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海で大きな自然の時の流れを感じる



 海で遊んでいると日常生活に何の役にも立たないことをいろいろ考えたりします。役に立たないけど、そういうこと考えるの好きなんすよね。
 たとえば、変わった形の岩を見ると、波の浸食でこうなったんだな、何年くらいかかるんだろうとか…昭和初期の湘南の写真を見ると、今よりも砂浜が広く長かったんだなとか…伊豆半島はすごく昔(すごく大雑把ですけど)に本州にぶつかったことになってるんだよなあとか…由比ヶ浜あたりでサーフィンしていると、ずっと昔鎌倉幕府が本当にこの場所にあったんだよなあとか…
 他のウォータースポーツをする人が何を考えるのか訊いたことがないんでわかりませんが、ぼくはわりとそういうことを考えます。
 いろいろ考えるわりに結論は似たようなところに落ち着くんですが、それは、人間の営みなんて儚いなあ、ということです。
 海という自然に密に接しているからそんなことを考えるのかもしれません。
 海で遊んでいると、潮の満ち引きやうねりや波で、海のはるか向こうのことを想像します。それは地球のことに関連してますし、宇宙のことを連想させます。
 だから余計に人間の小ささとか自分のちっぽけさを感じてしまうのかなあ、なんて思います。
 地球が誕生して、海や陸ができて、そこに人間が生まれていろいろなことが起きたと思うんですが、自然の営為の時間スケールの長さや大きさや力は圧倒的です。人間だって、ビルを建てたり防波堤を作ったり、すごくいろいろなことができるようになってますけど、それでも自然の力と比べると大したことないですもんね。
 しかも自然はそれを何百年、何万年、何億年という時間スケールの中で存在しています。
 以前、台風のときに、ぼくんちの近所の防波堤がそっくり波で流されたことがありましたけど、それなんか自然の力のすごさを垣間見た一例です。
 話が逸れちゃうんですけど、ぼくは戦国時代の歴史小説を読むのが好きですが、いくら信長がすごいとか、秀吉がすごいとか、家康が徳川幕府が300年続いた礎を作ったのはすごいとかいいますけど、確かにすごいですけど、それは人間の時間スケールの話ですね。自然の時間スケールと比べたら、ささやかなことのように見えます。
 ぼくは海で遊ぶたびに、そんな自然に圧倒されています。
 最初に日常生活に何の役にも立たないことだと書きましたけど、少しだけ役に立っていることがあります。
 それは、怒りの感情が湧き出したとき、そういうときってたいてい自分のこだわりみたいな概念が原因になっているわけですけど、自然の営みと比べると、どうでもよくなっちゃって、怒るのがバカバカしくなることでしょうか。
 そういうのを役立つっていうのかわかりませんけどね…






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