忍者ブログ

人はなぜレジャーをするのでしょうか?「レジャー=生き残りモデル」




 ぼくはスキューバーダイビングやシーカヤックやサーフィンをします。周りからは「道楽者ですねえ」っていわれますが、いや、それほどでもー。
 それも大学時代からやっていますから、かれこれ二十数年以上やっているんです。
 で、ときどきなんで自分は海遊びをするのか、飽きもせずウォータースポーツをするのか考えたりします。今日はそうして考えた屁理屈を書いてみたいと思うのです。
 最初は、海に癒されるからウォータースポーツをやるのかな?って思っていました。確かにそういう面はあるんです。
 もう一つはいわゆるレジャーとかリフレッシュという意義があるからやるんだとも思いました。確かにそういう面もあるんです。
 でもそれだけじゃないんじゃないか…というのが今のぼくの考えです。
 世の中を見渡すと、レジャーのような趣味に没頭している人(なんとなく男性が多い気がする)は大勢いて、ぼくよりもずっと激しくのめり込んでいる人もいます。どうしてそういうことになるんだろうと…
 一般に趣味とか道楽というのは身代を潰すといわれていますから、刹那的な快楽を求めるとか現実逃避とかそういう理由で、依存症的な面があるのかなと思ったりもします。
 要するに経済合理性や社会的規範からは少し外れた行為だろうということです。
 それをなぜしてしまうのか?
 ぼくは、それを現実から束の間逃れてリフレッシュしたいから、だけでは説明できないような気がするんです。
 なぜかというと、ぼくの場合、スキューバーダイビングにしろシーカヤックにしろ、結構ハードな海況でやることが好きで、それを無事になんとか乗り切って帰ってくる、そこに楽しみを見いだしている面もあるからです。
 やっているときは、「なんでこんなツラいことをすすんでやっているんだ」「やるんじゃなかった」「今回こそ死ぬかも」と思いながらやるんです。
 それに結構忙しいスケジュールの間を縫って、身体が疲れていて、本当だったら1日静養したいような日であっても、ウォータースポーツをやりに行くんです。これは気分転換とかリフレッシュとはいえないような気がします。
 難行苦行の類に近いと思います。
 そういう動機ってなぜなんだろうと考えました。
 普通に考えれば安全な方がいいし、ラクな方がいいし、お金と時間を使ってまでそんなことをするのって経済合理的ではないわけですから…
 で、考えついたのが、元々本能のひとつに、何かに挑戦するとか、危険な状況にトライするということの必要性が入っているんではないか?という理屈です。
 現代社会には未知の海も、フロンティアも、身近な危険もないわけですから、レジャーでそれを求めているのではないでしょうか?
 そして人間として種の保存のため、敢えてリスクを冒して新しい状況に挑戦した方が、人間という種がいろいろなところに広がっていいわけですし、もしかしたら新しく食べていける何かが見つかるかもしれないわけで、それは本能としては合理的ではないか?ということです。
 その一連の理屈を、仮に「レジャー=生き残りモデル」と呼ぶことにしたいと思います。
 自分として少し課題だなと感じているのはレジャーと冒険とは少し違うかもしれないということですが、そこのところは自分でもまだよく考えられていないので、後で考えることにしようと思います。
 「レジャー=生き残りモデル」にはもうひとつの側面があります。
 おそらく経済的に豊かな先進国の方がレジャーや冒険は盛んに行われていると思うのですが、それは時間的・経済的余裕があるからでしょう。
 ただ、それだけではないと思うのです。先進国は今後経済成長をしようとすると既存の産業や技術に頼っていたのではダメで、革新的な何かが必要だと、国民的に潜在意識の中で認識されているのではないでしょうか?もしかしたら人間の本能としてインプットされているから、それが社会的制度に現れているのかもしれません。
 だから一見ムダに思えるようなレジャーや冒険のようなことに打ち込む人を容認するというか賞賛する雰囲気というのがあるのではないでしょうか?
 歴史を振り返ってみれば、革新的な技術的進歩や新しいフロンティアの発見というのは、最初はある人の趣味的なこだわりが結実した結果だったりすることは、ままあることです。
 
 レジャーや冒険にのめり込む人というのを、世間の人々は非難したり責めたりはしません。場合によっては少し呆れるというのはあるかもしれませんが…
 それはとりもなおさず、レジャーや冒険が社会的に公共の不利益ではないということが合意されているのだと思います。
 「レジャー=生き残りモデル」にはさらにもうひとつの側面があります。
 我が家では、命の危険があるようなウォータースポーツにでかけるぼくを、妻は認めてくれています。そのあたりはぼくの妻がよくできた人なのかもしれません。あるいは浮気やギャンブルや酒に走るよりはいいと思っているかもしれません。
 ただ、子供に対して、自分の好きなことについては、たとえ危険であっても周囲が何をいってもどんどんやっていく父親像を見せることを、教育上いいことだと考えているとはいっていました。
 それは将来社会に出て、子供が一人で食べていかなければならないときに、社会的にレールが敷かれたいわゆる大企業のサラリーマンみたいな職業だけが、その選択肢でないことを伝えるのにいいからだそうです。
 要は食べていければいいわけで、そのためには自分の好きなことでもなんでも、壁にぶつかっても世間から認められなくても続けていける強さが必要だからだそうです。
 妻の中では「レジャー=生き残りモデル」は、個人や家族を支える食や住処を獲得するための疑似的訓練だと解釈されているわけです。
 とりとめもないことを書いてしまいましたが、だから趣味やレジャーにうつつを抜かすオジサンを責めてはいけません。どちらかというと人類の未来を切り開くために頑張っているんだと尊敬しよう!ということをいいたくて書いたわけじゃありませんよ。







にほんブログ村 ライフスタイルブログ 海辺の暮らしへ
ランキングに参加しています。クリックお願いします!




拍手[0回]

PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
メール
URL
コメント
絵文字
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード

最新記事

(11/17)
(11/16)
(11/10)
(11/09)
(11/04)
(11/03)
(11/02)
(10/27)
(10/26)
(10/19)
(10/14)
(10/12)
(10/06)
(10/05)
(09/29)
(09/28)
(09/23)
(09/22)
(09/21)
(09/19)
(09/16)
(09/15)
(09/13)
(09/10)
(09/09)

ブログ内検索

PR

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1
5 6 7 8
11 12 13 14 15
18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新コメント

PR

google

最新トラックバック

RSS

follow us in feedly

アクセス解析