのイベント的なことをやるときは、ぼくも他の友人を誘ったり、3人の友人が彼らの友人を誘ったりして、10人以上になることもありますが、ぼくにとってコアな海遊び仲間は3人から増えていません。やはり気が合う人と一緒に海で遊ぶというのが、ぼくにとっては心地いいんだと思います。
海遊びというのは、独りでやっても楽しいものですが、友人とやるのも楽しいものです。それぞれに楽しみが違います。
独りでやる楽しみは、自分のペースでやりたいことができますし、海遊びの間ずっと、自分と向き合っている感覚があります。
友人とやる楽しみは、気心の知れた仲間とワイワイやりながら、楽しい時間を共有できるところでしょう。
どちらもそれぞれに魅力的です。
遊ぶ内容は、3人とも似たようなもので、中心となる活動はスキューバダイビングです。
年に何度か、一緒に沖縄の離島や伊豆七島や伊豆半島などのあちこちに、スキューバダイビングをしに行きます。
スキューバダイビングだけでなく、スノーケリングや海辺をひたすら歩く会や海辺キャンプなどもします。
そんな感じで20年以上も海に関わる外遊びを一緒に楽しんでいます。
男同士でスキューバダイビングや海辺キャンプなどしていると、会話の内容や気持ちは子供の頃と変わっていないよなと思います。普段、企業や社会で役職がついてたりして、責任を持った発言や行動をしている友人達も、海辺で酒を酌み交わせば、根っこの部分はガキだった頃と変わらない気がします。
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海上でシーカヤックやSUPの人とすれ違うときの挨拶について
ぼくの住んでいる三浦半島の相模湾に面したあたりでは、シーカヤックをしていると、海上でシーカヤックをやっている人やSUPをやっている人とよくすれ違います。よくといっても基準がわからないでしょうが、1日漕いでいると10人〜20人くらいとすれ違います。
その都度ぼくは挨拶するようにしているんですが、挨拶を返してくれる率は半々くらいです。シーカヤックをしている人は、ほぼ9割くらいは挨拶を返してくれるんですが、SUPの人にはかなり無視されます。
これが西伊豆や南伊豆でシーカヤックをしていると、ほぼ全員挨拶を返してくれるんです。挨拶だけでなくて、どこから来たのかとか、どこまで行くのかとか、そんな軽い話もしたりします。おそらくもっと人のいない海に行ったら「おお、人だ!」と驚くんじゃないでしょうか?
人の心理って不思議なものです。
ぼくはこれを「人口密度によって態度が変わる法則」と勝手に命名しています。
渋谷の道玄坂を歩いていて、すれ違う人、全員に挨拶していたら、挨拶する方が変な人だと思われますが、小笠原の母島で人とすれ違ったら、挨拶しない方が変です。この現象については、以前から面白いなと思っていました。やはり希少価値というか、数が多すぎると有り難みがなくなるというか、うざったくなるのか、匿名性が高まるのか、たぶんそんな心理が働いているんじゃないかと推測します。
ちなみにぼくがシーカヤックをしているときは、すれ違う人にはもれなく挨拶するようにしています。その都度挨拶するかどうか迷っているのが面倒くさいので、もう挨拶するって決めたのです。
海という自然を相手にするウォータースポーツが飽きない理由って…
ぼくはかれこれ30年以上ウォータースポーツ(マリンスポーツ)を続けてきました。スキューバダイビング、サーフィン、シーカヤック、セイリングです。
どのウォータースポーツにもそれぞれに楽しみがあって飽きません。
それらに共通点があるとすれば、海という場で遊ぶスポーツであるということと、海という自然を相手にするスポーツであるということでしょう。
この海という自然を相手にするスポーツであるというところが、飽きずに30年以上も続けてこられた理由のひとつのような気がします。
自然の状況というのは、海の場合、波であり、潮流であり,海底の地形であり、風であり、陽射しであり、季節などです。どの要素もいつも違います。なので、組み合わせからすると、同じ自然環境であることは、ほぼありません。いつも違う環境でウォータースポーツができるというのが、ぼくの場合、飽きない理由です。
海は、いえ自然は、人に対して、時に穏やかな面を見せることがありますが、時にとても荒々しく破壊的であったりします。穏やかなときには、心の底から癒されますし、荒々しいときは、闘志が湧いたり、くじけたり、恐れたりします。
振幅を伴って変化する自然に接するとき、ぼくは自分自身の心を自然に投影しているような気がします。自然への接し方で、ぼく自身の気持ちに気づかされるといってもいいでしょう。
たとえば、荒れた海に臨むときに、やる気に満ちて挑戦的なときは、自分自身がハイテンションで強気なときですし、恐れて腰が引けているときは、弱気なときです。
海を相手にするウォータースポーツを何十年も続けて飽きずにいられるのは、実は、自然に自分自身を投影して、自分を見つめられるから、というのが、本当の理由かもしれません。
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独りで楽しむ海、友と楽しむ海
海で遊ぶというのは、大勢でワイワイやるのも楽しいですし、独りでマイペースに気ままにやるのも楽しいものです。
ぼくはスキューバダイビングやシーカヤックやサーフィンをします。
スキューバダイビングは、バディといって2人一組で潜らなければなりませんし、ガイドがついている場合はが多いので、そういうときは4、5名のグループで潜ります。海から上がると、ログブックというダイビング日誌みたいなものを書くんですが、みんなで今日見た魚を、あれこれわいわい言いながら書いていくのも楽しい時間です。さらに楽しいのは、泊まりがけのダイビングのときで、宿で夕飯を食べ終わった後、飲み会をするのも楽しいものです。
シーカヤックは独りでもグループでもできるウォータースポーツです。
独りで漕ぐときは、その日の目的地・スケジュール・ルートなどを、自分で適当に決めたり、変えたりできるのがいいですね。上陸するのによさそうなところを見つけたら、当初の予定を変更して、そこに上陸して昼メシにする、なんてこともできます。漕いでいて、いつもよりも疲れるのが早ければ、予定を変えて、帰ることもできます。
グループで漕ぐときは、ワイワイ話しながら漕ぐのが楽しいですね。みんながいると何かトラブルがあったときに、安心ということもあります。昼メシや休憩のときも、みんなで話しをしながら、これまでの行程の中で起きたことなどを振り返るのが楽しかったりします。
サーフィンは独りで行くことが多いですね。行くといってもぼくの場合、自分の家のそばのビーチで乗ることが多いので、「今日は波がいいな」と思ったらボードを抱えて海に行くという感じです。それで海に行くとお馴染みの顔ぶれがいるので、彼らと波待ちの時に話したりすることはあります。
古くからのサーフィン仲間とサーフトリップに行くときもあります。そうしたときは、朝から波に乗って、夕方頃に宿へ戻って、風呂に入って、酒と食事という魅惑の定番オヤジ旅が展開されます。
独りで勝手気ままにやりたいことができる楽しさと、旧知の友と同じ趣味で楽しみ、酒を酌み交わす楽しみと、どちらもぼくにとっては大切な気分転換の機会になっています。できればこのまま歳をとってもこの楽しみをつづけていきたいなあと思っています。
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海遊びは危ないけど…それが何か?
むかーし、昔、ぼくが小学生の頃にテレビドラマで「俺たちは天使だ!」という探偵モノをやっていました。
これが好きで毎週欠かさず見ていました。
ドラマの中で出てくる決め台詞が「運が悪けりゃ死ぬだけさ」。
この言葉も大好きです。
海遊びをする時は、事前準備と計画を立てて慎重にやることが鉄則ですが、それよりももっと前提にあるのは、もともと危険なことをしてるわけですから、「運が悪けりゃ死ぬだけさ」っていう気持ちじゃないかな、と最近思いました。
そんなことを思ったのも、親戚がぼくの家に来た時、家にあるシーカヤックを見て、「お前これ海で乗るの? 危ないじゃないか」っていったからです。眉をひそめて…
そりゃ危ないよ。
でも危なくないことって世の中にどれだけあんのよ。
それに楽しいんだから、多少危なくたっていいじゃん。
なんて、そんなことは口にはだしませんでした。
そういう事をいう人とぼくの間には、埋めがたい広く深い溝が、マリアナ海溝のように広がっているから…
つうか生きてること自体が危険じゃん。
ぼくは今日も「運が悪けりゃ死ぬだけさ」の気分でガンガンいきます。
ちなみに「俺たちは天使だ!」の主題歌SHOGUNが歌う「男達のメロディー」 も好きです。
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