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早朝散歩・砂浜・霧



 賑やかな夏が終わり、落ち着いた秋の海辺になりました。
 夏のあいだ、我が家のそばのビーチは海水浴場になります。海水浴場になるということはどういうことかというと、ビーチのある部分はブイとフロートで区切られ「海水浴エリア」が儲けられ、ライフセーバーの方々が常駐し、海の家が建ち、海水浴客の方々が来る、ということです。
 ご近所の逗子の海水浴場で飲酒やドラッグ、大音量の音楽、海水浴客同士のトラブル多発などで、海水浴場のルールが厳格化されたことからわかるように、海水浴場ができるといろいろと問題が発生するのです。
 なので、ぼくは日中はなるべく海水浴場の方へは近づかず、遠巻きから海の端っこから海に出て、ずっと海の上にいたり、ひっそりとした入江で一日過ごすことが多くなります。
 ぼくにとっては、海で遊ぶことの重要さのかなりの部分を「ヘンな人に会わない」ことが占めるからです。
 そんな風に地元の海なのに肩身狭く海遊びをしていると、顔なじみの地元の友達も同じような行動パターンを取っているらしく、海の上で遭って苦笑いをしたりして、夕方海から上がったら一緒に飲む約束をしたりします。
 うむうむ今日もうまい酒を飲んで一日終われそうだ、などとうれしくなります。
 海水浴場問題は避けがたくぼくの前に立ちはだかっていますが、でも夏の海辺というのはやはりいいものでして、それを楽しめるのは、早朝です。
 我が家は5時くらいに起きますが、それからぼくは砂浜を散歩します。Tシャツ・短パン・漁サンで…
 早朝の海は、昨日の喧噪が波と一緒に洗い流されているようで、スッキリしています。真新しい一日が始まる感じが漲っています。
 遠くの山には霧がかかり、森の緑が少しぼやけています。
 波の音と遠くの漁船のエンジン音が聞こえます。
 いつも会うご近所のオバサンが犬の散歩をしています。いつものように挨拶します。
 砂浜についた自分の足跡をときどき振り返ります。
 遠くの江の島や葉山の岬を眺めながら、「たぶんこの風景は200年前も500年前もそんなに変わっていないんだろうな。人はどんどん代わるのにな。しょせんぼくだってそうした入れ代わる人の1人なんだよな。入れ代わって、ぼくはどうなるんだろう。往生っていうからあの世へ往って生きるんだろうか?オヤジやじいちゃんやばあちゃんは、どうしてるだろうか?」なんて漠然と考えを巡らせたりします。
 ぼくはこうしたノンビリ、マイペースで、ときどきボーッとしながら過ごす時間が好きです。何か目標に向かって、時間を気にしながら、慌てながら、追い立てられるように過ごす時間が嫌いです。よく自分が社会人をやってるなあ、とつくづく不思議ですが、それは世を忍ぶ仮の姿といっても過言ではありません。
 朝の散歩の時間は、ぼくが素のぼくに戻れるとても大切なものなのです。






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