海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
離島にみる共同体の在り方
ぼくは離島が好きで、これまで国内外のいろいろな島に行ってきました。
特に人口が少なくて、便利のいいターミナル的なところから遠い(不便な)、小さな島が好きです。便利のいいターミナル的なところから遠いというのは、たとえば横須賀の猿島とか熱海の初島とか伊豆大島とかは当てはまらないわけです。石垣島も宮古島も当てはまりません。
そういう人口が少なくて、不便な、小さな離島が好きなのは、外との隔絶感があって、安心感があって、島の人達が優しいからです。
それで今回はなぜ島の人が優しいのかなあって、日頃考えていることを書いてみます。ぼくが勝手に考えていることで、特に根拠とかないので、さらーっと読み流してくだされば幸甚でございます。益々のご健勝とご多幸をお祈りしております。いえいえそんなめっそうもございません。
離島の人と対比したいのが、たとえば東京の渋谷とか池袋にいる人です。渋谷を歩いていると緊張感があります(ぼくだけっすか?)。基本的に誰がどんな人だか関心がありません。今すれ違った人がどんな人だか記憶にありません。人は速く歩き、前の人を追い越そうとしています。あるいは、明らかに裕福であることがわかる服や車などで、他の人より自分がすごいということを誇示しようとする人もいます。
一方で人口が500人程度の小笠原諸島の母島を例として見てみましょう。500人の島民は誰がどんな人なのか把握しています。どんな年齢・家族構成・仕事・好き嫌い・性格なんかもだいたい把握しています。だから○○さんをこの2日見なくて心配だから様子を見に行こうなんて感じになります。それから観光客も来ますが、船でしか来ないし、どんな人が来たかだいたい把握しているものです。
ここで両者の違いは、人数と匿名性です。
前から感じてたんだけどさー、人って数が多いものは雑に扱って、数が少ないものは大切にするとこってなくない?人も同じで、人が大勢いると、うっとおしいなあって感じてしまって、何日も人に会わない場所で、久しぶりに一人の人と会ったら、やっぱり少し話がしたくなったり、同士とか仲間みたいな気持ちが湧き上がると思うんだよねー。
というわけで都会で人が多いところだと、人は人を大切にしない傾向があるかもしれないです。逆に島ではみんなで助け合おうとする傾向があるかもしれません。
あとね、思うんだけど、これはよくいわれていることだけど、自分だとわかるような状態だと人ってちゃんとしようとするよね。ぼくもそうだけど、人が見てるとゴミを捨てたり、ツバを吐いたりしないもんね。でも、渋谷の街中で、自分が誰だかわからない状態だと、ちょっと羽目を外すようなことを少しやっちゃったりして、神様・お父様・お母様ごめんなさいということを心では思いながら、ついやってしまうことってありますね。
さすがに母島だと誰かが見ているよいうな気がしてあんまりヘンなことしないから、で、みんながちゃんとしようとするから、島全体の秩序は保たれているというわけではないでしょうか?
というわけで、匿名な状態だと秩序は乱れ、誰が何をやっているかわかる状態だと、秩序は維持されやすいということがいえるかもしれません。
そしてこの文脈の延長上に匿名性がない、人口の少ない共同体が助け合うために町内会があり、青年団があり、職業組合があり、祭りがあったりするのでしょう。
離島が安心感があって、島の人が優しくて、トータルで暮らしやすかったり、居心地が良かったりするのは、そういう共同体の在り方が関係しているんじゃないかなあと、ぼくは以前から考えていたのでした。
ここから今回は話が一般的な方向に展開していくのですが、すべからく人の共同体というのは少人数で構成した方が、居心地がいいし、その単位を維持するコストが少なくて済むんではないかというのがぼくの考えです。隣組の発想に近くてイヤな感じをもたれる方もいらっしゃるかもしれませんが、独居老人の孤独死とか若者の引きこもりなんていうのは、おそらく都市化した共同体に見られる現象ではないでしょうか?
過度の共同体による個人の束縛はイヤなものですが、適度だったらいいのではないかというのがぼくの現時点での思いです。
といいつつ今度はぼく個人のリアルな体験に話が戻るんですが、そういえばぼくは思春期の頃は、町内会の集まりとか祭りとかが好きでない時期がありました。正確にいうと子供の頃はそういう集まりが楽しい時期があって、思春期の頃はそういう集まりがうっとおしくて、オジサンになるとまたそういう集まりが楽しくなってきたのです。
それはおそらく思春期の頃が、いろいろと多感で不安定であるのと、構成員の立派な一員となるべく共同体からいろいろと目に見えない圧力を受けるのがイヤだったんじゃないかと思います。そしてオジサンになると、今度は自分が社会を維持する責任を担わなければならないので、そういう共同体を好ましく思うようになったのではないかと、自分で自分の気持ちの変化を分析してみたりするのでした。
すごく大まかにいって、若者が都会や都会的な暮らしに憧れ、ある程度歳をとると田舎暮らしをしてみたくなる人が増えるのも、そういった成長によって、自分が社会に果たす役割とか地位などと関係しているのかもしれません。
話がだいぶ右往左往してますが、離島というのは、そうした共同体の在り方がすごく先鋭的に現れるような気がするんです。
離島を旅していると、その共同体を維持する選択肢はいろいろあることを見ることができます。まず、他の地域からの移住者を積極的に受け入れる島(仮にAタイプとしましょう)と、他の地域からの移住者を受け入れない島(Bタイプ)があります。
Aタイプの中に、移住者を積極的に受け入れて都市的な匿名性社会になっていく島(仮に1タイプとしましょう)があり、一方で、移住者を積極的に受け入れつつ共同体の儀礼を厳格に課す島(2タイプ)もあります。
Bタイプの島はその選択の結果として、若い世代がその島に定着し、子孫を増やさないと、島の人口が減ってやがて無人島になってしまうところもあります。日本全体に少子高齢化している昨今では、移住者の受け入れをしない島は、人口減少に直面し、限界集落となっていくパターンが多いのです。ただ、想像するにBタイプの島で暮らすと、島の人口が増える方向にいくにしろ、限界集落の方向にいくにしろ、その共同体を維持するための責任や束縛がすごく重そうで、ちょっと暮らしにくいかもしれないなあなんて思ったりします。
これも想像ですが、人口が極端に少なくなると、共同体を維持するために一人が担わなければならない役割や仕事が多くなるので、快適な人口構成の下限というのはありそうです。ぼくが訪れた島の様子からいって、ざっくりいって3000人程度が下限ではないかなあと思います。そして匿名性が生じてしまうのは、たぶん10000人程度からではないでしょうか。
なので、ぼくが島に移住するのであれば、Aの1タイプで、人口が3000人に近い島を選ぶか、Aの2タイプで10000人に近い島を選ぶことでしょう。ぼくの好みとしては前者を選びたい気がします。
おお、長々といろいろ書いてきましたが、一応結論らしいものが出て、よかったよかった。ではではみなさんまた来週。
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