海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海にいるのが気持ちのいい時期
我が家の最寄りのビーチは夏の間、海水浴場になります。まあまあ観光客の人が来て、海辺の田舎町もちょっとした賑わいを見せます。
地元の住民も夏の間、海水浴に行きますが、みんなが一番海に行くのは、やはり春と秋です。もう少し細かくいうと、4月の暖かくなる頃から6月の梅雨前までと、9月下旬の少し暑さがやわらぎかけた頃から11月の寒くなる前までです。
この時期が、暑くもなく寒くもなく、陽射しもほどよく、空気がカラッとしていて、ビーチにいると、とても気持ちがいいのです。休日には朝からビーチにテーブルとチェアを出して、お茶やランチを持参して、夕方前まで海にいることさえあります。
気持ちのいい時期にも、特に気持ちがいい日というのがありまして、そんな日に巡り会うととてもシアワセな気持ちになります。海辺に住んでいてよかったなあと思います。
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趣味と暮らしの間で揺れ続けながら生きてきました
ぼくは青年期からオジサンになるまで、海遊びと、日々の暮らしとか社会で自分がどう生きるのかという2つのテーマの間で揺れ続けてきました。
どういうことか書いてみたいと思います。誰かの役に立つかは、わかりませんが、少なくとも自分自身の気持ちを整理することには役立ちそうです。
ぼくは大学生の頃からサーフィンとスキューバダイビングをしていました。特にスキューバダイビングには、かなりハマっていて、バイトを一生懸命やって、そのお金をダイビングに使っていました。
ダイビングをしていると、インストラクターやガイド(ダイブマスター)という人の世話になるのですが、そういう人達の生き方っていいなあと思いました。好きな趣味を職業にできるのって、まあ単純ですが、憧れやすいものです。
そしてそろそろ自分が大学3年生の終盤を迎えることになり、就職活動を考えなければならなくなってきました。これからどうやって生きるのかを決めるタイミングがやってきたのです。
将来どうやって生きるか考える上で、ぼくの中にあった迷いの要素は…
・自分の好きなことをやり続けたい
・人並みの生活をできるような収入を得たい
というものでした。
この要素は現実的な就職活動の局面では、スキューバダイビングの世界で働くか、一般の企業で働くか、という形でぼくの中に単純化されました。もしかしたらもっと別な選択肢があったかもしれませんが、そのときのぼくには思い浮かびませんでした。
そして結果的に、ぼくは人並みの生活が営めるような安定的な収入を得られそうな会社に入ることにしたのです。で、スキューバダイビングは趣味として楽しめばいい、そんな結論に至りました。
このときの判断は、今でも間違っていなかったと評価していますが、「自分はどうせ社会の規範に従ってしか生きられないつまらない男」というコンプレックスをぼくのココロの中に残しました。そして未練たらしいのですが、ときどき「あの時スキューバダイビングで暮らしていく選択をしていたら、今頃自分はどうなっていたんだろう?」と考えたりします。
人生は一度きりで、時間は不可逆的です。判断をやり直すことはできません。別な人生もあり得ません。それはわかっていても、なんとなくモヤモヤと考えてしまうのです。
会社に入って、社会人として一応なんとか形になり、結婚し子供も生まれました。いわゆる普通の幸せな生活ができるようになりました。これはこれでありがたいことだと思います。一方で休日はスキューバダイビングをはじめとしたウォータースポーツに熱中するようになりました(子供の小さい時期は除きます)。その熱心さは、まるで平日に我慢していた自分らしい生き方を取り返したいかのような力を持っていました。
その生活を営んでいると、次のような考えがぼくの中に生まれました。
●平日の暮らし:会社・仕事・親としての役割・常識的に社会で生きるために何かを我慢している自分
●休日の暮らし:スキューバダイビング・海・自由・本来の自分
こうして分類してみましたが、だからどうってことはないんです。自分の中で分裂や分断が起きて困ったということもありません。
仕事は仕事でそれなりにやりがいはありますし、平日の自分がイヤでイヤで仕方がないというわけでもありません。ただなにかしら、小さなしっくりこないものがあって、それを抱えながら何十年か過ごしてきたということです。
そのささくれのような、小さなしっくりこないものとうまく付き合いながら、会社勤めも30年近く経ちました。おそらくこのまま、定年までこうした状態で、働きつつ遊びつつ過ごすんだと思います。
「わたしと海とどっちが大切なの?」問題
ウォータースポーツが好きな人で、特にそれにどっぷりハマっている人−たとえばぼくのように、毎週末、伊豆方面にスキューバダイビングに行くようなタイプの人−で、彼女や奥さんや家族がいる人の場合、「わたしと海とどっちが大切なの?」という例の言葉を浴びた方は結構いらっしゃるのではないでしょうか?
多くの男性が経験していると思いますが「わたしと海とどっちが大切なの?」という言葉は、一応疑問形にはなってはいますが、実際の意味は、「わたし」を放っておいて海遊びばかりしていて、あなたは一体どういうつもりなんだ!という非難です。
これをいわれてしまうとどうしようもないので、至急、彼女とのデートの計画やレストランでの食事の予約や旅行の計画を立てるなどの対応を迫られるわけです。
ただこの言葉をいわれるのは、まだ二人の関係がホットな状況のときでして、ぼくのように結婚して何十年も立っていると、「亭主元気で留守がいい」状態になっているので、家にいるよりも海に行っていた方が、彼女も楽なようで、「わたしと海とどっちが大切なの?」という言葉は、とんと聞かなくなります。
いやはや男女の関係性の変化というのは不思議なものですね。
まだ「わたしと海とどっちが大切なの?」という言葉を彼女からいわれるような男性は、まだ二人の関係が冷え切っていない、いい状態の証拠なのだとポジティブに受け止めた方がいいと思うのです。がんばってください。
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屋外で過ごすのが好きです
ぼくの休日のささやかな楽しみは、スキューバダイビングとかシーカヤックのウォータースポーツをして、その後お風呂に入って、さっぱりした後、デッキなどの屋外で海を眺めながらビールを飲むことです。
できるならば波が少し高くなって、潮騒が聞こえると、なお嬉しいです。潮騒を聞きながら、夕陽を眺めながら、今日のウォータースポーツのことを思い出しつつ、ビールを喉に流し込むというのは、小さいけれど確かな幸せ(小確幸、村上春樹さんのエッセイより)です。
ぼくは、雨とか蚊がすごい時以外は、なるべく屋外に居たいと思っているので、ビールやコーヒーを飲むときや読書するときなどは、デッキとか家の近くの海のビーチに出ます。屋外で風に吹かれながら過ごすのがとても好きです。空気が動いているのが気持ちいいと感じるし、ホッとできるというのでしょうか…
これは海旅でも同じでして、泊まりがけでスキューバダイビングに行くときも、スキューバダイビングが終わった後、ゆっくりお風呂に入って、身体が温まった後に、ベランダとかデッキで、海を眺めながら冷たいビールを飲むのが楽しみです。なので宿も、ビールがあるところ(できれば生ビール)で、海が見えるところで、できれば屋外のスペースがあるところを選ぶようにしています。
旅先のいつもと違う海をじっくりと眺めながら酒を飲むというのは、海好きのぼくとしてはとても楽しい時間です。
フラッと海へ行く暮らし
海辺に暮らして、以前と変わったなと思うのは、海へ行く感覚です。
東京に住んでいた頃は、海に行く時は前の日から準備して、朝早く家を出発して「さあ、海に行くぞ!」という感じでした。海に着いたら「うわぁ、海だ、海だ!」とはしゃいだものでした。
サーフィンをするつもりで海に行ったらまったく波がなくて、ビーチで日光浴をするだけということもありました。スキューバダイビングをするつもりで海に行ったら、大荒れでその日のダイビングは中止ということもありました。
海辺に暮らして30年近くが経った今は、海はもっと日常に溶け込んだ存在です。
たとえば天気のいい休日の朝、「ちょっと海辺を散歩しようか」とか、暑くも寒くもない気持ちのいい時季などは「今日は気持ちがいいから、ビーチでお茶でもしよう」とアウトドア用のテーブルとチェアとバーナーと水とコーヒーとお菓子を持って、ビーチでコーヒーを淹れて、ノンビリします。
ウォータースポーツをするのも同じく、その時々の海況に合わせてやることを選びます。波があればサーフィンをしますし、穏やかならシーカヤックかスキューバダイビングをします。
船に乗る爽快感
シーカヤックでもボートでも客船でも、なんでもいいんですが、船に乗って、大海原を航海するのは気持ちがいいものです。気持ちが解き放たれるかのようなあの感覚は、なんとも表現しにくいものです。船でしか味わえないんですよね。
ぼくはシーカヤックをやるんですが、気持ちが大らかになる感覚が楽しみたくてやっているようなところがあります。
加山雄三さんの歌で「海よ~、俺の海よ~」というような歌詞がありましたが、あのように歌いたくなる気持ちは共感できます。
目の前に広がる海、大きな空、波を切り裂きながら進む船…
気分が大らかに、伸びやかに、細かいことはどうでもいいやという感覚になります。日常生活の瑣事を忘れることができます。
僕は離島旅が好きなんですが、航空便があってもあえて船便で離島に渡ったりします。それもこれも船に乗る感覚が好きだから。船に乗った時点で、テンションが上がります。テンションが上がるだけでなく、旅愁も味わえます。出発の際、船が岸壁から離れる時の切なくも楽しい感じ。到着の際、港がだんだん近づいてくるときのワクワク感。これぞ旅情ではないか!と思ったりします。
ぼくの妻は船酔いするタイプなので、妻との旅行の時は船便を使わないようにしています。彼女を見ていると、船酔いというか乗り物酔いする人はたいへんだな、と思います。
ぼくが船旅を好きでいられるのは、船酔いしないからなんでしょうね。
かつてスキューバダイビングの際、ボートダイビングだったんですが、結構荒れていて、ガイドも船酔いしてましたが、ぼくだけ平気でした。ボートを操船する漁師のオジサンに「ニイチャンは漁師になれる素質あるよー」といわれたくらい船酔いしません。
自然の豊かなところでの暮らしって、とてもいいですよ
スキューバダイビング、シーカヤック、サーフィン、セイリングといろいろ海遊びをしている道楽者のぼくです。
平日は東京の会社まで長距離通勤して、休日は海で思いっきり遊びます。
「そんなに長い通勤時間に耐えられるね」と、他人からはいわれますが、海辺の暮らしの解放感の大きさに比べれば、通勤時間の長さは気になりません。
平日の仕事帰り、海辺を散歩しながら帰宅したり、休日に、というか金曜日の夜から月曜日の朝まで、海のそばでの暮らしにどっぷり浸れる、その喜びはぼくにとって相当価値のあることなのです。
広い空、青い海、きれいな空気、豊かな自然、町のノンビリした自由な雰囲気、思い立ったらすぐにウォータースポーツに出かけられる気軽さなどなど、どれも都会での暮らしでは味わえないものです。
海辺の暮らしから、ぼくはかなり多くの精神的な安らぎをもらっていると思います。以前、東京で暮らしていたんですが、あのまま東京に住に続けていたら相当ストレスを溜めていたでしょう。
もしあなたが海に限らず自然が好きで、都会での暮らしにストレスを感じるようなタイプでしたら、思い切って自然の豊かな場所に引っ越すことをオススメします。それによって、一度しかない人生を豊かにすることができるでしょう。
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海辺を自転車で散歩して気分転換
「なんだか忙しい日が続いたな」とか「気を遣うことが多かったな」とか「なんだかバタバタしていたな」とか、そういう日が続いたりするとなんとなく疲れてしまいますよね。
そんな日々が続いた休日には、ウォータースポーツをして気分転換するのが一番いいんですが、ウォータースポーツができないような海況のときは、ぼくは海辺をサイクリングしたりします。
最近よくやるのは、バックパックに小さなチェアとテーブルとガスバーナーと水とドリップコーヒーを詰めて、自転車で海辺の道をノンビリこぐということ。よくいるサイクリストのようにスピードを出してシャカリキにこぐのではなくて、ノンビリゆっくり漕いで、海に降りていったり、いい店があったら入ってみたり、立ち寄り温泉に入ってみたりしています。横道にそれて、今まで行ったことがなかったところに行ったりもします。
知らなかったんですが、そういうのってポタリングっていうんだそうですね。ぼくはそんなつもりはなくて、ノンビリサイクリングと呼んでいました。自転車も小さなミニベロですしね。
それで途中のコンビニでスイーツを買って、眺めのいいビーチに降りていって、そこでテーブルとチェアを組み立てて、ガスバーナーでお湯を沸かして、スイーツと共にコーヒーを楽しみます。居心地のいいビーチだと、海を眺めながら何時間もボーッとします。長い時間、海を眺めてボーッとできるのは、ぼくの数少ない特技だと思います。そして海を眺めてボーッとすると、たいていの嫌なことは忘れられて、疲れが癒されてしまうというのも、ぼくの特徴といえるかもしれません。
ぼくは休日は少し身体を動かした方がストレスが解消できるタイプみたいで、できればウォータースポーツをしたいんです。でも海が荒れているときには、ウォータースポーツができないので、自転車や散歩で身体を動かすようにしています。海を眺め、潮風に吹かれ、太陽を浴びると気分がすっきりします。
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暮らしの中に海の気配があるのが好き
ぼくは海が好きで、海辺の田舎町に引っ越しました。
わが家からは海が見えます。少しだけです。ドーンと全面的に見えるわけではありません。前に建つ家の屋根越しに海が見えます。海には近いので、海の状態はきちんと見えます。波が高いとか、凪だとか、風が強そうとか…
今の土地に引っ越して20年以上経つので、家から見える海の風景にも慣れてしまい、特に感動もなく過ごしています。
それでも日常の何かの瞬間、たとえば洗濯物を干しているときに、ふと海に白波が立っているのに気づくとか、夜ベッドで波の音が聞こえるときとか、朝起きて窓を開けたときに潮風の匂いがするときとか、そんな日常の瞬間瞬間に海の気配が感じられると嬉しくなります。
日々の暮らしの中に絶えず海の気配があるのは、海辺に住んでいるからなのでしょう。
ぼくはウォータースポーツをするので、海の様子を見ると、いいうねりが来てるからサーフィンができそうだとか、ベタ凪だからシーカヤックがいいなとか、そんなことを考えて、実際、海に出ていきます。
ふと思い立って海に出られるのも、海のそばに住んでいるからこそできることなのかなーって思います。
海の魅力のひとつは、ルールが少ないところ
海が好きです。ぼくが海が好きな理由はいろいろありますが、そのひとつとして、海は陸と違って自由なところが挙げられます。自由というのが言い過ぎなら、ルールが少ないと言い替えてもいいかもしれません。海上でのルールの少なさに慣れてしまうと、陸での生活、というかそれは日常生活ですが、ルールやマナーばかりで、息が詰まりそうになります。特に会社員として会社で働く上では、ルールやマナーだらけです。
海にももちろんルールはあります。
例を挙げると、海上で一定のエンジン出力の大きいい船に乗るときは、右側通行だとか、港内は減速運行だとか、定置網は避けて運行しなければならないとか、そういう航海ルールはあります。海辺でも漁業組合がある海では、海産物を獲るのは禁止されています。夏の海水浴場が設定されているところでは、海水浴をする人達は、海水浴エリアで泳がなければならず、それ以外の船舶などは海水浴エリアに立ち入ってはいけません。
このように海にもルールはあるんですが、それでも陸上の生活に比べれば、少ないし、とにかく海上では人口密度が低いため、ルールを適用する場面が少ないので、実質の自由度はかなり高いといえます。
ルールやマナーは、原則として、人が大勢集まって生活するときに、お互いに嫌な思いをしないためにできるものだと、ぼくは考えています。そしてお互いが嫌な思いをしないという基準が、社会が成熟し、文化的に洗練されていくほどに、より高く、より厳しく、より繊細に、より細部に至るようになるんじゃないでしょうか?
もしその考えが正しければ、人類の歴史が長くなればなるほど、というのは大袈裟ですが、日本の歴史が長くなればなるほど、少なくとも今の戦後の民主的な資本主義の社会が続けば続くほど、ルールやマナーは多くなるはずです。
ぼくのようにルールやマナーを守るのが面倒くさいとか、そういう社会が息苦しいと感じる人は、なるべく人口密度の低い地域で、人と関わることが少ない仕事をしないと、暮らすのがツラくなるのでしょう。やれやれ…
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