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海辺に田舎に行くと社会システムのことを考えてしまうぼく




 都会で役所に勤めている知り合いに聞いたんですが、本当にいろいろな人がいて、いろいろなことが起きて、いろいろな仕事があるみたいなんですね。
 たとえば、夜道が暗いから街灯をつけて欲しいとか、道路が凹んでいるから直して欲しいとか…そういうのはまともな要望だそうです。ただ、家の方のような田舎だと、こういう要望は町内会にまず上げて、町内会長が取りまとめて役場に伝えます。個人が直接役所に電話しちゃうというのが都会っぽいですね。
 ヘンなのになると、隣の家の木の枝が自分の敷地に入ってきてうっとうしいから、隣人に伝えて欲しいというのもあるそうです。これなんか直接いえばいいような気がしますけど…
 あと、今、話題になっている生活保護の不正受給ですが、これも都会という匿名性のある場所だからこそ生じる問題ですね。
 田舎だと、本当はいけないんでしょうが、うすうす誰が生活保護を受けているかわかってしまいますし、その人が本当に生活保護が必要な状態かは周囲の人が一番よく知っていますから…

 田舎だと、物々交換みたいに採れたものを融通しあう雰囲気があります。それから助け合う雰囲気もあります。たとえば隣のおばあちゃんだけの世帯には、みんなが声をかけ合うとか、家の重労働を助けるとか、そういうことは普通にあります。
 都会だと、たぶんこういうのは役所の仕事になるんでしょうね。

 えーっと、ふと思ったんですが、都会と田舎だと社会の仕組みが違うんじゃないでしょうか?
 都会の方がまわりくどくて、高コストだと思います。役所の仕事が増えるということは、役人が増えるか、役人の時間外手当が増えるわけで、これは住民が負担するわけですね。
 さっきの例でいえば、隣人への苦情を直接いえば、そこに費用は発生しないのに、役所に電話することによって費用が発生します。
 こういうコストって、ひとつひとつは小さいですが、まとまると意外に大きいんじゃないかと思います。
 突然思い出しましたが、東京都庁ってなんであんなに立派な建物なんですか? なぜ東京都民や東京都の法人は文句いわないんでしょう? もっと安い建物で仕事して、その分税金を安くしろって、たぶん田舎なら大問題になると思いますが…(東京都の役人に関してはもっといいたいことがありますけど…)

 以前、『世界がもし100人の村だったら』という本がヒットしました。この本は地球規模の問題を実感が持てるレベルで伝えるという意味で有益だったわけですが、ぼく的には「100人じゃないからこそ、問題は複雑になる」といいたいわけですね。

 人が集まると問題の質が変化するというのは、かねてから感じていたことですが、都会というのは、人が集まって問題が変質する事例の典型だと思います。役人もそこに乗っかって、本当なら要らない法律や仕事を作って、手柄を立てて、食い扶持を稼ぐわけですね。
 そう、悪循環…

 問題が変質するプロセスの一番大きな要因は、匿名性だと思います。これによって人は行動を変えます。
 匿名性があるだけで、無責任な行動をとったり、過激な行動をとったりします。普段なら何もしない人が、デモなどで暴徒化するのは、この例ではないでしょうか?

 二番目は数が少ないと、ちょっとした労力で処理できることが、多くなると一手間余計にかかるということです。
 これはし尿処理が典型だと思うんですが、広い土地にごく少数の人しか住んでなければ、下水処理設備なんか作らなくても、自然の生態系の中で処理されていくわけですが、大勢の人が住むとそうはいきません。ちゃんと浄化槽を作らなければならないですし、さらに密集すると下水道を整備して、下水処理場を作らなければなりません。

 三番目は仕組みが整備されると、それが惰性で維持されるということです。状況に応じて、柔軟に廃止できにくくなる面があります。これはお役所の法律や制度などがそうですが、一度制度ができてしまうと、見直されることなく続くという面があります。

 四番目は、人が多いと、人は人に対して「無関心」「嫌気」「競争心」「敵対心」といった感情を抱くのではないか?ということです。
 これは、都会の繁華街や混雑したバーゲン会場、道路の渋滞などで見られることです。ずーっと以前、椎名誠さんの本で、人は離島などの漁村でオバチャンとそれ違うと挨拶したり、会話したりして人なつっこくなるけど、都会で人とすれ違っても、今何かとすれ違ったっけ?くらいの感覚しか持たない、というような概要のことを書いてらっしゃいましたが、まさにそのとおりだと思います。

 ということを、いろいろな海辺の漁村や離島に行くたびに感じてまして、集団として物事が変質しないギリギリの人口規模ってどれくらいかなーって推測するんですが、ぼくの実感では3000人以下かなーって思います。

 ですから、よく小さな政府を実現しようという政策がテーマになりますが、この言葉が含んでいるのは、様々な社会サービスや規制を少なくして、より競争的な社会にしようというメッセージだと解釈しています。そうするとアンチ自由競争な人々が抵抗するという構図になるわけです。

 ぼくとしては、小さな政府を実現するというのは、意味が違うのかなと思います。

 まず、みんなが低コストで満足できる生活に根ざした仕組みを作る。イメージとしては昔の隣組みたいなののダークじゃない版の仕組みですね。
 それからみんなが、自分達のことは自分達でやる、役人なんかに頼らない、要望しない、役人なんか要らないと自主独立の考えを持つ。
 こういうもの生活の基礎にあって、みんなの意思が社会システムに反映されるようになって、結果として政府は小さくて済むと…

 なんだかすごい大きなことを書いてしまいましたが、田舎に行くたびに、感じるんですよね。
 人ってもっとシンプルに暮らせるんじゃないかなって…



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