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海のそばで、虚飾を排して大らかに暮らそう



 情けない話しですが、サラリーマンとして働いていると、自分がチマチマ細かいことにこだわっていくのがわかります。そういう視点に、そういうリズムに、自分が捕らわれていくことを自覚しています。おそらく組織とか仕事が働き手に、何か作用を及ぼしているんでしょう。
 ぼくは週末に海遊びをしますが、それを通じて、チマチマしがちな自分の考え方をリセットしているようなところがあります。
 海のいいところは、そういう効果があるところです。
 だからこそぼくは通勤時間がかかっても、海辺の田舎町に引っ越したのでした。
 サラリーマン生活を続けて20年くらいになりますが、その間なんとか自分らしさを保ってこられたのは、海辺の田舎暮らしと海遊びのおかげです。
 平日の労働者としての自分にさすがに嫌気がさしてきても、週末に何をするか考えていると楽しくなります。だいたいぼくは天気や海況によって次のようなことをします。
 海が穏やかでお金があれば、スキューバーダイビングします。
 海が穏やかで、すごく寒くなければ、シーカヤックをします。
 波がある日はサーフィンをします。
 海が荒れている日で雨が降っていなければ、海辺をサイクリングしたりウォーキングしたりします。
 定期的に庭仕事や家のメンテをします。
 近所の農協の野菜直売所に買い出しに行ったり、漁協の直売所に魚を買いに行ったりするのも楽しみです。
 海で遊んでいると、人が生きていくための根本的に必要なことが何かを考えさせられます。それはぼくの場合、海が漁の場だという意識があり、漁をとおして、食べていくとか生きていくとか生活していくということをイメージするからだと思います。
 実際、もし仕事がなくなったら海で魚や貝や海藻を獲って暮らせばいいかなあ、なんていうことを考えたりします。
 もうひとつ海が、ぼくに生きていくための根本的に必要なことを考えさせる理由だと思うのは、海というのは台風などで荒れるとたいへんなことになります。そんなとき、家のようなシェルターって大事だとか、水や電気やガスはやっぱりありがたいとか考えたりするんですが、要は生きていることそれだけで価値があるし、それを最低限キープするために何が必要かを認識させてくれるからなのです。
 極端な例をに出すならば、台風で家が飛んでいきそうで、停電断水しているときに、ブランドもののバッグがあっても仕方がないということなんですが、それを海辺に住んでいると、年に何回かは実感させられます。
 もっといえば、服は丈夫で安価であればいいし、車は安くて動けばいい。その先には虚飾を排した暮らしがあります。
 そう、海辺に暮らしていると、虚飾ということについて考えさせられるのです。
 どこからが文化的でどこからが虚飾なのかはよくわからないのですが、おそらく他者に対して見栄っ張りで物質を伴うのが虚飾で、精神的で人生を豊かにしようという取り組みが文化的なのではないかと、おぼくとしては勝手に考えています。
 ともかくそういうことに無自覚であるよりはマシかなと思います。








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