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デッキでボーッとしている時間が好きです



 
 家の中で好きな場所というのがあります。

 ぼくの場合、デッキに置いてあるイスとテーブルです。そこからは一応少しだけ海が見えます。そして海を眺めながらコーヒーを飲んだり、ビールを飲んだりするのが大好きな時間です。

 屋内でもいくらでも居心地のいい場所というのはあるんですが、ぼくは太陽の光が当たって、風が吹いて空気が動いているところが好きなので、自ずと屋外が好きということになります。
 だから逆にオフィスビルのような窓が開かない空調だけの空間というのは苦手で、息苦しくなります。今の職場がそういう環境で、毎日息苦しい思いをしながら働いています。
 休日に雨が降っていなければ、たいていデッキにいます。コーヒーとクッキーを食べながら、海を眺めたり、庭の木々を眺めたり、ipadで本を読んだりします。そうすると3、4時間は経っていたりします。
 海が荒れて波のある日は、波の音が聞こえるので、それがちょうどいいBGMになります。気持ちよくてうたた寝してしまうこともあります。
 朝だといろいろな種類の鳥の鳴き声が聞こえて、それが何の鳥なのか考えながら過ごしたりします。
 そういうボーッとしている無駄な時間というのがぼくは大好きでして、今よくいわれるタイパという点でいうと全然パフォーマンスが悪いということになりますね。でも、それが自分にとって心地いい幸せな時間なんだから、それはそれでいいかな〜と思っています。

◆自然と共に暮らすことの大切さを感じさせてくれる本をピックアップしてみました

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海がいいのは、比較的大雑把で自由でいられるところですね



 ぼくは自他共に認める大雑把なタイプです。仕事をする上ではかなり頑張って、ミスや漏れがないようにしていますが、内心は「細かいなー」「どうでもいいじゃん、そんなの」「こんな手順がなくったって、誰も死なねーよ」などと、ぼやきながらも社内のルールに従っています。
 そんなぼくが割と自分らしく居られるのは海です。

 ぼくはスキューバダイビングやシーカヤックやサーフィンをしますが、それぞれにルールはあるんですけど、それは安全のために、いえ死なないために必要なルールなので、ぼくにとっても苦ではありません。
 死なないための最低限のルールを守れば、後は割と自由なのが、ぼくが海が居心地がいいと感じる理由のひとつ(他にも人口密度が低いなどいろいろ海が好きな理由があります)なんだろうと思います。
 そのルールにしたって、別に他人に迷惑をかけない場合で、自分が死にたいときには守らなくてもいいわけで、そういう「自己責任だから、あとは自由だから」という雰囲気があるのも好ましいところです。
 登山などだと、遭難→救助要請→警察・消防・自治体や現地のボランティアによる捜索→人の税金をつかってんじゃねえよ→膨大な費用請求→家族に迷惑をかける、という構図があって、「死ぬのさえ自由じゃないんだよな」と思えて切なくなります。
 おそらく厳密な意味での自由というのはこの世界には存在しなくて、海は比較的自由であるということだと思うんですが、とはいえ少しでも自由な海がいいわけです。

 人が来ない無人島なんかだったら、焚き火してもいいし、パンツはかなくてもいいし、漁業権が設定されていなければ、魚を突いてもいいしね。その程度の自由ですけど、普通の町の暮らしだとそれも禁止ですもんね。
 こうして書いていたら、なんだか息苦しくて、切なくなってきました。

◆自由と自立する責任を考えさせられる本をピックアップしてみました

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海とぼく



 ぼくは海が好きです、海好きが昂じて、通勤時間に2時間かけて海辺の田舎町に住んでいるくらいです。
 いつからこんなに海が好きになったのか考えてみたんですが、たぶん中学生くらいの頃から海が好きでした。夏休みに家族旅行で海に行くことが多くて、それが楽しみだったのと、週末の休みに電車に乗って、地元の最寄りの海に行って1日中海を眺めていたことがありました。海を眺めていると気分がスッキリしてリフレッシュできたのを覚えています。
 中学生の頃には、海っぽい曲も聴いていました。ビーチボーイズとかボブ・マーリーとかボサノヴァとかジャンルはバラバラなんですが、海っぽい雰囲気ならなんでも聴いていました。
 そういえばスキューバダイビングをしてみたいなと思ったのも中学生の頃でした。その頃NHKで海中の生物や景観を撮した番組をやっていて、陸上とはまったく違う景色に衝撃を受けて、自分も海に潜ってみたいと思いました。
 大学生になった頃には、サーフィンを始めました。それからバイトを入れまくって、ついにスキューバダイビングのオープンウォーターの講習を受けてCカードを取りました。
 社会人になってからは休日毎に、潜りに伊豆や伊豆七島に行っていました。
 この頃には完全に海っぽい、潮気に満ちた生活を送っていたことになります。
 海に行くと、仕事での辛いことや将来への不安などの嫌なことを忘れられました。気分転換ができてリフレッシュできました。
 社会人の頃から結婚するまでの間は、職場に近い都内に住んでいたんですが、そろそろ子供が欲しいということになって、子供を自然の豊かなところで育てたいというのが、妻とぼくの共通の思いだったので、どうせならぼくの好きな海辺で物件を探して現在に至るという感じです。
 というような経緯で、ぼくは人生のかなりの時間を海と共に生きてきました。楽しいときも辛いときも海がそばにありました。
 海に癒され、海から元気をもらい、なんとか今まで生きてこれた、そんな気がしています。

◆スキューバダイビングの入門書をピックアップしてみました

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癒しって本当に必要なんでしょうか?



 ぼくはこのブログで、しばしば海にいると癒されるという表現を使います。実際、ぼくは癒されたいから海に行くんです。でも、最近考えるんですが、そもそも人は癒されないといけないんでしょうか?
 癒しが必要というのが、社会的に当たり前のことになっていて、ぼく自身も無意識のうちにその考えに染まってしまったんじゃないかって思うようになったんです。
 ぼくってやはり癒しが必要なんでしょうか?
 確かに毎日忙しくて、ストレスフルな仕事をして、満員電車でギュウ詰めの中を通勤して、心が疲れるということはあるかもしれません。あるいは、たとえば身近な大切な人を失ってしまったなどの大きな悲しみに直面してしまったら、気持ちが落ち込んでしまうかもしれません。そういう方達には癒しが必要かもしれません。
 でも日常生活を普通に過ごしているだけで癒しって本当に要るのかな?って、ふと思ってしまったんです。

 それに少し似ているのが「今日は頑張ったから、おいしいデザートを食べて自分にご褒美」という表現もときどき聞きますが、それって本当に必要?って思ってしまいました。

 とはいえ、ぼくは一生懸命働くのも嫌い(キッパリ言います)ですし、できれば毎日海を眺めながらボーッとしていたいタイプですので、海を眺めたり、ウォータースポーツをしたりすることを癒しと呼ぶのなら、間違いなくぼくも癒されたいし、癒しは必要なんですが…ぼくの中では癒やしというより遊びなんですよね。
 と、今回は普段使う言葉でなんとなく引っかかったことを取り上げてみました。
 あ〜でもやっぱり南の島へ1ヶ月くらいノンビリ旅して癒されたいなあ〜

◆癒しになる本をピックアップしてみました



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誰も来ない入江でボーッとするとストレス解消になります



 ぼくの趣味というか、特技というか、よくやることがあるんです。
 それはボーッとすることです。
 ただボーッとするんじゃなくて、少しこだわりがあります。
 自分の家の前の海からシーカヤックを出して、陸からはアクセスできない入江や島に行って、そこでボーッとするんです。
 すごく気持ちが解放されて、リラックスできます。癒されると言ってもいいかもしれません。
 そんなの家でもできるんじゃないの?といわれてしまうとそうかもしれないんですが、家だとTVを見たり、スマホとかいじっちゃいますし、家族もいますし…
 海だと、誰も来ないのがわかっているしテレビもないので、他者が来ないという安心感と孤立感がぼくを解放するんじゃないかと思います。それに海という自然が目の前にあるのもいいのかもしれません。自然の中にいるとよりリラックスできる気がします。
 本当は、単にボーッとしているわけではなくて、バーナーと鍋を持って行って、簡単な調理をして昼ご飯を食べたり、コーヒーを淹れて飲んだりしますけど、でもそれ以外はボーッとしています。時間にして4時間とか5時間くらいでしょうか…
 日が傾いてきたなと思ったら、またシーカヤックに乗って、自分の家のそばのビーチまで戻ります。
 家族と話したり、親しい仲間とワイワイガヤガヤと飲むのも好きですが、独りでボーッとするのも好きです。気持ちが楽になるので、仕事が忙しいときとか、ちょっと疲れているなあと思うときは、シーカヤックに乗って人の来ない入江までボーッとしに行きます。



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ぼくにとって、生きることと海の関係について



 ぼくは海が好きで、毎週末ウォータースポーツをするのが楽しみです。といいますか、極端ですが、ウォータースポーツを楽しむために生きている感じです。
 もちろん家族も大切ですし、仕事もやりがいはありますが、やはり一番の生きがいはウォータースポーツをやることです。
 ぼくは大学生の頃から、サーフィンとスキューバダイビングを始めました。それ以来、海のある生活にどっぷり浸かって暮らしてきました。そしていつの日からか、海がない生活なんて考えられなくなってしまったんです。
 海辺の海が見える家に引っ越し、休み毎にウォータースポーツをしています。休みの日の朝、起きて、まずやることは家の窓から海を見て、波の様子と風の状態をチェックすることです。そしてその日やるウォータースポーツを決めます。海が大荒れで、どんなウォータースポーツもできないときは、海辺を散歩する計画を立てます。
 しばらく海にで出ないと、なんとなく調子が悪いというか、欲求不満気味というか、イライラするというかソワソワするというか、まあそんな感じになってしまいます。
 ぼくにとっては、海に出ることが健康上も精神衛生上も大切なことなんです。
 家族もそんなぼくの状況を知っていて、ぼくの海遊びについては何もいいません。もちろん家族の用事があれば、それを優先しますが…
 友人はほとんどが海遊び仲間ですし、ウォータースポーツ関連の道具以外に、とくに物欲もありません。
 ウォータースポーツを始めた大学生の頃から30年以上経ちます。ぼくの人生はウォータースポーツと共にあったといっても過言ではない状態です。でも、ぼくはそんな自分の30年間をとても充実した時間だったなと思いますし、これから何歳まで生きるかわかりませんが、身体が動く限り、ウォータースポーツをしたり、海に関わって生きていきたいと思います。

◆海辺の田舎暮らしの本をピックアップしてみました

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人口の少ない島のノンビリした雰囲気が好きです



 以前にも書きましたが、ぼくは島へ旅するのが好きです。それも人口の少ない島が好きです。
 南方の温暖な小さな離島に旅すると、とてもリフレッシュできます。人口が少ない小さな島は、島の人がノンビリしていて、時間がゆっくり流れていて、そういう雰囲気にぼく自身も感化されて、それでリラックスできて、リフレッシュできるというような、そんな感じです。
 特に沖縄や鹿児島の離島は、気候が温暖なせいか、島の人のノンビリさがさらに際立っているような気がします。
 島というのは基本的に閉ざされていて、島に入ってくる人は飛行機か船を使わなければなりません。ぼくが行くような小さな島は空港がないので、観光客は船で入ってきます。入ってきた旅行者はどこに泊まっているかだいたい把握されています(小さな島はそんなに宿泊施設がないから…)。怪しいヤツが入って来れば当然チェックされているわけで、実際、港に船が着くと、警察官が立哨していますし、そういう安心感が、島の人をよりノンビリ開放的にしているのかもしれません。
 いつも思うんですが、人口が3000人以下の島というのは、独特のノンビリさと解放感と大らかさがあります。そういう島の人達に触れて、「あぁいいなとか」「あぁ癒されるな」とか思うんでしょう。
 移住したいなと思うこともありますが、妻の反対で実現できずにいます。
 まあ、今も割と温暖な海辺の田舎町に暮らしているので、さらに自分の希望をグリグリ押しつけることもできないかなーって思ったりします。
 実際に移住したとしてもぼくにできる仕事なんてなさそうですし…

◆小笠原旅行の本をピックアップしてみました


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ぼくにとって、生きることと海の関係



 これは何度もこのブログに書いているんですが、このことを書くとぼくの気持ちが落ち着くので、また書きます。
 ぼくは海が好きです。そのために海辺に移住したくらいです。海を見ているのも好きですし、海に入ってウォータースポーツをするのも好きです。海と距離の近い暮らしを30年以上続けてきました。
 なぜぼくがそこまで海が好きかというと、癒されるからです。
 ぼくの家からは海が見えるんですが、ふとした暮らしの瞬間に海が見えるとしばらく海を眺めています。
 海を見ていると、気持ちが穏やかに大らかになります。日々のいろいろな悩みや問題が、どうでもいいことのように思えてきます。多くの方々がご承知のことだと思いますが、生きるということは、日々起きる、大小様々な雑用や問題や悩みを、乗り越えるか、逃げるか、無視することで成り立っているようにぼくには思えます。その問題や悩みが多少なりとも軽減されるならば、日々の暮らしはずっと楽しいものになります。
 海での時間がなければ、ぼくは体調を崩していたんじゃないかと思います。
 そんなわけで、海を眺めること、海に入ることは、ぼくが日々暮らしていくうえで、とても大切な行為なんです。

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海と共に暮らすことで癒されてきました



 ぼくは海が好きで、それが昂じて、海辺に移住してしまいました。海と共に暮らす日々がかれこれ30年くらい経とうとしています。
 なぜぼくが海が好きかというと、いろいろとありますが、簡単にいえば、癒されるからです。海を眺め、海に入ってウォータースポーツをすることで、ぼくはとても癒されます。
 よく癒されるっていう言葉を使いますけど、ぼくの場合の癒されるって具体的にどういうことなんだろうと、いろいろ考えてみたんですが、次のことが思い浮かびました。
 気持ちが穏やかになる、気分がよくなる、気持ちが楽になる、嫌なことを忘れられる、悩み事がちっぽけなことに思えてくる、考え方がおおらかに伸びやかになる。
 というようなことです。
 そんな感じで、ぼくは自分が癒されるために、30年も海に行っていることになります。海がなければ、ぼくは、今のようなぼくではなかったでしょう。もっと嫌なヤツになっているか、精神的におかしくなっているか、引きこもっているか…たぶん普通の社会人としての暮らしをしていなかったんじゃないかと思うんです。
 それくらいぼくは海に助けられてきました。
 海と共に暮らしたこれまでの日々は幸せだったなあと思いますし、これからも海と共に暮らしていくでしょう。できればこれまでよりも、もっと親密に海と暮らしたいと思っています。


→シーカヤックの雑誌です。興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか?
Kayak(カヤック) Vol.81


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海を見ていると、細かいことなんかどうでもよくなってきます



 ぼくは海辺の田舎町で暮らしていて、休日はたいてい海に出て、ウォータースポーツをしています。いつも海に出ているのに、こんなことをいうのも何ですが、何かモヤモヤしたことがあるときも海に行きます。モヤモヤしたとき、悩んでいるとき、悲しいことがあったとき、辛いことがあったとき…
 大きな海、青い空、打ち寄せる波、身体を撫でるように吹く風…そんな中にいると自分のモヤモヤが、ちっぽけでどうでもいいことのように思えてきます。
 そして、ぼくが住んでいるあたりは、いわゆる湘南といわれるエリアなんですが、昔々、鎌倉時代にはこのあたりで本当に武士が戦ったりしていたんだなあと考えたりします。
 源頼朝が幕府を開いて日本を統治していたんだろうけど、でもそれも歴史の教科書に載るぐらいで、今はその痕跡もわずかに残るだけなんだなあ、まさに兵どもが夢の跡なんだなあ、などということを考えながら、海や海岸線を眺めていると、ますます自分がちっぽけで、自分のモヤモヤや悩みもちっぽけなものに思えてきます。あと何十年かしたら、自分はこの世にいないし、ぼくの悩んでいること自体もなくなるし、ぼくのことを覚えてくれている人もいないんだろうなあなどと考えたりしていると、細かいことなんかどうでもいいや、って思ってしまいます。
 ぼくはこんなふうに、海のなんらかの影響によって、癒されて、気持ちを整えているわけですが、海に限らず自然に癒されている人は、結構いらっしゃるんじゃないかなぁって想像します。自然にはそれだけの何か力のようなものがあるんでしょうね。

◆海辺の暮らしのお気に入りの本です


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