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自分の身の丈に合わせて生きていきたい



 偏屈なのかもしれない話ですが、自分が苦手な人達がいまして、それは、映画とかテレビドラマで必死に働いて目標を達成したりする人達だったり、東京のビジネス街とかで仕事ができるビジネスマン的に早足で歩く人だったり、黒塗りの車の後部座席に座って、自分が日本を動かしているみたいにふんぞり返っている人だったり、高速道路の追越し車線を前の車をやたら煽って急いでいる人だったり、まあそういうタイプの人というのが苦手で、友達にはなりませんし、そういう人がそばにいると離れるようにしています。
 そういうタイプの人にはその人の価値観があって、やりたいことがあって、一生懸命やっているので、それはそれで勝手にやればいいわけですが、自分はそういう風に生きないし、そういう人に近づかないということです。
 ましてやそういうタイプの人が自分の価値観ややり方を押しつけてきたり、こちらを軽蔑してきたりすると、それはキッチリ反抗します。
 もう少し正確に言うと、夢や目標があるのは別にいいと思うんですが、そのやり方の不自然さに違和感があるんです。
 そんなにカリカリ、自分は一生懸命やってるぞどうだ的にやらなくてもいいんじゃないの?って思うんです。別に誰も一生懸命やってくれって頼んでいないと思うんですけど…
 それに経験的にいって世の中のことって、そんなに自分がカリカリしなくても、まあたいていなんとかなるわけです。その人がいなくても回っていくわけです。もっといえば、その人がどんなにスゴいことをやっても50年か100年すれば、たいてい跡形もなく消えてしまうものです。
 ぼくだって、やはりこだわりやどうしてもやりたいことは一生懸命やってしまいますし、やることがなければ、やらなくてもいいことまで一生懸命やったりします。それでうまくいかないとイライラしたりしまうんです。そんな自分に気がつくと、「オレは何をやっているんだろう」って思ってしまいます。
 これを徹底してしまうと、虚無的な、世捨て人的な生き方になるのかもしれませんが、そういう考え方自体が昔からあったということは、やはりぼくと同じように考える人がいるということでしょう。
 世捨て人的に諦めるんじゃなくて生涯を全うすればいいと思うんですが、それがライバル心だったり、他者と比べて自分が幸せだと認識するのはちょっと違うんじゃないかなと思うんです。
 まるで「アリとキリギリス」の話みたいになっちゃいますが、実際、本物の蟻が自分よりも大きな荷物を背負って運んでいるのを見ると、自分を見ているようで身につまされます。
 もし宇宙人とか神様みたいな存在がいて、その人が地球を遠くから眺めていたら、人間はその蟻そっくりに見えるだろうなーと想像します。
 責任感を持って、一生懸命やろうと頑張って、そして疲れてしまう。ましてや人によっては追い詰められて鬱病を発症したり自殺してしまう。そういうのって本末転倒じゃないでしょうか?
 童話ではキリギリスは冬に飢えてしまって蟻に助けを求めるんですが、ぼく的には、たぶん蟻の中には働き過ぎて疲弊して寿命が短くなったり、病気になったりしている蟻(さすがに蟻は自殺しないような気がしますが…)がいるんじゃないかと思います。
 いろいろ想像してみるとキリギリスだって蟻だって所詮は儚い人生ではないですか。
  
 ぼくにはぼくの生まれつきがありますし、身の丈があります。それに合わせて暮らしていきたいなと思うわけです。あまりこだわらず囚われず日々の暮らしを楽しんで過ごしたいと思います。






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