海の贈りものを受けとる場所
海にいるとたいていのことがどうでもよくなってきます
ずっと前に何かのエッセイで、人生は「なんとかなるさ」「大したことがない」「それがどうした」で乗り切れるというような主旨の文章を読んだことがあります。
つくづくそのとおりだなと思います。
ところで、ぼくは三浦半島の田舎町に住んでいます。そして朝に晩に、海を眺めたり、海で遊んだりしています。ぼくの場合、大きな海を眺めていると細かいことはどうでもよくなります。
さらにぼくは日本の歴史が好きだったりするので、近くの三浦氏や源氏の史跡を訪れたりもします。いやはや日本の歴史に名前を残すような人物や出来事であっても、今は記念物が朽ち果てていたり、跡形もなくなっています。
海や山や谷は、おそらく何百年も前の形跡をとどめていると思いますが、人のやったことというのは余程のことであっても歴史の教科書に半ページ割かれる程度なんだなあと思うのです。そしてほとんどの人や物事は忘れ去られていくんですよね。
話しが元に戻るのですが、まったく人生というのはなんとかなるものです。そして最後はみんな死ぬんですが、それまでの間はなんとかなるんですね。
たいていのことは大したことがないし、本人が大変だと思っていてもそれは人の記憶にすら残りません。すべては忘れ去られていきます。もしそこに痕跡があるとすれば、後の世界に生きる誰かの人の中に存在する自分の遺伝子のわずかな痕跡でしょう。人類が滅亡しない限り、多少は痕跡が残る可能性があるかもしれません。
起きることすべては大したことがないし、なんとかなるものだ、そう考えることで、ぼくは自分の気持ちを支えてきた面があります。そう考えると少し楽になるんです。
人それぞれ、自分を律するための言葉や座右の銘や格言などは違うと思いますが、なにかしらそういった言葉がある人が多いような気がします。
ぼくの場合は「なんとかなるさ」「大したことがない」「それがどうした」です。
それがどうしたについては、他人から批判されたりするときに使います。どうせ世の中正しいことは時代によって変わるし、人によっても自分を評価してくれる人もいるし、悪くいう人もいます。いちいち期にしていたら何もできません。
結局、自分のことを守るのも肯定するのも自分しかいないわけで、誰が何をいおうと「それがどうした」なんだと思います。
そして何をいわれても放っておけばいいんですが、時に闘うことも必要です。
海を眺め、ウォータースポーツをしていると、自然の大きさや力強さを感じます。どんなに辛いことや悲しいことがあっても、四季は巡ってきますし、陽は昇り、また沈みます。人間が一生懸命造った防波堤も台風で破壊され流されます。何万年も生きる人はいませんが、海や陸地は多少形をを変えてもそこにあり続けます。
そんなことを考えていると、たいていのことがどうでもよくなってきます。良し悪しがあると思いますけど…
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