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ぼくにとっての海辺の暮らしの意義…



 ぼくは3人兄弟の長男で、弟と妹がいる中で育ちました。父親は自分にも家族にも厳しい人で、かつ負けず嫌いな人でした。また、少々古くさい価値観~男らしさとか男は家族を守るべし~を持つ人でした。
 ぼくと弟は、なんでもかんでも競争に勝つことが求められる環境の中で育ちました。たとえば小学校の頃は、勉強やスポーツや習い事で一番じゃなければダメという感じでしたし、中学でも高校でも大学でもそうあることが求められました。
 さらに長男ですから、弟や妹の手本であるべきで、また年下の者を守りサポートすべきであるといわれて育ったのです。
 そんなワケで、ぼくは大学に入るまで、なんだかわからない息苦しい毎日を送っていたのです。
 その状態を息苦しいと感じるということは、ぼくの心のどこかに社会的競争とか望ましい人間として振る舞うという考えに、どこかしら抵抗感なりわだかまりに類する考えがあったのでしょう。そしてそうした価値観から離れたいという欲求があったのだと思います。その頃は自覚していませんでしたが…
 一方で、大学時代に独り暮らしすることになったことを好機と、サーフィンとスキューバーダイビングを始めました。ぼくにとって、海は社会的ルールとか社会的規範とか社会階層とか競争とか見栄とか、そういうものから自由になれる場だったんです。完全な自由ではないかもしれないけれど、当時のぼくにとってはかなり自由な状態でした。
 自由であることの喜びとサーフィンとスキューバーダイビングのおもしろさから、ぼくは海にはまっていったのです。
 一応仕事につき、一応社会人になり、一応結婚し、一応子どもも授かりました。一応いわゆる普通の社会人のように暮らしてきたのです。合格点とはいえないものの、一応父親の逆鱗に触れない程度に常識的な人として振る舞うようにしてきました。
 その一方で、ぼくは海遊びを続け、海辺に住むようになります。
 社会通念上の普通の生活を義務的に営むエネルギーを補うように、自然の中の海辺の暮らしにハマっていったのでした。
 おそらくそうしないとぼくの精神的なバランスはとれなかったんじゃないかと思うのです。
 その父は他界しましたが、ぼくの中に、いわゆる普通の社会人として生きること、常識的な暮らしをしなければならないという意識はあり続けています。
 海辺で暮らし、ウォータースポーツを楽しんでいますが、それは自分の中の普通の社会人として生きなければならないという義務感を相殺する意味を持ち続けています。









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