海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
海辺の観光地における地元民と観光客の社会的格差と対立につきまして
ぼくの住んでいるあたりというの海辺の田舎町でして、休日のオジサン達は、ビーサンに、ヨレヨレの短パンに、首の伸びたTシャツなどを着て、髪の毛は寝癖がついていて、髭はボウボウで、スーパーに買い物行く、とか郵便局に行く、みたいなのがフツーなのです。
まあ、男衆というのはだいたいそんな格好をして、その辺をブラブラしているんですね。
で、海遊びの仲間に会うと、最近の海の話をしたりして、近所の飲み屋か、それぞれの家で飲むみたいなことをやっているわけです。
逆に休日なのにちゃんとした格好をしていると「どうしたの?」「なんかあったの?」と訊かれます。5分くらい歩くと知り合いにあって訊かれ、また5分ほど歩くと知り合いに訊かれと、そんなに珍しいか?というくらいなんです。
で、そういうのは気楽でいいんですけど、たとえば初夏とか夏休みの休日になると、観光客のみなさまがいらっしゃるんですね。客商売の知り合いは、観光客ようこそ、お・も・て・な・しのココロって大切ですね、という感じなんですが、ぼくはフツーのサラリーマンなので、よそ者が来やがって、道が混むじゃねえか、みたいな基本姿勢の違いがあるわけです。
しかもですねぇ、この観光客というのがたいてい都内とかから来てたりして、スポーティな外車に乗ったカップルで、男はアイロンで折り目の付いたパンツとブランド物であろうカットソーとデッキシューズとサングラス、女性はよくわからないけど洒落た格好でやっぱりサングラスをかけてたりするわけです。
この人達がこういうキメキメの格好でスーパーとかで買い物しているわけですね。
で、一方地元民は、ヨレヨレなわけです。そういう両者がレジの列に並んだりするんですねぇ。
そこになんとなく緊張感というか、社会的格差というか、ひがみ根性というか、「海ってリラックスする場所なんだから、格好つけてんじゃねえよ」というか、「今どきデッキシューズ履くセイラーなんていねえよ」というか、「海に何時間もいるわけでもないのにサングラスいらねえだろ」などなどと、悪意と最初から戦う気満々の人間関係が醸成されていくわけですね。
海辺の観光地に住んでいると、観光客の多い時期というのは、道は混むし、店は混むし、うるさいしというのは、もう慣れっこなんですね。
ただやっぱり、やってくる向こうは非日常を楽しみたいのに、ヨレヨレの地元民らが挑戦的な目つきで見てきて不愉快という感じですし、いつもの休日で、今日はネクタイもしなくて革靴も履かなくてよくてうれしいなったらうれしいなという休日ノンビリグダグダモードのオジサンからすると、ヘンに緊張感とワクワク感を持って、地元民を睥睨するような観光客は、もうちょっと普通にすればいいじゃねえの、という感じなのですね。
とラチもあかないことを書いているわけですが、この観光地に住んでいる人の、観光客ウエルカムと地元優先の相克というのは、どこでも昔から多かれ少なかれあるわけで、その程度や雰囲気というのは、その土地土地によって多少の差があるようなので、風光明媚な田舎で観光地に移住したい方は、そのあたりを気をつけたらいいんじゃないかと思います。

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地物の春野菜が嬉しい季節ですね
春はいろいろな植物が芽吹き、成長する頃ですね。
ぼくの住んでいるあたりでは、農協の直売所や個人の無人販売所に、春野菜が並びます。
野菜好きなぼくとしては、とても嬉しい時期なのです。
春キャベツ
菜の花
葉ショウガ
筍
アシタバ
フキノトウ
蕗
ゼンマイ
イタリアンパスレー
どれもこれもおいしくて、大地や太陽の力を間接的にいただいているようで、食べると身体が喜んでいるような気がします。
休みの日には自転車でいくつかの無人販売所に立ち寄って、野菜を品定めするのが、この季節の恒例行動パターンになっています。
やっぱりワタシ、都会で暮らせないわ
わけあって都内の親戚の家に1週間ほど滞在し、そこから通勤する機会がありました。
親戚の家は渋谷まで電車で10分程度の住宅街のマンションの高層階です。
それで感じたのは、やっぱりぼくは都会では暮らせないなということです。
なんだか息がつまりそうなのが一番の理由です。
なんで息がつまりそうなのかなと考えていたんですが、自分家と比べると、空が狭いですね。そして当たり前ですが、海がなくて山がないです。窓からの景色もマンションが見えるので、景色が抜けていない、広がっていないです。そしてどこに行っても人がいる。それも結構な人口密度で…
で、なんだか疲れてしまった1週間なのでした。
普段我が家にいるとそれが当たり前になっていて、最近ありがたみを感じていなかったんですが、海が見えて、潮騒が聞こえて、潮風の匂いがして、山の緑があって、鳥のさえずりが聞こえて…っていろいろあるわけですが、そういう海辺に住んでいると当たり前のことが、自分にはとても大切なことだとわかりました。
もちろん津波など自然災害のことは心配なのですが、そういう自然災害のリスクはおそらく日本に住んでいると、どこの地域でも多少はあるでしょうから、自分が安らげる場所で暮らすのは、やはり大切なんだろうなあと思うのです。
こういう自分は、もっと自然が豊かなところで暮らす方がいいんでしょうけど、家族のこととか、仕事のこととか、様々なしがらみがあって、今はその妥協点みたいな感じの選択をしています。それはそれで、現状では一番よい選択だろうと思っているんですが、実はもっと自由で、いろいろなタガを外して生きてもいいんだろうなあとも思います。
大学時代の友達で、やたら世界中を旅して、今もそうして暮らしているヤツがいますが、そいつの話を聴くと、自分が常識的でつまらない人間に思えてきて、若干自己嫌悪になったりもします。
正しい生き方なんてないと思いますし、自分は自分なわけですが、全開で自分らしく振る舞っているわけでもない現在の自分の、その中途半端さが、自分でイヤだなと思う今日この頃なのでした。

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なんだかよくわからないけれど、シミジミ居心地がいい父島の和食の店 あめのひ食堂
1.ロケーション ☆☆
2.こだわり ☆☆
3.店の雰囲気 ☆☆☆
4.味 ☆☆
5.値段 ☆☆
6.音楽 ☆
7.手入れ&掃除 ☆☆☆
8.総合評価 ☆☆
9.コメント
小笠原旅行に行った時のことです。母島から父島に戻ってきてしばらくしてから、あいにく台風が来てしまいました。南の方の島旅をしたことがある方ならおわかりかと思いますが、台風が来ると島の人達は、窓やドアを養生し、店も閉店して、ひっそり家で酒を飲んでいるんです。もちろん、みんながみんな酒を飲んでいるわけではありませんが…観光客相手の商売だと、台風のときというのは、よい休日なのかもしれません。
父島でもやはり飲み屋やレストランが早くに閉まってしまいました。
ぼくは夕飯をどうしたものか困ってしまいました。一応スーパーでレトルト食品とかカップラーメンは非常用に買ってありましたが、やっぱりせっかくの旅の一食を、そういうどこでも食べられるものでしのぐというのはもったいない気がします。
で、やっと開いている店を探して入ったのが「あめのひ食堂」なのでした。
入った数分後に、ここに来てよかったなと感じたのでした。
なんともいえず居心地がいいのです。
和食中心の食事もうまいです。
ご主人と奥さんも優しくて暖かいです。
父島という旅先のせいかもしれません。台風でやっと開いていた店を見つけたせいかもしれません。
でも、いまだにできる限り冷静に考えてみても、あの感じはよかったのでした。
桃源郷に憧れますね
桃源郷というのはなんともワクワクする言葉ですね。
ぼくも今度引っ越すときには桃源郷のようなところに引っ越したいと思っています。
ちなみにぼくの桃源郷への思いを高めるために原典を振り返ってみたいと思います。
---------
陶淵明、桃花源記より
晋の太元のころ、武陵にひとりの漁師がいた。漁師はある日、いつものように
小舟を操り、魚を求めて山峡の川に沿って上がっていった。
どれほど舟を進めたことだろう。ずいぶん遠く、見覚えのないところ
へ出た。と、そこらあたり一面に桃花の林が広がっていた。その広さ
はどうやら数百歩ほどあったろうか。だがそのなかには一本も雑樹は
見当たらず、桃の木ばかりがえもいえぬ甘美な香りを漂わせ、美しい
花片が華やかに舞っていた。
見事な景観に、漁師はしばらく見惚れていたが、やがてその林のもっと
先を突き止めてみたくなった。そこでさらに舟を進めて行くと、水源の
あたりで山に突き当たった。その山には小さな穴が開いていて、
ぼんやりと明るいので、漁師は舟を下りてその入り口から中に入って
いった。初めはやっとひとりの人間が通れるほどの広さが、五、六十歩
も歩くうち、にわかにぱっと四囲が明るく開けた。
眩しい眼を見開いて眺めると、土地は四方に広がり、住居がきちん
と建ち並び、遠近に地味豊かな田畑があり、桑や、竹も育っている。
田のなかの路も縦横に通じ、鶏や犬の鳴き声も聞こえるし、畑仕事の人々や
往来する男女はみな異国人のような装いをし、黄髪の老人も子供たちも
にこやかに楽しそうであった。
ぼんやりと突っ立ている漁師に気付いた人々は見慣れぬ男に驚いて、
どこからやって来たのかと訊ねた。漁師がありのままをつぶさに答え
ると、さっそく彼を一軒の家に案内し、酒をつけ鶏をつぶして馳走をつくり、
大いに歓待するふうであった。やがて漁師のことを伝え聞いた村中の人々が
集まってきて、交々彼に訊ねるのであった。
そして人々の言うのには、
「私どもの祖先が、妻子ともども村の者たちと秦の世の戦乱を逃れて
この絶境に来て以来、一度もここを出ませんので、とうとう他所
の人さまとまったく関わり合いがなくなってしまいました。ところで、
今は一体どういう時世なのですか?」
と、漢のことも知らなければ、もちろん、魏・晋のことも知らない。
漁師が詳しく説明すると、みな感に堪えたように聞いている。
こんなことで、漁師は家から家へと連れて行かれ、酒食を振る舞わ
れては人々に話をするので、四・五日もいてしまった
やっとその村に別れを告げて、元の舟を繋いだ所に出、川沿いに
帰路についた。帰り際に、「私どものことは言うほどのこともありませんから、
他所さまにはお話しにならないでください。」と、言われたものの、
途中所々に目印を残しておいた。
さて家へ辿りついた漁師は、さっそく郡の太守のもとへ行き、
自分の珍しい体験談を話した。太守も大いに興を覚え、人を差し向
けて再びそこへ案内させた。しかし、帰途につけた目印はいくら探し
ても見当たらず、前に行った路を見出すことはできなかった。
たまたま、南陽に劉子驥(りゅうしき)という君子がおり、
この話を伝え聞き、欣然としてその仙境へ行こうとしたが、その志
を果たさぬうちに病で世を去った。こののち再び赴こうとする者は
なかったということである。
---------
ぼくが好きなのは「その山には小さな穴が開いていて、
ぼんやりと明るいので、漁師は舟を下りてその入り口から中に入って
いった。初めはやっとひとりの人間が通れるほどの広さが、五、六十歩
も歩くうち、にわかにぱっと四囲が明るく開けた。」という件です。
で、その先には平和な村の営みが広がっているというのも堪りません。
ぼくは常々思うんですが、社会って(おぉっ大げさな物言い)心根のいい良識ある知的な人が集まってこそよい社会ができるのではないでしょうか。
それって極端な選民思想に繋がる危険性はあるのですが、われわれが1000人以内の集落に住んでいれば、子供達は集落のみんなで育て、教育をし、集落のすべての人と密な意思疎通をすることで、その共同体は平和に知的に維持できるのではないかと思うのです。
今の世の中はおそらく逆で、様々な生い立ちや立場や宗教観の人が互いに意見を交わし、智恵を絞ることで、これまでになかった新しい良いものが生まれるであろう。それこそが社会を革新するパワーの源泉である、というのが大まかな思想的な枠組みだと思うんですね。ぼくも理念的には理解できます。でも現実はうまくいかない。相互理解不足と無関心と差別と貧富と争いが絶えません。
それはおそらく人が直感的に把握できる日常生活レベルでの集団というのは、多くても100人、適性規模だと20人くらいだと思うんです。それをグローバルだ世界規模だ地球は1つだとかいいだすと、いろいろな問題が表面化してしまうんではないでしょうか。
それでもそうした多様性を受容するグローバルでの人間社会がうまく機能するようになれば、人はもっと平和に楽しく暮らせるようになるかもしれません。
ただ、ぼくはもうオジサンでして、あと20年~30年生きればいいとこでしょう。
だからぼくは限られた人による小さな共同体を作ったほうがいいんじゃないかなーという気がします。
というか小さな把握可能な共同体の方がいいというのは、ぼくのかねてからの持論です。国家とか県とか何百万人なんていう市だと、みんなの共同体への帰属意識が薄くなるから、たぶん1000人以下のみんなが何してるかなんとなく把握できるような規模が共同体としてベストだというのがぼくの持論です。そこでの公務員の役割はみんなが当番制でやると。なので公的セクターを支える税金は少なくて済む。そうした共同体が連邦するような形で国が存在するというのが理想なのではないかと思っています。
どの共同体に属するかは選べるようにするわけで、そうすると競争や富を蓄積するのが好きな人は、そういう共同体に属すればいいですし、ノンビリ過ごしたい人はそういう共同体を選べばいい。エコで自給自足な価値観を大切にする人が集まるとオーストラリアのクリスタル・ウォーターみたいなところを選ぶといいのでしょう。
桃源郷はさながら良識あるノンビリ派の人達の集まりなのかなあと思います。
ぼくだったら、海辺で、みんながノンビリしていて、あくせく働かなくて、ウォータースポーツを楽しんでいるような共同体を選びたいですね。湘南の一画にそんなのできないかなー。
ぼくだったら、海辺で、みんながノンビリしていて、あくせく働かなくて、ウォータースポーツを楽しんでいるような共同体を選びたいですね。湘南の一画にそんなのできないかなー。
あぁいいなあ。そういうの。
桃源郷とかユートピアというのは、歴史的に人の欲求のひとつなのでしょう。
庭園を眺めながら和食に舌鼓を打つ 日影茶屋
神奈川県三浦郡葉山町堀内16
1.ロケーション ☆
2.こだわり ☆☆
3.店の雰囲気 ☆☆
4.味 ☆☆
5.値段 ☆
6.音楽 ☆
7.手入れ&掃除 ☆☆☆
8.総合評価 ☆
9.コメント
古い話ですが、サザンの歌で鎌倉物語というのがありまして、その歌詞の中に「日影茶屋ではお互いに声をひそめてた」という件があります。というわけで、ぼくは中学生の頃、日影茶屋というのは鎌倉にあると思っていました。が、実際は逗子でもなく葉山にあるのでした。
ぼくが日影茶屋に初めて行ったのは社会人になってからで、系列店のラ・マーレ・ド・チャヤには大学生の頃にデートで行ったのでした。
フレンチの方が先だったわけですね。
やはり、和食会席の店というのはある程度年齢を重ねた人が行った方がしっくりくるところがあります。
今となっては、相方とちょっとおいしいものを食べて、ゆっくり話しがしたいときなどに、真っ先に思い浮かべる店になっています。
日影茶屋といえば、葉山では老舗にあげられます。大杉栄事件があったりして、それなりに伝統もあったりします。もちろん京都や鎌倉の老舗に比べれば新しい店ですが…
店からは海が見えませんが、日本庭園はオーソドックスな作りで、手入れも行き届いています。庭園を眺めながら、冷酒をチビチビやりながら、カンパチの刺身などを突っつく、なんていうひとときを味わうと、「頑張って働いてきてよかった。オレもいろいろあったけど、こうして会席料理が似合うような歳になって、大きな病気もしないでいるし、平凡な人生だけど、それはそれでシアワセっつうものかもしれないな」などと人生が走馬燈のように蘇ってきて、そのままあの世に逝ってしまいそうです。
お弁当もいいのですが、ぼくのオススメとしては、せっかくだから会席がいいのではないかと思います。
味はおいしいです。東京の人気店と比べると一段落ちるかもしれませんが、十分おいしいです。
ドレスコードは特にありません。ぼくはジーンズとセーターみたいな格好で行ってしまいます。中には和服姿のオバサマもいたりします。ドレスコードでどうのこうのというわけではなくて、オジサンオバサンオジイサンオバアサンが圧倒的に多いので、すごく若いカップルがいるとなんとなく浮いてしまったりします。なので鎌倉物語の若いカップルは「声をひそめて」いたのかもしれません。
若いカップルがデートで使うならラ・マーレ・ド・チャヤを選んだ方がいいかもしれませんね。
続!海に入るとき車のキーをどうしてる? その後いい製品みっけ!
以前、車でウォータースポーツに行ったとき、車の鍵どうすんの?たとえばサーフィンのときとかさあー、最近はリモコンで水につけられないじゃん、みたいな話題を書きました。
今回はその後新しい製品が出てきたので追加情報です。
このときオススメしたのは、キーストックという製品でした。
それがだいたい4000円くらいなんですね。
それの小型版キーストックハンディというのが発売されていました。値段は2000円くらいです。小さくなっているので、自分の車のキーが入るか確認が必要ですけど。
そもそもこの話の発端は、車でウォータスポーツに行ったときのことです。たとえばサーフィンのときを想定しましょう。
着替える→ボードなどを準備する→車をロックする→車の鍵をどうしよう
という展開なのです。
車のキーが電子リモコンハイテクロックでないころは、鍵をウェットスーツのファスナーにくくりつけたりしてました。ウェットスーツによってはわざわざ鍵を収納するポケットが付いていたりしました。
でも電子ロックになったら濡れたら困るじゃんということで、この海遊び車の鍵問題がよりシリアスに重大に国民的な問題となってきたわけです、ってミヤネ屋でやってたような気がしないでもありませんが、詳しい記憶は忘れちゃったんだもーん。これ以上聞くと泣くぞ。うえーん。
そこでキーストックという製品に車の鍵を入れて、車のどこかにぶら下げると、あらあら鍵問題は解消されて便利ですねえということなのです。
ただ、4000円はどうなんだろうか?微妙な値段だなという人もいたと思いますが、このたび2000円ちょっとの製品が出たので、これは試しに使ってみてもいいんではないかと思いブログを書いた次第です。
大きさは小さくなったものの、かろうじて電子ロックも入りそうな大きさです。
遊びに積極的になれない人は信用しないようにしています
仕事人間と呼ばれる人がいます。ぼくの周りにもいますが、仕事はできますが、革新的でなかったり、新しいアイデアを潰してしまったり、過度に形式的だったりします。平常時は十分力を発揮しますが、大きな変化が起きるとうまく対応できない人もいます。
ぼく的にざっくりまとめりと、まじめだけど遊びがなくて、発想が硬直化しているということでしょうか?
ぼくが考えるに、遊びや趣味に積極的な人のほうが仕事の仕方に広がりがあるような気がします。
特に遊びで積極的に新しいことを作っていく人というのは、話していて面白いし、人間的に魅力があって、ぼくは好きです。
なんでかなーと考えてみたんですけど、そういう人って、目標とかイメージとかビジョン、えーっといいかえると自分が実現したい将来の絵があって、それを実現するために手段を選ばないし見た目を気にしないというところがあるような気がします。
個人的な好き嫌いの話ですが、当然ぼくは遊びや趣味に積極的な人が好きです。もうちょっというと、人としても信用します。
逆に自分の趣味がない人というのはあまり信用できません。
何かその人が依って立つ基準がはっきりしなくて得体が知れないような気がするからです。
ぼくが人を信用するのは、その人の価値観や信条がはっきりしていて、それに対してぼくがある程度理解できる(ぼくと一緒であるとはいってません)からではないかと思うのです。
そしてぼくはそうした情報に基づいて、その人ならこういう局面では、こう行動するだろう、こう判断するだろうということが想像できるから、ぼくの方でも心構えができるし、数手先が読めるから、安心なんですね。
湘南、いろいろな時代、いろいろな人々、そして海…
観光客がいつもやってくる町、湘南。
地元の人は湘南とはいいませんが、あの一帯を指すには便利な言葉なので、必要な時に限ってぼくは使います。
夏になるといつもにも増して人がやってきます。
無邪気に海で休日を楽しんでいる人を見るとなんとなく考えごとをしてしまいます。
湘南あたりの観光地は、観光客や暴走族や不良などが夏になると集まる場所と、地元の比較的裕福な人が行動するエリアは、はっきりと明確に分かれています。
そういう人達の人間模様を見ていると、日本って決して平等な社会でもないし、格差が少ない社会でもないと思います。というよりかなり階層が固定化されつつある格差のある社会ではないでしょうか。
たとえば七里ケ浜のセブンイレブンで相模ナンバーのヤン車を駐めて、からあげ棒をかじっている若者からおよそ5km離れた、七里ケ浜の丘の上の1億円くらいの家では、近所の奥様方のティーパーティーが開かれています。
小田急で鵠沼海岸にやってきた大学生が、砂浜で日焼けしている頃に、松が岡の邸宅では、芝生を貼った広い庭のデッキチェアに寝転んでノンビリ過ごす奥様がいます。
東京から横須賀線でやってきた観光客が逗子海岸まで歩いている時に、逗子マリーナでは自分のクルーザーを出して、洋上でパーティーを開いたりしている人がいます。
もともと葉山、鎌倉、藤沢、茅ヶ崎、大磯は、明治の頃から政財界の人達の別荘地でした。なので、いまだにそうしたコミュニティが残っています。
たとえば、ぼくの友人はフツーのサラリーマンですが、それでも大学の卒業生の会のなんたら支部というのに入っていて、年に何度か会合があるようです。しかも彼はヨット部だったので、部の先輩後輩との付き合いもかなり濃厚なようです。
会合は馴染みの料亭で開かれ、わりと有名な顔ぶれの先輩達に励まされ、活を入れられるというような、下積みの20数年という典型的年功序列型の人生。
その先輩のじいちゃん達が政治家の子供だとか、親戚だとか、孫だとか、宮家の血筋だとか、有名な会社の相談役だとか、監査役だとか、代々、外交官だとか、そういう面々が揃っていて厳然と実権を持っているので、いろいろ利害があって頭が上がらないそうです。今の会社も先輩の紹介で入ったといっていました。
ぼくの身近なフツーのサラリーマンの友人でさえこんな感じなので、もっとコアな人達はさらに独特なコミュニティがあると思います。
ぼくが漠然と感じているのは、何代かにわたってそういう感じの層とただのお金持ちは別なコミュニティらしいということです。
コミュニティが細分化されているのですね。
そう、仲間は限られた同士の方が連帯が強くなりますから…
一方で目を転じると、海が広がっています。
海はおそらく何万年も変わらずそこに存在していたのです。
そして今日も変わらずそこにあります。
海から見たら人の営みというのは、どんな風に見えるのでしょう。
湘南という土地を踏まえるとなお一層感慨深いのです。
少し遡るだけで、そこでは三浦氏が権勢を誇り、源氏に滅ぼされ、源氏も滅び、北条氏も滅び、江戸の末期には浦賀にペリーがやってきて、その後江戸幕府は大政奉還し、昭和には陸軍・海軍の基地があったのです。
それぞれの時代にその時代の権力を握った人がいて、それが100年も経たないうちに移り変わった。そしてそれが繰り返されている…
そんなことを考えていると、なんとなく切なくなってきます。
この切なさはどこからくるのか?自分でもよくわかりません。
人はいつまでたっても変わらないのでしょうか?

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ウォータースポーツ雑誌の栄枯盛衰
もともとカヌーやカヤック人口がそれほど多くないためか、カヌー・カヤック関係の雑誌も多くはありません。現在は舵社から『カヌーワールド』という雑誌のみが出ていいます。
ちょっと前に、枻出版社から『カヌーライフ』という雑誌が出ていましたが、休刊になりました。この『カヌーライフ』というのもその前に同名の雑誌が出ていまして、それは創工社から出版されていました。おそらくたぶん日本で定期的にカヌー・カヤック雑誌が出たのは、この創工社の『カヌーライフ』が初めてではないでしょうか。それはだいたい2000年代前半のことでして、その頃日本におけるカヌーブームがあったのだと記憶しています。その後『カヌーライフ』は休刊になります。
ウォータースポーツをわりと長くやっていると似たようなことを目にするもので、以前はサーフィン雑誌がそうでしたし、ダイビング雑紙もウインドサーフィン雑誌も似たようなことがあります。
ぼくがサーフィンを始めたのは1990年代前半でした。その頃はサーフィンが今ほど流行っておらず、大きなブームが去った後の谷間のような時期でした。当時大学生だったぼくは、友達から「サーフィンなんかやってるんだ」「なんでサーフィンなんかやるの?」とよくいわれるくらいな感じでした。
サーフィン雑誌も確か2誌くらいしかなかったんじゃないかと思います。
一方その頃スキューバーダイビングも始めましたが、こちらは結構流行っていました。ちょうどブームが起きてそれが一段落しそうな頃だったんです。
なので、スキューバーダイビング雑誌は、確か4、5誌くらいはあったんじゃないかなと思います。今では水中写真専門誌を含めても3誌です。あれ?あまり減ってませんね。すごく減った印象を持っていたんですが…
まあ、だいたいそんな感じで、趣味の雑誌というのは、当たり前ですが、それを楽しむ人口に左右されるわけで、その人口って、結構流行に左右されるんですよね。
ぼくは一度始めたことは、余程のことがないとやめませんが、こうして流行廃りと競技人口をザックリ見ていると、流行廃りで趣味を変えている人の層が一定数いるんだなということがわかります。
ランニングブームやサイクリングブームを見れば、それはうなずけます。
そして、そういう流行っているから「○○してみようかな?」という人は、一体どういう心理でそうなるのか、ぼくはそういうタイプじゃないんでよくわかりません。たとえば運動した方がいいと思うんだけど、何をしたらいいかよくわからなくて、たまたま友達に誘われたからやる、みたいな感じなんでしょうか?
でも、そういう流行に左右されながら、雑誌を発行する雑誌社の人はたいへんでしょうね。まあ、もともと趣味の雑誌なんてそんなに儲からないでしょうし、雑誌の発行者や編集者自身がその趣味が好きで、趣味を続けながら食べていければいいやっていう感じなのでしょう。

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