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自然の圧倒的なパワーの前には、人間の営みなどささやかなものでしかないと思います



 海遊びを続けて20数年、海辺に住んで20年近く。
 わりと近いところで台風や高波や土砂崩れなどの被害が起きたのを見ました。
 葉山港が壊れたのも見ました。
 西湘バイパスが壊れたのも見ました。
 東日本大震災もありました。

 サーフィンやスキューバーダイビングやシーカヤックやセイリングは、自然を相手にします。そんなスポーツを20年以上も続けていると、自然の圧倒的な力の前には人間はいかに無力かが身に浸みています。
 自然が荒々しい姿を見せるようになったらできる限り近づかず、安全なところに移るに如くは無し。ああ、諸行無常の響きあり。
 人間が自信満々で作った構築物などあっという間に消え去ってしまうのです。

 ボクの会社の人とのふとした会話の中で、自然に接することが少ないその人が、東京の街が安全だと、特に防波堤や堤防やビルや地下鉄が安全だと、当たり前のように考えていることがわかってけっこう驚きました。

 津波なんかきたらお台場、東雲、豊洲あたりはひとたまりもないでしょうし、0m地帯と呼ばれているエリアも浸水するでしょうし、地下鉄にも水が入るでしょう。人工密度が高い時間帯だとかなりの混乱が生じるのではないでしょうか?
 災害に強いことを売りにしている、湾岸あたりの構想マンションも本当にそんなにうまくいくでしょうか?せっかくの億ションがあっという間に値下がりしてしまうかもしれません。

 ボクにとっては、家も今住んでいる場所も一時的なものだという認識があります。海と豊かな自然があって、ウォータースポーツができて、働く場があれば、まあどこでもいいやと思っています。
 ボクの祖父母や親戚などは、代々住んだ土地や地域があり、血縁があり、受け継いできた伝統があって、それを大切に、誇りとして生きているんですが、親くらいになると、それはだいぶ薄れていて「喰っていけるところで暮らせばいい」といっていました。
 ボクなどはそれを真に受けて、生きていければどこでもいいと考えています。
 違うのは、親が時代の変化の激しさや経済的に繁栄している場が変化する速さを念頭に置いているのに対し、ボクは、人間の活動の危うさや脆弱さを念頭に置いている点です。

 安全な場所で、永続的にしっかりした基盤を作って暮らすという発想は、少なくとも日本ではあまり現実的ではないような気がします。地震・台風・竜巻・突風・火山の噴火・崖崩れ・土石流・大雪・洪水・河川の氾濫・疫病の流行ということが、日本のどこかで数年単位で起きていますし、歴史を振り返ってみてもそうした自然災害は必ず起きていたのです。最近はそれに加えて、公害、廃棄物の最終処分場からの有害物質の漏洩、原発からの放射線漏洩、ゴルフ場の化学物質の流出、環境破壊といった人的災害も増えています。それに加えて、隣近所の騒音やゴミ屋敷みたいなことまでいれると、安全で平穏な暮らしを営むということはかなり難しい気がします。

 なので、とりあえず数年、安全な生活が営めればいいや、ヤバくなったらすぐに別の安全な場所で暮らそうと思っています。
 こんなボクの考えを知ったらご先祖様は嘆くでしょうかね?




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