海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
預かりもの
海を眺めながらボーッとするのはいいものです。普段考えないようなことも考えますし、わりと前向きに俯瞰的に考えることができるような気がするのです。
ぼくもいい歳のオジサンになりまして、近しい者の死や恩師の死、友人の死などで、葬式にでることが多くなってきました。むかーしは結婚式に出ることの方が多かったんですが…
ちょっと暗めの話しになりますが、人は必ずいつかは死ぬわけで、そういうことは当然の前提として、自分の人生を考えるようになりました。そしていろいろな人の生き様やその中の思いを想像することがあります。
それだけではなくて、人はなぜ生まれてきたんだろう?、とも思うわけです。
若い頃は若い頃で、なぜ生まれてきたんだろう?、と考えたものですが、それとは違う「人はなぜ生まれてきたんだろう?」なんですね。
もちろん理由なんてないし、信心深い方なら宗教と結びつけて考えるのでしょうが、我が家はだいだい禅宗の仏教徒で、しかもそれほど信心深いわけでもありません。どちらかというと合理主義的に物事を考えることを好むのです。
そんなぼくが「人はなぜ生まれてきたんだろう?」と考えるときに、「理由なんてないけど、自分なりに意味づけはできるよな」とは思います。そして明らかに自分が今ここにいるというのは、ぼくの先祖が連綿と絶え間なく、子を産み、死んでいった結果であるというのは確かなことです。
突然コウノトリが運んできたわけではないわけですね。たぶん…
その連綿というのは本当に連綿とであって、日本であれば弥生時代とか縄文時代からでもあるし、もっと遡ればなんやら人種が日本に渡ってきてあたりから連綿と続いてきたわけで、それは間違いないであろうと…
そしてそれぞれの先祖の人にはそれぞれの人生があって、当然その人達の喜びと悲しみがあって、死があったんですよね。
なんかそれを考えると、自分の人生は、自分のものではなくて、偶然自分が預かっただけじゃないかと思えてきたんです。別に自分じゃなくてもよかったわけんだろうと…
そして自分の子供もそういう意味での預かりものなんだろうなと思うわけです。「ぼくたち夫婦の子供」ではなくて、「たまたまぼくたち夫婦が預かった子供」という気がするんですね。
その考えからすると、子供を育てるという行為の中身がだいぶ変わってくるなと思います。
また、自分の人生が預かりものだとすると、もともと人生に意味はなくて、そこに意味づけをするわけですが、どういう風に意味づけするかで、その人のスタンスはずいぶん変わってくるのかな?と思います。
先祖の気持ちに思いを巡らしたり、自分の社会での役割とか、それを次代に引き継いでいくというニュアンスで意味づけすると、日々の暮らし方も違ってくると感じます。
そして当然ながら他の人も、同じような連綿とした命のつながりを背負っているわけで、その人への対し方も違ってくると…
テレビなどにおいて、残念で可哀想な殺人事件のニュースを目にすることがあります。番組の出演者のコメントで、殺された本人と残された家族への同情が語られますが、それは本当にそうなんです。
ですがぼくはそれに加えて、これまで連綿と続いてきた命の線が切られてしまったとも思います。その歴史的な重みを想像してしまいます。
なんていうことを、海辺でだらだらと考えているぼくっていったい何者なんでしょう?
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