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海辺の男の生き方…こんな風になりたい



 ぼくの海遊び仲間は、無骨で、ぶっきらぼうで、タフな奴が多いです。
 もともとの性格は違っていたんでしょうが、海というフィールドで生き残るために必要な特性が身についていったのでしょう。
 慎重に考え、素早く行動する人が多いのです。理屈よりも結果、楽しんで生き残ることが善、自分の判断力と体力がすべて…
 そんな仲間に囲まれて過ごすことが多いので、仕事などで東京の大企業とか官庁とかの理屈っぽくて、細かくて、人のミスを誘い、自身の出世を考える、ヒョロッとした青白いヤツとやりとりするとストレスが溜まります。
 ぼくが仲良くなる男の友達というのは、小さい頃から一貫しているので、たぶんぼくの中にそういう特徴があるのか、育った環境によるものなのでしょう。
 そんなぼくが好きな男性像がそのまま出てくるのが、山本周五郎の『樅の木は残った』です。
 主人公である原田の意思が強くて、自分の使命や役割を全うしようと、価値観や好き嫌いや憎しみや苦しみを表に出しません。そのストイックさは痛々しいくらいです。
 自分の家柄が家老であり、自分がその家の主であり、主家を守るために果たさなければならない役割を果たすため、日々の言動、人付き合い、家族との接し方などすべての行動を制御していきます。そしてとうとう主家のため、自分の命を投げ出してしまいます。
 孤独な原田は樅の木を愛します。春夏秋冬、何年経っても、そこに凜として静かに立っている樅の木を愛します。そして自身も樅の木のように生きたいと考えます。
 原田は幼い頃に体験した自然の中の暮らしを愛します。山の中にこもり、猟をする生活は、武家に生まれ、家を担わなければならない義務から解放される場所なのでしょう。
『樅の木は残った』を読むたびに、人の一生とは何なんだろうと考えてしまいます。自分らしさとか、自分の意思とか、自由とかって何なんだろうと考えてしまうのです。それって究極の理想で、現実に存在しないものなのじゃないかなって思うのです。
 ぼくはといえば、現代に生まれ、普通の家に育ったので、江戸時代の武家の長男ほど重荷を負ってはいません。それでも男として生まれ、資本主義社会で競争し生き残るために、いつも他者に負けないようにしてきました。学校での勉強、スポーツ、受験…その競争は、終わりがありません。
 オジサンになった今も、職場でお荷物にならないように、社会人として恥ずかしくないように、家族に迷惑をかけないように、日々油断はできません。
 人は社会で生きるために、その社会のルールから逸脱しないよう、何かしら自制しないといけないのでしょう。完全に自由な人などおそらくいないはずです。
 ぼくは海遊びをしますが、それは社会的なルールや責任から一時的に解放される場所だからです。自然に安らぎを求めるところも『樅の木は残った』の原田に共感するところです。
 ぼくが『樅の木は残った』が好きなのは、男が生きる上での不自由さを、武家の男の心情に反映させているように読み取るからかもしれません。
 そして自然の中での時間を、一時の安らぎの場所としてする様子に共感するからかもしれません。
 男の負っている責任と誰にも本心を打ち明けられない孤独さと逃げ場のないプレッシャー。それと対比される自然の中での安らぎ。
 人というのは時代や場所が変わっても、生きていく大変さは変わらないのかもしれません。











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