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海辺のオススメ下心デート 首都圏編

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 ぼくはもうだいぶオジサンになってしまったので、今さらどうこうということはないんですが、若い方に参考になればなあと思い、この記事を書くことにしました。

 ぼくが大学生の頃はバブル崩壊にいたるところで、世の中がすごく変化していました。
 でも、バブルが崩壊して、社会人になった時期でも、普通の若い人達でも今ほど地味ではありませんでした。
 クリスマスには彼女にブランド物のアクセサリーをプレゼントして、都内のホテルのディナーを楽しむみたいなことは普通でした。

 そんな状況でして、社会人になって最初に欲しかったのは車です。
 ぼくの場合は、ダイビングやサーフィンにハマっていたので、いつでも自由に荷物を載せて移動できるとか、電車がないような場所にでも行けるという意味で車は欲しかったわけですが、やっぱり女性とデートするときも、車というのは必須なものでした。
 当時から海好きで、デートでやたら海辺をドライブしたわけです。というか他はあまり知らなかったんですけど…
 それまでの海遊びの蓄積で、湘南あたりの女性が好みそうな店というのはいくつか知っていましたし、景色や夜景がキレイな場所も何ヶ所か知っていました。

 そう、ぼくにとって、女性と付き合い初めて、仲良くなるための必勝パターンは、海辺でのドライブデートだったんですね。
 で、経験的にいって、海辺のドライブデートというのは効果があります。
 湘南から伊豆、外房にかけて、デート向きな場所というのを挙げてみましょう。


【湘南】

 湘南といえば首都圏のデートのメッカなわけですが、何ヶ所かポイントがあります。
 まず、昼間ですと、みなさん七里ケ浜とか茅ヶ崎あたりに行ってしまいがちですが、ノンノンです。それは湘南初心者がやることです。
 通は長者ヶ崎から秋谷にかけての眺めを楽しむのです。
 それから三戸浜、油壷、シーボニアマリーナ、宮川湾などもはずせないところです。
 それから逗子マリーナというのもオススメです。
 渋いところで大磯などもいいわけです。
 夜ですと、七里ケ浜から江ノ島の夜景というのはやはりキレイです。
 ですが、披露山から江ノ島方面の眺めもいいですし、立石からの夕陽も美しいと…


【伊豆】

 伊豆にデートというのは、都内在住の人にとってはちょっと遠いかなという感じでしょう。で、全体的な包括的なプランとしては、かなり煮詰まった関係で、今夜あたり初めての夜を共にしてもおかしくないかな…という状況でオススメしたいコースです。
 とりあえず日帰りの計画でデートしつつ、帰りが遅くなってやむなく海辺のホテルで泊まる、というのが正しい伊豆のデートだとオジサンは信じております。
 読者諸賢はこういう全体的な流れを理解しつつ、読み進めてください。
 だとすると、次の戦術は二つありまして、ひとつは東名→小田原厚木道路→真鶴道路→伊豆高原あたりという東伊豆コース。もうひとつは東名→沼津→西伊豆あたりという西伊豆コースです。

 東伊豆コースは途中に観光名所が点在しており、わりとオシャレな店もあり、おいしいフレンチやイタリアンの店も充実しているので、彼女を飽きさせないプランが作りやすいです。ポイントは明るいうちに伊豆高原あたりまで行っておいて、そこからの戻りに、熱海や真鶴で、夕陽や夜景が見られる時間にいるということです。特に真鶴半島の真ん中あたりは、東を眺めれば湘南の夜景、西を眺めれば夕陽という、絶好の夕焼け・夜景ポイントであります。

 西伊豆コースは、往路は全力で南伊豆を目指して突進し、復路で沼津に戻るのがかなり遅い時刻になるように配慮するというのがポイントです。途中折々に富士山と夕陽を眺めるのをお忘れなく。恋人岬をはじめ、○○岬という夕陽スポットが点在しているので、そういうところにいちいち「ひっかかっていく」のが沼津到着時刻を遅らせるポイントです。
「いやー、意外に遅くなっちゃったね。今から東京に戻るのはちょっと厳しいかなー」なんてわざとらしくいって、どうせ女の子には見破られてるんですから、「魚料理のおいしいホテルがある」とか「フェイシャルエステの上手なホテルがある」「温泉がいい旅館がある」なんていって実利で引っ張るというのはどうでしょうか?


【房総】

 房総はただでさえ近いのに、アクアラインができて、南房総あたりでも結構近くなってしまいました。というわけで、日帰りコースというの定番化しつつあります。

 それでも一宮・東浪見・御宿・館山あたりはサーファーが多く、なんとなくちょっとカリフォルニアな雰囲気を楽しみつつ、時間を潰すという方法がないともいえません。
 そんな雰囲気の中、広々した砂浜を眺めながらノンビリするのが外房の良さを活かしたデートといえるでしょう。最近はオシャレなカフェなんかも増えてきて、女の子を誘いやすいです。

 これが男同士のサーフィン仲間なら、地元で古くからやってるガッツリの焼きハマグリ定食というのも、外房の楽しみなんですが、まあ女子と行く時は、ちょっとコジャレたカフェなんかに行くのもいいではないですか。

 わたくしの超個人的なオススメとしては、一宮・東浪見あたりで海を堪能して、オシャレなカフェに入りつつ、途中「ちょっとサーフィンのワックスがきれてるから…」なんていいつつ、サーフショップに寄って、「サーファーなぼく」をアピールしつつ、夕方に南房総あたりにいるというコースです。
 で、平砂浦あたりのホテルに…


 いささかチャラい感じになってしまったような気がします。

 今の若い女性に通用するかわかりません。
 でも、ぼくがこんなことを書いて、「いやらしい」「不潔」などと思われるのはいささか不本意でありまして、20代から30代の男性が、好みの女性を求めるのは、生物的にも社会的にも日本のためにも、自然で、大切なことでありまして、そのあたりのことを十分にご理解いただきたいと、まあ、かように思うわけです。

「こんな海辺デートしてみたいなあ」なんて思う女性の方は、もっとスペシャルなコースもありますので、オジサンのぼくでよければご連絡ください、って冗談です。

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海辺で暮らしている人のマイウェイな生態

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 海辺で生業をたてている人というのは、多かれ少なかれ、マイウェイな人が多いです。ってぼくは感じています。
 なりわいといっても漠然としてるわけですけど、漁師だったり、農家だったり、飲食店だったり、海の家だったり、工務店だったり、まあいろいろなわけです。

 で、そういう人達って、マイウェイでマイペースで我が強い人が多いということがいえると思います。

 自分がサラリーマンで、わりと協調性やチームワークを求められる職業なので、海辺に引っ越した当初は、周りの自営の人のアクの強さに面食らいました。

 でもまあ自然を相手に仕事をしていると、最後に信じられるのは自分(の主に体力)だけですし、「誰の世話にもならねえ」みたいな感情ってあると思うんですね。で、そういう人を相手にしているとやっぱり普通じゃ負けちゃうんで、みんな我が強くなっていくというのはあると思います。

 ぼくがそういう人達の心情が理解できるようになったのはずいぶん経ってからですし、今ではそういう人達の方が付き合いやすいと思えるようになりました。
 逆にサラリーマン社会の根回し、付き合い、深慮遠謀、言葉の裏を読む、みたいな日々が「めんどくせぇ」と感じるようになってしまいました。

 どちらが良い悪いという話しではないんですが、何か価値を生んでいるかということを仮初めの尺度とすれば、人それぞれで、自営の方はそれが直接的でわかりやすいというのはあるかもしれません。
 一方で、会社というのは価値を生んでいる人もいるし、何らかの理由で価値を生まない仕事(例えば無意味な法令に基づいて、それを満たすために書類などを作る仕事などなど)に携わっている人もいるし、意図的に価値を生まないで、周囲にぶら下がっている人もいます。そういう意味では、同じ会社の人でも、すごい人もいればすごくない人もいるというわけで、「わかりにくい」ということはあると思います。

 そういう大雑把に分けてふたつの種類の人を見ていると、本当におもしろいというか、人ってそれぞれで、どんなんでも生きていけるというか、人の価値観に正しいも間違っているもないというか、逆にいうと自分に合ったところで生きるのがハッピーだ、ということに思いをいたすわけですね、ハアこりゃこりゃ。
 よく自分の能力に合った職業に就くのが幸せだといわれますが、ぼくが見ている状況からすると、自分の性格というかタイプにあった職に就くのが幸せなんではないか、その次が能力かな…と思うわけです。

 いい歳をした男で、なんとなくサマになっている人というのは、この「自分の性格に合った」居場所を見つけるかどうかかな、って感じる今日この頃でございますよ。

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海辺でスペシャルティコーヒーを飲むのにハマり中



 あの、その、コーヒー好きです。
 海辺で飲むコーヒーは最高です。
 以前にも記事を書きましたが、ぼくはコーヒーを味わうためにシーカヤックに乗るような、バカげた男でございます。
 ビーチにテーブルとチェアとコーヒーグッズを持ち出して、海辺でコーヒーを淹れて飲んでおりますのでございますよ。
 
 で、いろいろコーヒー豆を買って楽しむわけですが、最近はネット通販が一般的になってきて、小規模でもおいしい豆を仕入れて焙煎している店が、通販をしています。
 そういう店のスペシャルティコーヒーを試すのが、今の楽しみです。確かに値段は高いですが、そのおいしさからすると妥当な値段かなと思います。

 ぼくがよく買うのは…

○HORIGUCHI COFFEE(堀口珈琲)
○カフェーパウリスタ「森のコーヒー」
○THE FIVE ☆ BEANS(ファイブビーンズ)
○cafetier(カフェティエ)
○gino

ですです。

 他にもきっといい店があると思うので、ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。




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防水バッグ使いやすい大きさは?



 さてさて、このブログでは過去に防水バッグ(ドライバッグ)って、ひとつあると便利だよ、海遊びしない人でも使えるよ、いうようなことを、一方的に、おせっかい気味に書いてきました。
 で、「どのくらいの大きさの防水バッグが使いやすいんじゃい」とのご質問をいただきました。
 なるほど。
 防水バッグにはいろいろな大きさや形がありますもんね。

 んで、それについて自分の状況というのを赤裸々に申し上げますと、ケースによって使い分けている、ということです。
 たとえば…

【スキューバーダイビングの時】
・荷物が多いときは、15Lか20Lのバッグを持っていきます。
・荷物が少ないときは、10Lのバッグを持っていきます。

【シーカヤックの時】
・荷物が多いときは、細長い15Lのバッグを2、3個持っていきます。
・荷物が少ないときは、細長い10Lのバッグを持っていきます。

 ここでポイントなのはシーカヤックの時は、ハッチに入りやすいような細長い防水バッグを使うということです。
 しかも大きいものがひとつよりも15Lくらいのがいくつかあった方が使い勝手がいいよ、ということです。バランスを考えながら、配置を調整できるんですね。

 実際、防水バッグというの20L、30Lになると、「ちょっと大きいな」と感じます。というわけでぼくがよく使うのは10Lと15Lのバッグです。
 特に10Lのバッグは、やたら使って、穴があいたりするので、消耗品と考えて、ダイビングショップなどでまとめ買いをします。




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預かりもの

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 海を眺めながらボーッとするのはいいものです。普段考えないようなことも考えますし、わりと前向きに俯瞰的に考えることができるような気がするのです。

 ぼくもいい歳のオジサンになりまして、近しい者の死や恩師の死、友人の死などで、葬式にでることが多くなってきました。むかーしは結婚式に出ることの方が多かったんですが…

 ちょっと暗めの話しになりますが、人は必ずいつかは死ぬわけで、そういうことは当然の前提として、自分の人生を考えるようになりました。そしていろいろな人の生き様やその中の思いを想像することがあります。
 それだけではなくて、人はなぜ生まれてきたんだろう?、とも思うわけです。

 若い頃は若い頃で、なぜ生まれてきたんだろう?、と考えたものですが、それとは違う「人はなぜ生まれてきたんだろう?」なんですね。

 もちろん理由なんてないし、信心深い方なら宗教と結びつけて考えるのでしょうが、我が家はだいだい禅宗の仏教徒で、しかもそれほど信心深いわけでもありません。どちらかというと合理主義的に物事を考えることを好むのです。

 そんなぼくが「人はなぜ生まれてきたんだろう?」と考えるときに、「理由なんてないけど、自分なりに意味づけはできるよな」とは思います。そして明らかに自分が今ここにいるというのは、ぼくの先祖が連綿と絶え間なく、子を産み、死んでいった結果であるというのは確かなことです。
 突然コウノトリが運んできたわけではないわけですね。たぶん…

 その連綿というのは本当に連綿とであって、日本であれば弥生時代とか縄文時代からでもあるし、もっと遡ればなんやら人種が日本に渡ってきてあたりから連綿と続いてきたわけで、それは間違いないであろうと…
 そしてそれぞれの先祖の人にはそれぞれの人生があって、当然その人達の喜びと悲しみがあって、死があったんですよね。

 なんかそれを考えると、自分の人生は、自分のものではなくて、偶然自分が預かっただけじゃないかと思えてきたんです。別に自分じゃなくてもよかったわけんだろうと…
 そして自分の子供もそういう意味での預かりものなんだろうなと思うわけです。「ぼくたち夫婦の子供」ではなくて、「たまたまぼくたち夫婦が預かった子供」という気がするんですね。

 その考えからすると、子供を育てるという行為の中身がだいぶ変わってくるなと思います。

 また、自分の人生が預かりものだとすると、もともと人生に意味はなくて、そこに意味づけをするわけですが、どういう風に意味づけするかで、その人のスタンスはずいぶん変わってくるのかな?と思います。
 先祖の気持ちに思いを巡らしたり、自分の社会での役割とか、それを次代に引き継いでいくというニュアンスで意味づけすると、日々の暮らし方も違ってくると感じます。
 そして当然ながら他の人も、同じような連綿とした命のつながりを背負っているわけで、その人への対し方も違ってくると…

 テレビなどにおいて、残念で可哀想な殺人事件のニュースを目にすることがあります。番組の出演者のコメントで、殺された本人と残された家族への同情が語られますが、それは本当にそうなんです。
 ですがぼくはそれに加えて、これまで連綿と続いてきた命の線が切られてしまったとも思います。その歴史的な重みを想像してしまいます。

 なんていうことを、海辺でだらだらと考えているぼくっていったい何者なんでしょう?

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PFDを干すとき、どうしてます?

 さてさてシーカヤッカーやセイラー、アングラーのみなさん、PFDを使った後の始末はどうされているでしょうか?
 PFDといわないでライフジャケットという方もいるかもしれません。ライジャケっていう人もいますね。

 別に始末というほど大げさじゃないんですが、ぼくはスキューバーダイビングをやっているので、どうしてもちゃんと片付けちゃうんですね。
 スキューバーダイビングではBCというものがPFDに近いものなんですが、これは割とメカニカルな道具なので、ちゃんと水洗いして定期的にメンテナンスしないと危ないわけですね。
 その癖が抜けないんです。

 海から帰ってきたら、まず水洗い。特にファスナー部をよく洗います。
 それから裏返して、ハンガーにかけて、日陰干しです。
 たまに表地を出して干している人がいますが、表面を日にさらすと劣化が早まります。これは海グッズ全般にいえることですね。
 収納するときは、折り曲げたりしてはいけません。

 まあちょっとしたことなんですが、これでだいぶ持ちが違ってきます。




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海辺に田舎に行くと社会システムのことを考えてしまうぼく




 都会で役所に勤めている知り合いに聞いたんですが、本当にいろいろな人がいて、いろいろなことが起きて、いろいろな仕事があるみたいなんですね。
 たとえば、夜道が暗いから街灯をつけて欲しいとか、道路が凹んでいるから直して欲しいとか…そういうのはまともな要望だそうです。ただ、家の方のような田舎だと、こういう要望は町内会にまず上げて、町内会長が取りまとめて役場に伝えます。個人が直接役所に電話しちゃうというのが都会っぽいですね。
 ヘンなのになると、隣の家の木の枝が自分の敷地に入ってきてうっとうしいから、隣人に伝えて欲しいというのもあるそうです。これなんか直接いえばいいような気がしますけど…
 あと、今、話題になっている生活保護の不正受給ですが、これも都会という匿名性のある場所だからこそ生じる問題ですね。
 田舎だと、本当はいけないんでしょうが、うすうす誰が生活保護を受けているかわかってしまいますし、その人が本当に生活保護が必要な状態かは周囲の人が一番よく知っていますから…

 田舎だと、物々交換みたいに採れたものを融通しあう雰囲気があります。それから助け合う雰囲気もあります。たとえば隣のおばあちゃんだけの世帯には、みんなが声をかけ合うとか、家の重労働を助けるとか、そういうことは普通にあります。
 都会だと、たぶんこういうのは役所の仕事になるんでしょうね。

 えーっと、ふと思ったんですが、都会と田舎だと社会の仕組みが違うんじゃないでしょうか?
 都会の方がまわりくどくて、高コストだと思います。役所の仕事が増えるということは、役人が増えるか、役人の時間外手当が増えるわけで、これは住民が負担するわけですね。
 さっきの例でいえば、隣人への苦情を直接いえば、そこに費用は発生しないのに、役所に電話することによって費用が発生します。
 こういうコストって、ひとつひとつは小さいですが、まとまると意外に大きいんじゃないかと思います。
 突然思い出しましたが、東京都庁ってなんであんなに立派な建物なんですか? なぜ東京都民や東京都の法人は文句いわないんでしょう? もっと安い建物で仕事して、その分税金を安くしろって、たぶん田舎なら大問題になると思いますが…(東京都の役人に関してはもっといいたいことがありますけど…)

 以前、『世界がもし100人の村だったら』という本がヒットしました。この本は地球規模の問題を実感が持てるレベルで伝えるという意味で有益だったわけですが、ぼく的には「100人じゃないからこそ、問題は複雑になる」といいたいわけですね。

 人が集まると問題の質が変化するというのは、かねてから感じていたことですが、都会というのは、人が集まって問題が変質する事例の典型だと思います。役人もそこに乗っかって、本当なら要らない法律や仕事を作って、手柄を立てて、食い扶持を稼ぐわけですね。
 そう、悪循環…

 問題が変質するプロセスの一番大きな要因は、匿名性だと思います。これによって人は行動を変えます。
 匿名性があるだけで、無責任な行動をとったり、過激な行動をとったりします。普段なら何もしない人が、デモなどで暴徒化するのは、この例ではないでしょうか?

 二番目は数が少ないと、ちょっとした労力で処理できることが、多くなると一手間余計にかかるということです。
 これはし尿処理が典型だと思うんですが、広い土地にごく少数の人しか住んでなければ、下水処理設備なんか作らなくても、自然の生態系の中で処理されていくわけですが、大勢の人が住むとそうはいきません。ちゃんと浄化槽を作らなければならないですし、さらに密集すると下水道を整備して、下水処理場を作らなければなりません。

 三番目は仕組みが整備されると、それが惰性で維持されるということです。状況に応じて、柔軟に廃止できにくくなる面があります。これはお役所の法律や制度などがそうですが、一度制度ができてしまうと、見直されることなく続くという面があります。

 四番目は、人が多いと、人は人に対して「無関心」「嫌気」「競争心」「敵対心」といった感情を抱くのではないか?ということです。
 これは、都会の繁華街や混雑したバーゲン会場、道路の渋滞などで見られることです。ずーっと以前、椎名誠さんの本で、人は離島などの漁村でオバチャンとそれ違うと挨拶したり、会話したりして人なつっこくなるけど、都会で人とすれ違っても、今何かとすれ違ったっけ?くらいの感覚しか持たない、というような概要のことを書いてらっしゃいましたが、まさにそのとおりだと思います。

 ということを、いろいろな海辺の漁村や離島に行くたびに感じてまして、集団として物事が変質しないギリギリの人口規模ってどれくらいかなーって推測するんですが、ぼくの実感では3000人以下かなーって思います。

 ですから、よく小さな政府を実現しようという政策がテーマになりますが、この言葉が含んでいるのは、様々な社会サービスや規制を少なくして、より競争的な社会にしようというメッセージだと解釈しています。そうするとアンチ自由競争な人々が抵抗するという構図になるわけです。

 ぼくとしては、小さな政府を実現するというのは、意味が違うのかなと思います。

 まず、みんなが低コストで満足できる生活に根ざした仕組みを作る。イメージとしては昔の隣組みたいなののダークじゃない版の仕組みですね。
 それからみんなが、自分達のことは自分達でやる、役人なんかに頼らない、要望しない、役人なんか要らないと自主独立の考えを持つ。
 こういうもの生活の基礎にあって、みんなの意思が社会システムに反映されるようになって、結果として政府は小さくて済むと…

 なんだかすごい大きなことを書いてしまいましたが、田舎に行くたびに、感じるんですよね。
 人ってもっとシンプルに暮らせるんじゃないかなって…



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「海好きでもないのに海辺に住まいで欲しいなあ」と感じるボクは変?

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 今回はちょっとイヤミで偏屈な内容です。

 ぼくの住んでいるのは海辺で、この場所を見つけるまでにはずいぶんいろいろな土地を探しました。
 海が眺められて、海まで近くて、海まで段差がなくカートでシーカヤックやディンギーが運べるなどなど、いろいろな条件を満たす土地はなかなか見つからなかったのです。

 ところがぼくの近所に住んでいる数世帯は、数年前に東京から引っ越してきたんですが、この人達ぜんぜん海に興味がないらしいんですね。
 近所なのでたまに立ち話をするんです。
 海水浴にも行かないし(日焼けするのが嫌らしいです…)、ビーチの散歩もしないようです。
 逆に自転車や車などが錆びるのが早くて嫌だとか、洗濯物が塩臭くなって嫌だとか、そういう話しをするんですね。

 一方で、ぼくの海遊びの友人は、最近、海辺の土地を探していて、なかなかいい物件が見当たらないと嘆いているわけです。ぼくの住んでいるあたりは絶好のロケーションなんでうらやましいというんです。

 このミスマッチに呆然とするぼくです。

 別に個人が何しようと自由なんですが、全体としてみると、明らかに不合理というかみんながハッピーになってないですよね。
 これは何がいけないんだろう?


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田舎暮らし…庭の手入れを覚悟した方がいいですよ

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 春から夏というのは、いい季節ですね。
 暖かくなって、新緑が芽吹いて、陽射しも明るくなって…
 本格的な夏になれば、ウォータースポーツ三昧だし、夏休みだし…
 ぼくが大好きな季節なんです。
 田舎暮らしをするようになって、ただひとつ面倒なことがあります。
 それは雑草や枝などの手入れです。
 ウチの庭なんて猫の額ほどのものです。いや猫の額よりは広いけど、でもかなり、すごく狭い…
 そんな面積でも草がすごい勢いで生えるわけですね。
 毎週のように草刈りをしています。

 ただ、ぼくは植物に関する知識がかなり少ないので、ぼくには雑草に見えるものも、本当はきちんとした役割のある植物なのかもしれませんが…

 で、ただ草刈りするならまだしも、蚊がすごいんですよね。もちろん蚊除けのスプレーやら何やら総動員するわけですが、そんなの焼け石に水です。
 蚊取りの薬を作っている会社の方は、ぜひ夏にウチの庭に来ていただきたい! そこで製品のテストをしてもらいたい! と思います。

 毎年のことなので、蚊の中で、草刈りというのも、いい加減慣れましたが、それはぼくの担当業務で、相方は慣れないみたいで、やりません。

 最近発見したんですが、蚊というのは少し刺されると痒くて気になりますが、やたらめったら刺されると慣れちゃうんですよね。痒くなくなるというか、いや痒いんだけど、痒さの感知レベルが自動的に鈍くなっているというんでしょうか…
 うーん人間ってすごいなあとヘンなことを感心したりします。

 話しがだいぶ横道にそれましたが、雑草問題を解決するために、近所の家では、草が生えないシートを敷いたり、庭を全部コンクリートで固めたりしてしてます。
 それはそれで無粋だなと思うわけで、ウチは土の部分をできる限り残すようにしています。
 コンクリートで固めるくらいなら草ボウボウの方がいいやって思います。
 といいつつ、今日も草刈りをするのでした。ブツブツ…


 一方で秋から冬の時期。
 この時期は落ち葉の掃除がたいへんです。1週間くらいでカーペットのように落ち葉が溜まります。クロックスで歩くと、靴の中に落ち葉が入ってくるくらいの量です。
 風情があるといえばそのとおりなんですが、さすがに門やアプローチあたりが落ち葉だらけだと、ちょっとみっともないわけで…
 なので、ほぼ毎日のように落ち葉掃きをしなきゃいけません。

 ぼくは自然が好きで、季節の移り変わりを感じながら、作業するのが嫌ではないので、別にいいんですが…

 あのー、これから田舎暮らしをしようと思っていらっしゃる方で、できる限り自然がいいと思っていらっしゃる方は、庭の手入れは覚悟した方がいいです。

 特に歳をめされた方や身体が頑健でない方にはツライかもしれません。

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パスタジュリスという店があった頃



 むかーし昔、七里ケ浜においしいパスタ屋さんがありました。ジュリスという店、Julisって書くんだったかな?
 そこはリーズナブルな値段で、おいしいパスタが食べられました。

 パスタ好きな方にはわかってもらえると思うんですが、いい茹で加減とちょうどいい味付けと新鮮な素材を使ったおいしいパスタは、実はなかなか食べられません。だからといって東京の有名店まで行くのは、ちょっとしんどいです。
 自分の家からそこそこ行ける範囲においしいパスタ屋さんがあるというのは、大切なことです。

 そのジュリスという店は、だいぶ以前-たしか2000年代前半-にクローズしてしまいました。
 なんとも残念です。

 その後、いろいろな店を食べ歩いていますが、ジュリスほどちょうどいいパスタ屋さんは見つからずしまいです。今はピッコロバーゾという逗子マリーナのそばの店に行くんですが、ここがたいてい混んでいます。

 ふー。
 一時期やたらイタリアンの店が乱立した時期がありましたが、あの頃が懐かしいですな、ハアこりゃこりゃ。


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