海の贈りものを受けとる場所
「海辺で毎日をていねいに大切に暮らしたいな」と思い続けてきました。
海辺の暮らしの中で気づいたこと
海のすばらしさ・楽しさ
ウォータースポーツの楽しさ
などなどをご紹介できたらいいな。
シーカヤックで人のいないビーチや島へ
シーカヤックの楽しみはいろいろありますが、そのひとつに無人の浜や島に行けることがあります。
三浦半島や伊豆半島のように、どこへ行ってもたいてい人がいるようなエリアでも、シーカヤックで入江の先端や離れた島に行けば、ほとんど人に会うことありません。
「人に会わないことがそんなに価値があるのか?」と基本的に疑問に思われる方もおられるでしょう。逆に「心細い」「寂しい」と感じる方もいるでしょう。
こればっかりは好みなのでなんともいえませんが、ぼくの場合、人に会わないとわかっていることで、ずいぶん心持ちが違います。なんというか気持ちの奥の方の緊張感が少ない気がするのです。
この気持ちを初めて味わったのは、沖縄の離島を旅したときです。
その島は無人ではなく、ちゃんと住民の方がいましたが、ぼくがうろついている浜には、ほとんど人気がありませんでした。
荷物を盗られる心配もなく、レンタカーの窓は開けっ放し、キーはさしっぱなし、海からあがって着替えるときも人目を気にしません。ビーサンも履かず、Tシャツも着ないでダラダラしていました。しまいにはパンツも穿くのが面倒くさいなって、フル○○でいたほどです。
そのときの解放感は、なんといったらいいんでしょうか…
いかに普段、無意識に細かなことを気づかっていたか、そのとき自覚しました。そしてその気づかいが、積もり積もって意外に負担であることにも気がつきました。
体験した方は実感として伝わると思うんですが、体験していない方には…そうですね…肩凝りの人が初めてマッサージや鍼灸をしてもらって凝りがすっかりとれた時の感じに近いかもしれません。
凝りがとれてスッキリした感じと、それまでの自分が凝りを当然として受け入れていたことを自覚して愕然とする、その感じです。
だとすると、さらにいえば、もっと多くの、無意識に自分を縛りつけている制約を受け入れて、無自覚に暮らしているのかもしれません。
話しがそれましたが、ぼくにとっては、人に会わないとわかっていることは、精神的にモロモロの制約から解放される楽しい状況なのです。
それが味わいたいがために、シーカヤックでしか行けないようなこぢんまりとした無人の浜に行っては、ノビノビと寛ぐわけですね。
それは肩の凝りをほぐすような、あるいはたまった垢を落とすような、ぼくの中での定期的なメンテナンス時期になっています。
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