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ビーチでの居眠りがとても気持ちがいい



 ビーチにいて気持ちいい季節があります。それは春と秋。
 晴れていて、適度に風が吹いていて、暑くもなく寒くもない日。そんな日は、アウトドア用のチェアとテーブルを持って、ふらりとビーチに行きます。
 海風に吹かれながら、ガスバーナーでお湯を沸かし、コーヒーを淹れて、ゆっくり味わいます。
 そして本など読みながら一日中ビーチにいます。
 あまりに心地ちよくて、うとうとすることもあります。
 波の音が眠気を誘うのでしょうか。ビーチで眠るのはとても気持ちよくて、起きたときには、心身共にスッキリしています。太陽の光を浴びて、潮風に吹かれ、波の音を聞きながら眠るのは、普通にベッドで寝るのとは違う気がします。
 平和で、健康で、こうしてビーチで居眠りできるなんて幸せだなーって思うのです。








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防波堤へビールを飲みに…



 休日の夕方にときどきやることがあります。それはビールを持って防波堤に行って、防波堤に座って、海を眺めながら、ビールを飲むこと。家から防波堤までは歩いて3分くらいなので、寒くない季節以外はちょくちょくやります。残念ながら雲が厚い日や雨の日はやりません。
 ベストなタイミングは夕陽が沈む1時間くらい前。
 空の色がオレンジや紫などの複雑な色に、グラデーションを伴いながら移り変わり、次第に暗くなっていく、まさにマジックアワー。その時間をビールを飲みながら、ゆったり楽しみます。
 そんな自然の雄大な様子を見ていると、自分が日々の暮らしの中で四苦八苦していることなど、ちっぽけでどうでもいいような気持ちになっていきます。
 

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波をずっと見ていられるボク



 ぼくは波を見ているのが好きです。
 暇な休日には、ぶらりと海に行って、砂浜に座って波を見ています。
 他の人に話すとあまりにマニアックで引かれてしまうので、普段はあまり他人に話しません。
 正確にいうと、波よりもうねりの方が好きです。
 波というのは付近の強い風によってできるもので、表面がバチャバチャしています。うねりというのは、遠くの強い風などで、そこでできた波が伝わってやってくるもので、海全体が盛り上がったり、下がったりして、うねる状態です。見た目はうねりの方がカーブが美しいですし、砂浜でブレイクするときもキレイです。
 波の場合は、沖の方ですでに波立っていて、それが砂浜に近づくとバシャバシャのままブレイクします。うねりの場合は、一見すると波が立っていないように見えるんですが、海自体が大きな周期で上下動していて、砂浜近くになると急に盛り上がってブレイクします。
 波というのは不思議なもので、日によって波の状態が違いますし、同じ日でも時間によって波の様子が違います。同じ場所でもそのときの波の強さや海底の地形で波の様子が違います。よくあるのは台風などで海が荒れた日の後で、海底や砂浜の地形が変わってしまっているので、波の立ち方も違ってきます。
 波の部分によっても、サーファーは名前をつけていて、ショルダー、トップ、フェイス、リップという具合で、それぞれに美しさがあります。
 波が引いていくときも美しくて、砂浜に打ち寄せた波がスーッと海に引いていくときに、縦に何本かラインができて、その様子がキレイです。波の引き際の美しさは、砂浜の形状に左右されルンだと思います。遠浅とドン深だと波の引き方の美しさが違います。ぼくは遠浅の砂浜の引き際が好きです。
 荒れた日の波を見る(よい子は真似してはいけません)のも楽しいものです。力強く、暴力的、かつ破壊的で、改めて自然の力強さを感じます。
 そんな波の様子をボーッと見ていると、あっという間に2、3時間経っているという感じで、自分でも「オレって変わってるなー。こんなんでいいのかなー」と思ったりします。









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海にいるのが気持ちのいい時期



 我が家の最寄りのビーチは夏の間、海水浴場になります。まあまあ観光客の人が来て、海辺の田舎町もちょっとした賑わいを見せます。
 地元の住民も夏の間、海水浴に行きますが、みんなが一番海に行くのは、やはり春と秋です。もう少し細かくいうと、4月の暖かくなる頃から6月の梅雨前までと、9月下旬の少し暑さがやわらぎかけた頃から11月の寒くなる前までです。
 この時期が、暑くもなく寒くもなく、陽射しもほどよく、空気がカラッとしていて、ビーチにいると、とても気持ちがいいのです。休日には朝からビーチにテーブルとチェアを出して、お茶やランチを持参して、夕方前まで海にいることさえあります。
 気持ちのいい時期にも、特に気持ちがいい日というのがありまして、そんな日に巡り会うととてもシアワセな気持ちになります。海辺に住んでいてよかったなあと思います。





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趣味と暮らしの間で揺れ続けながら生きてきました



 ぼくは青年期からオジサンになるまで、海遊びと、日々の暮らしとか社会で自分がどう生きるのかという2つのテーマの間で揺れ続けてきました。
 どういうことか書いてみたいと思います。誰かの役に立つかは、わかりませんが、少なくとも自分自身の気持ちを整理することには役立ちそうです。
 ぼくは大学生の頃からサーフィンとスキューバダイビングをしていました。特にスキューバダイビングには、かなりハマっていて、バイトを一生懸命やって、そのお金をダイビングに使っていました。
 ダイビングをしていると、インストラクターやガイド(ダイブマスター)という人の世話になるのですが、そういう人達の生き方っていいなあと思いました。好きな趣味を職業にできるのって、まあ単純ですが、憧れやすいものです。
 そしてそろそろ自分が大学3年生の終盤を迎えることになり、就職活動を考えなければならなくなってきました。これからどうやって生きるのかを決めるタイミングがやってきたのです。
 将来どうやって生きるか考える上で、ぼくの中にあった迷いの要素は…
・自分の好きなことをやり続けたい
・人並みの生活をできるような収入を得たい
というものでした。
 この要素は現実的な就職活動の局面では、スキューバダイビングの世界で働くか、一般の企業で働くか、という形でぼくの中に単純化されました。もしかしたらもっと別な選択肢があったかもしれませんが、そのときのぼくには思い浮かびませんでした。
 そして結果的に、ぼくは人並みの生活が営めるような安定的な収入を得られそうな会社に入ることにしたのです。で、スキューバダイビングは趣味として楽しめばいい、そんな結論に至りました。
 このときの判断は、今でも間違っていなかったと評価していますが、「自分はどうせ社会の規範に従ってしか生きられないつまらない男」というコンプレックスをぼくのココロの中に残しました。そして未練たらしいのですが、ときどき「あの時スキューバダイビングで暮らしていく選択をしていたら、今頃自分はどうなっていたんだろう?」と考えたりします。
 人生は一度きりで、時間は不可逆的です。判断をやり直すことはできません。別な人生もあり得ません。それはわかっていても、なんとなくモヤモヤと考えてしまうのです。
 会社に入って、社会人として一応なんとか形になり、結婚し子供も生まれました。いわゆる普通の幸せな生活ができるようになりました。これはこれでありがたいことだと思います。一方で休日はスキューバダイビングをはじめとしたウォータースポーツに熱中するようになりました(子供の小さい時期は除きます)。その熱心さは、まるで平日に我慢していた自分らしい生き方を取り返したいかのような力を持っていました。
 その生活を営んでいると、次のような考えがぼくの中に生まれました。
●平日の暮らし:会社・仕事・親としての役割・常識的に社会で生きるために何かを我慢している自分
●休日の暮らし:スキューバダイビング・海・自由・本来の自分
 こうして分類してみましたが、だからどうってことはないんです。自分の中で分裂や分断が起きて困ったということもありません。
 仕事は仕事でそれなりにやりがいはありますし、平日の自分がイヤでイヤで仕方がないというわけでもありません。ただなにかしら、小さなしっくりこないものがあって、それを抱えながら何十年か過ごしてきたということです。
 そのささくれのような、小さなしっくりこないものとうまく付き合いながら、会社勤めも30年近く経ちました。おそらくこのまま、定年までこうした状態で、働きつつ遊びつつ過ごすんだと思います。
 その先はたぶん海遊び中心の暮らしをしていくと思うんですが、今のところ具体的なイメージはありません。









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「わたしと海とどっちが大切なの?」問題



 ウォータースポーツが好きな人で、特にそれにどっぷりハマっている人−たとえばぼくのように、毎週末、伊豆方面にスキューバダイビングに行くようなタイプの人−で、彼女や奥さんや家族がいる人の場合、「わたしと海とどっちが大切なの?」という例の言葉を浴びた方は結構いらっしゃるのではないでしょうか?
 多くの男性が経験していると思いますが「わたしと海とどっちが大切なの?」という言葉は、一応疑問形にはなってはいますが、実際の意味は、「わたし」を放っておいて海遊びばかりしていて、あなたは一体どういうつもりなんだ!という非難です。
 これをいわれてしまうとどうしようもないので、至急、彼女とのデートの計画やレストランでの食事の予約や旅行の計画を立てるなどの対応を迫られるわけです。
 ただこの言葉をいわれるのは、まだ二人の関係がホットな状況のときでして、ぼくのように結婚して何十年も立っていると、「亭主元気で留守がいい」状態になっているので、家にいるよりも海に行っていた方が、彼女も楽なようで、「わたしと海とどっちが大切なの?」という言葉は、とんと聞かなくなります。
 いやはや男女の関係性の変化というのは不思議なものですね。
 まだ「わたしと海とどっちが大切なの?」という言葉を彼女からいわれるような男性は、まだ二人の関係が冷え切っていない、いい状態の証拠なのだとポジティブに受け止めた方がいいと思うのです。がんばってください。







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屋外で過ごすのが好きです



 ぼくの休日のささやかな楽しみは、スキューバダイビングとかシーカヤックのウォータースポーツをして、その後お風呂に入って、さっぱりした後、デッキなどの屋外で海を眺めながらビールを飲むことです。
 できるならば波が少し高くなって、潮騒が聞こえると、なお嬉しいです。潮騒を聞きながら、夕陽を眺めながら、今日のウォータースポーツのことを思い出しつつ、ビールを喉に流し込むというのは、小さいけれど確かな幸せ(小確幸、村上春樹さんのエッセイより)です。
 ぼくは、雨とか蚊がすごい時以外は、なるべく屋外に居たいと思っているので、ビールやコーヒーを飲むときや読書するときなどは、デッキとか家の近くの海のビーチに出ます。屋外で風に吹かれながら過ごすのがとても好きです。空気が動いているのが気持ちいいと感じるし、ホッとできるというのでしょうか…
 これは海旅でも同じでして、泊まりがけでスキューバダイビングに行くときも、スキューバダイビングが終わった後、ゆっくりお風呂に入って、身体が温まった後に、ベランダとかデッキで、海を眺めながら冷たいビールを飲むのが楽しみです。なので宿も、ビールがあるところ(できれば生ビール)で、海が見えるところで、できれば屋外のスペースがあるところを選ぶようにしています。
 旅先のいつもと違う海をじっくりと眺めながら酒を飲むというのは、海好きのぼくとしてはとても楽しい時間です。
 こうやって書くと、まったくささやかで庶民的で、少し恥ずかしいんですが、好きなんだから仕方ありませんね。







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フラッと海へ行く暮らし



 海辺に暮らして、以前と変わったなと思うのは、海へ行く感覚です。
 東京に住んでいた頃は、海に行く時は前の日から準備して、朝早く家を出発して「さあ、海に行くぞ!」という感じでした。海に着いたら「うわぁ、海だ、海だ!」とはしゃいだものでした。
 サーフィンをするつもりで海に行ったらまったく波がなくて、ビーチで日光浴をするだけということもありました。スキューバダイビングをするつもりで海に行ったら、大荒れでその日のダイビングは中止ということもありました。
 海辺に暮らして30年近くが経った今は、海はもっと日常に溶け込んだ存在です。
 たとえば天気のいい休日の朝、「ちょっと海辺を散歩しようか」とか、暑くも寒くもない気持ちのいい時季などは「今日は気持ちがいいから、ビーチでお茶でもしよう」とアウトドア用のテーブルとチェアとバーナーと水とコーヒーとお菓子を持って、ビーチでコーヒーを淹れて、ノンビリします。
 ウォータースポーツをするのも同じく、その時々の海況に合わせてやることを選びます。波があればサーフィンをしますし、穏やかならシーカヤックかスキューバダイビングをします。
 気軽に海に行き、その日やることを海の様子を見て決める。そんな毎日はとても心地いいものです。







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船に乗る爽快感



 シーカヤックでもボートでも客船でも、なんでもいいんですが、船に乗って、大海原を航海するのは気持ちがいいものです。気持ちが解き放たれるかのようなあの感覚は、なんとも表現しにくいものです。船でしか味わえないんですよね。
 ぼくはシーカヤックをやるんですが、気持ちが大らかになる感覚が楽しみたくてやっているようなところがあります。
 加山雄三さんの歌で「海よ~、俺の海よ~」というような歌詞がありましたが、あのように歌いたくなる気持ちは共感できます。
 目の前に広がる海、大きな空、波を切り裂きながら進む船…
 気分が大らかに、伸びやかに、細かいことはどうでもいいやという感覚になります。日常生活の瑣事を忘れることができます。
 僕は離島旅が好きなんですが、航空便があってもあえて船便で離島に渡ったりします。それもこれも船に乗る感覚が好きだから。船に乗った時点で、テンションが上がります。テンションが上がるだけでなく、旅愁も味わえます。出発の際、船が岸壁から離れる時の切なくも楽しい感じ。到着の際、港がだんだん近づいてくるときのワクワク感。これぞ旅情ではないか!と思ったりします。
 ぼくの妻は船酔いするタイプなので、妻との旅行の時は船便を使わないようにしています。彼女を見ていると、船酔いというか乗り物酔いする人はたいへんだな、と思います。
 ぼくが船旅を好きでいられるのは、船酔いしないからなんでしょうね。
 かつてスキューバダイビングの際、ボートダイビングだったんですが、結構荒れていて、ガイドも船酔いしてましたが、ぼくだけ平気でした。ボートを操船する漁師のオジサンに「ニイチャンは漁師になれる素質あるよー」といわれたくらい船酔いしません。
 もし、あなたが船酔いしないタイプで、これまで船旅をしたことがないとしたら、ぜひ一度船旅をすることをオススメします。爽快ですよ。







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自然の豊かなところでの暮らしって、とてもいいですよ



 スキューバダイビング、シーカヤック、サーフィン、セイリングといろいろ海遊びをしている道楽者のぼくです。
 平日は東京の会社まで長距離通勤して、休日は海で思いっきり遊びます。
「そんなに長い通勤時間に耐えられるね」と、他人からはいわれますが、海辺の暮らしの解放感の大きさに比べれば、通勤時間の長さは気になりません。
 平日の仕事帰り、海辺を散歩しながら帰宅したり、休日に、というか金曜日の夜から月曜日の朝まで、海のそばでの暮らしにどっぷり浸れる、その喜びはぼくにとって相当価値のあることなのです。
 広い空、青い海、きれいな空気、豊かな自然、町のノンビリした自由な雰囲気、思い立ったらすぐにウォータースポーツに出かけられる気軽さなどなど、どれも都会での暮らしでは味わえないものです。
 海辺の暮らしから、ぼくはかなり多くの精神的な安らぎをもらっていると思います。以前、東京で暮らしていたんですが、あのまま東京に住に続けていたら相当ストレスを溜めていたでしょう。
 もしあなたが海に限らず自然が好きで、都会での暮らしにストレスを感じるようなタイプでしたら、思い切って自然の豊かな場所に引っ越すことをオススメします。それによって、一度しかない人生を豊かにすることができるでしょう。







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