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初夏の海の気持ちよさ

 

 初夏の海って気持ちいいんです。特に早朝がいいですね。5時とか6時とか…早すぎますか?
 空気は澄みきっていて、砂浜は、その日まだ誰も立ち入っていない感じで、フレッシュな気がします。
 初夏の早朝の海辺は、まだ気温が上がっていなくて涼しいくらいです。気象条件の関係で霧が出る日もあります。霧の中を砂浜を散歩するのは、ちょっと幻想的でワクワクします。なんだか別な世界に足を踏み入れたような感じがします。
 真夏の7月8月になるとこの砂浜は、観光客のものになります。地元の人は、家でひっそりと自分たちの時間を楽しむか、高原や海外の涼しいところへ旅行に行きます。
 なので、初夏のうちに十分に地元の海を堪能したいんです。




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湘南に関所を作ったら? 大人のための落ち着いた観光地があってもいいのでは? そのために入域税などとったらどうでしょうか?




 ぼくは相模湾に面した首都近郊の海辺の町に住んでいます。
 なのでというか、なのにちゅうか、土日や夏休みは観光客が来る土地です。最近はインバウンドで外国人観光客の人も多く見かけるようになりました。

 ぼくも他所の海へ遊びに行くので、そういう時はぼくが観光客になります。で、やはりそういう時は楽しいわけで、いつも以上にはしゃいだりします。
 自分が観光地に住むようになって感じるのは、そういう観光客の人達を見るのは複雑な気持ちということです。
 複雑な気持ちというのは、来てくれて嬉しいという気持ちと、自分達の住んでいる土地で騒がれてちょっと迷惑という気持ちが入り混じっている状態なのですね。

 たいていの観光地は観光も地場の主要な産業なので、観光客誘致を積極的に進めています。たとえ自分が直接観光産業に携わっていなくても、地域全体の経済が活性化することは歓迎すべきことでしょう。
 ただ、ぼくの場合、地元の産業とは関係なく収入を得ているのです。
 なので、観光産業が盛んになってもならなくても、直接は関係ありません。もちろん地元がさびれれば、その分、町の財政も逼迫し、税金や行政サービスなどの面で負の影響を受ける可能性はありますが…
 で、個人的な思いをすごく単純にいうと観光客が来てもメリットはあまりないけど、騒がしかったり、道路が渋滞したり、治安が悪くなったり、ビーチが混雑したり、町やビーチにゴミが散乱したりとデメリットの方が多いんです。

 たとえば地元の人というのは、普段スーパーやコンビニに行くにも車なんですが、まあ割とゆっくり走るんです。田舎町ですからノンビリしていて生活のスピード自体が遅いのと、高齢化しているのでお年寄りがたくさん運転しているわけです。それで、車のスピードが全体的に遅いと。
 んで、観光客の若者とかが道路をかなり飛ばして走るわけです。
 たまにそういう車に煽られたりして危ないんですね。
 それってどうなんだ!と思うわけです。

 もうひとつの例として、観光客が海の家とかビーチで酒を飲むでしょう。いや、それ自体はいいんですけど、そういう人達の中にはからんだり、喧嘩したり、まあ軽犯罪みたいなことをする人もいるわけです。
 で、地元の年頃の娘さんがいる家などはかなり用心するんですね。最近いろいろ物騒な事件が多いですから…
 ぼくの家などはちょっと前まで家も車も鍵をかけなかったですが、最近はちゃんと戸締まりします(当たり前かなー)。
 
 周囲の人やあるいは離れた場所ですけど茅ヶ崎とか藤沢の友人なんかも似たような感想だったりします。
 どちらかというと、ぼくの体験よりもすごくて、深夜の花火がうるさい、海の家の音楽がうるさい、暴走族がうるさい、家の前のガレージに無断で駐車された、家の前にゴミを捨てられた、洗濯物が盗まれた、庭のサーフボードが盗まれた、店の品物を万引きされた、からまれて喧嘩になった、などなどかなり迷惑を受けている様子なんです。
 まあもっと乱暴にいうと、あまりお育ちの良くない観光客の方達が来て、不作法なことをして、地元の人は眉をひそめていると…んで、そういう人達ってどうせ大してお金を落とさないんじゃないの?ということなのです。

 で、たとえば茅ヶ崎とか藤沢なんて、観光産業というよりも大企業の工場とかサラリーマンなどの税収の方がたぶん多いでしょうから、別に観光客が来なくてもいいんじゃないかと思ったりするわけです。

 ここまでかなり地元民的な偏った内容かもしれませんが、今回はこのまま突っ走ろうと思います。

 そいでね、ここからかなりラディカルになってしまうわけですが、日本の観光地というか地方のすべてが観光客歓迎、観光産業振興一直線でなくてもいいんじゃないか?と思うんです。
 日本の…なんて大きな話をするとわけがわからなくなってしまうんで、とりあえず、湘南あたりの別に観光客が来なくても財政的に致命的にならない地域などは、他所の人がエリア内に入るときは、入場税をとったらどうなのか?と思ったりするわけです。
 鎌倉とか茅ヶ崎とかの134号線に関所を作ったりしてね。
 というのもフロリダを旅行したときには、入域税を払った記憶があるんですけど、あれと同じことをしたらどうでしょう?って思ったりするんですね。
 何かの法律に抵触するかもしれませんけどね…

 これはあまりにも排他的、非リベラルな考え方かもしれませんね。もう少しオープンで自由であってもいいかもしれません。

 まあ、もうちょっとビジネスライクに考えるとして、逆に自分が観光客だとしてですね、たとえばそうですねえ、軽井沢のような避暑地に行って、旧軽なんて夏はすごく混雑してますでしょ、そんな中を樹木の名前も搾りたての牛乳の味もわからなそうな若者が歩いていたりするとウンザリするんですよね、上から目線ですけど…
 だったら入域税を払ってでも一定の層が来ている落ち着いた観光地に行きたいですね、ぼくは。そういうところでゆったり落ち着いた気分で過ごしたいです。
 つまりですね、いい方を変えると、良識ある大人がゆったり過ごせるハイソな観光地というのは、それはそれで売りになるのではないのかなあーと思ったりしている今日この頃です。
 みなさんいかがお過ごしでしょうか。黒柳徹子です。




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海を眺めながら飲むビールのシアワセ



 海辺で飲むビールがおいしいという事実は、酒飲みのみなさんには納得いただけるんじゃないかなあ、なんて勝手に思うわけです。特にスキューバダイビングやシーカヤックやサーフィンなどのウォータースポーツをやった後の疲れた身体に流し込む生ビールの旨さといったら、もうなんともいえないおいしさです。
 目の前に広がる海、波の音、潮風、夕暮れ時のマジックアワーの時間だと黄色・オレンジ・青・紫と微妙なグラデーションを描く空…そんな環境を目前にして、キンキンに冷えたビールをゴクゴクゴクと飲むのは人生の幸せのひとつです。ちょっと大袈裟かもしれませんけど…
 ちなみに海辺の田舎町に建つ我があばら家からは海が見えるんですが、昼間にウォータースポーツをしてシャワーを浴びて、海を眺めながらビールを飲むのも、なかなか幸せな時間です。
 こうしてなんやかやと理由をつけては、ビールやその他の酒を飲んでばかりいるわけですが、歳をとるにつれて確実に右肩上がりのγ-GTPの数値におびえ、通風気味の足の親指の痛みを抱えながらも、海辺で飲むビールの旨さの誘惑には勝てず、今日もゴクゴク飲んでいます。いつかドクターストップがかかるんだろうなあ。

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暮らしに役立つ、村上春樹さんの「そういうものだ」と「それがどうした」、そして自分で加えたプラスアルファ



 もともとぼくが海が好きなのは、暮らしの中で受ける様々なストレスが、海で癒されるからという面が大きいんです。もちろんウォータースポーツも好きですが、なによりも海で過ごすことが精神の安定に欠かせないことの方が大きいんです。
 なのでたとえウォータースポーツができない海況の日であっても海を散歩したり、ビーチでお茶をしたりします。そんなときは本も読んだりします。
 海で本を読むと、同じ本でも自分の気持ちが動く箇所が違って、ちょっとおもしろいんです。また、本を読んで自分の中で考えが巡ったり、深まったりすることがあると思うんですが、海だとその動きが違ったりすることが多いような気がします。
 先日も海で本を読んでいたら、ふと昔に読んだ本のことを思い出してそのことについてあれやこれやと考えたのでした。
 それは村上春樹さんのだいぶ前のエッセイのことで、うろ覚えなんですけど、人生は、「そういうものだ」と「それがどうした」の2つの言葉でなんとかなる、というような趣旨のことが書かれていた部分のことです。
 それを読んだ当初は、なるほどと膝を打ったし、実際自分の暮らしの中で役に立ったし、勇気づけられたりしたわけですが、その後自分もだいぶ歳をとって、自分なりに「そういうものだ」と「それがどうした」が発酵され補強されてきたんだなと思うんです。それを今回はまとめてみたいと思います。もしかしたら誰かの役に立つかもしれません。
・「よくあることだ」
 これは「そういうものだ」の類似型ですね。何かが起きたときに「よくあることだ」と頭の中でいうと、たいていの物事に動じなくなります。物事に動じないというのは、最近気がついたんですが、生きていく上でけっこう大切なことだと思うんです。
 動じないということは慌てないとか平常心であるということとほぼ同義なんだと思うんですけど、それによってその後の対応が冷静にできるようになります。
 また「よくあることだ」というの言葉に中には、自分が遭遇したよくないことに対して、ことさら自分だけ不幸だと考えないニュアンスが含まれています。いろいろなことが起きても、それはたまたま今回自分の身の上に起きたけれど、他の人にも起きるかもしれない。運不運ではなく確率的なことだと考えるきっかけになります。
・「それで?」
 これも「それがどうした」の類似型です。使い方としては、職場で同僚から軽く責められたときに「それで?」といって開き直るときに使います。
 「それで?」というのは、他者から責められたときとか他者に対して自分が十分なことができなかったときに開き直るニュアンスがあります。「それがどうした」と併用するといいと思います。また、「それで?」の変形で「それが何か?」というものもあります。
・「だってぼくはそういう人だもん」
 いろいろな人がいて、ときに何事も完璧でなければいけないと考えている人もいます。そしてそうした人がぼくにもそれを求めてくるときに使います。あなたが当たり前と思っている前提は、わたくしとは違います、わたくしはこういう考え方の人間ですと開き直るときに使います。
・「なんとかなるさ」
 これはぼくがわりと心配性なところがあると思うので、自分の気持ちがそっち方面に落ちていかないようにするために使います。実際、人生というのはなんとかなります。
・「運が悪けりゃ死ぬだけさ」
 これはぼくが大好きな往年のテレビドラマ『俺たちは天使だ』のキメの台詞です。
 この言葉には、運はどうにもならないという気持ちと、だけどやってやるというふたつの意味が含まれています。
 ぼくは、自分が将来を心配しすぎたり、リスクをとることを躊躇したときに使います。世の中にはいろいろな人がいますが、ぼくは未来は誰にもわからない、自分の未来は自分で変えられる、完璧なんて存在しないという信念を持っているんですけど、その一方で人はいずれ死ぬし、その時期を選ぶことは難しいとも思っています。その自己効力感と無力感、しっかりしている感じとなげやりな感じが混ざっているこの言葉が好きです。
・「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか…」
 敦盛の一節で織田信長が好んで舞ったといわれています。流転するこの世の儚さを思いつつ、それを元にすごく積極的に行動した信長。この世のことは儚いけど、だからやりたいことをやってやるという感覚でしょうかね? その積極的さが「運が悪けりゃ死ぬだけさ」と似たニュアンスがあって好きです。歴史小説などを読んで、ぼくは、信長は思慮深い武将だったと思うんですが、思慮深さはときにタイミングを逸する面もあったわけで、戦国の世では、タイミングを逃すことは自分の死や自軍の滅亡にも繋がっていたんでしょう。その慎重さと思い切りのよさのバランスには学ばなければならないと常々思っています。
・「この世のことはこの世でなんとかなる」
 若い頃、ノートにメモしてそれをずっと諳んじているんですが、今となっては誰の言葉かはっきりしません。確か政治家の故金丸信さんではなかったかと思います。厳密な言葉も実は違うかもしれません。ただ、大意はあっていると思います。まあなんとかなるからビビルったり一喜一憂するなということだと思います。ぼくはあまり政治家という職業の人が好きではありませんが、魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界を処世していくそのあり様には学ぶところがあるとも思います。
 言葉というのは大切です。何か起きた時に頭の中で、あるいは胸の内でつぶやく言葉で、自分の気持ちが変わることってけっこうあります。というかぼくにいわせると日々そうした言葉の積み重ねで、気分って作られていきます。気分で日々は変わっていくし、日々の積み重ねで人生って作られます。
 ぼくはどちらかというとメンタルが弱いタイプだと思うので、余計に言葉を気をつけなければいけないなと、注意するようにしています。
 海に出るというのは、多かれ少なかれ危険なわけで、死ぬ可能性が0ではない行為です(死ぬ可能性が0の行為ってないと思いますけど…)。で、海に出てしまえば、天気や海況が急変することもよくあります。そんなときに頼りになるのは、自分の頭と身体だけ。危ない海況でパニクるのは最悪で、文字どおり自殺行為です。パニクらないで冷静で淡々としてさえいれば無事に帰れるのに、パニクっただけで死ぬことって事故事例の典型です。ぼくは冷静でいるために、先ほど書いた言葉を頭の中で繰り返したりしています。海の上でも、ついでに陸でも…

以下は関連記事です。こちらもご覧ください。

世の中のことはたいていなんとかなる

自然・生物・人間・社会・正しさ

気楽にやろう


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湘南といわれる地域について



 湘南といわれる地域に住んでいます。
 湘南というと、大磯から秋谷あたりの海に近いあたりを、ぼくは勝手にイメージするんですが、これは人によっていろいろ考えが違うようです。誰もが納得するエリアは、平塚、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉、逗子、葉山あたりだと思うんです。
 でも、湘南に住んでいる人で、湘南という言葉を使う人にはあまり会ったことがありません。
「わたしは茅ヶ崎に住んでいます」「逗子にお気に入りのカフェがあります」などと使うことが多い気がします。地域を特定して使うことが多いし、みなさんそれぞれ自分の住んでいる町に誇りを持っている様子がうかがえます。
 といいますか実際はもっと細分化されていて「わたしは七里ガ浜に住んでいます」とか「わたしは披露山に住んでいます」というように細かく地名をいう場合もあります。特に高級住宅地に住んでいる人ほどその傾向が強いのかな〜と…
 まあ、それは東京でも同じですよね。
 それぞれの人が自分の住んでいる町に誇りを持つのは、おそらく悪いことではないでしょう。

◆湘南のことを扱っている雑誌をピックアップしてみました
『湘南スタイルmagazine Vol.100 2025年2月号』


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石垣島旅行で思ったこと…町と自然のギャップの大きさが魅力ですね



 以前、石垣島にダイビング旅行に行ったことがあります。ぼくは南の島が大好物でして、長い休みが取れるときは、国内外問わず南の島に行ってしまいます。その様は鮭が生まれた川に戻って来るようだという人がいるとかいないとか…そもそもぼくは南の島で生まれてないから、その喩えは合ってないじゃないかというか、まあそんな感じです。
 石垣島に行って、最初に感じたのは、市街地はとても発展していて、手に入らない物はないくらい日用品のお店が充実していて、三浦半島の田舎町に住んでいるぼくの家付近よりも便利なんですが、車で5分くらい町から離れると、熱帯特有の豊かな自然があって、その落差が印象的な島でした。
 ぼくが好きなのは、人口が数千人以下の小さな離島ですので、人口5万人の石垣島はちょっと都会な島だと感じました。
 ちなみに国内でぼくが好きな南の島ランキングは…
1位:母島
2位:多良間島
3位:与論島
4位:父島
という感じです。
 どこもこぢんまりとしていて、時間がゆっくり流れているように感じられ、人もノンビリしていて優しかった思い出があります。
 人口の少ない島大好きです。実際に住んでいる方はいろいろご苦労があるとは思いますが…
 石垣島は、珊瑚のリーフの美しさが印象的でした。一時期は珊瑚がひどくダメージを受けたと聞いていたんですが、だいぶ復活したんでしょうか?
 何度も思うんですが、珊瑚礁の島のリーフの内側の海の色って、なんであんなに綺麗なブルーなんでしょう。しかも場所によってブルーの色合いが違っていて、海が見える場所を通ると車を降りてしばらく眺めてしまいます。
 ぼくは動植物の知識はないんですが、それでもアカショウビンやカンムリワシやリュウキュウコノハズクなど有名な鳥ををしばしば見ることができました。
 石垣島ならではの食べ物で、石垣牛はもちろん、ブラックじゅーしーかまぼこやゆし豆腐や石垣そば(沖縄そばと少し違う)などなど、いろいろあって、それを食べるだけでも楽しみです。
 東京の羽田空港からトランジットなしの1時間30分くらいで、こんなに豊かな自然に接することができるなら、これは旅行先として人気が出るよなーと思いました。でもぼくが行くとしたら、たとえトランジットがあっても、もっとこぢんまりした島にしてしまうと思います。
 スキューバダイビングについて書くのは別の機会にしたいと思います。書くことが多すぎて長くなってしまいそうですから…

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ずっと海にいたいです!



 海辺に暮らしていると、季節によって海にいるのがとても気持ちがいいときがあります。というか、ぼくのような海バカは、年がら年中海に出ているわけですが…
 気持ちがいい時季というのは、春と初夏と秋なんですが、気温が暑くも寒くもなく、湿度も高くなく、爽やかな潮風が吹いて、海にいるのが気持ちいいんです。
 休日で、そんな天気のいい日にあたれば、ぼくは(ときには妻も)アウトドア用のチェアとテーブルとタープ(主に妻が同行するときに持っていきます)とバーナーとカップとちょっとしたお菓子やサンドイッチを持って、海に行きます。といっても家から歩いて3分ほどですが…
 目の前には広い海と青い空が広がっていて、潮風が吹いて、なんだかとても気持ちがいいんです。ありきたりな表現ですが、癒されます。なので、午前中からビーチに行って、午後3時、4時頃まで居たりします。
 で、家に帰ったらお風呂に入って、デッキでビールを飲むというのが、ぼくの休日の過ごし方ゴールデンパターンということになります。
 ちなみに気持ちがいい季節に入っていなかったんですが、夏も夜なら気持ちがいいんです。なので、夏は、夕方から夜にかけて、近所のビーチにある海の家に行ってビールを飲んでから、家に帰って夕食を食べたりします。夕暮れになって、空の色がグラデーションがかかって、様々な色に変わっていきます。海からの潮風も暑さを紛らわしてくれて気持ちがいいんです。だんだん暗くなってきて、波の音だけが響く時間になると、酔いもちょうどよく回っているので、家に帰ります。
 ぼくもだいぶオジサンになってきたので、あと何回くらい元気に、気持ちがいい海辺の時間を過ごせるんだろうと考えたりします。たぶん3桁にはいかなくて、2桁台だと思うんですが、そう考えると、海辺にいる時間がとても貴重な時間に思えてきます。




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海辺をのんびり散歩しよう!



 海辺の田舎町で暮らしています。でも会社は東京なので平日は2時間くらいかけて通勤しています。
 そんなぼくにとって休日は、海遊び三昧の日です。
 そのために海辺に移住してきたんですから!
 スキューバダイビング・サーフィン・シーカヤックなどその日の海況に応じて遊びを決めます。ただ海が荒れてどうしても海に出られないときには、海辺を散歩したり、サイクリングしたりします。
 海を眺めながら、のんびりビーチを散歩するのは、それはそれで楽しいものです。青い海、大きく広がる空、心地よく吹く潮風…そんな中にいると気持ちがスッキリしてきます。
 ぼくにとって海はかけがえのないものです。
 若い頃からずっと好きで、好きが昂じて海辺に移住したくらいですから…
 仕事が忙しいとき、辛いとき、気持ちがモヤモヤしたときには、海を眺めることで気分転換をしてきました。海という気分転換の場がなかったら、ぼくはどうなっていたんでしょう?
 それくらい海が好きです。

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人口1000人台の島の暮らしに憧れます



 ぼくは海辺の田舎町で暮らしていますが、実はもっと田舎の海辺で暮らしたいと思っています。できれば離島で人口が1000人以下というのが理想です。
 なぜそういうことにこだわるかというと、海辺の田舎町でも人口が多いとそれなりに町でして、住民同士の顔が見えにくいんです。
 人口が1000人台のコミュニティだと暮らしている人の顔が見えます。
 たとえば旅行者としてそんな小さな島に1週間もいると、地元の人もぼくの顔を覚えてくれて、道ですれ違うと挨拶してくれたりします。スーパー(というか雑貨屋)でも知り合いにあったりして雑談をします。そんな人間関係の距離感がぼくは好きみたいです。というか若い頃はそうでもなかったんですが、歳をとって好きになりました。
 その分、各家庭のプライバシーは都会ほど守られていなくて、○○さん家のおばあちゃんを今日はまだ見かけないとか、●●さんの家はそんなに収入がないはずなのにいい車を買ったとか、そんな風になんとなく誰が何をしているかわかる状態です。
 でもぼくはそういう環境も悪くないなあと思っています。ぼく自身が自分のプライバシーをそんなに守りたいと思わないというのが理由かもしれません。
 今のような人口がわりと多い海辺の田舎町の暮らしでも、ぼくは自分の身の上話を自分でオープンにして、それをネタにしながら、相手との距離を縮めて仲良くなるということをしています。というかそういう生き方をしてきたので、それ以外できないんですけどね…
 そんなぼくにとっては、人口の少ない集落での生活って、なんだか楽しそうで憧れます。
 ただ人口が1000人台の離島って、他の問題(町の財政とか、高齢化とか…)が山積してそうで、別な意味で大変そうですけど…

◆小笠原旅行の本をピックアップしてみました


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屋外で太陽の光を浴びているのが好きです



 屋外にいるのが好きです。特に海辺にいるのが好きです。近所の人には「あの人、海バカなんじゃない?」といわれているとかいないとか…
 太陽の光を浴びて、潮風が吹いてきて、波の音が聞こえて…そんなところにいると幸せだなって感じます。
 太陽の光を浴びると、何やら脳内になんたらとかいう成分とか、かんたらとかいう成分が出て、それが免疫力を高めたり、精神を安定させたり、寝付きがよくなったりするらしいんですが、正確なことは検索してください。
 ぼくは日焼けを気にしないので、割と平気で太陽の光を浴びています。最近は目が痛いのでサングラスはかけるようにしています。
 なので、土日の休日になると、天気がよほど悪くないと(嵐とか台風とか)、ぼくは海に出ています。やることといえばスキューバダイビングだったり、スノーケリングだったり、シーカヤックだったり、サーフィンだったりします。
 海に入っていると、気持ちいいんですが、気持ちがいい以上に身体にいいような気がします。ぼくはアレルギー鼻炎があるのと、夏場になると肌に発疹が出るんですが、海に浸かると症状が和らぎます(あくまで個人の感想です…)。
 そんなこんなで、海に出て、太陽の光を浴びて、潮風に吹かれている時間が何よりも好きです。
 逆に苦手なのは、梅雨時の窓の開かないビルの中でして、今働いている会社がまさにそういう作りの窓なんですが、全館空調で温度湿度は快適かもしれませんが、ぼくは息が詰まりそうで苦手です。
 そんなときは、夢想的に海に出ていることを想像して、なんとか普通の精神状態を保っているという感じです。
 今のささやかな夢は、会社の規則が変わって、リモートワーク全面okになって、ビーチにチェアとテーブルを持ち出して、そこで仕事をするというものですが、たぶん無理そうですね。

◆海が健康にいいことを主張している本をピックアップしてみました

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