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社会と自我の狭間で…



 以前このブログに、ぼくが海が好きなのは、幼い頃から、社会的なものとの接し方が独特で、生きにくさを感じているため、海にいると人と接しなくて楽だというような主旨の記事をかいたことがあります。
 それって海という自然に逃げ込んで、対人関係から距離を置くことで、自分を守りたいという意識が働いているからだと思うんです。
 でも、たとえばシーカヤックの単独ツーリングで、3日間、人にまったく会わなかったら、すごく寂しいし、久しぶりにあった人にやたら話しかけると思うんです。
 誰でもそうだと思うんですが、人は独りで生きていけないし、他者や社会との関係を結び、そこで自分の存在意義を確認したいんじゃないでしょうか?
 で、ふと思うのは、SNSでバーチャルに他者とつながっていて満足できるかというと、ぼくの場合そうじゃないんです。
 やっぱり面と向かって話したいし、共にスキューバダイビングやシーカヤックをして、それについていろいろ語り合うことで、ココロの充実感を得ているところがあります。
 ぼくもSNSをやっていますが、やっぱりリアルにスキューバダイビングで仲間と潜るのでは、気持ちの充実感が全然違います。
 なぜなのかわからないんですが、ぼくは、というかぼくの脳は、他者の生の人間独特の存在感というものに、何かしら反応しているんじゃないでしょうか…
 それってバーチャルでは感じられない力ー何か引力というか、圧力というかーが働いているような気がします。
 まとめていってしまえば、自我と他者との共生という2つの間のバランスなんだと思うんですが、それは人それぞれバランスの重心が違うんだろうな、って推測します。それからリアルで他者と関係を結ばないと嫌な人もいれば、バーチャルだけでokという人もいるのかもしれないと思います。バーチャルだけでokっていう人の気持ちに対して、ぼくは共感はできないですけど、でもそれだって人それぞれかなって…
 ぼくの場合は、他者や組織や社会から離れっぱなしでは生きていけないんですけど、でも時々疲れてしまって、海という自然の中で独りでいることでココロを休めて、また社会に戻っていくという感じなのです。

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ぼくが海辺に住むのは、自分の弱さを癒してくれるから



 ぼくは海が好きで、海辺の田舎町に移住してしまいました。
 ぼくが海が好きなのは、海にいると楽で、癒されるからです。

 ぼくは、幼い頃から、社会的なものとの接し方が、独特だったような気がします。すごく人見知りだし、グループやクラスのような集団にいると、集団にできる限り貢献しようとして自分が我慢するようなところがあったと思います。なので集団の中にいると、自分で勝手に頑張って、自分で勝手に疲れてしまうようなタイプでした。というか今もそうです。
 人にはそれぞれ長所と短所があると思いますが、ぼくの性格は、周囲の人に気を遣うという点で長所として表れますが、周囲に気を遣いすぎて自分が疲れてしまうという点で短所となります。
 それはたぶん中学生の頃から自覚していて、自分でも直そうと努力してきましたが、性分というか性格というものは、そんなに簡単に直らないものですね。
 なので、人のいない、対人関係を結ばなくてもいい、海という自然のある場所はすごく居心地がいいんです。日頃の対人関係で疲れた心が、海辺にいると癒される実感があります。
 ぼくが海辺に移住しないで、自然の少ない都市部に住んでいたら、今ほど精神的に健康でいられたか怪しいなと思います。
 それほど海という自然が近くにあるというのは、ぼくにとって大切なことなのです。

 もし、ぼくと同じようなタイプの方がいて、ぼくと似たような境遇だとしたら、できる範囲で自然と接する時間を増やすことをオススメします。

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「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」に憧れます



 「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」という言葉に魅力を感じてしまいます。
 そんなふうに感じてしまうのは、ぼくがもともと怠惰な性格であることもありますし、変化に対応するのが苦手な性格という自覚がありますし、社会的に不適合な性格だということもあります。
 もうひとつ大きな理由は、会社勤めのせいではないかという推測です。
 組織で働いた方ならおわかりいただけるかもしれませんが、会社で働くということは、キツ目のノルマとか、日々増えていくタスクとか、絶えず迫り来る締切りとか、突然起きるアクシデントとか、手強い相手との交渉とかの連続なわけです。そんなことに対応して給料をもらうのが会社勤めの大部分だと思っているんですが、そんな暮らしを何十年も続けていると、そうした日々起きることに対応するのにウンザリしてしまうのです。というか、ぼくの場合はそんな感じです。ちなみにぼくは50代のオジサンです。年齢的にも疲れてきているのかもしれません。
 そういう前提があるオジサンのぼくの場合、少なくとも休日くらいは「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」といった環境に身を置きたくなるでしょう、そりゃ、なんて思うわけです。
 「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」という言葉に憧れるぼくがした選択が、海辺の田舎町に住むということです。
 平日は東京とかいうところにある会社というところで働いて、片道2時間弱かけて、海辺の我が家に帰ってきます。家に帰ると暗くなっているわけですが、潮騒が聞こえたり、潮の香りがしたりします。それがなんとも心に浸みるんですね。ちょっとだけ心にゆとりができる瞬間です。
 休日は朝5時くらいに起きて、家の近くの砂浜を散歩します。そして家に帰ってから朝食をとって、デッキで、海を眺めながらコーヒーを飲みます。穏やかな暮らしをしていると実感できる瞬間です。
 家のある海辺の田舎町での暮らしは、ほとんどストレスフリーでして、「心のゆとり」とか「穏やかな暮らし」を実感しながら暮らせます。そこから東京の会社に行くと別世界です。







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のんびりマイペースに過ごせる休日は、宝物



 休日は海辺の田舎町にある自宅で、海辺を散歩したり、ウォータースポーツをしたり、デッキで海を眺めながらコーヒーを飲んだりして、のんびり過ごしています。
 というのも、ぼくがしたいことは、のんびり暮らすことだからです。最近このブログでもやたらのんびりしたいというテーマで記事を投稿しています。
 今一番欲しいものは何かと訊かれたら、時間や締切りに追われず、過大なタスクに追われず、自分のペースでゆったりと暮らしたいと答えます。
 そういう点では、何の用事もない休日は、ぼくにとっては宝物のような日です。
 今回は自分がなぜそこまでのんびり暮らしたいと思うのか考えてみることにします。
 ぼくはせっかちというか、焦るタイプの性格です。そして人からは真面目だといわれます。たまに責任感が強いね、なんていわれたりもします。
 たとえば待ち合わせの時間などは、たいてい10分くらい前には着いていたりするような人間です。
 そういうタイプのぼくが会社という組織で働くと、多くのタスクや締切りに追われて、絶えず焦ったり、締切りの心配をしていることになります。これって割と疲れます。
 こういう性格を、もう少しルーズでいい加減な方向に変えていけたらいいなと思って努力してみましたが、自分の性格というのはそう簡単に変わるものではありません。
 そんなわけでタスクや締切りに追われないような暮らしというのに憧れます。やることは全部自分のペースで決められる暮らし…ってそれって老後みたいですが、ちょっと憧れます。
 そしてのんびりマイペースに暮らしてみたいと思うのです。







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海は癒しの場であるだけでなく、気持ちを整理する場所



 ぼくは日々の暮らしで嫌なことがあったり、行き詰まりを感じたり、心配事があると、海に出ます。海に出て、スキューバダイビングやシーカヤックなどをします。
 広々とした海に出て体を動かすと、気分がスッキリします。
 生きていれば、嫌なことや心配事から完全に逃れることはできません。でも、それらのことをあまり気にしないようにすることはできると思っています。
 広い海に独り浮かんでいると、自分がちっぽけな存在だと実感します。そして、そんな自分の悩み事や心配事もちっぽけなことに思えてきます。なぜ自分はそんなちっぽけなことを気にしていたんだろうと、バカバカしく思えてきます。
 海という自然は何万年も前からそこにあり、おそらく大きくは変わっていません。その海辺に住む人間達が代々変わっていって、自分もその一人に過ぎないんだよな、って思います。そして自分も、自然の長い時間の流れから見たら、一瞬存在しているだけなんだと考えたりします。
 そうやって考えてみると、余計に自分の悩み事なんてどうでもよく思えてきます。
 そんな考え方が正しいかどうかわかりませんが、ぼくは自分のモヤモヤした気持ちを海で解消してきたんです。
 海は、ぼくにとって癒しの場であるだけでなく、悩みや心配事などの気持ちを整理する場でもあるのです。







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潮の香りに癒される



 砂浜にいるときはもちろんですが、家にいるときも、海のそばのスーパーやお店にいるときも、ふと潮の香りがするときがあります。それがぼくは大好きです。海のそばに住んでよかったなあと思います。
 たぶん海から陸に吹く風ーオンショアの風ーに乗って、潮の匂いが運ばれてくるのでしょう。
 潮の香りは、ありきたりな言葉ですが、ぼくを癒してくれます。なぜかホッとするんです。ずいぶん幼い頃から嗅いでいたような懐かしい匂いです。その匂いを嗅ぐと、体の奥の方にこわばっていた力が抜けるような気がします。
 生活していると日々いろいろなことが起きます。それでも潮の香りは変わらずそこにあって、ぼくを癒してくれます。







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なぜぼくは海辺でのんびりしたいのだろうか…



 ぼくが好きな時間は、海を眺めながらボーッとのんびりするときです。
 休日など、飽きもせず日がな一日、のんびりしています。なので何も予定が入っていない休日は、ぼくにとっては、とても嬉しい日ということになります。
 ときどき、なぜ自分はこんなにのんびりするのが好きなんだろうと考えます。
 答えはたぶん、時間を自分のために自由にふんだんに使えるからなんだと思います。時間を、自由に、無駄に、どんどん浪費しているという感覚もあります。
 平日は会社勤めですから、時間を自分の自由に使うということはほぼ無理です。会議があり、何かしらの締切りがあり、あるいは締切りに向けた何かの仕事があります。そういう大小様々なタスク処理に追われつつ一日が終わり、今日できなかったことは、明日に持ち越されるという日々が続きます。
 自分で自分の時間をコントロールできていない状態は、ぼくにとってはあまり好ましくないことです。逆にぼくの同僚でいるんですが、手帳がスケジュールでいっぱいだと嬉しい人というタイプも存在していて、その性格というか価値感の違いに愕然とすることがあります。
 その反動なのか、それとも元々ぼくの性格なのか、休日はできるだけ用事、それは買い物に行くとか、庭の雑草を抜くとか、部屋の掃除をするとか、そういう用事を入れないで、ゆっくりのんびりしたいんです。
 これもまた友人でいるんですが、休日も旅行や買い物やレジャーなどの予定をいっぱいに入れるのが大好きというタイプがいますが、正直その考え方は理解できません。
 ぼくもたまに旅行には行きますが、それは本当にたまのことですし、だいたいが海辺の旅で、スキューバダイビングとかシーカヤックをしに行く旅です。買い物はたいていネット通販を使いますし、遊園地のようなところは、お金をもらっても行きたくありません。
 それよりも海辺でゆったり時間を使いたいんです。
 自分で書いていて、ここまでやると、ぼくもかなり偏執的な感じがしてきましたし、ただの怠惰なオジサンにも思えてきましたが、まあそれでもいいかなと思っています。







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海に癒されるぼくの心理



 ぼくは海が好きで、海で遊んだり、海を眺めたりするだけで癒されます。
 なぜ海に癒されるんだろうと考える時があります。
 ぼくは独りでボーッと海を眺めている時間が好きなんですが、そんな時に、特に海に癒されていると感じます。何かに悩んでいたり、辛いことがあると、独りで海に行きます。
 そうして広い海や潮風や波の音や陽射しに包まれている感じが好きです。そうすると悩みや辛さが薄らいでいきます。
 おそらくぼくは海に逃避に行っているのでしょう。現実から離れて、海というぼくの中での安全な場所に避難しに行っている感覚があります。そして逃避している時間で自分を癒しているんだと思います。
 いい歳したオジサンがなんだか情けないですが、オジサンだって、悩んだり傷つくこともあります。というかぼくが精神的に幼いのかもしれません。
 オジサンが逃避するのはどうかということで考えてみると、たとえばパチンコや競馬にハマる人、毎晩スナックや居酒屋に寄る人、愛人を作る人などなど、ぼく以外のオジサンにも何かしら趣味というか逃げ場所があるんじゃないでしょうか?
 それがぼくの場合、海だったりウォータースポーツだったりするわけで、逃避の仕方という意味でいえば、わりと健全といえなくもないと、自分を無理やり肯定してみたりします。








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自然の中で遊ぶことが好きな人の中にいると、楽でいられます



 ぼくは、自分の性格とか特性とかが、いびつで独特で、そのため社会というか、ちゃんとした組織に馴染みにくいタイプの人間じゃないかな、と自分で思ってきました。
 その点、海遊びをする人は、わりと大らかで優しい人が多いと思っていまして、ぼくのような人間でも受け入れてくれて、それが心地よくて、海遊びを続けているようなところがあります。
 ましてや海という自然の中に入る時に問題になるのは、自分が自然の中での遊びを楽しんで、生きて帰ってくるという点だけで、ぼくがどんな性格であろうと問題にはなりません。それはたとえば協調性があるとか、誰とでもうまく付き合えるとか、周囲への気遣いができるとか、自分の考えをわかりやすく論理的に伝える力があるとか、交渉力があるとか、そういう能力は、海遊びではそれほど大切ではありません。
 アウトドアスポーツをする人で、ぼくが出会う人というのは一風変わった人が多い気がするんですが、それは先ほどのような理由の故に、そういう人が集まってくるからかもしれません。
 ぼくは会社勤めをしているんですが、しかも自分でも信じられないことに何十年も勤めているんですが、日々なんとかやっているという状況です。やりがいがあるとか、仕事が好きで好きで堪らないとか、会社の方が居心地がいいとか、タフな交渉やいさかい事や計略や謀略が三度の飯よりも好き、ということはまったくありません。
 やはり一番居心地がいいのは、海という自然の中にいるときなのです。
 自然は自然で怖い面もありますが、それは人間社会で生きる時の怖さとは別なものです。ぼくにとって、気象や海況や地形を見極めて安全に海で遊ぶことは、それほど難しいことではなく、むしろ得意というか、楽しいことです。
 それに比べたら、人間社会で生きることは、魑魅魍魎が跳梁跋扈しているように感じられ、遊園地のお化け屋敷に百回入るよりも怖いことです。
 自然の中で遊ぶことに魅力や安らぎを感じる人は、人それぞれなのでしょうが、どこかで人間が作った人工的社会規範よりも、自然を好むところがあるんじゃないかなぁ、と勝手に想像します。そうした人々が集まる場にいることで、ぼくのような人間でも受け入れてもらえて、わりと緩く付き合ってもらえているような気がします。
 そういった面も、海という自然の中で遊ぶ魅力のひとつだと、最近思います。







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あー、海っていいなあ



 大学生の頃から海遊びを始めて、30年以上経ちます。そのたびに感じることは「あー、海っていいなあ」ということです。30年間ずっとその思いを感じ続けてきました。
 ぼくがやる海遊びは、スキューバダイビング・シーカヤック・サーフィン・セイリングですが、どの海遊びもそれぞれに違う楽しさがあります。
 なぜ自分がこれほどまでに海に惹かれるのか分かりませんが、海にいると嬉しいし、楽しいし、癒されます。
 だからこそ毎週のように(平日は仕事をしているので毎日というわけにはいかない)、海に出るのでしょう。
 海遊びの準備をするのも楽しみですし、うみあそびももちろんたのしいし、海遊びから帰ってきた後、道具を手入れして片付けるのも好きです。
 太陽の光、体をなでる潮風、しょっぱくてベトベトする海水、目の前に広がる大海原、果てしなく打ち寄せる波…それらすべてがぼくを惹きつけます。海にいる時の自由さは、ぼくのココロを解放してくれます。
 海での解放感がなければ、そして海遊びの趣味がなければ、その趣味を通して付き合い続けてきた友人がいなければ、ぼくの人生は、ずいぶんつまらないものになっていたでしょう。
 やっぱり海っていいですね。

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