海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
最近、海遊びの計画を立てるのが面倒くさくなってしまいました
以前は週末となると、海で何をして遊ぼうか、どこか遠くの海に行こうか、などと考えて、予定をパンパンに入れてました。
でも、最近といっても今年になってからですが、歳のせいか、それとも体調のせいか、あまり予定を入れず、なんとなく海でノンビリすることが多くなりました。
気が向いたら、ふらりとビーチを散歩したり、軽くシーカヤックをしてみたり、デッキで海を眺めながらコーヒーを飲んだりと、そんな感じでフニャフニャと週末を過ごしています。
ぼくとしてはもっとアクティブに海遊びを満喫しているのが、本調子のときの自分なんですが、ちょっと疲れてるのかな?
これは一体どうしたものか、自分でもよくわからないんですが、たぶん計画を立てるのが面倒くさくなったんだと思うんです。計画を立てて、そのとおりにことを進めなければならないというのが、面倒くさくなったんでしょう。
まあ、そのうち以前のように海遊びを満喫できるようになるだろうし、まあ、なんとなく予定を立てないで、海をブラブラするのもそれはそれでノンビリできて楽しいし、まあいいやあ、と全体に「まあまあ」気分なわけです。
いつか以前のように戻るのかなーなんて、海を眺めながら考えている今日この頃です。

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南十字星という言葉への憧れ
南十字星に憧れがあります。南十字星が見える場所に憧れているといってもいいかもしれません。
日本だと、確実にきちんと見えるのは沖縄とか奄美諸島以南だと聞いたことがあります。
そういう南の土地に憧れます。
ぼくの場合、南十字星が見える海のある土地に憧れているんだと思います。
ぼくが小中学生の頃、テレビや雑誌などのメディアで、トロピカルとかリゾートという言葉をよく耳にしました。暖かくて、海が綺麗で、ノンビリしていて、自由で、くつろげる、誰もが幸せな楽園…そういうイメージを伴って、トロピカルとかリゾートという言葉が使われていた気がします。その言葉の仲間として、南十字星とかサザンクロスとか南回帰線とかもあったような気がします。
ぼくはたぶんそういう時代の雰囲気に影響を受けていたのでしょう。そしてその影響を、大人になった今でも、自分の好きなものとして引きずっているのでしょう。
以前、与論島に旅行したときに、南十字星が見える島というフレーズが書いてあったように記憶しています。それを見て、ぼくは「いいな。ずいぶん南に来たんだな」と思いました。確かに与論島は、海が綺麗で、珊瑚が豊富にあり、穏やかで、ノンビリしていて、短期滞在の旅行者にとっては、とても魅力的な場所でした。
春先のワカメ採り
ぼくの住んでいるあたりでは、春先というか冬の終わり頃にワカメを採る人が多いです。我が家でも2月頃から3月にかけて、ワカメとヒジキを採ります。
磯に行くと、やたら生えているので、あまり硬くないところを選って採ります。ワカメって根っこのあたりは硬くて食べにくいんですよね。
そして家に持って帰ると、外の水道でよく洗って、その後キッチンで大鍋に湯を沸かし、ザッと茹でます。茹で終わったら、よく水洗いして、小分けにして冷凍します。
自分で採る以外にも、町のあちこちで無人のワカメ販売小屋みたいなのがあって、何百円かでかなりの量のワカメが手に入ります。
ワカメが販売小屋に並び始めると春が近いんだな、と感じます。いわゆる季節の訪れを感じる風物というところでしょうか…
ワカメの食べ方ですが、味噌汁に入れるのはもちろんですが、ぼくが好きなのは、ワカメの穂先のお刺身です。ワカメの先端の部分が柔らかいんですが、そこだけを切って集めて、サッと湯がいて、冷水でしめて、生姜醤油で食べます。噛んでいるうちに潮の香りとワカメの香りが口の中に広がっておいしいですよ。おいしいんですが、ぼくの場合、食べ過ぎるとお腹を下すので気をつけています。
伊豆に移住したいなあ…
【海辺に住んでいるのに伊豆に移住したい】
ぼくは神奈川県の相模湾に面した町に住んでいて、東京の職場まで通っています。今住んでいる家も海まで徒歩3分、家の裏は森になっていて、自然に囲まれた、ぼくの望みを満たしてくれる場所です。
週末には、長年続けているスキューバダイビングやシーカヤックやサーフィンを楽しんでいます。
緑が豊かで、朝は鳥の声で目が覚めるような暮らしです。
不満という不満はないんですが、それでも移住したいなとずっと思って暮らしてきました。
移住したい先は伊豆です。
【伊豆に移住したい1つめの理由】
なぜ移住したいかというと、第一にぼくが伊豆が好きだからです。大学時代に東伊豆でスキューバダイビングの講習を受けてから、月に何度も伊豆に通ってダイビングをする暮らしを続けてきました。それは今も続いています。
伊豆という場所は、ぼくのスキューバダイビング歴と分かちがたくつながっていて、それは青春時代から中年になって今に至る思い出の詰まった場所なのです。
20代の後半の頃に、行きつけのダイビングサービスのオーナーにガイドとして一緒に働かないか?と誘われたことがあります。そのときは好きなスキューバダイビングが仕事にできることが嬉しくて、本当に迷いました。でも家族のことを考えて、ガイドの仕事を断り、今の仕事を続ける選択をしました。
その頃からいつかは伊豆に住んで、海に関する仕事をしたいなあと思うようになったんです。
【伊豆に移住したい2つめの理由】
移住したい2つめの理由は、海辺の田舎に住みたいからです。
葉山というところはいいところですが、ぼくにとってはオシャレで人が住んでい過ぎると感じているからです。23区や横浜などの都会に住んでいる人にはわかってもらえないと思いますが、ぼくが好きな海というのは、鄙びた漁村のようなところなんです。
葉山は、いわゆる湘南と呼ばれる茅ヶ崎・藤沢・鎌倉に比べれば、のんびりした、よい意味での田舎っぽさをまだ残しているところですが、海側は住宅は建て込んでいるし、マンションもかなりあります。休日には観光客も結構来ます。人口も少ないわけではありません。
もう少し田舎で、自然が豊かで、人口密度が少ないといいのになーと思います。
人口密度が低いといっても、過疎地域や限界集落にポツンと一軒家的に住みたいわけではありません。車で30分以内にはスーパーやドラッグストアやホームセンターがあって欲しいし、総合病院もあって欲しいのです。
贅沢かもしれませんが、ぼくのイメージする海辺の田舎暮らしはそんな感じです。
【伊豆に移住したい3つめの理由】
移住したい3つめの理由は、今住んでいる家に少し不満があるからです。
今の家は海まで3分で、一応1階からも2階からも海がわずかに望めます。その立地という点では満足しているのですがやはり不満もあります。
・隣と接しすぎている
元々保養所だったところを、数件の建売にした物件を買ったため、隣とはかなり接しています。窮屈で、もう少し開けていたらいいのになと思います。
・海がもう少し見えたらいいのに
海が見えるのですが、建て込んでいる隣の家や屋根越しに見える程度です。もう少し見えて欲しいなあと思います。
・間取りが使いにくい
建て売りを買ったので、間取りなどは自分たちの希望は希望どおりではありません。特に妻はキッチンや浴室について不満があります。仮に今の土地に住み続けるとしても、だいぶ古くなっているので、いつか改築か建て替えがしたいところです。
【物件募集中!】
さてそんな移住希望者のぼくですが、なかなか自分の気に入る物件に出会えません。家から海が見えて、海まで近くて、家の背後は森、田舎で周囲に家がない、土地はある程度の広さが合って欲しい…
ぼくのこだわりが多いのは承知していますが、今も海辺に住んでいて、さらにそれを超えるくらいの希望の条件が叶ったところでないと、ぼくにとっては移住する意味がないのです。
あぁ、離島に行きたい、でもコロナだし…
ぼくには年に1回くらいの頻度で、無性に離島に行きたくなる癖があります。
できれば小笠原の母島、それが無理なら宮古島か石垣島周辺の離島、それが無理なら八丈島という感じで、「あぁ、離島でスキューバダイビングしながら、1週間くらいノンビリしたい」とムラムラしてしまいます。
コロナ禍の中、医療体制が強くない離島に行くのははばかられるので我慢しています。でもその我慢ももう3年くらい経ったわけで、コロナ感染対策もたいへんですが、離島に行きたい病を抑えるのもたいへんです。
不要不急の外出自粛が求められる中、小笠原の海を収録したDVDを見ては、母島の強い太陽の光、ボニンブルーの海、潮の香りの強い海風、海中に群生する珊瑚などを思い浮かべながら、以前行った旅の思い出を反芻して、離島に行きたい思いを慰めています。
ぼくは主に海旅ですが、おそらく旅を趣味にしている人は大勢いるでしょう。そういう人達もきっと旅行を自粛しているはずなので、解消されないストレスが溜まってたいへんだろうな、と想像します。
冬の海、陽だまりの中で
冬の海というと、寒いというイメージがあると思います。確かに寒いですよね。特に北風が強く吹く日で、曇りで、2月頃の最高気温が10度に達しない日は寒いですね。
そんな日はたいてい海が荒れていますから、さすがにぼくも海遊びはしません。
でも、風がなくて、太陽が照っていれば、それほどでもないんですよ。
海辺にいても風の陰になるような場所で、陽射しに照らされていれば、案外長い時間、外にいられます。
ウェアを冬用の物でバッチリ装備すれば、海遊びだってできます。身体を動かすうちに温まって汗ばむほどです。
海遊びだけじゃなくて、砂浜をジョギングしたり、散歩したりするだけでも、身体が温まります。
逆に寒いからといって、家の中にずっと居て身体を動かさないと、いくら暖房が効いた部屋でも、身体の芯や手足の末端は冷えたままで、暖かく感じないような気がするんです。エクササイズしたり、掃除したり、身体を動かす作業をした方が、身体全体が温まるような気がします。ぼくが運動したい体質なので、よけいに、そう感じるのかもしれません。
わが家で冬の海でよくやるのは、バックパックにバーナーとコーヒードリップセットとお茶請けのクッキーを入れて散歩に出ます。小一時間、海辺を散歩をした後、風の来ない陽だまりを見つけて、そこでコーヒーを飲むというもの。なんてことないのですが、冬の太陽にあたりながら、海を眺めて、温かいコーヒーを飲んでいると、小確幸(小さいけれど確かな幸せ)を感じられます。

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コーヒーの時間はマインドフルネスの時間
コーヒーが好きです。一日に3杯くらい飲むでしょうか…本当はもっと飲みたいんですが、夕方に飲むと夜眠れなくなるので、控えています。
コーヒーの味も好きなんですが、それにも増してコーヒーを飲む時間が好きです。
ぼくはせっかちで、いろいろやりたがりな性格なので、休日、家に居るときも、なんだかんだ細々したことやってしまいます。リモコンの電池を替えるとか、ちょっとしたところを掃除するとか、ゆるんでいるネジを締めるとか、そういう細かいことをチョコチョコやってしまうんです。
何かやらなければと追い立てられるような感じ…
なんとなくいつも焦っている感じ…
落ち着いていられない感じ…
先日、『日日是好日』の本を読んで、「あぁそうか、お茶の時間ってマインドフルネスの時間なのかもしれない」と思いました。コーヒーの時間をマインドフルネス的につかえば、焦っているような感覚から離れられるかもしれないとインスピレーションが湧いたのです。
そんな経緯で、ホッとできる時間が欲しくて、コーヒーを飲むときは、それ以外のことはしないことにしました。といっても音楽は聴くんですが…でもテレビやスマホは見ません。
カップを選び、お茶請けを選び(クッキーとかチョコレートが多いです)、お湯を沸かし、豆を挽き、コーヒーをドリップする。すべての作業について、その作業自体に集中します。
淹れたてのコーヒーをデッキに持っていって、海を眺めながらゆっくり味わいます。コーヒーの味、香り、後味、温かさを味わいます。そして海の色、波の音、鳥のさえずり、庭の木々などをじっくり見たり、聴いたりします。
この時間が、一日の中の句読点のような働きをするようになりました。コーヒーの時間だけは、焦っている感覚から離れることができるようになってきました。
都会化した海辺の町を、旅の目的地とすることについて
ぼくの中で、長年なんとなく引っかかっていることがあります。
それは、東京などの都会の人が、ぼくからすると町としかいえない場所へ旅することです。都会から旅行に来て、似たような町を目指してどないすんねん、って、突然関西弁が出ちゃいますが、そういうことに引っかかりがあったのです。
まあ、元々、他人がどこに旅行に行こうとその人の好き好きなので、どうでもいいんですが…
具体的には、たとえば湘南といわれる茅ヶ崎や藤沢なんて海はありますが、住宅地です。沖縄も本島の那覇の周辺は、ぼくからすれば大都会です。熱海なんかも温泉はありますが、海も山側もけっこうな町です。東京近郊などの都市部に住んでいる人が、観光でそういったところに旅行に行くのって、ぼくにとっては動機がよくわかりません。普段の暮らしと同じじゃん。
ぼくがひっかかるのは、ぼく自身が旅先として選ぶのが、たいてい海でしかも田舎、できれば人口3000人以下の離島だからでしょう。その島での居心地が、普段の自分の暮らしと違うから、そのギャップに感心したり、癒されたりするのです。
ギャップというのはたとえば、溢れかえるような緑、群青色の海、サンゴ礁、抜けるような空といった自分の日々の暮らしではお目にかかれないほどの豊かな自然に接することができること。コンビニがなくて、島に2、3軒しかない商店で、1週間遅れの新聞を買うこと。島の人達が、とても優しく親切だったりすること。時間がゆったり流れているような感じがすること。そういったギャップを体験するから「あぁ自分は、今、旅をしてるんだ」と思えるのです。
でも、それって自分が当たり前と思っているだけで、他の人は旅にそんなギャップを求めていないのかもしれませんね。
そういえば以前スキューバダイビングで伊豆大島に行ったとき、たまたま同じチームになった東京からのダイバーが、島にコンビニがないことを知って「コンビニがないなんて信じられない。生きていけない。」といっていたことに、ぼくの引っかかりを解くヒントがあるかもしれません。そういう人にとっては、都会での暮らしにあるものがそのままあることが、いい旅であり、いい旅先なのでしょう。
ウインドブレーカーの捨て時がわかりません
ぼくは海遊びをするので、ウインドブレーカーを何着か持っています。というか、ウインドブレーカーが好きなので、ついつい買ってしまいます。
シーカヤックでスキューバダイビングでセイリングで、なくてはならないウェアです。
日常生活でも、ぼくは傘をさすのが嫌いなので、たいていウインドブレーカーで済ませてしまいます。
そんなわけで、ウインドブレーカーの使用頻度は高いんですが、それにしても何着も持っています。ざっくり10着はあるでしょう。
いくら断捨離しても、ウインドブレーカーだけは捨てられません。
ウインドブレーカーというのはたいてい撥水加工がしてあって、ちょっとした雨や波しぶきなら、内部まで水が浸透しないようになっています。
でも、この撥水機能は、使っているうちにだんだん弱くなってしまうんです。それでぼくが悩むのは、どのくらい撥水しなくなったら捨て時なのかということ。この判断がつきにくいんです。
「このウインドブレーカーはずいぶん着ているけど、まだまだ水をはじくしなぁ。まだまだ使えるかなぁ」と、こんな感じで、捨て時がわからないんです。
日々を慌ただしくしないために
ぼくは休日はノンビリとビーチを散歩したり、海を眺めながらコーヒーを飲んだりしながらゆったり過ごすのが好きです。
慌ただしく、忙しく、次から次へとやらなければいけないことが続くのが苦手です。
あるとき、どうして慌ただしくなるのか理由を考えてみたら、やらなければいけないことが多過ぎるんですよね。当たり前といえば当たり前ですが…
あとね、気になることをすぐやっちゃおうとするのも、忙しくなる原因ですね。たとえばちょっとしたところの掃除とか、棚の整理とか…
だから、なるべく一日にやらなければいけないことを詰めすぎないようにして、一旦一日にやることを決めたら追加でやることを加えないように意識しています。
それから、コーヒーを飲む時間は、他のことはしないということもやっています。テレビも見ないし、本も読まないようにしています。海は眺めますけどね。その時間は、コーヒーを飲むことと海眺めることにやることが限定されるので、慌ただしさからエスケープすることができます。
しかし、周囲の知り合いを見ていると、ノンビリと飄々としている人は、特になにか工夫をしてそうしているわけではなさそうで、自然にそういう暮らし方ができているんだろうな、と推測します。それに比べて、ぼくは努力して、やっとノンビリできているわけです。これって「そんなに努力してまでノンビシしたいのか」とか「ノンビリしないで、もっと一生懸命社会に貢献しろ」とか「忙しく立ち働くのが、あなたらしい生き方なんだから、無理にノンビリしなくてもいいんじゃない」という批判がありそうな気もします。

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